橋本裕の日記
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2004年05月31日(月) ゼロ・サム社会への後退

 経済学の目標は、「資源の適切な分配」にあるといわれている。そして、資本主義経済学は、「自由で公正な市場」がこれを可能にすると説く。これが資本主義経済学の基本原理であり、いわば数学で言えば、ピタゴラスの「三平方の定理」のようなもので、これをうたがう経済学者はいない。

 したがって問題は、いかにして「自由で公正な市場」を実現するかということである。そしてこれをめぐって、さまざまな議論があり、学説が出てくる。国内市場と国際市場の関わりがあり、貿易をめぐる国家間のかけひきがある。こうしたなかで、競争力の問題が発生してきた。

 つまり国と国も企業同士のように「食うか食われるか」の熾烈な競争を展開しており、これに破れれば国が滅びるというのである。ここから「貿易戦争」「経済戦争」などという言葉も生まれてきた。この戦争に勝つためには、「競争力」をつけなければならないという主張である。

 クルーグマンはこうした「競争力至上主義」の経済学を、正統な経済学では明確に否定された「俗説」であるという。そして、こうした俗説があたかも正統な経済理論のように流布し、幅を利かせている現状を、世界にとってとても危険な状態だと警告している。

<貿易に関する経済学者の主張をひとつのスローガンにまとめるなら、「国は企業とは違う」になる。企業は、限られた潜在利益のパイをめぐって、競合他社と競争しているといえよう。いくつかの事業分野で少なくとも競合他社に匹敵する力をもっていなければならず、そうでなければ。いずれ、事業を続けられなくなる。これに対して国は、経済競争に負けても存続できなくなることはないし、貿易は通常、競争や競合という側面より、相互の利益になる関係という側面がはるかに強い>(「良い経済学、悪い経済学」、以下も同じ)

 競争に破れた企業は消滅するだろうが、競争に敗れた国家や社会が消滅することはありえない。国家や社会と企業を同一すすることがそもそもの誤りである。企業間で使われる経済競争力という概念をそもそも国家間に持ち込むことがまちがいである。しかし、こうした間違ったアナロジーが現在広く行われている。

 そもそも「貿易」を通して国と国が競争するという考えが現実的ではない。現実に行われている貿易は「相互互恵」的なものであって、それは生産性に格差がある両国においても、両国とも貿易によって実質所得が上昇することが実証されている。他国との貿易によって、国民経済が圧迫されたり、壊滅することはありえない。もしそうしたことがあったとしても、それはその他のさまざまな要因が複雑にからんだ結果である。

<貿易相手国に遅れをとった国は、貿易赤字が解消できなくなり、失業者が大幅に増え、おそらくは経済が崩壊するなど、深刻な打撃を受けるという恐れが、一般には広がっている。この恐れには、根拠がない。理論的にも実際にも、生産性が低い国も貿易収支を均衡させることができる。貿易の原動力になっているのは、絶対優位ではなくて、比較優位だからである。生産性の上昇と技術の進歩を維持することはきわめて重要だ。しかし、その理由は、生産性と技術力がそれ自体で重要な点にあり、国際競争力維持のために必要な点にあるわけではない>

「比較優位」というのは、1817年にデービッド・リカードが提唱した概念で、「ほぼすべての産業で貿易相手国より生産性が低い国は、生産性の差がもっとも少ない製品(比較優位)を輸出することになる」という理論である。これについての証明は、経済学の教科書には必ず載っている。クルーグマンも実例を挙げてやさしく解説しているので、後日の日記で紹介したいと思っている。

 競争力の低い産業後進国にも、先進国に対抗できる「比較優位」が生まれることからもあきらかなように、貿易は実のところ多くの人が考えているような「ゼロ・サム・ゲーム」の世界ではない。パイが限られている場合、たしかにそれはパイのぶんどり競争になる。誰かの利益は誰かの損になり、損益の合計は0である。しかし、貿易は実は相互互恵的な「プラス・サム」の世界である。

<決定的な点は、限られた市場をめぐる企業間の競争とは違って、貿易がゼロ・サム・ゲームではなく、ひとつの国の利益が他の国損失になるわけではないことだ。貿易はプラス・サム・ゲームであり、したがって、貿易に関して「競争」という言葉を使うのは、誤解を招きかねない危険なことである>

 かってホップスは社会をゼロ・サムとみなして、そこから「人生は万人の万人に対する戦い」であるという結論を引き出した。しかし、ロックは資源は限られてものではなく、「人間の労働」によって新たに創造されるものだと考えた。ロックの考えた社会は、人々の相互互恵的な共生を可能にする「プラス・サムの世界」である。

 このロックの思想の上に、近代的民主主義の社会が形成され、アダム・スミスにはじまる経済学の理論が作られている。これを再び、ホップスの「ゼロ・サム」へと引き戻そうとするのが、今世界を覆っている「俗流経済学」と、それを信仰する人々だ。そうした人たちの行く手には、「ゼロ・サム」の象徴である「戦争と圧政」が待ち受けているだけだろう。

 競争力の問題を考えるとき、私たちは競争か共生か、いずれの社会を目差そうとしているのか、よく考えてみる必要がある。私たちの社会が本来「プラス・サム」だということを忘れ、「ゼロ・サム」を前提にした政策を実行し、そうした思想教育を施したらどういうことになるか。人類はふたたび殺伐とした「ゼロ・サム社会」へと後退するしかない。私たちはこれに対抗して、夢と希望にあふれた「プラス・サム社会の発想」を大切に守り育てたいものだ。


2004年05月30日(日) 競争力という危険な幻想

 クルーグマンによると、「経済問題の根源が国際競争力にある」という、理論的にも事実としても誤った主張が、これほどまで多くの人々に易々と受け入れられたのは、それが一見わかりやすいからだという。

<ビジネスマンの集まりで、国も大企業とおなじように競争していると説明すれば、それなら基本はわかっているという安心感をあたえることができる。比較優位などの経済学の概念を説明し、これまで知らなかったことを学ぶようにうながした場合と比較してみればいい。必死に考えるという苦しい作業を経なくても、高度なことがすぐに理解できたように思える理論を好む人が多いのは、あたりまえである>

 しかし、問題はこれだけではない。そこにはもっと深い背景がある。クルーグマンは、つぎの三つをその背景に加えている。
�/諭垢魘淑海気擦独瑤咾弔�せる。売名と商業主義。
��解決が容易だと思わせ、独断的な偽りの満足感をあたえる。知的頽廃の始まり。
��これを錦の御旗にして、あらゆる政策に従わせる。政治的専制。
 「良い経済学、悪い経済学」の第一章、「競争力という危険な幻想」から引用しておこう。

<第一に、競争は興奮を呼び、興奮があれば人々は飛びつく。レスター・サローの大ベストセラー「大接戦」の副題は「日米欧どこが勝つか」であり、表紙には、「世紀の決戦が始まった。……アメリカはすでに戦いを放棄しているのか」と書かれている。副題がもっと現実的であったらどうだろうか。たとえば、「今後の戦いで主要な経済国の成否を決めるのは、それぞれの努力であり、他の国がどう動くかとはほとんど関係がない」であれば、サローの本は10分の1も売れただろうか>

<第二に、アメリカ経済がぶつかっている問題は国際競争力に負けている結果だと考えると、不思議なことに、問題の解決が容易に思えてくる。アメリカの労働者の平均生産性は、きわめて多数の複雑な要因によって決まり、そのほとんどは、政府がどのような政策をとろうと、影響をあたえられないものである。・・・しかし、問題は国際競争力負けていることにあると信じ込めば、つまり、輸入の増加で国内の高賃金の職が失われ、政府の補助を受けた外国産業との競争で、アメリカがハイテク産業から締め出されていると信じ込むことができれば、ハイテク産業に補助金を出すとか、通商問題で日本に強い姿勢をとるなど、簡単な政策で経済問題を解決できると思えるようになる>

<第三に、競争力の比喩が政治的にきわめて好都合であることに気付いた政治家が多い。競争力を錦の御旗にすれば、国民にとってきびしい政策を正当化するためにも、きびしい政策を回避するためにも役に立つ。・・・財政赤字によって、生産的な投資にまわるはずの資金が吸い上げられ、アメリカの経済成長率がごくわずかではあるが、着実に押し下げられる。しかし、クリントン大統領はこうは主張せず、国民の愛国心を呼び起こす演説で、グローバル市場での競争力を確保するために行動を起こそうと呼びかけた>

 クルーグマン教授がこの文章をフォーリン・アフェアーズ誌に発表して、「競争力というイデオロギー」の危険性を警告したのは1994年のことである。クルーグマンは多くの人々が信奉している考え方を間違いだと公言するのは、世界の指導者にとっても、またエコノミストにとってもよほどの勇気がいることだと述べている。しかし、誤ったイデオロギーは、人々を困難な世界に導く。だれかがその虚妄を暴かなければならない。

<創造説にこりかたまった政権は、進化論とは直接関係のない分野であっても、まともな科学的政策を打ち立てられるとは思えない。これと同様に、競争力というイデオロギーにこりかたまった政権は、まともな経済政策を打ち立てられるとは思えない。・・・国の経済政策を考える際には、競争力は意味のない言葉なのだ。そして、競争力という妄想にとらわれるのは、間違いでもあるし、危険でもある>

 こうしたことを公言すれば、政治家は人気を失い、エコノミストは信頼を失うことになるだろう。事実、クルーグマンでさえ、その後多くの雑誌から掲載を拒否され、友人を失うことになった。しかし、クルーグマンのこの論文から10年近く経ったいま、世界はまさしく彼の予言した最悪のシナリオで動いているように見える。

 明日の日記で、競争力というイデオロギーがどこから生まれてきたのか、そしてそれが何故間違っているのか、クルーグマンの語るところに、もう少し耳を傾けてみたいと思う。


2004年05月29日(土) 俗流経済学の罠

 大学と大学院で10年間ほど「物理学」を勉強したおかげで、サイエンスが何であるかということについては、一応専門家としての見識が得られた。だから、世の中に多く出版されているエセ科学の本の杜撰な正体を見抜くことくらいはできる。

 経済学については、私は専門的な訓練を受けたわけではない。だから、世の中に多く行われている学説のどれが正しいのか、にわかにはわからない。分かることは、さまざまな学説があり、一応は学問的な客観性を装っていても、そのいずれもが主観や希望的観測から自由だとはいえないのではないかということである。

 そうしたなかで、私が信頼をおいているのが、私よりも若く、しかも最もノーベル賞に近いといわれているプリンストン大学教授のポール・クルーグマンだ。彼の本は論理的でわかりやすく、しかも実践的である。彼の著書を読んでいると、世界経済の動きが手に取るように見えてくるから不思議である。そればかりではない。エセ経済学と本物の経済学の違いも少しずつ分かってくる。

 クルーグマン教授によると、国際経済学について書かれた論文や書物の多くが、専門的な立場から言うと、とても是認できないような俗説の垂れ流しだという。そしてこうしたさまざまな誤った学説が、経済界や政界で影響力をもつ人々のあいだでもてはやされ、企業活動や政策に影響を及ぼしている。そのなかでももっとも影響力のある俗説が「競争力がすべてを決めるという盲信」だという。

 クルーグマン教授は各国は国際競争力を失うのではないかといつも不安に怯えているが、こうした懸念は、実証的に見て、ほとんど根拠がないという。そればかりか、「競争力にこだわるのは間違いであるというだけではなく、危険であり、国内政策を歪め、国際経済システムを脅かしかねない」と指摘する。

 競争力という観点から政策を考えていくと、国内政策、国際政策を問わず、医療制度から通商にいたる幅広い問題で、経済政策が直接、間接に間違った方向に導かれていく。しかし、現に、多くの経済学に関する著作がこうした立場から書かれており、多くの人々をこの盲信に駆りたてている。

 そして競争力という主張は今や世界のオピニオンリーダーのあいだにまで広がっている。かって、クリントン大統領は「世界の各国はグローバル市場で競争を繰り広げている大企業のように競争している」と発言した。欧州委員会のドロール委員長は、EC首脳会議で、「ヨーロッパの失業率が高いことの根本的な原因は、アメリカと日本に対する競争力が劣っているからだ」と発言した。これについて、クルーグマンはこう書いている。

<こうした見方を、経済に詳しいと自信をもっている人たちが、当然のこととして受け入れており、この見方に真剣に疑問を投げかける者がいるとは、考えてもいない。21世紀に向けたレースに敗北すれば大変なことになるとアメリカの国民に警告する本が、何ヶ月に一度は最新のベストセラーとして登場してくる。(略)

 世界市場で成功を収めるかどうかで、各国の経済的な命運がほぼ決まるというのは、仮説にすぎず、真実だとはかぎらない。そして、現実の問題として考え、事実の裏付けを見ていくなら、この仮説はまったくの間違いである。(略)

 先進国のほとんどで、交際競争力への懸念が高まっているが、それを裏付ける事実があるわけではなく、逆に、的外れであることを示す大量の事実があるなかでも、そう信じられているのである。しかし、そう信じたがっている人たちが多いのも、明らかだ。競争力の教義を説く人たちが、主張を裏付けようと、ずさんで間違いだらけの数値をあげる傾向があることを見れば、この見方を信じたいという欲求がいかに強いかがわかる>(「良い経済学、悪い経済学」日経ビジネス文庫、以下の引用も同じ)

 それでは、すでにリカードがその間違いを理論的に証明しており、大学の経済学の教科書を読めばわかる明白な誤りを、どうしてまともな経済学者が正そうとしないのだろうか。それはまともな経済学者が書く文章があまりにむつかしすぎて、一般の人にはわかりにくいからだという。

