橋本裕の日記
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2005年02月28日(月) ドストエフスキーを捨てる

 私は自分の人生をあと3年間と見積もっている。そしてこの間に、私の人生を清算しておきたいと考えている。清算するというのは、簡単に言えば、あらゆるものを捨てて、無一物になるということだ。

 清算すべきもののひとつに蔵書がある。これをこの1年間かけて減らしてきた。毎月、資源ゴミの日に大量に排出するのである。おかげで、部屋の中が片づいてきた。この調子でいけば、3年後には私の部屋からすべての本がなくなりそうである。

 とはいえ、愛着のある蔵書を捨てるのは、身を切られるような淋しさがある。今回処分する本の中には、「ドストエフスキー全集」が含まれていて、とくにその感を深くした。この全集を買った30年前の日のことがありありと浮かんできた。

 私はこれを名古屋大学の生協で買った。自転車で下宿先まで運んだのだが、一度に運びきれず、往復したのを覚えている。夏の暑い日だった。自転車の荷台を何度も振り返った。自分の部屋の書棚に全集を並べたときの高揚感が昨日のようだ。

 それから、この全集を読みふけった日々。当時私は大学院の学生だったが、数年後には就職し、結婚し、それから二児の父親になった。この30年間で、何度この全集に手を伸ばしたことだろう。

 昨夜、書棚のなかから全集を取りだし、他の書物と同様にビニールテープで縛って、玄関先に置いた。やがて、それらは私の視界から完全に消え去ることになる。明日は卒業式だが、生徒達との別れ以上に、これらの書物との別れが淋しい。


2005年02月27日(日) 愛と死を見つめて

 掲示板に空さんが「性善説・性悪説」という題で、書き込みをしてくださった。その中に次の一節があった。

<もちろん人の決めた(善)は破られる。その意味では(性悪説)に拠らざるを得ない。しかしその(善)が本当に「善」なのかは疑問である>

 これはとても深い言葉だ。「性善」「性悪」と言っても、それは人間が決めた「知識として蔓延している善悪」である。プラトンの言葉だと、それらが社会的偏見「ドクサ」でない保証はない。

 それでは、真実「エピステメ」に至る智とはなにか。私は、「自分の頭で考えることを知っている人たちと議論すること」がその方法だと書いたが、他に道があるだろうか。もしあるとしたら、それは「啓示」や「直観」ということになるのだろうか。

 プラトンは「人間は真実を知らないのではなく、忘れているだけだ」とも書いている。有名な「想起説」である。ときには、真実を「思い出すこと」も必要かも知れない。ふたたび、空さんの言葉を引用しよう。

<「ノイズ」があって錯誤を犯す人間もいる。感覚が上手く働かないのだ。心の一番奥から愛は流れて感覚を形成する。その心の声が聞こえない人間が多い。「ノイズ」の原因は人のつくった(善悪)だ>

 これを読んでいて、私は柿本人麻呂の歌を思い出した。人麻呂が妻を石見の国に残して、都に登るときの歌だ。

 笹の葉はみ山もさやに騒げども
 われは妹思ふ別れ来ぬれば

 山が騒ぎ、世間が騒いでいても、そうしたノイズに惑わされずに、ただ愛しい人のことを思い続けている歌人の純粋な心がしのばれる。

 人間はそうした大切な感覚を大切にすべきかもしれない。あまりに世俗的な智にかたより、打算と欲望の世界に輪廻していると、そうした天上の美しい音楽が聞こえなくなる。

 脳はただシミュレーションするためにあるわけではない。人や世界を愛するためにもある。生き残りのためのシミュレーションも必要だが、ときには万葉集の歌でもうたって、そうしたノイズの渦巻く世界の外に出ていき、大切な人間の心を回復させる必要がある。


2005年02月26日(土) シミュレーションする脳

 ある行為をしたとき、それによって引き起こされる結果をあらかじめいろいろと考えることを「シミュレーション」という。これは人類が生存率をあげるために進化させた知的能力である。私たちは日常の生活でも、この能力をさまざまに活用している。

 たとえば将棋に「三手の読み」という格言がある。将棋の対局では、自分がこう指したとき、相手がこう指すかもしれない。それに対して、自分はこう指す。しかし、初心者やヘボの将棋好きはこの「三手の読み」ができないので、たいてい負けてしまう。

 有段者になると、三手どころか五手、七手と先を読む。プロになると、数十手、数百手先まで読む。だから将棋盤の前で、1時間でも2時間でも腕を組んで沈思黙考するわけだ。読みの正確な人ほど勝率が高くなる。

 将棋ばかりではなく、日常生活でも「三手の読み」は大切である。自分の感情の赴くままに行き当たりばったりで行動していては万事うまくいくはずがない。自分の行動の引き起こす結果をいろいろと想定して、それぞれの場合に応じて、次にどのような行動をするか、冷静にシミュレーションできるかどうかで、そのひとの人生模様はずいぶんと違ってくる。

 また、シミュレーションする能力は、個人生活だけではなく、会社を経営したり、国の将来を考えて政策を決める場合にも大切である。経営者や政治家がこの能力を欠いていたら、そうした組織はたちまち運営が行き詰まるだろう。

 個人でも社会でも、正確な情報に基づき、客観的な視点に立って冷静に将来をシミュレーションすることができなければならない。そのために必要なのは、過去の体験や歴史から多く学ぶことだろう。

 さらに忘れてならないことがある。それは「何のためのシミュレーションか」というその目的である。私たちはよりよき未来を創造するために、過去から多くのことを学び、この能力を大いに活用して、今為すべきことを為す必要がある。


2005年02月25日(金) 性善説に傾く私

 私はもともと性悪説の信者だった。とくに青年期の私は仏教やキリスト教の影響を受けて、人間はほんらい性悪だが、このことを自覚して、自分を善なる存在へと造り変えなければならないと考えていた。

 しかし、大学生になり、社会科学に目覚めてからは、「人間は本来的に悪ではない。それは社会環境がそうした人間を作りだしているのだ」と考えるようになった。ジョン・ロックの「タブラ・ラサ(白い石版)」説の信者になったわけだ。

 ところが、その後、生物学など勉強しているうちに、「人間は本来善なるものに作られている」という性善説に傾いた。なんとなく「タブラ・ラサ(白い石版)」にあきたらなくなったのである。

 「タブラ・ラサ(白い石版)」を攻撃する人たちの多くは性悪説に立っているが、私はむしろ性善説に近い立場から、これにいささか批判的なわけである。とはいえ、私はロックの「タブラ・ラサ(白い石版)」の説を大変高く評価している。

 私を生物学を勉強して性善説に傾いたが、おなじく生物学や動物行動学の勉強して性悪説に傾く人もいる。むしろ、最近ではこうした人の方が多いのではないかと思う。これは生物の世界を弱肉強食ととらえ、そうした熾烈な競争が進化の原動力になっていると考えるからである。

 そしてこの原理を人間社会に適用したものが「社会ダーウィニズム」といわれるのもだ。「市場で競争し、優秀なものが生き残る」というのは「市場ダーウィニズム」で、これをアメリカなどの自由市場主義者は正しいと信じている。そしてここから今日のグローバリズムが生まれてきているわけだ。

 私はこれらの人たちとは少し違う視点から生物学を学び、進化論を勉強してきた。それは生物世界の全体を見る視点である。たとえば個々の木に注目しながらも、その木を活かしている森という全体にも目配りを忘れないでおこうということだ。

 その結果、何がわかったかというと、生物の進化は「共生関係」を育むものだということだ。生物世界は「競争の場」というより「共生の場」と考えた方がわかりやすいし、真実にも近いのではないか。そしてこのことは、人間社会の現実にもあてはまると考えたわけだ。

 善とはなにか。私の定義によれば、それは「共生関係を育てようとする志向性」である。生命はこうした志向性を持っている。なぜなら長い目で見れば、そうした志向性を持っている種は生存率が高いからである。つまり、自然選択の結果として、そうした志向性そのものが育てられることになる

 私の「性善説」は結果としての「性善説」である。そこに特別の宗教色やイデオロギーがあるわけではない。むしろ冷静な自然科学的立場に立った結論ではないかと思っている。しかし、その結論が、かって私が親しんだ宗教以上に、大きな安らぎと喜びを与えてくれていることも事実だ。私はこれが「天命を知る」ということではないかと思っている。


2005年02月24日(木) エピステメの世界

 もう20年以上も前に読んだ「真理とは何か」(大熊正著、講談社現代新書)を本棚から出してきて読み返してみた。そこに、こんなことが書いてあった。

<仏教でもイスラム教でも、真理への道を経典の中にのみ求めている限り、その宗教の活力は停滞し、思想は硬直していくようになるでしょう。

 理科系の学問と文科系の学問との差異としてよく言われるのですが、理科系のものが当惑するのは、文科系の学問において「ヘーゲルの思想」とか、「ケインズ研究」などという著述が、解説書としてではなく、立派な学術論文として今もなお次々と発表されているという事実です。

 必ずしもそれらの中に真理を見出していこうというのではないかもしれませんが、たとえば「ニュートンの思想」とか「ガウス研究」というようなものを書いても、数学史の資料としてならばともかく、数学の論文としては一顧の価値もありません。

 古人の思想をいろいろな立場で解釈するというのも妙なものですし、そのように不安定で、不明確な理論ならば、改めて研究する価値もないはずです>

 大熊正さんによると、「真理とは何か」をはじめて考察したのはプラトンらしい。彼は絶対的な真理や、絶対的な善の存在を信じていて、それを「エピステメ」とよんだ。問題は、それでは私たち人間はどうやったらこの「エピステメ」を知ることができるのかということだ。

 万人が正しいと信じていることのなかにも真理でないものはある。一般に広く受け入れられていることがすなわち「エピステメ」ではない。プラトンはそれを「ドクサ」と呼んで区別した。

 それが正しいことかどうかは何によってわかるのか。プラトン以前の人たちはこの問題を深くは追求しなかった。昔からの言い伝えや、権威者の言葉や、「聖なる書物」に書かれていることを真理だと考えていたのである。これを「典拠主義」という。

 これに対して、プラトンは、真理は理性によってあきらかにされると考えた。「自分の頭で考えることを知っている人たちと議論すること」が真理へ至る道だと考えたわけだ。そして、このことを、彼の「アカデミア」で実践し、「対話編」と呼ばれるたくさんの著作を残した。

 西洋の智の伝統は、このプラトンの精神を引き継いでいる。私たちは「典拠主義」ではなく、「自分の頭で考えることを知っている人たちと議論すること」をとおして、ドクサという幻想から自由になり、エピステメの世界に近づくことができる。


2005年02月23日(水) こころの旋律

 春先になると、決まって口ずさみたくなる歌がある。有名な歌なので、日本人ならだれでも知っているだろう。

 春の野にかすみたなびきうら悲し
 この夕影に鶯鳴くも    (巻19−4290)

 わが宿のいささ群竹ふく風の
 音のかそけきこの夕べかも  (巻19−4291)

 うらうらに照れる春日に雲雀あがり
 こころ悲しも独りし思へば   (巻19−4292)

 これは西暦753年、大伴家持が36歳のときの歌だ。万葉集の詞書きに、家持は「和歌でも作らないと、この悲しみは払いきれない」と書いている。家持は何がそんなに悲しかったのだろう。

 家持は29歳の時に、越中の守、つまり今の富山県の国司になって奈良の京を離れた。そして、34歳の時まで、5年あまりをこの雪深い北陸で暮らしていた。そして、都に帰ってきた翌年の3月、この歌を作っている。

 大伴家といえば、父の旅人が大納言であったように、天皇家につかえる由緒ある名門だ。しかし、旅人は家持が14歳の時死んでおり、長男の家持は若くして父の跡を継いだ。しかし、当時の政治状況は大伴家に対してかなり厳しいものがあった。

 大化改新で功績をあげた中臣鎌足の息子の藤原不比等や、そのまた息子たちの一族がのしあがり、権勢をほこるようになっていた。だから家持は京に帰ってきても、自分の居場所が定まらない淋しさがあっただろう。

 あるいはそれ以上に、家持の心を占めていたのは、すでにない父や、弟の書持とのなつかしい思い出だろう。11歳の時死別した母の思い出も、久しぶりに味わう故郷の春の景色の中に浮かび上がっていたかも知れない。

 吾妹子が植ゑし梅の木見るごとに
 心むせつつ涙し流る     (巻3−453)

 これは730年、家持の父・旅人が太宰府から奈良に帰ってきたときにの歌だ。旅人は妻と一緒に太宰府に旅立ったが、そこで妻を亡くした。旅人が奈良の家に帰って眺めた梅は、亡き妻が植えたものだった。妻がいないので、花を一緒に眺めることができない。その悲しみが、旅人にこの歌を作らせた。

