橋本裕の日記
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2004年04月30日(金) 非政府個人は非国民・反日か

「非国民」に続いて、「反日」という言葉が目に付くようになった。自民党の柏村武昭参院議員が、26日の参院決算委員会で、「人質の中には自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と発言したという。

「反日分子」というのは、戦前、中国や朝鮮半島で、武器を持って抵抗した勢力のことをそう呼んだのがはじまりのようだ。戦後世代の私たちにはあまり馴染みのない言葉だが、戦中派の人々は、こうした発言によって、いろいろな記憶がよびさまされたのではないか。私も教員になったころのイヤな経験を思い出した。

 20年ほど前に、豊田市の県立高校に勤務していた頃、毎朝夕、国旗に礼拝し、国旗と県旗と校旗をグランドに掲げていた。朝礼のある日は、君が代の伴奏付きで、私が掲揚係をしていた。なんとも時代錯誤のような気がしたが、近所の老人の中には涙を流さんばかりに感激していた人もいた。

 この話を前任校で同僚だった若い教員に話すと、「そんなにすばらしいが学校があるなら、僕は転勤したい」と言って、彼は実際数年後にその高校に転勤してきた。私より5歳ほど年下だったが、考え方は人様ざまだと思ったものだ。

 その学校でも職員旅行があったが、体調不良を理由に私が不参加を告げると、教頭から家に電話がかかってきた。「参加しないのは君をふくめて3人だけだ。あとの二人はAとBだが、あの二人はおかしいだろう。君は参加するね」とねちねちした声で言う。参加しなければ私も「おかしな3人組」の一人になりそうだったが、「不参加」をきめこんだ。

 ところが職員旅行が終わってから、私は教頭や上司の指導部長から、「君はこの学校に不満があるのだってね」と強い口調でいわれた。私がかって不用意に同僚にもらした一言が、旅行先でその同僚から校長に伝わり、「旅行に参加しないのは、学校に不満があるからだ。3人は不満分子だ」ということになっていたようだ。

 少し前に、下校時に驟雨があって、私のクラスの男子3名が相乗りをしようとタクシーを学校に呼んだ。それが指導部に見つかり、三人は指導室で正座させられ、反省文を書かされた。そのことを生徒から聞いた保護者が、夜、私の自宅に抗議の電話をよこしてきた。

「なぜ、タクシーの相乗りがいけないのでしょうか。あの雨の中を帰れば制服はずぶぬれになります。タクシーの方が費用も安いですし、風邪でも引いたらそれこそ学校もお休みしなければいけません。私たちは共稼ぎなので、迎えにもいけないのです」

 私自身も学校の指導は行きすぎだと考えていた。しかし、建前は「それが規則ですから」と答えるしかない。いきおい保護者や生徒との溝はふかまり、不信感が増大していく。そうしたことが他にもいろいろあるので、「こんなことでいいのでしょうか」と、学年副主任をしていたその同僚に疑問をもらしたのである。

 その時は彼も「僕もおかしいと思うよ」と私に同調していたのだが、職員旅行でそのことを私の名前を出して、校長に進言したようだ。ちなみに彼は翌年、学年主任になり、校長に学年新聞の題字を書いてもらうなど、みぐるしいほどのごますりぶりを発揮し始めるのだが、その当時はそんなそぶりを見せず、私は彼のことを数少ない良識派だと信頼していただけに、すっかり裏切られたような気分になった。

 数日後、職場でうかない顔をしている私に、隣の女性教員がこっそり写真を見せてくれた。浴衣掛けの校長を真ん中にして、女性職員ばかり20名近くが勢揃いしている。話を聞くと、深夜、校長の部屋へ全員が動員されたとか。校長の権力を見せつけるような一枚の写真だった。

 その女性教員は、「昔もこうしてこうして個人の人権が無視され、暗い時代がはじまり、戦争がはじまったのでしょうね」と溜息をついていた。意見や批判をいうと、すかさず告げ口され、「不満分子」と呼ばれて村八分にされる社会は息がつまる。「非国民」「反日的分子」などという言葉が横行し、国策に反対する個人を誹謗中傷する社会には、不安と、憤りと、怒りを覚える。


2004年04月29日(木) 共生的個人主義のすすめ

 社会の性格を論じる指標として、「競争的か、共生的か」「集団優先か、個人優先か」という二つの傾向に注目してみよう。この二つの指標を座標軸として採用すると、この両者の組み合わせから、私たちの社会は次の4つのタイプに分類される。

�ゞ�生的個人主義社会(西欧)
��共生的集団主義義社会(アジア、江戸時代の日本)
�6チ菘�個人主義社会(アメリカ)
�ざチ菘�集団主義社会(明治以降の日本)

 私の好みは、集団主義よりも個人主義、競争社会よりも共生社会である。したがって、私が理想とする社会は�ゞ�生的個人主義社会だが、かっての日本は��共生的集団主義社会であり、現在の日本はかなり共生的な側面を残した�ざチ菘�集団主義社会と考えてもよいのではないかと思っている。

 小泉首相やそのブレーンたちの考えているのは、�い侶燭貌�本を純粋化することだろう。国歌・国旗の法制化とアメリカ的な市場原理や自由競争を徹底すれば、その先に見えてくるのはこうした競争原理にもとづく集団主義社会であり、これは私にとって最悪の選択である。こうなったらもう、国を棄てて海外に移住するしかない。

 次ぎに嫌いなのは�6チ菘�個人主義社会である。これが庶民にとってどんなにひどい社会であるかは、現在のアメリカを見てみればよい。たとえばアメリカには70万人もの弁護士がいる。これは全米の警察官の数をも上回っている。これだけの弁護士が必要だということは、それだけ市民相互の紛争が多いということだ。アメリカの市民はこうしたことのために年間700億ドルも費やしている。

 それでもアメリカの刑務所には180万人もの囚人がひしめいている。そして年間1万にもの人が銃で撃たれて死んでいる。日本には2万人ほどの弁護士がいて、囚人の数は最近多くなったといっても6万人ほどである。

 日本では医療費の国民所得に占める割合は6パーセント台だが、アメリカの場合はなんと15パーセントにも及ぶ。これはアメリカ人の健康状態がいかに悪いかを示している。紛争解決や健康管理のためにこれだけのお金を使わなければならないということは、それだけアメリカ社会が庶民にとっては住み難く、ストレスに満ちた非人間的社会だということだろう。

 アメリカ社会のこうした惨状は、自由で競争的な市場原理のたまものである。もちろんこの市場原理は一方では目もくらむ大富豪を生み出すこともできる。かれらは私設のガードマンに守られ、要塞町のなかで安全に暮らすことが出来る。しかし、現在、アメリカでは私設警備員の数が警察官の総数を上回っている。安全のためにも、とほうもないコストがかかるわけだ。

 アメリカは自由の国だといわれるが、実際にこの自由を享受しているのは1パーセントの富裕層だけだ。ちなみに所得上位1パーセントの人たちが現在ではアメリカの総所得の20パーセント以上を独占している。1980年には10パーセントだったから、この20年間で2倍になっていているわけだ。

 さらにトップ5パーセントまでが、所得の35パーセント、トップ10パーセントまでが、46パーセントを占めている。上位50パーセントの人たちが全体の87パーセントを占めているわけだ。納税率で見ると、上位5パーセントの人たちが56パーセントを超えている。大半の国民はブッシュ大統領の減税政策の恩恵を受けることができない。このようにアメリカは貧困の格差をさらに拡大する政策をおしすすめている。

 アメリカのブッシュが大統領になって2年間で、アメリカでは貧困層が300万人も増えて、総数で3457万人をこえたという。人種的にいうと黒人の4人に1人が貧困層に属している。この数はこれからますます増え続けるだろう。そして、アメリカ社会はますます不健康で、犯罪と詐欺や欺瞞に満ちたストレスの多い社会になっていくことだろう。それでも、競争を愛し、個人の自由を貴ぶ人たちはアメリカに憧れる。そうした一握りの「強者」にとって、アメリカがとても住み易い天国であることも事実である。

 しかし私は個人の自由はこうしたアメリカ流の競争によってもたらされるとは考えない。私の考える「自由」は、私設警備員や弁護士や高度な医療設備によってかろうじて守られるような「自由」ではない。多くの人々が身の安全と失業の恐怖に怯え、道端でひもじさと寒さに震えているのを安閑と眺めることは自由ではない。それはただ自由の名の下に行われる不正義であり、虐待である。

 こうした競争によって得られるまやかしの自由より、人々の協力と共生によって得られる自由のほうが、はるかに美しく、自由の名に値すると考える。それは他人の不自由と不幸のもとに生み出される自由や幸運ではない。共生的自由は、他人とともにわかちあう自由であり、幸福である。共生的個人主義を推奨するゆえんである。


2004年04月28日(水) 若者よ、荒野を目指せ

世の中にはすばらしい人がいるものだ。ペシャワール会の中村哲さんの本を読んでいて、しみじみそう思ったものだが、千々石ミゲルさんが掲示板に書き込んでくれた国際ジャーナリストの浅井久仁臣(あさいくにおみ)さんのプロフィールを読んでも同じ思いがした。

<愛知県岡崎市生まれ。AP(米)通信記者を経て76年、フリーランス・ジャーナリストになる。レバノン内戦、イラン・イラク戦争、北アイルランド紛争を取材、新聞・雑誌・テレビなどに発表。1980年代から1993年までTBSテレビの契約特派員として湾岸戦争、旧ユーゴ内戦を報告してきた。その後、一時的にジャーナリズムから身を引いていたが、2001年9月11日の「同時多発テロ」後、各TV局から解説者としての出演要請を受け、活動を再開した。02年4月、戦火のパレスチナに入り、イスラエル軍の包囲下にあった(アラファト)議長府や大量虐殺疑惑のあったジェニン・難民キャンプに潜入取材、5月にも再度パレスチナ入りし、TBSニュースや『ザ・スクープ』でその内容を報告した。アメリカの対イラク攻撃に備えて11月、現地取材。開戦後は、様々なメディアで解説をしたり、各地で講演活動を行なっている>

 浅井さんはこの他に、1977年2月に「生で英米人に触れられる英会話学校」を埼玉県さいたま市南浦和に開校(ASE英会話スクール)し、「欧米人に愛想笑いをしないで喋ろう!」をうたい文句に、現在まで運営しているという。今年も中学・高校の英語弁論大会で入賞者、優勝者を輩出しているらしい。

 さらに1995年の阪神淡路大地震の際は、神戸市長田区にテント基地を設けて救援活動を行ない、防災・災害支援ヴォランティア「ACTNOW」というNGOを設立した。学校や町会に「防災マップ作り」「図上想定訓練」を実施するよう呼びかけ、出張指導をしたり、各地で講演活動を行ない、先細り傾向にある防災意識へ警鐘を鳴らしているのだという。また、「パレスチナに車椅子を」のキャンペーンを主宰し、イスラエル軍の銃撃で傷ついた子供等約100人に、一人一人の特性に合わせて現地生産された車椅子を贈っている。

 国際ジャーナリススト、英語塾経営、そしてボランティアNGOと、そのいずれの分野でも一流の活動をしている。しかも、三足の草鞋を履きながら、その歩みは一貫している。それは決して「勝ち組」に組みしないということだ。浅井さんの視点は被害者、敗者の側にある。そこにすぐれてヒューマンな精神が感じられる。最後に、「若者よ、荒野を目指せ」と題された最近の彼の文章から一部を引用しよう。

<若者が熱意のあまり突っ走るのは、いわば当然のことです。それは、若者の特権であるといってもいいでしょう。その若者のほとばしる情熱が歴史を変え、新しい社会を作ってきたことは、誰一人として否定できないはずです。若者が情熱の発露として行動を起こし、それが結果的に失敗に終わったとしても寛容に見てやるべきです。俯瞰した視点で助言を与えることは必要ですが、寄ってたかって袋叩きにするなんぞはもっての外です。今回の事件のように、政治家や役人が、それこそ自己責任から逃れたくて苦し紛れに言った「自己責任論」の尻馬に載って野次や罵声を上げていた人たちは、一度冷静になってその辺りを考えてみるべきです。為政者というのは、失政をして都合が悪くなると、マスコミなどをうまく使い、スケープゴート作りをして失政から国民の目を逸らそうとします。今回の小泉さんがまさしくその典型です。でも、今回の人質事件の後に行なわれた世論調査では、小泉さんは人気を挽回しています。

 かつては欧米人に対する下らない劣等感もあって尻込みしていた日本人ですが、そんな卑屈な劣等感を微塵も感じさせることもなく、欧米人に伍して修羅場で救援活動をやろうという若者が出てきたことをなぜ素直に喜べないのですかね。欧米人に英語で話しかけられるとお愛想笑いをする「若くない者」の時代は終わりつつあるのです。若くない者はそれではどうしたら良いか。ズバリ、若者が暴れられる場を提供してやることです。その際、大局的に見て助言や叱責が必要であれば、頭ごなしに叱るのではなく一緒になって考えてやるのです。また、間違っても、最終的な責任を彼らに求めてはだめです。身体が動かない分、若くない者はカネと責任負担をすればいいのです。(略)

 今日本では、あちこちで我々「団塊の世代」と後輩達の間で世代間格差が表面化しています。それは、いつまでも我々の世代が、「現役」にこだわっているからでしょう。肝要なのは、いかに後継者を育てるか、です。若者が失敗を恐れて冒険をしなくなったら社会は輝きを失ってしまいます。私はこんな情勢だから声を高らかに訴えます。「若者よ、失敗を恐れず、荒野を目指せ!」と>



2004年04月27日(火) ある国際ジャーナリストの視点

 高遠さんたちは解放直後の映像で、「イラクに残りたい」という思いを述べていた。これについて、小泉首相は記者団に、「これだけの目に遭って、多くの政府の人たちが自分たちの救出に寝食を忘れて努力してくれているのに、なおかつそういうこと言うんですかねえ。やはり自覚というものを持っていただきたいですね」と話した。

 この発言を聞くと、随分政府は人質解放のために動いたように聞こえる。しかし、政府がいったい具体的に何をしたのかよくわからない。今回の事件で、私が参考にした情報源のひとつに、浅井久仁臣さんのメールマガジン「私の視点」がある。浅井久仁臣さんは30年間にわたり戦争を追い続けてきた第一級の国際情勢ジャーナリストだが、その彼がこう書いている。

<今回の12名からなる逢沢副大臣ご一行様がヨルダンに行って何をしていたか、われわれが知らないとでも思っているのですかね。彼らは色々動いていたと言い張っていますが、私の情報網に彼らの活動は全然引っかかってきませんでした。かつて、ある政治家を通してですが、中東外交に多少の関わりを持ったよしみもあります。今回は、見るに見かねて、人質解放交渉の調停役になりうる人物を、その元政治家を通して外務省に伝えました。

 小泉さんは「色々大変な交渉だった」といった趣旨の発言をしていますが、何を指して言っているのか分かりません。まあ、彼が何もやらないでおいて、状況が思った方向に動くと自分の手柄にするのは「小泉流」として周知のこととなりましたが、動きもしないでおいて動いたと言い張り、挙句の果てに、その活動にかかった費用を人質達に負担させようというのは、相当悪質な国家的詐欺ですよ。

 実際に「人質救済」に直接かかった費用は、前回算出しました。ご覧のように大した数字ではありません。外務省に多少の良心と国際感覚がまだ残されているのでしたら、直ちにこの問題は終わりにして欲しいものです>

