橋本裕の日記
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2005年06月30日(木) 国際社会へのパスポート

 私の憲法についての立場は前に書いた。もう一度繰り返すが、「自衛隊は違憲である。憲法をどう読んでも、これ以外の解釈はありえない」ということだ。自衛隊が違憲だというのは、憲法<第9条>に照らせば明らかだと思う。

 現状を変えるのではなく、憲法を変えようということには反対。その亜流が、現状を変えなくてもすむように、憲法の解釈を変えようというものだが、私はこれも<改憲論>だと思っている。

 自分に都合の良い拡大解釈で、憲法をヌエのようなものにしてはいけない。先の戦争を<自衛戦争>だと主張する人々がいるが、これと同類である。拡大解釈を許せば、「侵略」が「自衛」になる。白を黒と主張することもできる。

 現在の国際法では、全ての国は自衛のため以外の軍隊は持てないことになっている。つまり、現在地上に存在する軍隊はすべて「自衛隊」なのだ。実はこの不戦条約は第一次大戦後に作られたもので、日本もこれに加わっていた。戦前の皇軍も「自衛隊」なのだ。だから、中国を侵略したのも真珠湾を奇襲したのも、皇国の防衛のためだと言われた。

 憲法はこうした歴史認識の上に立って、軍隊の存在を禁じた。憲法を曲解して、自衛隊の存在を許すということでは、大日本帝国憲法と変わらない。だから、憲法問題のポイントは、自衛隊を合憲と見るか違憲と見るかである。

 アメリカの戦略は日本を再軍備させ、アメリカ軍の手足として使うということだ。すでに自衛隊はその装備から見ても、一国の軍隊というよりも、これを補完するための下請け機関に過ぎない。現在でもアメリカ軍の指揮系統の中に位置づけられているが、これからはさらに一体化が進むだろう。

 現在、中国、アメリカ、日本は経済的に緊密な関係を築いている。日本は中国に部品を輸出し、中国の安い労働力をつかって組立て、中国からアメリカに輸出してきた。これによって日本経済はたいへん潤っている。そして中国もまた日本の技術協力によって工業力を付け、未曾有の経済成長をとげつつある。

 アメリカは中国から安くて良質な製品を輸入し、ゆたかな消費生活をたのしんでいる。とうぜんお金が足らなくなるので、ドルを輪転機で刷ることになるが、これは日本や中国がその見返りとして武器やドル(国債)を買ってくれるのでアメリカも不満はない。

 しかしアメリカは、今後中国が伸びてくることを予想している。したがって、中国に対抗するために、日本を「不沈空母」として利用しようと思っているはずだ。下手をすると、日本はふたたびアングロ・サクソンにそそのかされて、日露戦争のように火中の栗を拾わされるかも知れない。

 ところが、日本に戦争と戦力の保持を禁じた「第九条」があるかぎり、そうはならない。この意味で、日本国憲法は何百万もの軍隊より強い日本の守り本尊である。これを捨てることは、難攻不落の大阪城の外堀をうめるのとおなじたぐいの愚行ではないだろうか。 

 私はかっての社会党の非武装中立論は非現実的だと考えている。日本が生き残る道は、中立ではなしに、近隣との友好関係を築き上げることだ。冷戦が終結した今、これは夢物語ではない。要するに、その気があるのかないかだ。お手本はドイツである。

 どのような国創りを目差すか、憲法はその大切な指針である。私たちが憲法を尊ぶ姿勢を見せれば、世界の日本を見る目も変わる。憲法を私たちが支持することで、日本は世界から信用をうる。これ以外に、日本が国際社会で生きていく道はない。憲法は国際社会へのパスポートなのである。この切り札をもっと活用してはどうだろう。


2005年06月29日(水) 愚政から生まれた民営化

 精神的疾患などで休職中の労働者は全国平均で全体の1パーセントにのぼっているという。また、40歳から50歳の働き盛りの男性の自殺率が異常に高くなっている。過労死もいつか国際語になったが、これもいぜん多い。