 クルーグマンは、ある俗流経済学者が「運がよかったんだ。経済学者は文章が書けないから」と語ったという話を聞いたことがあるという。こいれを聞いて、クルーグマンは「経済学者以外の読者を対象に、明解で、効果的で、楽しくすらある評論を書かなければならない」と決意した。

<読者に予備知識があると想定したり、経済学の権威にたよったりしてはならず、まったくの白紙の状態から議論を組み立てていかなければならない。そして最後に、正しいものでなければならず、揚げ足取りや大向こう狙いであってはならない。まともな経済分析がどういうものであるかを世界に示すことが、エッセイの目標だからだ。(略)

 私の現在の立場に似た例をさがすなら、スティーブン・ジェイ・グールドがあげられる。グールドが学者としての評価を得たのは、「断続平衡説」によって、進化がつねに一定のペースで進むのではなく、時期をおいて爆発的に進むと主張したからである。生物学の分野では、グールドはこの主張によってラジカル派に属することになった。しかし、幅広い読者向けに執筆するようになると、創造説の主張に対して進化論の基本を擁護する役割を担うべきだと考えるようになった>

 さいわい、天はクルーグマンに二物を与えた。それは一流の独創的な学者であることと、そしてこのこととはなかなか両立しがたいのだが、幅広い知識をもち、複雑な現象の本質を筋道を立ててやさしく、面白く語ることの出来る、一流の文章家としての資質である。私は彼の著作によって経済学に目を見開かれたのだが、世界もまた彼から多くのものを受け取ることになるだろう。


2004年05月28日(金) 買われる日本株、売られる米国債

掲示板にeichanや千々石ミゲルさんが、世界や日本の経済の動きについてデーターを示しながらいろいろ書いてくれている。アメリカによる日本企業の株の買い占めについては、次のようなデーター(週刊東洋経済2004.5.29)があるという。

<03年4月から今年の4月の高値まで、日経平均は約60%の高騰をした。これを演出したのが外国人投資家である。この間の外人の買越額は12兆円を超える。さて、その外国人なるものの実態だが、英国、スイス、ドイツを中心に欧州が6兆3465億円の買い越し。米国が6兆2705億円の買い越し。(円高効果を勘案すると70%ほどの高騰)

香港、シンガポールなどのアジア資金。その他、原油高騰で資金の膨らんでいるサウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)などの中東の資金が入っている。その間、日本の投資家はすべて売り越し。

金融法人8兆9624億円
事業法人9856億円
投資信託3131億円
個人2兆9478億円
の売りこしである。

 かつて、安定株主対策で、日本の金融機関が事業会社の株式を保有したものである。さてさて、これもいけないとなると、外国人投資家に狙われ、ある日突然、上位株主に外人があらわれ乗っ取られることになりはしないか。

 たとえば、著名な企業で、特定の外資と資本提携をしていないにかかわらず、外国人持株比率が
HOYA46.7%
ヤマダ電機45.5%
オリックス45.2%
となっている。

世界から日本が狙われている?!>(eichan)

 問題はこれだけの資金をどうして調達しているかということだが、その背後には米ドル(米国債)売却の動きがあるのだろう。これに対抗して、日本政府は昨年度30兆円も米国債を買ったわけだが、そうして放出された円が日本に環流してきているとも考えられる。つまり、日本がアメリカやヨーロッパ、アジアに「米国債購入」という形で資金を与え、外資はその資金を使って日本の株を買っているわけだ。

 もちろんこの動きがいつまで続くかわからない。外国の投資家はあくまで「株や通貨売買でもうける」ことが目的なので、「高値で売り逃げ」の機会をつねに狙っている。これはまさに「投機」であり「ゲーム」の世界だ。世界の資産家や機関投資家たちは、国境をこえてこうしたゲームに熱中している。

<世界2位の資産家、プロのアメリカ人投機家、ウォーレン・バフェット氏は、3月6日「ドルがだぶつき続ける」ことに懸念を表明、約1兆3000億円分の米ドルをユーロなど他国の通貨に交換、手持ちの民間株と米国債を含む債券もほぼ全部売りきったそうです。「高金利を予測して」との理由です>(千々石ミゲル)

 日本の経済界や官僚達は、こうした名だたる世界の投機家を相手にして、ほとんどなすところを知らないというのが現状だろう。「会社は従業員や顧客のためにある」という古き良き時代の企業観が崩れて、「企業は株主の利益のためにある」というアメリカ流の株価第一主義の投機的企業観が日本を席巻しようとしている。しかも、日本政府は「構造改革」の美名のもと、こうした投機資本主義を積極的に押し進めるために商法まで改正して、これに協力している。私には狂気の沙汰としか思えない。


2004年05月27日(木) アメリカに広がる中世の闇

 アメリカと言えば、自由と民主主義の国というイメージがある。科学技術でも世界をリードし、ノーベル賞学者がぞろぞろいるというイメージがある。しかし、こうしたアメリカ像は、いま急速に壊れつつある。いままで隠されていたもう一つのアメリカが最近いたるところで露出し始めたからだ。

 毎日新聞(5月26日)の「宗教社会の底流」という記事を読むと、アメリカの教育現場で「進化論の排除」が広がっているらしい。公立高校の中には進化論をほとんど教えない学校がある。たとえば、ジョージア州コブ郡の公立高校では、地元の教育委員会の命令で、生物の教科書に「進化論は仮説。事実ではありません」というシールが貼ってあるという。

「聖書」には神が6日間で世界を創造したと書いてある。聖書の記述はあきらかに「進化論」と矛盾している。「聖書」を信じる以上、「進化論」は否定されなければならない。コブ郡の高校では、3割の教師は進化論をまったく教えない。そして5割の教師が教えても1日だけですませているのだという。同郡のマイケル・マニーリー弁護士は次のように言う。

「米国は暗黒時代に戻りつつある。宗教右派は各地の教育委員会にメンバーを送り込み、民主主義を否定してセオクラシー(神による統治)を実現しようとしている」

 昨年1月、ジョージア州では教育指導要綱から「進化論」という言葉を排除しようとして問題になった。しかし。こうした動きはすでに、99年にカンザス州から始まり、ミシガン、イリノイ、テキサス、アラバマ、アリゾナ、ネブラスカ、ケンタッキーなどの各州に広がっている。アラバマ州ではやはり教科書に「進化論は事実ではありません」というシールが貼られているという。

 1925年、進化論を教えた公立高校の教師が、テネシー州の裁判所で有罪判決を受けている。こうした判決がこれからアメリカの各州の裁判所で行われる可能性がある。おりしも、東京都では君が代斉唱に起立しなかった教師が処分された。日米両国で、「暗黒時代」を思わせるいやな動きが広がろうとしている。


2004年05月26日(水) 「脱アメリカ、入アジア」戦略のすすめ

 2002年の1月、アメリカ大統領ブッシュは,イラン・イラクと並んで、北朝鮮を「悪の枢軸」の1国として名指した。ソ連が崩壊したあと、アメリカに面と向かって立ち向かう国はほとんどなくなったが、例外がこの三国だった。

 アメリカはこの3国を本気で潰す気だったのだろうか。イラクについては「イエス」ということだろう。あるいはイランについても、イエスと言えるかも知れない。しかし、北朝鮮については、必ずしも「イエス」と言えないのではないと私は思っている。その理由は、アメリカにとって北朝鮮を潰す理由がないからだ。

 アメリカは北朝鮮に反米独裁政権があることで、ずいぶん得をしている。北朝鮮の脅威がなくなったら、誰が一番困るのか。それはアメリカの軍需産業である。日本や台湾に高価な武器を売りつけることもできない。そればかりか、韓国や日本はアメリカ軍の「占領軍」に出ていってほしいと言い出すかも知れない。

 現に小泉首相はアメリカのイラク侵攻を支持する理由として、北朝鮮の脅威をあげている。そして、「日米同盟が日本を攻撃しようとしている国に対する大きな抑止力になっている」と言った。裏を返せば、北朝鮮の脅威が取り除かれれば、日米同盟の重要性はかなり低下するだろう。

 北朝鮮の独裁政権は、もともと中国やソ連によって作り出され、維持されてきたものだ。そして北朝鮮の存在は、現在でもそれなりに存在意義を持っている。これによって、中国やロシアは自らの存在感を示せるからだ。とくに、日本や韓国に対する脅しとしては、これは格好のアイテムなる。

 アメリカにとっても、日本や韓国が北朝鮮と仲良くすることは面白くないことだ。それはアメリカのアジア支配の基盤を危うくすることにつながるからだ。だから、韓国の「太陽宥和政策」には神経を尖らせるし、前回の小泉首相の北朝鮮訪問についても、すぐにケリー国務次官をよこして、「核問題」をネタに日本を恫喝し、これを潰しにかかった。

 北朝鮮の独裁政権を作ったのがソ連で、これを育てたのが中国なら、イラクにフセインの独裁体制を作り、これを育てたのはアメリカとイギリスである。北朝鮮と同様に、フセイン独裁体制もアメリカにとって都合の良い存在だった。

 それではなぜ、アメリカはフセインを潰しにかかったのか。それはフセインが石油の決算を「ドル」から「ユーロ」に切り替えたからだ。これによって、米国債が多量に売られることになる。日本が急遽、140兆円ものドル買いの枠をもうけたのも、実はドルからユーロへの転換で、多量の米国債が売りに出されたときの備えではないかと思われる。

 アメリカはイラクに独裁政権を作り出すことで、サウジやクエートに「脅威」を与え、これを自国のコントロール下におくことが出来た。しかし、こうした分断による支配というアングロ・サクソンお得意の狡猾な支配戦略を今回は放棄して、むきだしの力による方法に走った。

 日本の場合は公共事業だが、アメリカはこれまで戦争で経済を維持してきた国である。この世から独裁政権がなくなったら、一番困るのが世界の警察官を自任しているアメリカだろう。しかし、今回はフセインをつぶしにかかった。それはそれだけアメリカが余裕を失って、追いつめられていることを示している。これは世界にとって、あまりよい兆候とはいえない。

 こうした現状認識に立って、日本は進むべき道を冷静に切り開いていかなければならない。アメリカの戦略にそって、あくまで北朝鮮敵視政策を続けるのか、それとも北朝鮮を積極的に援助し、これと融和的な関係を創造していくかである。私は後者の選択こそ、賢明な道だと思う。拉致問題を根本的に解決するには、一日も早く両国が平和条約を結び、国交を回復することである。

 日本は明治維新以来140年間「脱亜入欧」を合い言葉で走ってきた。第二次大戦後は、むしろ「脱亜入米」というべきかもしれないが、そろそろこれを逆転させて、「脱アメリカ、入アジア」、さらに視野を広げて、「脱アメリカ、入ユーラシア」の発想に立ってはどうだろうか。私にはこれが21世紀のグローバル社会に生きる日本の正しい選択のように思われる。


2004年05月25日(火) 不思議の国、ニッポン

 日本は昨年度30兆円もドルを買っている。そして、政府は去年ドル買い介入に必要な短期国債の発行枠枠を140兆円にまで拡大した。おどろいたことに、日本のマスコミも野党もこれをほとんど問題にせず、すんなり国会で承認された。こうして日本はこれからもアメリカに巨額な財政援助をしていく体制を確立した。

 日本政府はこれを円高阻止(ドルの下落阻止)のためだという。それではなぜ、ドルが下落するかというと、アメリカ政府がドル札を印刷して減税と戦争の費用に使っているから。つまり、ブッシュ大統領は日本のお金を使って、1.7兆ドルという巨額の減税を実行しつつある。そしてこれとほぼ同額の巨額の軍事予算を米議会で承認させて、イラクで戦争をしているわけだ。

 ところで、日本のお金はどこから出ているのか。それは私たち国民の年金や銀行預金や、郵便貯金なわけだ。こうした機関投資家が米国債や、米国債を買うための日本国債を買わされている。その結果、日本の年金は破綻し、国民の将来があやうくなっている。

 こうした売国的な政策を続ける政府を、私は許すことができない。日本政府はなぜそこまで、アメリカにつくさなければならないのか。こんなことをしているのは世界中で日本だけなので、とても不思議な国だと思われている。アメリカ人のビル・トッテンは「脱アメリカが日本を復活させる」(徳間書店、2000年)でこう書いている。

<アメリカは日本に、日本が輸出で稼いだドルで米国債を買わせる。これで、アメリカにはドルが環流したことになるわけだ。だからドル環流政策という。なぜ日本国民が、アメリカ人に豊かな生活をさせるために働かなくてはならないのか。不思議な話だというしかない。(略)

 ヨーロッパ諸国には、なぜ日本がここまでアメリカに従順なのか、理解できないのである。だから、日本はアメリカと組んでヨーロッパを脅かそうとしている、としか思えない。実際、日本がやっていることは、結果としてそのとおりのことなのだ>

 ここまで日本はアメリカに尽くしているが、アメリカの方はどうか。「なぜ、アメリカ軍は日本に駐留しなければならないのか」ということで、以前日本の新聞にアメリカの世論調査の結果が紹介されていたが、それによると、「同盟国日本を守るため」というのはほとんどいない。多かったのは、「再び日本がアメリカに戦争を仕掛けないため」という答えだった。

 こうした考えを持っているのは、何もアメリカの庶民ばかりではない。クリントン大統領は93年4月、ロシアのエリツィン大統領との電話会談の中で、宮沢首相がG7で新たなロシア支援を打ち出す方針でいたことに言及し、こう忠告している。
「日本人がイエスという時の多くは、ノーの意味だ」
 要するに「日本人の言うことは信用するな」とアドバイスしたわけである。