 しかし、こうした意見は一部にとどまっている。最初好意的に三人を紹介していたメディアが、途中からいっせに「自己責任」を論じ始め、バッシングに走ったからだ。テレビや雑誌、女性向けのの週刊誌をのぞいてみても、随分3人についての批判記事が目に付いた。

 テレビや新聞、雑誌は視聴率や販売競争をしているから、少しでも他社との違いを出そうとして、まんまと政府の自己責任論に乗ったのだろう。そして国民の反応がいいと知ると、いっせいに乗り遅れたら大変と、その方向に動きだしたのに違いない。このことは三人の人質事件がマスメディアによってどのように報じられたか、時系列で検証してみればわかることだ。

 事件が発生すると、島村宜伸・元文相は3人の人質に対して、「遊泳禁止の札が立っているのに泳ぎに行ったようなものだ」という厳しい見方を示した。さらに自民党の額賀福志郎政調会長は、「渡航禁止について、法制化も含めた検討を行うべきだ」と提言し、石破防衛庁長官も記者会見で「憲法には公共の福祉の制限がかかっている。『渡航をやめてください』ということも憲法上可能ではないか」と述べた。

 こうした自民党の声に公明党が同調し、やがて巨大メディアでも「自己責任」という言葉が、まるで3人を断罪する切り札のようにして、いたるところで使われるようになったわけだ。これにたいして、彼自身ジャーナリストとして身柄を拘束されたことのある浅井久仁臣さんは疑問を呈している。

 浅井久仁臣さんが1987年2月、10年以上続く内戦で最悪の無政府状態にあった首都ベイルートに乗り込んだときも、在レバノン日本大使館から、何度も電話で、ときには面と向かって退避勧告を受けていたそうだ。浅井さんの文章を一部編集して引用しょう。

<82年にイスラエルが陸海空三軍挙げてレバノンに侵略し、90日間の戦争でPLO勢力をレバノンから撤退させることに成功したものの、そのあとにイスラエル軍・米軍・シリア軍、そしてそれに加えて大小さまざまな武装勢力が入り乱れて収拾がつかなくなってしまったわけです。

 PLOがいた頃には300人以上いた外国報道陣も、次々に誘拐・殺戮をされ、恐れをなして大挙引き揚げてしまい、ついには西ベイルートから外国人ジャーナリストの全てが姿を消していました。

 そうした中で、パレスチナ難民キャンプが敵対勢力により包囲され、約2万人の住民が飢餓状態にある中、悲痛なメッセージがキャンプのイスラーム教聖職者から聖地メッカに向けて発せられました。それは、食料が底をついたので戦死した家族や仲間の死肉を食べる許可を与えて欲しいというものでした>

 こうした中で、浅井さんはTBSと特派員契約をかわしてベイルートに乗り込んだものの、境界線を渡るとすぐに、イスラム教シーア派ヒズボラーの民兵達に行く手をさえぎられ拘束されたという。そのあと解放されたが、すぐに又拘束され、数キロ先の目的地に着くまで計4回の連行・拘束を受けたという。

 しかし、こうして浅井さんは外務省の退避勧告を無視し、拘束にもめげずに前進した結果、難民キャンプの地獄絵図を世界に発信することができたわけだ。浅井さんには讀賣新聞のカイロ支局から取材申込みがあり、状況を話すと、翌朝外信面のトップで紹介されたという。

<しかし、ここでもはっきり申し上げますが、讀賣からは一切金銭は受け取りませんでした。今回の人質問題関連の記事を読んでいて、「自己責任」の旗振り役になっている讀賣新聞ですが、あの時は私に批判めいたことはひと言も発しませんでしたし、逆に私の行動を褒め称えました。

 讀賣さんに聞きたいのは、87年のときの私の取材活動と、今回人質になったジャーナリストの違いは何であったか、ということです。確かに、経験や危機管理の面で多少の違いはあったでしょうが、本質的には彼らと私は同じ立場です。

 レポートはアメリカの三大ネットの一つでも映像が流され、世界に惨状を伝える事ができました。そして、やがて停戦が結ばれ、住民の飢餓死という最悪の事態は避けられました。

 戦争取材では、「勝ち組」から取材すれば、リスクも少なく、軍や政府の側からの評価も得られるでしょう。しかし、ジャーナリストの大きな使命の一つに、世界から忘れ去られた人たちのことを伝える仕事があります。

 勝ち組取材を否定するわけではありませんが、大量の爆弾が落とされる側に入って取材するのは、ジャーナリストが忘れてはならない視点です。それはマスコミであろうと、フリーランスであろうと変わりはないはずです。

 確かにそういう取材は大きな危険を伴いますし、下手をすれば大使館の世話になることもありえます。だからといって、それがどうして「自己責任」だの「迷惑」などという論議になるのですか。理解不能です。私の周りの欧米人を含む外国人に聞いても全て、ほとんどではなく全てですよ、私の意見に賛成でした。

パウエル国務長官の発言も同様でしたよね。欧米各紙の論調も「人質の家族を脅かす不気味な日本社会」となっていますよ。恐らくここまで激しいバッシングになったのは、3人が揃って反体制派だったからでしょう。自衛隊派遣反対だったからでしょう。国の安全保障になると、自由に物も言わせない社会は、民主主義でもなければ、自由主義でもありません。>

  メディアリテラシーの問題としても、これからの時代は巨大メディアに頼ってばかりいてはいけない。インターネットを通して国内、海外の情報を収集し、自分で情報処理する能力が必要になってくる。そうでないと、政府の主導する世論誘導に易々と載せられてしまいかねない。そういう意味で、リアルタイムで毎日数通も配信されてきた浅井久仁臣さんのメールマガジン「私の視点」は、事件の本質を考える上でとても助けになった。

(参考サイト) 
浅井久仁臣「私の視点」
http://www.asaikuniomi.com/


2004年04月26日(月) 飢饉の村に水が来る

 イラク戦争のとばっちりで、アフガンで活動するペシャワール会の人々の安全が心配だったが、先日届いたペシャワール会報(No.79)に、中村哲さんの「難工事乗り越え、用水路ついに通水」の文章を見て、胸をなで下ろした。

 去年の春から1年がかりでクナール川からの水路工事が行われていたが、3月7日にようやく、堰と取水口水門、さらに全長14キロメートルの水路のうち2キロメートルほどが完成し、600名あまりの現地作業員や職員たち、駆けつけたニングラハル知事らと、貯水池までの通水を確認したという。

<職員の中には元タリバン兵も少なからずいたはずですが、命の前には新政府も反政府派もありません。・・・・昨年11月の「米軍ヘリ銃撃事件」後、「水路現場飛行を避ける」という米軍側の約束にもかかわらず、今日もヘリコプターが、超低空でけたたましく頭上を過ぎて行きます。あらゆる「正義」が白々しく、何やら搭乗する米兵たちが哀れに思われてなりませんでした>

 クナール川はヒンズークシ山脈最大の川で、春先には雪解水が押し寄せてくるので、なんとしてもそれまでに堰や取水口水門を完成しなければならなかった。アフガン20年の中村医師が「弾丸が飛び交う場面で仕事をしたことがありますが、今となってはたいした苦労でなかったように思われます」と書くくらいだから、よほどの難工事だったのだろう。

<水路建設に携わった日本人ワーカー16名、ほとんどが20代の若者たちです。強烈な陽射しと冷たい水の中で、現地の人々と一緒に、汗と泥にまみれて働きました。休日返上、朝は5時に起き、時には夜遅くまで、時には冷たい雨の中で必死の作業が続けられました>

<アフガン人作業員たちもよく働きました。大半が旱魃でやられた村の人たちだったので、「水が来る」という希望もあり、志気が高かったと言えます。また、農民たち自身がすぐれた石工であり、岸壁の石積みや蛇籠の石詰めをたちまち修得し、石工不足の杞憂は苦もなく解消しました>

 水路工事は将来のことを考えて、コンクリートは水門の一部に使っただけで、石組みなどの伝統的な技術にこだわったのだという。これだと今後何十年も村人が自分たちだけでこの水路を維持することが出来る。

 これは中村医師が井戸を掘るときのポリシーでもあった。当時、ヨーロッパのNGOが資金力にものを言わせ、大型のボーリング機械を駆使してさかんに井戸を掘っていたが、そうした近代的な井戸は飢饉になり水位が低下するとたちまち使いものにならなくなり、廃棄された村にNGOの名前の書いた看板だけが立っているだけになる。

 これではいけないと、中村医師は現地の農民達とともに手堀の井戸を掘った。そして掘った後で、かならずその道具も井戸とともに村人に残したのだという。これだと村人は井戸の水が涸れても心配することがない。自分たちで井戸を生き返らせることができるからだ。用水路の建設でもこうしたポリシーが徹底された。作業用の舟まで自家製で作ったという。

<水路は底面幅4メートル以上、上部幅6メートル以上、護岸は高さ1メートルの蛇籠を二段重ねて水路壁とし、この上に土嚢を三段に積んでその隙間に沢山の柳を植えました。こうすれば、数年のうちに柳の根が水路をバスケットのように地下から包んで保護します。わずか2キロメートル区間に植樹された柳は、1万本を超えます>

 こうした将来までも見越したペシャワール会の援助は現地ですこぶる評判がいいようだ。中村医師みずから水浸しになりながら、掘削機を操作する毎日だったという。現地作業員達はこれを見て、「日本人が必死でやっているにどうして我々は休んでいられようか」とがんばった。しかもこうした難工事でありながら、一人の殉職者もださなかった。長年の医療活動や井戸掘りで培われた人命尊重の精神が活かされたからだろう。

 欧米のNGOのなかには国連や自国政府の資金によって、現地の下請け会社にその場限りの施設を作らせ、たんなる実績かせぎをしているものも多いようだ。ユニセフなどでも、組織が大きいために、資金の9割を組織運営にあてているのが実態らしい。つまり募金のほとんどが組織の人件費になっているわけだ。これが欧米型のほとんどのNGOの実態で、中村哲さんは「失業対策」ではないかと書いている。

 そうしたなかで、ペシャワール会は日本側の活動はすべてボランティアを原則としていて、数千名からの会員による募金の実に9割以上が現地での実際の活動に使われている。こうしたすべてを活動そのものに集中する徹底した現場主義もすばらしい。私の日記を読んでいる人で、まだペシャワール会に入会していない人がいたら、この機会に是非入会を考えてみて下さい。

(なお、ペシャワール会と中村哲医師の活動について、「なんでも研究室」の「アフガンの空の下で」にまとめておきました)


2004年04月25日(日) 各国の思考法で見るイラク戦争

 一昨日、それぞれの国に特徴的な思考スタイルの話を書いた。そこで今日はこれをイラク戦争での各国の対応にあてはめてみよう。まずは戦争を始めた張本人のアメリカはどうかというと、イラクにある大量殺戮兵器を廃棄し、世界とアメリカをテロの恐怖から守るためだということだった。

 その後、アメリカは大量破壊兵器がないとわかると、イラクをフセインの圧政から解放するためだとか、イラクを民主化するためだとか、戦争の大義名分を次々と変えていったが、その根底にある思考法が、「実利主義」であることが容易に見て取れるだろう。

 もっともこの実利なるものが、そうとうにいかがわしいものであることは言をまたない。アメリカのため、イラクのため、世界の平和のためといいながら、その実、ブッシュ政権が基盤とする石油ビジネスや兵器ビジネスの利益のためなのである。だから、このことが分かっている人はイラク戦争に反対する。

 さて、次はアメリカとともにイラク戦争の一翼を担ったイギリスである。イギリスは「実証主義」の国である。戦争を始めるにあたって、何よりも重視したのが、イラクが大量破壊兵器を持っているという事実であった。イギリス政府はイラクがウランを購入したという証拠書類を見つけ、これをアメリカに送った。他にもさまざまなもっともらしい証拠を示してブッシュを助けた。イギリスの「実証主義者」としての面目躍如といったところだろう。

 ところが、今日ではこれらの証拠がすべてイギリス政府がでっちあげたニセモノだということが分かっている。つまり、イギリスの「実証主義」もずいぶんいかがわしいものだったわけだ。そしてとうとう、ブレア政権は「偽証罪」で問われる羽目になっているわけだ。「実利主義」のアメリカは、独裁者のフセインをやっつけたのだから、偽証なんてたいしたことではないとうそぶいている。しかし、イギリスにとっては、その実証主義の看板がはげ落ちたわけだから、ダメージは小さくない。

 次ぎに、アメリカ、英国に追随したスペインやイタリアや日本はどうか。これらの国の思考法は一口に言って、「権力追随主義思考」である。世界の覇権国家であるアメリカに協力せよと言われた以上、これを拒否することはできない。こうした強国についていれば、まずまちがいがないだろうという考え方である。

 第二次大戦のときにドイツについたのも、当時ドイツが世界一の強国に思えたからだった。しかし、第二次大戦でドイツは破れ、イタリアや日本の思惑は完全に裏目に出た。今回のイラク戦争でもアメリカは苦戦している。スペインは鉄道爆破テロを機会に方向転換した。日本は自衛隊をイラクに派遣したものの、イラクの治安は日毎に悪くなり、人質事件まで起きてしまった。イタリアはとうとう人質が殺されてしまった。それでも、イタリアも日本もアメリカを支持し続ける。この「権力追随主義」がふたたびこれら両国を破局へと導かないとはかぎらない。

 これに対して、フランスやドイツはイラク戦争に反対した。「論理主義」のフランスは国連の承認のないイラク戦争が国際法の手続き上許されない違法行為であると噛みついた。また、「理想主義」のドイツは、そもそもアメリカの覇権主義がまちがっているとして、武力ではなく、人道的な支援の重要性を訴えた。

 こうしてみると、今度のイラク戦争は「実利主義」「実証主義」「権力主義」に対する「論理主義」「理想主義」の戦いで始まったわけだ。しかし、アメリカとイギリスの「実利」「実証」がそもそもインチキだということも次第に明らかになってきた。現在の局面は、アメリカの「覇権主義」と、これに追随する勢力に対する、「実利」「実証」「論理」「理想」主義の戦いと言ってよいだろう。


2004年04月24日(土) 批判は誰のためにするのか

 他者への批評や批判は、できることなら、相手のことを考え、相手のことを思ってなされるべきだろう。たとえば、教師が生徒を批評するのは、生徒のためである。日本という国を批判するのも、日本が好きで、これをもっと住み易いよい国にしたいと思うからである。こうした愛情に裏打ちされていれば、お互いに批判しあうことで、かえって信頼関係も築かれていく。

 しかし、今日行われている批評や批判がすべて、こうした他者への愛情や理解に裏打ちされているかというとそうではなさそうだ。批判の名を借りて、相手への非難や誹謗中傷まで行われているのが現実だろう。そこにあるのは他者への理解や愛情ではなく、他者への無理解と憎悪である。

 こうした自己中心的な姿勢からの批判は、かえって反発を呼び、他者との関係に溝を生むことになる。そこから実りあるものは生まれようがない。不毛であるばかりではなく、憎悪と不愉快と敵意を再生産する。

 そこでこうした不幸を生じないために、他者を批判するときには、自分は真実を述べているかということだけではなく、その動機についても、「自分はほんとうに相手のことを思っているのか」「自分のプライドのためや、不平不満のはけ口として他者を攻撃しようとしているのではないのか」と、一度自分の胸に虚心に訊ねてみたほうがいいだろう。

 私もこの日記で夥しい批評や批判を書いている。そのときの私の姿勢は「真実のために」ということが第一であった。しかし、「真実」などというものは誰にもわからぬことである。むしろ、批判を向ける相手に対する理解や愛情をもっと重視したほうがよいのではないかと考えるようになった。そうでないと、真実という独善に陥りやすいからだ。