 失業率が改善されているというが、これも統計の取り方でかなり幅がある。いまはやりのニートなどは失業に入らない。もはや求職をあきらめてハローワークに足を運ばなくなった私の妻も、もちろん失業者の数に入らない。こうした未就職者まで含めれば日本の失業率は20パーセントに達するという学者もいる。

 こうした問題を放置して、世間は「民営化」や「効率化」ばかりを議論している。私は民営にすれば効率があがるというのも、たんなる思いこみか神話にすぎないと思っている。テレビや新聞で構造改革推進派の評論家がしきりにいうので、みんな洗脳されてそう思い込んでいるだけだ。

 たしかに官にもたくさん問題がある。公共事業で余計なものをたくさんつくり、不良債権をつくりだした特殊法人のあり方は改革されなければならない。特殊法人がかかえる不良債権は30兆をこえる。民間の企業なら倒産して当然だ。

 バブルの時代にはアメリカの圧力で黒字へらしのために、バブルが崩壊した後は景気対策として、特殊法人は無駄な公共投資を行い続けた。このころ、私の周囲でも土地成金がごろごろ出た。

 わが家でも10数年前にマイホームを買った頃、妻の実家から、田んぼをちょこっと売れば5000万円できるので、援助しようかと打診があった。そのころ、私の実家でも道路のインターができそうなので、数億円はいるといわれたものだ。

 この頃民間企業はあまったお金で土地を買い占めていた。お金がない企業も、銀行から借りて不動産や株を買いあさった。日本ばかりではなく、アメリカの不動産や会社も買い占めた。しかしバブルがはじけると、これが不良債権化した。外国に投資された何十兆円というお金も、結局みんな消えてなくなった。

 民間企業は何十兆円という不良債権をかかえ、結局、巨大な公的資金を投入して救済された。救済されたあと、二束三文で外資に売られたものもある。売られないまでも、現在日本の企業や銀行はかなりの資本を外資に握られている。

 民間が効率がよいというのは、こうした歴史的事実をみればあきらかに間違いである。現在でも民間の設備の駆動率は75パーセントだ。つまり、人間のように首切りが出来ないので、施設の1/4は遊んでいる。(これはある意味で経済の必然で、一概に非難すべきことではないという人もいる)

 そのうえ、環境問題に象徴されるように、局所的な効率は全体からみると非効率ということがよくある。だから、あまり視野狭窄にならないで、もうすこし広い視野から、本質的にものごとを眺める必要がある。

 これまで日本ではどちらかというと「官」が「民」の上に置かれてきた。「官」には「民」を下に見るエリート意識があった。民にまかせておいたら何をするか知れないという不信があり、これを監督・指導しなければならないという強迫観念がつよかった。

 民もまたこれに阿り、さまざまなお追従をした。民がその武器にしたのは「接待」や「天下り」をはじめとする様々な利権の供与だ。これに対する官の側のガードが甘かった。これだからダメなのだと民間をバカにしながら、官も「ノーパン・シャブシャブ」などにはまり込んで行った。こうして癒着体質が深まった。

 おなじ官のなかでも、中央は地方を見下していた。地方は能力がなく、監督指導しなければ大変なことになるという地方不信が強い。地方も学歴の高い中央官僚に頭があがらず、阿ることになる。そして「官官接待」が横行した。

 「お上がえらい」という発展途上国なみの旧弊な封建的体質が日本には残っている。中央と地方が対等な立場に立ち、官と民が対等な立場で相互に批判し、協力しあえる体制にはなっていない。

 たいせつなのは、官と民が癒着することでもなく、といってお互いの非効率を責めてたてて非難し合うことでもない。癒着でも非難でもなく、健全な批判精神をもちながら、お互いに相手を信頼して協力し合うことだ。

 上下関係を残した封建的体制のなかでの中での民営化には、いろいろなゆがみがともなう。現在の民営化は、政府の仕事を民間に下請けさせようというものだ。しかし、民間にある封建的な下請け制度をそのまま持ち込んで、経費を削減すればよいということではいけない。

 愛知県は全国一失業率が少ない県だ。トヨタなどの自動車関連の会社ががんばって、不況の中でも雇用を維持しきた。しかしその背景には、下請け企業の犠牲があった。一兆円の利益をあげ、日本を代表する企業となったトヨタは、生産至上主義ではなく、社会貢献などの面でも、リーダー的な存在であってほしい。