 アメリカ軍の女性兵士がイラク人男性をはだかにし、自慰を強制したり、首輪を付けて犬のように引いている写真があったが、あの写真は人ごとではない。はだかにされて首輪で犬のように引かれているのは、じつは私たち日本人でもあるのだ。イラク人と日本人の違いは、イラク人はそれを屈辱だと憤激しているが、日本人は歓んでマスターベーションをしたり、尻尾を振っているということだろう。

 自衛隊が派遣されているサマワ市には立派な浄水場があり、自衛隊の300倍(1日2千4百万リットル)もの浄水能力があるという。サモア市内に日の丸をつけた真新しいタンクローリーが走りまわっているが、実はこれは市の浄水道の水を市内にはこんでいるだけ。サモアの人々はこれを自衛隊が浄化してくれた水だと思って感謝しているそうだ。立花隆さんが、「現代6月号」で、渡辺修孝さんのこうした現地レポートを紹介して、こう書いている。

<要するに、自衛隊のサマワ市民のための給水事業などというものは、その実態はほとんどフィクションにすぎないということなのである。日本人はみんな作られた映像を見せられて、立派な活動だと思っているだけなのだ。

 こんなフィクションを維持するために、377億円も使って立派な要塞のような宿営地を作り、550人の自衛官を常駐させる必要など全くない。

 いったいこの自衛隊派遣は何のためにやったのか。自衛隊のおかげで、日本は国際貢献ができていますという自衛隊の広報宣伝と小泉首相がブッシュ大統領から頭をなでてもらえるという以外のどんなメリットがあったというのか。イラク国民にとって、そして日本国民にとって>

 立花さんは、高遠さんのHPに彼女が拘束される前に書かれていた文章もたくさん引用している。その中から、ふたつ孫引きしておこう。

<自衛隊派遣。湾岸戦争の時のように言われたくないから、顔の見える人道援助をしようと躍起になるのもわかりますが、「援助」とは「相手が望んでいることをする」のが鉄則です。今、日本がやろうとしている「援助」はまさに、自己満足の世界、マスターベーション以外の何者でもありません。しかも番長のアメリカに「公衆の前でそれをやれ!」と言われている状態>

<声を大にしていいます。イラク人は自衛隊派遣などこれっぽっちも望んでいません。日本の企業に来て欲しいのです。雇ってほしいのです。自衛隊は「援助」のつもりでも、それはイラク人から仕事を奪うという、絶対にやってはならないことをすることになるのです>

 私は大久保利通や伊藤博文を高く評価し、ケネディを尊敬している。そして私は人後に落ちずこの日本という国を愛している。それだけに、私たちの現在と将来を危うくする間違った政策については、容赦なく批判しないわけには行かない。この社会に暮らしている一市民としての義務でもあると考えている。


2004年05月24日(月) 軍服の女と裸の男

 裸のイラク人男性の首にひもをつないで床に転がし、犬のように引いたり、くわえたばこ姿で裸の男性の身体を指さして笑っている写真で有名になった女性兵士、リンディ・イングランド上等兵(21)は、ウエストバージニア州の田舎町に住む典型的なプアーホワイトだという。

 イラク戦争中に救出劇で有名になったジェシカ・リンチと同郷で、年も同じ。高校を卒業して軍に入った動機が進学のためというのも共通している。一方は英雄になり、一方は軍法会議にかけられて国の恥だと罵られているが、二人の運命は紙一重だったといえよう。

 米軍兵士のイラク人への虐待が次々と明るみに出ているが、これはなにもアメリカ軍兵士に特有なことではない。アンナ・ハレントは「ナチスの凶悪犯もみんな平凡で善良な顔の持ち主だった」と書いている。虐待を加えていた兵士達もごく平凡な市民だったのだろう。

 どちらかといえば、彼らは社会の底辺の人々に違いない。軍隊に入れば奨学金がもらえるし、その他、さまざまな特典がある。国籍を持たない若者は国籍がもらえるし、その恩恵は年金や社会保険というかたちで家族にも及ぶ。病気の母親の入院費を浮かすために志願したというケースもあるようだ。

 本来は社会的弱者である彼らが、軍隊に入り、軍服を着ると、たちまち「強者」となって、弱者である占領地の人々を虐待するようになる。軍服を着た女は裸の男よりつよい。写真は軍服のもつこの魔力を見せつけた。じつは弱者を強者に仕立て上げる装置はこの社会にたくさんある。階級や地位なども、ひとつの「軍服」だと言ってよい。

 気になるのは、最近日本でも「強者の論理」がずいぶん幅を利かせていることだ。「自己責任」なども典型的な強者の論理である。そして、とくに弱者である人たちが、この強者の論理を振りかざすことが多い。なぜ、そうなるのか。

 一つには、自分を「弱者である」ということを認めるのがつらくて、あえて「強者である」と考えたいためだろう。いわゆる弱者の自己欺瞞である。私はこれを「エセ強者の論理」とよぶ。表向きは「強者の論理」のようでいて、じつは「弱者の論理」でしかないわけだ。

 そして、そのことを確かめるために「弱者」が行う典型的な行動が「いじめ」や虐待である。自分より弱い立場の人間をいじめることによって、自分が強者であることを確認したいのである。だから、いじめもまた、「エセ強者の論理」である。

 こうしたエセ強者の論理がはびこるのは、何もそれが人間の本性だからではない。社会がそれを作り出しているのである。それは社会そのものが力がすべてであるという「強者の論理」で動いているからだ。こうした論理は「戦争の論理」でもある。こうした非人間的で暴力的な仕組みを変えなければ、社会の未来はますます暗いものになるだろう。


2004年05月23日(日) 百聞は一見に如かず

 伊藤博文がサンフランシスコで300名あまりのアメリカ市民を前に、「日本の封建制度は、一発の弾丸も放たず、一滴の血も流さずして、わずか一年以内に撤廃することができました」と胸を張ることが出来たのは、維新政府が江戸城の無血解放と廃藩置県という奇跡のようなことをなしとげたからだ。

 そしてこの両者の立て役者が西郷隆盛だった。たとえば幕府方がもし難攻不落の江戸城にたてこもったら、おそらく日本はアメリカの南北戦争以上の内乱状態に落ちいっていたにちがいない。話し合いでこうした悲劇を回避できたことは、まず第一の快挙である。

 そしてこれによって確立した西郷のカリスマに目を付けたのが、伊藤博文だった。彼は「廃藩置県」のアイデアを持っていたが、これを実行する力がなかった。そこで西郷と同じ武断派の山県有朋を説き伏せ、彼を当時日本橋蠣殻町に仮住まいしていた西郷の許に行かせた。

 廃藩置県というのは、全国におよそ300あった藩をすべてとりつぶし、これを中央政府の出先機関である郡や県に置き換えるという途方もない改革である。藩主や家臣団は身分を失うことになる。当時の人口にして約190万人もの士族がいっせいにリストラされるわけだ。しかしこうした途方もないことでもしなければ、日本は近代国家の仲間入りが出来ないというのが、英国をじかにその目でみたことがある伊藤の決意だった。

 これを伊藤や木戸から聞かされた山県は、西郷が聴き入れなければ、刺し違えることも覚悟して、廃藩置県の必要性を西郷に説いたという。これに対し西郷は「わたしンほは、よろしゅうごわんが」といっただけといわれている。薩摩藩としては異存がないということだが、島津久光や藩士たちが大反対するであろうことは目に見えている。

 山県有朋はあまりにあっさり、西郷が同意したので、その真意が理解できているのか危ぶみ、もう一度はじめから説明し直したが、西郷はふたたび頷いて、「よろしゅうごわんが」としか答えなかった。西郷もまた死を死を覚悟して、この決断をしていた。

 西郷のイニシャティブのもと、明治四年、在京諸侯が朝廷に参集する中、廃藩の詔勅が下された。そして、その年の11月に岩倉使節団がアメリカに出発する。おそらく使節団派遣のアイデアの出所も「知恵袋」であった伊藤博文だろう。渡辺昇一さんも「日本を代表する12人」のなかに、このように書いている。

<岩倉使節団に加わった大物には、岩倉具視を筆頭に、薩摩の大久保利通、長州の木戸孝允の名前が続き、そこからワン・ランク落ちて伊藤博文がいる。伊藤は新政府の上層部で海外を見聞した数少ない経験者の一人だった。

 幕末の頃にロンドンまで行った人はあまりいない。ところが、長州藩から密出国の形で井上聞多(後の井上馨)、伊藤博文、その他に三人がロンドン留学をしている。彼らがロンドンに着いてしばらくすると、長州藩が攘夷の砲撃をはじめたという記事が新聞に載った。これを読んだ井上と伊藤は日本に飛んで帰った。二人とも「ヨーロッパというもの」をじかに見て、「こんなものと戦ってはいけない」ということを骨身に徹して知ったからだ。

 そして、帰国すると、攘夷論から倒幕へと藩論の矛先を向けていった。こういうことから考えて、岩倉使節団のアイデア自体を出し、「外交関係を結ぶにしろ何にしろ、とにかく外国を見た人がいないと話にならない」と、岩倉以下を説得してまわったのが伊藤だったのではないかと私は推定している。(略)

 当時はまだ内閣制度はなかったが、今で言えば閣僚に相当するものとして参議という役職があった。外国を見ていない参議には、一番力があった西郷隆盛、一番頭がよかったと言われる江藤新平、それから長州の前原一誠がいた。この三人は近代化路線に反対である。

 近代化路線反対とは岩倉使節団を中心とする欧化政策、富国強兵政策反対ということだ。結局、彼らは新政府に対する反乱を起こした。まず、熊本に神風連の乱が起こった後に、江藤新平が佐賀の乱、前原一誠が萩の乱、しばらくして西郷隆盛が西南戦争を起こし、いずれも敗れた>

 伊藤博文は西郷にも「外国を見てきて下さい」と言っていたという。私はふと、もし岩倉使節団に大久保利通のかわりに西郷隆盛が加わっていたらどうだろうかと考えたりする。アメリカのあの広い草原を汽車で横断したり、パリの宮殿やイギリスの造船所を見学していたらどうだろう。そうすれば、西郷の運命はまるで違ったものになっていたかも知れない。大久保も刺客に殺されることはなかっただろう。

(参考サイト) http://www.php.co.jp/bookstore/serial/12/12_2.html


2004年05月22日(土) サムライ伝説のはじまり

 1853年6月3日(旧暦)の昼下がり、ペリー提督の率いる4隻の黒船が、浦賀の沖合に姿をあらわした。ペリーの乗るサスケハナ号は大砲9門を搭載し、2000トンを超える巨大な蒸気船だった。日本の千石船はせいぜい100トンほどである。人々の目にそれは船と言うより、大島のように見えたという。

 このとき通詞として黒船に乗り込んだのが、当時30歳だった堀達之助だった。彼はオランダ通詞だったが、英語もできないことはない。そんな彼が最初に発した英語は何か。アメリカの公式記録によると、それは「I can speak Dutch.」だった。堀はこれを「はなはだ立派に話した」という。

 堀は「英語が話せない」とは一言もいわない。実はかなり話せたらしい。しかし、英語ではネイティブにかなうわけはない。そこで、「オランダ語が話せる」という。こうしたポジティブな発想ができるところがすばらしい。気迫で少しも負けていない。ペリー側もこれはかなりてごわい相手だと思ったのではないだろうか。

 ペリー側は交渉はしかるべき地位のある相手でなければだめだという。ペリー自身はアメリカ大統領の名代だという立場があるから、幕府側にも将軍かそれに準じる最高位の相手を求める。しかし、幕府は面子があるので、将軍はおろか重役さえ出てこようとしない。というか完全に腰が引けているのである。こうした事情を察していた堀は、同行した下っ端役人の与力をさして、「この方が副総督である」と紹介した。英語で「Vice governor」と記録されているという。もちろんこれは大嘘だ。

 さらに堀は相手の主張を逆手にとって、ペリーの副官との交渉を堂々と要求し、これに成功した。さらに堀は翌日、別の香山という与力を伴い、「この方が総督である」と、これもまたとんでもない大嘘をつき、とうとうペリーその人を交渉の場に引き出すことに成功する。ペリー側との交渉は数日間に及び、最後に船を下りるとき、堀は再び英語を口にしたが、それは「Want to go home」だったという。明石康さんの「サムライと英語」から引用してみよう。

<国書受け取りの段取りが決まった後、船上でささやかなパーティが行われた。この時、香山、堀ら幕府役人たちの態度の立派さにペリーたちは感服したと記録している。日本人は世界のことを知らないだろうとタカをくくってか、アメリカ人が地球儀を見せたところ、サムライたちはすぐにワシントンとニューヨークの位置を的確に指さし、ほかにもイギリス、フランス、デンマークを指し示した。また、アメリカのトンネル技術の進歩やパナマ運河の工事の状態を訊ねたり、エンジンの原理についての質問を繰り返すサムライたちの向上心に、ペリー達は感心している>

 ペリーが帰国したとき、アメリカは南部と北部の激しい対立のなかにあった。この対立の中、彼の業績は評価されることもなく、帰国して3年後の1858年に失望の中でひっそり亡くなったという。ペリーが帰国後書いた論文が、大英博物館に保存されているという。そこにはこんな記述があるという。

「私は、世界のどの地域においても、ヨーロッパですら、日本人のように気取りのない優雅さと威厳を持つ人々に出会ったことがなく、ことに身分の高い人々の物腰はみごとであった」

 私が思うに、このときペリーの相手をしたのが、幕府や藩の高官だったらどうだろうか。印象はまたずいぶん違ったものになったのではないだろうか。体制の上にあぐらをかいていた上層部の愚鈍さや腐敗をペリー達は見せつけられたに違いないからだ。ペリーと渡り合い、日本人の評価を高めた堀達之助もその業績は日本では評価されなかった。むしろ幕府の上層部からにらまれ、獄中生活を余儀なくさせられている。

