オクラホマ・スティルウォーターから

2003年09月30日(火) つもる話��

 いかさんの実家に2度お邪魔したことがあって、2回目の時には、どのように誘われたかというのはわりと覚えているのだが、最初にお邪魔した時には、どういう理由だったか、しかもなぜ私一人でいかさん宅を訪れたのか、私もいかさんも全く覚えていない。

 遠い過去の記憶の糸を手繰り寄せながら話すいかさんと私の2人だった。

 共通の友人の話になると、盛り上がったり、友を心配したりするのだが、そのような話ができる友人がずっと長くいるというのはとてもありがたい。日本を離れていて、地元に実家と友人がいるというのはやはりホッとするものだ。



2003年09月29日(月) つもる話��

 いかさんとある友人の話になった。

 ある友人は同級生と結婚したのだが、いかさんがその結婚式に参加した時のこと。新郎の郷里で行われた結婚式で、その地名産の食べ物が出たことや、招待客の服装の話題などで盛り上がった。

 その服装と言うのが、東京から来た招待客は揃いも揃って、タキシードと蝶ネクタイだったというのだ。

 「タキシード? 蝶ネクタイ? それ新郎とちゃうの?」 と何度もいかさんに聞き返す私。

 東京出身の方、結婚式に参加するときは、タキシードに蝶ネクタイというのは本当なのでしょうか?

 ちなみに関西では黒のスーツに白ネクタイです。

 
 ところで、新郎については私もある程度知っているのだが、どうも女性より弱い立場に立ってしまうタイプらしい。学校時代、女子生徒から「△△〜!(となぜか叫んでいる)」と苗字を呼び捨てに呼ばれていることが多々あり、かく言う自分も実はそう呼んでいる一人だった。

 それで、いかさんによると、結婚式の後に新婦側の何人かの友人に囲まれて、「もし○○(新婦の名前)を悲しませることがあったら、うちらが承知せえへんからなあ!」とすごまれたらしい。やっぱり△△(くん)らしい。

 何年も会っていないのだが、元気でいることだけは確かなようで、当時のことを思い出しながら懐かしく思った。

 「△△〜! 元気かぁ〜! (何でまた呼び捨てやねん)」



2003年09月28日(日) 秋空とニュース

 秋の空は変わりやすいというが、今日はそんな天気だった。学校に行くネジャーティをバスで送って行ったが、後で聞くと、バスが来た時にはひょうが降っていたらしく、慌ててバスに乗ったそうだった。夕方には東の方は暗雲が、西の空は晴れ空で夕日が差し、とても不気味な天気だった(何かスティーブン・キングの小説を想像してしまうような天気だった)。

 夕方家に帰ったら、家の前に、この前咲いたものとは別の水色の朝顔が咲いた。また咲きそうな気配だ。

 そんな天気はいいとして、今日のニュースで、上方漫才の夢路いとしさんが亡くなったというニュースには関西人の私にとってはやはりショックだった。そして、ニューハンプシャーにいる時に、ちょうどある新聞に載せていたいとしこいしさんのインタビューの連載がインターネットでも載っていて、その感想を書いて新聞社にメールを送ったら、そのメールが紹介されてびっくりした、ということがあった。

 そしてその連載が終わった後だったか、そのインタビューが本になって、その後、公開インタビューがあって、実はその招待状がニューハンプシャーに送られてきた。もし実家に送られていたら、父に行ってもらったか、あるいは自分が日本にいたら、会場に行って本にサインを頼むところだったが、そのはがきが届いた時にはすでに過ぎていたか何かだった。

 あのインタビューの連載から1年半ぐらいしか経っておらず、当時からしたら、まさか1年半後に亡くなるとは思っていなかった。やはり残念としかいいようがない。



2003年09月27日(土) カレッジフットボール

 ネジャーティが散髪に行きたいというので、最近行っている散髪屋さんに行ってみた。

 店内のテレビではケンタッキー大学(University of Kentucky)とフロリダ大学(University of Florida:UF)の(アメリカン)フットボールの試合をしていた。フロリダ大学のチーム名はゲーターズといって、ワニ(アリゲーター)がチームのキャラクターになっている。ゲーターズがケンタッキーのチームと対戦するのは知らなかった。

 対戦相手というのは必ず決まっていて、私がいたフロリダ州立大学(FSU)のセミノール(Seminole)もそれぞれ対戦相手があるのだが、ケンタッキーとは当たらないので、ゲーターズがケンタッキーと試合があるというのは意外だった。そしてFSUの最後の対戦相手がゲーターズで、毎年交代でそれぞれのホームゲームがあって、試合の中で一番盛り上がる。

 ちなみにFSUとUFはライバルで、ネジャーティが職探しの一つとしてUFを挙げていたが、いったんFSUに籍を置いた私にとっては「ゲーターズねえ」と、何だか敵地に乗り込む気持ちがする。

 フロリダはセミノールやゲーターズの他に、マイアミのチームも強いので有名だが、今日のゲーターズとケンタッキーの試合ではケンタッキーが21対9と点数をリードしていたので驚いた(しかし結果は21対24とフロリダが勝つ)。

 今のところ、1位がオクラホマ、去年のチャンピオンのオハイオ州立大学が3位、FSUが5位となっている。今年はどうなることやら。



2003年09月26日(金) 待合室での談話

 明け方から梨奈が熱を出して、夕方まで熱があったので、近くにあるシンシナティー子供病院の分室に行ってみた。

 分室は夜から11時まで開いているところで、行った時には赤ちゃん連れのお母さんと、子供づれのお父さん(あとでわかったが、もう一人の子供とお母さんを待っていただけだった)がいて、待合室で待つこと1時間。やっとそのあかちゃんと私が呼ばれた。