 なお「年次改革要望書」で日本に執拗に民営化を求めるアメリカをはじめとして、そもそも外国で民営化が成功しているのかどうかについても、おおいに疑問である。掲示板にセルジオ越前さんが岩國哲人さんの文章を紹介してくださったので、最後にこれを引用しよう。

−−−−−−民営化は愚政の極み−−−−−−−−

 公社は既に独立採算制を採用しており、職員の給与も郵政事業の収入の中から支弁されていて、税金も一切使われていない。

 郵業は拡大、郵貯は縮小。公営を堅持し、地方の郵便局を行政、防災、福祉のサービス・センターとして活用する。公営だからこそ、国民という株主を代表して国会が公社の経営に関与できる。民営化すれば、国会はもはや民間会社の経営には干渉することができなくなる。

 現に、民営化先進国の結果を見れば民営化の愚かさがよく分かるだろう。イギリス、ドイツ、イタリア、スウェーデンは民営化を唱えて株式会社にしながら、株式の過半数または全部を政府が保有しているという奇妙な「国有株式会社」のままで、郵便業務も依然として独占。

 結局はごまかしの民営化でチャッカリ国営を継続。ニュージーランドでは他国に先がけて民営化を徹底実行した結果、外資に買収されてしまって国営会社を再び設立するというウッカリぶり。

 これだけのお手本に恵まれながら日本がなぜウッカリ、チャッカリ、ガッカリの轍(てつ)を踏もうとするのだろうか。国益を損ない、サービスを低下させ、さらなる国民負担を招き、分社化して役人の天下りポストだけが増える。「ポストが増えて、ポスト・オフィスが減る」。

 民営化を日本に迫る世界最大の郵便国アメリカはどうしているか。改革法案を二度も米国議会で廃案とし、ついに二〇〇三年七月三十一日の大統領への報告のなかで、郵便事業は公営で継続すべきと断定して、依然として国営堅持のままである。

 アメリカはチャッカリ、日本は名バッカリ。これを愚政と言わずして何と言おうか。(岩國哲人、衆議院議員、元出雲市長)

−−−−−−−−引用終わり−−−−−−−−−−


2005年06月28日(火) 国立追悼施設を沖縄に

 私は戦争犠牲者の追悼施設としては沖縄にある「平和の礎(いしじ)」のようなものが理想的ではないかと思っている。靖国神社は「天皇に命を捧げた」人だけを祀っているのに対し、1995年に沖縄戦の最後の激戦地であった摩文仁の丘に建てられた「平和の礎」は、軍人、住民、敵味方の区別さえなく、アメリカ兵を含む全ての犠牲者を追悼している。

 ここに刻まれた名前は、23万9801人だという。そのうち、沖縄の人は14万8702人である。残りには1万4008人の米国人、82人の英国人、34人の台湾人、344人の韓国人、82人の北朝鮮人がふくまれる。

 ここなら、日本の首相や天皇ばかりでなく、侵略戦争の犠牲になったアジアの諸国の元首や、敵国の元首も何等抵抗もなく訪れることができる。現に沖縄サミットではかつての敵国であったアメリカのクリントンの大統領が訪れた。

 私は靖国神社も訪れたが、元陸軍兵士だった野中広務氏(元自民党幹事長)も、「現在の靖国の姿は、敗戦を経たのにもかかわらず、清算されておらず、戦争賛美という点で変わっていない」と批判しているとおり、そこは独特のイデオロギーの感じられる祭祀的閉鎖空間だった。

 沖縄の「平和の礎」はこれとまったくちがっている。人々は石碑に刻まれた犠牲者の名前を見つめながら、手を合わせたり、十字を切ったり、それぞれ思い思いの方法で追悼の儀式を行い、青い海や空を眺め、海鳥の声を聞きながら、平和を願うことができる。

 この「平和の礎」が建てられたときの沖縄県知事は、鉄血勤皇隊の生き残りの大田昌秀氏だ。太田さんは、小泉首相の靖国参拝を、次のように批判している。

<「国のために死んだ人を思って何が悪いか」と言うが、犠牲を受けた東南アジアの人々の心を思いやれないのか。良くなった日韓、日中関係がまた振り出しに戻ることが懸念され、一国の首相としてすべきではない>