 こうした他者への愛情を欠いた批評のサンプルは雑誌や新聞にあふれている。今日はそのなかから、曽野絢子さんの文章を紹介しよう。曽野さんを誹謗し中傷しようというのではない。もって他山の石にしたいからだ。

−−−−−−−−−以下、引用です −−−−−−−

「月賦で払うべき」 曽野絢子 (女性セブン5/6号)

 自己責任には金銭もはいります。救出などの費用については、全額かどうかは別にしても彼らはかなりの額を負担すべきです。日本政府を批判するのはいいけど、それなら政府の力もあいてにしないくらいの覚悟がいりますね。国民の税金を自分の思慮の浅さのために使えばいいというものではないでしょう。

 それに、当然政府は身代金を払っています。言葉だけで、人道上解放するなんて甘いことはアラブの世界にはありえませんから。川口外務大臣に対して、礼を尽していないという聖職者の発言がありましたが、それは金の払いが足りないということです。

 それを日本人は、親切だけで帰してくれたと思う。そういう甘い考えは一刻も早くやめるべきです。親切にするけどタダではない、というのがアラブのやりかたなんです。(略)

「イラクの人が嫌いになれない」とかね。好意があればそれでけでイラク国民に通じる、と思うのも幼さです。本当に嫌いになれないかどうかは、日本政府が何もしなくても殺されるはめになっても言える言葉でしょうか。(略)

 金額全額負担は無理として、応分のものを働いて月賦で払っていただいたらどうでしょう。10年月賦、20年月賦でも、国庫に。長期であろうと短期であろうと責任は責任として果たすのが当然でしょう。


2004年04月23日(金) 真理はどこからやってくるか

こんなたとえ話がある。国際学会である学者が学説を主張したところ、イギリス人、フランス人、ドイツ人、アメリカ人、中国人、日本人の学者たちがそれぞれ質問にたった。

�ー他攫腟措圓離ぅ�リス人学者は、「あなたの主張はどんな事実によって支えられていますか」と問いかけた。学者が該当する事実をあげると、質問者は納得した。

�∀斥�主義者のフランス人学者は、「あなたの主張はどんな論証の結果得られたものですか」と問いかけた。学者が論理展開に間違いがないことを示すと納得した。

�M�想主義者のドイツ人学者は、「あなたの主張はどんな理念によって導かれましたか」と問いかけた。学者が自らの理念を述べると、質問者は納得した。

�ぜ騨�主義者のアメリカ人学者は、「あなたの主張は世の中にどんな利益をもたらしますか」と問いかけた。学者が実用性について述べると、質問者は納得した。

�ナ幻ゼ腟措圓涼羚饋由惻圓蓮◆屬△覆燭亮臘イ呂匹里茲Δ癖幻イ砲茲辰椴�付けられていますか」と問いかけた。学者が有名な論文を引用すると、質問者は納得した。

�Τ慘鮗腟措圓瞭�本人学者は、「あなたはどこの大学の出身ですか」と問いかけた。学者が世界的に高名な大学の名前を上げると、質問者は納得した。

 このたとえ話の原型はプリンストン大学のヨハン・ガルタングという先生がもう20年ほど前に書いた英米型、ドイツ型、フランス型、日本型の4つの知的スタイルについての論文である。ちなみに日本人の質問は、「あなたはどなたのお弟子さんですか」ということになっている。これを私なりにアレンジし分類を増やしてみたわけだが、さらにもう一つ日本に存在する知的スタイルの型を付け加えると、

�Ъ太喙腟措圓瞭�本人は、「あなたはこれまでどんな実績をもっていますか」と問いかけた。学者がノーベル賞の候補になるような論文を学会で発表したことがあることを聞かされて、すつかりその学説を信用した。

 さて、以上は程度の差はあるが、一応「知的スタイル」と呼んでよい合理性を備えているように思えるが、この他に、日本にはおよそ知的とはいえないスタイルも広く行われている。そうしたタイプの思考法についても書いておこう。

��体制順応主義者の日本人は、「あなたの説は多くの人々によって支持されていますか」と問いかけた。学者が「いいえ、今のところほんの一握りの人たちだけです」と答えると、質問者は「それではあなたの説が多くの人々に受け入れられるまで、私は判断を保留します」と言って会場をあとにした。

��権力主義者の日本人は、「あなたの説は政府によって受け入れられるでしょうか」と問いかけた。学者が「政府はあまり歓迎しないかも知れませね」と答えると、「お上に楯突くとろくな事がありませんよ。そんな説は今すぐ取り下げるべきですね」と忠告した。

 ここで、身内である日本人のことを少し悪く書いたが、基本的には� 銑�の思考タイプはどこの国でも一般に見られることだろう。これを自分の周囲の人間にあてはめて観察すると面白いかも知れない。私は自分を��の理想主義のタイプだと考えているが、たぶんに�ァ銑�の要素も持っている。��番目としてこうした多元主義者の日本人をあげることができるかもしれない。これで「橋本流十如是」の完成である。


2004年04月22日(木) たとえばこんな例はどうかな

 今、真冬の荒れた川に落ちた出稼ぎ外国人の子供がいるとする。川岸には大勢の見物人がいるが、だれも助けようとしない。消防隊員も今は具合が悪いと、待機しているだけである。そして「川が荒れていますので、川岸から退避してください」と繰り返すだけだ。そこに一人の青年が、「僕が助けに行きます」と川に飛び込んだ。ところが、その頃から、川の流れはさらに激しくなってきて、とうとう青年も力つきて溺れてしまった。

 これを見て川岸が騒然となった。青年の家族が駆けつけ、「おねがいします。助けて下さい」と絶叫している。消防隊員は分かりましたと言うが大勢でのろのろと岸をパトロールするだけだ。そこで、興奮した家族が「もっとしっかり仕事をしてください」と訴えると、周囲の人たちが、「それは筋違いだ。退避勧告がでていたのに、川に飛び込んだ青年の方が悪い」と怒りだした。

 青年はさいわい向こう岸に流れ着き助けられた。そのときのインタビューで、「子供が心配です。私はもう一度川に飛び込んで彼をたすけたいくらいです」と答えた。これを知った群衆が、また騒然となった。無事帰還した青年に対して、「君の軽薄な行動で、私たちはさんざん迷惑をうけた」「捜査費をしっかり払え」などと、さかんに嘲罵を投げ続けた。マスメディアも「退避勧告の出ていた荒れた川に飛び込んだ青年が悪い。本人も家族も自己責任を自覚すべきだ」という論調である。

 国会では官房長官が参院本会議での質疑の中で、「本人の配慮が足りなかったことは否定できない。自己責任とは自分の行動が社会や周囲の人にどのような影響があるかをおもんぱかることで、人命救助が是か非かという議論以前の常識にあたることだ」と異例の厳しい言葉遣いで批判した。

 さらに「自ら危険な場所へ行って信ずることをやりたいという人を政府が強制的に止めることはできない。しかし、多くの人に迷惑をかけるのに、十分な注意も払わずに自分の主義や信念を通そうとする人に、それを勧めたり称賛すべきだろうか」と述べ、青年の行動を支持する小数の人々がいることに遺憾の意を披瀝した。これによって、政府はますます支持率を上げた。青年とその家族や友人は非国民呼ばわりされて傷つき、無口になった。

 海外ではこの事件が「不思議な国ニッポン」として報道された。アメリカの国務長官は「青年の行動を立派だ。日本人は彼を誇りに思うべきだろう。危険を冒す人がいなければ社会は進歩しない」とコメントした。

 フランスのルモンド紙は、この事件で、日本政府などの間で「自己責任論」が台頭していることを紹介、「日本人は人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、政府や保守系メディアは青年の無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅうとしている」と批判した。

 東京発の記事は、救助された青年が「これからも出来る限り人助けをしたい」と発言したことをきっかけに、「日本政府と保守系メディアの間に無理解と怒号が沸き起こった」と指摘。「この慎みのなさは制裁まで伴っている」とし、「青年の家族に謝罪を要求」した上に、健康診断や帰国費用の負担を求めたと批判した上で、「青年の純真さと無謀さが結果として、死刑制度や難民認定などで国際的に決してよくない日本のイメージを高めた」と評価した。

 こうした海外の青年の勇気ある行動にたいする評価とは裏腹に、信じられぬ事だが、日本ではいまだに青年に対する非難が続いている。そして川で溺れた子供については、もうだれも問題にしない。実が、まだたくさんの子供たちが溺れているのだが、もう誰も日本人はその悲劇に目を向けようとしなくなった。

 こうして政府やマスコミが流した自己責任論は、他人の痛みに無神経で無責任で怠惰な人々に絶好の自己正当化の機会を与え、この国の人々をさらに無責任で怠惰な群へと導くことになった。


2004年04月21日(水) メディア・リテラシーのすすめ

 行きつけの喫茶店に「新潮」や「文春」などの週刊誌がおいてあるのでときどき読んでいる。そこには私とは思想信条の違う人たちがいろいろ本音で書いているので、それを批判しながら読むのが楽しいからだ。思想や立場が違っても、事実や論理をごまかさずに誠実に書いている人の文章には好感を持てるし、学ぶべきものがあると思っている。

 しかし、こうした週刊誌しか読まずに、そこに書かれていることを一方的に信じている人がいたら、これはからり危ない情況ではないかと思うことがある。私の場合はたとえ「朝日」であっても、頭から信じようとは思わない。朝日新聞が戦争中に「経営の事情で」右傾化したことは有名である。そして実はこうした一見「良心的」と思われているるメディアが変節したときが一番あぶないわけだ。

 私は広告収入を得ているマスメディアを信用しないことにしている。だからテレビはほとんど見ない。新聞や週刊誌、雑誌はテレビよりは信頼するが、これも基本は商業主義だと思っている。だから、世論が右傾化すれば、内容も右傾化する。そうしたことを勘案した上で、私たちは日頃からメディアリテラシーを磨いておく必要があるのだと思う。千々石ミゲルさんによると、メディアリテラシー 【media literacy】の定義は次のようなものだそうだ。

<情報が流通する媒体(メディア)を使いこなす能力。メディアの特性や利用方法を理解し、適切な手段で自分の考えを他者に伝達し、あるいは、メディアを流れる情報を取捨選択して活用する能力のこと>

 今回のイラク人質事件で痛感したのも、テレビや新聞、雑誌などのメディアの影響力の大きさだった。あるひとつの出来事を伝えるにも、どこをどう強調するかで、ずいぶんと印象がちがってくる。メディアの伝える内容をどう自分で受け止めるかが重要になる。

 メディアのいいなりになるのではなく、メディアを活用して、自分なりの視点をもち、さまざまな出来事に対して主体的な判断ができることが必要になる。国民がこうしたメディア・リテラシーを持たないとどうなるか。政府は自分の都合の良いように世論を誘導し、自分に都合の良い政策を続けることだろう。

 私たちが一番警戒しなければならないのは、権力者による人心の支配である。しかも支配されているという自覚を持たずに、知らず知らずに支配されているという情況が恐ろしい。そこでこうした人心支配はどのようにして進行するのか。スティーブ・ハッサンは「マインドコントロールの恐怖」という本のなかで、支配のレベルを次の4段階で説明している。

�々堝阿離灰鵐肇蹇璽襦兵�由時間と行動の制限)
�∋彖曚離灰鵐肇蹇璽襦福�か×かの紋切り型の思考)
�4蕎陲離灰鵐肇蹇璽襦丙甍�感、恐怖)
�ぞ霾鵑離灰鵐肇蹇璽襦柄�択された知識や情報しか受け付けなくなる)

 たとえば、レベル�,涼奮�として、国歌・国旗の強制があげられるだろう。その際、強調されるのが、「国歌や国旗は無条件に尊重されなければならない」という石原都知事流の問答無用の紋切り型思考である。あるいは、今回の人質事件に見られるような、「迷惑をかけたから謝罪せよ」というような単純な決めつけである。これはレベル�△涼奮�だと言えよう。

 こうした精神的リンチや戒告処分のような被害を受けたり、被害を受けた人の報道に接しているうちに、私たちの心には、「お上に逆らって何かをするととんでもないことになる」という恐怖心や罪悪感が植え付けられる。そして、自己防衛の最後の段階として、権力者によって選択された知識や情報しか受け入れなくなるわけだ。私のみるところ、日本はレベル�い涼奮�に限りなく近づいているように思われる。


2004年04月20日(火) いよいよアメリカが投げ出した

ブッシュ大統領は16日、ブレア英首相と会談したあとの共同記者会見で、6月末の主権移譲後のイラク暫定政権づくりにあたり、米政府が人選した現在のイラク統治評議会は解散し、政権の主要な顔ぶれについては国連が改めて任命するという国連の提案を受け入れることを表明した。その背景について、朝日新聞はこうかいている。

<こうした方針転換の背景には、イラク駐留軍と武装勢力との衝突が全土に広がり、外国人を対象とする人質事件も相次ぐなど治安が極めて悪化していることがある。国連が前面に出て暫定政権づくりを進めない限り、事態の沈静化と主権移譲プロセスの進展は難しいと判断したとみられる。ただ、治安状況が改善しないなかで国連がどこまで役割を果たせるか、米英と協力した形での国連の役割をイラク国民が支持するかどうかは、不透明だ。>

 イラクに自由と民主主義が確立するまで、アメリカ主導の占領政策を続けるといいつづけたアメリカだが、いまやイラク全土に反米の嵐が吹き荒れるなか、スペインやタイが軍隊や援助隊を引き上げる動きをみせる事態を前に、今後のイラク統治の見通しがつかなくなってその方針を一転させたわけだ。いわば、苦しいときの「国連たのみ」である。

 しかしこれほどまでに混乱したイラクに、国連が乗りだしていって、事態を収拾させることができるとは思えない。結局イラクはイラクの手に返したほうがいいのではないかと思う。

 アメリカ軍がいなくなれば、NGOも安心して活動できる。そうすれば高遠さんや今井さんにも活動の場が拓けるだろう。日本や外国の企業も安心して進出することができる。イラクの復興にはこれが一番だと考える。

 イラクをこれいじょう悲劇の戦場にしてはいけない。アメリカの石油産業やネオコンたち利権集団にとっては不満だろうが、そもそもイラクに自由や民主主義をもたらすというスローガンが虚妄以外のなにものでもない。アメリカそのものがそんな立派な国とはとてもいえないのだから。 


2004年04月19日(月) 「非国民」宣伝が奏功

 私のHPの掲示板に、渚のバラードさんが共同通信社の世論調査の結果を書き込んでくれた。Yahoo!Newにあったそうだ。まず、その記事を引用してから、私の感想を書こう。

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人質対応68%が評価 自衛隊派遣賛成は過半数

 共同通信社がイラク人質事件での日本人3人の無事解放を受けて16、17両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、事件解決に向けた政府の取り組みを「評価する」と答えた人が68・4%で、「評価しない」の22・1%を大きく上回った。
 犯行グループが要求した自衛隊撤退を政府が拒否したことについては、61・3%が「妥当だった」と回答、「妥当ではなかった」は8・8%にとどまった。イラクへの自衛隊派遣に関しては、賛成が53・2%で、今年1月に陸上自衛隊の派遣が始まって以来の調査で初めて半数を超えた。反対は38・2%。事件発覚直後の今月9、10両日に実施した前回調査では、政府の自衛隊撤退拒否に対して「支持」と「不支持」が拮抗(きっこう)しており、人質が無事解放された結果が評価につながった。
 小泉内閣の支持率は7・2ポイント増え55・6%、不支持率は6・8ポイント減って32・5%だった。(共同通信)
[4月17日20時59分更新]

