橋本裕の日記
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2004年03月31日(水) 民主主義と言論

 イギリス国王でもっとも長い在位したのは、ヴィクトリア女王(1819〜1901)で、1837年から64年間も在位した。彼女の治世「ヴィクトリア朝時代」において、大英帝国はその黄金時代を迎えた。

 この時代の政界を代表したのが保守党のディズレーリ(1804〜1881)だった。彼はユダヤ人だったがキリスト教に改宗し、弁護士事務所に勤務しながら政治小説を著した。1837年に下院議員に当選し、ダービー内閣で3度蔵相を務め、その後首相になって、スエズ運河の買収やインド帝国の成立、ベルリン会議でロシアの南下策を阻止するなど、積極的に植民地主義政策を推し進め、大英帝国の繁栄を築いた。

 ディズレーリが属した保守党は、もともと大土地所有者である貴族の利益を代弁する保護貿易主義の立場だった。したがって、外国からの穀物を自由に輸入することを禁じた「穀物法」を守る立場にあった。

 ところがこのころアイルランドを大飢饉が襲った。このときの飢饉によって、何百万ものアイルランド人がアメリカに移住したといわれるが、人々をこれ以上移住させずに飢餓から守るためには、穀物を外国から輸入するしかない。そこで、保守党のピール首相は「穀物法」の廃止を打ち出した。

 これに同じ保守党のディズレーリが反対した。もっとも彼は「穀物法」の廃止に反対なのではなく、「穀物法を守る」という公約を掲げて選挙に勝利した保守党が、その選挙公約を破ることは間違っていると言って反対した。これでは穀物法に反対した自由党の公約を盗むことになる。したがって、保守党は野党である自由党に政権を譲り、政権党となった自由党の手で「穀物法」を廃止するのが正しい政治だと主張した。

 ピール首相は「わが党は議会で圧倒的多数をしめ、しかも私は女王の信任を得て首相になった。したがって、国家に必要な政策は、たとえ選挙公約に反しても断固として行う」と反論した。これにたいして、ディズレーリはこう述べた。

「もしも閣下が農村紳士の支持を得られなかったのならば、すなわち総選挙で勝たなかったのならば、君主は閣下に信任を授けられたでしょうか」

 ピール首相とディズレーリは一歩も譲らず大論戦を展開したが、結局ディズレーリの勝利に終わった。この論戦の中、保守党の代議士が次々と党を去り、ピール首相の保守党は少数派に転落してしまい、結局総辞職するしかなくなったからだ。

 これ以来、イギリス議会では「選挙公約は必ず守らなければならない。守ることができないときは、野党に政権を譲らなければならない」というしきたり(習慣法)ができた。さらに「国策は議会における言論によって決めるべきである」ということが明らかになった。ディズレーリがイギリス立憲政治の完成者だといわれるのはこのためだ。

 ひるがえって、日本の国会を見るとどうだろう。選挙公約は守られているだろうか。国策が議会における自由な言論によって決められているだろうか。それどころか、細川内閣や村山内閣のように、少数党の党首を首相に選んでだれもこれをおかしいと思わない国民不在、選挙民不在の政治がまかりとおっている。

 なおこのこの時代には、ディズレーリに劣らぬ大政治家がもう一人いる。自由党党首として4回も首相をつとめたグラッドストン(1809〜1898)である。彼は保守党の帝国主義植民政策には反対だった。植民地は財政負担を増加させる重荷に過ぎないとして植民地放棄論を唱えて帝国の拡大に反対し、内政問題に熱心にとりくんだ。

 教育法を制定して宗派に関係ない公立学校を増設したり、労働組合法を制定して労働組合運動を合法化した。1884年には第3回選挙法改正を行い、農業労働者及び鉱山労働者に選挙権を与え、これによって成年男子の大部分(700万人中500万人)が有権者となった。

 さらに、グラッドストンは、アイルランド人小作人の地位向上のためにアイルランド土地法の制定に取り組んだ。そして1893年にアイルランドに自治を認める法案を議会に提出したが、この法案は否決され、グラッドストンは翌年政界を引退した。こうしてビクトリア時代は幕を閉じたが、この時代にイギリスの立憲政治は二大政党制として確立した。日本にディズレーリやグラッドストンが生まれるのはいつのことだろうか。

(参考文献)「悪の民主主義」小室直樹、青春出版社
(参考サイト)http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/index.html


2004年03月30日(火) 最初の首相は誰か

 何事にも事始めがある。民主主義や資本主義といったものも、昔からあったものではない。歴史の中で生み出され、発展してきたものだ。今日は「内閣」や「首相」という制度がどのように生まれたのか、その歴史を調べてみよう。

 1688年にイギリスで「名誉革命」が起こり、翌年、議会は国王に「権利の章典(the Bill of Rights)」を認めさせた。これによって、王を任免する権利とあわせて、立法権、徴税権、軍事権が議会にあることが明らかになった。

 それでもなお行政は国王に委ねられていた。国王が任命した大臣たちが、議会と協同しながら行政を行っていたわけだ。国王も閣議に出席していたが、1714年に即位したジョージ一世の頃から閣議に出なくなった。そこで国王の代理として閣議を主宰する役職が必要となり、やがてその地位が確立されて「首相」という制度が生まれた。

 初代の首相と目されるのは、ロバート・ウォルポール(1676−1745)だ。1721年から1742年までその地位についていた彼は、内閣と議会を結び付け、王の政治に対する影響力を減らした。そして、下院(庶民院)が彼を支持しなくなったとき、彼は首相を辞任した。

 イギリスは習慣法の国だ。上院に対する下院の優位も成文法として明記されているわけではない。しかし、下院の支持を失った首相は辞任することが慣例として踏襲されている。これはウォルポールが、そのような前例をつくったからだ。そして下院の多数をしめる政党の党首が首相につくことが決まりになった。

 ところでウォルポールは何故、下院の支持を失ったのか。それは長期政権で政治の腐敗が進んだからだ。彼の有名な言葉に、「Every man has his price. 」(人それぞれに値段がある)というのがある。これは「賄賂の利かない人はいない」と訳される。ウォルポールは反対派を黙らせるのに、「言論」ではなく、「買収」という方法を用いた。たしかに「平和的」な方法ではあるが、これでは「金権政治」と言われても仕方がない。

 本当の民主主義はいうまでもなく、「言論」によって生まれる。言論の力で議会を動かし、政治を動かした代表的なイギリスの首相がディズレーリだ。イギリスの立憲政治は、ウォルポールに始まり、ディズレーリが完成したと言われている。明日の日記で、ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1804-1881)について書いてみよう。


2004年03月29日(月) 初秋

38. 障害者のいる店

 注文を取りに来た若い女の子は、たぶん知的障害をもっているのだろう。そのほか、ダウン症たど思われる青年が客にケーキを運んでいた。レジの前の年輩の女性は車椅子に坐っている。高橋文子をのぞけば、店員はだれもが障害を持っていそうだった。

 修一の会社にもかって障害者がいた。それは障害者雇用促進法という法律で、日本の企業は常用者の1.8%にあたる障害者を雇用しなければならないと定められているからだ。修一の会社は300人近い社員がいたから、五人か六人雇えばいいことになる。

 もっともこの比率を守れない企業は、不足人数一人につき月額5万円を国に納めればよかったので、ほとんどの企業はこちらをえらぶ。身体障害者、知的障害者の雇用率はそれほど高くないはずだ。そんな話を、葉子にした。

「お詳しいのね」
「いやね。商品開発部から今の部署に配置転換になるまえに、人事部にまわされたんだ。そこはすぐに辞めたけどね」
「まあ、どうして?」
「毎日首切りをする人間のことばかり考えなければいけないわけだ。それにうちの会社は10人ほど障害者を雇用していたんだが、これも全員解雇しなければならなかった」

 修一は人事部に籍を置いていたのは、わずか一ヶ月にも満たなかったが、そのあいだに、大規模なリストラがあった。それが終わったところで、修一は商品管理部へ転属になった。人事部を辞めたというより、任務が終わって、辞めさせられたというのが正しかった。しかし、修一の中では、「辞めた」という意識が強かった。

「人の首を切るのなんて、いやな役ね」
「そうだね。しかし、会社が生き残るにはそれしかないからね。生存競争に勝つためには、仕方がないんだよ」
「でも、このお店はいいわね。みんな気持ちよさそうに働いているもの」 

 たしかに、店員の表情が明るかった。障害者をこんなに雇って、それでも採算があうのか不思議だった。たぶんパートでやとっているのだろうが、いったいどのくらい時給をもらっているのだろう。高橋葉子がきたら、そのあたりのことも訊いてみたかった。


2004年03月28日(日) デモクラシーを支える教育

 アテネで民主主義が生まれた背景には、ペルシャ帝国との戦争がある。この戦争に勝つ抜くために、アテネの民衆は一丸となって戦った。そうしたなかで選挙権をもたなかった下層市民の発言権が増していった。ペリクレスの民主政治はこうした背景の中で生まれた。

 オランダで世界最初の市民革命が起こったが、これも強大なスペイン帝国との戦いに勝利することで、市民の団結が生まれたためだった。イギリスやフランスでは絶対王制に対する戦いの中で、民権の拡張が行われた。

 アメリカの場合は、大英帝国との戦いのなかで民主主義が形成された。アメリカの独立宣言が有名だが、しかし、この段階ではまだ民主主義とはいえない。選挙権が大土地所収者などの富裕階級に制限されていたからだ。

 当初アメリカが目差したのは小数の金持ちによる政治支配、すなわち「富裕階級による共和政治」であった。そして彼らは「民主主義」を脅威と感じ、嫌っていた。その証拠に、独立宣言にも、憲法にも、初代ワシントン大統領の就任演説のなかにも、「民主主義」という言葉は一言も出てこない。

 なぜ、彼らが民主主義を嫌ったのかといえば、民衆は無知蒙昧で、とても政治をする能力がないと考えたからだ。そうした貧しい民衆が権力を握ったら、社会が混乱するに違いないし、金持ち階級の様々な特権も剥奪されるに違いない。すべての成年男子に等しく一票を与える普通選挙など、とんでもないことだと考えた。

 この流れを変えたのが、貧しい開拓民の孤児アンドルー・ジャクソン(1767年〜1845年)だった。彼はスコットランド移民の子として生まれた。父親はジャクソンが生まれる前に溺死し、13歳で独立戦争に志願、帰ってくると母親も二人の兄も死んでおり、彼は天涯孤独となった。

 しかし逆境にもめげず、独学で法律を勉強し、21歳のときテネシー州ナッシュビルで弁護士を開業した。29歳で下院議員。翌年には上院議員。やがてはじまった米英戦争にテネシーの民兵を率いて参戦。華々しい戦果を挙げて米軍の劣勢をくつがえし、一躍英雄になった。そして、1828年に第7代大統領に就任した。
 
 従来の政治指導者はいずれも上流階級だったが、ジャクソンは貧しい開拓民の子供でしかも孤児だった。その彼が上流階級出身のアダムスを破り、貧しい庶民として「丸太小屋からホワイトハウスへ」と上り詰めた。こうしたことが可能になったのも、イギリスを相手にした困難な戦いがあったからである。

 やがてジャクソンを支持する人々は「民主党」と呼ばれるようになった。彼の指導のもと、政治は民主化され、さらには地方分権が進展した。各州で選挙制度改革が実現し、次々と財産資格が廃止されていった。たとえば彼が大統領になった年には24州中20州で男子普通選挙権が与えられた。ちなみにフランスでは1948年にやっとこれが実現している。アメリカは他国よりも100年も早くこれを実現した。

 とくにジャクソンの業績としてあげられるのは、教育制度の確立だった。「教育こそが民主主義を支える」という信念を持っていたジャクソンは、授業料なしで学ぶことができる公立学校をたくさんつくった。また高等教育にも力を入れた。1800年には24校しかなかった大学が、1860年には240校以上に増えた。じつに、ジャクソンの時代にその数が10倍も増えたのである。これはヨーロッパ全体の大学の数よりも多い。

 民主主義が成立するためには、庶民にまで教育が普及していなければならない。日本はすでに江戸時代に寺語小屋教育が全国に普及し、7割をこえる識字率を誇っていた。明治維新のあと急速な近代化が可能になったのはこうした庶民の教育水準の高さがあったからだ。デモクラシーは戦いのなかから生まれてきた。しかし、これを支えるものは教育である。民主主義は賢明な民衆によって支えられる。そうでなければ衆愚政治である。


2004年03月27日(土) 減税と戦争

 アフガン、イラクでの武力行使が続き、貿易赤字が4000億ドルをこえるなかで、ブッシュ政権は株式配当課税の撤廃などを柱とする10年間で約6700億ドル規模の大減税を押し進めている。減税の目的は「景気対策」だというが、クルーグマンによれば、これには全く別のねらいが隠されているという。

<ニューヨーク・タイムズ紙のダン・アルトマンが指摘するように、政権の一連の減税案は事実上急進的な右派が長年抱いてきた目標を達成しようとするものである。つまり、資産からの収入に対する課税をすべて排除しようとする動きである。それは賃金だけが課税されるシステムで、言い換えれば働いて得た収入は課税されるが、働かずに得た収入は課税されないというシステムなのである>(嘘つき大統領のデタラメ経済)

 クルーグマンは「公表されている政策目標がどうであれ、それだけで政策の意図が理解できると思ってはいけない」という。共和党の右派指導者たちは、景気が悪かろうが良かろうが、そんなことはお構いなしに、こうした資産家のための減税を押し進めようとしていた。「景気対策」というのは、その表向きのプロパガンダにすぎない。