 現在、「samurai」はウエブスターにものる立派な英語になっている。世界中に通用し、外国人に一番有名な日本語と言っていいだろう。「サムライ」はハリウッド映画にもなった。その伝説の始まりが、ペリーの来航だった。そこでペリーは堀達之助や吉田松陰といった、それこそ第一級のサムライたちに出会ったのである。

(参考文献) 「サムライと英語」 (明石康、角川oneテーマ21、2004年)


2004年05月21日(金) 友あり、遠方より来たる

 日本は島国で閉鎖的だといわれるが、一方では外来思想を受け入れて自らの肥やしにするという豊穣な受容性も備えていた。外来の者をたんによそ者とみるのではなく、これを「客人」としてあつくもてなすという習慣が古来よりあった。

 折口信夫によれば、客人(まろうど)は「まれびと」つまり「稀(まれ)に来る人」の意だという。そして「まつり」は、こうした遠来の客である「まろうど」をもてなすところから発生したものだという。日本の祭りに欠かせない御神輿にも、「まろうど」を乗せて見せて回る、いわば一種の饗応だと考えられる。

 こうした外者歓待の思想は『アイヌ神謡集』や沖縄の民謡の中にも残っているという。風土記や紀記にもある。たとえば古事記には、「より来る神」(少彦名神)が海の彼方から訪れ、大国主命とともに国造りを行い、再び海の彼方へ帰ったとある。古代貴族の名前には「麻呂」のつくものが多いが、これも「まろうど」と関係があるようだ。

 折口はこれをさらに祖霊信仰に結びつけて、この「まれびと」に対する信仰が、日本の民俗信仰の根幹にあると考えた。今私の手元にある折口信夫全集第一巻「国文学の発生」を見ると、こんなことが書いてある。

<まれびとは古くは、神をさす語であって、とこよから時を定めて来り訪ふことがあると思はれていたことを説こうとするのである。幸いにして、この神を迎へる儀礼が、民間伝承となって賓客をあしらふ方式を胎んで来た次第まで説き及ぼすことが出来れば、望外の欣びである。

 てっとりばやく、私の考えるまれびとの原の姿を言へば、神であった。第一義に於いては古代の村村に、海のあなたから時あって来り臨んで、其村人を幸福にして環る霊物を意味していた。(略)

 我が国のまれびとの雑多な内容を単純化して、人間の上に翻訳すると、驚くべく歓ぶべき光栄を忝うした貴人の上に移される。賓客をまれびとと言ひ、賓客のとり扱ひ方の、人としての待遇以上であるのも、久しい歴史ある所と頷かれるであろう。

 主人をあるじと言ふのは原義ではない。あるじする人なるが故に言ふのである。あるじとは、饗応の事である。まれびとを迎えて、あるじするから転じて、主客を表す名詞の生じたのも面白い>

 もう十数年前になるが、仏教大学の国文科の学生であったころ、折口信夫に凝って、全集も揃え、とくに第一巻「国文学の発生」などは何度も読んだはずだが、今回読み返してみて、またたくさんの発見があった。主人(あるじ)とは客人(神)をもてなす人のことだというのもその一つである。日本人の根本にある信仰が「客人歓待」だということも、十数年前とは比べようもなく、深く心にしみこんできた。

 日本の祭りに限らず、祭りには五穀豊穣への祈りと感謝がこめられている。まろうどである神々は、基本的にこうした幸福をもたらしてくれるものであった。風土記にはまろうどの神を粗末にあったために災いがもたらされた記述もある。遠来の友を大切にあつかうべきだという教訓がそこから読みとれる。

 考えて見れば、日本という国はこうして豊かになっていった。豊かな自然の恵みに加えて、大陸からのさまざまな文化・文明の伝来が、この国を豊穣なものにしていったのである。近代日本の西洋との出合いにもそうしたたくましさと、ふところの深さが感じられる。


2004年05月20日(木) サムライの英語

 明治維新を起こした勤皇の志士達の多くは武士と言っても、最下層の身分のものたちだった。郷士出身の坂本龍馬しかり、西郷隆盛や大久保利通も下級武士の出である。大久保などは若い頃は赤貧洗うがごとしで、借金の証文に囲まれて暮らしていたらしい。しかし、彼らの学問の深さや志の高さは群を抜いていた。

 公爵で初代の総理大臣となった伊藤博文も貧しい農民の子である。たまたま足軽の家に養子に入り、松下村塾が近くにあったので、そこに通ううちに高杉晋作や久坂玄瑞らの知遇を得て、彼らが早死にしたあとも生き残ったため、枢要な地位を手に入れることができた。

 もっとも、伊藤博文をたんに上に媚びることにたくみな如才ない男だとあなどってはいけない。彼の如才のなさはむしろ天才的と言っていいほどで、彼の伝記を少し読んでみれば、彼が実のところとんでもない偉才の持ち主だとわかるはずである。

 1971年(明治4年)11月12日、蒸気船アメリカ号にのって、総数100名をこす岩倉使節団が横浜を発った。23日目に、彼らはサンフランシスコについた。そこで伊藤博文は特命全権副使として、およそ300名近いアメリカ市民の前でスピーチをしている。一部を引用しよう。

 Within a year a feudal system, firmly established many centuries ago, has been completely abolished, without firing a gan or shedding a drop of blood. these wonderfull results have been accomplished by the united action of a Government and people, now pressing jointly forward in the peaceful paths of progress. What countory in the middle ages broke down its feudeal system without war?

(数世紀にわたって強固に続いてきた日本の封建制度は、一発の弾丸も放たず、一滴の血も流さずして、わずか一年以内に撤廃することができました。この驚くべき事実は。政府と人民との共同行為によって達成されたものであり、両者は今や一致団結して平和の道を進みつつあります。他のいずれの国が、戦争なくして中世の封建制度を打破することができたでありましょうか)

 以上の文章は、明石康さんの「サムライと英語」(角川書店)から引用させていただいた。明石さんは、伊藤のこのスピーチについて、こう書いている。

<この伊藤の演説は、いわゆる「日の丸演説」といわれ、その内容については様々に評価されているが、こと異文化コミュニケーションの視点で捉えてみると、多くの示唆に富む。伊藤の英語は、それほど達者でなかったという。今ではどのような発音だったか知るすべもないが、おそらく強い日本語訛があっただろう。しかし伊藤は全く臆する様子もなく300人のアメリカ人が見守る中、堂々と「日本はこのような国だ」と伝えている。(略)

 伊藤のスピーチは、日本があたかも一発の銃声も使わない平和な革命を成し遂げた人道的な近代国家であるかのように聞こえる。100パーセント嘘ではないが、かなり日本の有様を美化し誇張していることは間違いない。しかしそのことで聴衆にインパクトを与えたことは評価できる。・・・伊藤博文のスピーチは、アメリカ人たちの喝采を浴びたという意味で大変インパクトのあるスピーチだったといえよう>

 1971年といえば、南北戦争が終わってまもないころである。アメリカは第二次大戦で30万人あまりの戦死者を出しているが、南北戦争(1861〜64)ではその二倍の60万人あまりが死んでいる。伊藤のスピーチを聴いたアメリカ人の多くは、南北戦争の悲劇を思い出し、最小の犠牲で封建的な体制をうち破り、近代国家へと歩み始めた日本の姿に、尊敬の念を覚え、惜しみない賞賛の拍手を送ったのではないだろうか。しかもこのような国家を代表するようなスピーチが、若干31歳の青年によって行われたことも特筆に値することであろう。

 明石さんは、「通常、革命というのは、支配階級に対して、被支配階級が立ち上がって社会体制を変えていくものである。しかし、明治維新は、サムライたちが中心になって、サムライの支配する社会を否定し変革するという、世界史的に見ても珍しい革命だった」と書いている。

 たしかにその通りだが、明治維新が特に身分的に抑圧されていた下級の武士によってなされたことも抑えておく必要はあるだろう。福沢諭吉の「封建制度は親の敵でござる」という言葉を持ち出すまでもなく、身分制社会の抑圧を身を以て体験し、しかもそれを批判できるだけの学問的知識を持っていたのは、彼らをおいて他になかったのである。


2004年05月19日(水) 政治家は説明責任を果たしなさい

 年金未納問題が日本の政治を狂わせ、停滞させている。年金法案を審議している国会議員や閣僚のかなりの人たちが期間の長短はあるにせよ、年金を納入していなかったというわけだから、これはあきれるしかない。

 もっとも日本の年金制度は非常に複雑で、しかも度重なる法改正がおこなわれていて、国民の多くも理解しがたいというのが現状だろう。政治家と一般国民を等しく考えることはできないが、彼らにも情状酌量の余地はある。

 しかし、私が問題にしたいのは、年金未納そのものばかりではなく、そうしたことにたいする彼らの責任の取り方である。何も議員を辞めよとか、閣僚や党首を辞めよとは言っていない。未納に至った事実を説明し謝罪すればすむことである。問題をこじらせているのは、そこに至るまでの彼らの誠意のなさであり、対応のまずさである。

 日本の政治家に足らないのは「説明責任」に対する自覚ではないかと思う。官房長官をやめた福田氏など、とくに内閣のスポークスマンとしてその責任が大であるにもかかわらず、ほとんどその責任をはたさなかった。

 話は変わるが、日本で初めの本格的な英和辞典は、1862年に出版された「英和対訳袖珍辞書」だと言われている。編纂責任者の堀達之助で、この人は浦賀奉行配下のオランダ通詞で、ペリー来航のおりその通訳をした人である。そのときはオランダ語しか話せなかったのだが、9年後にはもう英語をマスターして、日本初の本格的な辞書まで出版している。福沢諭吉も伊藤博文もこの辞書で英語を学び、この辞書をふところにして外遊した。堀は前書きで、こんなことを書いている。

<この辞書が完璧でなくとも、興味のある方への助けとなり、日々の勉学に最も役立つ単語が掲載されていることを心から望んでおり、そして至らない部分は次の版で改善すべくご指摘いただきたい。・・・世界中の異なるしきたり、習慣や相互関係、そして日常の重要な出来事や変化を知るために、世界中で話されている言葉(英語)に対する知識が、いかにかかせないことか>

 この総語数3万語におよぶ辞書にはもちろん、「responsibility」という単語も収容されていて、堀は「返答すべきこと」というその訳語をあてている。今日この英語は「責任」と訳されているが、その原義が「返答すべきこと」であるというのは重要な点だろう。とくに、国民の「自己責任」ばかり言いたてる政治家には、「責任」という言葉のそもそもの意味をもういちどこの辞書で確認してほしいものだ。

(参考文献)「サムライと英語」(明石康著、角川書店)


2004年05月18日(火) 天皇ご一家は京都で国際親善を

 皇太子さまは雅子さまを同行されずに、「後ろ髪をひかれる」思いで、デンマーク、ポルトガル、スペインへと旅立たれた。先立つ記者会見で雅子さまについて、国際親善を皇族として大変重要な役目と思いながらも、「今回は貴重な機会を失ってしまうことを大変残念がっております」と話された。

 外国へお出かけになられのもよいが、外国の人々を迎えて手厚くもてなすのが国際親善の本来の姿だろう。そしてそのためには、千年を超える古都・京都こそ舞台としてふさわしい。この際、天皇家ご一家は京都に住まいを移されていかがだろう。バブルの時代に、京都は地上げ屋が横行し、見るも無残な姿になってしまった。しかし、天皇一家がもどられれば、古きよき京都が復活するかもしれない。

 京都にお帰りなって、王朝文化宮廷行事の再現に努力していただき、外国からの訪問客のホスト役として、日本の伝統文化のすばらしさを宣伝して貰いたい。そうすれば雅子さまにもおもうさま国際親善に尽くしていただけるのではないだろうか。

 平成2年11月七月に衆参両議院は「一極集中を排除し、さらに、二十一世紀にふさわしい政治・行政機能を確立するため、国会及び政府機能の移転を行うべきである」と決議し、平成4年12月には、「国会等の移転に関する法律」を制定している。首都機能移転については、国会や最高裁判所などの移転だけではなく、天皇ご一家の京都への里帰りも、ぜひ実現してほしいと思う。


2004年05月17日(月) ルーズソックスと民主主義

 一時、ルーズソックスが日本の女高校生のあいだに蔓延した。現在はもうかなり下火だと思うが、それでも私の高校ではいまだにほとんどの女生徒がルーズを穿いている。もっとも二学期からはこれを強制的に禁止する措置がとられるようで、これでようやくルーズを見なくてすみそうだ。

 昨日の朝日新聞「ひとこと」欄に、「疑問から行動、自信に」という題で、ルーズソックス禁止に反対する名古屋市の高校三年生高田あゆみさんの意見が紹介されていた。彼女が通う高校では今年4月の新学期からルーズが禁止になった。「学ぶ場にふさわしくない」というのがその理由だという。

 彼女は「私自身は、靴下がそんなに重要だとは思わない。でも、意見を聞かずに一方的に押しつけるのはおかしい」と考え、200人近い生徒を対象にアンケートをとったのだという。生徒からは「せめて紺の靴下は許可して」など、さまざまな意見が寄せられた。

 校長からは「世の中には妥協しなければならないこともある」と言われ、大学受験を前にして、彼女はこれ以上の活動は断念したという。現在は学校ではふくらはぎまでの標準ソックスをはき、外ではルーズにはきかえているという。

 私も強制には抵抗があるが、ルーズはなくなったほうがよいと思っている。少女達はなぜあんなむさくるしいものを穿きたいのだろう。一時的なファッションだと思っていたが、5年以上も続いているわけで、これも私の理解を超えている。ルーズソックスは短いスカートとセットになって、「かわいらしさ」を演出するのだと言われているが、それでは短いスカートの大学生がルーズをはくかというとそんなことはない。

