橋本裕の日記
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人間だれしも50歳という私くらいの年齢になると、おおよそ人生観もかたまり、人生の座標軸も定まってくるのではないだろうか。孔子の有名な言葉を引けば、「天命を知る」ということだろう。
座標軸を決める場合、大切なのは「原点」であろう。原点とは、「人生の理想・目標」と言い換えてもよい。この原点を何にするか、あるいは誰にするかということで、人それぞれの人生観が築かれ、人生のスタイルも変わってくる。
北さんなら、「楢山節考」を書いた深沢七朗だろうし、tenseiさんなら、「トルストイ民話集」や聖書が人生のバイブルだと言うかも知れない。私の場合は「万葉集」である。もしくは「万葉集」をこよなく愛した「良寛」が人生の原点だと答えるだろう。
良寛が好きだという人は多い。本もたくさん出ている。作家の中野孝次さんも良寛を賛美する知識人の一人で、良寛の本を書いてベストセラーになったことがあるが、よく考えてみると、名利を求めず「一隅を照らす」清貧そのものの人生を生きた良寛のことを絶賛しながら、自らは印税を稼いで金持ちになり、有名になるというのは一つの矛盾であろう。
この事について、中野さんは「私はとても良寛のようには生きられない。良寛はあくまでも理想の人であり、あこがれの人である。その徳の深さにおいても、とても良寛の足下に及ばないが、大切なのは、そうした人生の座標軸を持ち、原点を持つことである」という意味のことを述べていた。
書店で立ち読みしただけで、本の題名も覚えていないが、「なるほど、さすが流行作家はうまいことかくものだなあ」と感心したものである。しかし、あくまで理想・目標であって、現実の自分とは違うというだけでは、単なる開き直りとしか思えない。大切なことは、そうした原点を見失わず、少しでも自分の人生をその理想の生き方に近づけようと努力することであろう。
17.発覚 運動会も終わり、秋の気配が深まりだした頃だった。その日朝礼の後大掃除があって、私はおなじ班の数人の仲間と校舎の陰で草取りをしていた。そこへ、担任の佐藤先生が苦々しい表情でやってきた。見ると先生の傍らに茂夫が肩を落として立っている。
私は茂夫と目を合わせて、すべてを了解した。恐れていたことがやってきたのだ。六月の万引き事件が発覚したに違いない。私は先生に促されて立ち上がった。一緒に草を取っていた少年たちがいぶかしそうに私を見た。
「お前は何を取ったんだ」 佐藤先生は職員室の方に歩きながら私に訊いた。 (何も取っていない) 私は心の中でつぶやいた。先生の口調に反発を覚えたが、茂夫の手前、口に出すことは控えた。 「隠しても無駄だぞ」 先生は私の無言を別な風に受け取ったようだった。
職員室の前まで来ると、先生は私たちを廊下に残して中に入った。そしてなかなか出てこなかった。廊下を行く同級生たちが不審そうに私たちを眺めて通り過ぎて行く。チャイムが鳴り、掃除の時間も終わって生徒達の姿はなくなったが、今度は教室に移動する先生方の視線に晒されることになった。
ようやく職員室から出てきた佐藤先生は、 「教室へ行って来るから、もうしばらく待っていなさい」 そう言い残して再び去って行った。 先生は不機嫌な様子だった。それ以上に、愕然としていた。
茂夫は時々私の顔を見たが、私が思い詰めたような表情をしていたせいか、言葉をかけるのを躊躇しているようだった。実際声をかけられても、私は茂夫と口をきく気分ではなかった。 やがて廊下の反対側に先生の姿が現れた。
| 2003年09月28日(日) |
ロジカルシンキングのすすめ |
NHK教育テレビの英語ビジネスワールドでおなじみの本間正人さんの書いた「英語で鍛えるロジカルシンキング」(日経BP社)という本を読んだ。日本語では「理由を述べてから結論を述べる」のに対し、英語では「結論を述べてから、理由を述べる」という。英語圏では小学生のときから、これを「文章作法」として徹底的に叩き込まれるらしい。
<このような作文教育の結果、英米人の文章は、明確な論理構造を持つことになります。一つ一つの段落がまとまった意味を持ち、曖昧さがない、筋の通った文章が理想とされるのです。そして、段落の最初の一文は、キーセンテンスと呼ばれ、その段落で述べることの大意を表し、各段落の先頭の文章だけを拾い読みすれば、文章全体の意味がだいたいつかめるような構成をとるべきだと教え込まれるのです。そして、実際に、多くの英米人がそういう文章を書いています>
まず結論を述べる。そしてその根拠や理由を述べる。それも重要なものから先に述べるという欧米式の文章術は大変明解である。これにたいして東洋流の「起承転結」の文章術はまるで反対である。重要なものほど後にくる。途中に思わぬ飛躍や逆説があったりして、文学的ではあるが、必ずしも論理的に明解とはいえない。
本間さんによると、英語(日本語)の主な特徴は次のようなものだという。 �ー膰譴鮠蔑�しない(する) �⊂雍靴飽預犬靴覆ぁ覆垢襦� �7誅世鮴茲暴劼戮襦丙埜紊暴劼戮襦� �す坩戮鯡声┐垢襦憤甜┐垢襦� �ゥ好蹇璽�ンが具体的である(抽象的) �θ歡蠅�文頭に来る(文末) ��立場が客観的で絶対的である(相対的) ��他動詞が中心(自動詞) ��敬語は丁寧語が中心(人間関係を反映して尊敬や謙譲語)
本間さんは欧米社会ではこうした「論理的思考」と同時に、「批判的思考(critical thinking)」が重要視されているという。論理的が優先される社会では、年齢や性別、地位といった発言者の立場はあまり考慮されない。誰の発言かということよりも、発言の内容そのものが大切である。その内容が論理的であり、建設的なものであれば、平等に尊重される。また、相手がどんな立場の人でも、自由に批判が出来る。
<日本人は議論が下手だという理由の一つに、「批判」と「非難」の区別がつかないという指摘があります。理性的な議論によって自説が「批判」された場合、自分自身が「非難」されたと感じて、感情的に応酬してしまう。たとえば「それは屁理屈だ」の一言で片づけたり、相手の人格攻撃を始めたりする。というケースが見受けられます>
どうしてこうしたことになるのか。本間さんはその理由として、日本人は論理学の教科書を読む機会がほとんどなく、論理学そのものが社会的に存在感がないことや、日本人にとって日本語を使って論理的な思考力を磨く機会が少ないことを上げている。
<他人の書いた文章を読むとか、他人の発言を聞く時にも、これは論理的であるとか、ないとか、批評・検討することはできます。しかし、論理的思考力・コミュニケーション力は、自分から発信する場合に、初めて試されると言ってもよいでしょう>
アメリカでは、小学校からこうしたことが叩き込まれる。高校ではスピーチ・コミュニケーションの授業があるし、大学では文章術の授業が必修科目になっていたりする。日本の場合、他人の文章を読んで、これを理解することは学んでも、いかに自分の文章を書くかということは学ばない。社会的文化的な風潮もあるのだろうが、こうしたところはもう少し欧米式を見習いたいものだと思う。
| 2003年09月27日(土) |
政治家に期待、菊花のちぎり |
9月9日は重陽の節句。今年は新暦に換算すると10月4日になるという。重陽の節句は菊の節句ともいう。そして菊の節句といえば、上田秋成の「雨月物語」のなかの「菊花の約(ちぎり)」が有名だ。
播磨の国の儒者丈部左門が、病に倒れた出雲の国の赤穴宗右衛門という侍を助ける。病の癒えた宗右衛門は左門と学問の話をするうちに意気投合し、義兄弟の杯を交わす。そして、重陽の節句に戻る約束をし、出雲に戻る。
しかし、出雲の国に謀反がおこり、宗右衛門は彼らの奸計に落ちて捉えられ、牢に入れられてしまう。やがて、重陽の節句の日が来た。宗右衛門はどうしても親友との約束を果たさないわけにはいかない。どうしたらよいか。彼は「人一日に千里をゆくことをあたわず、魂よく一日に千里をゆく」という言い伝えを思いだして自刃する。そして魂魄となって播磨の国の左門に会いに行く。
「犬山総合大学」で先日、森田実さんの話を訊きながら、この話を思い出した。人間として大切なのは「約束を守る」ことだ。森田さんはこう考えて、多くの評論家のように講演会をすっぽかしてテレビ出演したりしない。彼は約束したことは、相手が誰であっても律儀に守ることにしているという。かって宮沢首相が会いたいと行って来たときも、先約があったので断ったそうだ。
約束を守るというのは、森田さんのいうとおり、人間としての基本だろう。しかしこの基本が最近あやしくなっている。平気で公約を反故にする政治家たちがこの風潮を大いに助長している。約束を守るために自刃した雨月物語の侍の行為はとても美しくて誠実そのものだ。総選挙も近いようだが、日本の政治家に今少しこの誠実さを期待したい。
ところで中国では、奇数は縁起のよい陽の数とされ、一番大きな陽の数である九が重なる9月9日を、「重陽」として節句のひとつとしてきた。重陽ということばに、男と男が重なった姿、すなわち衆道を連想する向きもあるだろう。そう言えばこの話、映画「御法度」で印象的に使われていた。
出雲の国の侍の「赤穴」という名前と言い、題名の「菊花のちぎり」といい、何やらいわくありげだが、これは下司の勘ぐりだろうか。物語では、友の亡霊に会い、真実を知った左門は出雲の国へ行き、宗右衛門を陥れた謀反人の首謀者を斬って親友の敵討ちをする。あっぱれな友情というしかない。
16.ブランコ
家の近くに公園があった。公園といっても原っぱで、片隅にシーソーやブランコが置いてあるくらいだった。茂っている樹木の中でとりわけ目に付くのは三本の柳だった。二階の私の部屋からこの柳の大木が見えた。
夏休みが終わって、公園で私は幼なじみの葉子と、学校帰りにときどき顔を合わせるようになった。その日も私は学校からの帰り道、公園のブランコに腰を下ろしている葉子を見つけた。私は幼い頃、葉子とよくこの公園にきて、一緒にブランコに乗ったものだ。私が若狭に引っ越しして、二人は疎遠になっていた。再び一緒のクラスになったが、これまで私は気後れから彼女に距離を置いていた。
その日、私は思いきって葉子に近づき、並んでブランコに座った。二人でブランコに坐るのは五年ぶりだろうか。葉子がブランコをかるくこぎながら飼っていた犬の話をするので、私も若狭の青郷という寒村の駐在所で飼っていた「クロ」という犬の話をした。クロが小学校のウサギを殺したので、駐在所に置いておけなくなって、舞鶴の猟師にやった話をすると、葉子は目を輝かして耳を傾けていた。