「平和への祈念」と「戦争の美化」ではその志向する方向が180度ちがっている。戦争も上から見るのと、下から見るのとでは解釈も現実も何から何まで違って見えるのだろう。

「官」や「お上」の立場ではなく、「民」の立場に立った歴史認識が大切だ。その原点となるべき「民」のための追悼施設が、沖縄にある「ひめゆり平和祈念資料館」であり、「平和の礎」である。国立の戦争犠牲者追悼施設を作るのなら、これを見習ってほしい。そして、沖縄に創ってほしい。


2005年06月27日(月) 私の憲法擁護論

 日本には三つの大切な宝物がある。ひとつはこの豊かな自然である。日本のような文明国でこれほどの自然が保持されているのは、まさに奇跡である。これは偶然でも何でもない。その背景に先人達のたゆまぬ努力があった。このことについては、また別の機会に書くことにしよう。

 二つ目の宝は「万葉集」に象徴される日本古来の文化である。一口でいえばそれは「愛情の文化」であり、「いのちを尊ぶ文化」である。ここから「もののあはれ」や「わび・さび」といった繊細な感性が育った。こうしたすぐれた精神文化を私たちは誇りに思い、継承して行くべきだと思っている。

 そして、三番目の宝が「日本国憲法」である。「人民主権」「基本的人権の尊重」「国際平和主義」を基調とするこの憲法は、人類数千年の歴史が生みだした叡智そのものである。したがってこれは世界の宝でもある。

 日本は敗戦という苦い経験を経て手に入れた。これによって日本は、天皇を中心とする前近代的神権国家から、最先端の民主的平和国家になった。小学生がいきなり大人のハイカラな洋服を着せられたようなものだ。

 この洋服を敗戦後の国民は歓迎したが、60年間着ていて、そろそろあきたという人も出始めている。なかには戦前の軍国主義時代の国民服のほうが日本人には似合っているという人もいる。ハイカラな洋服自体が、もう世界の情勢にあわなくなって、流行遅れになっていると主張する人もいる。

 自民党を中心とする保守的な勢力の悲願は憲法改革である。国民のなかにもこれを支持する声は少なくない。とくに現実的に軍隊である自衛隊が存在するなかで、国権の発動たる戦争と、戦力の保持を禁止した<第九条>について、これをこのまま存続させるべきなのかどうか、議論になっている。

(第9条) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
<2> 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

 友人の北さんが、昨日の「雑記帳」にこの問題をとりあげている。彼は「九条の会」のHPを見て、「どうしてこの憲法第九条第二項に関するはっきりした擁護論を展開しないのかが疑問である」とした上で、次のように書いている。

<憲法第九条を守る、ということは、九条第二項を守るということであろう。なぜなら、改憲を主張する最大の人物、中曽根康弘ですら、九条第一項はそのまま残せばいいと主張しているからである。古くは三島由紀夫が、九条の第一項はそのままでいい、第二項にはっきり自衛軍の保持を書くべきだと30年くらい前から言っていた。

 九条の理念はそのままに、現実的な軍隊の保持は明記すべきだ、ということを、改憲派の本流は言っているのである。だから、九条の理念を世界に向けて発信する、なんて言っても、そんなことは改憲側でも同じ主張なのであって、「理念」については、表向き対立する所はないのだ。

 表向き対立していないところを「いや、そんなこと言っているが本音は戦争のできる国にしたいのだ」なんて言って批判しても説得力はない。対立するところは、具体的に、軍事力を放棄するかどうか、というところだ>

 これはなかなか急所をおさえている。そこで、今日は北さんのこの文章をうけて、私の憲法認識をかいてみよう。憲法問題について整理すると、次の三つの選択肢が浮かぶ。

�〃�法に従い、自衛隊を解散する。(自衛隊違憲)

��憲法の解釈をかえて、自衛隊を存続(自衛隊合憲)

�7�法を改定して、自衛隊を存続させる。(自衛隊合憲)