 私の二人の娘も穿いていたことがあったが、別にかっこいいと思っているわけではなく、「みんな穿いているから」というだけのことらしかった。つまりほんのおつきあいで穿いてみたということらしい。ルーズなんてどうでもよいが、しかしこれを頭ごなしに禁止されるのにはやはり反発を感じるという。次女の通っていた名古屋市の進学校にもそうした高圧的な教師がいたので、「もっとましなことが教えられないのか」と、クラスでその先生の授業をボイコットしたらしい。

 そんな話を聞きながら、私が考えた仮説が、「ルーズは弱者連合」ではないかということだった。学校では教師が強者として権力を握っている。生徒は弱者である。その弱者が連帯してこれに向きあおうとするとき、ルーズソックスはその象徴たりえているのではないか。ルーズをただ若者のファッションと考えるのではなく、その底流に意識されない「政治意識」を読みとってみてはどうだろう。

 この世の中は強者に都合の良いようにできている。たとえば「経済」がそうである。本来経済とは人々の生活を守るためのしくみであるはずだ。それが今は、いかに富を築くかという競争の場になっている。人生を弱肉強食のゲームの舞台にして楽しめるのは、ほんの一部の強者達だが、この強者の論理が弱者をも巻き込んで幅をきかせているわけだ。

 そこで、ルーズソックスを穿いている女高生達に言いたい。ルーズソックスに代わる本物の「弱者連合」を発見しようではないか。実は君たちの足許にそれはあるのだよ。弱者が強者に対抗するためのしくみが、実は「民主主義」なのだ。これを目差して、世界の歴史は動いてきた。もちろん、アメリカのいう「民主主義」はニセモノだけどね。世界のそんな複雑なカラクリがわかるためにも、もっと本物の勉強をしようね。


2004年05月16日(日) 人間性を破壊する戦争

 朝日新聞の記事によると、米国防総省は12日、イラクの刑務所で撮影された写真やビデオ映像を上下両院議員に3時間におよび公開したという。虐待とおもわれる写真は数百枚におよび、胸をはだけさせられたイラク人女性、自慰や性行為を強制されるイラク人男性のほか、米兵の男女による性行為を写したものもあったという。
 
 また、同じ12日、米CBSテレビはイラクの刑務所に勤務した米軍の20歳の女性兵士の「ビデオ日記」の一部を報じた。彼女は毒蛇にレンズを向け、「これにかまれたら6時間で死ぬ。すでにイラク人が2人死んだ。でも、それがどうしたっていうの。たった2人じゃない」「きょう私たちは収容者2人を撃った。1人は棒を振り回したから胸を、もう1人は腕だった。胸を撃った収容者が死んだかどうかは知らない」などと淡々と語っているという。

 ニューヨーカー誌のセイモア・ハーシュ記者によると、尋問中に死亡したイラク人の遺体は氷詰めにされた後に「点滴をしているように偽装して担架に乗せられ、救急車でどこかに遺棄されたようだ。また、旧アブグレイブ刑務所に収容されているイラク人の多くは「検問所や民家から手当たり次第に連れてこられた一般市民」で、米軍の報告書でも、60%以上が反米武装勢力などとは「何のかかわりもなかった」と結論づけられているという。

 イラク人を拘束し、虐待を加えながら、平然と微笑している兵士たちの姿を見て、イラクの人々は憤慨し、世界の人々は一斉に非難の声をあげた。ブッシュ大統領も最終的にこの事実を認め、謝罪したが、この虐待が兵士個人によるものであることわ匂わせて、軍や政府の責任を回避しようとしている。

 いずれにせよ、戦争はそこに参加する人々の日常感覚を麻痺させ、しだいに狂気をはぐくんでゆく。「狂気」がなければ戦争など始められないし、また「正気」な人間が戦争という大量殺人など続けられる筈がない。

 もし、虐待をしている兵士達がふと、目の前で裸にされ、屈辱的なポーズを強要されているイラク人の男性や女性を見ながら、彼らにも妻や夫や子供がおり、身の上を案じて憔悴している父や母がいることに気付いたとしたらどうだろうか。

 そうしたごくあたりまえの想像力さえも奪い取るのが戦争である。この現実の前に、どんな立派な大義も崩れ去るしかない。戦争は一部の人間の「利害」や「狂気」から生まれるにしても、やがて多くの人々がそこに否応もなく巻き込まれてゆく。そしてその集団的狂気から覚めたとき、人々は初めて愚かさをかみしめることになる。


2004年05月15日(土) ボスが支配するサルの社会

 いま、二人の男が争っているとする。このとき、あなたならどうするか。次の二つの選択肢のなかから選んでみて下さい。

�[呂龍�い方に加勢して、弱い奴に「強い奴に従え」という。
�⇔呂亮紊な�に加勢して、強い奴に「弱いものいじめはよせ」という。

 京都大学教授で人類学者の山極寿一(やまぎわじゅいち)さんは、1月16日付けの朝日新聞に、「類人猿に学ぶ。身体で修得する平等社会」と題してこう書いている。

<類人猿に比べて人間と遠縁のニホンザルは。優劣関係を忠実に守って行動している。強いサルに攻撃されると、よく自分より弱いサルを攻撃する。けんかが起これば、強方に加勢する。優劣関係に従えば反撃されない。勝者をつくることがけんかを収める最適な方法なのだ。劣位のサルは優位なサルの視線を常に気にして暮らす。つまりサルたちは、不平等を顕在化させることによって共存を可能にしているのである。

 ところが、より人に近いゴリラやチンパンジーは、あいさつや遊びの際に弱い方が強い方をじっと見つめることがある。第三者が喧嘩を仲裁する際や、食物の分配を要求する際にも見られる。仲裁者は弱い方に加勢し、食物分配は弱い方から行われる。・・・サルとは逆に類人猿は、力を持つ者の抑制によって共存を可能にする傾向があるのだ。

 サルのような弱者への圧迫か、類人猿のような強者の自制か。さて、現在の人間の行動はどちらに近いのだろうか>

 秩序や平和を作り出す戦術として、サルと類人猿は対照的な方法を選んだ。力の強いボスの支配する弱肉強食のサル社会と、弱者をも尊重する類人猿の平等社会。人間の社会でもこうした二つのタイプが考えられそうだ。

 アメリカが一極支配するパクスアメリカーナの世界はサル型社会といえる。そういえば、ブッシュの顔はサルに似ている。小泉さんは強者におもねるお追従サルというところだろうか。


2004年05月14日(金) もう一つのアメリカ体験

 以前、アメリカにホームステイをしている若い女性のメルマガを楽しみに読んでいたことがあった。彼女はアメリカの家庭にホームステイして大学で勉強し始めるのだが、ホームステイ先はどういうわけか、ヒスパニック系の貧乏な家である。

 住居の環境は最悪で、狭い家に小さな子供たちがごろごろいて、どうやら、彼女はベビーシッター代わりらしい。食事はまずい。おまけにスペイン語が母国語らしい彼らと一緒に生活していても、英語はうまくならない。英語で話しても返ってくるのは、文法がめちゃくちゃのひどく訛のあるブロークン・イングリッシュだから、かえって英語力が落ちていく。

 学校から帰ってくると、家事労働までやらされて、精神的にも肉体的にもくたくたの毎日が続く。リッチな白人の家にホームステイして、優雅な生活を夢見ていた彼女は、すっかり当てが外れてしまった。

 こういう状態で、彼女は留学することの意味がわからなくなり、不平不満のカタマリになるわけだが、そうした生活の中から思いがけず見えてきたことがある。それはアメリカがすさまじい差別社会だということだった。この家族と一緒に買物をしたり、レストランや教会に行ったりしているうちに、彼らがひどい差別を受けていることがよくわかってくる。

 たとえば、バスに乗って前の方に坐っていると、あとから乗ってきた男達に、「ここはおれの席だ。おまえたちはもっと離れた席に行け」と当然ごとく片隅に追いやれる。あるいは席に座らせてもらえない。日本人の彼女も同類と見なされ、ひどい仕打ちをうける。おごった連中のこの理不尽な扱いに、彼女は心底怒りを感じるのだが、どうすることもできない。

 もし、彼女が白人の中流階級の家にホームステイして、彼らと行動をともにしていたら、おそらくこうした差別を身にしみて感じることはなかっただろう。むしろ差別する側に身をおいて、快適なアメリカを体験できたかも知れない。

 そしてお金持ちの日本人がホームステイするのは、ほとんどが白人の中流以上の家が多いようだから、むしろ彼女のようなケースがまれなのだろう。彼女はたまたま悪徳業者に引っかかって、通常とは違ったところに身を置いたのかもしれないが、それゆえに、彼女の目にはアメリカ社会の真実がありありと見える。

 さらに彼女の目に見えてきたのが、そうした厳しい現実に身をさらしながら、それでも懸命に、健気に生きている人たちの姿だった。やがて、彼女はその家族が大好きになる。ホームステイを通して、彼女がすっかり変わり、人間にたいしてとても温かい心をもつようになる。

 人生は上から見るのと、下から見るのとではまったく違って見える。そして、私たちは差別されてみて、はじめて心の痛みがわかる。それは戦争でも同じだ。加害者に被害者の苦しみはわからない。この世界を平和にしようと思うなら、この痛みにもう少し敏感になったほうがよい。差別する心を生み出す社会が、戦争をも作り出すのだから。


2004年05月13日(木) 非対象な差別の世界

 イラクで拘束された今井紀明さんが、週刊現代(5月22日号)で、旧知のジャーナリストのインタービューに答えて、拘束事件の真相についていろいろと書いている。ちょと以外だったのは、拘束された3人が拘束者と物怖じせず議論をして、高遠さんなどは「ファック、ユー」などと随分過激な言葉を使っていたということだ。

 今井さんの体調が悪くなると、彼らは毎日5回のお祈りに加えて、今井さんたちの体調がよくなるように祈ってくれたそうだ。同じ拘束者と言っても、米英軍に拘束され、拷問や虐待を受けたイラク人とは雲泥の差である。

 考えてみれば、イラク人が西側の民間人を拘束すれば国際世論が盛り上がり、連日大騒ぎするくせに、その何千倍ものイラクの民間人が拘束されていても、国際世論はほとんど問題にしてこなかった。私たち日本人も、こうした非対称性を「差別」だと意識することが少なかったように思う。

 国際ジャーナリストの浅井久仁臣さんによると、拘束者を裸にして性的虐待を加えたり、冬に冷水風呂に入れたり、部屋に不快な音楽を流して長時間眠らせないでおいたりするのは、イスラエル軍がパレスチナ人にこれまで行ってきたものと同じで、イスラエル軍はこれをそっくりナチスから学んだのだという。ナチスの亡霊がいまだにこんなところで生きているとは、なんともおぞましいことである。

 閉所恐怖症の私は狭い空間に閉じこめられるだけでパニックに陥り、精神狂乱になりそうである。写真で多くの拘束者がかぶっていた頭巾も、4重、重に縫われた厚い布で、悪臭が付けられており、息をするのも苦しいものらしい。パレスチナ人のなかには、これを一週間以上被せ続けられた者がいたらしい。私なら1時間ともたないだろう。

 今回の米軍によるイラク人虐待事件を最初にとりあげたのは、電子版「ニューヨーカー」だった。記事を書いたハーシュ記者は、やはり「ニューヨーカー」に、1968年に南ベトナムのソンミ村で米軍が約500名の村民を皆殺しとした事件もスクープして、ピューリツア賞を受賞している。

 事件を内部告発した兵士といい、まだまだアメリカにも健全な良心は残っている。ソンミ村虐殺事件が「ニューヨーカー」で報じらると、アメリカで反戦に気運が高まり、これが呼び水となって米軍のベトナムからの撤退が実現した。今回もまた、アメリカでの反戦気運がもりあがって欲しいものだ。


2004年05月12日(水) 犬の散歩

 昨日、久しぶりに犬を散歩させた。体調の悪い妻にかわっての散歩である。妻は結局昨日入院したので、これから私がしばらくは毎朝犬を散歩させることになりそうだ。

 妻は1月ほど前から体調を崩していた。頭痛、全身の皮膚の痛み、食欲不振、嘔吐、眩暈や発熱が続き、とくにこの一週間はほとんど寝たきりで、大学生の次女が妻にかわって朝食や夕食を作っていた。

 何軒かの医者や病院に行き、さまざまな検査を受けたが、原因がはっきりしない。とりあえず点滴をしてもらい、痛み止めや解熱剤を貰ったが、これは対症療法に過ぎないから、根本的な治癒というわけではない。原因として考えられるのは「更年期障害」だったが、症状が重すぎる。妻も私の顔をみて、「私、もうだめかもしれない」などと気弱なことをいう。

 一昨日の夜は熱が40度近くまであがり、私が車で病院に運ぶか、救急車を呼ぶことも考えたが、本人がどうしても動きたくないというので、朝になるのを待った。犬の散歩の後、勤務先の学校に遅刻の電話を入れて、妻を岐阜県のM病院にまで運んだ。

 M病院には日曜日に急患として来ていたが、初診扱いにされて、熱のある体で大勢の患者とともに診察まで1時間以上待たされた。診察の後、X線撮影や血液検査があり、そのあと点滴がはじまった。私はとりあえず病院を抜け出して学校へ行った。授業を3時間おえて、夕方の4時過ぎに病院に戻った。

 妻は病室で寝ていた。血液検査の結果、CRPの値が異常に高いことが分かり、入院が認められたのだという。CRPの正常値は0.5以下で、風邪を引いたりすると1くらいになる。ところが妻の場合、27というとんでもない値なのだという。インターネットで調べてみると、こんな解説がしてあった。