 待っていたのは私とその人だけではなくて、私の後に子供連れの人が3人やってきたのだが、赤ちゃんを持っているお母さんは「何ヶ月ですか?」と聞いたり、「うちの子は8ヶ月になるのにこんなに小さいんです」、と、見たら4ヶ月ぐらいかなあと思うほど小さい赤ちゃんだったり、梨奈と同じぐらいの女の子のお母さんは「この前3歳になったばかりなんです」と言って、大きい女の子にみんなびっくりしたり、会話がはずんでいた。

 1時間ぐらい経つ時に、私より先に来ていたお母さんが「いつまで待てばいいんだろうねえ」と小言を言っていたら、他の人がいつから待っているのか、この前自分が来た時はすぐ通されたとか、さらに2組の患者が来て、受付用紙を持っていった看護婦さんが「また2人増えた」というのをキャッチして、「今、もう2人もいるの?って、言ってたわよ」なんて、言いふらしている。

 それから診察室につけてあったニックナイトのチャンネルで「ロザーン」という94年に放映されたドラマの再放送をやっていたのだが、時間が過ぎてもまた始まったので、また始まったわよ、というと、もう2人という人の1人が「朝の6時までやってるみたい。この前はビル・コスビーショーをやってたよ」というと、「ずっとロザーンの責め苦に遭わないと(tortured)いけないなんて」とぼやいていた。

 1時間の待ち時間にはうんざりしたが、同じようにうんざりしていた人の会話を聞いてちょっと面白かった。

 結局梨奈は風邪でもなんでもなく、ただ熱が出ただけで、今日の午後には普段の元気を取り戻していた。



2003年09月25日(木) お土産�∨棔‖海�


 昨日の続きで、理科の方では「おもしろくても理科」とその続編があって、その中には人口爆発のことも書かれている。フロリダの学校で専攻した人口統計学は社会科学(Social Science)の学部にあって、学位も「Master of Science in Demography」とちゃんと「Science」の学位がもらえる。これを言うと、自然科学の化学一筋にやってきたネジャーティに「どこがScienceやねん」と怒られそうだが、ネジャーティが自然を相手にしているなら、こっちは人間が相手や! (・・・と、誰にどなってるねん)

 それはよしとして、私が懸念している問題の一つはゴミ問題だ。ゴミ問題も書かれていてびっくりしたのだが、それは日本のゴミ問題ではなく、中国のゴミ問題だ。

 世界の人口の5人に1人は中国人だが、先進諸国並みにゴミが増えると大変なことになる。中国政府がきちんとした政策と一般市民の高いリサイクルへの意識を掛け合わせてリサイクルがうまくできれば、ゴミも立派な資源になると思うのだが、ゴミに関する意識の高さというのは本当に大切だと思う。

 それで、私が心配していたのは油処理の方法だったが、いかさんが言うには、一般の人はそんなに油料理というのはしないらしい。日本人がイメージしている中華料理というのは油で揚げているものとか、油ばっかり使うものというのがあるが、それは本当に限られているものらしい。それを聞いて少し安心した。
 

 



2003年09月24日(水) お土産�∨�


 前回もいかさんに本をもらったのだが、今回もらった本は目からうろこが落ちるようなものだった。

 誰もが学校で習った社会や理科を違う角度から見たものだ。それぞれ2冊あって理科はまだ全部読み終わっていないのだが、社会は全部読み終えた。社会の方のタイトルは「どうころんでも社会科」とその続編だ。

 縄文時代の話も出てきて、読みづらいかなと思ったらそうでもなくて、意外な話も出てきて面白かった。

 また、おそらくうちの親の世代は周知のものなのだろうが、例えば、東海道五十三次は東海道の陸路をずっと行くと行けると思っていたが、五十三次の中の一ヶ所だけ海路があるのを知らなかった。それは「七里の渡し」と呼ばれるもので、熱田神宮の宿から次の宿の桑名まで、舟に乗って渡るものだ。一里が約4キロなので、七里というと28キロの距離だ。そういえば去年の水戸黄門にもちょうど熱田から桑名まで舟に乗って行くというところがあって、私はただ舟に乗って行ったんだと思っていた。親に言ったら「今さら何言うてんねん」と怒られそうだ。

 ちなみに5年前に亡くなった明治の生まれの祖母は(母もだったと思うが)、戦前の話をする時には「〜から〜まで何里歩いた」とか、単位に「里」を使っていた。

 その他「選挙権はありますか」の項目では「目からうろこ」というよりは、うなずける内容で、女性が戦前には選挙権がなかったというのは社会で習う通りで、この話になるといつも祖母を思い出す。祖母は晩年まで政治に関心があって、眠れない時には、「朝まで生テレビ」を見ていたようだし、新聞にも全部目を通していたが、選挙には必ず投票していた。

 年寄りはすることがないから選挙に行くというのは傲慢な考えで、自分たちの意見を選挙に反映させようにも若い頃にはその権利さえなくて、自分たちが選挙できるんだ、という喜びは、私たちの想像以上だと思う。祖母の年齢で考えると、祖母が40歳の時に初めて選挙権を手に入れたわけで、まだ私はその年齢に達してもいない。