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3人が拘束されて、「自衛隊が派遣されるとNGPの人道的援助活動が阻害される」という自衛隊派遣反対派の不安が現実化した。これはアメリカの手前、何が何でも「自衛隊派兵」にこだわる小泉自民党や、パックスアメリカーナを是とし、アメリカの国際戦略に荷担する勢力にとって、ほんとうにピンチだった。

 そこで、このピンチをどう逃れるか。その戦略がさっそく立てられた。それが3人とその家族を「非国民」として攻撃することだった。

�。蛙佑�拘束されたのは退避勧告の出ている危険地帯にのこのこ出ていったためだ。そうした軽挙妄動に対する自己責任を追求しなければならない。

�■蛙佑�解放されたのは、政府が水面下で努力した結果である。3人と家族は政府に感謝しなければならない。

��その際、政府は相当の資金を使った。3人とその家族は弁償すべきだし、また迷惑をかけた政府と国民に謝罪しなければならない。

�ぃ蛙佑了�件の教訓はただひとつ、イラクのような危ない国では、人道援助は軍隊によって行わなければならないということだ。

 こうした3人に対するネガティブキャンペーンと自衛隊賛美論がマスコミを使って大々的に行われた。世論調査にはその成果が現れている。自衛隊派兵の危険性が、いつのまにか3人の自己責任の問題に矮小化され、精神的な集団リンチがおおっぴらに行われたのだ。

 なお、政府が本当に人質解放に努力したのかどうかあやしい。新潮や文春はもっともらしく政府が身代金を何億円も払ったと書き立ているが、こうした記事を読めば、苦しい家計をやりくりしている国民はずいぶん迷惑をかけられたと思うだろう。

 ところで政府はこの一年間に30兆円もの米国債を買って、アメリカに仕送りしているのに、これに誰も怒らないのが不思議だ。巨悪には寛容で、小さな過失ばかりにこだわるのはあまり良い趣味とは言えない。

 イラクは危ない国だというが、イラクをそんな国にしたのは、アメリカの侵略と占領政策の破綻である。とくにファルージャに対する非人道的攻撃はイラクの人々にとって許されるべきものではない。民間人拘束という人質作戦をおびき出したのはアメリカ占領軍であったことを忘れてはならない。アメリカが去り、自衛隊が去ることによって、はじめて心のこもった人道支援が可能になるだろう。イラクとイラクの人々を敵視しているあいだは、ただ非生産的な消耗戦が続くだけだ。それはアメリカとイラク双方に不幸なことである。

 そもそもパックスアメリカーナがそれほど魅力的なことだろうか。年間1万人もの人が銃で殺され、180万人もの囚人がいる国である。日本政府から年間30兆円も援助を受けて、それで国民に大減税を行い、戦費を調達し、世界中に武器を輸出し、世界を戦場にしている国である。こんな腐敗した国を自由で民主的な国だと呼ぶ人の気が知れない。本当の自由と民主主義は、多様な価値観を認めて、異質な文化や文明を尊重し、平和共存をはかる寛容の精神から生まれるものだからだ。

 東京都で起こった卒業式での起立拒否職員の大量戒告処分といい、今回の人質パッシングといい、世の中がしだいにとげとげしく不寛容になってきた。朝日新聞の「声」に、「今度戦争なら私らの責任や」という47歳の主婦の意見が書かれていたが、この言葉をかみしめてみる必要がある。

 なお、私のHPの掲示板で、イラク人質問題について、大激論がかわされている。今回それを「イラク問題を考える」という題でひとつにまとめてみた。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/iraku.htm


2004年04月18日(日) 生きる喜びをわかちあうこと

 昨日は一日、部活(テニス)の試合だった。朝7時半に家を出て、帰宅が6時近くになった。試合の合間にテニス場脇の木陰で、中村哲さんの「医者井戸を掘る」と「辺境で診る辺境から見る」を読み返した。今日の試合の引率には、やはり中村さんの「アフガニスタンの診療所」(筑摩書房)を持参するつもりだ。

 中村さんの本を読みながら、私はイラク問題を考え、現在日本で話題になっているイラク武装勢力による人質事件のことを考えた。解放された高遠さんはじめ3人の行動が批判されているが、中村さんならどんな感想を述べるだろう。おそらく3人の行動を「軽挙妄動」などと断罪したりはしないのではなかろうか。「医者井戸を掘る」から少し引用しよう。

<逃げ場もなく、あの旱魃の最中で、水運びに明け暮れ、死にかけたわが子を抱きしめて修羅場をさまよう女たちの声は届くべくもなかった。

 いや、女だけではない。一般大衆の声は総て届かなかった。世界のジャーナリズムが聞いたのは、ごく一部の、西洋化してアフガン人とは呼べない人の声であった。

 平和は戦争以上に忍耐と努力が要るであろう。混乱と苦痛のない改革はありえない。しかし、それが国家民族の防衛であり、世界の中で課せられた使命であり、戦争で逝った幾百万、幾千万の犠牲の鎮魂である。

 私たちの役得は、復活した村々の人々と喜びを共にできることである。そして、それは何にも代えがたい尊いものである。差し出された一杯の冷たい水が美味しく、自分もまた、命を得たような気がした。

 この世界の片隅の、見捨てられた一角にこそ、神はその気配を現される。欧米諸団体との確執、これみよがしな国際援助の宣伝と実のなさ、仏跡破壊をめぐる報道、政治的な国際世論、ペシャワールや日本でも騒々しい出来事・・・、心ない我執には見えぬ世界があるのだ。

 現在アフガニスタンで進行する戦慄すべき事態は、やがて世界で起きうることの前哨戦に過ぎない。経済不況の危機感も、「地球環境」や「人権」などの美しい議論も、やがてきたるべき破局に比べれば、大したことではないようにさえ思われる。

 世界に知られざるこの光景は、私たちが文明と呼ぶものの総体、政治、経済、文化、技術など、あらゆる分野の人間の営みに、危機的実態を根底から問わずにおかない。そして、この危機のさなかにありながら、戯画的な人為の小世界に埋没する我々の姿も浮き彫りにされるだろう>

 2001年3月4日、中村さんはパキスタンのペシャワールで、バーミヤンの仏跡が破壊されたことを知った。そして、アメリカをはじめとする国際世論がタリバン政権批判へと一色に塗りつぶされていくなかで、難民達はぞくぞくと国境を越え、ペシャワールの難民キャンプへ逃れてきた。

 アフガンを逃げ出してきたのは難民だけではない。各国のNGOや国連組織の要人達、ジャーナリストたちもぞくぞくと退避をはじめた。こうしてアフガンが国際社会で孤立するるなか、中村哲さんは何と首都カブールへ行くことを決意する。カブールには難民がひしめいていたが、医療施設がひとつもなかった。

 この計画に誰もが驚いた。中村医師の活動を支援する日本ペシャワール会からも、「安全性はどうなのか」「今タリバン政権に接近するのは得策でないのではないのか」という不安や慎重論が中村医師のもとに寄せられた。これにたいして、中村さんは、「議論は無用である。全責任をとることを覚悟で、計画に変更なしと、皆に伝えた」という。そして、こんな訓辞をしたという。

<われわれはアフガニスタンを見捨てない。人類の文化とは何か。文明とは何であるか。考える機会を与えてくれた神に感謝する。真の人類共通の文化遺産は、平和と相互扶助の精神である。それは我々の心の中に築かれるべきものである>

 こうしてペシャワール会は当時もっとも危険と思われたタリバンの占拠するカブールへ進出し、そこで5つの診療所を開いた。そのうちの3つは、タリバンと対立し戦闘のなかで難民となったハザラ族のすむ地域にひらいた。なぜなら、彼らが一番ひどい状態に置かれていたからだという。

 このころカブールは「全市が巨大な難民キャンプ」だったが、なかでもハザラ族の居住地が悲惨だった。中村医師の方針は「もっとも困ったところへ、もっとも困った人々のもとで」ということだったが、貧困な地域を選ぶと自ずとハザラ族が主な対象になったのだという。

 ところが、もっとひどい状態のところがあった。それはハザラ族の出身地である、北部バーミヤン地方である。中村医師はさっそくそこへ調査にでかけることにする。しかし、バーミヤンは仏跡問題が起こり、タリバン政権がもっとも神経を尖らしている危険地帯であった。

 そして案の定、中村医師はバーミヤンのタリバン兵に拘束されてしまう。生殺与奪の権をにぎる駐屯軍の隊長らしい人物は若干25歳前後で、精悍な表情をしている。昨日も戦闘があったとのことで、気が立っていたが、中村医師は日本人で、カブールで医療活動を展開しているNGOだと知ると態度を和らげ、「無礼をお許し下さい。私も任務でやむを得なく拘束したのです」と丁寧にわびたという。

 バーミャンの惨状を視察した中村医師は後日を期して首都カブールへ帰り、医療活動に専念することになる。5つの各診療所には毎日100名から150名ほどの患者が訪れたという。再び「医師井戸を掘る」のなかから中村さんの言葉を断片的に引用してみよう。

<カブール在住の医師以下、新職員は、薄給にもかかわらず身を粉にして働き、多くの人々に安堵感を与えた。ペシャワール会は捨て身であったが、まさにその捨て身の誠意が、旱魃と戦乱に疲れた見捨てられた人々の心に新風を吹き込み、勇気づけるものであった。

私が帰国して感じたのは、あふれるモノに囲まれながら、いつも何かに追いまくられ、生産と消費を強要されるあわただしい世界であった。

「餓えや渇きもなく、十分に食えて、家族が共に居れる。それだけでも幸せだと思えないのか」というのが実感であった。生死の狭間から突然日本社会に身をさらす者は、名状しがたい抵抗と違和感を抱くだろう。

携帯電話を下げた若者、パソコンの大流行、奇抜なファッションで身を飾る一群の世代の姿は、異様であった。「この国の人々は何が不満で不幸な顔をしているのだろう」と思った。

戦後、米国の武力で支えられた「非戦争状態」が、本当に「平和」であったとはいえないのだ。朝鮮戦争を想起せずとも、日本経済は他国の戦争で成長し、我々を成金に押し上げた。日本開闢以来、今ほど日本人が物質的豊かさを享受した時代があっただろうか>

 中村さんの言葉を味わいながら、私はあることに気付いた。それはアフガンにあって、日本にないものなにかと言うことだ。日本にはなるほど溢れるほどの文明の果実がある。人間の欲望を満足させるさまざまなサービスやモノがあふれている。しかし、肝心なものが欠如している。それは「一杯の水をわかちあうよろこび」「生きる喜びをわかちあうよろこび」ではないだろうか。

 私は今回のイラク人質事件で高遠さんたち平和活動家を声高に批判する人に問いただしたいと思う。あなたは高遠さんが見たイラクの悲惨をみたことがあるのか。両親を戦火で失い、街角でぼろのように眠り、シンナーに溺れる少年たちの絶望に思いをはせたことがあるのかと。あなたは中村医師がアフガンで見たものを見たことがあるのか。餓えた子供を抱き、家族をやしなう水をもとめて、砂漠をさまよう母親の悲しみに一度でもよりそってみたことがあっただろうか。

 このたびの日本人人質事件で浮き彫りになったのが、暖衣飽食し、戯画的な人為の小世界に埋没し、一片の想像力すらもちあわせていない、無知で軽薄でケチな日本人の自画像ではないだろうか。人々はアフガンやイラクの砂漠化した国土にすむ人々を気の毒がっているが、そうした辺境にあって、彼らとともに生きる喜びを味わっている中村医師から見れば、私たちこそがもっと貧しく、絶望的な砂漠の住人のように見えることだろう。


2004年04月17日(土) 民間人という傭兵

 想像していた通り、解放された3人の人質について、その「軽挙妄動」が批判されている。中には人質救出にかかった費用を彼らに償わせろというものまである。私は彼らを日本人の誇りだと思っているが、これについてはすでに何度も日記に書いているのでもう繰り返さない。今日はもう少し、本質的なところに目を向けてみよう。

 イラクで頻発している武装集団による外国人拘束事件は米軍のファルージャ掃討作戦から生じてきているが、さらにこれをさかのぼれば、3月31日にファルージャで起こったアメリカ人民間人4名の殺戮事件にたどりつく。4人は地元の武装勢力によって殺され、そのあと群衆によって数時間にわたり街中を引き回された。そしてそのいたましい事件がアメリカで放映された。

 アメリカはファルージャを閉鎖し、4月4日から総攻撃を開始した。これによってファルージャのモスクが破壊され、住民600人が死亡したと伝えられているが、4月6日の日本人3人を歯切りに、武装勢力側の外国人拘束事件が頻発するようになったわけだ。

 ところで、田中宇さんの「国際ニュース解説4/13」を読むと、殺戮された4人は、「ブラックウォーターUSA」という戦場警備会社の派遣社員で、米特殊部隊の元メンバーだそうである。民間人というよりは、むしろアメリカ軍にやとわれたプロの武装集団である。現在イラクにはこうした武装集団(傭兵)が2万人ほどいるという。

 殺された4人もひと目で米占領軍の関係者と分かる4輪駆動車に乗り、重武装していたから、ファルージャの群衆は彼らを民間人とは考えなかっただろう。元特殊部隊のメンバーだったから、戦闘にかけてはプロである。目つきや身のこなしも並の軍人とは違っていただろう。アメリカ側の発表では彼らは米軍のための食料輸送をしていたというが、これも本当ではないようだ。彼らはむしろいつも最前線で住民に圧力をかけていたに違いない。だから襲われて、あれほどの報復を受けたのだと考えられる。

 そして事件当日の彼らの任務は何かというと、田中氏はずばり、ファルージャの住民を挑発することだったという。それが証拠に、4人が攻撃され、遺体が引き回されて何時間も騒動が続いていた間、その近くに駐屯していた米軍部隊は全く動かなかったという。彼らをおとりに住民を挑発し、これを機会にファルージャを叩きつぶす作戦ではなかったのか、こうした疑惑がアメリカの大手マスコミでも報じられているらしい。田中氏の文章を引用しておこう。

<米軍がファルージャで行ったような、占領下の市民をわざと挑発し、怒らせてゲリラ攻撃を煽り、その上で正当防衛と称して大攻撃を仕掛ける作戦は、イスラエル軍がパレスチナ占領地で行っている手法である。そして、今回のファルージャ大攻撃につながる3月31日の「アメリカの民間人」4人がファルージャで殺害された事件も、米軍側が大攻撃を仕掛けるための口実として起こした可能性が高い>

 もしこれが真実だとすると、ファルージャの住民達はアメリカ軍の挑発に乗ってしまったことになる。しかし、米軍にも誤算があった。それは今やファルージャが反米の象徴となり、全イラクの人々を「ファルージャを守れ」ということで立ち上がらせてしまったことだ。

(参考サイト)  http://tanakanews.com/e0413iraq.htm


2004年04月16日(金) 日本人への贈り物

 昨夜7時頃、、イラクで武装グループが、イスラム宗教者委員会の「占領に関係のない外国人人質を解放せよ」との呼びかけに応じて、高遠さんなど日本人3人をバグダッド市内のモスクで解放した。その際、武装グループは3人に声明文を渡し、日本国内で自衛隊のイラク撤退を求める動きが高まったことが、解放を決断する理由になったと主張した。