「それからしばらくして、クロが学校の校庭に現れてね、僕に飛びついてきたんだ」 私はそのとき噛みつかれた傷跡を葉子に見せた。葉子は私の指の付け根にかすかに残る傷跡を見ながら、 「クロも噛みつこうと思って飛びかかったんじゃないわよ」 「担任の先生もそう言ってくれたよ。クロは僕を見てうれしかったんだって」 「それで、クロはどうなったの」 「猟師がやってきてね、猟銃で撃たれたのかも知れない。やがて伊勢湾台風がきて、僕の一家が棲んでいた駐在所が壊れて、小浜に引っ越ししたんだ」
小浜には二年間ほど暮らした。そこでも色々とあった。葉子はそんな私の身の上話を、飽きもせずに聞いてくれた。気が付くと日が傾いて、あたりは夕焼けだった。日差しの中で、葉子の頬が少し火照って見えた。
今日も引き続き、6月21日犬山市民文化会館での寺脇研さんの講演「これからの教育」の紹介である。今日は最終回である。私たちは何のために学ぶのか。学ぶことの意味は何か。また何故一生学び続ける必要があるのか。寺脇さんの語りかけに耳を傾けてみよう。
(三) 学ぶことの意味
手段を目的化するというあやまりは、大きく言って教育全体にまで及んでいます。「百マス計算」のことを例に挙げましたが、これは現代の学校教育の問題でもあるわけです。学校教育は大きく言えば生涯教育の一環です。そしてその目的は「普遍的にして個性豊かな文化」を一人一人の中に育み、自らでこれを育てる力を養うということです。つまりは私のいう「文化力」を育てるということです。
それではなぜ、そうした文化力を一人一人が育てていかなければならないのか。それは私たちが豊かで楽しい人生を実現するためなのですが、それだけではありません。それは私たち一人一人が自分で考え判断する力を養成することによって、はじめて文化的で民主的な社会が実現するからです。つまり、私たちは一人一人が主権者であり、社会の現実に責任をもっているからです。私たちの子供は未来の大人であり、この社会を住み易くしようと思ったら、私たちは子供の教育に配慮し、それに相応しい教育を考えなければなりません。
私たちはなぜ学ぶ必要があるのか。それは心を広く豊かにすることです。つきつめて言えば「バリアフリー」ということです。他者との交流を阻んでいる多くのものを、次々に克服していく、それが学ぶということです。私たちの身体は有限ですが、頭脳に詰め込まれる知識は無限です。しかしそれ以上に無限で豊かな世界がある。それが「こころ」の世界です。その「こころ」の世界を開拓し、耕すことが本来の勉強であり文化力を身につけるということです。そのためには単に「頭を鍛えるだけの教育」ではなくて、「心を耕す教育」が志向されなければなりません。
もう少し卑近な上げましょう。たとえば道端に自転車が放置されていたとします。そのとき「じゃまだなあ」と考えたとすれば、それはその人の心が狭くて、「自分だけ」しか住まわせることができていないからです。「お母さんや妹が困るだろうな」と考えたら、その人の心に中に家族が住んでいます。さらに心が広くなると、お年寄りのことが心配になります。幼い子供がその下敷きになったらどうしようかと心配になります。
さらに広がったらどうなるでしょうか。この地球には六十億人の人々が暮らしています。もし、一人一人の人間の心に自分だけではなく、親兄弟だけではなく、学校の友達だけではなく、あるいは日本人だけではなく、アフガニスタンの子供たちや、イラクの人々や、世界中の人々を住まわせることができたらどうでしょうか。そのとき私たちに戦争が出来るでしょうか。政府が戦争をするのを傍観視できるでしょうか。
最初に、この十年は決して「失われた十年ではない」と言いました。十年前、あのバブルの頃、私たちはたしかに経済力はあったかもしれません。そして経済力にものを言わせて、世界の名画を買いあさったりしました。しかし、それは多くは投機のためでした。お金を儲けるための打算でそうしていただけです。お金の力にものを言わせて名画を買うことは「文化」でもなんでもありません。文化とは心のゆたかさなのですから。
恥ずかしいことですが、そのころ私も心を失っていました。出張で新幹線に乗るわけですが、子供が騒いでいたりすると凄く腹が立っていらついたものです。小さな子供が嫌いでした。つまりそのころの私の心は彼らを受け容れられるだけ広くも豊かでもなかったのです。その私が今、休みの日には人様の子供を預かっています。まだ自分でお尻も拭けない幼い子供もいます。そんな子供を預かり、そしてお尻を拭いてあげます。
この十年間で日本は変わりましたが、私も随分変わりました。この変化を私は歓迎したいと思います。そしてこれからの日本はもっと変わります。この私たちが変わり、日本が変わっていくことで、世界が変わります。そしてそのために必要なのが、私たち一人一人が学び続けるということ、そして「文化」を育て、心を豊かで深いものにすることだろうと思います。そしてそのために何をしたらよいか、その手段をみんなで知恵を出しあって考えていく必要があります。 (平成十五年六月二十一日 犬山市民文化会館における講演より)
今日も引き続き、6月21日犬山文化会館での寺脇研さんの講演「これからの教育」の紹介である。寺脇さん自身が指導的にかかわった総合学習の実践例をとおして、その意義と成功の秘訣を具体的に語ってもらおう。
(二) 総合学習の実践
私は去年から京都の小学校で総合学習のお手伝いをしています。小学校五年生のクラスで、「どんな地域社会を作るか」というテーマで一年間実践しました。自分たちが住んでいる町を自分たちの手で作り変えていこうという学習です。そのためにはまず調査をしなければいけません。あるグループは幼稚園へ出かけて聞き取り調査をします。また別のグループは老人や障害者のいる施設に行きます。そして色々な人から要望や問題点を聞きます。
そうした調査から、町のさまざまな問題点が明らかになってきました。そして討論の結果、街づくりに大切なことのひとつに「バリアフリー」の問題があることに気付いたのです。この問題を中心にもう少し深めてみようということになりました。 「バリアフリー」というのは「バリアがない」ということで、具体的には町の歩道や施設の内部をお年寄りや障害者に便利なように作り変えたり、点字ブロックを作ったりしてなるべく不自由のないように変えて行くということですが、しかし実際にこれを行おうとすると、いろいろな問題があることがわかってきました。
つまり、予算とか政治の仕組みとか、健常者の不便とか、現実にはいろいろな障害があることがわかってきます。自分たちで出来ないことがあるということに気付きます。それではどうしたらよいのかという新たな課題が発生するわけです。もっといろいろなことを勉強しないといけないということに気付きます。勉強が嫌いだった子がそんなことを考えるようになりました。
できないことが分かるということが大切なのです。なぜなら、それは何ができるかということの裏返しでもあるからです。できることは何か。それを見つけて、先ずはできることをやろうということになります。事実生徒達はそうした方向で動き出しました。たとえば、学校内でできる限りバリアフリーを実現しようとしました。落差をなくしたり、点字の案内板を作ったりすることです。
しかし、そのために点字を勉強したり、手話を勉強したりする必要が出来てきました。そうした子供たちの運動を見守ってきましたが、私はあえてここで「どうしてバリアフリー必要なのか」という突っ込みをいれてみました。そうすると「目や身体の不自由な人がかわいそうだから」という答えが多くの生徒から返ってきました。「かわいそうだからやるの」とさらに突っ込みをいれていくと、やがて子供達は単なる同情からではない、もう少し別の視点が可能であることに気付いていきます。
じつは「身障者はかわいそうだ」というのが自分たちを中心にした視点なのです。身障者の立場に立てば、もっと別の視点があるということです。それは何かというと「不便」ということです。身障者のこの不便さを解消することが「バリアフリー」だということがわかってきます。さらに私はつっこみを入れました。そもそも「バリアとは何か」という本質的な問いかけをこの段階で子供たちにしてみたのです。
障害者の立場にたつことによって、この問いもさらに深められます。そして子供たちはもっとも大切なことを知ります。バリアとは具体的な階段や歩道の落差といった物理的なのものばかりではなく、実は私たちの心の中に存在しているものだということです。バリアとは結局、身障者と健常者を隔てている壁ではないかということです。こうして子供達は心の目で物をみることを学び始めるのです。
そこでさらに、「なぜバリアを取り除く必要があるのか」という問に、さらに深い答えが見出されます。「かわいそう」でも「不便」でもなく、もっと深く本質的な答え、それは「おなじ人間として一緒に楽しく暮らしていけるから」という答えです。物理的な垣根をなくし、心の垣根をなくし、人と人が自由に交わることのできる社会、そうしたお互いにとってゆたかで自由な楽しい社会を作ることこそが本当に大切なことであり、それこそが「バリアフリー」の本当の目的であり理想であることが納得されるのです。
そうすると、手話を学んだり、点字を学ぶことも、そうした人々とコミュニケーションすることのためだということがわかってきます。なぜ英語を学ぶのか。それは歴史も文化も違う人々とこの地球で同じ人間として理解し合い、コミュニケートするためです。実はこれも「バリアフリー」ということなのです。子供たちの認識はどんどん深く広くなっていきました。
人はなぜ学ぶのか。どうしたときに心の底から学びたいと思うのか。その根底に「バリアフリー」があることはあきらかでしょう。感動的だったのは点字や手話を勉強し始めた子供たちが、自分たちで進んで漢字の勉強はじめたと聞いたときです。「どうして?」と尋ねると、子供たちは「東京の寺脇先生に手紙を書きたいから」と答えました。大人に手紙を書くからには、しっかりとした漢字で文章を書きたいというのです。漢字を知らなければ大人としっかりしたコミュニケーションができないということに気付いたのです。
一年間の総合学習でクラスはこんな風に大きく変わりました。最後の授業で成果発表をしましたが、その司会役に立候補したのは一年前までは人前で発言することもできなかった男の子でした。その子が見違えるように自信を持ち、みんなの前で堂々と司会をしてくれました。私がお手伝いした総合学習はこうして大きな成果を修めました。六年生になった彼らは、今年はまた別の総合学習にとりくんでいます。そのテーマは何かと思ったら「どうしたら世界はよくなるか」ということでした。この一年、子供たちが何を発見し、どんな風に成長していくかとてもたのしみです。