 家持の死んだ母が植えた梅の木は、成人した家持の目の前にあったかもしれない。そして、家持は父・旅人の歌を、その悲しみとともに思い浮かべただろう。家持の春の歌の背後にただよう哀感は、こうしたところにも根があるのかもしれない。

 いずれにせよ、この三首は、万葉集の4500首あまりの歌の中でも、もっともよく人々に愛された歌だろう。雲雀があがり、霞がたなびく春先のうららかな情景が誰の目にもうかんでくる。そればかりではない。そうした叙景をとおして、家持の繊細な心のしらべが、私たちの心に伝わってくる。

 朝床に聞けばはるけし射水川
 朝漕ぎしつつ唄う舟人   (巻19−4150)

 さかのぼること、3年前の3月2日、家持は越中の宿の朝床で、近くの射水川を漕いでいく舟人の唄に耳を澄ましていた。家持は川を漕いでいく舟人に自分を重ねている。そして、ひとり静かに、はるかな漂泊の思いをかみしめている。

 もののふの八十(やそ)をとめらがくみまがう
 寺井の上のかたかごの花   (巻19−4143)

 これも、同じ頃に越中でつくった一首だ。近所のお寺の井戸に、村の娘達がやってきて賑やかに水をくんでいる。そのかたわらに咲きこぼれるかたくりの花。ただそれだけの歌だが、余情が感じられて美しい。

 あるいは家持は寺井の近くに乱れ咲くかたくりの様子から、水を汲みに来ておしゃべりをしている少女達の生き生きとした姿や声を連想したのかもしれない。少女達が去って、かたくりの花だけが早春の光りの中にゆれている。単なる属目の歌ではなく、そうした静寂の中で、家持の想像が働いて歌われた歌だと考えると、味わいがさらに深くなる。

 万葉集の歌と言えば、どちらかと言えば民謡調で、人前で朗々と歌い上げる情熱的なものが多い。そうした中で、家持の歌は少し趣が違っている。こころのかそけき調べにひとり静かに耳を澄ませるといった、孤独で内省的なものが出ている。農村的というより、都会的な感性を感じさせる。

 家持の歌は万葉集のなかに400首以上ある。全体の1割以上の数だ。それらの歌を通して、家持は詩的で繊細な内面世界を自らの中に築きあげていった。そして、家持の発見したこうした雅やかなこころの旋律は、現代人である私たちのなかにも、たしかに生きている。


2005年02月22日(火) こころの宇宙

 漱石は「三四郎」のなかで、広田先生の口を通して、こんなことを言っている。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……日本より頭の中のほうが広いでしょう」

 漱石はさらに「こころ」という魅力的な小説を書いている。その宣伝文に「人間というものを知りたかったら、この小説を読んで下さい」と書いた。漱石がこの小説で書きたかったのは、人間の「こころ」というものの大きさ、その深さだろう。

 私が「こころ」を読んだのは高校時代だったが、それから何度も読み返し、読むたびに「人間というもの」について考えさせられた。そして漱石の描く人間の心の世界の奥深さに、しみじみとした感動を覚えたものだ。

 戦争だの、富国強兵だのと、慌ただしい世界の中に身を置きながら、漱石はそうした時代の環境に流されず、じっと人間を見つめ続けた。そしてもっとも深いところから人生を観察し、世界を観察し続けた。その眼力は深く鋭く、おそろしいほど冴えていた。

 漱石の書いた「日本より頭の中のほうが広い」というセリフは印象的だが、おなじことを、アメリカの女流詩人、エミリー・ディキンスン(1830〜1886)は「脳は空よりも広い」という詩の中で次のように表現している。

 脳は空よりも広い
 なぜなら、横に並べておくと
 一方がもう一方を容れるから
 
 脳は海よりも深い
 なぜなら、その青と青をあわせてみると
 一方が一方を吸いとるから
 
 彼女は28歳ごろからマサチューセッツ州アマストの邸宅に引きこもり、独身をとおして詩作をしていたらしい。彼女は想像を巡らせ、見たこともなかった「火山」や「帆船」、「海」を詩に描いたが、彼女のイマジネーションを育んでくれたのがウエブスターの辞書だったという。

 もっとも、彼女の脚韻の規則も無視した破格の詩風は世間からは認められず、彼女は1886年5月15日腎炎がもとで死去した。愛の喜びと悲しみ、孤独と挫折を繊細に表現した彼女の詩が生前に出版されることはなかったが、1890年に知人たちが『第一詩集』(Poems)を出版した。

 現代では彼女の詩が人気を得て、「全詩集」が出版され、伝記なども数多く出版されて、大学などでもさかんに研究されているようだ。同じ様な精神傾向を持っていた漱石が、彼女の詩を読んでいたかどうか、私は寡聞にして知らない。


2005年02月21日(月) 天国村はどっち?

「9本のマッチ棒で3個の正方形をつくれ」というパズルの解答は「三角柱をつくること」である。まず3本で正三角形をつくり、残りの6本を使って側面に3つの正方形を組み立てればよい。もっともこれには別解がある。渚のバラードさんが掲示板に書いて下さった答えを、そのまま紹介しよう。

<先ず4本で正方形を作り、次に正方形の4頂点のうち3箇所から垂直に3本の柱を立て、残った2本で柱の先端を結び、2辺を作れば底面の正方形と2側面の正方形の合計3面が正方形になります>

 渚のバラードさんは「息子と共に」という魅力的なHP日記で、「数学クイズ」の連載を始められ、その最初に「正直村と嘘つき村」の問題を取り上げている。私が省略した解答の解説はこちらで読んでいただくことにしよう。
(http://plaza.rakuten.co.jp/withmyson/)

 二股に道が分かれている問題で、「天国村と地獄村」というよく似たパズルがある。こちらもかなり難解だが、紹介だけしておこう。

「二股に道が分かれていて、どちらかが天国村でどちらかが地獄村である。分岐点に3人の男が立っている。正直者と嘘つきとチャランポランである。ただし、見かけから彼等が何者であるかはわからないが、彼等はお互いに正体を知っているものとする。
 
 正直者は常に正しい答えをいい、嘘つきは常に嘘をつくが、チャランポランのいうことは気まぐれで、嘘をついたり正しいことを言ったりして、その発言はあてにならない。

 さて、これら3人に2回だけ質問して、天国村がどちらかを聞きだしてほしい。2回の質問は同一人物に対してしてもよいし、二人の人物に対してしてもよい。ただし、男たちは<はい><いいえ>としか答えない。さて、どんな質問をすればよいか」

 このクイズの答えは、「クイズ大陸、頭の体操/論理パズル」というHPの「天国への階段」というページからみることができる。「クイズ大陸」にはいろいろなパズルがとりそろえてあって楽しめる。アドレスを書いておこう。

http://quiz-tairiku.com/logic/index.html
http://quiz-tairiku.com/logic/q9.html#q41


2005年02月20日(日) 立体思考のすすめ

 上から眺めると○、二つの側面から眺めると△と□に見える立体など、この世に存在するのだろうか。役人はあきらめかけたが、「コロンブスの卵」という数学者の口にした呪文を思い出して、もう一度、紙に円柱を描いて考えた。どうやら、円柱に答えの手がかりがありそうだと思った。

 円柱は上から眺めると○に見える。そして側面から眺めると□に見える。さらに、△にも見えるためには、何が必要か。役人はその円柱をいろいろに切ってみた。そして、とうとう、正解らしいものをさぐりあてた。

「円柱を横から△に見えるように切ればいいだけなんですね。そんな風に切ると、切り口は曲線になりますが、正面の輪郭は確かに□に保たれます」

「そうだよ。円柱の上底面における任意の直径をDとしよう。Dを含み下底面の円周に接する平面は二つあるね。この二つの平面で、この円柱を斜めに切断する。これで求める立体が得られるわけだ」

 そう言いながら、数学者は机の中から、あらかじめ紙で作っておいた立体をとりだした。たしかにその立体は見る角度によって○と△と□に見えた。役人は「群盲象を撫でる」という言葉を思い出した。

「この図形は何だか教訓的ですね。平面で見ていると解決できない問題も、立体的に考えると解決できるんですね。それはそうと、私も実はパズルを用意しましたが、釈迦に念仏のようで気が引けますね」

 役人はポケットの中から、おずおずと6本のマッチ棒を取り出した。これで4個の正三角形を作れという問題だった。数学者は「これも立体思考で解決するね」といいながら、マッチ棒を三角錐の形に組み上げた。そして、役人の方に悪戯っぽく笑って、

「それでは、あと3本マッチ棒をくわえよう。9本のマッチ棒で正方形を3個作ってごらん。立体思考ができるかな」

 数学者はソファに背をもたれながら、恰幅のよい50年輩の役人が前屈みになって、無心にマッチ棒を組み立てているのを、たのしそうに眺めた。


2005年02月19日(土) コロンブスの智慧

 3日後の日曜日、課税科の役人は再び数学者の家を訪れた。数学者に出された地理の問題をこの3日間考えてみたが、どうしても分からなかった。その答えを聞こうと思ったのだ。

 数学者は役人がまた税金の話できたのかと不機嫌だったが、そうではないと知って顔をほころばせた。そして、「これから君に手品をおめにかけよう」と言って、一円玉と五百円玉を財布からとりだした。

 数学者は役人の見ている前で、紙の上に一円玉を置き、その輪郭を鉛筆で描いたあと、ハサミで切って、紙に一円玉の穴を開けた。

「一円玉はこうして穴を通り抜ける。これは当たりまえだ。問題は、五百円玉がこの一円玉の穴を通り抜けることができるかどうかだ。もちろん紙を破ったりしてはいけない。君はどう思うかね」

「それは無理でしょう。一円玉の穴に比べて、五百円玉の直径は大きすぎます。でも、念のために、やらしてください」

 役人は穴の空いた紙を受け取り、五百円硬貨を通そうとしたが、やはり無理だった。数学者はその様子を笑いながら見ていた。そして、役人から紙を受け取ると、その紙を二つに折って硬貨を挟んだ。穴から硬貨の一部が見えている。

「いいかね。今から僕がおまじないを言うからね。そうしたら、硬貨がこの穴をくぐり抜けて、下に落ちる。君は手でそれを受け止めてくれ」

 数学者は「コロンブスの卵」と口に唱え、折り曲げた紙の端を少し動かした、そうすると、穴の口が拡大して、五百円硬貨が下にすとんと落ちてきた。

「どうだね。できそうにないことでも、発想を変えるとできることがあるんだ。不可能とあきらめてしまってはいけない。地球上で南東北にそれぞれ100キロメートル移動してもとに戻る場所を探す問題も、その気になって頭を使えば、君にだって解けるよ」

「そうでしょうか。3日間も考えましたが、どうしてもダメでした。いまはもう、答えが知りたくてたまりません」

「南東北に100キロメートル移動してもとの地点に戻るためには、何が必要かということだよ。行程を3つに分解してみよう。

 �‘遒烹隠娃哀�ロ移動、A→B
 ��東に100キロ移動、B→C
 �K未烹隠娃哀�ロ移動、C→A

 さて、これを整理すれば、A→B→C→A、ということになる」

「ちょっと考えさせて下さい。そうすると、問題は�△裡蔵�Cにありそうですね。つまり、100キロメートル東に移動したときに、もとの位置に戻っていればよいわけだ。そのとき、A→B→B→Aになります」

「その通りだよ。そうすると答えはどうなるのかな」

「100メートル東に移動してもとに戻る場所は、たしかにありますね。それは一カ所ではなく、ある特定の緯度のところにできる円周上の点がすべてそうです。答えはそうした円周から北に100キロメートルの地点にある緯度にできる円周ですね」

「そうだね。ここでひとつ補足しておくと、東に100キロメートル移動してもとに戻る円周の長さは、なにも100キロメートルでなくてもよいということだ。その1/2の50キロメートルでもいい」

「2回転、3回転してもいいのですね。100キロメートルの1/3でも1/4でもいいわけだ。そうすると答えも地球上の等緯度に描かれた無数の円からできていることになります」

 役人は3日ぶりに問題が解決してほっとした。そして数学者の奥さんが運んできた紅茶をうまそうに飲みながら、「数理パズルも面白いですね。他にどんな問題をご存じですか」と訊いた。数学者はすでに次の出題を考えていたらしく、