 米軍のファルージャ掃討作戦に対抗して武装勢力が始めた人質作戦は、今も続いている。昨日は人質になっていたイタリア人が殺害された。また、あらたにフリージャーナリストの安田純平さん(30)と市民団体メンバーの渡辺修孝さん(36)の二人がバクダッド西方で行方不明になっている。

 こうしたイラク国内の治安の悪化を受け、人道支援に取り組むNGO(非政府組織)が次々とイラクから離れつつある。紛争地や災害地に医師・看護師を派遣しているフランスの「メドゥサン・デュ・モンド」(世界の医療団)も、イラクに派遣していたスペインとフランスの支援チームが国外に退去、残るギリシャチームの医師も近く退去するという。

 病院への医薬品や医療器材の供給を続けてきた日本国際ボランティアセンター(JVC、熊岡路矢代表)の原文次郎さん(40)も、ファルージャからの避難民家族1230世帯に米などの食糧1週間分を配布するために今月5日にイラク入りしたばかりだったが、これらの活動を現地人スタッフや独仏のNGOに委託してバクダッドを退去することにしたという。

 熊岡路矢代表は今年1月29日の衆院イラク特別委・参考人質疑で、「軍隊的なものが人道復興援助に関係することで人道援助自体がゆがんでしまい、その中立性が失われ、本来の人道援助機関――国連、赤十字やNGOが危険な立場となる」と述べていた。JVCは9日、「日本政府が占領軍に協力する形で自衛隊を派遣したことが、本来の人道支援を行ってきた民間の人々を危険にさらす結果に繋がったことに深い憤りを表明します」と緊急声明を出している。

 熊岡氏は2月15日にバグダッド入りし、一週間滞在して、現地で復興活動に携わる海外のNGOと意見を交換したという。その中には、98年からバグダッドやサマワで、浄水・給水活動を行っているフランスのNGO「ACTED」があった。このNGOは年間約6000万〜6400万円の資金で、10万人を対象に浄水・給水活動を行っているという。

 石破茂防衛庁長官の参院外交防衛委での説明によると、陸自の給水能力は一日あたり最大80トンで、給水対象は1万6千人分にしかすぎないという。これだけのために、400億円以上の国税が投じられているわけだ。

 ACTEDの現地責任者であるエリザベス・カンパさんは「浄水・給水ならNGOにまかせてもらったほうがはるかに効率的にできる。自衛隊は人道支援とは別の目的で来ているという印象を受ける」と語ったという。フランスのNGOがこうした強力な復興支援が出来るのも、フランスがアメリカの占領政策に批判的だからだろう。現にフランス人も武装勢力に拘束されたが、すぐに解放されている。しかし、これ以上治安が乱れればACTEDも撤退を余儀なくされるに違いない。

 これまでイラン復興支援の主体を担ってきたこうしたNGOに加えて、報道関係者たちのイラク撤去も続いている。日本政府は15日、イラク・サマワで陸上自衛隊派遣部隊の取材にあたっていた邦人記者を国外に退避させるため、クウェートで活動中の空自のC130輸送機をイラク南部タリル飛行場に派遣。報道関係者10人をクウェートまで空輸したという。

 アメリカは6月の政権委譲を前に、何とかイラクの治安を回復しようと武力攻勢を強めてきた。しかし、これがかえってイラクの人々を反米へと駆り立てることになった。今回の日本人人質解放の過程では、イスラム聖職者グループやアルジャジーラなどの報道機関が大きな役割をはたした。アメリカはこうした人々を敵視するのではなく、むしろ対話を心がけるべきだろう。
 
 武装勢力は声明文のなかで、人質の解放を「日本人への贈り物」だと述べている。私たちはこの贈り物のお返しを、イラクの人々にしてあげたいと思う。それは、イラクをもういちど国際社会に復帰させることだ。このまま、アメリカが強硬姿勢を崩さなければ、イラクはますます混迷し、イラクの戦後復興はますます遠のく。できることなら、今回の事件をきっかけに、日本政府がイラクとアメリカの対話の橋渡しをしてはどうか。人質が解放されたいまこそ、そのチャンスである。

(参考)
http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200402230166.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-11/03_01a.html


2004年04月15日(木) 井戸を掘る人たち

 以前の日記で、2月6日に名古屋で行われたペシャワールの会の集会に参加した話を書いた。この会はアフガンでもう20年以上にわたり医療活動や、井戸掘り・灌漑工事をしているNGO(国際協力に携わる市民組織)である。

 そのとき、現地を訪れた会員の報告では、自衛隊がイラクに派遣されてから、アフガンでも活動がむつかしくなってきたということだった。それまでは日の丸を掲げての活動だったのが、自衛隊の派遣を機に身辺の安全に不安を感じることが多くなり、日の丸を隠して活動するしかなくなったいという。イラクで頻発する武装勢力による人質事件を耳にするたびに、アフガンで活動している彼らのことが心配になる。

 ペシャワール会の現地代表である中村哲さんの「医者井戸を掘る」(石風社)を読むと、2000年にアフガニスタンを襲った未曾有の大飢饉を前にして、それまで現地で17年間医療救助活動をしていた中村哲さんたちが現地で井戸を掘り始めたときの失敗談がいろいろと書かれていて、ほんとうに試行錯誤の連続だったのだということがわかる。

 そうした困難を、ただ「水がなければ人が死ぬ」という危機感と不屈の意志で乗り越えていった中村哲さんたちペシャワールの会の活動はすばらしいと思った。何しろ医者が畑違いのことをするのだから、うまくいくはずがない。そこにアフリカのセネガルで井戸掘りをしていた中屋伸一さんが助っ人として現れた。

 中屋さんはもともとはコンピュータ製造会社で重きをなしていた人だという。長い間勤めた会社を辞めて熱中しだしたのがこうした辺境の地での「井戸掘り」だった。4ケ月間、中村さんたちと寝食をともにして井戸掘りの技術指導をしたあと、彼はまたセネガルにひとり旅だった。中屋さんのモットーは「もっと困ったところへ」で、中村哲医師は彼についてこう書いている。

<我々の方からすれば、アフガニスタンは最も急迫した状態に思えたのだが、中屋氏にとってはセネガルがより困難な状態にあったのである。・・・まったくの侍である。白黒をきちんとつけた上で、言ったことは必ず黙って実行した。愚痴や言い訳が皆無であった。古風な日本の男として、私も何かと頼りとしてきた。消えつつある最後の日本人の一人である。去り際も風のごとく爽やかで、ただ「立派」という以外に言葉がない>(医者井戸を掘る)

 こうした中村哲さんたちペシャワール会の活動について、地元の人たちを代表して村の長老が語った言葉が印象的だった。

「皆さん、世界には二種類の人間があるだけです。無欲に他人を思う人、そして己の利益を図るのに心がくもった人です。私たちはあなたたち日本人と日本を永久に忘れません」

 中村哲さんや中屋伸一さんのような立派な日本人が今もアフリカやアフガンで寝食を忘れて人々のために尽くしているのだろう。彼らのことを考えると、何かしら心が熱くなる。ペシャワール会のHPの文章を紹介しておこう。

<2000年7月からアフガニスタン国内の診療所で大干ばつによる水不足を原因として、赤痢患者が急増しました。そこで、同年8月より、医療活動の一環としてアフガニスタン東部一帯で水源(井戸・カレーズ)確保事業を開始し、空爆下も休みなく続けてきました。

2002年1月に、「緑の大地」計画を発表、これまで継続してきた、医療活動・飲料水源確保はそのままペースを落とさず、さらに灌漑用水の確保に力を尽くし、自給自足できる農村の回復によってアフガニスタンが復興されるよう、さらに長期的かつ大規模な事業を目指して努力しています。

2003年3月、水量の豊富なクナール水系の水を利用した灌漑用水確保15カ年計画がスタートし、全長14キロメートルの用水路建設を進めています。

○作業地数:1132カ所、利用可能水源1057カ所(2004年2月現在)
○水利関係臨時雇用職員:140名、労働者700名(2003年現在)>

 ペシャワール会は800名以上のアフガニスタン現地人を雇用して、彼らと彼らの家族の生活を保障しながら、彼ら自身の力で井戸を掘らせ、大地を緑にする活動を押し進めている。現在までに1000本以上の井戸を掘り、砂漠に緑をもたらし、何百万という難民が帰農することを助けた。これだけのことが、現地にいるほんの数名の日本人と彼らを支える数千人の日本人会員によってなしとげられてきたわけだ。

 ここで、給水活動について書かれたひとつの資料を引用しておこう。ペシャワールの会のようなNGOの活動と、イラクでの自衛隊の鳴り物入りのものものしい活動を比較してみることで、今後に向けて復興援助のあり方が問い直されると思うからだ。

*自衛隊の給水能力は、80トン/日
*民間NPOの給水能力は。1000〜2000トン/日
*そのためにかかる自衛隊の費用は500億円弱⇒反対者も含めての税金
*民間NPOの費用は1億円(年間)⇒賛同者のカンパ
*自衛隊の給水活動従事者は派遣隊員の1/10
*民間NPOの給水活動従事者は採用された現地人⇒失業者対策もかねる

 どんな大河も、その始まりは一滴の水だ。その一滴の水に、もう一滴が寄り添うところから、すべてが始まる。そして大切なのは、私たち一人一人がその一滴一滴になる覚悟があるかどうかということだろう。


2004年04月14日(水) あと知恵で批判するのをやめよ

 捕虜になった3人の日本人の行動が無謀で、国益をそこなうものだという批判が、いまものすごい勢いで起こっている。北海道の東京事務所には「3人の家族に事務所を使わせるな」という電話が100本も殺到しているとか。3人とその家族を誹謗中傷するe−メールや掲示板の書き込みが、いたるところで増殖しているようだ。

 そしてこれを助長するような政治家や官僚の発言が続いている。たとえば、自民党の額賀政調会長は講演で、海外危険地域について現在は「退避勧告」を出すまでしかできないのを、「強制的渡航禁止」できるようにする法改正を検討したいと発言した。

 これでは報道の自由が奪われ、実際に行われていることを隠蔽しようとする権力の横暴を許すことになりかねない。そもそも政府が「退避勧告」を頻発するのは、それによって政府の責任のがれになるからだ。そのことがわかっているので、これまでほとんど無視されきたわけだし、また、これを無視しなければできないことがたくさんある。

 さて、私の管理する掲示板でも人質になった3人の行動に批判的な意見が寄せられているが、私は3人の行動が軽率であり、無謀であったということは、人質になった今だから言えるのであり、いわゆる「浅はかな後知恵」でしかないと思っている。

 3人が拘束されたのは7日から8日にかけてと考えられるが、この頃から、他にも外国人がぼちぼち拘束されはじめ、しかもその数はその後、急速にふえてきている。武装勢力が外国人を拘束しはじめた背景には、その数日前に始まったアメリカ軍のファルージャ掃討作戦に対する対抗手段だったと考えられている。この作戦で600人以上のイラク人が殺害されたそうだ。これに全国のイラク人が急速に反米へと傾いた。

 それまではイラクの武装勢力は民間人を人質に取るという戦略をもっていなかった。したがって7日の時点では、3人を含め、ほとんどだれも、まさか彼らが武装勢力に拘束されるとは考えなかったはずだ。ただ、紛争地域のまっただなかに飛び込むので、双方の戦闘にまきこまれ、負傷したり命を奪われる危険はかなりあっただろう。そして彼らにとってこうしたことは、承知の上での行動だと思われる。

 浅井久仁臣「国際情勢ジャーナル」によると、現在私たちがテレビで見ているいる現地からの日本の局特派員やジャーナリストの報告は、ほとんど「東京発」の情報だそうだ。つまり、「日本の本社が外国報道機関から得た情報を向こうに送り、それをTVカメラの前で読ませている」のだそうである。

 もちろん、現地入りしている人のなかには、危険を省みず、戦闘の現場を取材し、自らの体験に基づいてレーポートしている人がいる。そうした人たちは大組織の社員ではなく、ほとんどが個人のフリージャーナリストで、そうした人の情報が本社に入ると、それを本社は現地に伝えて、あたかも現地レポートのごとく世界に報道しているわけだ。

 組織に属している人は、人命尊重という建前もあり、容易に動くことが出来ない。政府が発する「退避勧告」という建前も無視することができないから、これは仕方のないことかも知れない。こうした中で私たちが戦争の真実をまがりなりにも知ることが出来るのは、一部の人々の危険を省みない真実追究の姿勢があったからだということも事実だろう。もし彼らが政府の「退避勧告」にしたがっていたら、世界は真実を知ることができず、戦場はおそるべき暗黒の修羅場になっていたはずだ。

 もし、今回3人が無事バクダッドについていたら、彼らから世界はファルージャの現在について、貴重な証言を得られたかも知れない。その証言はどこかの大手報道機関の「現地レポート」として私たちのお茶の間にも届いていたことだろう。おそらく、その証言の内容は「イラクの民主化」の名の下に文事ヘリコプターやミサイルを使って「住民の虐殺」を日常化しているアメリカ軍や、「復興人道支援」の名の下に「アメリカの占領政策支援」を続ける小泉首相さんにとっては、とても都合の悪いものだったかもしれないが。

 昨日の朝日新聞によると、オランダ軍の前にサマワに駐屯していた米軍人9名が体調に異常を来し、陸軍病院で検査を受けたところ、劣化ウランの成分が6人から検出されたということだ。今、イラクで劣化ウラン弾による健康被害が広がっているが、これはイラクに派遣された自衛隊にとっても他人事ではないはずだ。今井紀明さんはこの問題に関心を持ち、現地の現状を人々に報せたいと考えていた。そしてこうしたことはリスク覚悟でしかできないことだ。

 繰り返しになりるが、大切なことなのでもう一度書く。武装勢力に拘束された3人の行動を「あと知恵」で批判するのはやめようではないか。今は、一刻も早い3人の解放と、イラクの戦闘で日々失われている人命がこれ以上ふえないために、アメリカ軍に戦闘行為の自粛をもとめよう。不幸にして人質になった3人の日本人の行動を非難する人たちは、何がイラクをこうした悲惨をもたらしたのか、その本質にもう一度目を向けてほしい。


2004年04月13日(火) すばらしい日本人たち

 7日にイラク武装勢力に拘束された3人はいまだに解放されず、その安否が心配である。しかし、今度の事件を通して、私は色々なことを考え、いろいろな発見があったと思っている。そのなかでも、3人のすばらしい日本人について知ることができたのは、何よりもの収穫だった。今日はその中の一人、高遠菜穂子さんを紹介しよう。

 高遠菜穂子さんは30歳を機に、北海道千歳市のカラオケ店を閉め、インドに渡って、マザー・テレサが設立した施設でボランティアとして働き、昨年4月からは一人でバグダッドで戦争孤児の支援を始めた。小さなアパートを借り、路上生活に追いやられた子どもたちと一緒に暮らした。

 高遠さんは今年日本に一時帰国し、イラクの戦争孤児を救済するための募金活動を行い、そのお金をもって、4月1日に日本を離れた。自衛隊がイラクに派遣され、さらに米軍のファルージャ掃討作戦が行われ、イラク人達の反米、反日感情が高まる中で、それでもバクダッドに向かったのは、バクダッドを立つ朝、「菜穂子はぼくらの母さんなんだろ」と泣き出しそうな子どもたちに、「4月に戻る」と約束していたからだという。

 テレビで紹介されたイラクの子供たちと接する高遠さんの様子をみると、ほんとうに子供たちに慕われていることがわかる。戦争の惨禍のなかで両親や兄弟を失った孤児たちはストリートチルドレンとなり、シンナーに溺れて、荒んだ心をしている。そうした子供たちを抱きかかえ、そして唇に接吻する高遠さんはまさに慈母観音のようだ。高遠さんは、かってバクダッドから友人にこんなメールを送っていた。