<その本当の目的が何だったのかを把握することは別に難しいことではなかった。私が先に指摘したように、ラディカルな保守派は資本に対する課税の廃止を長年唱えてきた。実際、それがブッシュ政権が達成しようとしている目的である。したがって政策の真の目的を理解するには、その政策が国民一般に提案される以前に、それを立案した人々が何を達成しようとしていたかを探ればいいのである。これが何が起こっているかを理解する一般的な方法である>(同上。以下も同じ)

 どうようなことが、戦争についてもいえる。9.11テロが起こり、「テロとの戦争に勝利するため」ということで、アフガン戦争を始めた。さらに、イラクが「大量破壊兵器」を持っているということで、イラク戦争をはじめた。しかし、その真の目的は何かということはまた別である。その証拠に、戦争の理由がころころと変わっている。

<イラクとの戦争は、当初、アルカイダとサダム・フセインとの繋がりで正当化されていた。しかし、大変な努力にもかかわらず、そのような関係を裏付ける証拠は見つからなかったため、今度はサダムの核疑惑がその理由とされた。核疑惑によって、イラクとの戦争は正しいのだと穏健派の多くに思い込ませることができ、下院はブッシュ大統領の侵攻計画に青信号を与えたのである>

<だが、徐々にイラクの核疑惑は信用されなくなった。・・・・イラクがニジェールからウランを購入したという文書も、下手な偽造でしかなかったことが明らかになっている。しかし、その頃になると、ブッシュはイラクに民主的な政府を樹立することで、アメリカは中東地域に民主化の波を起こすことができるふうに訴えるようになっていた>

 ブッシュ政権の元テロ対策担当者、リチャード・クラーク氏は、24日に米議会の同時多発テロに関する独立調査委員会の公聴会で、次のように証言している。
「ブッシュ政権にアル・カーイダの危険性を何度も警告したが重視されなかった」
「9.11の直後、『イラクとの関連を見つけろ』と大統領から言われた」
「同時多発テロを聞いてすぐ、『イラク攻撃をすべきだ』とラムズフェルド国防長官は主張した」

 二日目の24日の証言では、クラーク氏はまず「同時テロ発生を防止しようと努力したが失敗した」と謝罪した。その上で、ブッシュ政権は「テロを重要だが、緊急ではない問題と考えていた」と述べ、脅威の認識が不十分だったと改めて批判し、「イラク侵攻で合衆国大統領はテロとの戦いを弱体化させた」とも主張している。こうしたクラーク氏の証言は、日本ではほとんど報道されないが、ヨーロッパではいずれもブッシュ政権の根幹を揺るがすものとして第一面で大きく報じられている。

<アメリカ人が何が起こっているかを見つめ、いかに善意と愛国心が利用されてきたかということを理解した時こそ、この国で一番大切なものが破壊されていくことを阻止できるかもしれない。いつ、そしていかにその時が訪れるのか、私には分からない。しかし、ひとつだけ明らかなことがある。それはアメリカ人全員が何が起こっているかという真実を見つめ、真実を伝える努力をしなければ、それは起こらないということである>

 クルーグマンはアメリカについて語っているわけだが、それはそのまま、日本にもあてはまることだ。この国でも「一番大切なもの」がいままさに、小泉政権によって破壊されようとしている。そして、これを阻止しようと思ったら、私たちはその「構造改革」という美名に隠された欺瞞をあばき、「真実」を伝える努力を惜しんではならない。

(注)ポール・クルーグマンは1953年にニューヨーク州に生まれている。マサチューセッツ工科大学教授、スタンフォード大学教授などをへて、現在はプリンストン大学教授。大統領経済諮問委員会の上級エコノミスト、世界銀行やEC委員会の経済コンサルタントを歴任した世界的な経済学者で、将来のノーベル賞候補に目されている。

(参考文献)
「嘘つき大統領のデタラメ経済」 ポール・クルーグマン、早川書房 2004年


2004年03月26日(金) アメリカのハートランド神話

アメリカ大陸の中心部に位置し、比較的農村部の多い州のことを、ハートランドというらしい。進歩的な両海岸の都市部に比べて、このあたりは伝統的に保守的な人々が多い。テキサス州出身のブッシュもハートランド人と言っていい。

 ハートランドには「古き良きアメリカ」があり、独立心と自尊心に富んだ、「真のアメリカ人」がいるといわれる。ブッシュ大統領がテキサス州のクロフォードにある農場を訪れるのも、「真のアメリカ人」に触れるためだと言っている。しかし、2002年2月にニューヨーク・タイムズに載ったクルーグマン教授のコラム(「嘘つき大統領のデタラメ経済」に所収)をよむとこれがいささかあやしい俗説に過ぎないことがわかる。

 たとえば離婚率はニュージャージーよりもモンタナの方が60パーセントも高い。私生児の率や殺人事件の起こる割合も、じつは沿岸部の進歩的な州よりも古き良きアメリカといわれるハートランドの方が高い。家族的価値や個人のモラルにおいて、むしろハートランドに厳しい統計ばかりが目につく。

 さらにハートランドが受けている援助は毎年900億ドルに達していて、とても独立心、自立心に富んでいるとはいえない。 たとえばモンタナ州の住民は連邦政府に払った税金の1.7倍もの補助を受けているという。つまりハートランドの人々は、より生産性の高い豊かな都市部の人々の援助によって家計をささえているわけだ。

<ニューヨークの議員達が200億ドルの援助資金を勝ち取るのに、いかに苦労したか覚えているだろうか。テロで打撃を受けた街の再建のためにすでに約束されていた資金だったにもかかわらずだ。それなのに最近、議会は農業に従事する人々に、今後10年間にわたって1800億ドルもの助成金を出すことを決定している。ニューヨークの人口は、アメリカ全農業人口のほぼ2倍にあたるというのに>

 なぜハートランドがこうした特別の扱いを受けているのか。クルーグマンはそれはアメリカの選挙制度の結果だという。たとえば上院議員の半数はハートランド州の出身だが、人口にするとたった16パーセントに過ぎないのだという。

 クルーグマン教授のコラムを読んでいると、これはそのまま日本にあてはまることに気付く。都市と農村の格差はいづれの国にもある。そしてそれがさまざまな政治問題を生んでいることも同じである。一票のもつ重みは万人に平等であることが望ましいが、この理想を実現するための方策となると、なかなか容易ではない。


2004年03月25日(木) 自由と民主主義の敵

「週刊文春」(3月25日号)が、「田中真紀子長女 わずか一年で離婚――母の猛反対を押し切って入籍した新妻はロスからひっそり帰国」と題して、田中真紀子衆院議員の長女の私生活に関する記事を3ページにわたり掲載した。

 これにたいして、長女の弁護士がプライバシー侵害だと東京地裁に仮処分を申請し、認められた。発売前の雑誌に出版禁止命令が出たのは極めて異例のことで、文春側はさっそく異議申し立てをしたが、東京地裁は、「表現行為の価値が被害者のプライバシーに劣ることが明らかである」として斥けた。

�,垢戮討旅駝韻蓮�個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(憲法13条、個人の尊重と公共の福祉)

�⊇顕顱�結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲はこれをしてはならない。(憲法21条、集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密)

 東京地裁は、13条で保障されたプライバシー保護を優先して、21条で保障された表現の自由の規制もやむをえないと判断したわけだ。これに対しては、さっそく日本ペンクラブ(井上ひさし会長)や雑誌協会が「出版・報道の自由を圧殺する事前規制であり、事実上の検閲である」と抗議声明を出している。

 元最高検公判部長で弁護士の河上和雄氏は「プライバシーは民主主義が保障するが、その民主主義は表現の自由がなければ成り立たない」と主張し、立正大学の桂敬一教授(ジャーナリズム論)も、「今回の判断は、『表現の自由』を『プライバシー保護』より下に置くものだ」と地裁の判断を批判している。

 こうした問題について、田中真紀子議員は政治家としてどう考えているのか。国会内で報道陣からコメントを求められたが、「きょうは何もお答えできません」と繰り返しているだけらしい。文春側は4月1日号で、「田中真紀子長女記事、小誌はなぜ報じたのか」と題する抗議声明を出し、その中で次のように主張している。

<言論の自由を揺るがせにし、事前検閲の復活にも繋がりかねない出版物の事前差し止めには、厳格な要件が必要であることは言うまでもない。八六年の最高裁判例に従えば、事前差し止めの要件には、「その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であること」と「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあること」の両方が必要なのである>

 私も問題になった文春の記事を読んだが、拍子抜けするほどつまらないものだった。むしろ同じ号に掲載されているジャーナリスト・落合博実の「国税庁の内幕−調査に震え上がった39歳年収七千万円のTVマン」という記事の方が衝撃的だった。国税庁の査察を武器にした役人の横暴が赤裸々に描かれていて、こんな記事を書いたら、役人の逆鱗に触れて、それこそ発行禁止になるのではないかと思ったものだ。

 これに類した官庁や政治家のあくどい手法を告発する記事を文春はこれまで何度も書いている。今回の出版禁止命令の背後には、こうして守勢に立たされた権力側の、「江戸の仇を長崎で打つ」というおぞましい思惑があったのではないか。むしろこう考えた方が問題の本質を見誤らないのではないかと思う。

 文春に限らず、最近のテレビ番組や雑誌・週刊誌の記事には、商業主義の傾向が顕著で、低俗で見るに耐えないものが多い。とくに個人の人権やプライバシー侵害に関して、マスコミは自分たちが加害者になりうるあやうさに無神経すぎる。これではマスコミ関係の人間に人権感覚がないのかと、見識や人格がうたがわれる。田中真紀子長女の離婚問題についても、これが「社会の公共性」の見地からなされたという文春の弁明は、とても信じる気になれない。

 しかし、今回の販売差し止めについて、その裁判所の一方的なやりかたは問題である。日ごろ野放しにしておいて、こうした強権的な方法で出版社に経済的損失を与えることは、占領下でマッカーサー司令部がよくやった手だ。これは言論統制に一番有効な手段であることは歴史が実証している。とかく「政治的中立性」が疑問視されている司法官僚の、こうした強権的な方法については、また別に批判する視点が大切だと思う。

 民主主義は「言論の自由」によって保障される。そして個人のプライバシーをふくむさまざまな人権も、民主的な社会であればこそ保障される。このことにに異論はない。しかし、それだからこそ、私たちは「言論の自由」の美名のもとに、市民の人権が侵害されるのを許してはいけない。自由を殺すものは圧政ばかりではない。自由にとってのほんとうの敵は、自由自身であることを、私たちは歴史から学ぶべきだろう。


2004年03月24日(水) 痛みの分かる人

 今月はじめ、オランダ在住のリヒテルズ直子さんから、とてもすばらしいHPの紹介をいただいた。そこにスマナ・バルアというバングラデシュのお医者さんのとてもいい話がのっている。今日はその中の一つ、「痛みのわかる医師の育成を」を紹介しよう。

<来月からフィリピン・マニラの世界保健機関(WHO)に医務官として赴任することになった。12年間お世話になった「第二の故郷(ふるさと)」日本をいったん去るにあたり、祖国バングラデシュのカレー料理ふうの辛口話を、あえて申し上げたい。

日本では、医学博士号を取得しただけでなく、多くの医学生を指導する立場にも恵まれた。各地の大学の医学部で学生相手に講演させていただくたびに、こう申し上げてきた。

「お金持ちになりたくて医者になるのですか。隣人としてあたりまえに、人間の世話をすることが目的でないなら、明日から医者を目指すのはやめて経済学部に行ってください」

学生たちは「何を言っているんだ、この外国人は」と思っことだろうか。

・・・・医師の資格を得たフィリピン国立大学医学部レイテ校では、病気の診断を聴診器と「聴心器」だけで診断できるようにならないと卒業できない。

「聴心器」とは、医師が患者の生活背景や心の内面までも理解しようと努める姿勢である。精巧な医療機器に検査を任せるだけでなく、一人ひとりの患者とじっくり向かい合う。それが医療の基本だと学んだ。

人間には、レントゲン写真や検査数値には現れにくい無数の「痛み」がある。その「痛み」をわかろうとする過程が医療行為であり、注射や点滴は技術の一面にすぎない。

しかし、日本の次世代の医療を担う医学生のほとんどは、その「痛み」を理解していないようだ。医療は特殊な訓練を積んだ医者にしかわからず、医者はふつうの市民とは違うという錯覚したエリート意識が見える。その結果、自分の周りにふたつの壁を築くことに夢中になっている。

ふたつの壁とは、医師の診断に患者は何も言えないという「白衣の壁」と、近所の「OOちゃん」も医学部を卒業して医者になると「OO先生」と呼ばれる「権威の壁」である。これらの壁が医学生だけでなく日本の医療社会全体を覆っている。>

 相手の痛みが分かるということは、人間の基本だ。しかし、庶民の痛みがわかる政治家、裁判官、官僚がどれだけいるだろう。私自身、生徒たちの「痛み」が分かる教師であったかどうか、この機会にスマナ・バルアさんの言葉をよくかみしめてみたいと思う。

(参考サイト)
http://www.hinocatv.ne.jp/~micc/Bab/21Fairwell.htm
http://www.hinocatv.ne.jp/~micc/Bab/01BabCover.htm
http://www.hinocatv.ne.jp/~micc/Bab/12-Roentogen-2.htm


2004年03月23日(火) 豊かな共生社会日本の危機

 日本は昔から共生原理のなかで生きてきた。幕末に日本を訪れた外国人は、「庶民だったら、日本に生まれるのがベスト」と書いている。その評価は今も変わらない。住みたい国の人気投票では第一位がカナダで、第二位が日本だという。

 たしかに、私たち日本人は世界一豊かで安全で平和な社会に住んでいる。現在の日本が、人類の歴史上いまだ実現したことのない世界の桃源郷であることは、統計が証明している。