 自民党のタカ派は改憲��である。自民党のハト派は、憲法の解釈を変えて、自衛隊を合憲にすればいいという�△領�場だ。日本の進歩的知識人も多くはこの主張に同調する。

 私は自衛隊は違憲か合憲かと訊かれたら、「違憲」と答える。第1条で、はっきり武力を行使しないといっている。そして、第二条で、そのために(in order to)武力は保持しないと念押ししている。

 自衛隊は明らかに武力であり、憲法上違憲というほかない。これを合憲というのであれば、あらゆることが許される。日本語は何と曖昧でいい加減な言語だろうと、だれも信用しなくなる。

 憲法が成立したとき、このような曲解が出てくるとはだれも思わなかっただろう。これは明らかに、軍隊の存在を否定するものであり、そのことを疑う人はいなかったと思う。

 ところが冷戦が始まり、アメリカはソ連や中国を叩くために、日本を使いたくてしかたがなくなった。かって、イギリスやアメリカは日本を使ってロシアを叩かせたが、それの現代版である。

 しかし皮肉なことに、アメリカが求めた「軍事力の放棄」が、このアメリカの戦略を阻んだ。しかもこれがあるため、日本に思うように武器を売ることもできない。アメリカのたいへんな誤算だった。

 日本がアメリカと戦争になったのは、ロシア戦争の資金をアメリカとイギリスの財閥に求めながら、そのときの約束であったシベリアの共同開発を、日本が拒絶したためだ。ルーズベルトはこの翌年に、オレンジ計画で日本を叩く計画を立てている。

 話をもとにもどそう。自衛隊はあきらかに違憲であるというのが、憲法の正しい解釈だが、そうすると、自衛隊はすぐさま解散すべきなのか。

 私はそうは考えない。自衛隊は即座に解散すべきではない。時間はかかるかもしれないが、憲法の精神にのっとり、近隣諸国との平和外交を心がける中で、これを解消していけばよい。

 その場合、大切なことは、現状が「違憲状態」であるという自覚をもつことだ。この自覚があって、近隣諸国となかよくしようという努力が生まれる。

 大切なことは、憲法を変えることでも、憲法の解釈を変えることでもない。武力が必要でない社会のシステムを、近隣諸国との友好を拡大することによって創り上げることだ。この理想に向かって、私たちがたゆまず歩み続けることだ。

 また、こうした不断の努力が必要なことは、基本的人権にもいえる。第11条には、「この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と書かれている。基本的人権が尊重される世界で戦争は起こりようがない。

(参考サイト)
http://www.ctk.ne.jp/~kita2000/zakkicho.htm


2005年06月26日(日) あきれた迷惑メール

 毎朝、PCを起動して最初にやることはメールチェックだ。私のところへは毎日60通ほどのメールが届く。その中には私が希望して配信して貰っている政治・経済や哲学、語学関係のメールマガジンがあり、参加型の「戦争を語り継ぐML」など、楽しみにしているものもかなりある。

 しかし、大半は勝手に送られてくる宣伝用のメールだ。そしてその大半はアダルト関係のエッチなメールである。出会系のお誘いメールも多い。これを一々削除するのが面倒だ。間違えて、知人からのメールまで削除することがある。

 こうしたアダルトメールは迷惑以外の何者でもないが、馬鹿らしい内容に笑ってしまうことがある。いつか日記で紹介しようと思っていたが、友人のtenseiさんが日記で紹介しているのを読んで、これを拝借することにした。6/24の「tensei塵語」から引用させていただく。

<仕事で疲れ果てて帰り、帰ってもなお仕事への強迫観念に駆られ、PCを起動して、、、まず最初にやるのがメールチェックなのだが、その次にやるのが迷惑メールの削除である。稀に、迷惑メールだと思って開いてみたら、珍しい友人からのメールだったり、買い物の確認めーるだったりしたことがあるので、よほど明らかなけったいなタイトルでない限り、いちいち開いてみては削除、開いては削除の繰り返しである。めんどうだが、しょうがない。ま、帰宅後の時点ではだいたい7、8通といったところである。それから寝るまでに数通、さらに朝チェックして数通程度である。4、50通も届くという人もいるそうだから、被害は軽い方かもしれない。