「みんなが大好きで、私が彼らに守られているのだということを、彼らが私に私のことを教えてくれているのだという事実を感じています。場所は関係なく、地球人として私は彼らとつながっていた……そう思わずにいられません。そのくらい、私のイラクは愛しいものです」

 高遠さんと一緒に拘束された今井紀明さん、郡山総一郎さんの生き方もすばらしい。彼らは国というせせこましい枠にとらわれず、特定のNGOにさえ属せず、まったく個人で自由に活動していた。そしてその行動を支えているものは人々に対する一途な「愛」である。

 事件発生当初、「米国に協力する日本からの者はすべて米軍と同罪」と突き放すような意見が大半だった。アラビア語のテレビ各局が目隠しをされた3人の姿を繰り返し流しても、バグダッドで同情論はほとんど聞かれなかった。それがテレビでこの3人の活動が紹介され、解放を求める家族のビデオが放送されてから、バクダッド市民の日本に対する見方が変わり始めたという。朝日新聞から引用しよう。

 「180度考えが変わった。人質が我々の友人だとわかり、胸が痛んだ。自衛隊も民間日本人も、みんな米軍協力者との見方が変わった。人道援助をする民間人と軍隊を同一視するのはよくない。3人の速やかな解放を心から希望する」(弁護士のアルカン・モハメドさん)

 「テレビで人質の家族を見て涙が出た。特に女性人質は娘と年齢も近く、母親の心中を思うとたまらない。イラク人のために働く人々に危害を与えてはいけない」(主婦ゼイナブ・アリさん)

 この3人の愛情と勇気に満ちた行動が、いま、イラクの人々の日本に対する認識さえも変えつつある。イラクの人々ばかりではない。世界の人々が彼らに賞賛をおしまないだろう。このことを私は同胞として誇りに思う。この上は、このすばらく輝いていた3人が、一刻も早く無事に解放され、その輝きで世界を再び明るくしてくれる日が訪れることを祈りたい。


2004年04月12日(月) ベトナム化するイラク

 今月7日、米軍はスンニ派のイラク人民兵らが立てこもるファルージャのモスクをミサイル攻撃した。さらに海兵隊がこの地区で掃討作戦に乗りだし、すでに住民の死者は450人、負傷者は1千人を超えたという。

 ファルージャ近郊では3月末、米国人請負業者4人が武装勢力に殺害された。住民によって損傷を与えられた遺体の映像は米国社会に衝撃を与えた。ソマリアで起こった同様の悲劇を思い出いだした人も多かっただろう。

 今回のファルージャ掃討作戦は、この事件がひきがねになっている。イスラム教スンニ派の都市の人口は約50万人。これにたいして、約2千人の海兵隊員が3方向から攻め入った。武装勢力のゲリラ的な抵抗に対して、米軍が武装ヘリコプターのミサイルで住宅地を攻撃し、女性や子供が巻き添えになっているという。

 米国が6月末の主権移譲後の権力の「受け皿」と期待する統治評議会は、「軍事的な解決を求めることは罪のない民に対する集団的懲罰だ」との声明を出した。米軍に抗議して辞任する議員もでてきた。ファルージャ救援の動きは、イラク中南部で反占領の動きが広がるシーア派地域にも波及し、いまや、イラク国内では「ファルージャの悲劇を救え」が、宗派を超えた合言葉となっているという。

 事実、9日、バクダッドのモスクでは、スンニ派とシーアー派の双方の信者が金曜礼拝でいっしょに祈ったという。フセイン時代対立していた両派が反米軍の立場で共闘をはじめようとしている。これは米軍にとってもはやのきさしならない事態だといえよう。

 こうした中で、陸上自衛隊が派遣されているイラク南部サマワで9日、イスラム教シーア派強硬派、ムクタダ・サドル師の支持者ら約300人がオランダ軍の撤退などを求めデモを行ったという。「復興支援活動」をしている陸自への言及はなかったというが、連夜砲弾が発射されたりしている。自衛隊の支援活動もほとんど停止状態らしい。

 ハンチントン教授は、米軍のイラク侵攻は「文明の衝突」を激化させるものだとして、反対の立場を表明していた。いまやハンチントン教授の予言が現実のものになろうとしている。ベトナムで起こったことがふたたびイラクで起こるのだろうか。

 ひよっとすると、反米軍ということでイラクがひとつになり、アメリカを放逐した後、ひとつの新しい国家として生まれ変わることになるかも知れない。こうしたシナリオは再選を控えたブッシュ大統領にとってはとてもつらいことだろうが、世界にとってはうれしい誤算と言えるのではなかろうか。


2004年04月11日(日) 人間の絆

 サマーセット・モームの「人間の絆」を読んだのは、30歳の頃だ。さまざまな人物が登場し、イギリスやドイツ、フランスを舞台に、人生の絵模様がリアルに面白く描かれているのに、とても感心した。そしてここには、モーム一流の人生観や哲学が語られている。私は人生や人間を知りたいという人にいつもこの本を薦める。

 モーム(1874〜1965)がこの本を書いたのは40歳の頃だ。これはモームの自伝的な本である。フィリップは蝦足という障害をもっていたが、モームも吃音という障害をもっていた。フィリップと同様に、モームは幼いときに両親をなくしている。そしてモームも医学生をしていた。

「願望は達せられた。この作品を送り出したとき、私は、いままで自分を苦しめてきた苦痛からも、不幸な過去の記憶からも完全に解放されていた。・・・・他人を楽しませるために書いたのではない。なによりもまず私自身を、あるやりきれない固定観念から解放するために書いたのである」

 モームはこう書いているが、私は読みながら大いに楽しんだ。これは一人の不幸少年が人生の愛に目覚めていく教養小説として読むことが出来る。しかし、読者を楽しませることをいつも念頭に置いていたモームの大衆娯楽性はこの自伝的小説でも生き生きと発揮されている。

 ところで、「人間の絆」という題は、訳者の中野好夫さんの解説をよむと、モームが愛読していたスピノザの「エチカ」からとられているという。「エチカ」第四部「情念」論の見出しは「人間を奴隷にする絆について」だそうだ。スピノザはこう書いている。

「人がその情念を支配し、制御しえない無力な状態を、私は縛られた状態と呼ぶ。なんとなれば、情念の支配下にある人間は、自らの主人でなく、いわば運命に支配されてその手中にあり、したがってしばしば彼は、目前に善を見ながら、しかも悪を追わざるをえなくなる」

 主人公のフィリップの経験は多岐に渡っているが、なかでも情念の化身のような女、ミルドレッドとの出合いは運命的である。いかに、運命の手をのがれ、情念の支配を脱して、「自由な人」になるか、それはフィリップやモームばかりでなく、私たちにとっても重要な人生の課題である。この書は、ミルドレッドを登場させることで、その課題がどんなに困難のものかを語ってくれる。

「人生も無意味なら、人間の生もまた空しい。生まれようと、生まれまいと、生きようと、死のうと、なんのそれは意味もない。生も無意味、死も無意味・・・・あたかも絨毯の織匠が、ただ彼の審美感の喜びを満足させるためだけに、あの絵模様を織り出したように、人もまたしのように人生を生きればよいのだ。ひっきょう人生は、一つの絵模様に過ぎない。特にあることをしなければならないという意義もなければ、必要もない。すべては彼自身の喜びのためにすることだ。・・・・フィリップは、幸福への希求を棄てることによって、彼の最後の迷妄を振り捨てた」(中野好夫訳、新潮社)

 モームの人生観とは、一口に言えば、「幸福は求めて得られるものではない」ということだろう。そうした自己の我執を棄て、幸福への追求を棄てることで、幸福が恩寵のように人の上を訪れる。しかし、人間にとってこれは容易ではない。ほとんど不可能なことだろう。したがって、人生は現代に生きる多くの人々にとって地獄でしかない。その地獄からいかに自由になるか、主人公が最後に見出した出口は何か。私はそれをラッセルのいう「世界に対する客観的興味」ではないかと思っている。


2004年04月10日(土) 桜の木の下で

 昨日に続いて、私の拙い詩を掲載しよう。実は、これらの詩は学校で課題考査の監督中に、暇つぶしのため紙切れに書き付けたものである。もう課題考査は終わったので、当分、詩を書くことはないだろう。それに、桜の季節も終わりそうだしね。

  桜の木の下で

 ことしの桜もみごとだねえ
 力いっぱい咲いているじゃないか

 カエルが一匹
 ひなたに這いだしてきて
 目をしばたいた

 やあ、おまえ、生きていたか
 わしも、おまえに会えてうれしいよ
 桜の木が枝をゆすってつぶやいた

 むかしは仲間がいっぱいいたが
 いまは年寄りのカエルが一匹だけ
 こうしてしみじみ花見の客

 風にゆられた桜の枝から
 はなびらが降りそそぐ
 カエルはうれしそうにゲロッとないて
 それきり目を閉じた

 あたりに花びらがふりつもり
 春の日差しがしんしんと・・・


2004年04月09日(金) 散る桜

 新学期が始まり、慌ただしい日々が続いている。今年は3年生の担任になった。じつは、3年生の担任は3年連続である。もう5年連続で担任を続けていたので、副担で一休みしたかったが、なかなかそうもいかない。

 じつは、このところ血圧がまた上がりだした。毎朝血圧降下剤を飲んでいるが、それでも下が100を軽く超えている。上は170を超えるときもある。血圧が高くなっているということは、体がそれだけ無理をしてがんばっているということだ。

 今日は部活のテニスの顧問会議のため午後から出張である。そして来週からはいよいよ公式試合が始まり、団体戦、シングルス個人戦、ダブルス個人戦と続く。連休がほとんどつぶれて、とうぶん休日がなくなるわけで、毎年のことだが、私のように読書や旅行が大好きな人間にはこれもつらいところだ。

 しかし、今年のモットーは「学校をたのしむ」「人生をたのしむ」ということだから、「忙中閑あり」の精神で、何事もポジティブに考えることにしよう。おりしも、今通勤路の木曽川堤の桜の美しい季節である。盛りは過ぎたが、「花はさかりのみ」見るものではない。とくに日本人は古来から、散る桜の美しさを愛でてきた。万葉集から一首ひいておこう。

 あしひきの山のま照らす桜花
 この春雨に散りぬらむかも  (巻10−1864)

 さて、忙中閑ありの精神で、この忙しいときに、こんな詩を書いてみた。それにしても、詩を書いたのは何年ぶりだろうか。

  波の子守歌

 桜のはなびらとなって
 波のように漂っていく
 あなたの微笑みのうえを
 どこまでも静かに、
 遠く・・・

 そして、ひっそりとした
 人気のない浜辺にうち寄せるのだ
 夕暮れの光りがたわむれをやめて
 木の葉が風の中で寝静まるころ

 うち寄せた波は
 花びらを残して
 返っていく

 あおじろい海のなかへ
 あなたの夢の中へと

(イラクの情況がたいへんなことになっている。米軍はとうとうモスクをミサイル攻撃し、シーア派までも敵に回そうとしている。そして昨日、日本人3人が武装勢力に捉えられた。「3日以内に自衛隊を撤退させなければ、3人を燃やす」と言っているようだ。3人の人質が無事解放されることを願っている)


2004年04月08日(木) 米国債の購入をやめよ

 日本政府は巨額の米国債を所有している。経済不況が長引き、年金の破綻が心配されるなかで、米国債の売却の是非について、ようやく新聞でとりあげられるようになった。たとえば2月16日の日本経済新聞に「豊さの実感」と題して安藤茂彌氏が書いているので、一部を引用しよう。

<健康保険も大幅赤字である。長生きする人が増えたのでこの赤字が止まらない。そのために、自己負担額を増やさざるを得ない。雇用も不安定になり、所得が増えず、年金受領額が細る中で、こうした負担増は将来への不安に拍車をかけている。

  こうした国民の不安感を尻目に、小泉首相は他国への支援には大盤振る舞いをしている。諸外国に先駆けて米国のイラク戦争資金を50億ドル(5000億円)も支払い、イラクが日本に負っている公的債務41億ドル(4100億円)の放棄にも応じる構えでいる。英国以外の欧州各国は米国から要請されても難色を示している。日本国民を苦しめながら、米国からの要請には寛大である。そんなに日本は金持ちなのであろうか。

 日本は、長年にわたって貿易黒字で貯めたお金を豊富に持つ世界最大の債権国である。その規模は数百兆円に上り、その大半をドル資産として持っている。小泉首相は、ドルならば大盤振る舞いできる。だが、その富は日本国民に帰属する。円であれドルであれ、国民の富であることにかわりはない。

 ・・・このところ米国財政収支の悪化も著しい。イラクで巨額の戦費を使った上に、減税も実施した。その財源となる国債の発行も膨大な規模にのぼっている。日本は従来から米国債の最大の保有国である。日本政府は、昨年から急激な円高を阻止するために、外為市場に介入してドルの買い支えを続けている。今年度だけで20兆円を超えた。介入で得たドル資金でひたすら米国国債を購入してきた。こうして投資額は更に増え、いまや日本がアメリカ国債の3分の1以上を保有するダントツの投資国になってしまった。

 政府が管理しているドル資産は、永久に手をつけてはいけない箪笥預金なのだろうか。円であってもドルであっても富は富である。年金が赤字ならば、米国国債を売って穴埋めすればよい。健康保険が赤字ならば、米国国債を売って穴埋めすればよい。こうした議論が何故日本国内で起らないのだろうか。国会もマスコミも富の管理に関する政策を追及しようとしない。これはタブーなのだろうか>

 財務省が7日に発表した3月末の外貨準備高は8265億7700万ドル(約87兆円)で、とうとう8000億ドルを超えた。外貨準備の資産内訳は、証券のほか、預金が1802億ドル(全体の約20%)、金が104億ドル(同約1.2%)だという。

 外貨準備高はこの 一年間で何と3300億ドル(約35兆円)も増加してる。これは政府・日本銀行は昨年度、32兆円の記録的な円売りドル買い介入を実施したからだ。米国の04年度(03年10月〜04年9月)の財政赤字は5210億ドルに達する見込みだというから、米国の財政赤字の多くを日本が米国債を買うことで補填していることになる。

 こうしたカラクリにについては、「経済学入門」に書いたとおりだが、米国債の売却について、日経も海外在住の安藤さん(元三菱銀行横浜支店長)の投稿を掲載することで、ようやくこのタブーに挑戦したという感じだ。この流れを歓迎したい。これを端緒にして、米国債についてのタブーが破られ、議論や批判が起これば、政府も巨額の購入にたいして慎重にならざるを得ないだろう。

 4月3日の朝日新聞によれば、政府・日銀は3月中旬以来、為替介入を自粛しているらしい。その理由は巨額の為替介入で円安に動くことを米政府が嫌ったからだという。朝日新聞から引用しておこう。

<今秋の米大統領選を控え、円安ドル高による輸出企業への影響を懸念する米政府内の反発を踏まえ、政府・日銀は「大統領選の材料として日本批判が高まる可能性を排除する必要がある」(政府関係者)と判断。足元の円高も、外国人投資家の日本株買いに伴う要因が強く、投機色が薄らいだため、巨額介入の必要性は当面ないと考えたようだ。