�\こΠ譴猟梗�国である。
�⊆�然が豊かである。(森林率はフィンランドに続いて2位。まわりを海にかこまれ、海岸線はアメリカよりも長い)
�H蛤瓩�少なく、安全である。(最近多くなってきたが)
�ぐ貎妖�たりの国民所得が世界のトップレベル(世界一の座こそあけわたしたが)
�ド鷲戮虜垢�少ない(大きくなってきたが)
��失業率が低い(高くなってきたが)
�Ф軌蕕�普及していて、水準が高い。(大人の学力低下は問題だが)

 こうしたことが実現できているのも、日本が古来からの共生原理を大切に守ってきたからだ。しかしいま、小泉政権の構造改革でこれが一気に破壊されようとしている。この世界に先駆けて実現したすばらしい共生社会日本をアメリカに売り渡すことがいかに馬鹿げたことか、グローバリズムの名のもとに現在進行していることの愚かさ加減には腹が立つ。

 競争原理は共生原理の上に補完的に建てられることによって効果を発揮する。しかし、いま、これが根底から覆ろうとしている。日本をアメリカなみの、庶民にとって住み難い暴力的な世界にしようとしている。これをやめて、共生原理で生きてきた日本の良さをもっと大切にしたいものだ。

 経済復興も、アメリカ流の一人がちの競争原理では無理だ。「ワークシェアリング」を主体とした日本的共生原理に立つことで、日本は経済的にも文化的にも復活することができる。かっての15年戦争や、バブルの悪夢は大きな反省材料だが、これはどこの国の国民も経験するあやまちだ。私たちに求められているのは、これを反省材料にして、さらに道徳的に成長することだ。

 日本人は自分の国の歴史と文化に、もっと自信を持っていいのではないか。最近の悲観的な世情をみていると、そんなことを痛切に感じる。現在の私は、どちらかというと、「共生社会日本を守ろう!」という保守主義者の心情に近いのかも知れない。日本が世界にとっての「希望の国」であり続けてほしい。

 以前にも繰り返し書いたことだが、日本の宝は、�)�かで美しい自然、�∨�葉集を代表とする日本の共生的文化、�J刃揃�法の3つだと思っている。これを大切に守り育てたいものだ。これを足場にして、世界の平和と繁栄に貢献していくべきだろう。アメリカに追随するだけの日本に未来はない。


2004年03月22日(月) 初秋

37.文子の店

 コスモスははやっていた。5つのテーブルがすべてふさがっていたので、修一と葉子はしばらく待たなければならなかった。そのあいだにも、持ち帰りの客が次々とケーキやパンを買っていく。ショーケースの後ろの三人の店員が、そうした客をさばき、あと二人の店員がテーブルの客にケーキや飲み物を運んでいた。

 店の奥にはさらに何人かの従業員がいて、ケーキやパンを作っているらしい。思っていたよりも大きな店だ。5人の店員のなかで、3人が女性である。そのなかに高橋文子がいるのだろうか。あるいは奥にいるのだろうか。客がたてこんでいるので、店員を捕まえてきくわけにもいかない。

 10分ほどして、窓際のテーブルが空いた。
「蜜豆はありませんか」
 注文を取りに来た若い女の店員に訊いてみた。ショーケースの中にはなかったので無理かもしれない。店員はしばらく黙っていたが、いきなり大きな声で、
「おまちくださいませ」

 頭のてっぺんから出るような甲高い声だった。その少し特徴のある店員が引っ込むと、しばらくして奥から別の店員があらわれた。
「少し時間がかかりますが、よろしいですか」
「ええ。ところで、こちらに、高橋文子さんと言われる方がみえますか」
「私が高橋です」

 修一はさと子からもらった彼女の名刺を見せた。
「島田の友人の沢田修一といいます。こちらは島田の面倒をみている看護婦の山口葉子さん。今日はあなたにお話したいことがあってきました」
「それは、ようこそいらしてくださいました。しばらくおまちください」

 文子が去ったあと、修一は葉子と顔をあわせた。年の頃は葉子とおなじだろう。葉子よりもすこしふっくらとして色白の感じだった。
「島田に似ていると言えば、似ているね」
「そうかしら。私はそうは思えないわ」
 葉子の断定的な口調が、修一には少し意外だった。

 文子が島田の娘ではないとすると、愛人ということだろうか。しかし、愛人とするにはあまりにも若かった。いずれにせよ、今日はそこのところをはっきりさせたかった。葉子は少し顔を寄せて、
「このお店には、障害者が多いわね」
 葉子に言われて、修一はあらためて店員たちを眺めた。 


2004年03月21日(日) 好かれる人

 10年ひと昔というが、もう15年も前のことなので、書いてもいいだろう。離婚した同僚のSさんのことである。職員旅行で温泉に行ったとき、宿での雑談おり、年下のAさんが「どうも夫婦の関係がよくない。先輩、何かアドバイスをください」という。

 そこで同じ部屋の3人の先輩が代わる代わる夫婦和合の秘訣を語ることになったのだが、その中で、Aさんが一番期待したのが、Sさんの答えだった。なにしろSさんの奥さんはとびきりの美人で頭も良い。夫婦仲もよく、二人の子供を連れてよくでかけるらしい。

 そのSさんの答えはとても単純明解で、ずばり「セックスで満足させる」というのだ。「SMとかもするの」という冷やかしの問いかけに、Sさんは真面目そのものの表情で、「あたりまえだよ。なんでもするんだ。一生懸命、誠意を尽くしてがんばるしかない」と、だんだん悲壮な表情を帯びてきた。

 Sさんの美人の奥さんを知っていた私は、おもわず卑わいな空想をして、にやにや笑って聞いていたが、みるとAさんは真剣に耳を傾けている。Sさんに聞かれるまま、Aさんはいろいろと夫婦生活の内情を告白し、「そんなことではとうていだめだ」というSさんのアドバイスに何度もうなずいていた。そしてAさんばかりでなく、私たちもSさんの気迫に押されて、「明日からがんばってみようか」という気になってきた。

 ところで、これには二つの後日談がある。一つは無事Aさんが夫婦の危機を乗り越え、その後も幸せな夫婦生活を続けているというハッピーエンドであり、もう一つはそれから1年もしないうちにSさんの美人の奥さんが、幼稚園児の二人の子供を置いたまま家を出て、とうとうSさんと離婚してしまったということだ。

 Sさんの離婚の真相はわからない。しかしSさんはすっかり元気をなくし、別の高校へ転勤してしまった。うわさでは、向こうの職場でもしょぼくれてるということだったが、それからしばらくして、Sさんが再婚したという話がとびこんできた。なんでも職場結婚で、相手は若い英語の教師だという。そしてすっかり元気になったSさんは、また持論を復活させて、しっかりがんばっているらしい。

 Sさんはどうしてそんなにもてるのか。小柄で痩せていて、風采も上がらず、これという取り柄などとくにない男だが、それだけに一緒にいて、何となく安らぎがもてる。こちらのプライドや自我が傷つくこともなく、日溜まりの縁側に寝ころんでいるようで、居心地がいい。おそらく、それは女性も同じで、とくにプライドの高い女性にとって、彼は普段着の自分をさらけ出せるくつろぎのベンチであり、やすらぎのベッドなのかも知れない。

 しかし、それでは何故、彼は離婚したのだろう。ある友人の説では、「がんばりすぎたせいだろう」とのことだが、これはばかりは本人に聞くわけにもいかず、いまだに謎である。

 一般に、人から好かれるには、次の三つの戦略があるといわれている。
�.好拭爾砲覆襦兵�分の優秀さを見せつけて、尊敬させる)
�▲曠好函Ε曠好謄垢砲覆襦並佚�な立場で話をよく聴き、共感する)
��コメディアンになる(自分を低くして、滑稽なことをいい、優越感を与える)

 ��はピエロのようで淋しいし、�,脇段未丙庸修坊辰泙譴覆じ造蝓△覆�なか大変だ。お薦めはいうまでもなく�△離曠好函Ε曠好謄浩鑪�であろう。人に好かれる要素は、ルックスや優秀な頭脳ばかりではない。むしろそうしたもろもろの美点は、人を安心させない。むしろ多くの場合、警戒心を与え、人を遠ざけ、敵をつくる。私たちの人生に必要なのは、さまざまなことに共感し、心の通いあう、ごくふつうの隣人なのである。

 私がSさんから学んだのは、「セックス戦略」ではなく、この「ホスト・ホステス戦略」である。おかげで、私たち夫婦はとても円満で、よき友人である。よき友人でしかないところが、ちょっとさびしいのではあるが・・・。


2004年03月20日(土) 虚構の戦争神話

年度末になると、あちこちで道路工事が目に付く。公共事業の予算を消化するためだと聞いたことがあるが、真偽はわからない。おそらくそうではないかと思っている。というのも、以前は、学校でもそうしたことが普通に見受けられたからである。

 たとえば、バブルの頃は年度末になると、管理職から毎年のように、「県外出張に行きませんか」と声がかかった。そこで日程をやりくりして、一泊二日で出かけることになる。行き先は私の場合、東京の国立国会図書館が多かった。

 そこで「数学史」の勉強をした。たとえば「和算」についての文献を読み、論文を書いた。それを学校の「研究紀要」に発表したりしたものだ。おかげで、日本や世界の数学史について、かなりの知識をため込むことができた。

 国会図書館には過去の雑誌や新聞などもそろっている。そこで数学史の勉強の合間に、そうした過去の資料に目を通した。とくに私が興味を覚えたのは昔の新聞で、自分が生まれた日にどんなできごとがあったのか調べてみたりした。そして戦前戦後の新聞や雑誌にも目を通すようになった。

 そうすると、いろいろな発見がある。いつか専門の数学史の勉強よりも、こちらの方が面白くなった。もともと昭和史、とくに15年戦争については関心があったので、そうした資料を読みながら、いろいろと自分の頭で考えることが多くなった。そうすると、これまで考えていた戦前の歴史とはいくらか違う歴史像がいやがうえにも浮かび上がってきた。

 それまでの私は、日本の侵略戦争は軍部独裁のもとに、天皇制を絶対化し、赤紙一枚で無知で従順な民衆を徴兵して行われたものだと思っていた。戦前には言論出版の自由もなく、もちろん政治的自由もなく、一部の社会主義者を別にすれば、多くの国民は教育によって洗脳され、いやおうなくあの愚かしい戦争にかり出されていたのだと考えていた。

 しかし、当時の新聞や雑誌を読むと、かならずしもそうではない。知識人は大胆に軍部を批判し、議会でも活発な議論が行われていた。また、普通選挙が世界に先駆けて行われ、総選挙のたびに無産階級の政党(社会大衆党)が国会議員の数を倍増させていた。

 15年戦争がはじまる直前まで、ジャーナリズムは国民とともにおおくの政治的自由を手にしていた。そして、戦争が始まると、ジャーナリズムは国民とともにこれを歓迎し、世論は戦争と軍部賛美一色に塗りつぶされて行った。

 こうした資料に基づいて、私が下した結論は、一口でいえば「戦争責任は国民ひとりひとりが負うべきである」ということだった。そしてこの日記でもこの主張を繰り返し、「何でも研究室」の「国民の戦争責任」に対話集としてまとめてみた。しかし残念ながら、この6年間は国会図書館に足を運ぶ機会がなかった。したがって、私のこの主張を当時の資料に基づいて、実証的に学問的に展開することができなかった。これはとても片手間に出来ることではない。私の手に余ることだった。

 今年になって、「戦争を語り継ごうML」に投稿された、浅田明さんの「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書、2004年)の紹介文(no more war 5080)を読んで、私はとてもうれしくなった。専門の学者がようやくこれを果たしてくれたことを知ったからだ。その専門家とは、東京大学名誉教授の坂野潤治氏である。まさに日本近代政治史の専門家であり、権威なので、これ以上の適任者はいない。著作から引用してみよう。

<昭和10年に美濃部達吉の天皇機関説が攻撃され、彼の主要著作が発売禁止になって以後、あるいは翌11年の2・26事件以後、日本国民は戦争とファシズムに向かう世界や日本国内の動きについて、全く情報が得られず、またそれらの動きに反対する意見表明の自由を全く持てなくなった、と今でも信じている人が少なくない。日本国民が昭和12年7月の日中戦争を阻止できなかったのは、言論と言論の自由が無かったからであると、今でも信じているのである>

<しかし、これは当時の資料を直接読まなかったという怠惰の結果作られた、誤った「伝説」にすぎない。戦争が始まる前には、反戦を説く自由も、反ファシズムを唱える自由も、全く無制限とは言わないまでも、存在しており、事実多くの政治家や知識人は、内務省検閲の網をかいくぐって、国民に情報を伝え、反戦・反ファシズムを呼びかけていたのである。いったん戦争が始まってしまえば、反戦・反ファッショの言動は禁止されるが、そのことは、報道の自由が無かったから戦争が始まったことを意味するものではない>

<報道の自由、批判的言論の自由を奪われ、軍部の無謀な戦争計画を知らされていなかったから、日本国民はあの戦争に反対できなかったという「戦後神話」は、全くの虚構なのである>

 坂野さんはこうした神話が生まれたのは、<当時の資料を直接読まなかったという怠惰の結果>だという。しかし、いくらこうした資料を読んでいても、思いこみが強ければ、真実は容易に見えてこない。一つの神話がようやく崩されようとしている。しかしまだまだたくさんの「神話」がこの日本には生きていて、私たちはそれに縛られて生きているのだろう。


2004年03月19日(金) 初秋

36.観覧車の思い出

 修一が福井のデパートの屋上で蜜豆を食べたのは、小学校に上がる少し前のことだった。デパートでランドセルを買ってもらったのを覚えている。父と母と三歳年下の弟と一緒だった。屋上には観覧車が動いていた。