 選挙権が限られた人にしかないと、必ず勝手なことをする輩が出てきて、気が付いた時にはポッと軍事政権なんかができてしまう。気が付いたときにはもう遅くて、勝手気ままのされ放題、なんてことにもなりかねない。


 理科の方は「おもしろくても理科」というのと続編で、それはまた明日。



2003年09月23日(火) 朝顔

 朝顔の時期は終わったと思っていたのだが、いかさんの滞在中にも咲いていたし、毎日いくつか花を咲かせている。以前はお昼になるとしぼんでいたが、今はお昼を過ぎてもまだ咲いていることがある。

 乾燥した種を取って、フィルムの透明容器に入れているが、すでに半分が埋まっている。

 いかさんが発つ日に撮った、家の前に咲いた朝顔の写真を先日送ってもらった。裏庭に咲いていた朝顔とちょっと違う。

 次の2枚はいかさんによる撮影



近くで見ると白い輪郭が


背景と合わせると、このような大きさ


ちなみに、裏庭に咲いた朝顔↓。花の回りにある丸っこいものは茶色く乾燥するので、それを取ると、中に種が入っている。




2003年09月22日(月) お土産�.僖�

 先々週から先週にかけて遊びに来てくれたいかさんが、日本からどーんといろいろ持ってきてくれて、どれも大喜びの物ばかりだったが、その中の一つ、菓子パンはやはりおいしかった。

 パンと言うと以外かもしれないが、日本の菓子パンはやはりおいしい。そして私は普通のパンとご飯を比べるとご飯党なのだが、菓子パンは別だ。神戸や近辺ではパン屋が多く、実家の駅近くに支店が出ている、その辺では知られているパン屋に行くこともあるし、神戸に行った時もパン屋によく立ち寄る。

 パンを入れてくれた箱を開けたり閉めたりしてパンをいとおしく眺めている様子はおそらく他人から見たらおかしかったかもしれない。パン自体は日持ちがあまりしないので、いかさんの滞在中にバームクーヘンを除いて全て食べて、とても贅沢気分を味わった。
 



2003年09月21日(日) げら

 「げら」と聞いて意味がわかったら、関西弁がわかる人だと思う。

 「げら」は笑い上戸という意味で、げらげら笑うところから来たのだと思うが、ちなみに「げら」とイントネーションが上がる。梨奈も私も「げら」やと思う。

 お昼過ぎに、ネジャーティとアパートにあるテニスコートでテニスをしていた時のこと。あちこちに飛んだボールを集めていて、ネット近くに2人ともいたのだが、ネジャーティがボールを私の方に投げたと思って、すくっと体をすくめた。でもそれは勘違いで、急に体をすくめた私を見てネジャーティが笑っていた。それがつぼに入り、しばらく笑いが止まらなくて、打ったボールもへなちょこボールになってしまった。

 夜のこと。ビデオテープの巻き戻しが終わって、リモコンがないので、ビデオデッキのPlayボタンを直接押さないといけないのだが、テレビの前に横たわっていた梨奈が私に押してほしいらしい。私はソファーに座って本を読んでいたのだが、梨奈は「眠たいから、押して」と言う。私も眠たい、とソファーで寝てるまねをすると、梨奈も笑って「押して」と言う。それがおかしくて2人で笑い転げていたら、梨奈は私の方に来て「起きて」と言って起こそうとする。私は笑いすぎておなかが痛くなってきて、そのうち梨奈が強引に私を引っ張って、私の指でビデオのPlayボタンに押させようとする。押す前に耐え切れなくなって、テレビの前で笑い転げたので、結局梨奈が押したが、ソファーにいる私のところに来るよりもビデオデッキの方が近いのに、眠たいという理由をつけて、強引に押させようとして、「どこが眠たいねん」と突っ込んでいた。

 今日は久しぶりに「げら」ぶりを発揮した。



2003年09月20日(土) ドイツのお祭り@シンシナティー

 全米でも最大規模のドイツのお祭り、「Oktoberfest-Zinzinnati」がダウンタウンであったので、行ってみることにした。

 なぜ「Cincinnati」というのが「Zinzinnati」となるのかはわからないが、ドイツ風に書くとそうなるのかもしれない(ドイツ語を習った方、教えてください)。

 お昼を食べてから行こうと思っていたが、近所の子の姉妹が遊びに来たので、なかなか行けなかった。ちなみに、いかさんに頼んで買ってきてもらった扇子と日本人形のおみやげを渡したら喜んでくれたのでよかった。扇子は2本(どうやって数えるのかな?)とも同じかと思ったら違ったようだった。

 一つはひょうたんの絵が書いてあって、ひょうたんを説明するのは難しいなあという意識があったのか、なぜか勘違いしてへちまの説明をしてしまった(話しながらおかしいなあと思っていた)。

 遊びも一区切りしたところで、ダウンタウンに向かった。駐車場が見つかるかと思ったが、通り沿いの駐車スペースが開いていて、月−土の9〜5時以外は無料で、着いた時は6時ぐらいだったので、そこに止めて歩いていった。

 ファウンテンスクエアから東の通りを出店が並んで、出店に人が並ぶと歩くのも大変なぐらいだった。この時間、やはりドイツビールを片手に歩いている人がかなりいて、よく見たら、マイジョッキなのか、陶器のジョッキを片手に歩いている人もいた。