「ここにある立体がある。上から眺めるとそれは○に見える。そして二つの側面から眺めると、それは△と□に見えるんだ。さて、その立体はどんな形をしているかな」

「円柱は○と□ですね。これに△が加わるわけですか」

 役人は数学者から紙と鉛筆を借りて、いろいろな立体を描いてみた。しかし、容易にその立体は見つからなかった。


2005年02月18日(金) 数学の不思議な世界

 ある数学者が、半径が100キロメートルの円形の土地を買ったという。課税局の役人がきて、「この土地の面積は、円周率をπとすると、10000π平方キロメートルですね」と言ったところ、数学者は「そんなことはない。もっと狭いはずだ」と異議を唱えた。

 課税局の役人は「円の面積=π×半径の二乗」という公式を使ったのだが、数学者は「私の土地にその公式を使ってはならない」という。役人がどうして公式が使えないの説明して欲しいというと、数学者は笑いながら、

「それでは、半径1万キロメートルの円の面積はいくらかな。君の公式では、1万π平方キロメートルということになるかな。これは正しいだろうか」

 役人はやっと気がついた。ちなみに、地球を一周4万キロの球だとすると、1万キロは北極点から赤道までの距離ということになる。つまり、北極点を中心とする半径1キロメートルの円のなかには、地球の北半球がすべて収まることになる。

 地球の半径=2万/π(キロメートル)
 地球の表面積=16万/π(平方キロメートル)
 半径1万キロメートルの円=8万/π(平方キロメートル)

 ここで、π=3.14とすると、この円の面積は約2.55万平方キロメートルということになり、最初の1万π平方キロメートル=3.14万平方キロメートルより、かなり狭い。これからわかるように、地上に描かれた円の面積は、数学の公式で与えられるものより小さくなる。

 役人が恐縮していると、数学者は「それでは、君にもう一つ問題を出してやろう」と言い出した。役人は「いえ、私は忙しいので・・・」と逃げ腰だったが、数学者は「これはとても簡単な問題だ」というので、挑戦することにした。

「この地球上のある点をAとしよう。その地点から南に100キロメートル行く。そこをB点とする。そしてそこから、さらに東に100キロメートル行く。そこをC点とする。そしてそこからさらに北に100キロメートル行く。そこをD点とする。このとき、A点とD点が同じ点になるのはどういうときか」

「つまり、南に100キロメートル行って、東に100キロメートル行って、北に100キロメートル行ったとき、もとに戻ればいいのですね。これは簡単だ。北極点でしょう」

 役人がほっとして席を立とうとしたとき、「君は人の話を最後まできかないといけないね。私は、北極点以外でと付け加えるつもりだったんだよ」

 さて、北極点以外に、そんな不思議な点があるのだろうか。役人は考えたがどうしても思い浮かばない。そこで、「簡単な問題だと言ったのはウソですね」と上目使いに睨みつけると、「簡単だよ。私にとってはね」と数学者は涼しい顔だった。

 数学者によると、彼自身はこの問題を10分で解いたが、一般的にはこの問題を1時間で解ければ、そうとうな知能指数の持ち主だと思ってもいいらしい。ちなみに、役人は2時間考えても、とうとう解けなかった。

 ヒントは、そうした点は南半球に存在するということ。そして、一つ見つかると、無数に存在することがわかる。答えは明日の日記に書こう。


2005年02月17日(木) 正直村はどっち?

 二股に別れた道の分岐点に男が一人立っている。二股に別れた先に、「正直者の住む村」と「嘘つきばかりが住む村」がある。

 この男に質問をしてどちらが正直者がすむ村か聞き出すわけだが、この男は外見からは正直者か嘘つきかわからない。質問は2回許される。男は質問に「はい」「いいえ」としか答えない。さて、どのような質問をすればよいか。

 教室でこの質問をしたが、なかなか答えが出なかった。そこで、「最初の質問で、その男が正直者か嘘つきか見分ければいいんだよ」とヒントを出す。ただし、「あなたは正直者ですか」と訊いても、両者とも「はい」としか答えないから無意味である。

「あなたは○○○ですか」と訊けばよいのだが、さて、○○○のなかに、何を入れるかである。ここまで、ヒントを出すと、「あなたは男ですか」と訊けばよいことに気付く生徒が出てきた。正直者なら「はい」と答えるし、嘘つきは「いいえ」と答えるだろう。

 正直者か嘘つきかを判定するための質問としては、他にもいろろ考えられる。「あなたは二本足で立っていますか」でもよいし、「私は両目を閉じていますか」でもよい。とにかく真偽の明らかな客観的事実を訊けばよいのだ。

 男が正直者か嘘つきかわかれば、あとは簡単だろう。たとえば、「正直村は右手ですか」と訊けばよい。右側が正直村だとすると、正直者は「はい」と答えるし、嘘つきは「いいえ」と答える。左側なら答えは逆になる。二つの質問を整理すれば、次のようになる。

 � 屬△覆燭話砲任垢�」
 �◆崟議沼爾榔�手ですか」

 さて、この質問をただ一つの質問に置き換えるにはどうしたらよいのだろう。これはとても難しい問題である。生徒だけでなく教員に出題しても、ほとんど正解は返ってこない。そこで、しばらくたってから、正解を教える。

「あなたは右手の村の出身ですか」

 このシンプルな一つの質問だけで、正直村がどちらかわかる。男が「はい」と答えれば、右手が正直村だし、「いいえ」と答えれば、左手が正直村ということになる。

「どうして?」と質問する生徒には、「自分で考えてごらん」と突き放す。自分の頭で考えて分かった生徒は、「ほんとだ、すごい」と感動の声を上げるだろう。教師の醍醐味は、彼等のこの目の輝きを見ることだ。


2005年02月16日(水) 数理クイズを楽しむ

 三年生の最後の授業で、時間つぶしに「数理クイズ」というのをやった。ふだん、あまり熱心でない生徒達が、こうしたクイズになると食いついてくる。生徒たちの方からもクイズを出してきて、私が立ち往生したりすることもある。

 なにはともあれ、みんなであれこれ考え、「できた!」「できない」とかわいわい言い合っている授業はたのしい。ほんとうは数学の授業もこうでなければならないのだろう。

 数理クイズを、私は「バスはどちらの方向に進むか」という問題から始める。黒板に描かれたバスには窓が左右対称にならんでいる。窓しか描かれていないところがポイントだが、たいていの生徒は「この問題は絶対に解けない」と思いこんでしまう。

 それでも、5,6分もすると、誰かが「あっ、わかった。入り口が見えないから、バスは右の方にしか動かないんだ」と正解を出す。「わあ、ほんとうだ」という声があちこちから上がる。これはどこかの有名幼稚園の入園問題である。解けてしまうと、何でもない常識問題である。

 次に出すのは「マッチ棒を動かす問題」である。マッチ棒を2本動かして、5個ある正方形の数をひとつ減らす問題だが、これがまた簡単なようでなかなかできない。しかし、これも10分もするとだれかが正解を出す。そして、どうしてそのシンプルさに驚く。

そこで、もう一題、同じ様な問題を出す。今度は田の字に並んだマッチ棒を3本動かして、正方形を4個から3個にする問題だ。このあと、時間を見て、「6本のマッチ棒で4個の正三角形をつくれ」「9本のマッチ棒で、3個の正方形をつくれ」などの問題を出す。シンプルで美しい問題なので、解けると感動する。
 
 とっておきは、「正直村はどちらか?」という論理クイズである。黒板に二股に別れた道を書き、その分岐点に男を一人立たせる。二股に別れた先に、「正直者の住む村」と「嘘つきばかりが住む村」がある。

 この男に質問をしてどちらが正直者がすむ村か聞き出すわけだが、この男は外見からは正直者か嘘つきかわからない。質問は2回許される。男は質問に「はい」「いいえ」としか答えない。さて、どのような質問をすればよいかという問題である。

 実は、私たちは2回も質問しなくてもよい。ただ1回の「とてもシンプルな質問」で、正直村がどちらにあるか明解にわかるのである。さて、どんな質問をしたらいいのだろう。答えは明日の日記に書くことにしよう。


2005年02月15日(火) インドの数学教育

 インドは数学教育に力を入れていることで有名である。そしてその成果が着々とあがっている。すでにコンピューターのプログラマーの数でも質でも世界一だと言われている。その実態については、以前この日記で紹介した。

 今日は数学教育について書いてみよう。インド人が数学に強い例として、いつもいわれるのが、99×99の二桁の九九を暗算しているということだ。これが事実かどうか、私は少しあやしいと思っている。たとえ事実だとしても、これはそれほど大騒ぎすることではない。

 むしろインドの数学教育のすぐれているところは、こうして頭ごなしに公式を暗記させるのではなく、それこそ徹底的にその公式の意味を理解させ、そしてこれを自在に使いこなすための計算練習も徹底的に行うことだろう。

 たとえば、四則演算では、×÷を+−の前に行うという規則がある。日本の教科書だと、2ページほど使ってこの規則を説明して、あとはこれを使った計算問題がほんの少しあるだけである。ところがインドの教科書は違っている。芳沢光雄さんの「子どもが算数・数学を好きになる秘訣」(日本評論社)から引いてみよう。

<インドの教科書の記述は根本的に違います。それは最初に、
   9−6÷3×2+1
 に関し、計算規則を無視するとどのようなことが起こるのかについて、三通りの方法で計算を行います。9−6を優先したり、2+1を優先したり、6÷3を優先したりする方法を紹介するのです>

 生徒はさまざまな試行錯誤をするなかで、自ずから計算規則の必要性を認識するわけだ。公式一つ覚えるにもこうした手間暇をかけているうえ、証明問題にも多くのスペースを使っているので、インドの数学の教科書は小学校から高校まで合わせるとみかんの段ボール箱一杯分にもなるという。

 インドの教育に詳しい作家の深田祐介さんも、「日本では単なる計算問題として扱われている問題でも、インドではいちいち証明問題のようにロジックの流れを言葉で明記しながら、解答をださなければ点数をもらえないのです」(最新東洋事情)と書いている。

 日本の場合、計算問題はあくまで計算問題である。公式を暗記し、あとはただこれを条件反射式に繰り返し練習するだけ。そして、途中のプロセスはどうでもよく、ただ答えがあっていればよしとするふうがある。

 私は学習の動機づけとして「必要性」と「好きになること」の二つを上げることにしている。この点について、芳沢光雄さんも「論理的な表現力こそが算数や数学を好きになる上で本質的なことです」と書いている。

 これからの時代に大切なのは論理的表現力である。ところが日本では、初等、高等教育をとわず、これが軽視されている。日本の数学教育はあまりに寒々としており、おそまつとしかいいようがない。その原因はどこにあるのだろうか。芳沢さんの言葉を引いておこう。

<日本には約700校の大学があり、そのうちの約60校に数学科があります。一方、アメリカには約2000校の大学があり、そのうち約1500校に数学科があります。したがって、その両者の比は1体25になります。

 アメリカに90年代後半にデリバティブで負け、21世紀前半に暗号理論でははるか先を越されている日本の本質は、その比にあることを政治家は気づいていません。もっとも、国会議員の数では、日本は700人強です。したがって、その両者の比は7対5になります。

 目覚ましい発展を遂げているシンガポールでは、閣僚の中に3人の数学科卒業生がいるそうですが、日本で閣僚の中に数学科卒業生が加わるの日はくるのでしょうか>

 日本は先進国では政治家の数が多く、そして異常に数学者の少ない国だ。どうしてこれほど数学軽視がまかりとおるのだろう。それは数学は大学入試くらいにしか役に立たないと多くの人々が考えているからだ。この誤解を解こうとしない日本の数学者にも大いに責任がある。


2005年02月14日(月) 人間の尊厳

 人間は「そういうふうにつくられている」だけではなく、「なぜ、そう作られているのか」を問うことができる存在である。私たちは死すべき存在だが、そのことを知っているし、なぜ死ななければならないのかも知っている。

<人間は一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である>(パスカル)

 こうしたことが人間に可能になったのは「言語」の恩恵である。私たちはさらに「文字」を発明することによって心を奥深いものにし、「考える」という能力を磨いて、「自由」の領域を拡大した。ガリレオは「天文対話」の中でこう書いている。

<あらゆる驚異的な発明をしのぐのは、場所や時間の隔たりがどれほどあっても、深い考えをどんな人にも伝えられる方法を見つけることを夢見た人間の心の雄大さでしょう。インドにいる人と話をすることや、まだ生まれていない、千年も万年もあとにならないと生まれてこない人に話しかけることを、しかも一枚の紙に20の文字をさまざまに組み合わせるだけでこれほどたやすくする方法を発明したことです>

 私は400年も前に書かれたこのガリレオの言葉を、日本のというイタリアから遠く離れた土地で読むことができる。そしてガリレオの言葉がどれほど深い真実であるかを実感する。