 日差しはあたたかだったが、風の強い日だった。蜜豆を食べながら、母が「太陽と北風」の話をしてくれた。修一は食べ終わるとスプーンを舌先できれいになめて、母に叱られた。修一はスプーンを目に近づけて、そこに写った観覧車を眺めた。

「観覧車にのるか」と父に誘われて、修一はうなづいた。母と弟をそこに残して、二人は観覧車に乗った。福井の街が足許にひろがり、修一は鳥になったような気分がした。途中、風が強く吹いて観覧車が止まったが、とくに怖いとは思わなかった。止まった観覧車から下を見ると、母と弟が見上げていた。修一が手をふると、弟も手をふった。

 中学生の頃、小学生の弟と二人でデパートに遊びに来たことがあった。村からバスに乗り、丸岡で電車に乗り換え、福井についた時にはお昼近くだった。デパートの食堂でオムライスを食べ、屋上の遊園地に来た。

 やはり観覧車が廻っていて、修一は弟と二人で乗ったが、すぐに後悔した。もし観覧車が落ちたらどうしょうと思ったからだ。死ぬかも知れないし、死なないまでも大けがをして弟と二人で寝たきりになるかもしれない。数ヶ月前に母が屋根から落ちて寝たきりになっていたので、その不安がよけいに強く迫ってきた。

 観覧車から降りたときには、修一は真っ青な顔をしていたようだ。係員の女性から、「大丈夫ですか」と声をかけられたのを覚えている。修一が高所恐怖症になったのは、このときからかもしれない。

 信号が青に変わって、人々が動き出し、修一はわれに返った。角を曲がった先に高橋文子が勤めている店がある。修一と葉子の足取りが少し速くなった。修一は久しぶりに蜜豆が食べたくなった。


2004年03月18日(木) マラトンの戦い

 高橋尚子さんがアテネオリンピックのマラソンに出られなくなった。オリンピック二連覇の夢がかかっていただけに残念である。しかも、舞台はギリシャだ。オリンピック発祥の地である。

 いうまでもなく、マラソンは「マラトンの戦い」に由来している。BC489年9月12日、ペルシャ王ダリウスは2万人もの大軍を率いてギリシャのマラトンに上陸した。迎え撃ったのはミルティアデス率いる約一万のギリシャ重装歩兵たち。ギリシャ軍の果敢な攻撃に前にペルシャ軍は大敗した。

 戦勝の報告のために兵士ペイディピアデスはマラトンからアテネのパンテノンまで42キロを駆け抜けた。そして、パルテノンにたどり着くと、「われ勝てり」と一言叫んで息絶えたという。これを記念して、マラソンという競技が生まれた。

 ところで、「クレオパトラの鼻が低かったら世界の歴史は変わっていただろう」というパスカルの言葉がある。しかしこれは真っ赤な嘘である。別にクレオパトラやとシーザーがいようといまいと、世界の歴史の大勢は変わらなかっただろう。しかし、マラトンの戦いでもしアテネが負けていたら、それこそ世界史はまったく変わっていただろう。

 プラトンもアリストテレスもユークリッドもアルキメデスも、その他もろもろの偉大な知性は生まれなかっただろうし、自由や民主主義という理念も生まれなかった。パルテノン神殿も建たなかったし、アレクサンダー大王も生まれなかった。ヘレニズム文化そのものが成立しないので、もちろんエジプトにギリシャ人の女王が生まれることもなかっただろう。

 ギリシャの植民地カルタゴも生まれなかっただろうし、ギリシャ文明の継承者であるローマ帝国も生まれなかった。ギリシャ語で書かれた聖書も存在しないだろうから、キリスト教そのものが存在したかどうかもわからない。

 ルネッサンス(文芸復興)はもちろん存在しないし、そうすればダンテもミケランジェロもダビンチもガリレイの「天文対話」やデカルトの「方法序説」パスカルの「パンセ」も存在しないだろう。ニュートンもカントやゲーテも存在せず、つまり、西欧文明自身が存在しないことになる。そして私が高校で数学を教えることもないわけだ。こう考えてくると、マラトンの戦いこそ、人類史の分かれ道、まさに「世界史が動いた瞬間」だと言える。

(参考サイト) http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/index.html


2004年03月17日(水) 九九の得意な日本人

 数年前のことだが、ブレア政権の教育担当大臣のスティーブ・バイアーズ氏が、イギリスのラジオ番組で、「最近の生徒は暗算が出来ない。算数を毎日一時間は勉強しよう」と訴えたことがあった。そのとき司会者が、「それでは大臣にお訊きしますが、7かける8はいくつでしょう」と訊いた。

 大臣は「54です」と答えたが、これはいうまでもなく、「56」のまちがい。過ちを指摘された大臣は、「私も毎日算数を勉強します」と答えたという。イギリス人は日本人のように学校で九九を暗唱させられることがない。九九の表はあるが、それは暗唱するものではなく、そうした表を暗記する習慣もないようだ。

  昭和21年、アメリカの教育視察団が日本にやってきて、小学2年生の授業を参観したとき、「九九」を教えているのを見て、「こんな小さい子供たちに、こんなむつかしいことを教えている」と大いに驚いたという。アメリカでも九九の表はあるが、その表を全部暗記させるなどということは考えていないようだ。これはフランスやドイツでも同じで、多くの欧米人は「足し算」はできるが「かけ算」はできない。

 若草の新手枕をまきそめて
 夜をや隔てむ二八十一あらなくに

 これは万葉集巻11−2542の歌である。「二八十一」は「にくく」と読む。万葉集では「十六」と書いて「しし」、「二二」とかいて「し」と読ませたりしているが、これは言うまでもなく「九九」を使った遊びである。万葉の時代から「九九」は日本人に親しまれていた。

「九九」の発祥の地の中国では、すでに紀元前八世紀の故事に、「九九」ができることを武器に仕官しようとした男の話が出ている。「九九くらいできてどうする」という相手に、「九九ができるくらいで仕官できると噂がたてば、大勢有能な人がこの国にやってくるでしょう」と持ちかけて、無事仕官したというのである。「九九」ができることは古代中国ではそう珍しいことではなかったようだ。

 こんどのサミットで小泉首相は各国の元首に、「7かける8はいくつですか」と訊いてみてはどうだろう。ブッシュ大統領やブレア首相などはおそらく立ち往生するのではないだろうか。「日本では小学生が全員こたえられますよ」と言って、小泉首相自ら英語で暗唱してみせれば、一同感心してくれるかも知れない。

 もっとも、フランスの大統領から、「なるほど日本の子供たちは優秀なようですが、大人達の学力はぱっとしませんね。OECDの学力調査では、日本人の大人は原子と分子のどちらが大きいかも知らないというではありませんか。日本の大人たちは子供たちに塾に通わせながら、自分たちはパチンコばかりしているのですか。フランスの大人達は九九は言えませんが、ユークリッドの背理法は知っていますよ」と逆襲されるかも知れない。数学者の秋山仁さんもこう書いている。

「若者の理数離れといわれますが、実は大人の学力低下の方が深刻なのです。小・中・高生は国際学力比較において上位に位置していますが、OECDが行っている一般人に対する理科の理解度調査などでは、日本はほとんど最下位に近い。若者の学力低下を心配する前に大人が勉強すべきです」(「週刊朝日」2004年3月19日号)

 秋山さんは「ゆとりの教育が物議を醸していますが、知識詰め込み型で学んだ大人の学力の方が低いことも考えさせられるところです」と述べている。かけ算ができることはすばらしいことだと思うが、世の中には他にも学ぶべきことはある。そうした「学びの心」をどう育てていくか、そしてそれをどう「生涯学習」に結びつけていくか、これからの教育の課題だろう。

(参考文献) 「誰が数学嫌いにしたのか」 上野健爾二、日本評論社


2004年03月16日(火) 政治的公正とは何か

 1985年10月7日から「ニュースステーション」が始まった。久米宏、小宮悦子、朝日新聞編集委員の小林一喜、東京銀行のサラリーマンから転じた若林正人。私は今はほとんどテレビは見ないが、10年くらい前までは、よくみたものだ。ニュースステーションも定番の一つだった。

 久米宏はスタート当初から「中学生にでもわかるニュース番組を」というポリシーを持っていたという。「さて」「ところで」といった決まり文句は使わず、あくまで自分の言葉で簡潔に表現する。むつかしい専門用語もわかりやすい話し言葉でポイントを押さえた解説する。地図やグラフを多用するが、統計の数字もたんなる羅列に終わらせず、その意味をはっきりさせて、イメージがもてるようにする。論点を絞り、明解さを心がけて、結論を曖昧にしない。そしてその姿勢はあくまで、「権力」に批判的である。

 「ぼくは、社会党が政権を取ったら、アンチ社会党になりますから。これは間違いないです。共産党が政権取れば、アンチ共産党です。だいたいマスコミが政権と同じところに立ったら、めちゃくちゃですから、その国は。なぜ反自民かというと、政権を取っているからです。それ以外には、理由はないですね」(「アサヒ芸能」1992年5月14日号)

 久米のこうした姿勢は当然、権力の側の反発をうむ。放送法には「政治的公平、報道は事実を曲げないですること」といった規定がある。特に「政治的公正」ということで、ニュースステーションは何度もやり玉に挙がった。

 総選挙期間中の昨年11月4日、民主党の影の内閣の名簿が発表されると、ニュースステーションは20分かけてとりあげた。自民党がこれに怒り、「放送倫理・番組向上委員会」に審理を申し立てるとともに、テレビ朝日の番組への出演拒否を宣言。11月9日の開票番組には自民党執行部ばかりか公明党執行部までもが出演を拒否するという異常な事態になった。

 2月19日、広瀬社長が謝罪し、役員を含む関係者の処分を行ったが、自民党はいまだに執行部役員の出演拒否を続けている。そうした中でテレビ朝日は民主党の議員の学歴詐称や秘書疑惑について、他の民放よりもかなりの時間を割いてこれを詳細に報じてバランスをとり、「政治的公正」の基準を満たそうとしている。これについて、カルフォルニア大学のロナルド・モース教授(日米関係論)がこんな発言をしている。

「アメリカのメディアは政治的な立場をはっきり打ち出すが、日本のメディアは中立であるフリをして、裏では違う。日本独自の記者クラブは国民に本当の情報を流さず、むしろ国民に情報を流さないシステムになっている。政府や政治家が記者クラブを通じて情報をコントロールするからだ。日本国民ほど自分の国と世界で本当は何が起きているかの真実を知らされていない国民はいない」(「週刊ポスト」2004年3月12日号)

 久米宏自身は、「テレビは嘘だらけ」「テレビで事実を伝えるなんて不可能だと思ってます」と常々公言している。「政治的公正」という建前のもとで、何が行われているか、それは270名もの郵政官僚が放送局に天下っていることからもあきらかだろう。この3月で18年間続いた久米宏のニュースステーションは終焉を迎える。巨大メディアから、またひとつ庶民派の番組が消えていく。自民党も「テレビ朝日」も、さぞかしほっとしていることだろう。
 
(参考サイト)http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/index.html


2004年03月15日(月) 初秋

35.秋の日差し

 テレビ塔から降りて、二人は「コスモス」の方に歩いた。店は先ほど確認してあるので、迷うことはなかった。葉子も店を確認済みらしく、足取りに迷いはない。修一は葉子に従うように歩いていった。信号待ちで、二人の足が止まった。

「今朝、島田さんに、コスモスという店、知っていますかって訊いたのよ」
「それで」
「首を横に振るの。高橋文子という名前にも心当たりはないようよ」

 葉子は島田の記憶喪失を疑ってはいない。島田の記憶喪失が装われたものかもしれないというさと子の言葉は葉子に伝えてなかった。ただ文子が島田の娘ではないかという疑問は言ってある。顔が似ているというのだが、他人のそら似ということもある。葉子がどう判断するか興味があった。

「島田とは長いつきあいだけど、この十年間はあまり会っていなかったからね。不動産の商売が落ち目だということも、本人は何も言わなかったよ。他人のことは心配していろいろ訊いてくるくせに、自分のことはあまり話さないから、得体の知れないところがある」

 修一は信号を待ちながら、病室の島田のことを思い出していた。ほんとうに記憶喪失なのか、ただ装おっているだけなのか、島田のことは疑い出せば切りがなかった。たしかに得体の知れない人物かも知れなかった。

 葉子はだまって聞いていたが、何か思いだしたように、
「そう言えば、島田さん、甘党だったわね」
「そうだったかな」
「病院の給食で蜜豆がでたとき、おいしそうに食べていたわよ」

 葉子の言葉が、修一に忘れかけた記憶を甦らせてくれた。それは、幼い頃、両親に連れられて行った福井のデパートの屋上の遊園地で、はじめて蜜豆を食べた日の思い出だった。修一は秋の日差しに目をほそめて、白い雲がうかぶ空を眺めた。


2004年03月14日(日) システムに忠実な日本のエリート

 民主党の西村真悟衆議院議員が、超党派の国会議員でつくる「教育基本法改正促進委員会」で、「国のために死ねる日本人を生み出す」という趣旨の発言をしたという。こうした「愛国心が必要だ」という発言を繰り返し聞かされていると、善良な国民は政治家や官僚はさぞかし立派な愛国者だろうと思い、自らの愛国心のなさを申し訳なく思ったりするのではないだろうか。

 そうでなくても、私たち庶民は「お上はエライ」というエリート崇拝神話をもっている。東大の法学部を優秀な成績で卒業し、アメリカのエリートがあつまるハーバード大学で学んだなどという輝かしいキャリアを聞かされれば、彼らはまったく雲の上の人たちで、私たちとは頭の構造が違っていて、私たちの知らない高級な知識を持ち、また道徳心やマナーもひときは秀でていると思いこむ。