 また、介入に必要な円資金は政府短期証券(FB)を発行して調達するが、残高は約84兆円(3月末現在)に達し、さらに発行が増えれば、市場での消化が難しくなる。円売り介入で得たドルで運用している米国債の評価損も膨らみ、こうしたリスクを無視できなくなったことも介入を慎重姿勢に転換させた。>

 為替介入で日本マネーがアメリカに流入し、これが日本に環流して、日本の株価を押し上げている。日本の株式取引においては、約半分が外国人投資家によって占められていて、この1年間に14兆円以上も日本株を買い越している。この結果、昨年度中の平均株価は約47%上昇し、約30年ぶりの高い上昇率を記録した。

 しかし日本に資金が流れ込み、日本の株価が上がるということは、日本からアメリカに出た資金がふたたび日本に環流するということであり、つまりアメリカへの資金の流れがやせ細るということだ。じっさい、このところアメリカの株価は伸び悩んでいる。 こうした背景の中で、スノー財務長官の「政府はできるだけ介入すべきではない」との発言がでてきたのだろう。
 
 米高官の発言で政府・日銀が為替介入をただちに停止したのは、やはり外圧に弱い日本政府の面目躍如というところだろうか。アメリカ政府も大統領選が終わればまた態度を変えるだろう。イラクの戦費が膨らんだりすればすぐにでも米国債の購入を要求してくるかもしれない。そうでなくても、外国資本による日本株式の買い占めがすすむということは、外資による日本金融支配の強化というリスクがある。日本政府がふたたび外圧によって安易に心変わりをしないことを祈りたい。

(参考サイト)
http://www.nikkei.co.jp/tento/trend/20040216n472g000_16.html


2004年04月07日(水) 生徒会室に日章旗が

 国旗掲揚を毎日の日課にしていた三河の新設高校を2年で逃げだしたあと、私が赴任したのは名古屋市内の定時制の夜間高校だった。さっそく2年生の担任になったが、40人いる自分のクラスに入ると、授業中に頻発する過呼吸のために担架が常設してある前任校の息苦しい教室とは、雰囲気がまるで違っていた。

 一番前に、私の父親とおなじ60代年輩のおじさんが詰め襟学生服姿で坐っている。その隣には50代の女性がこれは紺のブレザーで、にこにこ笑いながら座っている。そのほか、老若男女がじつにバラエティーに富んでいた。自由で明るく、和気藹々としていた。自然にこちらも笑顔がこぼれおちそうな雰囲気だった。

 おじさんとおばさんは夜間中学を卒業して、夜間高校に進学したのだという。戦争のため学校も行けなかった。すこし生活にゆとりができたので、昔からの夢であった「学生生活」を送っているのだという。他の生徒達も「学校が一番楽しい」という。この学校に来て勉強が好きになったという生徒がたくさんいた。

 夜間高校は昼間働いて、夜学ぶところだ。私のクラスには九州地方出身の女性とが3人ほどいた。名古屋市内の会社の寮に住んでいて、仕事が終わると会社のバスで送り迎えされてるらしい。その他に、看護婦、美容師、工員など、さまざまな職種についている生徒がいて、まずはその職業の多彩さに驚いた。

 国旗と校則への絶対服従、有名大学への進学をめざして、早朝から補習に明け暮れる前任校とはまったく違う、自由でのびのびした学校だった。前任校で教員にいやけがさし、転職しようかと真剣に悩んだことが嘘のような、これはじつに楽しい学校だった。

 1年後、終業式が終わると、生徒達が一人一人教卓の私の所へ来て、「先生、ありがとうございました。また、担任してね」と頭を下げて挨拶してくれた。これもはじめてのことで、さすが社会に出て働いている生徒は違うと感心した。結局、私はその同じ学年を4年生まで持ち上がり、ほとんどの生徒が脱落することもなく卒業した。おじさんは4年間無遅刻欠席。テレビ局が取材に来て、教室で私が彼に卒業証書を渡すところが放送された。

 しかし、彼らが卒業した後、学校の雰囲気がしだいに変わってきた。食堂で生徒達と夕食を食べていると、坊主頭の生徒が少しずつ増えて行った。生徒会の役員をしている生徒を中心に、学校をもっと規律あるものに変えていこうという整風運動が進んでいるのだという。

 彼らはまず、服装の乱れを正すというところから始めた。スカートの丈の長い生徒に注意する。その際、物差しをもっていちいちはかっている。最初のうちは、教員の多くはこれを歓迎していた。服装の乱れがなくなり、学校に規律がいきとどいて、授業もやりやすい。しかし、やがて彼らが指導に従わない生徒のスカートを鋏で切ったりはじめたのを見て、これはいきすぎだと思うようになった。男子生徒がつぎつぎに坊主頭になっていくのも、必ずしも自分の自由意志からではないのかもしれない。

 この頃、生徒会室をのぞいて、びっくりした。壁に日章旗が掲げられ、「天皇陛下万歳」などという標語までかかげられている。これではまるで右翼の事務所のようではないか。生徒会の顧問をしていた社会科の先生は、もうかなり前からこのことを気に病んで、彼らの行きすぎを是正しようとしていたが、もうどうにもならないという。

 日ごろから「生徒会の運営は生徒達の手で民主的に」と彼らの自主性を重んじていたことが、今回はまったく裏目にでてしまったわけだ。しかし、これを放置しおくわけにはいかず、必死に生徒会長を説得して、巻き返しに出た。その結果、生徒大会で驚くべき事がおこった。壇上で生徒会長が副会長らに襲われ、教員があわてて止めに入ったが、生徒会長は全生徒が見ている前で袋叩きにされた。

 この事件のあと、強硬な指導や処分を行って、学校は沈静化した。しかし、この事件はいろいろな教訓を与えてくれた。それは「民主的」ということが、ときとしてとんでもない暴走を許すということである。そして彼らはこれをむしろ純粋な気持ちで正しいと思い込んで行っていたわけで、そのお手本は、彼らが中学校の時の教師たちだったということだ。他人の人権を「正義」のために平気で蹂躙するこうした生徒を育てているのは、中学校や高校で行われている歪んだ生徒指導ではないかと思ったものだ。


2004年04月06日(火) 愛国心ではなく忠誠心

 1999年第145回通常国会が終わったとき、新聞は「歴史に残る国会だ」と書いた。まず、この国会で過去最大と言われる108個もの法案が通った。しかし、問題は法案の数の多さではない。その内容がスゴイのだ。

 まず、憲法の枠を超え、アメリカとの戦争協力体制を整えた「日米防衛ガイドライン」。犯罪捜査に通信の盗聴を認める「通信傍受法」。国民総背番号制とも言われる「住民台帳法」。そして、日の丸・君が代を公式のものとした「国旗・国家法案」。国民を管理し、思想的に支配し、そして海外派兵を可能にする総合的な法案である。

 これらの法案が通ったとき、これで憲法が骨抜きになり、戦争がいつでもできるようになったと、日本の前途に不安を覚えた国民も少なくなかった。この不安が5年を経ずして、いま次々と現実のものになろうとしている。自衛隊のイラク覇権、プライバシー保護に名をかりた文春の発行禁止の仮処分、そして国歌国旗問題での職務命令違反での大量の戒告処分などなど。4/2の朝日新聞から引用しよう。

<国旗・国歌法が99年に成立したとき、当時の小渕首相は学校での扱いについて「頭からの命令とか強制とか、そういう形で行われているとは考えておりません」と国会で答弁した。当時の野中官房長官も「強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく、そういう努力が必要」と答えていた。この記録を生徒に読ませ、「あなたの学校では首相らの約束が守られていますか」と尋ねてみたらいい。

 多民族国家の米国では統合の象徴としての国旗への思いがとりわけ強い。国旗に対する「忠誠の誓い」を生徒に義務づけている公立学校も多い。そんな米国ですら「誓い」を拒む権利は連邦最高裁が1943年に認め、同様の判例が重ねられてきた。それこそ国家が守らなければいけない一線だ、というかのように。

 しろじに あかく ひのまる そめて ああ うつくしい にほんの はたは

 小学1年生は、みんなこの歌を習う。日の丸を美しいと思う心は、強制して育てるものではない>

 ところで、なぜ政府・自民党はこれほどまでに「国旗・国歌」をムキになって強制するのだろうか。これについて、tenseiさんが昨日の日記に、それは愛国心を養うためというより、忠誠心を植え付けようとするものだと書いている。

<スポーツの世界大会なんかになると、私などは、戦争じゃないんだから、何も日本選手ばかり応援しなくても、、、と思うのだが、がんばれ!ニッポン! で大騒ぎになるではないか。更に、日本の文化遺産や風物や言葉について知れば知るほど、日本という国の特異性を愛してやまなくなるはずである。こういう意味での愛国心は、国土を徹底的に守りたい方に向かうから、反戦的な方向に向かうはずである。だから、そうムキになって国歌・国旗を強要する必要などないのである。

その必要のないことにムキになるのは、ムキになっている連中が求めているのが、そういう自然な愛国心でなく、忠誠心だからである。国歌と国旗を結びその先に見えてくる象徴的権威への忠誠心だからである。それを、愛国心という美しい言葉でヴェールに包んでいるわけである。こういう意味での愛国心は、歴史が教えてくれているように、好戦的な匂いを漂わせている>

 私も「国歌・国旗問題」の本質がここにあるのだと思っている。石原都知事が求めるのは、都民の彼に対する忠誠心である。権力者が欲しがるのは、決して愛国心ではない。まさに忠誠心なのだ。自分を崇拝し、自分の前にひれふす民衆である。そしてそうした無力な民衆を眺めること、これがえもいえぬ快感なのだ。

 だから、権力者は愛国心という手段をつかってこの目的をなしとげようとする。そして、権力者への服従を認めようとしない民主主義という思想が大嫌いなのだ。政府が愛国心を国民に強制するとき、私たちはいつでも、彼らが本当の愛国者なのか、ただ自分の権力欲を愛しているだけではないのかと、このことを疑ってみたほうがよい。


2004年04月05日(月) 人が死を選ぶ理由

 1998年以来、日本の年間自殺者は3万人を超えている。とくに多いのは40、50代の男性で、その理由のトップは経済苦だという。自殺者の数は、失業率にみごとに比例している。大企業の業績が回復してきたといっても、その背後にはリストラや中小企業の倒産という現実がある。こうした現実の厳しさが異常な数の自殺者を生み出している。

 しかし、会社が倒産したりリストラにあったとしても、それでたちまち一家が路頭に迷うというほど日本は貧しい国ではない。失業保険もあるし、それなりの生活保障は得られる社会に私たちは生きている。経済苦といっても、それは相対的なものであって、日本の失業者の生活レベルは大方の国々の生活水準にくらべて劣っているわけではない。

 したがって、人は単なる生活苦から自殺するというより、もうすこし精神的な問題があって死を選ぶのである。ところでその精神的な問題とは何か。私はそれは「信頼の喪失」だと思っている。

 リストラや倒産による失業は、多かれ少なかれ、他人に対する信頼、社会に対する信頼を揺らがせる。しかしそればかりではない。ときとしてそれは自分自身への信頼を打ち砕くことにもなる。人が信じられなくなり、自分を信じられなくなった人間は死へと傾斜する。とくに自尊心の強い自信家の場合、この傾向は大きいだろう。

 人を信じるということと自分を信じるということは、じつは別のことではない。人は人に支えられ、人を信じるなかで、自らを信じることを学ぶ。ほんとうの自信というのは、こうしてまわりの人々によって与えられ、支えられている。他人に信頼され必要とされることがその人の自信を育てるのだ。失業による社会的信用の失墜は、こうした自信を打ち砕く。

 したがって、失業問題は単なる生活問題ではない。それはもっと精神的な問題である。人生のクオリティにかかわる問題だ。その意味で、中高年とともに、若年者の失業率の高さもおおきな社会的問題だと言わなければならない。

 なぜなら、失業は若者から人間にとって一番大切なもの、つまり「人を信じ、自分を信じる」という精神のゆたかさを奪うことになるからだ。それは多くの場合、他者と協力して働くことによって得られる。勤労によって、人は鍛えられ、自分に自信を与えるすべを学ぶ。そいうした意味で、他者とともに働く体験こそ、ほんとうの「学び」であるわけだ。

 教育とは何か。その一つの答えがここにあるように思う。それは、人を信じ、社会を信じ、そして自分を信じることの大切さを学ぶこと、人と人が信じあい、自らを信じることができるような人間的にゆたかな社会をいかに創るかを学ぶことだ。それは卒業式で国歌斉唱を強制したすることではないし、まさにその対極にある世界だといえよう。


2004年04月04日(日) 豊かな未来を開く共生社会の経済学 

 朝日新聞社から出版された「経済大論戦」という本を読みました。この数年間で出版されて話題になった50冊の経済書を、「日本経済の将来をどうみるか」「不況脱出への処方箋」「不良債権と銀行問題」「構造改革はどこへいく」などの8つのテーマに分類して、簡潔に要約した本です。著者の一人である宮島理さんがこう書いています。

<経済論戦というショーを傍観者的に眺めていられる段階はもう終わった。エコノミストや政治家に政策を「丸投げ」するのではなく、国民ひとりひとりが主体的に論争に参加するーー本書がそのためのささやかな一助になれば幸いである>

 宮島理さんは、1975年生まれで、私よりも25歳も若い人です。東京理科大学理学部物理科中退後フリーライターになり、「まれにみるバカ女」(宝島社)などの著書があるといいます。経済学の専門家ではなく、大学で物理学を専攻した彼がこうした本を企画したのも、あまりにも無秩序で混乱した「経済学」の現状を見かねてのことではないかと思います。

 実のところ、経済書の新刊が毎日のように出版されています。日本の一流大学を卒業してアメリカの大学で教鞭をとったことのある経済学者や、世界銀行の副頭取でノーベル経済学賞を受賞した外国の著名な学者、日銀や財務省のキャリアの経験をもつ政策通の専門家、投資会社の顧問をしている現場に詳しいエコノミストたち、そうした人々の本が売れています。経済不況で一番稼ぐのが経済学者だといわれるとおりです。

 こうしたすぐれた学識とキャリアを持っている人たちの本を読んでいて気付くことがあります。それは、これらの権威あるエコノミストたちが、経済についてそれぞれ独自の説を主張して譲り合わず、お互いに痛烈に批判しあっているという恐るべき現実です。

 ある著者は財政出動をすべきだといい、別の著者はすべきでないといいます。不良債権処理、構造改革、インフレターゲットなどの政策についても賛否両論があります。これでは読者はいったい何が真実で、何が正しいのか判断に迷うでしょう。一般市民として経済学を勉強し、論戦に参加したくても、専門家の意見がこうも異論百出で議論が紛糾していては途方に暮れるしかありません。

 そして、こんな疑問が生じてきます。それはこうした混乱と学説の押し売りばかりの「経済学」が、はたして「学問」や「科学」の名に値するのだろうかということです。大学と大学院で10年間自然科学(理論物理学)を研究してきた私には、経済学者たちのこうした混乱したありさまは不思議で異様な光景にうつります。「経済学」はノーベル賞の対象となるくらいですから、れっきとした社会科学だと思っていましたが、これでは論証と実証に裏付けられた近代的学問だとは言えないのではないでしょうか。

 イリノイ州立大学のマクロスキー教授が 「ノーベル経済学受賞者の大罪」(筑摩書房)で主張しているように、今日の経済学者たちは砂場で砂のお城をつくっている三歳の幼児に等しいのでしょうか。テレビや雑誌で自信に満ちた発言をくりかえしているエコノミストや政治家たちもまた、ただ自己満足の世界に閉じこもり、現実逃避の砂場遊びに興じているだけなのでしょうか。そうではないことを祈りたいのですが、経済財政大臣兼金融大臣の竹中平蔵さんのお坊ちゃん顔が浮かんだりして、いよいよ不安が募ってきます。