 人間が人間になったのは、「言語」を通してである。それはまた私たちに「精神」や「たましい」と呼ばれる「心の奥行きと広がり」をもたらした。これによって、わたしたちは世界がいかにあるかを知り、また自らの存在についても多くを知ることになった。

 ガリレオは言語や文字を人間が発明したものだと考えていた。しかし、当時の多くの人々はそうは考えていなかった。こうしたものはすべて神から与えられてものだと考えていたのである。そしてこのような考え方は、今もまだ神を信じる多くの人々によって支持されている。

 ローマ教会が「進化論」をたんなる仮説以上のものと認めたのは、20世紀も押し迫った1996年のことである。教皇ヨハネ・パウロ二世は「真理は真理と矛盾しえない」という声明のなかで、人間が猿から進化したことを暗に認めはしたが、しかし、それでも人間の霊魂は「神によって直接つくられた」という従来の主張は譲らなかった。

<人間の体が先在する生命体から生じるとしても、霊魂は神によって直接つくられるのです。したがって、進化理論を鼓舞する哲学にもとづいて、霊が生命体の力から生じる、あるいは生命体の単なる随伴現象であると考える進化の諸学説は、人間に関する真実とあいいいれないのです。それらは人間の尊厳に基盤をもたせることもできません>

 キリスト教は、人間の肉体は滅びても、霊魂は滅びないと考えている。これは肉体が滅びれば意識も失われると考える現代科学の一般的見解とちがっている。ローマ教会は20世紀に入って地動説を認め、進化論の一部を認めた。しかし、死後の霊魂の不在を認めることはできなかった。今後もこれを認めることはないだろう。なぜなら、これを認めることは、キリスト教の信仰を捨てることに等しいからだ。

 私は言語を創造し、文字を創造した人間の歴史に、おおいに威厳を感じる。ローマ教会が守りたいのは、「人間の尊厳」ではなく、彼等が信じる「神の尊厳」である。私たちが学校で教えるべきは「神の尊厳」だろうか。それとも「人間の尊厳」だろうか。


2005年02月13日(日) 雪山に想う

 昨日、木曽川の堤防を車で走っていたら、遠くの雪山がきれいに見えた。御嶽山や伊吹山など、荘厳で美しく、見ていてあきないものがある。「きれいだね」と助手席の妻にいうと、妻もうなずいていた。

 雪山讃歌という歌があるが、雪山に崇高な美を感じるのは、多くの人が共通感覚としてもっている感情だろう。こうした感情は、氷河時代を生き抜き、何万年にわたって様々な土地を旅してきた人類の歴史の中でつくられてきたものだ。

 雪山に対する感情だけではなく、人間の喜怒哀楽の感情はすべて、こうした進化の歴史の中で原型が作られてきた。私たちはこの原型の中で、各人の遺伝環境や人生の多様性に応じて様々に肉付けされた感情を体験することになる。

 感情だけではない。私たちはものを認識したり、思考するときも、およそその原型は生得のものとして与えられている。リンゴが赤く見えるのは、私たちの心にそれを赤と認識するシステムがあるからである。そして、このシステムの基本部分は先天的なものであり、全人類に共有されている。

 私たち人間は目が二つあり、口がひとつ、そして指が10本あるが、それはまさに私たちの体が「そのようにできている」からだ。これと同様のことが、私たちの思考や感情というメンタルな分野でも成り立っている。

 しかし、私たちはなにも受け身に生きているわけではない。私たちはその進化の過程で、「言語」を発明し、これを用いて、さらに感情や思考を高度化することに成功した。「言語」によって高度化された思考や感情のシステムは、私たちにものごとを自己流に考えたり感じたりする「自由」を与えてくれる。

 そして私たちはこの「自由」によって、私たちを「そのようにさせている」システムそのものの存在に気づく。私たちは「どういうふうにできているか」を理解するだけではなく、「なぜ、そういうふうにできているのか」を問うことさえもできる。

 科学技術が発展するにしたがい、人間は生得的である遺伝子さえも作り替える自由を手にした。私たちの「自由」はこのようにして、進化の歴史の中で確実に拡大してきた。しかし、こうして獲得された「自由」が、私たちを本当に幸せにしているか疑問である。

 人間はこれまで長い間、原始的な感覚や原始的な思考の中で生きてきた。そしてそうした感覚や思考を自然と感じ、そのなかで強力な快感を味わうようにできていた。そうしたプリミティブな体系が、私たちが発展させてきた文明の中でいま次第に失われようとしている。

 雪山を見ていて、私と妻が感じた感情はそうしたプリミティブな感情だった。しかし、こうした感情がいつまで人間を支配し続けるかわからない。これにかわって人間が「自由」の名の下に発展させようとしているものがどんなものになるか、私は残り少ない人生のなかで、注意深く見届けたいと思っている。

 よもぎつむ人は知らずや山白し  裕


2005年02月12日(土) なぜ人が殺せるのか

 「なぜ、人を殺してはいけないのか」という質問に対する私の答えは、「人を殺していけないのではなく、人間は本性上、人を殺すことができない存在だ」ということだった。それでは、なぜ、人が人が殺せるのか。その理由は、人間性を破壊する殺人教育がなされているからである。

 アメリカ軍で四半世紀近く「いかにして人が人を殺せるか」を研究してきた心理学者デ−ヴ・グロスマンも、「人殺しの心理学」(安原和見訳 原書房 1998)で、「殺すには訓練が必要である」と書いている。

 グロスマンは、自分と同種の者を殺す事に対して本来備わった嫌悪が存在するという。人間はこの生まれながらの暴力免疫システムを持ち合わせていて、これを持っていないのは、社会病質人格者だけだ。

 戦場においても、人は人間を殺すにはためらいがある。たとえば、ゲティスバーグの戦いで死んだ兵士の2700丁の銃を調べてみると、90パーセントは弾を込められた状態で、発砲してなかった。このように発砲率が低いのは、たとえ自分の命が奪われても、自分が人を殺すことには抵抗があったせいだと推測される。

 第2次大戦中でさえ、アメリカ軍の発砲率はとても低く、ライフルを持たされた兵士のたった15〜20%の者しか敵兵を撃つことがなかった。これでは困るということで、グロスマンたちはいかにアメリカ軍の発砲率を上げるか、つまり人が殺せるようになるかを研究した。

 その際に理論的拠り所としたのはスキナーのオペラント条件付けの理論だ。つまり、ラットなどの動物に刺激を与えて条件付けをする方法で、感覚や理性を麻痺させて殺人に対する抵抗を奪った。

 それからもう一つ、彼が参考にしたのが旧日本軍の教育法である。グロスマンは、日本人はオペラント条件付けの名人だと書いている。

<第二次世界大戦の初期、中国人捕虜は後ろ手に縛られて、溝の中に跪かされた。選ばれた日本人の兵士は溝のところまで行くと、捕虜たちを銃剣で突き殺した。土手の上には数えきれない兵士がいて、荒々しく声援を送るのであった。実際に殺人に関わったのは少人数でも、他の者に見せ、声を出させる事により、人を殺す事、人の苦しみを楽しみと結びつけるように古典的に条件付けることができたのである。この後ですぐに兵士たちは酒、何か月振りかのごちそう、慰安婦が与えられたのである。その結果兵士たちは暴力行為と楽しみを結びつける。知らないうちに、人を殺す事を好きにさせるメカニズムなのである>

 グロスマンたちの研究成果があがり、朝鮮戦争では55%の兵士が殺すために発砲するようになり、ベトナム戦争の頃までには90%以上までになった。

 しかし、この訓練には人間性を破壊するという恐ろしい副作用がある。こうした訓練は、それまで持っていた道徳観や規範を打ち壊し、暴力に対して無感覚になり、破壊を好み、暴力と死が生きる道となるような価値観を植え付けることになる。

 さらにグロスマンは、現在文明社会の子供たちが置かれている状況が、この軍隊での殺人教育と似ている点に警告を発している。子供たちは暴力的な映像や音楽やゲームの中で生活を余儀なくされており、これがまさに殺人のオペラント条件付けになっている。だから、自然の状態では殺人など出来ないはずの子供たちが、平気で人を殺す。これはとても恐ろしいことだ。

 元パラマウント映画プロデューサーでエミー賞を受賞しているテッド・ベア博士は、「マス・メディアの悪影響から子供を守る」の中で、グロスマンたちの研究を紹介しながら、次のように書いている。

<誰かが銃で撃たれたり、刃物で刺されたり、レイプされたり、残忍な仕打ちを受けたり、殺害されたりするのを幼い子供たちがテレビで見るのは彼らにとって、あたかも実際に起こったことなのである。

 4、5歳位の子供に映画「スプラッター」を見せると、最初の90分は登場人物について理解しようとする。後の30分はその新しい友人が追いかけられ、野蛮に殺されるのをどうしようもなく見ていることになる。

 これはモラル、心理学的に、子供に友だちを紹介してあげ、遊ばせてあげた後で子供の目の前でその友だちを虐殺してしまうのと同じ事なのである。このような事が我々の子供たちに対して何度も行なわれているのだ>

<我々の子供たちは、生々しい人が苦しんでいる映像を見て、それをお気に入りのソフトドリンクヤお菓子、あるいはガールフレンドの香水と結びつけているのである。ジョーンズボロの発砲事件の後で、一人の高校教師がその中学校の事件を生徒たちに話した時の反応について述べている。「皆笑っていたんです。」と。

 似たような反応は、映画館の中で血なまぐさい暴力を見た後、いつでも起きているのだ。若者たちは笑い、喝采し、ポップコーンを食べ続ける。我々は暴力を楽しみと結びつける野蛮人という世代を育て上げてしまった。彼らは、クリスチャンがコロシアムで虐殺された時、拍手喝采して何か食べながら見ていたローマ人たちと何ら変わりはしない>

http://www.cheajapan.com/magazine/hpyohkawa/4-ted.htm

『「人殺し」の心理学』 
 デ−ヴ・グロスマン 安原和見訳 原書房 1998 

第一部 殺人と抵抗感の存在【セックスを学ぶ童貞の世界】

第1章 闘争または逃避、威嚇または降伏
第2章 歴史に見る非発砲者
第3章 なぜ兵士は敵を殺せないのか
第4章 抵抗の本質と根源

第二部 殺人と戦闘の心的外傷【精神的戦闘犠牲考に見る殺人の影響】

第5章 精神的戦闘犠牲者の本質−戦争の心理的代価
第6章 恐怖の支配
第7章 疲弊の重圧
第8章 罪悪感と嫌悪感の泥沼
第9章 憎悪の風
第10章 忍耐力の井戸
第11章 殺人の重圧
第12章 盲人と象

第三部 殺人と物理的距離【遠くからは友だちに見えない】

第13章 距離−質的に異なる死
第14章 最大距離および長距離からの殺人−後悔も自責も感じずにすむ
第15章 中距離・手榴弾距離の殺人−「自分がやったかどうかわからない」
第16章 近距離での殺人−「こいつを殺すのはおれなんだ。おれがこの手で殺すん
だ」
第17章 刺殺距離での殺人−「ごく私的な残忍性」
第18章 格闘距離での殺人
第19章 性的距離での殺人−「原初の攻撃性、解放、オルガスムの放出」

第四部 殺人の解剖学【全要因の考察】

第20章 権威者の要求−ミルグラムと軍隊
第21章 集団免責−「ひとりでは殺せないが、集団なら殺せる」
第22章 心理的距離−「おれにとってやつらは畜生以下だった」
第23章 犠牲者の条件−適切性と利益
第24章 殺人者の攻撃的素因−復讐、条件づけ、2パ−セントの殺人嗜好者
第25章 すべての要因を盛り込む−死の方程式

第五部 殺人と残虐行為【ここに栄光はない。徳もない】

第26章 残虐行為のスペクトル
第27章 残虐行為の闇の力
第28章 残虐行為の罠
第29章 残虐行為のケ−ススタディ
第30章 最大の罠−汝の行いとともに生きよ

第六部 殺人の反応段階【殺人をどう感じるか】

第31章 殺人の反応段階
第32章 モデルの応用−殺人後の自殺、落選、狂気の確信

第七部 ベトナムでの殺人【アメリカは兵士たちになにをしたのか】

第33章 ベトナムでの脱感作と条件づけ−殺人への抵抗感の克服
第34章 アメリカは兵士になにをしたのか
      殺人の合理化−なぜベトナムでうまく働かなかったのか
第35章 心的外傷後ストレス障害とベトナムにおける殺人の代償
第36章 忍耐力の限界とベトナムの教訓

第八部 アメリカでの殺人【アメリカは子供たちになにをしているのか】

第37章 暴力のウイルス
第38章 映画に見る脱感作とパブロフの犬
第39章 B・F・スキナ−のラットとゲ−ムセンタ−でのオペラント条件づけ
第40章 メディアにおける社会的学習と役割モデル
第41章 アメリカの再感作