 政治評論家の森田実さんによれば、現在日本の省庁の次官や部長、課長といったレベルは、ほとんどアメリカのハーバードやエールといったエリート大学の出身者で占められているという。ヨーロッパの大学ではだめで、アメリカやイギリスのエリート大学でなければ出世レースに参加できないし、たとえ参加しても生き残れないのが現状らしい。

 国会議員の学歴詐称が問題になっているが、小泉首相にしろ阿部幹事長にしろ、二世、三世議員のほとんどはアメリカやイギリスの大学に留学した体験を持っている。内実は留学などと言う立派なものではないようだが、私のように一度も外国の土を踏んだ経験が者からみると、それはそれで大した学歴だと思い込む。そしてこうした国際感覚に秀でた官僚や政治家達に政治をまかせておけば、まあ、大丈夫だと考える。

 これは私に限らず、大方の日本の庶民が思っていいることではないだろうか。日ごろは「馬鹿な奴らだ」とエリートを口先で軽蔑していても、深層心理ではこうしたエリート崇拝のコンプレックスを持っているのがふつうである。とくに日本人は肩書きや権威に弱く、そうした立場に立つ官僚や政治家、大学教授の意見はとくに重みがあり、重大なものだと考える傾向がある。

 これを助長しているのが日本の教育で、教師のいうままに教科書や参考書に書いてある知識を覚え込むことが大前提になっている。与えられた知識をうたがわず、与えられた解法を正確にマスターして、迅速に試験問題を解くことができた出来た生徒が自他ともに認めるエリートである。権威を疑い、自分の頭で考えるという本来の学問のもつべき姿がどこにも見当たらない。こうした教育的な風土の中で、私たち庶民は育てられ、そのなかからエリートが選別されている。

 したがって、日本人は庶民もエリートも、与えられたシステムの中でしか実力を発揮したことがなく、そうしたシステム順応型の問題解決能力しか養成されていない。システムを疑い、システムを改革するという、ほんとうに独創的なことは苦手なのである。それは「権威にたよらず自ら考える」という自立的な思考訓練をうけていないからだ。こうした学問的訓練を受けず、経験もない日本のエリートが支配する社会も又、まったくシステムに順応するだけの保守的なものにならざるをえない。

 システムを自ら考え、創造することができない日本のエリートは、結局今あるシステムをどこまでも押し進めるか、または彼らがもっとすぐれていると考えるシステムを借りてきて、これを金科玉条とするしかない。「愛国心」や「グローバリズム」に対する偏愛ぶりにこうしたメンタリティを濃厚に感じ取ることが出来る。

 以上に述べた日本の知的エリートの代表として、たとえば竹中平蔵金融大臣の場合をとりあげてみよう。彼は1951年、和歌山県生まれで、73年に一橋大学経済学部卒業し、大阪大学助教授、ハーバード大学客員准教授、米国国際経済研究所客員フェローなどを経て、慶應義塾大学総合政策学部教授になった。2001年4月、小泉政権誕生とともに鳴り物入りで大臣に抜擢された。

 彼の表の経歴はよく知られているが、その他に、アメリカのヘリテージ財団の研究員だったという特殊な経歴がある。この財団は1970年代から80年初頭にかけてアメリカ経済が、日本経済に押されて疲弊したときに、いかに日本経済を叩き潰すかを研究していた機関である。その研究員だった竹中氏が今日本の金融行政のトップにいるということは、一体どうしたことだろうか。

 竹中大臣は自分を売国奴だとは思っていないだろう。グローバルスタンダードしか日本に生きる道はないと信じているはずである。そのためにはアメリカの金融政策に協力し、日本の銀行をアメリカ資本の支配下におくしかないと考える。私はこれはとんでもないことだと考えるが、竹中氏はそう考えない。それはアメリカのシステムが最高のものだと、アメリカ留学中に信じこんだからである。

 竹中氏の描く日本再生シナリオはまったくアメリカのヘリテージ財団の受け売りでしかないが、しかし、これは日本のエリートをアメリカのエリートなみの特権階級にする「おいしい戦略」であることは確かだ。日本のためにもなるが、自分のためにもなる。そして世界のためにもなると、竹中氏を代表とする多くのアメリカ留学組のエリートが考えはじめている。いまや、日本の省庁はアメリカ政府の一部だと言っていいだろう。

 ローマ帝国は異民族を征服し、そして異民族のなかに特権階級を作り出し、彼らにローマ市民の資格を与えた。こうした分断による統治は、ローマ帝国から大英帝国へと、そしてアメリカ帝国へと受け継がれている。アメリカに留学し、そこで「特権階級」としてとほうもない極楽体験をした日本のエリートたちが、その極楽を日本にも実現させたいと考えるのは不思議ではない。

 しかし、私たち庶民までがその尻馬にのることはない。180万人もの囚人がいて、砂漠の国イラクで毎日何人もの兵隊が死んでいるアメリカが、庶民にとってどんなにつらい国か忘れないでおこう。


2004年03月13日(土) アメリカのハゲタカ戦略

 私は大学・大学院で物理を勉強した。高校の教師になってからは生物や化学、数学も教えている。というわけで、どちらかというと私の頭は理系にできている。理系の頭というのは、論理的・実証的にものごとを考えるということだ。

 さらにもうひとつ理系的な思考の特徴をあげれば、現象の背後にあるものを探求しようとすることだ。たとえば気象異常が生じた場合、何故それが起こったのかを追求する。そして、異常現象が起こるしくみを明らかにしようとする。

 自然現象の背後には、その現象を生じさせているカラクリが存在する。論理的・実証的な方法で、そのカラクリを明らかにすることが、つまり自然科学が行おうとしていることだ。たとえばニュートンはリンゴが地面に落ちるのに、なぜ月は落ちないのか、そのからくりを明らかにした。アインシュタインはなぜ太陽が何十億年ものあいだ輝き続けることができるのか、そのカラクリをあきらかにした。このカラクリを知ることによって、人工衛星が生まれ、原子力発電所や原子爆弾が誕生した。

 同様の探求は経済現象や社会現象にも適用することができる。マルクスは「資本論」でみごとに資本主義社会のカラクリを暴いて見せた。ケインズはなぜ、恐慌が起こるのか、その仕組みを解明し、これを克服する手段を提示した。

 カラクリを知ることで、私たちはなぜそうした現象が起こるのか理解することができる。理解という言葉は、英語でアンダースタンディングというが、まさに現象の背後にあってこれを支えているものという意味である。「理解」によって物事が起こってくるしくみが分かれば、これをどう変えていったらよいかということも分かってくる。

 現在の世界経済は、米国債本位制というドル環流システムのもとで動いている。これはアメリカがベトナム戦争を乗り切り、共産主義陣営との冷戦に勝利するためにつくりだした世界支配のしくみである。そしてこのしくみは冷戦が終了したいまも健在で、ますます歯車の回転を加速させようとしている。

 しかし、米国債本位制は今、曲がり角に立っていることも事実だ。ひとつには、これによってアメリカやその忠実な同盟国である日本の財政赤字がとほうもなく膨らんでしまったことである。このまま突き進めば、いずれ近いうちにアメリカも日本も国家破産することになる。

 もちろん、こうした最悪のシナリオは回避しなければならない。そこで、つぎにこの危機を回避するためのシナリオ(戦略)を発動させなければならない。そのシナリオとは、デフレ経済のもとで不良債権を増大させて、日本の銀行や生命保険会社をつぎつぎと破綻させ、これをアメリカの銀行の支配下に置くというシナリオである。つまり、こうすることで、1400兆円の日本の個人金融資産をまるごといただこうというおいしい作戦なのだ。これによって、少なくともアメリカは国家破産を免れることが出来る。

 アメリカのこうした危機回避シナリオが着実に進行していることは、たとえば「りそな銀行」のケースを見ればあきらかだろう。2003年5月17日、ブッシュ大統領も訪日を9日後に控えたこの日、小泉首相はりそな銀行への2兆円規模の公的資金注入を決めた。政府はこうして経営権を握り、不良債権を処理して身軽にした上で、アメリカのハゲタカファンドに二束三文で売り渡すわけである。

 その先例はいまや十指にあまるが、代表的なのは2000年2月に4兆円あまりの公的資金を注入された日本長期信用銀行(現新生銀行)や2000年8月に3兆5千万円を注入された日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)だろう。前者はリップルウッドホールディングス、後者はサーベラスというアメリカのハゲタカファンド(投資会社)に二束三文で売られている。アメリカのこうしたハゲタカ戦略についてわかりやすく書かれた森永卓郎さんの近著「庶民派経済学」(実業之日本社)のなかから引用しよう。

<1998年に金融危機に陥った韓国では、GDPの3割にもおよぶ公的資金を注入し、金融再編を行った。そして、最終的には6大銀行のうち5つが、過半の資本を外資に握られる事態に至った。竹中大臣が中心になって策定された金融再生プログラムは、この韓国の金融改革を手本にしていると言われる。だとすれば、りそな銀行の実質国有化は、日本のメガバンクが外資の手に落ちて行く、ファーストステップだと評価できるのではないだろうか。・・・5月に行われた日米首脳会談で、ブッシュ大統領は終始、上機嫌だったと伝えられている。小泉首相の手土産を、ブッシュ大統領は心から喜んだに違いない>

 こうしたアメリカの戦略は、もちろん日本政府とりわけ「日銀」の協力がなければ成り立たない。また森永さんによると、驚くべき事に、アメリカのハゲタカファンドには日本の資本がかなり入っているのだという。つまり日本の政官業の三者がアメリカと共謀して、こうした日本売国戦略をおしすすめているわけだ。日ごろ何かというと愛国心や道徳の必要を説く彼らのこの常軌を逸した行動をどう説明したらよいのか。明日の日記で、その謎の真相に迫ってみよう。


2004年03月12日(金) 初秋

34.仙崎への旅

 葉子の話によると、金子みすヾは本名を金子テルといい、明治36年に山口県の仙崎に生まれたのだという。20歳の頃から「童話」や「金の星」などにすぐれた作品を発表し、西條八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで称賛されながら、昭和5年26歳の若さで世を去った。

 やがて戦争の混乱のなかで、彼女の名前も作品も忘れられたが、没後50年もして、童謡詩人の矢崎節夫さんが、彼女の遺稿を発見して出版したのだという。金子みすヾの詩はたちまち評判になり、今では小学校の教科書にも必ずとりあげられているらしい。

「そうか。仙崎の人か。なつかしいな」
「仙崎に行ったことがあるの」
「もうずいぶん前のことだけどね」

 学生時代に島田と長旅を旅したことがあった。若狭から鳥取砂丘を経て、松江や山口に行ったが、その途中で仙崎に寄った。島田は小学生の頃、そこでしばらく暮らしたことがあるという。仙崎の駅の近くで昼飯を食べてから、古びた街を抜け、海岸へ出て、しばらく散策した。そんな記憶が甦った。

「島田さんは金子みすヾのこと、知っているかしら」
「知らないだろうね。彼が興味があるのは、吉田松陰くらいだろうね」
「吉田松陰って、勤皇の志士だったわね」
「そうさ」

 島田は吉田松陰を尊敬していたが、同郷人のよしみだろうか。もっとも、島田が山口県の生まれだとは限らないが、仙崎で小学生時代を過ごしたことはたしかなようだ。修一は葉子から詩集をわたされて、いくつか読んでみた。「土」という題の、こんな詩があった。

   こッつん こッつん
   ぶたれる土は
   よいはたけになって
   よい麦生むよ。

   朝からばんまで
   ふまれる土は
   よいみちになって
   車を通すよ。

   ぶたれぬ土は
   ふまれぬ土は
   いらない土か。

   いえいえそれは
   名のない草の
   おやどをするよ。

 詩というよりも童謡なのだが、それらは日本人が失ってしまった「おもいやり」という大切なものを、心の中になつかしく甦らせてくれた。金子みすヾの詩はどれもやさしい、そしてあたたかい思いがあふれていた。


2004年03月11日(木) 米国債をためこむ日本

 このたび「経済学入門」のデーターを2002年のものに更新した。おもに総理府統計局の数字に頼ったが、作業をやりやすくするために、「各種統計」というホームページを作り、リンク集に入れておいた。インターネットを使えば、即座に必要な統計が得られるわけで、データーの更新もそれほど手間がかからない。

 しかし、中にはどうしても手に入らない統計があった。それがアメリカ国債の残高である。「経済学入門」には9兆ドルと書いた。改訂版を出すにあたって、この数字の信憑性を検証したいと思ったのだが、これはどうしてもわからなかった。その理由はアメリカ政府が公式に発表していないからである。

 以前、この日記で紹介した世界開発協力機構(OECD)の統計によれば、2002年の政府債務残高のGDP比は、日本が156パーセント、アメリカが65パーセントになっている。これによれば、アメリカのGDPは10.4兆ドルだから、

 40.4×065=6.76兆ドル(744兆円)

 ということになる。これは国際機関の正式な数字だから、まあ、最低でもこのくらいはあると考えられる。日本の公的債務残高が6.2兆ドルだから、額にするとアメリカの方が多いことになる。日本はこのうち、1/3にあたる2.2兆ドル(245兆円)から3兆ドル(330兆円)ほどを所有していると推定される。

 今年1月26日に米議会予算局は2004会計年度(2003年10月-2004年9月)の財政赤字が4,770億ドルに達するとの予想を発表した。ブッシュ大統領はイラク戦争で巨額の支出に加えて、2001年から13年間で1.7兆ドルという巨額の減税プランを計画していて、米政府の予想でも、2004ー13年度の累計財政赤字は2.4兆ドルへ増加するという。

 アメリカは財政赤字とおなじ5000億ドルもの貿易赤字(経常赤字)を出している。これらの双子の赤字を日本が米国債や株を買うことで埋め合わせている。2003年度には日本政府は20兆円もの為替介入をしたが、同じ規模の民間資金もアメリカの国債や株に投資されたと考えられる。