 陶器のジョッキと言うと、うちの実家には陶器のビールジョッキがあり、ビールを飲むものとしては使われておらず、お箸立てになっている。

 いかさんがもう2日ほどシンシナティーに滞在していれば、この雰囲気もドイツビールも楽しんでもらえたと思うのだが、とても残念。

 何か食べようと思い、結局デザートのシュークリームとチーズケーキを買って、インフォメーションセンターの横にいいスペースを見つけ、そこに座って食べた。近くではドイツの民族衣装を来た人たちによる音楽が演奏され、とてもいい雰囲気。チーズケーキは甘かったが、シュークリームはおいしくて、日本人の口に合うものだった。おそらく今までで一番繊細な味のクリームだったと思う。後で調べてみると、Servatii Pastry Shop & Deliという、Cincinnati Magazineのパン部門で殿堂入りしたお店らしい。ダウンタウンや近郊のブルーアッシュなどにお店を出しているようだ。

 ちなみにシュークリームを英語で何というかを、HPのToday's Conversationに載せています。

 梨奈は風船を作ってもらい、メリーゴーランドに乗れたので、ご満悦。ダーツを投げて風船を割ってぬいぐるみがもられるコーナーでは、2本私が割り、1本はネジャーティが外したが、梨奈のお気に入りのDoraの人形をもらえたので、喜んでいた。

 梨奈は疲れたのか、帰りの車の中で寝息を立てていた。



2003年09月19日(金) 空港へ

 ノースウエストに乗るいかさんを送りに家を出た。家の前に裏庭のものと違う種類の朝顔が一輪咲いていて、ちょうどいい見送りとなった。

 ノースウエストが飛ぶターミナルはとても小さくて、実は悪名高いボストンの空港のように人がぎっしり並ぶということはない。

 年末年始に訪ねてきた両親を送った時もそうだったが、英語が話せないのでゲートまで送りたい、とカウンターの係員に頼むと、セキュリティーを通ってゲートの前まで送ることができる(話せてもゲートまで送りたいものである)。その際には、係員に運転免許証を見せて、セキュリティーの人に渡す紙をもらうことになっている。でも今回はその紙は見せるだけで、気が付いたら、両親の時のように渡していなかった。

 梨奈も一緒に行くというのを告げるのを忘れたので、私の名前しか入っていなくて、セキュリティーの人に、梨奈がガールフレンド(女友達)かと言われてしまった。おそらく友人が連れてきたと思ったのかもしれない。それで、私の娘です、と言って通らせてもらった。

 搭乗のアナウンスが入って、ゲートが開いたが、よく見ると、そのまま地続きで、タラップから飛行機に乗るようになっていた。

 飛行機が離陸するまで待ちたかったが、梨奈が戻りたがっていたので、空港を後にして、ネジャーティの研究室に向かった。

 いかさん、また遊びに来てね。

 いかさんの荷物は来た時と同様に一杯になっていたが、重量としては重たくなかったので、ネジャーティの助けを必要とせずに済んだ。ネジャーティの研究室に向かったのは、今日お弁当を持っていくのを忘れたので(というより、私が用意するのを忘れたので)、それを届けに行ったが、結局そのお弁当を持って、カフェテリアに行こうということになって、買ったスープと一緒に食べることになった。

 せっかくやから、お昼の時間にカフェテリアに来て一緒に食べたらよかったね、と話したが後の祭り。



2003年09月18日(木) いかさんの誕生日

 今日はスケジュールには何も入れていなくて、行けなかったところや行き足りなかったところに行こうということになっていて、またまたお昼から近くのモールとWalmartに行った。

 そして、今日はいかさんの誕生日だったのと、明日でいかさんが日本に帰ってしまうので、近くの日本食屋で夕食を取ろうと思っていたのだが、ネジャーティと連絡が取れずに、3人で行くことになった。あとでネジャーティに聞くと、ある実験室にいたらしく、そこでは電話が他のところに回されて鳴らないようになっているとかで、それで連絡が取れなかったみたいだった。どっちにしてもネジャーティが家に帰ってからちょっとして私たちも戻ったし、日本食屋ではゆっくりできなかったので、飲み直しということで、いかさんに乾杯をした。

 毎日お昼からの行動でゆっくりしてしまい、今日は時間があればもう少しダウンタウンを歩こうと思っていたが、全然時間がなかった。



2003年09月17日(水) 州立公園へ

 今日はお弁当を持って、シーザークリーク湖州立公園に行った。

 この前見つけられなかった川を今回は見つけたが、その川に沿って2マイル遊歩道があるようで、少し歩いて引き返した。蚊の格好の餌食となってしまい、みんなで蚊にかまれてしまった。

 その後、案内所に寄って、化石拾いの許可証をもらい、ピクニックエリアでお弁当を広げて(といっても、ピクニックテーブルでおにぎりと卵焼きとチキンナゲットだけだが)食べて、化石拾いに向かった。

 それから、パイオニア村の1800年代の集落を見て、州立公園を後にした。

 まだ余力があったので、高速道路をそのまま走って、モールに行き、休憩した後、買い物にエネルギーを使った。ちょうど季節の変わり目のセールなのか、かばんも元の値段の3分の1ぐらいになっていて、私もいかさんもかばんを買ってしまった。



2003年09月16日(火) デートンへ

 朝ゆっくりして午後から出かけるという行動パターンになっている。いつもいかさんが早く起きていて、その後私が起き、遅い朝ご飯を食べて、梨奈が起きてきて出かけるというパターンだ。