2005年02月11日(金) 衆生所遊楽

 少し前、「なぜ、人を殺してはいけないのか」ということがよく話題になり、そうした題名の本が出版されたりした。私も日記で何度かこの話題を取り上げた。そして私が得た結論は、「人を殺していけないのではなく、人間は本性上、人を殺すことができない存在だ」ということだった。

<先日、友人とビールを飲んだとき、彼にも助力を仰いで、二人で考えてみることにしました。そして、二人の結論は、「人間は人を殺していけない」のではなく、そもそも「人間は人を殺すことが出来ない」ということでした。

 もちろん人間も必要に追い込まれれば、人を殺すことがあります。たとえば私も強盗に刃物で命をねらわれたら、その刃物を奪って、場合によっては彼を殺すかも知れません。あるいは戦士として戦場にかり出されれば、やむをえず殺すこともあるでしょう。

 しかしそうした特殊な場合を除けば、人を殺そうとはしないし、人を殺すことなど、どうしてもできそうもないのです。そしてそれが人間というものではないでしょうか。もし、何の理由もなく平然と人が殺せるのならば、彼はもはや人間ではなく、人間の形をした、全く別の何者かということになります>(「人生Q&A」より)

 高校生の頃、「人は何が正しいのかどうして認識できるのか」という問題について考え、ややノイローゼ気味になったことがある。そのとき、カントの「実践理性批判」の次の言葉に出会って、とても安心したものだった。

「二つのものが、それについてたえず頻繁に考えれば考えるほど、ますます新たに称賛と畏怖の念をもって心を満たす。星の輝く天空と、内なる道徳律である」

 人間が真実を認識できるのも、容易に悪を行えないのも、わたしたちが「そういうふうにできている」からである。それでは、なぜ、そういうふうにできているのか。それは、生物の長い進化の過程で、そういうふうにつくられてきたからである。

「進化」というと、「適者生存」だとか「弱肉強食」だとか、「競争」の側面が強調されがちだが、これは現象論に過ぎない。進化がなしとげたのは、「競争体制」を創り上げることではなく、「協調体制」を創り上げることである。

 これは生物の進化のみならず、人間社会の進化にもあてはまる。社会ダーウィニズムは生物世界を生存競争としてとらえ、これを私たちの人間社会にまで適用したが、私は生物社会を協調関係としてとらえ、人間社会もまた協調関係を発展させる方向に発展してきたと捉えるわけだ。

 人生とは戦いの場ではない。それは人々が協調しあい、束の間恵まれたこの貴重な生を楽しむ場所である。こう考えて、こう信じることができれば、心がとてもおだやかになる。私は多くの人がこうした認識に到達し、おきな安心を得て、人生から多くの喜びを引き出してほしいと思っている。そのときこそ、法華経に説かれた「衆生所遊楽」の美しい世界が身近になることだろう。


2005年02月10日(木) そういうふうにできている

 私の高校では毎朝10分間、早朝読書を実施している。私もこの時間を利用して、この1年間で何冊か読んだ。その中に、出産体験をリアルに描いた、さくらももこさんの「そういうふうにできている」(新潮文庫)がある。

<もう、仕事も遊びもTVも音楽も、何もかも嫌になった。こんなことは生まれて初めてであった。自分の存在すらも嫌でたまらなくなってしまったのだ。居ても立ってもいられない。寝ころんでみても、寝ころんでいる自分をどこかに捨ててしまいたい衝動に駆られ・・・>

<今、自分の存在すらわずらわしくてたまらず、できれば消滅してほしいとさえ思っているのに、ここにこうして居る自分とは一体何なのであろうか。自分では漫画や文章を書いたりしているが、その仕事とは何であろうか。なぜ私は、自分のくだらない考えをいちいち公に垂れ流しているのだろうか>

<オナラが出るのも鼻水が出るのも、ウイルスが体内に入れば熱が出るのも、全部機械のシステムだとしよう。となると、この機械のシステムがホルモンという物質を造って体内に循環させるのも、ヒトの体という機械のシステムがそういうふうにできているからなのである。

 鬱状態の間に、そんなことを考えていた。世の中のあらゆる現象が「なるほどね、そんな仕組みだったのか」と納得がゆくようにできているのだ。フラミンゴが一本足で立っているのも、ナマケモノが木の上でだらだらと怠けているのも、人にとっては無意味な行動に見えるが各々の生命システムによれば必然なのであろう>

 彼女は出産にともなう悪阻、便秘、そして憂鬱な気分など、ありとあらゆる椿事や肉体的精神的苦痛に耐えなければならなかった。この世に一つの命を送り出すということが、どれほど大変で、また疎かにできない人生の一大事であるかを、ユーモアとペーソスを交えて書いている。私はこの本を毎朝10分ずつ、3ケ月ほどかけて読んだあと、クラスの生徒にこう言った。

「この本はとても面白くて、ためになるよ。出産のお話なんだけどね、先生も知らないことがたくさん書いてあった。でも、これはとても大切なことだな。女の子だけではなく、男の子にも絶対に読んで欲しい一冊だね」

 この本を読みながら、私の脳裏に、もう20年以上も前の淋しくて辛い思い出が甦った。その中心にあるのは、新婚当時の不機嫌でだまりこくっていた妻の顔だ。私はちょっとたじろいだが、やがて、その若い妻の顔が、少し違った風貌で見えてきた。

 妻が妊娠したとき、私は妻に対して冷淡だった。妻の不機嫌や厭世的な言動を、私への不満やあてこすりだと思っていた。そして私自身不機嫌になり、当時の日記に妻の悪口を書いた。妻のことを「悪魔」とさえ書いたことがある。

 その日記は2年前に焼却処分をしたが、一部はデジタル化してHPに残してある。そのあとがきにも書いたことだが、この時期は私たちに夫婦にとってたいへんつらい試練の時だった。私は妻との離婚を考えて、実際離婚届を妻に渡し、腹の中の子どもを堕胎するように迫った。

 応じようとしない妻を、私は裁判所に訴えた。実際、私は何度か裁判所で妻と顔を合わせている。そして妻に長文の手紙を送り、すみやかに離婚するように迫った。これに対して、妻は始終無言だった。ただ相変わらず不機嫌に押し黙っているだけだった。その様子が、私にはふてぶてしくてならなかった。

 さくらももこさんの本を読んでいて、新たに思い出した過去のシーンがある。裁判所の帰り、私は地下鉄の駅へ歩きながら、前を歩いていく妻に気付いた。ゆっくりしたおぼつかない足取りだった。

 妻との距離が接近してきたが、私は妻と肩を並べたくなかった。そこで、後をゆくくり歩いた。妻は私の存在に気付かないまま、大儀そうに地下鉄の階段を下り、電車に乗った。妻とは別の車両の座席に腰を下ろした。私はこのときも、離婚を拒否する妻に同情よりも不満を感じていた。

 しかし、妻はこのようにして胎内の子どもを守ったのである。そして私の要求を拒絶したまま出産した。その長女が大学生になり、この春卒業をむかえる。いま、冷静に振り返ってみて、理不尽だったのはどちらだったのだろう。「悪魔」は妻ではなく、私自身だったのかも知れない。

 私は沢山の本を読み、その中には古今東西の名作もあった。哲学や科学の難解な本もあった。しかし、私はそのころもっと大切なことを知らなかった。それは女性がどんな思いをして子どもを身ごり、この世に送り出し、そして育てあげるかということだ。その知識がないと、ときにはとんでもない悲劇がおこる。

 長女が生まれて、1年もした春の日、妻が長女を連れて、私のアパートにやってきた。多くを忘れている私だが、この日のことはよく覚えている。さいわいに、初対面の長女を見た父親の感想が、1983年の日記に残されている。

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4月8日(金)
 妻がアパートへ娘を連れてやってきた。やがて一歳になる長女はなかなかかわいい。

 近所でタンポポを採取して、鉢に入れた。タンポポには在来種と外来種の二種類あることを知った。これを高校に持っていくつもりだ。4月から勤務先が変わった。名古屋市の夜間高校で理科を教えることになった。タンポポはその教材である。

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http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/mukasi82.htm


2005年02月09日(水) 人間の本性

 数日前から、「人間の本性を考える」(スティーブン・ピンカー著、NHKブックス)という本を読んでいる。副題に、「心は空白の石版か」とある。そしてこんな紹介文が裏表紙に書いてある。

<豊かな人間本性の発見が、平等、進歩、責任、人生の目的を損なうどころか、むしろ向上させることを明らかにし、心を「空白の石版」とみなす相対主義思考が、普遍的な人間性や生得の特性を否定することで、硬直した人間観、社会観につながることを明解にとく>

 上、中、下と3巻に別れていて、読むのはそう容易ではないのだが、半分ほど読んだ印象ではそれほど「明解」に書かれているとは思えない。かなり内容が錯綜しているからである。それでも著者の意図がどこにあるのか、たとえば次のような文章を読むと何となくわかりそうである。

<平等の名のもとにおこなわれている不平等な扱いには、さまざまなものがある。その一部、たとえば金持ちからしぼりとる税金、高い固定資産税、学業成績ではなく年齢によるクラス分け、特定の人種や地域に有利な割り当てや優先枠、私費医療やその他の自主取引の禁止などは、擁護する人もいれば非難する人もいる>

 著者は「擁護する人もいれば非難する人もいる」と中立を装いながら、実際は「平等の名のもとにおこなわれている不平等な扱い」に不満を持っているらしいことは想像がつく。そして、こうした「不平等」が生まれてくる根本に「空白の石版」の相対主義思考があるというわけだ。著者はまた、こうも書いている。

<もし人間がブランク・スレートで、社会の差別がすべて取り除かれていたら、もっと貧しい人は、自分のもっている標準的な才能をあまり活かさない道を自分でえらんだにちがいないから貧しくてもしかたがない、と言われるだろう。

 しかし、才能に個人差があるなら、偏見のない社会でせいいっぱい努力をしても貧しいという場合もありうる。それは不正義だから修正されるべきだとロールズ派の人は言うだろうが、それは能力に個人差があるという認識がなければ、見過ごされてしまうだろう>

 著者の意見や思考に不満や疑問を覚えながらも、それでも読んでいて啓発されるところがいろいろとあり、最後までしっかり読んでみようと思う。私はロックのいう「空白の石版」の相対的思考を高く評価しているが、ピンカーが主張するように、これが行きすぎると、パブロフやスキナーのような「人間の本性を否定する」理論が出てくるからだ。

 これまで読んだところで、私がこれはと思ったのは、「人種差と個体差」についてのピンカーの指摘である。人種による遺伝子の差異と、おなじ人種の人たちのあいだの遺伝子の差異を比べてみたとき、多くの人たちは人種による差異が断然大きいと思っているが、これはまったく間違った先入観だという。

 たとえば、アフリカの黒人と日本人の私の遺伝子はもちろん差異がある。そしてこの差異が肌の色や髪の毛や外貌に歴然と現れている。この差異に比べれば、同じ日本人である私と私の友人のA君の差異などはるかに小さいように思える。

 ところが、遺伝子のレベルで見ると、そうではないのだという。実のところ、人種間による遺伝子の差異はそれほどではなくて、むしろ個体差による違いの方が大きい。遺伝的に私に近いのは、隣りのA君ではなく、地球の裏側に棲んでいる黒人のB君である可能性があるわけだ。

 これは意外なことだが、少し冷静に考えてみれば理解できることである。たとえば、遺伝性の白血病を患っている人は世界中にいる。これは国境や人種を超えて白血病の遺伝子を共有しているからだ。この遺伝子に関しては、隣のA君よりも、地球の裏側のB君のほうが遺伝的に近いことがありうるわけだ。

 そしてこうしたことは、多くの遺伝子で起こっていることである。皮膚の色や体形の違いは、比較的最近人類がそれぞれ棲んでいる気候風土に適応した結果で、それは外見的に目立っているが、遺伝子の差異という点では微小な変化でしかない。つまり、歴史的に言うと、「個体的差異」が先にあって、そのあと地域への適応化による「種族的差異」が、その上側に包装かメッキをするようにして生じたわけだ。

 このように、遺伝子レベルでものごとを捉えると、意外なことが見えてくる。私たちが人種とか民族とか呼んでいるものは、「血縁」というものを中心にしている。しかし遺伝子的に見ると、私たちの同胞は何も狭い血族のなかにいるわけではなく、世界中にグローバルに分布していることがわかる。

 ピンカーのこの指摘はとても啓蒙的である。人種による差異よりも個体差の方が大きいという生物学的な事実を知っただけでも、この本を読んだ価値はある。こうした生物学的事実を直視することで、私たちの心はさらに自由で偏見のない世界へと導かれることだろう。