「総合学習」はしかしいつも成功するという訳ではありません。ときには成功し、場合によっては失敗します。それでは今度は失敗した場合の例をあげておきます。成功例と失敗例を比べれば、総合学習が成功するための条件があきらかになるかもしれません。
これはある中学校の総合学習の例です。テーマは「自分自身のための新聞をつくろう」ということでした。そこで四十人の生徒に一台ずつコンピューターをあてがい、その新聞製作ソフトを使って新聞を作らせます。ところが、これが無惨に失敗してしまいました。しっかりした新聞を作ったのはんの一握りの子供たちだけで、多くの子供たちは悪戦苦闘したわりにたいした成果が収められなかったのです。
その原因はいろいろ考えられます。まず、コンピューターを使う段階で多くの障碍がありました。総合学習がコンピューターの学習の場になってしまいました。それから新聞製作ソフトを使ったのも問題でした。これを面白がって使う子供もいましたが、けっきょくこれは子供たちをある枠の中にはめることになりました。総合学習で大切なのは、子供に何かを教え込むということではありません。子供のなかにある主体性とか創造性とか遊び心を引き出すことが重要です。そのための土俵造り、環境作りが大切なので、教師がこまかく指示をして、何かをやらせるということではいけないのです。
それではどうしたらよいのか。一番大切なことは教師が「テーマの意味をはっきり理解すること」ではないでしょうか。「自分新聞をつくる」という総合学習の場合、その「目的は何か」ということです。それは「自分を自由に表現する」ということです。それでは何のために自分を表現する必要があるのでしょうか。それは他人との間にある垣根を取り払い、お互いに理解し、「コミュニケートする」ためです。
なぜ新聞作りが楽しいかと言えば、根本にこうしたお互いに知らない部分を知り合い、友だちになれるということがあるわけです。そう考えると、なぜ「パソコンを使った新聞」でなければならないのか。手書きの新聞でもよいし、詩や小説でもよいわけです。それぞれの子供が、それぞれの特性を生かして、一番得意な方法で自分をアピールできる方法を発見させればよいわけです。単に手段でしかないものが目的になり、本来の目的を見失ったところに最大の問題があったのです。(第二回終わり。明日の最終回に続く)
一昨日の日記で、「犬山総合大学」での森田実さんの講演を紹介した。今日は6月21日の寺脇研さんの講演「これからの教育」を紹介しよう。寺脇さんは前文部省審議官で、現在は文化庁文化部長の要職にある。日本の教育行政をリードしてきた人だけに、なかなか内容のある講演だった。
講演は写真撮影や録画・録音は禁止されていたが、私はかなり性能のよい頭脳レコーダーの持ち主である。英語の単語は少しも覚えられないが、人の話や読んだ本の内容は、たとえ日にちがたってもかなり正確にこれを文章化することができる。この能力は高校時代に本屋で立ち読みをした本の内容を、日記に書き留める習慣がもたらした特異能力ではないかと思われる。さて、かなり長い講演だったので、3回に分けて連載しよう。
------------------- 「これからの教育」 ----------------- 平成15年6月21日 犬山市民会館 寺脇 研 (前文部科学省審議官、文化庁文化部長)
(一) 文化力を育てよう
経済学者はこの十年を「失われた十年」と言います。ほんとうにそうでしょうか。バブルのような時代がほんとうに良い時代でしょうか。あのころ「三高」という言葉が若い女性に流行りました。結婚相手は、「収入が高く、学歴が高く、背が高い」のが理想といわれましたね。こうした価値観が支配し、株や土地投機にみんな我を忘れていた時代がほんとうにしあわせな時代だと言えるのでしょうか。海外旅行に行っても忙しくブランド品ばかりあさっている、そこには何か大切なものが欠けていませんか。
その大切なものとは何か。それはお互いに助け合ったり、いつくしみあったりするこころではないでしょうか。そうした心の豊かさが忘れられていました。経済力ばかりが評価されていました。バブルが崩壊して十年年以上がたちましたが、私はこの十年を失われた十年とは呼びません。むしろ「成熟に向けての十年」と呼びたいと思います。実はこの十年間に、新しい流れが着実に進行しています。それは地方分権がそうですし、情報公開法がそうです。バブルの頃はこうした文化講演会にどれほどに人が集まったでしょうか。今はこんなに集まります。一人一人が社会や人生を考え、自ら学ぼうという姿勢が育ってきましたが、これもこの十年の成果です。
経済力も必要ですが、大切なのは文化だと思います。文化とは何か、それにはいろいろな答えがあります。それは多元的なものを受け容れる寛容の心だともいえます。そしてそうした心がゆたかなものをこの社会にもたらすのだと思います。私たちは何のために学校で勉強するのでしょう。そして今日、なぜ生涯教育が大切だと言われているのでしょう。私はその目的は一人一人がほんとうに幸せな人生を送るためだと思います。そしてそのために大切なのが文化なのです。私は経済力という言葉に対抗して、「文化力」という言葉を提唱しました。文化力を育てることがこれからの教育の目標だと思っています。
「週休二日制」や「ゆとりの教育」は生徒の学力崩壊につながるという批判があります。また「総合学習」にも同様の批判があります。しかし、ここで考えてもらいたいのは、なんのための「週休二日制」や「ゆとりの教育」かということです。それは子供たちを家庭に返して、そこで、学校では出来ないゆたかな人生の体験をしてもらおうということです。子供を家庭にお返しすると言うことです。しかし、お父さんお母さんが忙しくて手が回らない家庭もあると思います。そうしたとき必要なのは、身近な共同体による社会教育です。子供をこうして学校と家庭と社会で大きく豊かに育てて行こうというのが目的であり、「週休二日制」や「ゆとりの教育」はその手段だということを忘れてはならないと思います。
大切なのは目標ですが、これは教育基本法にこう書かれています。 「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない」。ここに「普遍的にして個性豊かな文化の創造」と書かれています。これが目標なのです。そのためにどんな教育が今一番ふさわしいのか、そうした実りある議論が必要なのです。
いま話題の「百マス計算」もそうですが、これもときと場合によって、うまく使えば有効だろうと思います。しかし、これを五十分間も毎日やらせるのはどうでしょうか。実際そうした学校がありますが、私はこれはよくないと思っています。何のために計算をするのかといえば、そうしたことを通して「算数が好きになる」ためです。あくまで「百マス計算」は手段なのです。手段を目的ととり違え、これを絶対化するとおかしなことになります。同様に「週休二日制」も絶対なわけではありません。主体的に学び、生涯に渡って学ぼうという姿勢を育てるためにどんな方法がいいのかいろいろと考えた上での選択であったわけです。同様のことは「総合学習」にも言えます。(第一部終わり。明日の日記に続く)
15.夜逃げ
町内に「木村布団店」があった。この家には中学に通っている二人の娘がいた。華やかな感じの娘たちで、彼女たちの陽気な声が私には小鳥の囀りのように快かった。 おじさんやおばさんも気さくだった。日当たりの良い店先にはいつも客で賑わっていた。
私を羨ましがらせたのは、二人の娘達が父親と仲良く冗談を言ったりふざけあったりしていたことだ。それはテレビのホームドラマを見るような微笑ましいシーンだった。 私の家では父の権力が大きく、冗談が言える雰囲気ではなかった。父は朝六時前には家を出て行く。帰るのは九時過ぎだった。たまに早く帰ってきても、夕食を食べるとスクーターに乗って田舎の祖父を見舞いに行く。
転職して日が近い上に、体の不自由な祖父のことも気がかりで、父も大変だったのだろう。たまに私を釣りや雀捕りに連れ出すくらいが精一杯の家庭サービスだったのかもしれない。その頃の父は家にいても苦虫を噛みつぶしたようなとりつく島もない不機嫌な表情をしていた。
そんなわけで、私はその美しい娘たちのいる店の前を通る度に、 (世の中にはこんなに絵にかいたように幸せで朗らかな家庭があるのだ) と、子供心に思ったものだ。
しかし、ある日を境に事態が一変した。「木村布団店」が店を開けなくなった。噂によると、おじさんのギャンブルの借金のために店が倒産し、一家は夜逃げをしたのだという。信じられないことだった。
しばらくして、夜遅くに私の家の玄関口に「木村布団店」のおばさんが姿を現し、応対に出た母に、泣き声で引っ越しの挨拶をした。母も一緒に涙を流して、別れを惜しんでいる。見るとそのおばさんの後ろに二人の娘がしょんぼりと立っていた。 私は胸を突かれた。噂は本当だったのだ。
昨日は「犬山総合大学」で、北さんと一緒に、政治評論家の森田実さんの講演を聴いた。おりしも自民党の総裁選のまっただ中で、タイムリーな講演会である。総裁選の舞台裏なども聴けて、たいへん面白かった。
森田さんは10年ほど前から、格言を引用して、今日の政治のあり方を批判するというスタイルをはじめた。とくに孔子や老子の言葉の引用が多いようだ。日本は戦争に負けて、アメリカの占領政策により「論語」などを封建的だとして排斥した。その背景には、「義を見て為さざるは、勇なきなり」と言った論語の言葉が、軍国主義のスローガンとして利用され、高唱されたという事情があった。
たしかに論語には、封建的な要素もあるが、「人生いかにいきるべきか」という問いに対するひとつの精錬された解答を与えてくれる。これを学ぶことによって、戦前までの日本人は精神的なバックボーンをつくってきた。ところが現代の日本人は「論語」を失うことで、こうした気骨までも失ってしまった。
森田さんは大工の棟梁の息子だが、小さいときから「一隅を照らす」という最澄の言葉をよく聞かされたという。名もない庶民の一人一人が、こうした格言を口に唱え、人生の羅針盤にして、それを子供の代へと受け継がせてきた。こうした伝承文化の中で、日本人の高いモラルが保たれてきたが、今アメリカから押し寄せてきたグローバリゼーションの波の中でそうした固有な文化が失われ、モラルも次第に崩壊しようとしている。
戦前は家庭や学校が教育の場だった。戦後の日本は核家族化し、家庭から教育の機能が大幅に失われた。さらに、学校も受験戦争の予備校化し、もはや精神教育の場ではなくなった。これに変わって、教育機能を担ってきたのは、企業だった。日本的な経営のもと、勤労を通して、若い労働者は先輩達にしごかれ、一人前の人間として成長することができた。