 2003年12月に政府はドル買い介入に必要な短期国債の発行枠を61兆円も上積みして、140兆円にした。国家予算が81兆円なのに、それを上回る資金を使ってアメリカ国債を買うつもりだという。おどろいたことに、日本のマスコミも野党もこれをほとんど問題にせず、すんなり国会で承認された。こうして日本はこれからもアメリカの巨額な赤字をほぼ無尽蔵に補填していく体制を確立した。

 こうしたアメリカの経済戦略はすでに1971年に金本位制が廃止されたときから始まっている。アメリカはベトナム戦争を続けるために厖大なドルを印刷して戦費をまかなわなければならない。そのために金本位制から「米国債本位制」に移行し、これを同盟国に買わせてドルを回収する必要があった。ビル・トッテンは「脱アメリカが日本を復活させる」(徳間書店、2000年)でこう書いている。

<カラクリとしては「財務省証券」、つまり米国債が使われる。これは、いわばアメリカの借金証文である。たとえば、日本がバブル崩壊寸前の好景気にあったとき、アメリカは日本に際限なく米国債を買わせた。そして日本のバブルが崩壊したとき(実はこれもアメリカの仕業なのだが)、アメリカは米国債の売却に応じない、つまり借金を返そうとしなかったのである。日本など勝手に苦しんでいればよいというわけだ>

<それどころか、いまもこの米国債を日本に買わせ続けている。簡単に言えば、いくら日本国民が必死に働いても、それで得られるお金は、片っ端から米国債に変えられていく。日本人の懐には、その余り程度のお金しか入ってこない。そして、日銀の金庫には、役ににも立たない米国債が堆く積まれている>

<アメリカは日本に、日本が輸出で稼いだドルで米国債を買わせる。これで、アメリカにはドルが環流したことになるわけだ。だからドル環流政策という。なぜ日本国民が、アメリカ人に豊かな生活をさせるために働かなくてはならないのか。不思議な話だというしかない>

<ヨーロッパ諸国には、なぜ日本がここまでアメリカに従順なのか、理解できないのである。だから、日本はアメリカと組んでヨーロッパを脅かそうとしている、としか思えない。実際、日本がやっていることは、結果としてそのとおりのことなのだ>

<日本は、国民の生活を犠牲にしてまで、せっせとアメリカに貢がされている。この構図に甘んじている限り、日本はアメリカに経済占領されている、と言われても仕方がないのである>

 ビル・トッテンによると、こうしたアメリカの新戦略を見抜いて世界に警告を発したのが、1972年に出版されたマイケル・ハドソン博士の著書「Super Imperialism:Economic Strategy of American Empire」だった。しかしこの本は出版するとすぐに売り切れて、人々の手には届かなかった。アメリカ政府機関が買い占めたからだ。そして、米国防省はマイケル・ハドソン氏を雇い入れた。その後、日本の出版社がこの本を翻訳して出版しようとしたとき、アメリカ政府は出版社に圧力をかけ、本の出版を中止させた。米債権本位制によるドル環流政策を続けたかったからだろう。

 今日、アメリカの戦略は金融自由化を中心とするグローバリゼーションの名のもとに、さらにパワーアップしている。それは日本を完全にアメリカの経済支配のもとにおき、米国債という紙屑同然の借金をチャラにする企てなのだが、それを小泉首相は「構造改革」と呼んでいる。それがどんなに空恐ろしい未来をもたらすものか、日本人はほとんど知らない。実は知らないのではなく、知らされていないのである。明後日の日記で、アメリカが日本の官僚や政治家、一部民間優良企業のエリートを抱き込んで、どんな企てが行われつつあるか、その巧妙なカラクリについて書いてみよう。


2004年03月10日(水) 賃金破壊の現実

 総理府の「労働力調査」によれば、2002年、新規採用した雇用者数は354万人もいるとのことだ。しかし、このうち、正社員は40パーセントに満たない139万人で、のこり60パーセント以上が非正社員になっている。

 非正社員の内訳をみると、パート・アルバイトが174万人、派遣社員が7万人、契約社員・嘱託が23万人などをあわせて354万人である。これをみると、日本の労働人口が全体として減少する中で、正社員から非正社員へと構造改革が進んでいることがわかる。

 なお新規雇用者の多くは転職者で、転職者だけでみると、正社員の比率はさらに低下して、32パーセントにすぎない。つまり転職しても正社員として採用される確率は1/3に満たないということだ。この結果、雇用者全体にしめる正社員比率がどんどん下がっている。2002年には70.7パーセントで、翌年は69.7パーセントと7割を切っている。転職者の多くが占めるサービス業でみると、59パーセントしかない。

 この結果、なにが起こっているかというと、賃金の大幅な低下である。たとえば、2002年度の平均年収は、40歳台後半の正社員だと高卒で658万円、大卒だと893万円である。彼が転職した場合、一番考えられるのはサービス業の非正社員として働くことになるわけだが、その場合は平均収入は143万円に過ぎない。実に1/6も下がってしまう。たとえ彼が運良く正社員になれたとしても、その場合も年収の半減はさけられない。

 小泉首相の「構造改革」は、正社員の非正社員化をとおして、所得格差と賃金破壊を生み出している。そしてこの傾向はこれからますます拡大し、アメリカ型の競争社会を生み出していくだろう。それはつまり、ほんの一握りの経済的勝者のために多くの人が低賃金と失業の恐怖を余儀なくされる社会である。日本は確実この方向に動いている。

 自殺者は1998年以来、3万人を超えている。実はこの年、はじめて失業率が4パーセントを超えた。自殺者の数は、失業率に比例している。そして年代でみると、2/3以上が失業によって一番打撃を受ける50歳以上である。この年代では自殺の動機のトップが借金苦などの経済問題である。

 人口10万人あたりの自殺率を見ると、日本人は24.1人で、これは6.1人のイタリアの4倍もある。イタリアの国民一人あたりの所得は日本の1/2でしかない。ヨーロッパ全体でみても、所得はざっと日本の6割り程度である。しかし、厚生労働省の統計で見ると、日米とヨーロッパでは年間の実労働時間に大きなひらきがある。製造業でみると、日本1970時間に対して、フランスが1589時間、ドイツ1525時間と、その時間差はおよそ450時間、56日分の格差である。

 この格差がどこから生まれたかというと、「職と賃金を奪い合う日米」と「職と賃金をわかちあうヨーロッパ」に違いである。競争型社会と共生型社会のちがいだと言ってもよい。不景気の時は職をみんなで分かち合い、労働時間を減らし、そうして得た自由時間で余暇をたのしみ、ボランティアに参加する。そこにはGDPの統計にあらわれないほんとうの豊かさがある。「競争もって貴し」とするか「和をもって貴し」とするか、そのいずれが人間を幸せにするか、日本人はいま一度立ち止まって考えてみるべきだろう。

(参考文献)「庶民派経済学」 森永卓郎著 実業之日本社2004年刊


2004年03月09日(火) 景気回復の実態

 日経平均株価が上がっている。昨年4月の7,600円が現在では11,400円となり、約50%も上昇した。これで2002年春の水準を回復したことになる。あとすこしで、2001年に小泉首相が誕生した時の14,000円まで回復する。

 日経平均株価は日本経済新聞社が東証一部に上場している約1500銘柄のうち代表的な225銘柄の株価を平均したものだ。しかも、不動産、建設、サービスなどの内需関連企業の株価より、電機・精密企業などを中心としたハイテク企業の株価の影響を受けやすくなっている。つまり、日経平均株価が回復したと言っても、それは日本の上場企業全体の業績、ましてや中小企業まで含めた業績が回復しているわけではない。

 そこで進行しているのは、一部の勝ち組と大多数の負け組への二極化である。今回の株価回復はこうした外需依存の企業が中国特需などの外因と、大規模な人員整理や日銀による金融緩和の後押しをうけて、大幅に「業績」を伸ばしたこと。そしてこれを好感した外国の資本家が日本株式の買いに走った結果だ。

 それでは株価はこのまま回復するのか。たぶん7月の参議院選挙あたりまでは続くかも知れない。それは日銀が小泉自民党を有利にするために、いましばらく金融緩和策を続けるだろうし、そうすれば円高が抑えられて、外需依存型の企業は業績を維持できるからだ。

 しかし、ここで確認しておかなければならないことがある。日本の総輸出額は50兆円に満たない。これはGDPの一割である。うんと単純に言えば、もし世界恐慌が起こって、世界中の国が日本の製品をまるで買ってくれなくなっても、日本の経済は10パーセントしか縮小しないということだ。円高が困るといって、政府は昨年度20兆円もつかってドルを買い支えしたが、これは結局トヨタなどの勝ち組企業のふところを潤すためでしかないことがよくわかる。

 もう少し言えば、政府が使った20兆円の一部が、日本の株価買いの資金につかわれて、株価を押し上げ、小泉とブッシュをにんまりさせているわけだ。こうしたカラクリを知っていると、株高だ、景気回復だと騒いでいる日本の御用エコノミストの不誠実さがよくわかる。その証拠をひとつだけあげておけば、景気が回復したといわれる去年のGDPが499兆円と落ち込んでいることだ。これは1995年の水準でしかない。

 一部の外需依存型の企業がリストラで大幅な利益をあげるなかで、大方の企業や国民はどんどん貧乏になりつつある。明日の日記で、国民所得の統計を見ながら、そのあたりをもう少し詳しく書いてみよう。


2004年03月08日(月) 初秋

33.花のたましい

 テレビ塔の展望台から、島田が入院している病院やS工業のビルも見えた。しかし、高所恐怖症の修一はすぐに目を上げて、遠くの山並みを見た。それから葉子と二人で展望台をひとまわりして、かたわらのベンチに腰を下ろした。この数日の寝不足で、修一はつかれていた。葉子も少し血色が悪かった。

「美智子ちゃんがこの世にいないのだと思うと、変な気分」
「何だか信じられないね」
「病院に勤めていると、死はいつもあるの。だから、半分は麻痺しているのだけど、今回だけは少し参ったわ」

 葉子がいつになく落ち込んでいるのは、少女の死が尋常でなかったせいだろう。半年間親身になって世話をしてきただけに、なんだかわりきれないやりきれなさがあるようだ。修一にはそんな葉子の気持がわかった。

「島田は何とも感じていないようだね」
「食事の量が少し減ったみたい」
「それは意外だね。風邪でもひいたんじゃないのかな」
「島田さんは大丈夫かしら」
「あいつに限って、飛び降りたりはしないよ」

 島田が記憶喪失を装っているというさと子の言葉を、もう一度思い浮かべてみた。もし、島田がほんとうに快復しているだとしたら、どうして修一や葉子に隠すのだろう。世間の荒波からしばらく身を隠していたいからだろうか。他にたくらみがあるのだろうか。

 少女が病室を抜け出したとき、島田は病室にいたらしい。島田の枕元には、看護婦詰め所に通じる呼び出しボタンがおいてあり、その気になれば看護婦を呼ぶことができる。少女がベッドから起きあがり、病室を抜け出すのをただ見ていたとは考えにくい。何もしなかった島田は眠っていたのだろうか。

  展望台のガラス越しに日差しが斜めに足許に伸びていた。目を閉じると、いつか喧噪が遠のき、うとうととした。目を開けると、葉子が地下街で買った「金子みすヾ」の詩集を膝の上に広げていた。「花のたましい」という詩を、修一も横から読んだ。

   散ったお花のたましいは、
   み仏さまの花ぞのに、
   ひとつ残らず生まれるの。

   だって、お花はやさしくて、
   おてんとさまが呼ぶときに、
   ぱっとひらいて、ほほえんで、
   蝶々にあまい蜜をやり、
   人にゃ匂いをみなくれて、

   風がおいでとよぶときに、
   やはりすなおについてゆき、

   なきがらさえも、ままごとの
   御飯になってくれるから。


2004年03月07日(日) 日本は援助小国

 日本の国連分担金は2003年度は321億円で、全体の20パーセントちかくを占めている。分担金を延滞している超大国のアメリカよりも多い。この他、国際食料農業機関などの分も合わせると国際機関への援助総額は2000億円をこえていて、この分野での国民一人当たりの額は世界一である。

 日本のODA(政府開発援助)も、1991年から10年間世界一だった。2000年は135億ドルに達したが、2001年にはその額を37億ドル減らして98.5億ドルにした。これで世界一の座をアメリカに明け渡したが、総額でみるかぎり援助大国であることにかわりはない。

 しかしODAの中味をみると、アメリカをはじめほとんどの国の贈与比率90パーセントから100パーセントであるのに対して、日本は50パーセントに満たない。つまり返還をもとめない贈与よりも貸与の方が多い。ちなみに2001年のODA実績を、返還を求めない贈与の部分の額で比較してみよう。

 �.▲瓮螢� 113億ドル
 ��日本  49億ドル
 ��ドイツ 44億ドル
 �ぅぅ�リス 44億ドル
 �ゥ侫薀鵐后。械群�ドル
 �Ε�ランダ 32億ドル

 オランダの贈与率は100パーセントである。日本の7割りに近い32億ドルという額も、GDPがおよそ日本の1割の4170億ドルであることを考えれば、驚異的な額だといえる。GDP比で見ると、オランダやノルウエー、スエーデンがその名に恥じない援助大国で、目標基準値のGDP比0.7パーセントを超えている。

 GDP比で見ると、日本はDAC加盟の先進22ケ国の中では下から5番目の0.23パーセントで、アメリカは最下位の0.11パーセントしかない。経済大国ナンバー1と2のアメリカと日本はその経済規模に似合わない援助小国である。