 多くの人は、とくに進歩的と自らを見なしている人は、遺伝子を基盤とする生物学的事実に対して、ある種の疎ましさと警戒心をもっている。しかし、生物学的事実は何も保守派を元気づけるだけではない。それはむしろ進歩的な思想をさらに客観的なものにするために必要なものである。実のところ、ピンカーのこの本に私が期待しているのは、このような良質で公正な知見である。


2005年02月08日(火) 無常のたのしみ

 吉田兼好の「徒然草」が好きで、手の届くところに置いて、ときどき読み返している。まさに、「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」(13段)という思いがする。

「しづかに思へば、よろずに過ぎしかたの恋しさのみぞせんかたなき」(29段)という文章を読んでいると、むかしの出来事や別れた人のことが自然に思い出され、懐かしい追憶にしばらく心をゆだねたりする。

 私にとって「徒然草」はまさに「お経」のようなもので、これを読むと心が慰められ、そして何か広々とした懐かしい世界に誘われるようである。そこで私の精神はくつろぎ、安らぎを覚える。いくつか文章を引いてみよう。

<世はさだめなきこそ、いみじけれ>(7段)

<名利につかはれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ>(38段)

<まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん>(38段)

<世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、おほくは皆虚言なり>(73段)

<つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ>(75段)

<偽りても賢を学ばんを、賢といふべし>(85段)

<一日の命、萬金よりも重し>(93段)

<人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや>(93段)

<病を受くる事も、多くは心より受く>(129段)

<人に勝らんことを思はば、ただ学問して、その智を勝らんと思ふべし>(130段)

<我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず。されば、己を知るを、物知れる人といふべし>(134段)

<花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは>(137段)

<萬の事も、始め終わりこそおかしけれ>(137段)

<若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり>(137段)

<身死して財残る事は、智者のせざる処なり>(140段)

<子故にこそ、萬のあはれは思ひ知らるれ>(142段)

<老いて智の若きにまされる事、若くして、かたち老いにまされるが如し>(172段)

<一事を必ずなさんと思はば他の事の破るるをもいたむべからず>(188段)

<匂いも、ものの音も、ただ夜ぞ、ひときはめでたき>(191段)

<身をも人をも頼まざれば、是なるときはよろこび、非なるときはうらみず>(211段)

<大欲は無欲に似たり>(217段)

<虚空よく物を容る>(234段)

 こうした滋味のあふれる上質な文章を読んでいると、自分のこころも自然とやわらかくなり、ゆったりと広がっていくようである。あるいは、美酒にほどよく酔ったような上機嫌な気分になる。まさに「お経」の功徳というものであろう。

 私は「徒然草」を貫いている思想は「世はさだめなきこそ、いみじけれ」(7段)の一言に要約できると思っている。単なる「諸行無常」ではない。「色即是空」ではない。むしろそこから「空即是色」へと立ち上がっている。

<私は大地はたえずさまざまな変遷や変化や生成などがあるからこそ、高貴でありみごとだと考えています。(略)

 不滅性や不変性といったものを称揚する人たちは、かみ砕いて言うなら、いつまでも生きつづけたいという願望や、いつかは死ぬという恐怖のためにそう言っているのだと思います>

 これはガリレオが「天文対話」のなかで語っている言葉である。吉田兼好とガリレオ、私の尊敬する東西の智者が、人生についてほとんど同じことを語っている。


2005年02月07日(月) 私の文章読本

 司馬遼太郎は良質の国家主義者だと書いたが、その良質さは、文章の良質さでもある。以前に図書館で借りた本で、本の題名も著者の名前も忘れたが、司馬遼太郎の文章について、「お経のようだ」と書いてあった。

 これには少し驚いた。お経のようなものと、司馬さんの知性のあふれる文章を一緒にしてもらっては困ると思ったが、読み進めるうちに納得した。著者は大学の先生で海外滞在経験も長いが、精神の安定を得るために、司馬さんの文章を読むことを毎朝の日課にしていたという。

 司馬さんの文章は政治、経済、文化、歴史、地理、文学、哲学とその視野はとてつもなく広く、しかもそのどれもが一級品で、洞察に富んでいて、内容が深い。しかもそこには滋養分がたっぷりと含まれていて、読んでいるうちに心が明るくなり、絶望は癒され、人生に勇気づけられ、活力が涌いてくる。

 司馬さんは難しいことをやさしく、そして興味深く、味わい深く書いている。それでいて、少しも曖昧なところがない。これは司馬さん自身がしっかりものごとの本質を考え抜いて書いているからだろう。

 谷崎潤一郎が「悪文」のひとつに、翻訳体の文章を上げているが、そうした文章が悪文なのは、翻訳者が内容をしっかり把握しないまま書いているからだ。その点、物事の奥の奥まで考え抜かれた司馬さんの文章は濁りがなくてどこまでも明晰である。

 司馬さんの文章は名文といっていいだろう。それでは悪文とは何か。これについては、谷崎潤一郎の次のように書いている。

<私はよく、中央公論や改造等の一流雑誌に経済学者の論文などが載っているのを見かけますが、あゝ云うものを読んで理解する読者が何人いるであろうかと、いつも疑問に打たれます。それもそのはず、彼等の文章は読者に外国語の素養のあることを前提として書かれたものでありまして、体裁は日本文でありますけれども、実は外国文の化け物であります。そうして化け物であるだけに、分らなさ加減は外国文以上でありまして、あゝ云うのこそ悪文の標本と云うべきであります>(「文章読本」中公文庫)

 もちろん、司馬遼太郎のタイプの文章だけが名文というわけではない。三島由紀夫は「文章読本」で、名文のサンプルとしてまったく性質の違う森鴎外と泉鏡花の小説を取り上げ、自分ででっちあげた悪文を紹介してから、名文の名文である所以を次のように力説している。

<先ほど私が作ったような悪文の悪さは、作家がそこまで自分の感覚を誠実につきつめないで、読者に対する阿りやいいかげんなリアリズムやいいかげんな創造力や、世間へほどほどのところで妥協した精神の上に書かれているので、醜悪な文章になるのであります。作家の個性が鏡花のように最高度に発揮されれば、それはそれなりに文章の亀鑑となるのであります>

 ところで、三島由紀夫はこの少し前に、「さまざまな文章」のサンプルとして、石原慎太郎の小説「亀裂」から次の一節を引いている。

<陶酔の、その行為の瞬間に彼が感じる真実が、結局はその一瞬のものでしか有り得ぬと言うことへの焦燥を、同じその行為の内で消し去ることを彼は無意識の上に願ってもいた。そして彼は突然手に入れた涼子と言う女の体を通じて、ふと、何故かふとそれが出来得ると言う予感に襲われるのだ>

 私にはどうみてもこれは通俗的でありきたりの手垢のついたことを、勿体ぶって難解に書いた悪文の見本だとしか思えない。三島由紀夫は石原の文章について次のように書いている。

<ここでは、日本語はいったん完全に解体されて、語順も文法もばらばらにされて、不思議なグロテスクな組み合わせによって、異常な効果を出しています。しかし石原氏にとって損なことは、その文章が横光利一氏のように、故意の翻訳体の形において人の感覚に刺激を与え、それからめざめさせるという効用を、現在はほとんど持っていないことであります>

 これはどうみても、誉め言葉だとは思えない。その上、文章の明晰さと美しさを強調した「文章読本」の文章らしくもなく、三島の解説文自身があまり明晰ではない。名文家の三島にしては珍しく、「ほどほどのところで妥協した精神の上に書かれている」としか思えないのである。

 北杜夫はある小説について、三島由紀夫から電話でこっぴどく叱られた体験を書いていた。三島はそのとき、「これを発表しようと思ったが、ここで君に言ったので発表はしない」と語った。北杜夫は三島のこの気持をとても有り難い友情だと感じたと書いている。

 三島は石原慎太郎にもアドバイスをし、ときには苦情を言ったのではないか。この点、石原が三島をどう思っていたか。北杜夫と違って、素直に受け入れたとは思えない。三島の「文章読本」に自分の文章とその解説を発見して、あまりよい気分がしなかったはずだ。

 石原慎太郎は三島の死後、三島との交遊についていろいろと書いている。私はまだ読んでいないが、「三島由紀夫の日食」には、三島と慎太郎の最後の交流となった料亭の部屋で三島が居合い抜きを見せる場面が書かれているという。

 三島のへっぴり腰に、慎太郎が笑いをこらえていると、突然、真剣が裂帛の気合いで慎太郎の頭上めがけて振り下ろされた。

<『氏としては私の頭上で刀を止めて脅すつもりだったのだろう。しかし間尺を誤った刀は私の頭上の鴨居に音を立てて切りつけ 刃が食い込んだ。
「あっ」、と小さく叫んで、真っ直ぐ引けばよかったが、焦って捻ったために、ばりんと音を立てて刀の刃が大きく割れてこぼれた。(中略)

「この部屋は居合いには狭かったな」
私は可笑しくなって、
「それは変だな、居合というのはもともと狭い部屋でやるもんでしょうが。これが本当の勝負だったら、あなたが鴨居を切っている間に僕は貴方の腹をかっ割いていましたよ」

いったら顔色が変わり、
「君は またよそへ行ってこのことを喋るんだろう」
「いや態々話はしませんが、間尺を間違ったら居合も命取りになりますね」
いったら黙ったままだった>

 石原慎太郎のこの文章は三島が引用した「文章読本」の文章よりはるかに明晰である。しかし、名文だとはいえない。それは名文のもう一つの、しかも決定的な条件が抜け落ちているからだ。それは品格である。


2005年02月06日(日) 「白い石板」の恐怖

人間の心が「白い石板」だとすると、私たちはそこに自由に書き込みをすることができる。しかし、この自由は諸刃の剣になるということを書いた。今日はこの話題について、もう少し補足しておこう。

 ロシアのパブロフは、犬に餌を与えながらベルを聞かせると、学習によりベルを聞くだけで唾液がでるようになることに気付いた。そして、人間も又こうした条件付けによって、その習性や行動をかえることができると考えた。

 アメリカでも同様な実験が行われている。スキナー(1904〜1990)はレバーを押すと餌が出る装置を使ってラットやハトに新たな行動を学習させた。そして人間の行動も条件付けによってより高度に組織できると考えた。つまり、人間の行動はその結果に支配される。罰や報酬といった外的な要因を用いることで、人間は如何に生きるのがよいかを学習するわけだ。

 こうした考え方の基本にあるのは、動物の行動でさえ変えられるのだから、人間の心はもっと自由に操作できるという思想である。これがロックの「白い石板」を源流とする「自由主義教育理論」のひとつの帰結だった。

 もちろんここで問題になる「自由」は「思想信条の自由」ではなく、「人間をどんな存在にでも創り上げる自由」である。スキナーのプログラム学習の理論は大変効率的で、これを用いれば短期間にかなり優秀な人間をつくり出すことができる。

 現に、私が勤務した三河の県立高校の校長は、職員会議でよく「スキナー」を話題にした。「スキナーを読みなさい。そこにみんな書いてある」というのが口癖だった。スキナーは「強化の随伴性」という著書でたとえば次のように書いている。

<私は生理学的なアプローチを否定しない。やがて生理学が進めば、心理学的なプロセスは生理学的な事象によって説明可能になるだろう。しかし、その事象の根本的な仕組みが脳ではなく、有機体と環境の相互作用にある以上、そうした生理学的なプロセス・事象の仕組みは結局、行動分析的な意味・心理学的な意味で説明されているだけだろう>

 たしかに当時私の勤務したこの学校では、実践と実験がすべてだというプラグマチックな行動主義心理学(スキナー理論)にしたがって、短期間に規律によく従い入試にも強い生徒を大量に生産することに成功している。

 スキナーの刺激-反応という図式によるプログラム学習の理論は、その手順が明解で、強力である。一概に否定すべきものではなく、これはこれでかなり有用である。しかしその有用さが、親や教師が自分に都合の良い人間をつくり出すのに用いられると問題である。

 さらに問題なのは、これが受験戦争や出世競争に勝ち抜くためばかりではなく、権力が自分に都合のよい人間を大量生産するときに用いられるときだ。なぜならスキナー理論は「有用さ」を追求するが、それが「誰にとって有用であるか」を問わないからだ。

 スキナー型教育装置が創りだした人間の将来がどういうものか、その実例を私たちはアメリカや日本に多く見かけるようになった。スキナーの理論で人間を優秀なロボットにすることはできるかもしれないが、人間をほんとうに幸福にすることができるだろうか。こうした実験に教育者として荷担し、いまも恐らく荷担しつつある者として、いささか不安である。
 