しかし、今企業は経済的利益を優先させ、リストラとしょうして平気で社員の首を切るようになった。企業は若年労働者を雇わなくなり、またこれを手塩にかけて教育しようという情熱や伝統を失いつつある。こうして日本人は教育から見放されている。大量の若年労働者はろくな人生修養もうけることもなく、その多くはフリーターとして根無し草のような人生を余儀なくされるだろう。
アメリカのようにキリスト教という良心の歯止めを持たない日本社会は、こうしたことが続けば、おそるべき無規範社会、アメリカを上回る犯罪社会にならざるをえない。国家というものは国民に安全を保障するものでなければならない。国家がこの機能を失うことは、つまり国が滅びることにも等しい。森田さんはこの点が一番心配だという。
論語のなかで、孔子が大切にしたのは「忠恕」だという。これは「真心からの思いやり」ということだ。日本の昔の政治家は多少はこの心を持っていた。田中角栄は越後の貧乏百姓のことを知っていたし、竹下にしろ大平にせよ、地方の貧乏な庶民の暮らしを実際に体験し、そこから政治を発想していた。しかし、今の都会育ちの二世議員や政治家にはそうした庶民の生活は分からない。
政治家ばかりではなく、官僚も民衆から遊離した生活をしている。局長以上のエリート官僚は、ほぼ全員がハーバードなどアメリカの大学に留学した経験者だという。彼らはアメリカに留学して、アメリカのエリートや上流階級の豊かな生活に目を奪われる。そして人生の勝ち組である自分たちも、どうように酬われるべきだという「弱肉強食」の考え方に容易に洗脳される。
日本の官僚は小学生の頃から塾に通い、受験戦争の勝者になり、やがて上級公務員試験に合格し、キャリア官僚として仕事を始めるわけだ。そうした彼らには彼ら以外の庶民は所詮「負け組」にうつるのではないだろうか。孔子が大切だと考えた「忠恕」の心があるはずもない。なぜなら彼らはそうした環境に育たず、教育も受けてこなかったからだ。
日本はこうした政治家や官僚によって動かされている。彼らが弱肉強食のアメリカ社会にあこがれるのはもっともである。経済的成功をドリームと称し、年俸の高さで人間の価値を判断する考え方は、いかにもアメリカ的でシンプルだが、そこに人間を幸せにする文化の匂いはない。森田さんは、日本の官僚はアメリカ一辺倒で、ヨーロッパの大学に留学したのでは局長以上の地位につくことはできなくなっているという。
大切なのは、アメリカに追随することだろうか。そうではなく、日本の文化の伝統を見直し、その文化を土台に創造性を発揮することだろう。日本社会が大切にしてきたのは、「和の文化」である。「共生」や「自然」といった価値観に立脚し、自分の経済的利益や成功だけではなく、「一隅を照らす」ことの貴さとゆたかさを、私たちは先人たちに学びたいものだと思う。森田さんが言うように、日本再生の道は、こうした日本人の精神文化の再建にかかっているのであり、決して無情なリストラによって達成されるものではない。
最近、心身ともに不調である。不調の原因の一つは、この暑さだろう。夜中に眼を覚ますと、額に汗がにじんでいる。時計を見ると。まだ12時を少し廻ったくらいだ。3時間しか眠っていない。もう一眠りと思うが、これがなかなかむつかしい。場合によっては、そのまま朝まで一睡もできないこともある。これではさすがに昼がつらい。
昨夜も、9時頃床について、起きたのが12時過ぎだった。暑いのでクーラーをつけたが、今度はその音が気になって眠れない。クーラーを切ると、また額に汗が浮かんできた。そして頭がますます冴えてくる。そこで、眠るのをあきらめて、床の中で目を閉じて、久しぶりに空想映画館で映画鑑賞をすることにした。
監督・脚本は橋本裕、登場人物は、たとえば主人公の伸子役は松たか子、相手役の青年は若い頃の私自身である。題名は面倒くさいので、「夏の旅」ということにした。映画は松たか子扮する伸子が田舎のバス停を降りるところから始まる。伸子は名古屋の大学生で、夏休みの帰省である。
伸子の実家は水仙で有名な福井県の越前海岸の寒村だが、夏は海水浴で賑わう。バスを降りた上坂伸子は、一人の青年(沢村慎司)に声をかけられる。 「民宿の清風荘はどちらですか」 「こちらです」 伸子はこの青年を清風荘まで案内する。そこは中学時代からの親友の津村好江の家だった。その好江の家の少し先に手前に伸子の実家があった。
物語はこうして始まった。このあと、伸子は好江や慎司に誘われて、山陰地方へ青春切符の旅に出かける。その旅の中で、いろいろな人間的な葛藤があぶりだされていく。そして伸子が新しい自分に目覚めていくわけだ。ストーリーはそのつど臨機応変に展開したが、どうにか一つの旅の終わりが、もう一つの旅の始まりを暗示させるところで無事に終わった。いつか上映時間は1時間半に及び、エンディングの音楽が流れたときには、すでに3時に近かった。
「夏の旅」はいずれ小説にしてみたいと思うが、あるいはラジオドラマに仕立て上げて、NHKの創作ラジオドラマ脚本募集に応募してみようかと思う。インターネットで調べてみると、11月30日締め切りとなっていた。うまくいくと、30万ほどもらえそうである。 こんなことを考えていたら、頭はますます冴えて、結局、今日もそのまま朝を迎えることになった。
今日の予定は、午前中は学校でテニスの部活の監督である。午後は「犬山大学」へ政治評論家森田実さんの講演を聴きに行く。そのあと、北さんにビールをおごってもらうのが、一番の楽しみである。講演会では鼾をかかないように注意しよう。
14.雀取り
私が小学生の頃に流行っていたものに、パチンコがある。ゴムで小石を飛ばして雀を取るおもちゃだ。雀にとっては迷惑な代物だ。今はこんな野蛮な遊びを動物愛護協会が許すわけがないが、当時はまだそんな観念が薄かった。
もっとも、私の経験では一度も雀に当たったことがない。これは私の腕が下手なばかりではなく、この投石器の限界でもあったのだろう。雀のような小さくてすばしっこい生き物を、こういう精度の悪い道具で狙っても無理だ。たとえまぐれで当たっても、飛ぶのは小豆程の小石なので、雀も致命的な痛手を負うことはない。そのまま逃げられる公算が大きい。
そんなわけで私はパチンコを諦めて、盥を使う方法に切り替えた。盥をひものついたつっかい棒で持ち上げて、地面にパン屑を撒いておく。雀が餌を求めて入り込んだところでひもを引けば、盥が落ちて雀を生け捕りにできる。実際この方法で私は雀をとらえた。しかし残念なことに、雀を盥の中から取り出すのに失敗して、雀は再び空へ帰って行った。
私の失敗を見透かしてでもいたかのように、夏休みのある日、父は私を雀狩りに誘った。見ると父の手には空気銃が握られていた。 朝早く、父と私は郊外へ出かけた。途中の空き地で二人で交代で射撃訓練をした。十メートルほど離れたところに空き缶を置いて撃ったが、私も何発か命中させることができた。これなら雀にも当たりそうだ。
実際、雀は面白いように捕れて、南京袋が手負いの雀達で一杯になった。私も四、五羽は捕った。こんなに面白い経験をするのは久しぶりだった。南京袋の中では雀達が盛んに羽を羽ばたかせ、チュンチュク合唱している。
ところが途中で私はとらえた雀を袋に入れようとして、誤って袋の口を逆さまにしてしまった。このため雀たちは地面に落ち、元気の残っていた雀達はあっという間に飛び立った。そして私の足元には死にかけた血まみれの雀だけが残された。
| 2003年09月18日(木) |
文系と理系の壁を破ろう |
よく理系とか文系とかいわれる。理系の人間は理屈っぽく、数学や理科が得意で技術系、文系の人間は理屈にはあまりとらわれず、感性や直感力に優れている。たしかに分かりやすい分類だが、行きすぎると人間を型にはめて考えることになりかねない。
大学で物理学を専攻し、現在は高校で数学の教師をしている私は、世間では理系に分類される人間だが、俳句や短歌が大好きで、小説を読んだり、書いたりしているから、むしろ文系の資質もかなりある。
これは私に限ったことではなく、人間は誰でもそうした両面があるのではないだろうか。理性的なマインドと、豊かな感受性をもつハートの優しさがあって、人生ははじめて本当の奥行きを持ち、生きるに値するものになるのではないだろうか。
しかし、人間を理系とか文系とかに分類する現代の風潮は、こうした総合的な人間を育てるのに適しているとは思えない。こうした偏った教育のせいで、子供たちはますます特定の教科が嫌いになり、また次第に苦手になって、いわゆる文系とか理系とかいわれる人間ができて行くのではないだろうか。
この人間的な偏りを称して、「個性」などと呼ぶ人もいるが、私はこれはどうかと思っている。論理的・理性的であることと、ゆたかな芸術的感性を持つこと、一人の人間の中で両立するし、また両立することが望ましい。
(今回も「日蓮と一念三千論」をお休みしました)
今年6月にフランスで実施されたバカロレア(大学入試資格試験)の哲学の問題に「対話は真理への道か」があったそうだ。これは社会科学系で出た問題だが、文学系では「全面的自由という観念に意味はあるか」、理系では「自己を意識することは、自分に対して他者となることか」などの設問があった。
受験生は4時間という制限時間のなかで、こうしたテーマについてについて論文を書くわけだ。フランスの高校生は哲学は必修科目で、ふつう3年生の時に学ぶが、哲学はすべての学問の集大成という位置づけを与えられていて、バカロレアでも点数配分が一番高い。たとえば文系のコースだと、哲学の点数は獲得点×5で計上される。理系でも獲得点×3と、哲学は軽視されていない。
今年の出題について、国民教育大臣で哲学者でもあるリュック・フェリー氏は「とてもよい出題。対話は真理へ至るための条件の一つだ」とコメントしたという。フランスでは教員組合と政府の対立が続いており、そうした中でのバカロレアだったので、とくに「対話は真理への道か」という出題は評判を呼んだようだ。
哲学で高得点を得るためには、様々な時代の哲学者の思想について知識を持っていて、それらから自由に引用し、比較検討することができなければいけない。そしてさらにその上で、自説を構築し、論拠をあきらかにし、論理的かつ総合的な視点から展開しなければならない。高校生にとってこれはなかなかの難事だが、こうした知性の訓練を若いうちに経験しておくことはとても有益だろう。
哲学と並んで重視されるのは数学で、たとえば文科系でもその傾斜配点は獲得点×4とかなり高い。これももちろん、日本のセンター入試のような機械的な計算問題ではなく、じっくりと考えさせる論述問題が中心である。理科系の数学問題のレベルは、日本の大学入試問題と比べてもかなり難しいようだ。