 それにしても、4月の中旬にこの件について書いて以来、メールの内容もかなり進化したようだ。あのころの内容なんて、もう実に平凡な内容に思われる。最近時々届く、もっとも驚かされたパターンはこれだ。

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Re:落札通知

この度、あなた様を女性会員にセリをさせて頂きました。その結果、小野美沙子さんが6万円であなた様を落札致しましたのでご連絡する運びとなりました。あなた様はVIP会員(無料にて近隣女性にプロフ紹介)とさせて頂き、無料ポイント進呈致します。会員画面にてご確認下さい。(後略)
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おいおい、、いつの間に売りに出されたんだぃ?
しかも、ひどい安売りじゃないかぃ!
こんな失礼なメールもらって、アクセスするやつがいるんかぃな??
しかも、こんな安値つけておいて、VIP会員だの、落札した女性がいるといいながら、近隣女性に紹介だの、内容が支離滅裂である。
さらに、なんじゃこれは!! というやつ。

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sub.真剣なお願いがあります

貴方の精子をください!
子供ができなくて困っています。
絶対迷惑はかけませんので中出ししてください!
一回10万円で妊娠できたらお礼として50万円さしあげます。

詳しくは、すぐ連絡先教えます。できれば本日中に返事ください。
一応プロフィールも載せておきますね (後略)
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ま、6万円ぽっちで競り落とされるよりはましだけどね。このメールを、そのうち塵語のネタにしようと思って、削除しないでスパムメールボックスに保存しておいたのだが、2日後のきょう、この続きが届いた。

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以前真剣なお願いがあるとメールした理沙ですが…

ずっと待ってたんですが…ダメなんでしょうか?
本当に貴方の精子をもらえませんか?子供ができなくて困っているんです。
一回10万円は安いのでしょうか?
妊娠できたらお礼として50万円さしあげます。
絶対迷惑はかけませんので中出ししてください!
できれば本日中に返事ください。
一応もう一度プロフィールも載せておきますね。
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してみると、敵も容易には餌食にありつけてないということか。。。いろいろ新手を考えるんだろうけど、これでほいほいとアクセスする男がいたとしたら、異常だ。

その他にも、お金持ちの人妻ばかりだからおこづかい月100万円とか、「メール遅れてごめんね」でいきなり始まるやつとか、、、挙げればきりがないほどあの手この手で送ってくる。似たようなのが繰り返し送られてくるところを見ると、きっとランダムでなく、アドレスのリストか何かがあるのだろう。(略)

 この種のメールが、実は何を目論んでいるのかを確かめることもできない。これだけあの手この手で来られると、目的は何だ、とかえって興味深い。〈出会い〉を装いながら、実は〈金払え〉だけなのかもしれない。本当は、そこまで探検して、真相を明らかにしなければいけない。けれども、配信停止手続きさえ迷惑メール増殖手続きの疑いがあるのだから、触らぬよう努め、ひたすらポチポチ削除作業を続けるしかない。見るたびに、余計な仕事を増やしおってー(`ε´)と、腹立たしくてしょうがないが、いいかげんにしろーー!!(`ε´)と怒りの返信をするわけにもいかない。。。(略)

正体不明の迷惑商売、、、撲滅不能。。。便利な世の中になったと喜んでいたら、その便利さを悪用してアホな生き方をするやつらも湧いて出たということだ。>

http://www.enpitu.ne.jp/usr1/18221/diary.html


2005年06月25日(土) 繁栄の蔭で

 豊田市の新設高校に勤務していたことがある。私のクラスにはトヨタの人事部長(後の副会長)の息子もいたし、下請けの工員の息子もいた。夏休みに一軒ずつすべての家庭を訪問して歩いたが、ほとんどはトヨタかトヨタ関連の会社の従業員だった。

 家に上がり込み、父親とも話をした。体をこわしている人も結構いた。会社を辞めたいという人もいて(実際に高校の用務員に応募してきた)、そうした人たちの話を聞いていると、それまで抱いていたトヨタのイメージが崩れた。