2005年02月05日(土) 「白い石板」を生んだ生命

国家主義にも良質のものと悪質のものがあると書いたが、私は「進化論」にも良質のものと悪質のものがあると思っている。進化論は人類を含めすべての生物は長い時間の中でさまざまに変異し、そのなかで環境に適応したものが生き残ることで、今日みられる姿になって生存していると説いている。

 ダーウィン(1809〜1882)の「自然選択・適者生存」の進化論を、私はおおむね正しいと考えている。こうした進化論が学校で教えられることに何の異存もないし、むしろ進んで教えられるべきだと思っている。つまり、私が言うところの良質の進化論である。

 これにたいして、私が悪質の進化論だと考えるのはどのようなものか。それは<人類を含めすべての生物は長い時間の中で生存競争を戦い抜いて進化してきた。現在残っているのは、そうして競争に勝った生物である。そしてこれからも強い者がいきのこるだろう>と説くものだ。

 良質の進化論を「適者生存説」と呼ぶなら、悪質の進化論はさしずめ「強者生存説」とでも呼ぶべきものだろう。去年の参議院選挙で、民主党は「強い日本を創ろう」という選挙ポスターを全国に張り出したが、さしずめこの「強い○○を創ろう」というのがこの手の進化論だと考えればよい。

「強者生存説」のどこが気に入らないか。それは「適者」を「強者」と割り切ることだ。そしてここから割り出されるのは、世界は競争的であり、この競争に勝たなければ私たちはサバイバルできないという何とも物騒で殺伐とした脅迫的な世界観である。

 また、こうした「強者生存説」を唱える人は、人間の本性は攻撃的であり、競争的であると考える。そして利己的で暴力的であり、その性質は根本的に悪なので、これを教育や権力によって統制しなければならないと考える。つまり考え方がどんどん保守的になっていくわけだ。歴史的に言えばこれはホップス ( 1588〜1679 ) が「リバイアサン」で展開した考え方であり、現在でもアメリカのネオコンが主導する「新保守主義」がこの考え方をとっている。

 これにたいして、ルソーは「性善説」をとった。人の心はほんらい自由で善良なものだが、社会のなかで生きるうちにどんどん悪くなった。だから、この世に不自由や悪行がはびこっているのは人間が創りだした社会に問題があるという考え方である。

 人間の本性が悪いのか、社会に問題があるのか、保守主義と進歩主義の違いはここにある。こうした対立はホップスやルソーの時代からあるが、やがてダーウインの進化論がこうした論争に大きな影響を及ぼすようになった。

 ダーウインの進化論は、マルクスが絶賛したことからも分かるように、本来は「進歩派」にとって強力な援軍となるものだった。神様によってこの世界が創られたのだとすると、これを変えることは神を冒涜することにも繋がる。悪いのは社会ではなく、人間の本性だとすれば、社会制度はそのままにして、ただ人々は教会に通って、賛美歌を歌い、自分の罪を感じ入り、悔い改める努力をするだけでよい。

 ジャン・ジャック・ ルソー(1712〜1778)に先んじて、ホッブスを批判した進歩派の大御所がジョン・ロック(1632〜1704)である。彼も人間の本性が悪であるとは考えなかった。しかし、ルソーのように善であるとも考えなかった。ロックは人間の心は本来善でも悪でもなく、「白い石板」のようなものだという。

 ロックが重視したのは、「経験」である。経験次第で、人間はよくも悪くもなるわけで、あらかじめ人間の本性が悪だとか善だとかいうことはできない。そして人間の経験の質は、その人間が生活をしている社会のあり方に大きくかかわっている。だから人間によき経験を与えるような社会をつくらなければならない。

 この場合、人間は本来的に悪だとは限らないのだから、何も強権的な社会をつくる必要はない。むしろ教育制度や福祉制度をととのえ、政治的にもっと自由で民主的な社会をつくることで、人々はそうした社会にふさわしい市民の徳性をうることができるだろう。つまり、社会が人間を育て、人間が社会をそだてるという進歩的な考え方である。これはホップスよりもルソーに近い考え方である。

 人間の本性は善でも悪でもなく、ロックのいうように「白い石板」のようなものかどうか、疑問の余地がないではない、しかし、こうしたロックの先進的思想が、人類に新しい時代をもたらした。イギリスで名誉革命が成功し、民主的な議会制度が生まれ、フランスでも「自由」「平等」「博愛」を掲げる革命政権が誕生した。そしてアメリカで独立戦争が戦われた。

「種の創造」をテーマとするダーウインの「適者生存説」はロックの進歩的政治思想と矛盾するものではない。しかし、遺伝ということを重視する立場に立つと、そこに保守主義の復活する余地が生まれてくる。とくに、ロックの「白い石板」という思想が、その主な攻撃目標になる。

 人間を含むあらゆる生物は遺伝子の情報によって基本設計ができている。脳も構造もまた遺伝子の産物であり、人間の心はこの脳の活動と切り離せない。つまり、人間の心はあらかじめ遺伝子によって設計された物質的な条件によって枠が与えられているわけだ。

 これはたしかにその通りである。生まれながら遺伝子に障害を持つ人がいて、その中には精神的障害をもつ人もいる。そうした人の中には、先天的に人格障害をもち、犯罪者の素質を持っている人もいる。

 しかし、このことから遺伝子が人間の心を支配しているというのは行き過ぎだろう。遺伝子が支配しているのは、おもに生物のハードウエアである。石板にもいろいろな形や性質のものがあり、そこに文字や絵を書くための道具もいろいろとあるだろうが、基本的にそこに何を書くか、その内容について枠を提供しているのはそのソフトウエアである。

 たとえば、私たちがものを書くとき、便箋にかくか、原稿用紙に書くかという問題がある。鉛筆で書くかボールペンで書くかということもある。パソコンを使って書くか、手書きにするかという問題がある。こうした手段の選択がその内容に微妙に影響をあたえることはあるだろう。

 しかし、それはやはりハードウエアであり、道具の問題である。それよりも、彼が日本語で書くのか、英語で書くのか、またそれ以外の言語をつかうのか、そうしたことの方が大きいだろう。さらに、もっと本質的なことががある。それは彼がいったい何を書くのかということである。

 つまり、問題は内容であり、その内容を規定するのはハードウエアよりむしろソフトウエアであり、それは基本的にその人の人生のあり方であり、経験の質によっている。その人の暮らしている社会の歴史や文化が経験に反映され、またその人の生物学的な条件や生活環境も経験に反映される。このようにして人は年輪をくわえるとともに、その人の心の世界は、いよいよ豊かで味わいの深いものになっていく。

 私の家の居間には様々な生き物が棲んでいる。たとえば今にはリリオと呼ばれるマルチーズの雄犬とウズラのハルコが放し飼いになっている。以前はそこにモルモットまでいた。しかし、狼の末裔だといわれるわが家の愛犬君は決してウズラやモルモットを襲わない。

 ウズラのハルコは愛犬君のふさふさした毛が大好きで、そこに潜り込んで卵をうもうとする。そのとき、愛犬君は迷惑そうな顔をして立ち上がる。そのあとをウズラが追いかける。はたから見ていると、まるでウズラが犬に求愛しているようでほほえましい。

 聞くところによると、動物園のライオンは檻の中に入ってきた子猫を襲わないそうである。また、動物園で買われているゴリラは異性に発情しても、交尾はできないという。集団の中で小さい頃から学習して、はじめて性交もできるし、子育てもできる。

 こうした事例は、私の空想のなかでロックが発見した「白い石板」の存在を次第に大きくする。そのはじまりは進化の歴史の中で、わずかな白いかけらに過ぎなかった。それが、すこしずつ成長し、人類はとうとうその存在に気付いた。そしてこれに「自由」という名前を与えた。

「白い石板」は進化の過程で創られ、我々にもたらされたものである。そしてこれを我々に届けたのは遺伝子たちである。「白い石板」もまた遺伝子の産物であることには違いない。しかし、その存在が遺伝子の支配を離れて、生命の新しい未来へと繋がっていることも事実である。

 それがどんな未来か。それを決めるのはもはや遺伝子ではない。私たちの一人一人の意志であり決断である。「白い石板」を持つということは、未来の世代に対して、そうした責任を負うということである。これはかなり勇気のいることだ。

「白い石板」の思想もまた良質なものと悪質なものがある。人間に自由をもたらした「白い石板」は使い方によっては、人間の思想改造と洗脳の道具にもなる。「自由」は両刃の剣であり、使いかたを間違えば、おそろしい終末へと我々を導くだろう。


2005年02月04日(金) 人生の宝物

 戦争が終わってまだ間もない頃、私が生まれる数年前に、福井で大きな地震があって数千人の人が死んだ。私の母も倒壊した建物の下敷きになり、火の手が迫るなかで危機一髪で助け出されたのだという。

 私が小学生の頃、たしか夏休みだったと思うが、福井で地震があった。そのとき、隣の金魚屋のおじさんが、パンツ一枚で私の家の中にとびこんできた。そして、私と並んで寝ていた弟を抱きかかえると、「ゆたかちゃんも、こい」と、私に声を掛けて往来に飛び出して行った。

 寝ぼけまなこの私は、何が起こったのかわからなかったが、隣のおじさんのあとについて玄関先へでた。そのあとのことは記憶にない。しかし、この出来事はいまもありありと私の心に残っている。

 私はこの経験から何を学んだのか。地震の恐ろしさだろうか。たしかにそれもある。しかし、実はもっと大切なことを学んでいた。それは「自分は多くの人たちに守られて生きている」ということである。

 金魚屋のおじさんは、金魚の行商に出ていて、ほとんど家にいなかった。だから、私にとってこのおじさんはたまに顔を合わせるだけのほとんど馴染みのない人だった。そんな人が、血相を変えてパンツ一枚で飛び込んできてくれてことが、とてもうれしかったのである。

「世の中から戦争はなくならない」という人がいる。なぜなら、戦争をすることが人間の本性だからだという。そして「利己的な遺伝子説」をつかって、こうした主張を正当化しようとする人もいる。

 たしかに人間をふくめすべての生物は遺伝子の産物だが、生き方や思想まで遺伝子に支配されているわけではない。人間は言葉を持っている。文化や文明をもち、もっと自由に主体的に生きていく自由をもっている。人間は戦争をする自由ももっているが、戦争をしないで平和に生きていく自由ももっている。

 それでも「人間はしょせん動物と同じだ」という人がいる。そしてこの世は食いつ食われつの弱肉強食の世界であることはかわりがないという。人間はたしかに言語をもち、高度な文明を発達させたが、人間の本性はかわっていない。だから、文明が高度化した分だけ、人間の人間に対する殺傷能力もたかまり、殺戮は悲惨なものになった。

 たしかに、20世紀に世界で起こったことを考えれば、「人間はしょせん動物と同じだ」という考え方はまだ点数が甘すぎるかも知れない。「人間は動物以下である」というべきかも知れない。なぜなら動物は無用な殺生はしない。人間のように憎しみや快楽から人を殺したりもしないからだ。

 人間を含めすべての生物は、自己保存の能力と欲望をもっている。しかし、よく考えてみれば、自己保存は自己保存だけで完結しない。なぜなら、全ての生命は他者に依存し、他者との関係の中でしか生きていけないからだ。

 したがって、自己保存は必然的に他者保存にならざるをえない。つまり個々の生命体は他者保存を通じて自己保存を図るしか生き延びる方法がないのだ。私が生命の世界が共生的であると主張するのも、こうした事実に基づいている。

 すべての生物は他者に依存しながら、共生的にしか生きてはいけない。これはとても簡単な真理である。そして実際に生命はこの原理によって生きている。人間もまた利己的であるためには利他的であらざるをえないのである。

 社会ダーウィニズムはこうした事実から目を背けている。それは一つの抽象であるが、このゆたかな人生のありさまを考えるとき、それはとてもまずしい抽象である。しかし、社会が荒廃してくると、この貧しい抽象があたかも唯一の真理のような顔をして、人々を支配するようになる。そして、「世の中から戦争はなくならない」という人がふえてくるわけだ。


2005年02月03日(木) 社会ダーウィニズムは科学か

 社会ダーウィニズムに対する砦として、芸術・文化、思想・宗教の二つを上げた。今日は3番目の科学について書いてみよう。そこからさらに話が発展して、私が根源的と考える4番目のものに触れることができるかも知れない。

 科学が社会ダーウィニズム批判に有効な手段であるというと、少し首を傾げる人がいるだろう。なぜなら、そもそも社会ダーウィニズムは進化論という自然科学的な方法を社会現象に応用したものだからだ。