国語(フランス語)についてももちろん重視されている。 これは高校2年生のときに受験するしくみだが、筆記と口述試験がある。口述試験は試験官一人に生徒一人のマンツーマンで行われる。試験官から問題を受け取ったら、20分間構想を練る時間が与えられ、その後、20分間プレゼンターションをする。試験管から与えられた文学作品のテキストについて、徹底的に解析することが求めれる。作者の思想や人生観、その時代背景などについても幅広く論じる力量が要求される。 <ここで重要なのは全てが論文形式であると言うこと。アメリカのSATや日本の受験のように選択式問題は存在しない。数学でさえ、長い説明文を付けなければ、全問正解でも平均点以上はもらえない仕組みになっている。この論文形式の試験は非常に学生のためになると思う。まず、文章を書くということに慣れる。構成力、思考力が鍛えられるし、何よりも自分の意見を主張するということを学ぶ。勉強で得た知識に対し、自らの見解を与えることが出来る。当時、高校生だった私は、自分の意見を採点する教師にどう捕らえてもらえるかワクワクしながら執筆していた。採点する側にとっては多大な労力を要するが、論文方式の試験は是非日本でも取り入れるべきだと思う>
これはバカロレアを経験した日本人学生の感想だが、私も大学入試問題は数学も含めて論述形式の試験を実施すべきではないかと思っている。文章を書くことで、思考が精密になる。ただ知識を蓄積するだけではなく、それをいかに活用するかというが肝心である。現在のところ、知識はただ大学入試のためにのみ活用されるだけだが、これでは宝の持ち腐れであろう。
(参考サイト) http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/europeletter /europetop/france/3baccaloreat.htm
昨日書店へ行って、久しぶりに本を買った。買ったのは「文芸春秋10月号」である。特集として、「父が子に教える昭和史25のなぜ?」が気に入ったからだ。私は「文芸春秋」を愛読しているが、買ってまで読もうと思ったことはない。たいていは書店の立ち読みか図書館の閲覧ですましている。この雑誌を買ったのは、十年ぶりくらいだろうか。
25の疑問の内容は、「昭和恐慌はなぜ起きた?」「満州事変は中国への侵略?」「2・26青年将校はなぜ決起した」「戦前は暗黒時代だった?」「日本は朝鮮で悪いことをした?」「軍部独裁を望んだのは誰?」と続き、「東条英機は悪人だった?」「昭和天皇に戦争責任はあるか?」で終わっている。
私の考え方はどちらかというと、左翼的かもしれないが、読むのは右翼的なものが多い。左翼的なものは読んでいてあまり面白くない。なぜなら、それはあまりにもステレオタイプで、退屈だからだ。あたりまえのことが、もっともらしく書かれているだけで、意外性や、ハラハラドキドキがない。これに比べて、文芸春秋の記事などは、一度に一ダースも二ダースも疑問点や反論が思い浮かぶので、頭がすこぶる活性化する。つまり、面白いのである。
ガリレオは大学で教えていた頃、大変学生に人気があった。人気の秘密はその独特な講義のスタイルにあったらしい。たとえば地動説を主張する場合、まず天動説の正しいことを徹底的に証明する。そして誰もがその説が真理であることを疑わなくなったとき、今度はその反対の説を滔々と述べ始める。つまりここにもう一つ、正しい物の眺め方があることを提示してみせるわけだ。背負い投げを食らわされた学生は驚き、ここにはじめて両説を対照して、そのいづれがすぐれているかを納得するわけだ。
この論法はソクラテスがよく用いた方法だが、ガリレオはこうした自由で批判的な知性のあり方を復活させたわけだ。ソクラテスにせよ、ガリレオにせよ、論敵を相手にして、その論敵よりもさらに深くその説を理解していて、しかもこれを自在に言語で表現することができた。自由にどのような立場にも立ち、雄弁にこれを弁論できると言うことは、彼らが第一級の知性人であったことの証だろう。
文芸春秋の主張にはこうした第一級の知性の自在性や輝きが感じられない。そこに感じられるのは視野の狭い、何かに囚われた「情念」のようなものである。しかし、左翼的なうすっぺらな正論よりも、こちらのほうが遙かに人間的であり、真実みを感じさせる。この情念を理解した上で、これに対抗できるもっと建設的で明るい「浄念」を構築したいものだ。自由な知性の光りによって、「情念」を「浄念」へと美しく昇華させたいものだ。
13.新しい夢
夏休みに入って、朝起きて学校へ行かなくてもいいと思うとほっとした。それだけ、学校が面白くなかった。
二階の廊下の窓から、手作りの自動車がブリキを張ったまま裏庭に放置されてあるのが見えた。それは夢の残骸であり、万引きという忌まわしい記憶の原点だった。 (早いところ始末してしまおう) 庭に出ると、釘抜きを使ってブリキをはがした。それから鋸と鉈で残りを解体した。
あれほど苦労して作ったものが、三束の薪になった。その薪も風呂釜の焚き付けにされて燃やされた。ブリキ板を屑屋に持って行くと、百円玉を出したが、私はそれを四人で分ける面倒を考えて受け取らなかった。私はいやな記憶からいくらか自由になった。
私は夏休みの課題作文にエジソンの伝記を選んた。この本で彼がまともな学校教育を受けていないにも関わらず様々な発明をしたことを知った。私は近所の模型店へ足を向けた。私もエジソンにあやかって、夏休みの自由課題で何か面白い発明品を作ってみたいと思った。
店は家と同じ並びにあり、おばさんが店番をしていた。私はこれまでにマグネットや豆電球、ベル、ニクロム線などを買っていた。店先に並んでいる電気仕掛けの模型を眺めているだけでも楽しかった。
模型店から帰ってくると小浜の小学校で担任をしていただいた柿谷先生が待っていた。福井大学で教員の研修会があり、その帰りだという。私は先生からその後のクラスの様子を聞いた。先生は福井の小学校での私の成績を訊き、通知表や教科書を見せるように言った。
残念ながら、5はなかった。理科と家庭が4で、あとは2と3ばかりである。先生は教科書を眺めながら、 「活字の大きさが違っているね。しっかりがんばるんだぞ」 「はい」 成績はぱっとしないものの、先生は私の顔を見て安心したようだ。そして、母の運んできた氷イチゴやところてんをうまそうに食べた。
昔の職場の同僚達と、毎年夏休みに一泊旅行に行っていた。今年は時期がずれて、9月13,14日になった。場所は開田高原である。あいにく部活の試合と重なり、不参加ということになった。少しうらめしい気持で、幹事役のK先生から送られてきたこんな案内文を読み返している。
<露天風呂から御岳の勇姿を仰ぎ見て、命の洗濯。コテージではオーナーが前もって用意してくれた食材(飛騨牛、岩魚、とうもろこし野菜各種など)を使って、ウッドデッキでの豪華なバーベキュー、酒類はビール、日本酒、ウイスキーなど。食後は心ゆくまで、飲み、かつ語って下さい>
この旅はもう15年ほど前から、毎年続いている。私が定時制高校にいたころの同僚で、顔ぶれは国語科1名、数学科2名、英語科1名、社会科1名、保健体育科1名の合計6名の旅である。新幹線を使った豪華な旅はほとんどなくて、たいてい体育科のTさんの運転する車に同乗しての質素な旅なので、私のような貧乏人でも参加が出来る。
7月に前もって日程の打診があったとき、「これはこまったな」と思ったが、「OK」の返事を出しておいた。6人の日程を調節するのは大変だし、それにこの日程で決まれば、部活の試合の付き添いは他の先生に任せようと思ったのである。しかし、試合が間近になって来ると、気持がゆれてきた。そして結局、旅行の方は不参加にしたが、おかげで命の洗濯をする機会を失った。この決断、やはりまちがっていたかな・・・。
ヘレニズムの特徴は、「ギリシャ愛好」ということらしい。ギリシャ人のようにギリシャ語を使い、ギリシャ人のように哲学や思想を語り、数学や論理学、音楽理論に通じ、軍事的にも商業でも強く、そして、何よりも人生と芸術を愛し、美しい彫刻や工芸品を作る。丘の上には大理石で白亜の神殿を築き、学校や体育館(ギムナジゥム)、円形劇場などの公共施設を建てる。
アレクサンダー大王は、マケドニア人だが旺盛なギリシャ愛好精神を持っていた。彼はアリストテレスに哲学を学び、ホメロスを暗唱して、自らをギリシャ神話の英雄アキレスに同一視していたらしい。彼はインド北部にまで侵攻し、各地にギリシャ人の都市を築いた。それらはいずれも、「アレキサンドリア(アレクサンダーの都市)」と呼ばれた。
ギリシャ文化を忠実に受け容れたローマの彫刻はほとんどギリシャ彫刻の模造品といってよいが、インド北部のガンダーラ地方でもギリシャ彫刻の影響を受けて仏像がたくさん作られた。それはアレクサンダーの東征から300年以上も経ってからだから、その影響力の大きさを思わずにはいられない。
私は仏像が好きで、中宮寺の弥勒菩薩など、ほとんど私の永年の心の恋人だと言ってよい。その前に坐っていると、心が明るくなり、ひろびろとしてくる。この美しさはたぶんに精神的なものだ。仏像の背後に、はるばるとした人類の歴史が控えていて、奥深い天上的な魂と人間的な叡智の匂いが感じられる。
ギリシャ彫刻については写真でしか知らないが、私はその明晰な美しさに脱帽するしかない。さまざまな形をした彫刻には、いずれも美のイデアが輝いており、ギリシャ人の精神活動の奥深さと自在さを感じ取ることができる。ギリシャ人は文学や哲学を産み出したが、純粋に造形的な芸術というものを生み出した最初の民族だと言ってもよい。
ギリシャ建築や彫刻の特徴は、論理的なものと美的なものがしっかり結びつき、統一されていることだろう。彼らの創造した美はあくまで知的で明晰で、彼らの創造した論理や哲学はどこまでも美的である。ギリシャの彫刻や仏像を眺めていると、美というものが単なる感性の産物ではなく、知性や精神性のもうひとつの果実であり、明晰で透徹した表現であることに気付かされる。そしてギリシャ彫刻の影響を受けた仏像もまた、この思想の明晰さと美しさを奇跡のようにたたえている。
参考までに、歌集「明日香風」に収められている短歌をいくつか引いておこう。十数年前に中宮寺を訪れたときに詠んだものだ。
中宮寺御堂の畳に正座して十とせぶりなる御仏拝む やはらかき指のひとつを頬に触れをとめのごとき仏ゐませり かくばかり美しきもの伝えてし人のこころはたのもしきかな ほのぼのと明日香をとめがほほえみて人のこころもやさしくなりぬ み仏を拝みて後の人の顔ほのぼのと見ゆをさな子のごと
(私のHPの右側のページには「ミロのビーナス」の写真が飾ってある。これをクリックすると、私が部屋に飾って毎日眺めている中宮寺の弥勒菩薩の横顔が現れる)