 今日デートンに出かけようと思ったのは、火曜日にライトB,フライヤーという、復元されたライト兄弟の飛行機の格納庫が開いているからだったが、デートンに着いた時にはすでに閉まっている時間だったので、そこには立ち寄らずに、そこからやや近くにある公園に立ち寄っておにぎりをつまんだ。

 この前は日本瞑想庭園(Japanese Meditation Garden)があることを知り、公園内を歩いてみると、松の木と灯篭があるのを見つけ、そこがその庭園だとわかった。庭園と言ってもちょっとした一角がそうなっているだけだが、その他に、小さい枯山水の庭ができていた。
 
 それから、ライト兄弟の家と自転車屋、航空博物館に行った。航空博物館の日本の展示物には大阪の焼け野原が写った写真があるのだが、いかさんの家の近くの駅が終戦2日前に空襲に遭った話を聞き、大阪の空襲の激しさを痛感した。うちの父も実家が大阪市内のど真ん中にあり、家が焼けたのだが、家が焼けるってどういう気持ちか聞いたら、その時はみんなの家が焼けてるから、自分の家も焼けても仕方がないと思ったらしい。今なら家が焼けるというのはよっぽどなことだが、自分の家が焼けるというのは居たたまれない。

 その後は、もう一つの公園に行く予定だったが、デートンに交換留学に来ている高校生と会う時間が迫っていたので、そのままホストファミリーの家に向かい、ゴールデンコラルで一緒に食事をした。話を聞いてみると、ホストファミリーのお母さんと私たちが同じ年齢であることがわかり、複雑な気持ちに。

 長い一日だった。



2003年09月15日(月) ニューポート

 午前中は霧が出ていたが、午後からは晴れて、すっきりとした爽やかな天気だった。

 今日回ったのは、シャロンウッズという公園、ケンタッキー側にあるニューポートと、エデンパークで、ニューポートにあるBarnes&Nobleでコーヒーを飲みながら、対岸のシンシナティーのビル群を眺めていた。

 帰りにネジャーティを迎えに行ったが、大学の建物か何かが後ろにあった夕日に照らされてシルエットが浮かび上がってきれいだった。



2003年09月14日(日) コンサート

 いかさんと午後からWalmartとジャングルジムズに行った。Walmartはニューハンプシャーでも行っていたが、来月のハロウィンに向けて売られているグッズやチョコレートは新鮮だったようだ。
 ジャングルジムズは昨日、今日と試食会があったのだが、行った時には時間が遅かったからか、2,3個を試食するだけで終わってしまった(ちょっと残念)。

 そして、晩にはダウンタウンのUS Bank Arenaで行われるマライア・キャリーのコンサートに行った。
 コンサートは7時半からだったが、最初に前座があって、黒人男性のスタンディングコメディーというのか、トークがあり、実際に歌が始まったのは8時半ぐらいだった。それにしても、会場を半分に仕切り、客席は半円状態に座り、誰もがステージを正面から見られるようにしていて、席もまだ余裕はあったし、かなり近くから見られた。

 マライア・キャリーがどこから現れるのかと思ったら、ステージではなくステージの正面の入り口で、アリーナ席の横を通ってステージに上がっていった。

 覚えているだけで7回の衣装替えと、おなじみの曲、ステージの演出など、コンサートはこういうものなのかと思っていたが、いかさんによると、ミリオンセラーになった局は入っていなかったらしい。日本では必ずヒット曲になった局は歌うらしいのだが、アメリカでは歌わないと聞いていたらしいから、本当にそうだったみたいだ。

 コンサートが終わると、さっと人が引けて、ネジャーティに迎えに来てもらった時はおそらく観客でほとんど最後だった。



2003年09月13日(土) いかさん到着

 いかさん、無事にシンシナティーに到着しました。19日までの滞在中、オハイオを楽しんでもらおうと思います。



2003年09月11日(木) 中秋の名月

 テロから2年、ニューヨークでは遺族の集会があったようで、今日たまたま立ち寄った銀行でも卓上の星条旗が置かれていたが、去年と比べればオハイオではそんなに話題になっていないような気がする。

 そして、銀行の窓口で並んでいた時、ちょうど現金輸送車が来て、ビニールに入った札束を小脇に抱えた輸送の人が、カウンターの入り口の前に立っていたが、銀行の係りの人に2分ぐらい放っとかれ、「すみませんが、中に入れてくれませんか?」と声をかけて、入らせてもらっていた。銀行にはドライブするーがあって、銀行の中に入る人というのはそんなにいないし(その時は5人ぐらいの客)、町の中心街とかだとそうはしないだろうが、この辺は近郊だからか、係りの人も気がついてさっと入れたらいいのに、のんびりしてるというのか、緊張感がないのか、客の私の方が心配だった。


 ところで、1年も欠くことなく誕生日には母からの電話があり、今年も日本時間で電話がかかってきた。梨奈が生まれてからは、誕生日はやはり両親への感謝も大きくなっている。

 それから、カードやメールなどお祝いを頂き、ありがとうございました。
 
 今日は買い物があったので、お店に行ったら、顔見知りであろう店員さんが子供に「お誕生日おめでとう」と言ってたので、同じ誕生日の子がいるんだ、と嬉しくなった。

 今年は外食せず、自宅で食事をしたが、食後はソファーでくつろいでいて、ネジャーティに今日は満月だよ、と言うと、外に出て、今日は火星も明るいよ、と言っていたのだが、ソファーから起き上がる元気もなく、そのうちすっかり寝てしまった(明日にでも見てみようっと)。