 たしかに「社会ダーウィニズム」の売りの一つが、これが科学的な真理に立脚したものだということである。ダーウインの進化論が真理であれば、当然、それを社会現象に応用した「社会ダーウィニズム」も真理だと考えられる。

 これに対して、生物界と人間界は別物だという反駁がある。人間以外の生物界は弱肉強食・適者生存の世界だが、人間は理性をもつ高等な霊的存在であり、人間以外の生物と同等に置くことはできないという、しごくもっともな考え方だ。

 私はこれも充分妥当性のあることだと考える。人間の行動を動物のレベルでとらえ、人間も遺伝子の運び屋であり、その行動は博愛的なものも含めて、遺伝子の利己的なふるまいで説明できるというのは、いささか行き過ぎではないか。

 人間はともすれば因果の法則に盲目的に従い、欲望と打算によって、迷いの世界を彷徨ってはいるが、しかし、釈尊やソクラテスのように、こうした人生のあり方を根本的に反省し、そうした現実からの解脱を成し遂げようとする者もいないではない。

 もちろん、これも「利己的な遺伝子」の一つの振る舞いだといえなくはない。そして人間をも含めた生物界をひとつの科学的論理で説明することについて、そのあやまりを科学的に指弾することはなかなかむつかしい。これは専門的な知識の問題ではなく、論理的な構造から言って、ほとんど不可能ではないかと思っている。

 そこで、私の考えるのは「適者生存・自然選択説」や「利己的遺伝子モデル」を否定するのではなく、これと対等なもう一つの科学的で論理的なモデルを創造することである。幾何学にさまざまなモデルがあるように、進化論にも様々なモデルがあってもよい。

 私自身の考え方を言えば、人類もふくめて生命の世界はひとつであり、その本質は「共生原理」によって成り立っていると考えている。とくに人類が他の生命に優越する特別な存在だと考えなくても、すべてはこの原理から説明できると思っている。

 私はこの可能性を指摘するだけである。これを精緻な科学的理論として完成することは私の夢だが、じつのところ世界放浪にあこがれる私にそんな時間の余裕はない。それに、非才の私が買って出るまでもなく、誰か優秀な科学者が、近い将来に必ずこれを成し遂げてくれるだろう。

 社会ダーウィニズムに話をもどそう。これを論理的・科学的に否定することはむつかしい。しかしここで大切なのは、社会ダーウィニズムだけが唯一の論理的・科学的なスキームではないということだ。この可能性に目を見開かれるだけで、私たちは社会ダーウィニズムの圧迫からずいぶん解放されるのではないだろうか。

 私の頭にこうしたアイデアが浮かんだのは、十数年前にトルストイ(1828〜1910) の「アンナ・カレーニナ」を読んでいるときだった。主人公の一人であるレーヴィンが何度か信仰上の問題で行き詰まり、自殺しようとする場面がある。レーヴィンはトルストイの分身である。彼の葛藤はそのままトルストイの思想的葛藤だと言ってよい。

 そこに描かれているのは、まさに社会ダーウィニズムに対する不信感と嫌悪感である。この思想が吹き荒れた時代、トルストイやドストエフスキーのような第一級の文学者・思想家は、全身全霊でこれに対峙しなければならなかった。彼等の小説を丁寧に読めば、自らの思想を守ろるためにこの科学的思想と対決し、悪戦苦闘した様子がわかる。

 そしてトルストイもドストエフスキーも、科学的な世界観に対する否定的な方向に進んでいった。当時の科学万能の時代風潮のなかではやむを得ない反応だったのだろう。これは残念なことだが、もし彼等の時代にもう少し別のタイプの科学的で合理的な理論が存在したとしたら、彼等は科学そのものに背を向けたりはしなかっただろう。

 トルストイはもう一人の主人公であるアンナを助けることはできなかったが、レーヴィンを助けることはできた。それでは何がレーヴィンを救ったのだろう。科学でないことはたしかだ。それでは芸術・文化だろうか。宗教だろうか。私はそうではないと思っている。彼は物語の最後の方で、こうつぶやいている。

<おれは、百姓と共通のこの喜ばしい知識を、おれの魂に平安を与えてくれる唯一のものであるこの知識を、いったい、どこからえてきたのだろう? どこからとってきたのだろう?>

 彼はそれを身近な自然から、そして身近な人々の示してくれる善意からとってきた。つまり彼を救ったのは、何か高尚な理論や芸術ではない。教会でさえなかった。あえていえば、もっと身近にあって親密な存在、彼の妻や彼の子どもや友人たち、農夫や犬や小鳥たち、つまり彼の「人生」が彼を救ったのだ。

 残念ながら、トルストイにはレーヴィンのような人生がなかった。むしろもう一人の分身であるアンナに近かった。そして彼の晩年は世界的名声と栄光に包まれていたが、実はかなり淋しいものだった。死期の近づいた彼は、誰にも行き先を告げずに家を出て、小さな停車場アスターホヴォの駅長の宿舎でひっそりと生涯を閉じている。

<なんだってあの人たちは、向こうの箱のあの若い人たちは、あんなに叫んでいるのだろう? なんだって笑っているのだろう? 何もかもみんなほんとうじゃないんだわ、みんなうそだわ、みんな邪悪だわ>

<わたしはどこにいるのだろう? わたしは何をしているのだろう? 何のために?>

 トルストイの最後の心象風景はおおよそ想像がつく。なぜなら、彼はアンナの最後を微細にわたって、雄弁に描き残しているからだ。トルストイが死んでしばらくして、ロシアに革命が起こった。そして、第一次、第二次大戦が起こり、世界は地獄へと堕ちていった。


2005年02月02日(水) 宗教という砦

 私は「社会ダーウィニズム」に対する砦として、4つのものを考えている。そのうちにの一つである良質の文化・芸術について昨日書いた。今日は二番目を紹介しよう。それは宗教である。

 晩年のトルストイは芸術や文化に絶望し、宗教に最後の拠り所をもとめた。現代でも「生存競争」に疲れた多くの人々が宗教に慰安と救いを求めている。私も青年時代に同様な思いで宗教に接したことがあるので、この気持はよくわかる。

 宗教の中でもとくに「仏教」は、「社会ダーウィニズム」に対して有効な砦になるのではないだろうか。それはまさに仏教が「原始的社会ダーウィニズム」に対する批判として生まれてきたものだからだ。このことはその教義をみてみればよくわかる。

 仏教(法華経)では私たちの心は「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」という6種の「迷いの世界」を彷徨していると説いている。この世界を支配しているのは「煩悩」と「打算」である。それにさまざまな縁が働いて、私たちのサバイバル人生がいとなまれている。

 そこでは憎しみが憎しみをうみ、争いが争いをうむ。たとえ幸運に恵まれて、他者との競争に勝利し、人生における輝かしい成功を手中に収めても、それはたまゆらのものでしかない。富を得た者はその富によって支配され、苦しむことになる。

 こうした人生はつまらない。もっと本当の人生があるはずではないか。そう考えたのが釈尊だった。そしてどうしたら「煩悩」と「打算」に支配されたこの「迷いの世界」を解脱することができるのか考えたのである。

 釈尊が得た結論は、「世界と自己に対する正しい認識をもち、正しい行いをすること」がすべてだということだった。「正しい認識」とは、世の中のものは持ちつ持たれつ、相互に依存して存在しているということである。そしてこの関係をよくするためには、われわれは「煩悩」や「打算」ばかりに囚われて、その奴隷になっていてはいけないということだった。

 私たちは実体のないものを実体だと思いこんで執着し、こうした悪しき観念や幻想に囚われて、しかもその囚われていることさえ知らないまま、悩み悲しみ、他者に支配され、主体性を失ってあくせくと生きている。正しい認識と行いを積むことで、心身がこうした悪しき因縁から解脱すれば、私たちは偏見や幻想から解放されて、主体的に、すこやかに生きることができる。

 釈尊はこうした方向性をもって人生を生きていかなければならないと考えた。そうすれば、私たちは少しずつ「迷いの世界」から抜け出して、「声聞」「縁覚」「菩薩」「仏」という4つの「さとりの世界」に入っていくことができる。

 声聞・縁覚の世界は「知の世界」だと言ってよい。煩悩に汚染された打算的な知ではなく、真理をもとめる純粋で明るい愛知(フィロソフィー)の世界である。そこにはいかなる権威や偏見もなく、自立的で、自由な思考が生き生きと呼吸している。それはまさに美しい「叡智」の世界である。
 
 そこでは煩悩は昇華されて、そのエネルギーは心身を清々しく充たし、私たちは煩悩という自我の洞窟をでて、自由で広々とした世界へ歩みを進めることになる。現代的に表現すれば、欲望と打算で充たされた「競争の世界」から、愛と叡智でみたされた「共生の世界」へ入ることになるわけだ。これが「菩薩」と「仏」のすむ理想世界である。

 仏教はすべての存在がその根底に「仏性」をもっており、基本的にこの世界を共生的な「仏の世界」だと考えている。そして世の中をこれ以上住み難くしないために、おのおのが「正しい認識と行い」に基づく生活を心がけようと呼びかけている。私はこうした思想こそ今の時代に一番必要とされているのではないかと思っている。


2005年02月01日(火) 新たなルネッサンス

 悪しき国家主義の背景にある「社会ダーウィニズム」をどのように乗り越えていったらよいのか。これにはいくつかの方法が考えられる。ひとつは芸術や文化による方法である。よき芸術や文化は、人々の心に潤いを与え、人々をひとつに結びつける。

 そして人々に、社会ダーウィニズムとはまた違った人生観や思想があることを生き生きと実感させてくれる。イギリスにはシェークスピアが、フランスにはロマン・ロランが、ドイツにはゲーテがいるし、ロシアにはトルストイやドストエフスキーがいる。

 こうしたすぐれた古典を読めば、私たちはそこに展開されている天才作家たちの深い人生洞察と人間愛に打たれるだろう。彼等の力強い理想主義や博愛主義をわがものとするとき、「社会ダーウィニズム」はもはや虚妄でしかない。

 しかし、ここに一つの問題がある。社会ダーウイニズムのはびこる現代社会で、古典は忘却され、芸術や文化がこの健康な人間的力を失いつつあることだ。豊かな人間愛をたたえた古典のかわりに、私たちは芸術にもっと別の刺激を求めるようになってきた。

 それはセックスや犯罪に対する刺激である。血なまぐさい殺人や戦争さえも、人々はときとしてこれを快楽として受け入れる。そして現代芸術のなかには、不条理や背理に身を委ね、虚無に親しむことを喜びとするものさえある。

 現代という時代が、文化的にどのくらい不毛であるか。このことに気付いている人はほとんどいない。そしてこの文化の不毛が、現代人をどれほど歪な存在にしているかについて自覚している人も少ない。その少ない自覚者のひとりである美輪明宏の言葉を、北さんの雑記帳から孫引きしておこう。

<ボロ布で作ったような安っぽい服、コンクリートだらけの灰色の街。美からはほど遠いものに囲まれているから、人の心も荒れ、生活も言葉も態度も荒れてくるのです。だらしない、怠け者ばかりの世の中にしたのは、それらを作り出したデザイナーたち。美を作り出すのが商売なのに、醜ばかりを作り出している。この世の諸悪の根源は、デザイナーたちにあると私は思っています>(愛の話、幸福の話)

<音楽で映画が表現できるくらいに美しいメロディがあった。ところがいまは、メロディラインを書ける作曲家がいなくなったから、ミュージカルの傑作もできなくなった。これは黒人文化のせいです。彼らの音楽はリズムとハーモニーだけだから。ラップなんていったらメロディは何もないでしょう。不信心者のお経みたいに。だから、美しさがなくなった>(人生ノート)

<軍国主義で文化を壊して、終戦後、経済効率だけで考えるようになってしまった。磯崎新も安藤忠雄も丹下健三も、作っているのは、ただの無機質な箱>(天声美語)

 文学や芸術がそのゆたかな人間力を失うとき、私たちは社会ダーウィニズムにたいする一つの有力な砦を失うことになる。この問題にもっとも敏感な先覚者のひとりがトルストイだった。晩年のトルストイは文学や芸術がついに無力であると考え、宗教的なものに傾倒していった。

 私はトルストイほど絶望はしていない。芸術は堕落し、文化は衰弱しつつあるが、まだまだ人間的回復力を秘めていると思っている。それは私たちには古典という大きな財産が残されているからだ。

 私が「万葉集」に出会ったように、いつか人々は古典とであうに違いない。そして遠くない将来、再び過去の巨匠たちの創造した文化や芸術が見直され、新たなルネッサンス(文芸復興)の時代がやってくるのではないかと思っている。


橋本裕 |MAIL |HomePage

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