12.臨海学習
夏休みを前にして、臨海学習があった。若狭の海に二泊三日で行くという。若狭と聞いて懐かしくなった。四月に小浜を離れて、まだ三カ月しかたっていないのに、ずいぶん昔のことのように思われた。
臨海学習は高浜の少し手前の和田というところで行われた。途中小浜を通る。私は見覚えのある線路沿いの風景をじっと見つめた。汽車が小浜駅のプラットホームに着くと、三ヶ月前に見送りの友だちと別れた改札口や駅前広場が見えた。
それにしても思い出というのは不思議なものだ。小浜にいた頃はその前に住んでいた青郷や福井の頃がとても幸せだったように感じられた。そして小浜が面白くなくて家出までした。それが福井に帰ってみると、小浜にいた頃が断然よく見える。
私が一人でそんな思いにふけっていると、 「君、こっちの方から来たんだよね」 斜め前に座っていた藤田君から声をかけられて、私は我に返った。私の反応が鈍かったせいか、藤田君はすぐに話題を変えて、隣の席の少年とプロ野球の選手の話を始めた。
私はまた車窓の外に目をやった。 (潮ちゃん、和子ちゃん、良ちゃん、柿谷先生……) 小浜を出ると、汽車はやがて海岸線に沿って走った。それからしばらくして、目的地についた。
臨海学習の三日間で、これという楽しい思い出はできなかった。なれない集団生活は、私に気苦労や緊張を強いた、苦痛で憂鬱な三日間だった。 茂夫とも話をしなかった。万引き事件の後、私と茂夫は以前ほど親密に交わることをしなかった。
「こんな事が知られたら、君たちの両親は夜逃げでもしなければならない」 取り調べ室で男から言われた言葉が、悪夢のように蘇る。私は茂夫から自然に目をそらしていた。茂夫も話しかけてこなかった。
臨海学習から帰って、私は急に発熱した。近所のSという医院に行くと、 「風邪ではなさそうだね。明日になれば熱も下がるよ」 医者の言うとおり、翌朝になると熱が嘘のように引いた。
大学の教育学部で英語を専攻している次女が、近くの塾で家庭教師のアルバイトをしている。小学生と中学生を対象に、算数や英語を教えているようだが、生徒の中には教えるのが随分むつかしい子もいるようだ。
たとえば小学生のA君は「算数」が大の苦手だという。時計の時刻の足し算がなかなかできないらしい。なんとか理解したと思っても、次の時同じ問題を解かせると、もうわからない。そこでまたはじめから説明をする。「わかった」というが、やはり次回になると、全然解けない。「こいつ、反抗しているのか」と、腹が立つのだという。
食卓で娘の話を聞いていて、高校で数学を教えている私には娘の苦労がわからぬでもない。そして、この小学生は確かに難物かも知れないと思う。妻も笑いながら、 「もう時計の問題はあきらめるしかないわね。他の問題をやったら」 「それがね、他の問題も、結局同じなのよ。もっとひどいくらいよ」
たとえば、彼は小数の考え方がどうしても分からないのだという。だから「0.1かける10はいくらか」という問題を解かせると、0.10と書いて、「れい点じゅう」と答える。「どうしてそうなるの。0.1は1の十分の1でしょう。10個集まったら、1になるのよ」と説明しても、「だって先生に1かける10は10ってならったもの」と動じない。
頑固に、あくまでも「れいてんじゅう」と答える。娘はもうあきれはてて、溜息をつくしかない。しまいには何だか空しくなり、無気力感に襲われる。たしかに、こうした頑固で分からず屋の子供を教えていたら、疲れるだろうな、と思う。
しかし、将来教壇に立つことを夢見ている娘にとって、世の中にはこうした子供もいるのだという経験も必要なことだろう。この教育上の難問をどう乗り越えていくか、それは娘が自分で解答を探し出すしかない。生徒は教師から学ぶが、よき教師もまた生徒から多くを学ぶものだ。A君のような生徒に出会うことも貴重である。
(「日蓮と一念三千論」はお休みさせていただきました)
| 2003年09月10日(水) |
平和をめぐる対話(2) |
Mさま、橋本裕です。
<私自身、以前から疑問を感じていたことなのですが、平和憲法の大前提にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという部分への疑問です。国連による戦後秩序という平和の枠組みが作られるという期待に満ちていた時代に起草された文章だという認識をもっております>
Mさんのおっしゃるとおりだと思います。現実の国際政治は利害の対立と覇権主義で動いています。一見したところ、とても「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できる状態ではありません。
しかし以前Nさんが言及してみえたように、<今や国境を越えて、人、物、金が自由に行き来する経済のグローバル化が、戦争の大きな抑止力になりつつある> という現実もあります。長年の冷戦が終息した現在、世界は新しい平和の枠組みを求めて模索を始めているのではないでしょうか。
私はこれからの世界を動かすのは、「競争から共生へ」へというコンセプトだろうと思っています。経済問題や環境問題、人口問題など、人類が早急に協力して解決しなければならない問題が山積しているからです。
こうした問題について、ヨーロッパの人々にくらべ、アメリカはずいぶん冷淡なように見えますが、いつまでも無関心を決め込んでいるわけにはいかないでしょう。アメリカもいずれ変わると思います。
世界の現状は「不公正と不義理」だといえますが、この現状を容認するだけではなく、そこから一歩踏み出すことが必要ではないかと思います。平和を愛し、公平であること、信義を重んじ、ともにこの地球を人類にとってよりよきものにしたいと思っている人は、ヨーロッパにもアメリカにも、世界中にみちみちているのではないでしょうか。
国境を越え、そうした人々の願いをわが願いとし連帯することで、世界は変わっていきます。そのためにインターネットによる意見の交換は大きな助けとなるでしょう。そうしたなかで、ともに平和を愛し、公正と信義に信頼しあえる関係が、着実に築かれていくのではないかと思っています。
覇権主義や相互不信からはなにも善いものは生まれません。そうではなく、こうした時代であればこそ、日本は平和主義と公平と信義をバックボーンにした骨太の外交姿勢を示すことで、国際社会の一員として本当に尊敬される位置を占めることが出来るのだと思います。そしてこれこそが唯一の現実的な選択ではないかと思っています。
憲法の前文はそうした意味で、まさにこれからの時代にふさわしいメッセージとなるのではないかと思います。これを放棄するのではなく、これを拠り所にして、世界に平和と公正と信義を訴えかけて行くべきではないでしょうか。
(上の文章は、前日のMさんの質問に答える形で、「平和を愛する人々との連帯」と題して、FML「戦争体験を語り継ぐno more war」に投稿したもだ。その後、Mさんから次のような投稿があったので、これもここに掲載しておこう)
<橋本裕さま。ご返事ありがとうございます。私の方から憲法前文の、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという部分への疑問について、橋本さまからは、「私はこれからの世界を動かすは、「競争から共生へ」へというコンセプトだろうと思っています。」「世界の現状は「不公正と不義理」だといえますが、この現状を容認するだけではなく、そこから一歩踏み出すことが必要ではないかと思います。」といった内容のご解答をいただきました。そのお考え自体は私も同感ですし、納得できるものです。
ただ私が疑問に感じているのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義」がすでに達成されたものであるという前提で憲法自体が成立してしまっていることが、 いろいろな面で不都合を生み出しているのではないか、ということです。
別に私は改憲論者ではありませんが、この部分がもし→「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼はいまだ達成されていない、しかしながら日本国民は・・・」というような前提として置かれていたとしたら、現実的なものとして納得できるだろうとおもうのです。
平和憲法は非現実的だから改正しろという主張も、結局はこの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」というものが、本当に成立つのか、という疑問から発しているような気がいたします。
出来の悪い小学生みたいですが、私の憲法解釈は、この、いちばん最初の部分にひっかかって、先にすすめなくなってしまいました。そうしたことを申しあげた上で、橋本様の主張されていることは一つの正しい考え方であると、私も思います>
Mさんが言われるように、<平和を愛する諸国民の公正と信義」がすでに達成されたものであるという前提>で憲法の不戦条項が成り立っているという解釈も成り立つ。そして現実の世界はそうではないので、不戦条項は見直さなければならない、という論理がここから生み出されてくることもたしかだ。
これについて私は、「信義を重んじ、ともにこの地球を人類にとってよりよきものにしたいと思っている人は、ヨーロッパにもアメリカにも、世界中にみちみちているのではないでしょうか。国境を越え、そうした人々の願いをわが願いとし連帯することで、世界は変わっていきます」と答えたが、憲法の前文もこう解釈すべきだと思っている。
今必要なことは、平和を愛する世界の人々が声を上げ、ともに連帯することである。その連帯の有力な拠り所の一つとして、日本国憲法の平和主義の精神がある。Mさんも認めて下さったように、これは今のところ「ひとつの考え方」に過ぎないが、こうした考え方が世界の多くの人々に共有されることを願っている。
| 2003年09月09日(火) |
平和をめぐる対話(1) |
日本は戦争に負けて、もう再び戦争の惨禍を繰り返さないという決意から、憲法の前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と理念を述べ、第九条ではっきりと戦争の放棄を宣言した。
<日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない>(第九条)
これに関連して、私が所属している「戦争体験を語り継ぐ」(no more war)というメールマガジンで、Mさんからおおよそ次のような質問を受けた。