2003年09月10日(水) イスマイルとベルナ帰国

 イスマイルとベルナが今日トルコに帰国した。イスマイルは半年、ベルナは2ヶ月滞在したが、過ぎてみるとあっという間という気もするし、ベルナはもっと長くいたような気もした。

 2人は別々に来たので、帰りのチケットも別々で、イスマイルはここから国際線でパリ、イスタンブール、アンカラと飛ぶのだが、ベルナはここからニューヨーク、イスタンブール、アンカラとなっている。ベルナの方が4時間早く発ち、トルコにも先に着くらしい。

 それで、ネジャーティが空港に2人を送って、学校に戻り、いつもより早く家に帰ってきたが、イスマイルの荷物が94ポンド(45キロぐらい)に達していたらしく、ベルナの荷物に入れ分けたり、少しネジャーティに置いて行ったりして、やっと70ポンドちょうどにできたらしい。

 「これがイスマイルが置いていったもので、まだ車の中にも少しあるよ」と言って袋から取り出したのはフライパンと鍋。こんなものまでトルコに持って帰ろうとしてたんかい・・・・・。

 車の中に何が入ってるんやろう・・・・・。

 そして、最近トルコ人家族がどこかに引っ越して行ったか、これから行くのかわからないが、レゴのおもちゃをもらって帰ってきた。このレゴは小さいサイズのもので、子供用の小さいバケツ一杯に入っていた。梨奈はレゴで遊び始め、ネジャーティもご飯が終わると、レゴで車を組み立てたり、プロペラを作ったり、「こんなの買ってもらえなくて、道端で拾った5,6個のレゴで遊んでた」、とすっかり童心に返って遊んでいた。

 いろんな種類のレゴがあって、何に使っていいかわからないものまであったが、ネジャーティはもともとクリエーティブなので、これをこういうのに使おう、とうまく作っていた。梨奈は車のタイヤを3つ棒に差し込み、3本だんごを作って、私たちにくれた。私はクリエーティブじゃないので、ただ家を作っていただけだった。



2003年09月09日(火) 8月は終わったが・・・

 明日、イスマイルとベルナがトルコに帰るので、今日はゴールデンコラルで夕食を共にした。夕食を終えて外に出るとオレンジ色の月のそばに火星が見えた。火星はだいぶ小さくなっている。

 帰ってきてネジャーティは疲れているからか、しばらくして2階に上がり、インターネットで見つけた記事に、水爆の父と呼ばれたエドワード・テラーという科学者が亡くなった、というのがあった。

 関連記事で、広島平和記念資料館の「なぜ広島に原爆が落とされたか」という記事を見ると、広島と長崎に絞られるまでの過程が書かれてあり、終戦の年の4月の段階で投下目標地に17都市が挙げられていたことを知った。その中には、京都、大阪、神戸も含まれていて、いずれかに投下されていたらと思うとぞっとした。

 それは一瞬にして人と町が消えるという恐ろしさが地元で起こり得た、ということだ。それは想像を超える、とか、そんな生易しい言葉では表せない。阪神大震災でさえ、地震という自然がもたらした被害だとわかっていても、人が亡くなり、町が破壊されること、写真で見る戦後の焼け野原や破壊された町が、現実のものとして目の前にあること、喪失感の後に、やはり人は前を向いて立ち直らないといけないことなどを思い知らされたが、震災の被害の何十倍、何百倍もの被害を人間が遭わないといけなかった現実、何の罪もない一般市民が、その時の国際情勢や国益、政府の欲望などに巻き込まれて、一瞬にして何もかも、生命までも破壊されるというのは、悲しみと怒りが吹き上がる。

 その被害をもたらしたのも人間だということ、作った者、使った者がいた、ということだ。ネジャーティとこういう話題になった時に、たまに確かめることがある。例えば、自分の研究が画期的なもので、それがもし軍事転用されて、莫大な利益を生み、国から様々な特権や利益が与えられる、ということがわかった時、その研究をどうするか。例えば市民権をやるから核開発に従事してくれ、などと言われても(そんな話はないが)絶対にそういうことはしないでほしい、と頼んでいる。人の生命と人間が築き上げたものを犠牲にしてまで、研究・開発したものの成果を見ないでほしい。科学に従事する人こそ、倫理観と人としての感覚を忘れてはいけないと思っている。



2003年09月08日(月) メールのやり取り

 先週は月曜日にレーバーデーがあったので、1週間がとても早く過ぎた。今週は水曜日にはイスマイルとベルナがトルコに帰るので、明日一緒に夕食(外食)、木曜日には私の誕生日(今のところ何の予定もないが)、土曜日には日本からいかさんが来る、という、ちょっと気分的にあわただしい1週間になりそうだ。

 昨日夜中にいかさんにメールを書いて送ったら、いかさんからメールが入っていた。近所の女の子2人にちょっとした日本の人形をあげたいので、何か見つけて買ってきてほしいと頼んでいたのだが、メールにはいくつか選択肢があった。それで希望のものを選んでメールを送ってしばらくしたら、入手したというメールが入った。お店の特徴から、私が里帰りした時によく寄っている店ではないかと思う。

 日本とアメリカと離れた地でも、同じ時間にメールのやり取りができるというのは面白い。



2003年09月07日(日) ニックネーム

 梨奈は私のことをママ、とかマミーと呼ぶ他に、ママちゃんというのもあるのだが、ネジャーティも私のことをママちゃんと呼ぶことが多く、個人的にはネジャーティにママちゃんと呼ばれるのは好きではない。