<CRPは体内に急性の炎症や組織の損傷があるときに、血清中に増える蛋白の一種です。慢性関節リュウマチ、細菌感染症、ウイルス感染症、心筋梗塞、悪性腫瘍などで高くなります。治療により病気が治ってくれば、正常値になります。感染症の治療判定に有用です>

 血液検査はこれで三回目だが、M病院の検査でようやく手がかりが得られたことになる。これからCTを使った詳しい検査をすることになるが、医者の見立ては腎臓に障害があるのではないかということだ。少し長期の入院を覚悟しなければならない。

 13歳になるマルチーズのリリオ君と散歩しながら、道端に咲いている卯の花や躑躅を眺めた。そして、「妻も毎日この道を歩いていたのだな」と感傷的な気分になった。途中に妻が借りている畑があり、そのあたりでリリオ君がウンコをした。

 リリオも数年前からへんな咳をしはじめ、医者から「この冬は冬は持たないかもしれない」と言われていたが、無事冬を越してこうして元気に散歩をしている。現在地上に生きている生物は、何十億年という熾烈な生存競争を生き抜いてきた勝ち組だ。「人間だって、そう簡単にくたばるようなヤワな存在ではないさ」と、犬のウンコを拾ったあと、私は畑に出来た作物を眺めながらつぶやいた。


2004年05月11日(火) 「愚者」と「賢者」の壁

 マキャベリは「君主論」で人間には三種類あると書いている。
�ー�分で考えることのできる人間(独創的な人、賢い人)。
�⊆�分で考えることはできないが、他人の考えは理解できる人間(利口な人)。
��自分で考えることもできず、他人の考えも理解できない人間(馬鹿な人)。

 �,亮�分で考えることができる人のなかから、独創性にすぐれた天才が生まれてくる。しかし、マキャベリもこういう人は本当に少ないと言っている。また、そうした独創的なひとは、どうしても自分中心になりがちである。そこで私たちが理想とすべきは、他者の考えを理解した上で、しっかり自分の考えを持つということだろう。私はこれを「賢者」とよびたい。賢者はかならずしも独創的である必要はない。

�△痢嵳�口な人」は他人の意見がわかる人である。こういう人は学校ですぐれた成績を収めることができるし、社会的にも大いに有用である。官僚としても有能だろう。社会はこうした優秀で有能な人材を必要としている。そして、日本には結構こうしたすぐれた人材が豊富だった。日本の教育はむかしからこうした意味ですぐれていた。

��の馬鹿な人について考えておきたいことは、馬鹿にも二種類あるということだ。つまり、「自分が馬鹿だと知っている馬鹿」と「自分が馬鹿だと知らない馬鹿」である。じつのところ、自分を馬鹿だと知っている馬鹿はほんとうの馬鹿ではない。こういう人は「馬鹿の壁」を乗り越えて、やがて「利口な人」になれるからだ。

 どうように、�△涼罎砲癲∋笋脇鷦鑪爐凌佑�いるのではないかと思っている。「利口であること」に安住していいる人と、その「利口の壁」を乗り越えて、自ら考えることができる人になろうと努力する人である。そして、「馬鹿の壁」の存在に気付いて、これを苦労して乗り越えた人は、いつかこの「利口の壁」をも乗り越えていくだろう。

 マキャベリの分類に従って、少し考えてみたが、私自身はソクラテスのいう「無知の知」による分類が気に入っている。ソクラテスによればこの世の中には二種類の人がいる。

�ー�分の無知を知っている人(賢者)
�⊆�分が無知であることを知らない人(愚者)

 ソクラテスの分類によれば、知識人の多くは「愚者」ということになるのかもしれない。「愚者」の壁をのりこえて、ソクラテスのような「賢者」として生きたいものだ。


2004年05月10日(月) 賢いドイツと愚かな日本

 日本とドイツは第二次大戦の焼跡の中から立ち上がり、奇跡の経済復興をはたした。いずれもアメリカの庇護のもとでの快挙である。両国ともいまだにアメリカ軍が駐留しており、完全な独立国とはいえない。しかし、今度のイラク戦争への対応でもわかるように、アメリカの属国の身分に甘んじている日本に対し、ドイツはアメリカに対等に意見を言えるだけの地位を築いている。日本とドイツのこの差はどこから生まれたのだろうか。

 遡ってみると、1885年のプラザ合意の時、レーガン大統領はアメリカに巨額の貿易赤字をもたらしているのはドル高が原因だという主張のもと、これを是正するために、貿易黒字をため込む日本とドイツに協調利下げを求めてきた。日本は素直に応じたが、西ドイツのカール連銀総裁はこれを拒否した。アメリカの財政赤字の原因はアメリカが実施した大幅な減税と厖大な軍事費だとして、むしろアメリカに政策転換をもとめた。

 西ドイツの主張は正統派経済理論の立場からは正しかった。日本の政治家や官僚も西ドイツの主張が正しいことを知っていたはずだ。しかし、当時の中曽根首相(在任82,11〜87,11)はドイツに同調するのではなく、アメリカにすり寄っていった。あくまで、アメリカとの同盟関係を重視することが戦略上大切だと考えたのである。「日本はアメリカの不沈空母だ」という発言まで飛び出した。そして日本はアメリカから要求されるまま、貿易黒字を米国債の購入にあてるようになった。

 今、小泉首相はブッシュの忠犬ぶりを発揮しているが、当時の中曽根首相もこれにおとらぬアメリカ追従だった。ドイツという敵役がいたので、ますます日本の首相の忠犬ぶりが目に付いた。レーガン大統領の私邸に招かれた中曽根首相は、アメリカ大統領との親密な「ロン、ヤス」の関係にご満悦だった。そうした一方で、国内の右派勢力におもねるように、靖国神社参拝を続けた。

 しかし、85年のプラザ合意がその後の日本を低金利の呪縛の中に追い込み、バブル発生とその崩壊へと導いていく。アメリカ一辺倒の外交は、日本からますます自立性を奪っていった。日本はアメリカから一人立ちする機会をこれによってつみとられたと言ってもよい。そして戦争責任問題に正面からむかいあわず、ODAという援助をちらつかせるだけの日本は、アジアの近隣諸国からも信頼されないようになった。

 対照的にドイツはこれを契機にアメリカから一人立ちしていった。戦争責任に正面から向かい合い、むしろこれをバネにしてフランスなど近隣諸国との友好に力を入れ、アメリカ経済への依存をたちきるべく、ユーロ経済圏の創設にむけてしたたかな外交を展開した。ソ連崩壊の時には、北方領土問題で足踏みしている日本を尻目に、一気に東西ドイツの統一を果たした。プラザ合意から30年近くを経た現在、ドイツは自らが主導権を発揮して作り上げたEUを足場に、アメリカに一歩も引かないだけの存在感をもつ国になっている。

 いまや日本の国際的評価はほとんど地に落ちている。靖国神社参拝に拘る小泉首相の外交センスのなさには唖然とするが、そうした中で、アジアでは日本にかわって中国がアジアの盟主としての重みを増している。その上、アメリカも日本から中国重視へとかわりつつある。アメリカばかりに尻尾をふっていると、やがてアメリカからも見捨てられ、世界の笑いものになるしかないだろう。


2004年05月09日(日) シベリアの空の下で

 昨日、長岡京の市立産業文化会館で「戦争を語り継ぐML」主宰のオフ会があった。主宰者の西羽潔さんの挨拶の後、飛び入りもふくめ15名ほどの参加者がそれぞれ自己紹介をした。そして木村繁二郎さんの貴重なシベリヤ抑留体験を聴いた。一方的な話ではなく、参加者からも積極的な質問がなされ、「シベリア決死行」を書かれた岡崎渓子さんのシベリヤ抑留についての解説もまじえながら、午後1時から始まった会は予定を延長して5時近くまで続いた。

 終戦時に在満日本人の総数は155万人、そのうち22万人以上の人が戦死、餓死、凍死し、70万人ほどの若い男達がソ連に抑留されたと思われる。そしてソ連に連行された人々の上にも過酷な運命が待ち受けていた。

 シベリアの冬はマイナス40度を越える厳寒だと言うが、私には想像もつかない。これは寒いというより痛いという感覚の世界だという。鉄道の貨車がつくと、真夜中でも荷揚げの作業にかりだされる。木村さんも最後は肺病にかかってしまったらしい。

 木村さんはこれを克服して、3年数ヶ月に及ぶ抑留体験のあと、九死に一生を得て引き上げてくるわけだが、引き揚げ船になかなか乗せてもらえない。3度目の正直で自分の名前が呼び上げられたときは、タラップを上がりながら泣き続けたという。私の父はシベリア抑留こそ免れたが、同じく満州から引揚者である。同じような感激を味わったのだろうと、今はない父のことを思い、「ほんとうに、ご苦労さんでした」とおもわず涙ぐんだ。

 シベリヤ抑留中のさまざまなエピソードはかって本で読んだことがあるが、やはり体験者からじかに話を聞くと迫力が違った。この厳寒に地で、多くの男達が過酷な労働と栄養失調にくるしみ、ときには蛇を食べたり、雑草を食べて腹をこわしたこともあるという。とくに過酷だったのは、人が住まない原野の収容所に入れられ、鉄道の敷設工事にかかわった人たちで、木村さんもその一人だった。

 多くの人たちがここで死んだ。埋葬するとき、普段は着ない一番いい服を着せたという。ロシア兵は「死人にもったいない」というが、日本人はだれも勿体ないとはおもわない。一番よい衣服を着て、死出の旅路につかせてやりたいと、だれもがそう願ったという。これはとても心の温まるよい話だと思った。

 木村さんや岡崎さんの話を聴いていて、強く思ったことは、結局戦争でひどい目にあうのは下っ端の兵隊や民間人だったということだ。たとえば関東軍の一部の軍人達は逃げ足が早かった。中国人に人体実験をした731部隊などは、ソ連参戦ときくやいなや研究所を焼き払い、石井四郎中将は飛行機で朝鮮に飛び、やすやすと日本に帰国したのだという。一般の兵隊や満蒙開拓団の人々はこうした情報はとどかなかった。そして悲惨な体験を味わうことになる。これは今も、世界で起こっている現実なのだろう。

 参加者の中には若い人も何人か出席してくれた。私の隣りに坐っていた青年は高校3年生だったが、ノートをひろげ、木村さんの話を熱心にメモをしていた。木村さんはこうしたつらい話はあまりしたくないのだという。しかし、体験者がどんどん少なくなっていくなかで、木村さんがあえて自ら体験した戦争の赤裸々な現実を語られることは計り知れない価値のあることだと思う。こうした貴重な戦争体験が、若い世代の人々に受け継がれていくことが大切なのだろう。

 5時半から隣のレストランに席を移して、7人ほどでさらに食事をしながら、木村さんや岡崎さんから話をきいた。イラク戦争での米英軍によるイラク人虐待や、捕虜になった高遠さんや今井さんなどにも話が及び、大いに盛り上がった。「戦争を語り継ぐML」ならではのほんとうに実りのあるオフ会だった。


2004年05月08日(土) 地に足が着いた援助

 漂泊の俳人、尾崎放哉には「足」や「足のうら」を詠んだ俳句がたくさんある。萩原井泉水にあてた手紙でも、「たよる処は一に精神修養、足のウラの呼吸であります」と書いている。道教には「真人の息は踵を以てす」という言葉があるらしい。

 足のうら洗へば白くなる (放哉)
 
 人間の健康にとっても、足の裏はもっとも大切なところだ。人間は全体重をふたつの足の裏でうけとめる。そして足の裏で、人間は大地に立つ。足のうらを痛めれば、人間は大地を踏みしめて歩くことができない。

 1984年にペシャワールの病院に赴任して、らいの治療をはじめた中村医師は、診察に訪れる人々の多くが足に病気を持っているに気付く。らい患者100人のうち68人が足に感覚障害をもっていたが、その中にあしのうらに穴が空いている(足底穿孔症)者が14名、足が変形している者が10人もいた。

 こうした多くの人々が足に障害をかかえているのは、履き物が悪いせいである。中村医師は赴任した当時から、寝ても覚めても履き物のことを考えるようになったという。「アフガニスタンの診療所から」にこう書いている。

<ペシャワールのような貧しい医療事情では、患者の社会生活に打撃をあたえぬためにも、病院に財政的負担をかけぬためにも、予防的な局面が大切である。患者の履物を見ると、たいていは固い革に釘をふんだんにうちこんで修理を重ねたサンダルをはいており、ひどい代物であった。これでは足に傷ができぬほうがおかしい。日本で考えればたかがサンダルと思われようが、貧民層にはかんたんに買いかえられるほど安いものではなく、あらい岩石の道の多い山間部ではことのほか大切であった>

 すでにこのことは欧米のミッション団体も気付いており、パキスタンの大都市では、巨費を投じてワークショップを運営していた。そこで最先端の技術をつかって作られる製品がありながら、現地の人々はこれを履こうとしない。中村医師が日本製の製品を与えても、喜ぶのははじめだけで、やがてはかなくなる。釘だらけのひどいサンダルに戻ってしまう。その理由は強い伝統志向があって、別のかたちのものを受け付けないということらしい。

 このことに気付いた中村医師は地元のバザールを回って、サンダルを次々と買い込み、自分で履いて回って分解し、快適さ、工夫の余地、耐久性、革の質、素材、コストその他を調べたのだという。らい病棟でサンダルを偏執狂のように分解していると、「先生は靴をこわすワークショップを作ろうとしているのか」と皮肉もいわれたが、中村さんは「嚥雀いずくんぞ鴻鵠の志しを・・・」とつぶやいて、せっせとサンダルを分解していたという。