<橋本裕さま。私自身、以前から疑問を感じていたことなのですが、平和憲法の大前提にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという部分への疑問です。
国連による戦後秩序という平和の枠組みが作られるという期待に満ちていた時代に起草された文章だという認識をもっております。
現在のアメリカ、あるいは北朝鮮、あるいはイスラエルとパレスチナという国々の現実のなかで我々は現在この「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという前提を前提としなければならないとお考えでしょうか。
私自身は、たとえば「平和を愛するアメリカ(あるいは北朝鮮)の公正と信義に信頼」する気持ちにはとてもなれないのです。
この部分をどう考えたらいいのか答えが見出せずにおります。ご意見をお聴かせいただけたら幸いです>
Mさんの質問に対する私の回答を、明日の日記に掲載することにしよう。
11.あかね雲
万引きの取り調べが終わって、デパートを出た私たちは、電車通りをとぼとぼと歩いて家の方に向かった。家に近づくにつれて足取りはさらに重くなった。私たちが足を向けたのは近くのビルの建設現場だった。
休日で現場は閑散としている。資材置き場になっている空き地にも人気がない。私は茂夫と並んでその上に腰を下ろし、ため息をついた。 「ごめん」 茂夫がその言葉を繰り返すのは何度目かだった。
私が意気消沈しているのを見て、すまないと思ったのだろう。実際、私は心の片隅で茂夫を非難していた。茂夫のせいで私は万引きの共犯者にされてしまった。そればかりではない。取調官は私が茂夫を唆してやらせたような印象を持ったようだ。
茂夫が父子家庭に育ち、小遣いも滅多にもらえないような家庭環境にあつたことを私は初めて知ったが、係官も調書を取りながら彼には同情的だった。その分、私には風当たりが強かった。実行犯の茂夫よりも、彼を指図した私の方が悪いと考えているようだった。 (茂夫となんかつき合わなければよかった)
私は後悔の念に捕らわれていた。しかし考えて見れば、やはり私はれっきとした共犯者だった。茂夫が万引きしたチョコレートを貰って食べている。茂夫も私がデパートに誘わなければこんなことにならなかった。 (このまま家出をしょうかな……)
二年前、若狭小浜に住んでいた頃、私は家出に失敗した経験がある。東京に出て、靴磨きの少年になるつもりだったが、考えてみると杜撰で幼い計画だった。六年生なった今、さすがにそんな夢物語を実行する気にはなれない。 そうしているうちに、日が暮れかけてきた。西の空が次第に茜色に染まって行く。ねぐらに急ぐカラスの姿が目に付くようになった。
「カラスが鳴くから、帰ろ……」 私は立ち上がり、資材の上から飛び降りた。続いて茂夫が、カラスのように両手で空を飛ぶような大げさな真似をして飛び降りた。
ローマ人の偉大さは、すすんでギリシャ文化に学んだところだろう。その学びがいかに徹底していたかは、ジュピターを始め、神々までもギリシャの神々を模倣したことでも分かる。ローマはついに公的な教育機関をもたず、ローマの貴族は子弟をギリシャに留学させるか、ギリシャ人の家庭教師をやとった。ローマの貴族はギリシャ語を公用語として用いた。たとえばシーザーがクレオパトラと愛を語り合ったのもギリシャ語である。
中近東やアジアの国々は、自らギリシャに学んだと言うよりも、アレキサンダーの東征の結果、ギリシャ文化とのかかわりを持ったというべきだろう。たとえばアレキサンドリアではユダヤ人学者の手で旧約聖書がギリシャ語に翻訳され、これがやがて新約聖書への思想的飛躍を生むことになる。世界宗教としてのキリスト教の成立の背後に、ユダヤ教のヘレニズム化ということがあった。ちなみにヘレニズムとは「ギリシャ語を正しく使うこと」という意味だそうである。
私たち日本人にとって興味深いのは、ガンダーラにおける仏教文化の成立だろう。インドで生まれた仏教は、この地でギリシャ文化と出会うことで、大きく変貌した。本来偶像をもたない仏教徒が仏像を創り、これを礼拝するようになった。また、さまざまな大乗経典が書かれたが、これもギリシャ文化との対話・融合の果実だといえる。
こうして生まれた仏教文化は、中国を経て、日本へもたらされた。こうした経緯があるので、日本に伝えられた仏像の由来を尋ねると、その多くはギリシャの神々にたどり着くことになる。NHKスペシャル「文明への道�▲悒譽縫坤爐畔�教」(NHK出版)から引用しよう。
<この時代、もっとも重要な出来事は、はじめて仏陀が人の姿で表されたこと、すなわち仏像が誕生したことである。仏陀、菩薩像をはじめ、クシャンの神々もこぞって片足に重心を書けたギリシャの立ち方(コントラポスト)を採用している。
クシャン王朝下に大輪の花を咲かせた仏教文化はおびただしい数の作品を残したが、ここにもギリシャの神々が姿を見せている。これらの神々は仏教文化の流れに乗り、東方の彼方へと向かった。
・・・毘沙門天は財宝神にして、冥界と神々の世界を往来するヘルメス神から翼の付いた帽子ペタソスと杖を引き継ぎ、巾着を受け取ったファッローはそれを大袋に持ち替えて大黒天になり、ともに日本までやってきた。死者の霊魂を冥界に運ぶエロスは、ストゥパーや舎利容器に描かれた。
ヘラクレスの結びは菩薩の腰ひも、・・・ギリシャの至高神ゼウスが手に持つ雷霆(らいてい)はインドの神々の王インドラが手にする金剛杵となり、。さらに仏陀の神通力を表すものとなって、執金剛が創出された。そのなかには、ヘラクレスの姿に表されるものが少なくない。彼は東への道すがら独立尊の執金剛神となり、さらに金剛力士や仁王などへ分身して仏教世界へ散って行った。ギリシャの神々はヘレニズムの地空間・時空間を遙かに越え、アレキサンドロス大王がなし得なかった東西両文化の融合の想いを成し遂げたといえる>
ギリシャの美神アフロディテの胸を飾っていたX字型胸飾帯は、ガンダーラーを経て、観音菩薩へと受け継がれていく。大黒天や金剛力士や数々の仏・菩薩たちが、遠くギリシャの地からやってきた神々の末裔だと想うと、その旅のはるかなこと、その歴史の壮大で美しいことに感慨を禁じ得ない。
ジョン・ロックの「市民政府論」を読んでいて、「法は人間を自由にする」という言葉にであったとき、新鮮な感動を味わったのを覚えている。新約聖書の「真理は人間を自由にする」(ヨハネ伝8章2節)You shall know the truth and truth shall make you free. という言葉も思い出して、よくこれらの言葉をこの日記にも引用するようになった。
実際の法は人間のさまざまな行為に制限をあたえる。だから、法が人間に自由を与えるためにあるという考えはあまり浮かばない。しかし、西洋では法は専制的な支配に対する戦いのなかで民衆が勝ち取ってきたという歴史がある。だから、実感として「法は人間を自由にする」という思想が自然に受け入れられるのだろう。
政治学者の小室直樹さんが「痛快憲法学」のなかで、「法とは誰かに対して書かれた強制的な命令であるが、ここで大切なのは、<誰が誰に命令するのか><誰のために法があるのか>ということだ」と書いている。
法が誰に命令するのかを明らかにするには、その法に違反できるのが誰かを考えればよい。憲法の場合を例にとると、それは国家である。たとえば、憲法21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」となっているが、これは国家(政府)が国民に対してその自由を保障しているわけだ。小室さんの言葉を引用しよう。
<憲法とは国民に向けて書かれたものではない。誰のために書かれたものかといえば、国家権力すべてを縛るために書かれたものです。司法、行政、立法、これらの権力に対する命令が憲法に書かれている。
国家権力というのは、恐ろしい力を持っている。警察だって軍隊だって動かすことができる。そんな怪物のようなものを縛るための、最強の鎖が憲法というわけです。したがって憲法に違反できるのは国家だけ。このあたりが日本人には、まったく理解できていませんね>
それでは憲法以外の「民法」や「刑法」などの法律についてはどうか。たとえば刑法199条「人を殺した者は死刑又は無期若しくは3年以上の懲役刑に処する」という条文は誰に対して命令しているのか。答えは<刑法は裁判官を縛るためにある法律>だということだ。刑法違反ができるのは裁判官だけだからだ。それでは裁判で裁かれるのは誰かというと、これも意外な答えが返ってくる。
<いったい刑事裁判は誰を裁くためのものか。それは検察官であり、行政権力を裁くためのもの。裁判で裁かれるのは、被告ではありません。行政権力の代理人たる検察官なのです。刑事裁判とは、検察、すなわち行政権力を裁く場であるというのは近代裁判の大前提なのですが、これもまた日本人のよく理解できないところです>
<検察側に手続きの上のミスが1つでもあれば、自動的に被告は無罪になるというのが近代裁判の鉄則です。日本の裁判官は、ほんとうに検察官を裁いているのだろうかと不安になってくるでしょう>
刑法は決して国民に「人を殺すなかれ」とは命令しない。ただ、「人を殺した人間には3年以上の懲役もしくは死刑の判決を与えよ」と裁判官に命令しているだけだ。<刑法で縛られるのは裁判官であり、裁かれているのは検事である>というのは、日本人の法感覚にはなじまないかもしれない。しかし、裁判員制度がようやく現実のものとなろうとしているとき、私たち国民一人一人が裁判に対して正しい理解をもち、<法は国民の生活や自由を守るためにある>という西洋的な「法の精神」を知っておくことは、大いに必要なことだと思う。
10.取り調べ室
男に襟首を掴まれたまま連れて行かれたのは、物置部屋のような殺風景な取調室だった。そこにスチール製の机や椅子が置いてあった。 「ここで待っていなさい」 男は私たちを座らせると姿を消した。十分、十五分してもなしのつぶてだった。いっそ部屋から逃げ出そうかと思ったが、思いとどまった。入り口の扉が開いたままなのが怪しかった。
部屋には小さな窓があった。壁も天井もむき出しのコンクリートで、たくさんの管が走っている。値札のついたままのワンピースや化粧品、ネッカチーフ、腕時計等が壁際に乱雑に積まれていた。いずれも万引きされた商品だろう。
男が姿を現したのは、かなりたってからだ 「他にも盗ったんだろう。正直に言うんだ」 「チョコレートをもう一つ……」 茂夫が小さな声で言った。 「これまでに、こんなことをしたことはあるのかい」 「いいえ」 私たちは二人とも首を横に振った。