 というのも、私はネジャーティのママじゃない。

 ・・・・と思いつつ、お母さんを10年ちょっと前に亡くしているネジャーティにとっては、家事をする私はママなのかもしれない。

 それはともかく、最近違う呼び方で私を呼んでいる。それは、

 「ママたろう」だ。

 「ももたろう」をもじって「ママたろう」かぁ、うまいこと言うなあ、と感心したが、ネジャーティが桃太郎を知る由もなく、おとぎ話の「〜太郎」ははずして、そしたら、すし太郎っていうのもあるけど、余計知らんし、そういえば、下宿にいたメス犬がタロウっていう名前やったなあ、とか、余計なことを考えていたが、一つ思い当たるものがあった。それは、

 「ハムたろう」だ。

 ビデオのハム太郎から考えたらしい。

 アニメのハム太郎ではろこちゃんやクラスメートなど、出てくるキャラクターの誰かがハムスターの飼い主になっている。ハムスターの名前もかなりあるが、アニメを見るとすぐにわかる。

 ハム太郎ならぬ、ママたろう。誰に飼われてるってことかい。



2003年09月06日(土) オクトーバーフェスト@ドイツ村

 今朝、ベルナとイスマイルがバージニアにいる友人を訪ねるので、ネジャーティが空港まで送りに行った。ネジャーティはそのまま学校に残っていたが、お昼ぐらいに電話がかかってきて、ケンタッキーのドイツ村のお祭りに行く? と聞いてきた。せっかくだから行くことになり、梨奈と私はバスに乗って、学校近くでネジャーティと待ち合わせた。

 オハイオ川を挟んでシンシナティーの南はケンタッキーだが、ケンタッキーに入ってすぐに、ドイツ村がある。普段静かなドイツ村は人で賑わっている。

 車を置くところが見つかるかなあと思っていたが、案外近くの路上に見つかり(結構穴場だったかも)、2,3分も歩くと賑やかなところに出てきた。

 ちょっとした子供の乗り物も出ているので、歩いていると、通りがかりの人が何か言って、紙をくれた。よく見ると、それは子供の乗り物のチケットで、気がついた時には、お礼のいい用がなかった。チケットは8枚残っていて、それは結局後でありがたく使わせてもらい、合計で4つの乗り物に乗れた。

 露店も一杯出ていて、(なぜか)ギリシャ風の食べ物もあって、それを食べた。もちろんドイツのビールも出ていて、プラスチックのジョッキを片手に歩きながら飲んでいる人もいた。どうもそのジョッキをお代わりするときには(リフィル)、少し安く入れてもらえるようだ。私はそのジョッキを飲み干すこともできない・・・。ビールは飲める時と飲めない時があるが、飲めてもコップ1杯というありさまだ。それで、小さいコップで飲むこともできるので、ネジャーティが勧めてくれたが、帰りもどうせ私が運転するだろうし、結局飲まなかった(あの雰囲気だったら飲んでもきっとおいしかっただろうなあ)。

 メイン会場では、ポルカの演奏や、ドイツの民族衣装を着た人たちがダンスを踊っていた。

 梨奈の乗り物を待っている間、少々出来上がったおじいさんが私たちに話し掛けてきた。ちょうどお孫さんも同じ乗り物に乗っているので、話相手になったのだが、おじいさんはドイツ系で、そばにいた息子さんもよく見ると、ドイツ人という感じだ。おじいさんはもともとはミシガン出身らしいが、ミシガンもドイツ系が多いことで知られている。

 それで、ドイツ語は少ししゃべるそうだが、第二次大戦中はアメリカ国内でドイツ語を堂々と話すことができず、ドイツ人もテキサスに送られたとか、そんな話しにまでなって、梨奈にはどうかトルコ語と日本語と英語と3ヶ国語を教えて下さい、とまで懇願された。

 会場を後にする前に、梨奈が風船を作ってもらいたいらしく、その方に向かっていたが、途中ではぐれてしまった。風船を作ってもらえるのって向こうって言って田かなあと思って、とりあえず通りの角に立っていると、向こうの方から、頭に大きな長い風船をつけた子供が歩いてきている。梨奈に似ているなあと思っていたら、やはり梨奈だった。

 何本かの細長い風船で帽子を作ってもらったようなのだが、帽子から長い風船が足のようについていた。それで作ってもらっている間に、テレビ局のカメラの人が撮ってたらしい。

 今度は20,21日とシンシナティーでOktoberfest-Zinzinnatiと呼ばれる、北アメリカでは最大規模のオクトーバーフェストがあるらしい(いかさん、ちゃんと調べてなくてごめんね)。



2003年09月05日(金) 秋模様

 レーバーデーを過ぎて、秋らしい気候となった。

 最高気温もまだ20度台後半を行くようだが、湿気がなく、涼しく感じる。最低気温が20度を切っているので、ネジャーティが歩いて帰ってくる時間は肌寒い。というより、夕方になるとすでに肌寒い。

 日もだいぶ短くなっていて、夏には9時を過ぎてやっと暗くなるのが、最近は8時ぐらいに夕日が沈み、8時半にはすっかり暗くなっている(それでも日本と比べると日が長い)。