<こうして得た結論はすばらしいものだった。パシュトゥンの伝統的スタイルのサンダルは、丈夫でやわらかい革を選び、釘を使用せず、足底に接する面にラバー・スポンジをおけば、そのまま立派なうらきず予防のサンダルとなるのである。適度のカーブと弾力性が、風土に合わせて長い年月のうちおに伝統の中に工夫されていたのである>

 こうして地元の伝統的なサンダルのよさに気付いた中村医師は、これをベースにして医療的に改良した試作品をつくり、これを売り出すことをはじめた。一足につき400円程度の材料を現物寄付し、これを200程の値段で売る。そして売りあげをワークショップで働く者に労賃としてあたえる。ただで与えればせっかくのサンダルが粗末に扱われる。この方式が成功し、1986年にオープンしたペシャワール会のサンダル・ワークショップは、現在も続いているという。

 建物といっても質素なれんが作りの小屋で、他の大都市の本格的な設備にくらべれば、規模は二桁も三桁も小さいが、機能は数倍勝っているのだという。中村医師は国際援助の多くが土地に住む人間を忘れて事業そのものが自己目的化しているのを苦々しく見てきた。そうした見せかけばかりの事業が横行するなかで、地元の伝統に根ざしたサンダル作りは、地味ではあったが地元に根を張ることができた。中村医師は「我われの働きのひとつの金字塔であった」と胸を張っている。

 これは「援助」のすばらしいお手本だ。現地のひとびとの「足のうら」に視線がいくのがすばらしい。これこそがほんとうに「地に足が着いた援助」と言えるのだろう。


2004年05月07日(金) 日本の首相はアメリカの副大統領か

 アフガンで活動しているペシャワール会の中村哲さんが、ユニセフなどは組織が大きいので、なかなか効率的な援助が出来ないと書いていた。パンフレットには1000円の援助で、これだけの薬が買えて、これだけの人命が助かるなどと書いてあり、私もそれを信じて援助していたが、実際、援助の9割り近くは組織の運営に回されるとのことだ。

 ペシャワール会の場合は、反対に9割が援助そのものにつかわれ、現地に役に立っているということで、たいへん効率がいいようだ。

 自衛隊の場合は、一日の滞在費用が1億円ほどかかっていると聞く。給水活動で地元に水を補給しているわけだが、水は地元ではペットボトルでも売られていて、これに換算すると、約200万円分だとか。これでは効率は2パーセントに過ぎない。

 こうした数字をみると、援助は現地のためと言うより、去年の5月23日にテキサス州クロフォードにあるブッシュ米大統領所有の牧場で行われた、小泉−ブッシュ会談のとりきめのためという感じがする。

 ちなみに去年4月28日に日本の株価はバブル崩壊後の最安値(7607円88銭)をつけた。ところがこの会談後、アメリカからもうれつな買いが入り、みるみる回復している。今年の4月28日の株価は1万2004円29銭と、昨年4月28日の最安値から57・8%も上昇した。出来高が10億株を超える日も、44営業日連続と、過去最長記録を更新している。

 去年4月には東京証券取引上の株式時価総額は230兆円だったのが、1年間で130兆円ほど増えて、現在は約360兆円ほど。そしてその大半が、外資からの買いだ。現在日本の株式は半分が外資の手にあると言われているが、バブル崩壊前の90年にはたった4パーセントだったのですよ。

 日本長期信用銀行(現・新生銀行)を1210億円で買収してぼろもうけしたリップルウッド・ホールデゥングスや、日本債券信用銀行(現・新生銀行)を買収したサラーベラス、そのほかにゴールドマン・サックス、モルガン・スタンスレーなど、乗っ取り屋が現在いいように日本金融市場を徘徊して、巨利を稼いでいるのが現状だ。

 バブル崩壊で失われた日本の資産はどのくらいか。日経連の臨時総会で奥田会長が「バブルが崩壊して以降、現在までに1500兆円の資産が失われてしまった。これはGDPの三倍にあたる。第2次世界大戦で失われた資産でも、当時のGDPの3分の2だった。関東大震災で失った資産もGDPの3分の1。この10年間で国内総生産の3倍の資産が失われている」と言っている。

 現在の株高でぼろもうけしているのは外資だ。そしていま、ハゲタカファンドがいちばん狙っているのは郵貯なのだ。民営化によって、これが可能になる日をよだれを垂らしながら待っている。

 小泉さん、「アメリカには副大統領が二人いる。そのうちの一人は日本の首相だ」などと言われないように、しっかりしてくださいね。靖国神社の御霊のことを大切に考えるのなら、もう少し日本の首相として自己責任を自覚しましょう。


2004年05月06日(木) 助けることは助かること

 もう何ヶ月も前のことだが、名古屋駅近くのホテルのレストランで知人と夕食をしていたら、隣のテーブルに若い女性と年輩の男性が座った。何となく気になってちらちらと眺めていたが、どうも親子のようでもない。恋人同士にしては男がおじんくさくて不釣り合いである。

 彼らが去った後、「あれが援助交際かな」と水を向けると、知人も「私もそう思う」と同意した。若い女性は高校生か大学生だろう。食事の後、何が行われるのか、大方想像がつく。はっきり言えば、お金で相手の女性を性的にもてあそぶ権利を買うのである。

 これを昔なら「売春」というが、男の方から言えば「買春」である。しかし、こんな言葉は聞いたことがない。こちらの方面のボキャブラリーがとぼしいので、他にどんな言葉があるのかつまびらかではない。

 それにしても女性をお金で自由にしておいて、「援助交際」とはよく言ったものだ。こういう薄汚れた行為に「援助」などという言葉を使うのは馬鹿げている。高校生達は「エンコウ」と言っている。こちらの方がぴったりする。漢字にすれば「艶交」「厭交」「演交」などさまざまに浮かぶ。

 そんなことを考え、眉をひそめてみたが、もちろん私も若い女性と交際してみたいという願望がないわけではない。しかし、そんな奇跡はおこるわけがないのであきらめている。もちろん「エンコウ」などできるわけがない。そんなことをしたら、私のアイデンティは崩れさり、私は一生自分を許せないだろう。これは自尊心とプライドの問題だ。

 こうしたいかがわしい「エンコウ」はともかくとして、私は理想的な「援助」というのは本来の意味で「援助交際」と呼べるのではないかと思っている。「援助」というのは一方的なものではなく、そこに心の交流が出来てはじめて完全なものになる。

 大切なのは物質やお金ではなく、そうしたものを仲立ちにした心のコミュニケーションではないか。ペシャワール会の会報や中村哲さんの著作を読んでいると、結局「援助」とは「援助交際」だという気がしてくる。

 ボランティア活動家の草分け的存在で、「風の学校」を主宰していた中田正一さんが、中村医師にくりかえし語ったというエピソードがある。中田さん自身の文章を、中村さんの「アフガニスタンの診療所」から孫引きしておこう。

<ある時、三人の若者が山の中で吹雪にあい、遭難しそうになった。C君はぐったりして動けなくなった。とほうにくれたA君、B君のうち、A君は頭の良い人で、「このままでは皆が危ない。ぼくが一人でさきにようすを見てくる」と言って、二人をおいて身軽に行ってしまった。

 ところが、待て暮らせどもどってこない。残されたB君は、「まあ仕方がない。ともかく凍えるよりは」と、たおれたC君を背にしてとぼとぼと雪の中を歩きはじめた。さいわいB君もC君も救助隊に助けられたが、途中で彼らが遭遇したのは、なんと先に一人で進んだA君の死体だった。

 その時、B君が電光のようにさとったことがある。「ぼくはC君を助けるつもりで歩いていた。だが、じつは背にしたC君の体の温もりであたためあい、自分も凍えず助かったのだ」>(中田正一、「国際協力の新しい風」岩波新書)

 この話は中田さん自身が若いとき何かで読んだものらしい。「人のため何かしてやるというのはいつわりだ。援助ではなく、ともに生きることだ。それで我われも支えられるのだ」というのが中田さんの持論だったらしい。中村医師はこれを受けて、「現地は外国人の活躍する場所ではなく、ともに歩む協力現象だ」と書いている。

 イラクでストリートチルドレンの世話をしていた高遠さんも、きっと同じ気持だったのではないだろうか。問題は自衛隊や、自衛隊を派遣した政治家たちに、この気持があるかどうかである。この気持の欠けた援助は、結局相手の心に届かないし、与えた方もほんとうの喜びを味わうことはないのだろう。


2004年05月05日(水) 与えることの喜び

 1983年に「らい撲滅作戦」の担い手としてペシャワールの病院に赴任した中村哲医師は、ソ連軍のアフガン侵攻にともない、ゾクゾクと国境を越えて押し寄せてくる難民と向かい合うことになった。押し寄せる難民は北西辺境州だけで300万人になろうとしていた。

 中村医師は「アフガニスタン計画」を立案し、こうした難民への医療を決断する。1986年の夏、中村さんは資金を得るために日本に帰る。しかし、なかなか援助に応じてくれる人が見つからなかった。

「好きなことをして結構な身分だな。日本じゃ皆けっこう苦しいんだ」
「日本だって困っている人はいくらもあるんだ。何もこと変わった所で」
「そりゃあ、立派なことをしているとは思うよ。しかし世間ってものは・・・」
「おれたちちゃ、税金はらっているんだ。外務省にでも相談したら」

<まるで異物を排除して等質であるであることを強制するような合意が日本社会にはある。ある種の底意地の悪い冷厳な不文律が、いかようにも説得力のある拒絶の理由を提供するように思えた。ペシャワールから急に帰国した私にとって、これは得体の知れぬものであった>(アフガニスタンの診療所から)

 たしかに「アフガニスタン計画」は途方もいない夢物語である。そして誰がそんな夢物語を信じることができよう。現在の私たちはペシャワール会の圧倒的な業績を知っているが、当時の世間の目に中村医師のペシャワール会はまったく無名であり、「おおぼら吹き」「ペテン師」と写ったとしても不思議はない。

 中村さんは、「その時の自分のありさまは、わが子を救おうとして他人に必死で懇願する親の姿に似ていたであろう。だが、日本社会の持つゆとりのなさは、ソ連軍以上に圧倒的な壁であった」と書いている。「善意が力となりにくい構造的な壁」を感じたという。

 しかし中村医師はあきらめなかった。そして、この壁を破ることに成功する。名古屋のあるグループがセンター建設と車両の寄贈を申し出てくれた。九州の病院グループからは、らい病棟の改築と継続的な支援をとりつけた。岡山の国立らい療養所は専門医と技師の派遣を約束してくれた。

 中村さんは、「いつの時代でも、わが身をけずって人に与えることを喜びとし、殺伐な世相に明るさをふりまく変わり者がいるものである」と書くが、そのなかでも彼自身が一番の「変わり者」に違いない。

 ペシャワールには物乞いが多いらしい。しかも尊大だという。「神は喜ばれます」と言って当然のように手を出してくる。これにたいして、中村医師も「私はらい患者を助けるためにやってきた。あなたも私にほどこしをしなさい。神がよろこばれますぞ」と逆襲したという。そうしたところ、その乞食は驚いたことに躊躇なく集めた小銭を中村さんに差し出したのだという。

<私はまさかとは思ったが、つまらぬ議論に神をひきあいにだし、何か大切なものを冒涜したような気がしておそれを覚えた。同時に、純朴な人たちだと思った。以後、我われもこれを採用し、「貧しい人に愛の手を」などというみじめたらしい募金はせず、「神は喜ばれます」とこそ言わないが、年金暮らしの1000円も、大口寄付の数百万円も、等価のものとして一様に感謝してお金をいただくことにしている。現地の人は心まで貧しくないのである。(略)

 我われは貧しい国へ「協力」にでかけたはずであった。しかし我われはほんとうにゆたかだろうか。ほんとうに進んでいるのだろうか。ほんとうに平和だろうか。胸をはって「こうすれば幸せになります」といえるものを持っているのだろうか>

 ペシャワールでは乞食ですら誇り高く生きている。それにくらべて清潔な住居に住み、高級な車を運転し、ブランドに身を包んでいる日本人達の何と軽薄でうすっぺらに見えることだろう。アフガンでは武装ゲリラでさえ、もっと身近でわかりやすく、厚みのある「人間」に思われる。中村医師は日本に帰ってくるたびに、アフガンやペシャワールが懐かしくなるという。それはペシャワールの喧噪には、東京の雑踏にはない「愛すべき人間くささ」があるからだという。


2004年05月04日(火) 秋田から届いたリンゴ

 夜間高校に勤めていた頃、「先生はいいですね」とよく私より年輩の生徒にいわれたものだ。彼らは中学卒のまま世間に出て、つらい下積みの労働をしてきた。そしてそのくやしさをバネに夜間高校に進学し、ときには授業が終わってからでも、これから残業ですと言って出ていく。ああ、こんな人生もあるのかとその後ろ姿を見て涙ぐんだことがある。

 私のまわりのそうした人々の人生を眺め、世界の人々の悲惨な人生を知るにつけて、ますます自分のおかれた境遇が極楽のように思われて、何だか申し訳ないような気がしてくる。そして、自分に恵まれたこの幸福がちょっとうしろめたい。

 そしてそうした恵まれない境遇で苦しんでいる人々を気の毒に思い、何とかならぬものかと、あれこれ考える。ユニセフに寄付したりペシャワール会の会員になったり、そしてHPにこいうしてせっせと文章を書いている動機のどこかには、こうしてあまりに恵まれた自分へのうしろめたさもあるのかもしれない。しかし、一方で、こうした幸運は自分の努力の成果だという自負もないではない。