 こうした政府を主体とした援助の他に、NGOを通じた個人ベースの援助がある。私の場合はユニセフやペシャワールの会などに毎年献金をしているが、この分野でも国民のほとんどがなんらかのNGO活動にかかわり、巨額の個人献金をしているオランダなどに比べて、日本はまだまだ国民の意識が低い。ODAの量と質を向上させていくことも大切だが、個人が世界の情勢に当事者意識を持って、直接こうした活動にかかわることも必要ではないかと思う。

(1泊2日で東京へ行って来ます。明日の日記の更新は夜10時過ぎになります)


2004年03月06日(土) 日本は間接資本主義

 以前務めた三河の新設高校では、生徒会の会長を各クラスの室長の互選で選んでいた。全校生徒の直接選挙で選ぶと、教師のいいなりにならない会長が出現する可能性がある。室長の中から選べば、その危険性が少ない。室長を選ぶ段階で、担任はそうした危険人物を排除できるからだ。

 しかしこれでは生徒の意思を生徒会に反映させることはできない。「生徒の、生徒による、生徒のための生徒会」という民主主義の理想からはほど遠い。現に、その学校では生徒会は単に学校行事のための下請け機関でしかなかった。

 私は民主主義の基本は、自分たちのリーダーを直接自分たちの手で選ぶことだと考えている。アメリカやフランス、ロシアをはじめ、多くの国がこの原則で大統領を選んでいる。マニフェスト重視のイギリスの首相も、実質的には選挙民によって選ばれている。この点で、日本は先進国のなかではかなり異質である。

 以上は政治の話だが、経済でも同じようなことが指摘できる。2002年の総理府の統計では、日本の個人金融資産は140兆円あるが、そのうちの85パーセントを郵便貯金や銀行預金、年金の積立金としてもっている。株式の割合はわずか6パーセントで8兆円あまりに過ぎない。

 アメリカの場合、個人金融資産のなかに占める株式の割合は55パーセントを超えている。今、1000万円の金融資産を持っているとして、株価が2倍になったとき、日本人は60万円しか資産が増えないが、アメリカ人の場合は550万円以上も増えることになる。

 日本の場合は、個人による株式の保有が極端に少なく、株式の多くは各種の金融機関や年金基金などの機関投資家の手で運用されている。もとをただせばそれらの機関が保有する資産も国民の預貯金である。国民はそうした機関を媒介にして、間接的に株式市場に参加しているわけだ。アメリカが直接資本主義の国だとしたら、日本は間接資本主義の国だといえよう。日本は何でも「間接」が好きな国である。


2004年03月05日(金) 初秋

32.少女の死

 葉子も約束の時間より早めについて、テレビ塔に登ってみる気になったようだった。修一と同様に名古屋で暮らしていて、テレビ塔に登るのは初めてだという。動機も「何となく、遠くを見たかった」ということらしい。

 葉子と二人で会うのは、先週の日曜日に喫茶店であって以来だった。「さと」へ葉子を連れて行くつもりが、緊急の電話が病院から入って、修一は一人で「さと」へ行った。その夜は葉子には電話も通じなかった。

 翌日、修一は会社の帰りに病院に寄ってみた。そして、島田と同じ病室に入院していた少女が死んだことを知らされた。墜落死だと聞かされて驚いた。半年以上意識のなかった植物人間状態の少女が、どうして墜落死などしたのだろうか。

「意識がもどったようなの。それで、ベッドから起きあがり、病室を抜けて、屋上から墜落したの。後頭部を打って、ほとんど即死だったのよ」
「墜落死というけど、事故じゃないね」
「そうね、自殺でしょうね」

 修一は霊安室で少女に会った。少女の体はすみずみまで解剖されたらしいが、顔はきれいだった。うっすらと化粧していて、口紅が赤かった。唇がわずかに開かれ、笑っているようだった。修一は少女のやすらかな表情にほっとした。

 少女はもうだいぶん前から、意識を回復していたのではないだろうか。そして病室で交わされる会話を聞いているうちに、人生への絶望を深め、自殺する機会をうかがっていたのではないだろうか。そんな疑いが修一の頭にうかんだ。しかし、その疑いを葉子に質す気にはなれなかった。そんなことをすれば、葉子は責任を感じて余計に落ち込むだろう。

 少女の死は祖父の他に、九州の病院にいるという母親に報されたが、いずれも病気のために身動きができないということだった。そこで修一がたのまれて喪主代表になり、病院関係者だけのひっそりした通夜と葬式をした。

 あわただしい一週間が終わり、修一はようやく息をついだという感じだった。テレビ塔に登って、伊吹山や御岳を見ていると、「遠くを眺めたかった」という葉子の気持がよくわかった。修一は葉子と並んで、しばらく遠くを眺めていた。


2004年03月04日(木) 文明の中の野蛮

 歴史を考える視点として、文明的な視点と文化的な視点がある。文明的視点とは、たとえば世界の歴史の流れを、トッドやフクヤマのように、「野蛮から文明へ」という文脈で捕らえる視点だ。たとえば佐伯啓思さんの「新帝国アメリカを解剖する」(ちくま新書2003年)にはこう書かれている。

<フランシス・フクヤマが89年に「歴史の終わり」と題する論文を書いたとき、彼は、ヘーゲルの歴史観をいささか通俗化し、歴史とは、西洋近代社会に起源をもつ個人的自由や権利、民主主義、市場競争の理念が、次々と現れる「敵対者」との戦いに勝利しつつ現実化してゆくプロセスだと見なした>

<西洋近代という「文明」の理念は、まずは専制君主との戦いに勝利し、続いて全体主義やファシズムとの戦いに勝利し、次には、社会主義との戦いに勝利するだろう。実際、フクヤマの論文が発表されて1年もたたないうちにベルリンの壁は崩壊し、それから1年もたてばソ連も急速に崩壊に向かった。かくしてフクヤマの予言通り、社会主義は、自由で民主的な市場経済に破れたのである>

<こうして個人の自由や民主主義、市場主義から構成される「文明」は、専制君主、ファシズム、そして社会主義という「野蛮」との戦いに勝利した。それゆえ、抑圧からの個人の解放、民主的な政治体制の確立、自由な市場競争、法による支配などを原理とする「文明」へと向かう歴史はもはや終焉した、と彼はいう。なぜなら、もはや、この「文明」に挑戦できるイデオロギーは存在しないからだ>

 90年代はグローバリズムや情報通信手段の世界的普及による「文明」の世界化であった。ところが、ここにフクヤマが想定もしていなかった新たな「野蛮」が登場した。いうまでもなく「テロ」という「野蛮」がそれだ。かくして、フクヤマの「歴史の終焉」テーゼを補完し、完成させるためには、ここに「テロとの戦い」という一章を新たに付け加えねばならないことになる。

<ヘーゲルがフランス革命の中に専制君主に対する自由と平等の勝利を見、ロシアの哲学者コジェーブがフランスに亡命して、ファシズムに対する自由・民主主義に勝利を謳いい、フクヤマが冷戦の終結を前に、社会主義に対する自由・民主主義と「市場経済の勝利を宣したとすれば、ブッシュがテロに対する自由・民主主義の戦いを宣言したということになる>

歴史を「文明」の視点から眺めると、その行き着く先は、歴史を、「文明の進歩と普遍化へ向けた戦い」であり、世界をその「戦場」であるということになる。しかし、ここにもうひとつ、歴史を「文化」の視点から眺める方法がある。その代表は「文明の衝突」を書いたハンチントンだろう。ふたたび、佐伯さんの文章を引く。

<冷戦以降の世界を、西欧の自由や民主主義、市場経済の拡張・普遍化の流れとして解釈するフクヤマに対抗して、政治学者のハンチントンは冷戦以降の世界を、いくつかの文明圏の対立や確執の時代とみる>

<冷戦が終わり、イデオロギー対立が消滅し、理念やイデオロギーが人々の心を捉えなくなった時、人々は新たなアイデンティティを、彼の所属する集団の文化に求めるであろう。言語や宗教、そして集団の歴史的経験といったものこそが、人々のアイデンティティの基軸になる、というのである>

 現代を「文明と野蛮の戦い」の時代とみるか、「文明(文化)と文明(文化)の衝突」の時代と見るか、これについて、佐伯さんはさらにこう書いている。

<実際、ハンチントンが述べたように、冷戦以降の世界の紛争や軋轢は、イデオロギー的な対立や経済的利害だけでは説明がつかない。ここでわれわれは、どうしても宗教や民族、歴史的記憶といった文化的な表徴をめぐるアイデンティティというファクターを持ち込まざるをえないのである>

<その意味では、今日の世界は、「富をめぐるゲーム」と「イデオロギーをめぐるゲーム」と「アイデンティティをめぐるゲーム」をすでに持ち込んでいるといえよう。これは、バクス独立やアイルランド紛争、ケベックの分離運動、東チモール問題、アチェの紛争、チベットの紛争、それにチェチェンを代表とする旧ソ連邦内部の諸民族、国家対立などをみても明らかだろう>

<紛争や戦争は常に、国益をめぐる政治的決断としてなされることはまちがいない。この場合、国益を定義し、政治的判断を動かすものは通常、経済的利害であり、国際情勢についての判断であると見なされる。しかし、ハンチントンのメッセージは、この政治的判断に対して、「文化的アイデンティティ」や「価値の共通性」という「文明」の要素が、決定的のものとして組み込まれてくるということであった。そしてその趨勢を、あえて無視する理由はなにもない>

<ある文明が世界性をもつこと、あるいは普遍性を唱えること、そこから「衝突」の可能性が引き出される。ある「文明」が他の「文明」に対して、彼らのアイデンティティを脅かし、彼らが自らの尊厳を傷つけられたと感じたとき、文明は衝突する>

<だが、それが現実の紛争や戦争になるときは、あくまで政治的、軍事的、経済的国益をめぐる利害対立として表現されるのが通常だろう。戦争においては、他国との同盟や国益の保守が緊急の課題になるからだ>

<だから具体的な紛争や戦争において、「文明の衝突」はあくまで事態の背後に待機しており、潜在的なレベルで紛争を動機付けている。その意味では、「文明の衝突」とは、正確にいえば「文明の潜在的衝突」といわねばならない>

 文明は衝突を繰り返して進歩する。それではなぜ衝突をするのだろうか。それはその根底に文明の性格の違い(文化)があるからだ。文明の視点に立てば、ここから導かれる結論はひとつでしかない。世界中のひとびとが一つの文明と、一つの文化を共有すればよいわけだ。

 現在、アメリカが文明の名の下に行おうとしているグローバリズムは基本的にこの帝国主義的戦略に基づいている。そして、日本も又、アメリカの世界戦略に荷担している。こうした戦略が世界をどこに導くかあきらかである。それは新たな野蛮、文明的な野蛮の世界であり、あらゆる人間的なものが崩壊した「虚無」の世界である。そしてそれはすでに私たちの目の前に、「テロリズム」として姿をあらわしている。

<「文明」の内部に「野蛮」は棲息している。そして宗教的テロリズムは「文明」の中の野蛮が外部化され、「文明」に襲いかかるということである。ローマにおいても「野蛮」は「帝国」という「文明」の内部から発生していた>

 佐伯さんはアメリカも又テロリズム同様に、むしろ双生児のように、その内部に「虚無」をかかえているという。しかし、この虚無は実のところ対等ではない。アメリカの「虚無」がテロリストの「虚無」を生み出したのだから。

 虚無はどこから生まれてくるか。それは「他人を信じることができない」という情況から生まれてくる。私たちは悲しいことに、そのような人間不信の殺伐とした社会を「文明」の名の下に作り出してしまった。もしこれを放置したら、やがて世界は完全に崩壊するだろう。

 じつのところ、文化の多様性が戦争や紛争の根本原因ではない。それは日本の先の愚かな戦争を考えてもあきらかだ。大東亜共栄圏とか、神の国だとか、いろいろと言われ、粉飾されてはいるが、そうした観念物にまどわされずに冷静に分析してみればよい。宗教や文化の違いが対立を生んでいるのは事実だが、より本質的なのは経済的な問題だということがわかるだろう。

 多様な文化をもつ人々が、それぞれの価値観を大切にしながら、この地上で仲良く共生していくことが大切だ。そのためにいま世界に必要なのは、貧富の差をこれいじょう拡大しない合理的な経済体制であり、失業と飢餓の一掃である。競争原理ではなく、共生原理に立脚し、一部の富者ではなく、すべての人々を幸せにする、あたらしい豊かさをめざす経済政策や政治である。これが実現すれば、テロや内戦も自ずとなくなる。

(注)佐伯さんは京都大学大学院人間環境学部の教授で、
サントリー学芸賞を受賞した「隠された思考」(筑摩書房)
読売論壇賞を受賞した「現代日本のリベラリズム」(講談社)
「アメリカニズムの終焉」(TBSブリタニカ)
「欲望と資本主義」(講談社現代新書)
「市民とは何か」(PHP新書)
「アダムスミスの誤算」(PHP新書)
「ケインズの予言」(PHP新書)
「現代民主主義の病理」(PHP新書)
などの著書がある。


2004年03月03日(水) 民主主義は戦争を抑止するか

「自由主義的民主主義国家間には戦争は不可能である」という考え方がある。これをはっきり論文の形でのべたのはプリンストン大学のマイケル・ドイルらしいが、エマニュエル・トッドも「帝国以後」の中でこう書いている。

<単なる良識からしても、教育水準が高く、満足すべき生活水準を有する国民が、大規模な戦争を宣戦することも辞さないような議会の多数を選挙で生み出すのは困難であると納得できよう。似たような政治組織を持つ二つの国民は、互いの紛争に不可避的に平和解決を見出すであろう。しかし非民主主義的・非自由主義的な体制の指導権を握る、理の当然として他からの掣肘を受けることなき徒党の方は、一般に通常人の大多数に宿っている平和への欲求を踏みにじって、戦争を始める決定を下す行動の自由をはるかに多くもつだろう>