男は氏名と住所、学校や家庭環境について質問しながら、調書を作った。そして、そこに拇印を押させた後、 「こんなことが学校や近所の人に知られてごらん。君たちの両親は恥ずかしくて町内に住んでいられないよ。夜逃げでもしなければならなくなるんだよ」 男の言葉は、私の心に突き刺さった。
(とんでもないことをしてしまった) 私は父や母の顔を思い浮かべた。そして涙が頬を流れ落ちていくのを止めることができなかった。茂夫も泣いていた。 「今回だけだよ。もうしないと約束できるね」 男の表情が少しだけ和らいだ。
16.十界互具
さて、大乗仏教についておおまかなことがわかったところで、再び日蓮に戻ろう。日蓮は法華経の「衆生をして仏知見を開かしめん」という句を引いて、開くというのは本来人界に仏界が具わっているから可能なことであり、「末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足するなり」(観心本尊抄)と述べている。
実は仏界は悲惨な地獄界に呻吟している人にも具わっている。修羅となって争う心の盛んな人にもそなわっている。つまりあらゆる境涯に仏界が具わっているわけで、これがすなわち「一切衆生悉有仏性」ということであると日蓮は説く。
あるいはまた逆に、実は仏界や菩薩界にも地獄界や修羅界は具わっている。ここのところが、仏教の思想のとても深いところである。十界がすべて、それぞれの他の境涯を具えているわけで、これを「十界互具」という。
私たちが人と会って、ああ今この人はこんなことを考えているのだな、こんな境涯に身をおいているのだなとわかるのは、そうした心なり境涯が私たちの現在の境涯の中にも潜在しているからだ。つまり「十界互具」ということがあって、私たちは初めて相手の心が生き生きと読み取れるのである。
境涯の高い人と会って話を聞いたり、またすぐれた芸術や文章に出会って感動するのは、自分の心に潜んでいる高い境涯が目覚めるからである。つまり高い境涯にある相手が、明鏡のようにして自分の心の中に潜んでいる貴重な宝を映し出してくれるわけだ。たとえば私たちが法華経を読んで心を動かされるのは、何も法華経がすばらしいからばかりではない。むしろ法華経が鏡となって、私たちのなかに隠れていた尊いものを映し出してくれるからである。まさに「仏知見を開かしめ」てくれるわけだ。
こうしてみると、私たちが接しているすべての存在が、実は私たちの自分の心を映し出す鏡のようなものだということに気づくだろう。「十界互具」ということを、もうすこし突き詰めていくと、「三界はただ心の所現である」という思想にまでたどり着くのだが、今はまだこの思想を述べるのは時期尚早なので、このくらいで筆を収めておこう。
動物を見ていると、なんとなく自由気ままに生きているような気がすることがある。たとえば牧場で悠然と草を食んでいる牛たちはどうだろう。eichanの最近の短歌にそんな情景を詠んだのがあった。
乳牛はただ草を食むひたすらに草を食むのが生きることらし
何か雄大な息遣いが感じられて、この歌、とても気に入ったので、さっそく引用させていただいたが、しかしよく考えてみると、牛がただひたすら草を食むのは、牛にはそれ以外の生きる選択肢がないからだろう。
動物はただ本能のまま、何も考えないで生きている。決して自由気ままに生きているわけではない。考えてみれば、本能に従って生きている動物には、実際のところ思想の自由も、行動の自由もないのである。
それでは、なぜ人間に彼らが自由に生きているように見えるのだろう。それは彼らは自由もないが、あれこれ強制されることもそれほどないからだろう。人間のように学校や会社に行かなくてもよいし、勉強もしなくてよい。受験地獄やリストラの心配もないだろう。社会的な規制や義務に縛られて、あくせくしながら生きている人間の目には、あけてもくれてもただ草ばかり食べている牛はのんきでうらやましい。
多くの動物が人間のようにあくせくしているようには見えないとしたら、そのおもな理由は、彼らにむしろ自由がなく、限られた単調な行動しかできないからである。そのことが、かえって彼らに悠々自適な表情を与えるのである。彼らは本能に拘束され、思想や行動の自由を持たないが、そのことで何ら不満を抱いているわけではない。むしろ彼らは自らの境涯に自足している。そしてこの自足感があるので、彼らはいかにも悠然として生きているように見える。
自由とはなにも社会的な規制や束縛がない状態をいうだけではない。人間はまた自らの心に巣くうさまざまな欲望や観念によっても支配される。金銭欲や名誉欲、権力欲などに捉えられ、その奴隷となってあくせく生きている人間を見た後、いかにもそうしたものから自由な様子の動物たちをみると、そこにあるすがすがしさを覚えるものだ。
動物には自由はない。しかし自由がないということは、彼らにとっては不自由がないということでもある。人間もまた、自由を知らなければ、不自由を意識しないだろう。アダムとイブは知恵の木の実を食べて、自分たちがいかに不自由であるかに目覚めた。そして、そこにさまざまな夢や希望とともに、不満や挫折や軋轢が生じてくる。自由に目覚めるということは、すなわち不自由に目覚めるということでもある。自分がいかに不自由であるかに目覚めた人間は、もう以前ほど悠々と生きることはむつかしい。
人間にとって、一番大切なものは何かと聞かれたら、まずは食べ物とか着物とか住居とか生存に必要なものが考えられよう。しかし人間の場合は、これでけで満足できない。「人間はパンのみで生きるものではない」からだ。
さらなる富や地位や名誉を望むものもいるだろうし、平和や平等、愛情といったより精神的なものに価値を見出す者もいるだろう。人が何を求めて生きるか、それはその人の価値観や人生観によるので、ここから先はさまざまな生き方が考えられる。
こうしたさまざまな生き方ができるということが、すなわち人間における自由ということであろう。だだ本能のままに生きている動物にはこの自由はない。もちろん人間の場合でも、彼が置かれている社会的条件によって、この自由は大きく制限されることがある。まったく自由が存在しないような専制的な社会や階層があったし、現在でもそうした社会がないわけではない。
自由について、以上にのべたことは、大変常識的なことである。「自由」という言葉の意味はもう少し複雑である。いま手元にある「広辞苑」を見ると、そこには次のように書かれている。
�/瓦里泙泙任△襪海函�思うとおり。自在。(古くは勝手気ままの意味に用いた)
�∪嫻い鬚發辰堂燭�をすることに障害(束縛・強制など)がないこと。自由は一定の前提条件のもとで成立しているから、無条件的な絶対の自由は人間にはない。自由は、障害となる条件の除去・緩和によって拡大するから、目的のために自然的・社会的条件を変革することは、自由の増大である。この意味で自由とは、自然・社会の法則の認識を通じて実現される。
ア)社会的自由。社会生活で、個人の権利が侵されないこと。歴史的に成立している重要なものに、市民的自由と政治的自由がある。前者は企業の自由、契約の自由、財産・身体の自由、思想・信仰の自由、言論・集会・結社の自由などを指し、後者は参政権その他の政治的目的のための行動の自由を意味し、両者ともそれらに対して国家権力その他の干渉がないことを意味する。
イ)意志の自由。自分の行為を自由に決定できる自発性があること。哲学史上、これを肯定する非決定論と否定する決定論との論争がある。意志が因果関係で縛られているとする決定論では道徳が無意味になり、行為の責任を問うことができないというのが、非決定論の主張である。カントは物質的現象世界では決定論を認めたが、行為の世界においては道徳成立の根拠として意志の自由の存立を認め、この問題を解決しようとした。
ウ)倫理的自由。カントにおいては、意志が感性的欲望に束縛されず、理性的な道徳命令に服することで、自立と同義。サルトルにおいては、人間は存在構造上自由であり、したがって常に未来への選択へと強いられており、それ故自由は重荷となる。
以上、「広辞苑」からの引用であるが、自由について、大雑把に�ー�由気ままと��束縛や障害からの自由という二通りの意味があることがわかる。いずれにせよ、完全に自由な人間など存在しない。私たちはさまざまな拘束や制限、障害の中におかれて生きている。そこで大切になるのは次のことであろう。
<自由は、障害となる条件の除去・緩和によって拡大するから、目的のために自然的・社会的条件を変革することは、自由の増大である。この意味で自由とは、自然・社会の法則の認識を通じて実現される>
私はものを考えるということは最大の自由だと思っている。パスカルがいうように「人間は弱い葦である。しかし彼はそのことを知っている」ということが大切なのだ。自由に物を考え、自由に意見を主張できること、そしてそうした自由な言論によってさまざまな政治的な問題が解決されていくこと、これが民主的な社会の理想であろう。すべての自由の根底に言論の自由がある。これを大切にしたいものだと思っている。
9.万引き
六月も下旬になり、蒸し暑い日が続いた。そうした梅雨の晴れ間の日曜日の午後、私は茂夫を誘って、ダルマ屋という駅前通りにあるデパートに行った。自動車の部品に使うネジや歯車を買おうと思ったのだ。
しかしデパートの模型売場にも、欲しい物は見あたらなかった。私ががっかりしていると、 「屋上の遊園地でジュースを飲もう」 茂夫が誘った。デパートへ子供たちだけで来るのは初めてだ。私はどきどきしながら、茂夫の後について行った。途中、お菓子の特設売場を通った。チョコレートやクッキーが山積みしてある。日曜日で家族連れの客で混雑していた。そこを抜けて、屋上の遊園地のジュース飲場に来た。
私がジュースを買って持って行くと、茂夫がポケットからチョコレートを一枚出してきて、半分に割った一つをくれた。私は驚いて、 「いつのまに買ったの」 茂夫が肩をすぼめて笑った。それで私はそのチョコレートを茂夫が違法に手に入れたことを知った。 (あんなにたくさんあるんだ。一つくらいかまわないさ) 茂夫の細い目がそう語っているようだった。
これが近所の駄菓子屋さんだったら私も躊躇しただろう。実際に万引きが見つかって、こっぴどく叱られた子供もいたが、結構うまくやる子供が多いので、おばさんが困っていた。 私はチョコレートを茂夫から受け取ると、口に運んた。 「おいしいかい」 茂夫に言われて、うなずいた。
それから私たちは屋上の遊園地を後にして、再びお菓子の特設会場を通った。そこを抜けて階段の踊り場まで来たとき、茂夫が再びチョコレートを出した。私はあわてて受け取った。それをポケットに入れると同時に、私たちは背後から年輩の男によって襟首を掴まれた。
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