 もうだいぶん前になるが、大学院で私より二つほど年上の先輩が、就職先がないのをぼやいて、愛知県の教員になったばかりの私に、「君はいいね。頭もいいし、見かけもよい。その上、世渡りもうまいんだから」とつぶやいたことがあった。私は「そうでもないよ、これでも結構努力しているんだから」と言いたかったが、笑ってうなづいただけだった。その先輩の目に映った「優雅な自画像」に満足していたからかもしれない。

 しかし、実のところ、私は就職のためにかなり焦ってじたばたしたのである。大学院のときに、学部の講義にいろいろと出席して、どうにか「数学」の教員免除を取得した。「物理」の第一級教員免許はあったが、採用試験の倍率は10数倍もあって、とうてい合格の可能性はない。数学教員の倍率は4倍ほどだから確率は高い。だから、学部の学生と一緒に一年間講義を受けて、そのための試験勉強もした。

 さらに次の一年間、私は非常勤講師として県立高校で教鞭をとった。家庭教師よりも少ない収入だったが、授業後も居残り、校庭の小石取りや、様々な行事にまで参加し、こうして校長の信頼を得ようと努力した。受験にあたっては福井の実家から両親を呼び寄せ、知多の校長の家まで特産の越前カニを持って挨拶にも行った。こうしたさまざまな水面下の努力があって、ようやく県立高校教員という就職口を手にしたのだが、こうした苦労話はあまりしたくはなかった。コネで入ったと思われては心外だからだ。

 ところで、この先輩から、去年の暮れ、突然わが家に宅急便が届いた。「自分の家でできたリンゴです。ご賞味下さい」とある。家族でリンゴを食べながら、「ああ、先輩もしあわせに暮らしているのだ」と思った。私の前で20数年前にぼやいた先輩の顔が、いつかはちきれる笑顔になっていた。


2004年05月03日(月) アフガンに魅せられた男

 中村哲医師がはじめてアフガニスタンの地を訪れたのは、1978年6月のことだという。彼は福岡の山岳会のテイリーチ・ミル遠征隊に参加した。標高7708メートルを誇るテイリーチ・ミルはヒンズークシ山脈の最高峰である。そのときの印象を中村さんは、「アフガニスタンの診療所から」(筑摩書房)にこう書いている。

<山岳地帯の村落は、瓦礫のような岩石砂漠の中で人口のオアシスとして散在している。強烈な陽光とまばゆい白雪をいただく荒々しい山塊のもとで、すべてのものが壮大な自然をとおして啓示される力の前にひれふしているように見える。(略)

 山岳地帯の住民は自給自足で、現金収入は極端に少ない。日本では常識とされている治療はまず不可能といってよい。こんなところに生まれなくてよかったとわりきれればそれまでだが、私はどうしてもそれができなかった。みちすがら、一目で病人と分かる村人に「待ってください」と追いすがられながら見捨てざるを得なかった。重い気持でキャラバンの楽しさも半減してしまった。

 その後なぜだかわからない。私はつかれたように機会をみつけては現地をおとづれた。バザールの喧噪や荒っぽい人情、モスクから流れる祈りの声、荒涼たる岩石砂漠、インダスの濁流。すべてこれら異質な風土も、かえってなじみ深い土地に帰ってくるような不思議な郷愁にとらわれるのだった。そして、こざかしい日本人論をこえて、人はやはり人であるという、当然だがみょうな確信を得てほっとするのである。(略)

 私をひきつけるアフガニスタンの魅力のひとつは、その壮大な多様性にある。歴史的な重層性は古代から現代までおよび、民族集団も全ユーラシアの種族を網羅する。まるで数千年の歴史が圧縮されたように、過去の民族・宗教が存在する。

 ローマに討たれて散ったユダヤ人、古代ペルシャのゾロアスター教徒、アレキサンダー帝国を継承したギリシャ系住民、侵入したサラセン帝国やモンゴリアの末裔、モンゴル人に追われたイスマイリ教団、東方から追われて南下したトルコ民族、ジプシー……、島国の住民たる我われには想像を絶する規模だ。しかも、それらが伝統的形態を守ってたがいに共存している。・・・人びとは異質な生活集団と共存する知恵、「国際性」とでもいうべき広大な容量をそなえている>
 
 1979年12月に奥さんとともにペシャワールやアフガン国境の町トルハムを訪れたとき、思いがけない事件と遭遇する。ペシャワールのアメリカ大使館がイスラム武装勢力に襲撃されて、10人以上が殺されたり重傷を負った。大使館員の一部が夫婦の滞在するホテルに退避したので、ホテルも襲われたのだという。

<まのあたりにしたこのはげしい反英米感情の背景を知ったのは、ずっとあとのことだったが、家内はぶっそうな出来事にさすが不安をいだいたらしい。しかし、当時ののんびりしたペシャワールの街並みと人情は、それを帳消しにしても魅力的だった。・・・内乱のうわさにもかかわらず、ラクダを連れた遊牧民はものものしいアフガン政府軍の兵士をしりめに、ゆうゆうと行きかっていた>

 しかし、この平和な光景はすぐにやぶられた。ソ連軍がアフガンに侵攻し、ペシャワールにも難民が押し寄せてきた。そうしたなかで、中村さんは家族を引き連れて英国の熱帯医学校に留学し、1983年5月、「らい根絶計画」の民間援助部隊としてペシャワールの病院に着任した。このときから中村医師の20数年におよぶペシャワールとアフガンでの活動が始まった。

「らい」の患者は世界に1150万人いる。日本にも約8千名ほどいるが、その多くは発展途上国に集中している。そしてわずか数百円程度の薬が買えないために死んでいく者が数知れなく存在するという。アフガニスタンには特に重症患者が集中しているが、そもそも「らい」の発生地はこのあたりらしい。アレキサンダー大王の遠征隊がこの地で感染し、地中海にもちかえった。そして世界に広がることになった。中村医師はまさにその発生源でこの厄介な感染症の根絶計画に与することになった。 中村さんはこう書いている。

<らいの仕事にたずさわる者は、その愛憎、醜悪さと気高さ、深さと軽薄さ、怒り、哀しみ、喜び、およそあらゆる人間的事象に、きょくたんな形で直面させられる。人間を数字やプランだけであつかえぬ何ものか、経済効率の優先でおきざりにされてならなぬ何ものかが、らい治療にたずさわってきた人びとの心のおくに根をおろしているからである。医療が人間を対象にするものであるかぎり、私自身は彼らの頑迷と偏屈に親近感をおぼえている。

 ともあれ、こうしてはじめかららいの仕事にたずさわったのは、その後の現地活動を展開するのにおおいに幸いだった。外国人のふれることにできない現地事情を、底辺の人びととの濃いつき合いをとおして、下から理解できたからである>

 中村さんは、外国人の医師が「協力」と称して現地の病院に赴任することに批判的である。外国人が生半可な人道主義をふりかざして、興味の赴くまま訪れると、地元の医師の失業をもたらし、周囲とのバランスをくずし、むしろ地元でひんしゅくを買うことが多いのだという。

 中村医師はしたがって一般治療はそこそこに、地元の医師さえいやがる「らい」患者の治療に集中した。こうして「人のやりたがらぬことをなせ。人のいやがる所へゆけ」という彼の活動指針が生まれた。そして指針にしたがって、彼の活動はますます辺境の困難な地域へと伸びていくことになった。


2004年05月02日(日) ブッシュ大統領の誤算

 昨夜7時のNHKニュースを見ていたら、EUが東欧10カ国が参加して25カ国になったことを喜ぶ市民の笑顔が写っていた。国境がなくなり、これから検問所の渋滞もなくなると喜ぶトラックの運転手の声も聞かれた。

 同じニュース番組では、対照的に米軍のファルージャ撤退を告げるブッシュ大統領のうかない表情も写し出されていた。米軍にかわってファルージャの治安維持をする部隊の隊長は旧イラク政権で「大統領警護隊」の地方司令官を務めたサーレフ将軍だそうだ。たしかに緑の軍服はフセイン時代のままのイラク軍の制服だった。

 彼自身ファルージャの出身らしく、ファルージャの住民は、サレフ指揮官を、旧政権時代の国旗を振って歓迎したようだ。これに対して、指揮官を乗せた車からも旧政権時代の国旗が振られたそうだから、とりあえずファルージャはイラク人自身の手に返されたということだろう。

 この3週間の激戦で、ファルージャでは1000人近い人命が失われたという。アメリカ軍の死者も4月だけで130人をこえて、これまでの最高だとか。このたびのイラク戦争で死んだ米兵は昨日までで737人にのぼるそうで、アメリカのABC放送が30分かけてその一人一人の名前を読み上げた。さらに、アメリカ軍とイギリス軍によるイラク人虐待の事実も明らかにされた。浅井久仁臣さんの「私の視点」から文章を引用しよう。

<捕虜虐待は米兵だけでなく、やはり英兵も行なっていました。Daily Mirror紙は土曜日の朝刊で、英兵がイラク人に小便をかけたり、陰部を銃座で痛めつけている証拠写真を掲げ、目撃した同僚兵士の証言も紹介しています。このイラク人捕虜は18〜20歳で8時間に及ぶ拷問を受けた末、意識を失った状態で、走行中の軍用トラックの後部から突き落とされたとのことです。彼のその後の消息は確認されていませんが、証言した兵士は、「死んでいる可能性がある」と言っている、と同紙は伝えています。
 
 皆さん、これが米英占領軍の姿です。これまで「アル・カーイダ」「大量破壊兵器」という言葉に惑わされて両国の占領政策を信じ込もうとしてきた人たちもこの一連の写真を見れば眼が覚めるのではないでしょうか。>
  
 こうした現実を前にして、ブッシュ大統領はイラク戦争終結を宣言した1年前とはうってかわった力のない表情で、言葉もたどたどしくて痛ましい様子だった。「民主化を望まないイラクの勢力がこの困難をもたらした」と言っていたが、これは石油資源争奪のために始めた無謀な戦争の当然の結果ではないか。このうえは、一刻も早く、アメリカ軍はイラクから撤退してほしい。


2004年05月01日(土) 最大多数の最大幸福

 このところ株価もあがり、失業率も改善するなど、日本経済の景気の回復が目立ってきている。企業はリストラを経て、投資や雇用を再開し、家計も消費を増やしているようだ。トヨタなど輸出産業を中心に、空前の利益を計上する企業もでてきた。

  実質経済成長率は03年の2.7%からさらに伸びて、今年は4%を超えるのではないかという観測もでている。1%そこそこだったバブル崩壊後の長期低迷を脱して、日本経済にもようやく本来の明るさが戻ってきたようにも見える。

 日本経済復活の要因は、リストラによる企業改革や銀行の不良債権処理が一段落ついたことに加えて、中国市場の活況やアメリカ市場の堅調な消費動向が上げられている。いましばらくはこうした要因は続くと見られるから、日本経済の伸びも続くだろう。あるいは4%台の成長率も夢ではないかも知れない。

 こうした高成長が続けば、企業の利益もふくらみ、賃金も増えて、政府の税収も伸びるかも知れない。財政が好転すれば、国債発行にも歯止めがかかる。巨額の公的負債を平和的に返済するという展望も拓かれるだろう。

 しかし、私は4%の成長率が持続可能だとは思えない。それは巨額の財政赤字をかかえるアメリカ経済の先行きが不透明だからだ。アメリカ経済が破綻すれば、中国が稼ぎ出している巨額の貿易黒字も縮小せざるをえない。日本経済がこうした不安定な外需に依存しているかぎり、どうしてもその先行きは不安にみちたものになる。第二、第三のバブルが生まれるだろうが、すぐに弾けて、さらに長い停滞をよぎなくされるだろう。

 もう一つの問題は、景気が上向きになったといっても、それは平均的な統計値で見た範囲のことである。たとえば平均値は上がっても、所得格差が生まれていれば、私たち庶民の多くはその恩恵に浴することが出来ない。こうしたことがアメリカや中国で顕著に現れているが、日本も次第にそうした方向に社会が分極化していくことが考えられる。私はこれが日本の将来にとって望ましいことだとは考えない。

 私はむしろ一部の富裕層による経済支配ではなく、「最大多数の最大幸福」(ベンサム)を追求するのが正しい経済政策ではないかと考えている。これはまた、不意安定な外需に頼るのではなく、国民の福祉と文化を増進させる中で内需を拡大させ、人々がほんとうの「ゆたかさ」を実感できる社会を実現する道である。

  経団連会長奥田碩氏(トヨタ自動車会長)は「死にものぐるいで成長を実現せよ」(文芸春秋新年号)と呼びかけ、そのかいあって、トヨタ自動車は578万台もの車を販売し、04年3月期にはとうとう連結純利益が日本企業としてはじめて1兆円をこえた。これが日本経済の復活を象徴するものとしてテレビや新聞で大きく報道された。

 しかし、この日本を代表する巨大企業の成功を支えるために、日本政府は円高の阻止の名目で1年間で30兆円もの米国債を買うはめになった。それだけではない。アメリカ市場に経済を依存する日本政府は、アメリカが求めてきた50億ドルのイラク支援金の拠出と、日本がもつ70億ドルのイラク債権の放棄をあっさり了承している。

 この120億ドルという援助金は第一次湾岸戦争のときの拠出金にせまる額で、もちろん世界の中で日本は突出している。そしてここがかんじんなところだが、「死にものぐるい」で達成したトヨタの1兆円という利益をも吹き飛ばしてしまったということだ。経団連会長が絶叫し、小泉首相があとおしする「成長優先主義」が日本と世界をどこに導くか、私たちは立ち止まって、もう少し冷静に考えてみようではないか。


橋本裕 |MAIL |HomePage

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