 そこで、「経済とは何か」ということを、ラジカルに問い直してみたいと思いました。そのためにいろいろな経済書を読み直して書いたのが「経済学入門」です。他人のためにではなく、私自身が「経済のしくみ」について納得し、政府の政策や、私たちの身のまわりで起こっている経済現象について、より本質的な理解を得たいと考えました。

 そのため、むつかしい専門用語は避けて、自分自身の頭で考えたことを、自分自身の言葉でやさしく書いてみました。結果的に中学生にでも分かる経済学入門が書けたのではないかと思っています。

 経済学はそもそも現在この世界を支配している市場経済のしくみを明らかにする学問です。そして、このしくみをどう変えれば将来どんな社会が実現するかを予測し、その効率的な実践法を社会に提言する役目も担っています。

 たとえば財務省は昨年(2003年)一年間で、21兆円ものドルを買い、円を売っています。これまでの最大が1999年の7兆円ですから、実にその3倍です。しかも今年に入って、この3ケ月間で、財務省はすでに15兆円ものドル買いをしているのです。このままの勢いだと年間で60兆円に達するでしょう。

 財務省はこの異常なドル買いを何のためにしているのでしょうか。そしてこの巨額の資金をどこから得たのでしょうか。資金は誰の手に渡り、どのように使われているのか。それはほんとうに日本国民にとって必要な経済政策で、そのコストに見合うだけの効果が期待されるのか、またその論理的根拠は何か。こうした疑問が次々とわいてきます。

 去年12月に政府はドル買い介入に必要な短期国債の発行枠を140兆円に拡大しました。国家予算が81兆円なのに、それを上回る資金を使ってアメリカ国債を買うつもりです。米国債とはいわばアメリカの借金証文です。日銀の金庫には何千億ドルもの米国債が堆く積まれています。

 ところでこの米国債は何かの役に立つのでしょうか。日本が多額の赤字国債を抱えながら購入しなければならないほどのものなのでしょうか。そして、なぜ日本政府はこれを金に変えたり、また必要なとき売却したりしないのでしょうか。

 1997年6月に当時の橋本首相がアメリカのコロンビア大学で講演し、米国債売却について触れたことがありました。その趣旨は、「米国債を売って金に切り替えると言う誘惑に負けないよう、米国も為替の安定に協力してほしい」ということでしたが、日本の首相のこの発言で、アメリカの株はたちまち大暴落しました。そして日本政府はあわてて、「将来にわたって米国債の売却はありえない」と発言を撤回したのです。

 こうした事実を分析すれば、「米国債」を中心にした資金のアメリカへの環流という国際経済のカラクリが見えてきます。しかし、こうした問題についても、経済学者や政治家、官僚の発言はそのつど変化し、そのうえ難解な表現に満ちていて、雲をつかむようでよくわかりません。しかし、私たち一般市民は、選挙民であり、かつ納税者としての立場から、これら政策が行われる理由を掌握しておく必要があります。そのとき私の「経済学入門」が一つの手がかりになれば幸いです。

 ところで、経済のメカニズムを理解し、さらにこれをどう変えて行ったらよいかと問うとき、その前に是非考えておかねばならないことがあります。それは、私たちがどのような社会を望み、目差そうとしているかという、将来の社会についてのあるべきビジョンを持っているかどうかということです。

 なぜエコノミストたちの議論が紛糾し、お互いに矛盾対立するばかりでかみ合わないのか、実はこの問題の秘密がここに隠されています。それは理想とする社会のイメージがそれぞれの学者の心の中でまちまちだからです。経済政策はただ景気をよくしたり、株高を実現するために実行されるわけではありません。その先に、どんな社会を目差しているのかという本質論がなければならないのです。ところが案外こうした大切な議論が経済学者のあいだでスキップされているのです。

 多くのエコノミストが当然の如く考えているのは、「競争原理」に基づいて「強い日本を創る」ということです。彼らがどうしてこうした発想をするのかと言えば、彼らが高学歴で、高収入を誇る経済的強者だからです。しかも同じことを主張していては芸がないので、それぞれ自らをこまかく差異化して、自らの「学説という商品」を高く売りつけようとしているのです。そしてここから、経済政策の多様性が生まれてくるし、学説の混乱も生まれてくることになります。

 平凡な一般庶民である私は、大方の経済学者とは違って、「弱者にやさしい社会」「貧富の差の少ない社会」「戦争や紛争がない豊かで平和な国際社会」を望みます。貧富の格差を生みだし社会を不安定にする「競争社会」ではなく、人と自然にやさしい「共生社会」の実現と維持のために経済学がおおいに研究され、社会のために活用されることを願っているのです。

 私はまた日本は古来より「和をもって貴しとなす」という共生原理で生きてきた社会だと考えています。人々を幸福にするのは、こうした国の伝統的な文化を守り育てることのできる「共生社会の経済学」だと思っています。そのためにはアメリカに追随するだけではなく、EUやアジアとも連帯すべきでしょう。とくに日本は昔から中国文明の恩恵を受けています。先の不幸な戦争の反省をしっかりして、中国を初めとする近隣諸国と良好な信頼関係を築いていく必要があります。

 私はこうした「競争よりも共生」、そして憲法が最高の理念とする「国際関係重視」の視点から、「経済学入門」に続いて、「共生論入門」を書きました。これらの文章は「何でも研究室」に置いてあるので、興味のある方に読んでいただければ幸いです。


2004年04月03日(土) 国歌が好きになれない

 私は教員になって、ずっと一人で生きてきた。つまり、いかなるセクトにも属さないでやってきた。組合もふくめて、そうした個人の自由に干渉する組織や仲間が嫌いなのだ。人からあれこれ言われて、強制されるのがいやでいやでたまらない。昔からそうした性格だった。

 そのかわり組合の意見にも文部科学省や教育委員会の意見にも耳を傾け、是々非々で考えてきた。その際、自分なりの判断が出来るように、経済、歴史、政治については、ずいぶんと勉強したつもりだ。特定のイデオロギーにとらわれず、あくまで自分の頭で考えて納得したいと思ったからだ。

 そうしたわけで、極端な集団主義や国家主義は嫌いだ。しかし、国旗・国歌については、私はそうしたものが存在することは当然だし、教員や生徒が自国の国歌や国旗に敬意や親しみを抱くことも好ましいことだと考えている。愛国心も否定しない。じつのところ、私は日本の文化や自然が好きで、私自身は自分を愛国者だと思っている。

 もっとも現在の日本の国歌や国旗をそのままみとめるのがいいのかどうか、特に「君が代」には疑問がある。卒業式の国歌斉唱では起立するが、あまり真剣に歌う気がしない。それは私が歴史を学び、同じ国歌と国旗のもとで、侵略戦争が行われたことを知っているからだ。

 主権在民の新憲法のもと、「君が代」の歌詞が民主主義を標榜する国の国歌にふさわしいとは思えない。だから、私はうたい気にならない。おそらく強制されてもなおさら、歌わないと思う。そもそも愛国心は強制されるべきものではない。そして、憲法には「思想・信条の自由」が基本的人権として明記されている。狭隘な国家主義イデオロギーを押しつけられてはかなわない。

 大切なことは、私たちがだれしも自国に誇りをもち、心から愛することができるような、そんな国作りをすることだ。強制ではなく、自然な感情で国を愛することだ。そのためには、戦争責任についてもうやむやにせず、しっかり反省し、学校で現代歴史をしっかり教えるべきだ。それからもっと、世界のことを考え、常日頃から平和的に世界貢献すべきだと思う。

 組合には入らないが、どちらかというと私は組合のシンパで、北さんやtenseiさんのようなタイプの自由な思想を持った組合員はとくに好きだし、尊敬もしている。組合がなくなったらどういうことになるか、愛知県では組合組織さえ存在しない学校もあり、そうした学校で勤務した経験があるので、労働者の人権や労働条件の改善を要求する組合の必要性は骨身にしみてわかっている。

 私が勤務した三河の県立高校では、毎朝、生徒も職員も校門を入ると、正面の国旗に最敬礼していた。毎朝、グランドには当番の生徒と教師の手で、国旗が掲げられ、そのあいだはグランドで部活動をしている生徒や教師は直立不動で頭をたれていたものだ。

 この儀式は、放課後も行われ、まったく同じようにして国旗が降ろされた。毎週朝礼があり、その際はかならず、国旗の掲揚と国歌斉唱があった。皮肉なことに、私が国旗の掲揚と、君が代の音楽を流す係りだった。朝礼の度に、とても緊張したものだ。

 この高校には厳しい校則があった。たとえば、昇降口の下足の入れ方にも決まりがあって、指導部が毎朝チェックして、担任に違反者を報せていた。私のクラスに違反の常習者がいて、「靴の向きくらいどちらでもいいじゃん」と言って聞かない生徒がいた。その生徒は職員室の担任(つまり私)の傍らで、一時間正座させられていた。規則に従うことがすべてだったのである。(参考、2003年2月14日の日記)

 この学校には組合はなかったが、別の「教育会」という組織があり、そこに入らないでいると、教頭や主任から、「君はなぜ入らないのだ。この学校で入っていないのは君も含めて三人だけだ」といわれ続けた。現在愛知県では組合の組織率は2割を切っているのではないだろうか。これにたいして、「教育会」の組織率は5割を超えているように思われる。(だれか、正確な数字を知っていたら、教えて下さい)

 私がこうした右翼的で管理主義的な県立学校に勤務していたのは、もう20年近く前のことで、その後は世間の批判もあって改善されたと思う。少なくとも現在勤務している学校ではこうしたことはない。それでも、自衛隊のイラク派兵にも見られるように、世の中がこの数年で変わってきている。全国的に労働組合が弱体化し、組織の崩壊が進む中で、東京都のような強権的な手法が他県にまで波及するのは時間の問題かも知れない。

 はっきりいって、これは「教育の死」だと考える。なぜなら学校とは、「自分の頭で考えることのできる人間」を育をてるところであって、ただ従順で、長いものにまかれるだけの保身的なロボットをつくる工場であってはならないからだ。そのために、教師もまた自由な個人として、「千万人といえども我ゆかん」(孟子)の気概を持って生きたいものだ。


2004年04月02日(金) 職務違反で大量処分

 教員になって、この25年間のうちに、校長の口から「職務命令」という言葉を3回聞いた。1回はもう十数年前、商業高校に勤務していた頃、校長室で「来年度は3年生の学年主任をやってもらいます」と言われ、それを拒否すると「これは職務命令です」と言われた。

 二回目は今年の3月、やはり校長室で、「1年の学年主任をやっていもらいます」と言われ、これを拒むと、「職務命令を出しますよ」と言われた。これは個人的に聞いただけだが、今年の3月には職員会議で、校長が職員の「人事の決め方が非民主的だ」という意見に、「それでは職務命令でやりますか」と、険しい表情で応じた。

 いずれも人事がらみである。校長の名誉のために言っておくと、いずれも「職務命令」は出されなかった。ただ、脅しのために口に出しただけで、発動されたわけではない。教育の場で、とくに人事の問題で、「職務命令」はあまりなじまない。主任や担任は命令されてやるようなことではないからだ。

 この3月に行われた卒業式に、東京都教育委員会は都立の高校や盲・ろう・養護学校各学校に監査役の職員を派遣し、学校の職員の行動に目を光らせていたらしい。式のとき職員の座席表をあらかじめ決めて、君が代斉唱のときに起立しなかった職員をチェックした。

 にもかかわらず、約180名ほどの職員が君が代斉唱のときに起立しなかったということで、これらの職員を「職務命令違反」ということで戒告処分にするらしい。すでにほとんどの学校で、式の時は日の丸がかかげられ、君が代が歌われている。都教委はこれをすべての職員にまで徹底させようとしたのだろう。起立の次ぎには、口を開けているか、声を出しているかまでチェックしないとも限らない。なんとも馬鹿げたことだ。

 愛知県で同じようなことが起こったらどうするか。私は国歌・国旗に特別な感情はもっていないし、これまで式で起立をしなかったことはない。しかし、教育委員会が「職務命令」をふりかざして、そうした理不尽と思われるようなことを強行するなら、私は起立はしないだろう。それで懲戒免職になるのなら仕方がない。そんな息苦しい国から、早く脱出したいだけだ。


2004年04月01日(木) 若狭の春を楽しむ

 昨日は青春切符を使って、小浜まであそびに行った。前日の雨で部活動の練習がなくなったのと、天気がよさそうだったからだ。車中の友は高橋伸夫さんの「虚妄の成果主義」(日経BP社)である。この本を一冊じっくりと読む旅でもあった。

 副題が「日本型年功制復活のススメ」となっていて、本の帯には、気鋭の東大教授(経営組織論)による成果主義に対する「初の本格的な批判」、「揺れる経営トップ、悩める人事、落ち込む一般社員におくる<成果主義>の愚かしくも無惨な正体!」と書いてある。少し見出しを拾ってみると、

「人は金のみにて働くにあらず」
「この仕事やってきてよかった」
「自己決定の感覚こそが動機付けに」
「必要なのは未来を拓く本当の経営者」
「ゆらぐトップが会社をだめにする」

 読んでみて、とてもためになった。「労働(学習)生産性をあげるには、内的動機付けこそ大切である」と私がふだんから考えていることが、経営組織論の立場から、客観的なデーターなども示しながら、じつにわかりやすく実証的に書かれている。経営学というこれまで馴染みの薄かった学問がどういう歴史をもち、どういう研究をしているのかもよくわかって面白かった。いずれまた、くわしくこの日記で紹介してみたい。

 家を朝7時過ぎに出て、大垣、米原、敦賀で乗り換えて、小浜に着いたのが11時過ぎだった。さっそく市街をぶらぶら歩いて、海岸道路に出た。「ごえん」という店で食事をするつもりだったが、あいにく定休日。この店でランチを食べるのが楽しみだっただけに、ちょっと残念だった。

 そのまま、海岸道路を歩いて、小浜公園へ行った。桜がほぼ満開できれいに咲いていた。佐久間艇長の顕彰碑のある丘に登り、市街や港を眺めた。それから、古い民家の残る一画を歩き、再び駅前にきた。12時をかなり過ぎていて、そろそろ食事をとりたかったが、定休日の店が多い。

 ぶらぶら歩いているうちに市役所が目についてので、そこの食堂で食べることにした。「焼鯖定食」が580円だった。さっそくこれを食べた。焼鯖に小鉢とみそ汁がついている。これはお値打ちでおいしかった。

 昔、住んでいたあたりはすっかり変わっていたが、遊び場にしていた広嶺神社はそのままだった。その隣の公園の桜並木がみごとだった。小学生の私は、夏になると毎朝ここでラジオ体操をしたものだった。そこから、南川の堤を歩いた。

 川には鴨達が浮かび、堤防には菜の花や水仙が咲いていた。川遊びをする少年たちに、少女が堤の上から「どう、さかなとれた?」などと声をかけていた。そのまま自分の少年時代の風景を見るようでなつかしかった。

 帰りは、敦賀によった。ヨーロッパ軒のカツ丼を買うためだ。青春切符のよいところは途中下車が自由なところだ。私をふくめて妻と娘の三人分を持ち帰りでつくってもらった。7時18分木曽川駅着。妻が車で迎えに来てくれていた。家に帰って、さっそく家族でカツ丼を食べた。


橋本裕 |MAIL |HomePage

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