 民主主義国家は戦争に消極的で、むしろ平和に荷担するというのは、いうまでもなく、「大多数の人間は戦争より平和が好きだ」ということを前提にしている。しかし、民主主義国家は戦争を仕掛けないというのは、今回のアメリカのイラク攻撃を見れば分かるように、自明な真理とはいえないのではないか。過去にさかのぼれば「アテネ帝国」の例もある。

 それに「昭和史の決定的瞬間」(坂野潤治、ちくま新書)などを読むと、日本がしかけた先の大戦も、「戦争は民主勢力の躍進の中で起こった」とするのがほんとうらしい。民主主義が平和をもたらすというのは神話に過ぎないように思われる。「通常人の大多数に宿っている平和への欲求」もそれほど堅牢とはいえない。むしろ民衆は熱狂を好む。

 また、非民主主義国家の指導者がとくに戦争好きだというのも疑問である。トッドの表現を借りれば、彼らこそ「教育水準が高く、満足すべき生活水準を有する」エリートだからだ。

 もっとも、トッドが言いたいのは、「民主主義国家が平和的だ」ということではない。実はこのテーゼを使って、好戦的な現在のアメリカは、それゆえに「民主主義的ではないのではないか」と、疑問を呈しているわけだ。つまり、アメリカで民主主義が後退しているということを示すことが彼の本意なのである。

 アメリカで民主主義が後退していることは、昨日の日記でも引用したように、黒人層での乳幼児死亡率が異常に高くなっていることから、トッドが論理的に証明している。トッドのこの本はこの点でとてもすぐれている。ただ、「民主主義国家間には戦争は不可能である」という前提は自明とはいえない。

 民主主義に絶対的価値をおくこうした考え方は、トッドだけではなく西欧の啓蒙的な文明主義者に共通している。のみならず、これはアメリカのネオコンの論理でもある。しかし、民主主義はひとつの制度であって、それが必ずしも善を生み出すとは限らない。民主主義が悪を生み出す場合もある。

 私はアメリカが好戦的なのは、民主主義が後退しているからではなく、むしろ経済の体質の問題だと考えている。アメリカの経済の仕組みが、貧富の差を生みだし、社会を非民主的なものにし、同時に、世界に対して対立的・好戦的にしている。つまり民主主義の後退と好戦的ということは、共通の経済的要因から生まれた結果だと考える。

 トッドは人口学者らしい切り口でアメリカを分析している。その手際のよさには感心する。経済についても多くの紙面を使い、データーを駆使して、その実態にかなり鋭く迫っている。しかし、民主主義についての理解の仕方が、やはり人類の歴史を「野蛮から文明へ」とみるパラダイムの呪縛を脱していない。

 ハンチントンは人類の歴史を「文明の衝突」という観点から描き出している。複数の文明を認めて、「文明の相対主義」の立場に立っているが、彼の本音は西洋文明の擁護にあり、彼の思想も西欧的啓蒙主義のDNAによって支配されている。明日の日記では、「文明」に対するもう少し違った考え方を紹介してみたい。


2004年03月02日(火) 「帝国以後」を読む

 フランスの人口学者エマニエル・トッドは、旧ソ連邦における乳幼児死亡率(1歳以前に死亡した子供の比率)の増加から、いちはやくソ連の崩壊を予言した。そして近著「帝国以後」(藤原書店、2003年)で、今度はアメリカ帝国の「崩壊」を予言して、今や世界の話題の人になっている。今日はこの書を紹介しよう。まずは、アメリカの乳幼児死亡率について。

<1997年には白人においては1000に対して6であったが、黒人においては14.2であった。実は白人系アメリカ人の成績それ自体、日本やすべての西ヨーロッパ諸国の比率を上回るのだから、決して優秀とは言えないのだ。しかし少なくともそれは低下しつつある。1999年には1000に対して5.8に下がっている。逆に黒人における率は、まことに異常な事態だが、1997年から1999年の間に14.2から14.6へと再び上昇しているのである>

<読者はおそらく人口統計の指標の社会学的解釈に慣れておらず、ある程度の良識をもって、この程度の増加は微小であると考えるかも知れない。乳幼児死亡率は社会にとって全般的な意味を持たないと思っているかも知れない。実は乳幼児死亡率というのは、社会ないしは社会内の個別的セクターの中で最も弱い個人の現実の情況を明らかにするがゆえに、決定的な指標なのである。・・・外でのアラブ人の排除は内での黒人やメキシコ人の排除に呼応するのである>

<1990年から2000年までの間に、アメリカの貿易赤字は、1000億ドルから4500億ドルに増加した。その対外収支の均衡をとるために、アメリカはそれと同額の外国資本のフォローを必要とする。この第三千年紀開幕にあたって、アメリカ合衆国は自分の生産だけでは生きて行けなくなっていたのである。教育的・人口学的・民主主義的安定化の進行によって、世界がアメリカなしで生きられることを発見しつつあるその時に、アメリカは世界なしでは生きられないことに気付きつつある>

<アメリカは、相対的な経済力に関しては随分と落ち込んだとしても、世界経済全体から金を取り立てる能力を大量に増加させることに成功したのだ。つまりアメリカは客観的には略奪をこととする存在になったわけである。・・・経済的には依存的で政治的には無用な超大国、これをどうやって管理したらよいのだろうか>

<アメリカの社会と経済が不平等へと向かい、それにとりわけ有効性の欠如へと向かうという動きは、最後にはアメリカ合衆国と世界との関わり方を一変させるに至った。1945年には自立的な超大国だったアメリカは、それから半世紀後には、全世界の商品と資本を吸い上げるが、その代わりにそれと等価な財を供給することができない、一種のブラックホールのごときものになってしまった>

<2000年のアメリカの金持ち上位400人は、1990年の上位400人より10倍も金持ちであるという。ところが国民生産は2倍になっただけなのだ。こうしたアメリカ社会の上層部の所得の驚異的な膨張は、住民の大多数の所得の停滞ないし極めて慎ましい成長と同様に、帝国モデルを用いなければ説明できない>

<アメリカは1994年から2000年までの間に、「情報ハイウエー」「ニュー・エコノミー」の奇跡の段階に達したのではなく、「パンと見せ物」の段階に達したのである>

 トッドによれば、アメリカはそのみかけの強さとはうらはらに、その内部に深刻な矛盾をかかえて、今や「衰退」しつつある。経済や軍事面での「強さ」は、みせかけであり、その基盤の脆弱の裏返してしかないという。そしてここから、世界に混乱と厄災ををもたらす「問題児」としてのアメリカ像が現れてくる。

 ローマ時代、残酷な見せ物がコロシアムで市民の娯楽として上演された。奴隷が野獣と戦い、奴隷が奴隷と戦い、血を流すのをローマの人々は興奮して見物した。おなじことが、今アメリカの手で行われているわけだ。舞台はコロシアムでなく、イラクであり、アフガンであり、そよそアメリカが望む全世界がその舞台だからたまらない。

<アメリカ社会は300年の間、厖大な鉱物資源を要する土地、処女地であるがゆえに極めて農業生産力に富んだ土地の上に、すでに識字化された住民を輸入することによっえ発展してきた。アメリカは己の成功が、己が作り出したわけではない富を、代償も払わずにに搾取し消費する過程の結果であるということを、どうも理解していないのである。・・・アメリカは常に、土地を疲弊させ、石油を浪費し、労働に必要な人間を外に探し求めて、発展してきたのだ>

<アメリカ合衆国は己が相変わらず世界にとって欠かすことの出来ない強国だと主張しているのである。しかし世界はそのようなアメリカを必要としない。せわしなく動き回り、不安に駆られ、己の国内の混乱を世界中に投影する、そんなアメリカは。ところが、アメリカは世界なしではやっていけなくなっている>

<冒険主義はそれゆえ軍事にのみ見られるものではない。金融にも見られるのだ。そして今後数年ないし数ケ月間に、アメリカ合衆国に投資したヨーロッパとアジアの金融機関は大金を失うことになるだろうと予言することができる。株価の下落はアメリカ合衆国に投下された外国資産が蒸発してしまう第一段階に過ぎない>

<1997年12月には対人地雷禁止のオタワ条約を、1998年7月には国際刑事裁判所設立の合意を、ワシントンが拒否するという風に、すでに90年代後半に現れていた一方的行動の傾向が、2002年の1年間にわたって再び姿を現したのである。炭酸ガス排出についての京都議定書へのアメリカ合衆国の拒否がそれで、これによって歴史はかっての流れを再びたどるように見えたのである>

<歴史は歩みを止めることがない。民主主義が全世界に広まったということで、最も古くからの民主主義国−−アメリカ合衆国、イギリス、フランス−−も変化し続けているということを忘れてはならない。あらゆるものが、現在これらの国々は、徐々に寡頭制に変貌しつつあることを示している。・・民主主義は現在、それが弱体であったところで前進しつつあり、それが強力であったところでは後退しつつあるのだ>

<世界はしたがって、二重の逆転に直面している。先ず世界とアメリカ合衆国の間の経済的依存関係の逆転、そして民主主義の推進力が今後はユーラシアではプラス方向に向かい、アメリカではマイナス方向に向かうという逆転である>

<長い間、アメリカという尊敬される父親のような権力の忠実な子供たちであったヨーロッパ諸国は、ついにこの至高の権威がもしかしたら危険なものともなりかねない無責任性を事とするのではないかと、疑うに至っている>

<世界が必要としているのは、アメリカが消え去ることではなく、民主主義的で自由主義的にして、かつ生産力の旺盛な本来のアメリカに立ち戻ることなのである>

<現在のアメリカが「テロリズムとの闘い」の中で残り少ないエネルギーを使い果たしたいと言うなら、勝手にそうさせておこう。それはもはやすでに存在しない覇権の維持のための闘いの代用品に他ならない。もしアメリカがあくまでも全能を証明しようとするのなら、遂には己の無能を世界に暴露するという事態に立ち至ってしまうだろう>

<アメリカの衰退の分析は長期的な指標に依拠するものであり、イラク戦争というエピソードはシステムの断末魔の身震いの中で起こった偶発事にすぎないということになるだろうし、覇権を握る強国の衰退は、長期的に言って旧世界の自己組織力を解放して行くだろう>

<現在最終段階にある教育的・人口的移行期の苦痛の中で、世界は安定性へと向かっている。第三世界はそのイデオロギー的・宗教的熱病の発作を体験しつつ、発展と一層の民主主義へと前進しつつある。自由を保護するためにアメリカ合衆国に特段の活動が必要とされるような、世界的脅威はない。今日地球上にのしかかる全世界的均衡を乱す脅威は唯一つ、保護者か略奪者へと変質した、アメリカそのものなのである>

トッドの分析は緻密で大胆だ。アメリカの弱さ、そしてその弱さから来るわるあがきを、これほど完膚無きまで論理的に暴いてみせた書は見当たらない。その意味で、私はこの書を評価したい。しかし、問題点がないわけではない。明日の日記で、その点に触れてみよう。

(注)エマニエル・トッド
1951年生まれ。パリ政治学院を卒業。ケンブリッジ大学歴史学博士。現在、フランス国立人口研究所資料局長。
「第三惑星、家族構造とイデオロギーシステム」(1983年)
「新ヨーロッパ大全」(1990年、邦訳藤原書店)
「移民の運命」(1994年邦訳藤原書店)
「経済幻想」(1998年邦訳藤原書店)
「世界多様性」’1999年邦訳藤原書店)
など著書多数。グローバル・スタンダードに拮抗しうる国民国家のありかたを提唱し、その著作はいずれも評判を呼んでいる。


2004年03月01日(月) 初秋

31.風にゆれる心

 高橋文子が勤めている「コスモス」という洋菓子屋はすぐに見つかった。修一はその店の前を通り過ぎて、テレビ塔の方へ歩いた。葉子とそこで3時に落ち合うことになっている。まだ、30分ほど時間があったので、修一はテレビ塔に登ってみる気になった。

 名古屋にもう30年も暮らしていて、修一は一度もテレビ塔に登ったことがない。名古屋城の天守閣にも登ったことがなかった。登ろうという気もおこらなかったし、そもそも高いところは好きではない。5階建ての病院の屋上が限界だった。

 5年ほど前に、白馬へ家族で遊びに行って、ケーブルカーに乗ったことがあった。妻や息子が窓から下を覗いて歓声をあげているあいだ、修一は空ばかり眺めていた。脇の下に汗をかきながら、早くこの時間が過ぎればよいと祈るような気持だった。

 運が悪いことに、その日は風が強かった。途中、強風注意のため、何度かケーブルカーが止まり、そして風にあおられて大きく揺れた。修一は目を閉じて、吐き気をこらえた。おもわず、「なんまいだ」と唱えた。その声を息子がききつけて、おおきな声で、「なんまいだ、なんまいだ」と二度ほどとなえた。修一は息子の頭をげんこつで殴った。息子は白い目で父親を眺め、それからおとなしくなった。

 ケーブルカーには修一の家族3人の他、若いカップルが一組乗っていた。若い女性は揺れる度に、ハスキーな歓声を上げていたが、青年の方は青い顔をしていた。修一はその青年に同情した。若い女に憎悪を抱き、こみ上げてくるものを浴びせかけてやりたかった。

 それ以来、家族旅行らしいことはしなくなった。息子の頭を殴ったのもそれが最初で最後だった。それ以前行った家族旅行の思い出はどれも褪せている中で、風に揺られたケーブルカーのなかでの不快感だけはいつまでも残っていた。息子の白い目を思い出すと、修一はなんだかいたたまれなくなった。

 どうしてテレビ塔に登ろうと思ったのか、登ってみてわかった。伊吹山や御岳がくつきりと見えた。遠くの山々に見とれていると、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、そこに葉子が立っていた。


橋本裕 |MAIL |HomePage

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