 また暑くなることはあるかな。
 



2003年09月04日(木) 買い物/公園など

 昨日他のモールに行って、ベルナにプレゼントするピアスと、無事に見つけた自分のブレスレットとおそろいのネックレスなど買ったが、そのコーナーで、アジア系の女性2人が買い物をしていた。そのうちの一人は見覚えがあって、知り合いかなと思ったが、やっぱり違うや、と気まずい思いをしていたが、レジに並んでいた後に話をしてみると、何と、2,3ヶ月前に免許証を更新する時に同じ場にいた女性だということがわかった。その人はネジャーティと同じ大学の韓国人の学生だそうだが、見覚えがあると思った理由がわかった。そして、もう一人は日本人で、今は日本に住んでいるが、以前シンシナティーで学生をしていたそうで、休みを利用して、その韓国人の学生を訪ねてきているそうだ。

 昨日はそんなことがあって、今日はベルナをダウンタウン近くの公園を回ったりして、昨日行ったモールに行ったのだが、この時すでに閉店まであと1時間しかなく、お店一つだけ見ただけで、時間になってしまった。それでも梨奈の靴を買えたという収穫はあったし、よかった。

 私はいつでも来れるが、ベルナは来週の水曜日にトルコに帰るので、連れてこれただけでもよかった。



2003年09月03日(水) 中国茶

 ネジャーティがある日、中国茶の名前を書いて帰ってきた(もちろんアルファベット。漢字やったら怖い・・・)。

 研究室の教授が旅行先のカナダで買ったものを、研究室で飲んだらしい。ネジャーティ曰く、「すごくおいしかったし、スモークのにおいがした。」

 中国茶と言っても、ウーロン茶とか鉄観音ぐらいしか知らないド素人の私なので、「Lapsong Souchong」と書かれたお茶の名前は全く何のお茶かわからなかった。

 「漢字は書いてなかったの?」と聞いてみたものの、漢字がわかるわけでもなく、愚問だった。

 それで、いかさんに聞いてみればすぐにわかっただろうが、きっとアメリカでも売っているに違いない、とチャイニーズティーと検索してみた。そして、Yahooでお茶販売のページからこのお茶を見てみた。

 それによると、清朝(Qing Dynastyだからいいのかな?)の時に、偶然できたお茶だったらしい。ある夜、兵士がお茶の工場を占領したが、明日市場に出すために工程にかけられる取りたての葉っぱで一杯だったらしく、兵士は、工場をいったん製造者に返したらしい。それで、普段の乾燥させる方法だと明日に間に合わなくなったらしく、松の木を燃やして乾燥させたら、次の朝には乾燥していて、松の木の燃えたときの香ばしい香りがしたらしい。

 それはわかったが、漢字でどう書くのか知りたい、と思って、日本語のサイトを探してみた。そして、漢字では「正山小種(福建語でラプサンスーチョン)」と書くことがわかった。そして、種類は紅茶になるらしい。

 この辺のお店をあたってみよう。



2003年09月02日(火) コスモス写真

 今日はほとんど一日中雨だった。天気予報を見てみると、明日まで降って、それ以降は天気がいいらしい。

 そんなわけで、モールに行くのは諦めて、家にいた。

 そこで写真を紹介。



ベルナと梨奈


庭に咲いたコスモス


イスマイルが撮ってくれた朝顔



2003年09月01日(月) レーバーデーセール

 もうすぐトルコに帰るベルナと一緒に買い物をした。

 ベルナは自分のものやお土産を買うのに、ここ何回か週末に、このアパート近くのモールまでバスで来ているらしい。キャンパスからだとここより近いモールがあるのだが、そこまで何番のバスで行けるか私も知らない。それで今日はそのモールに行こうと言っていたのだが、Searsで返品があるらしく、うちの近くのモールに最初に行くことにした。ちなみに、もう一つのモールにSearsがあれば、同じ支店でなくても返品はできる、という全くもって、アメリカの店舗の返品システムに驚いてしまう。

 平日なら9時まで開いているモールも今日はレーバーデーなので、お店も早く閉まってしまう。そして、閉店間近までこのモールで過ごし、結局もう一つのモールにいは行けなかった。

 それはともかく、ベルナが言うには、トルコでもNine Westが知られているらしい。神戸のハーバーランドにもNine Westのお店があるが、やはり高い。ニューヨークやちょっとした都市(ボストンとか)に行くと、Nine Westの専門店があって、主に靴を売っているが、ニューヨークのMacy'sでもかばんは置いてるし、そういった都市でなくても、Dillardsのようなモールに入っているデパートにもかばんが売られている。

 買い物の間に、ベルナがピアスをしていることがわかって(いつもなら髪の毛で見えない)、ベルナもNine Westが好きなので、ピアスをプレゼントに考えた。とりあえず候補を決めといて、後で買いに来ることにした。

 気が付けば、ブランド物にはあまり興味がない私でも、Nine Westだけはかばん、時計、靴、ブレスレットまで持っている。そして、ブレスレットとおそろいのネックレスを買おうと思っていたのだが、先週まであったのに、この週末には売り切れたらしい。店員にも聞いたが、出ているものしかないようだった。

 似たようなものならあるけど、と見せられたが、同じ物がほしいので、いいです、といって、近くのコーナーを見ていたのだが、その似たものを持ってきて、「高いけど、同じデザインで石がついています」と見せてきた。確かに、日本でこの値段だったら妥当な値段なので買ってるかもしれないが、アメリカの値段に慣れてしまった私は、この値段では買わない。

 「ブレスレットは石がついてないし、全く同じ物がほしかったので」と断った。

 明日にでももう一つのモールの同じデパートに行ってみようっと。


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