 トヨタの組合は御用組合で、社員の健康管理をしっかり考えているようには思えなかった。まさにそこにあるのは、マイホーム資金まで質にとられた滅私奉公の世界だった。はっきりいって、これは人間の生活ではないと思った。

 トヨタではつい最近まで時間外労働が平然と行われていた。国会で追求されて、あわてて改善したのはつい去年のことだ。経団連の会長まで出している日本を代表する企業としてははずかしい。

 3期連続の増収増益、日本企業として初めて1兆円を超える連結純利益を挙げたトヨタだが、トヨタ労組はベア要求の見送りをした。ボーナスは組合員平均244万円の満額回答だったものの、稼ぎ頭の産業がベアを見送るのはどうしたことか。

 トヨタのような優良会社がその利益に見合った賃金を支給しなければ、国内で有効な内需も生み出されない。景気回復に貢献しないのは、反社会的だといわれても仕方がない。

 アメリカの自動車産業の不振がいわれているが、アメリカの産業は従業員健康保険や年金の負担が日本のメーカーと比べて2倍以上もある。それだけハンディを背負っている上に、労働者の文化も日本と欧米では違っている。

 国内に乗用車メーカーだけで8社もあって、薄利多売の競争を繰り広げている日本の自動車産業はたしかに競争力がある。しかし、それが労働者の人生の犠牲の上に成り立っているということを理解すべきだ。

 さらに罪なことは、日本のこうした人権蹂躙奴隷体制が、世界の労働者の生活をも破壊してきたことだ。明治大学の黒田兼一さんによる現地報告「GM、UAW、そしてランシング---工場リストラ現場を訪ねた」には、その様子が次のように描かれている。

「構内に入った途端、Kanbanカンバン、Kaizenカイゼン、Pokayokeポカヨケ、Seiri-Seiton-Seiketsuセイリ・セイトン・セイケツ、Andonアンドン、こういう文字が飛び込んでくる。『ここはGMではない。トヨタの元町工場だ!』と錯覚を覚える」

 日本の自動車産業の時代錯誤とでも言うべき生産様式が世界を席巻し、労働の現場を灰色の非人間的なものにかえ、本来の労働者の文化を崩壊させてきたことがうかがえる。

 資本の奴隷となってあくせく働くばかりが人生ではない。誰かが勝てば、誰かが負ける。勝ち組になりたいと必死にがんばる気持ちは分かるが、社会全体のためにも、個人のためにもほどほどにしておいたほうがよい。

 そもそもA社とB社がシェヤを争い、Aが勝とうがBが勝とうが、それがなんであろうか。勝ち負けでは得られない、もっと大切なもの、こころの豊かさを置き忘れてまで没頭することではない。


2005年06月24日(金) サラリーマン増税に反対

 政府税制調査会(首相の諮問機関、石弘光会長)は21日、個人所得課税の見直しに関する報告書を公表した。税負担を軽くする各種控除について軒並み縮小・廃止の方針を打ち出した。景気対策の定率減税の全廃と、地方への税源移譲のための所得・住民税の税率変更を盛り込んだという。

 おりしも学校で収入の少ない家庭の生徒に給与する「修学資金」の係をしていて、その書類の整理に追われている。生徒の持ってきた源泉徴収票から数字を拾って計算しなければならない。父親がリストラ中であったり、体をこわしていたり、ガンでなくした母子家庭だったりする。みんなそれなりの理由をもって、定時制で学んでいることがわかる。

 これまで源泉徴収票などというものをしっかりみたことがなかった。税金の仕組みについて書かれた本を片手に、「収入」「所得」「所得控除」などの正確な意味を探り、数式の意味を理解しようと毎日悪戦苦闘している。おかげで、税金のしくみがよくわかった。

 給与支払金額−給与所得控除=給与所得控除後の金額

 ここで、給与所得控除というのは、事業者所得でいうと「必要経費」にあたるものだ。この額は給与所得の金額に応じて機械的に決まる。その表がある。たとえば、

 5,000,000円〜5,004,000円未満=1540,000円

 給与所得控除後の金額=5,000,000円−1540,000円
                 =3,460,000円

 という具合だ。つまり500万円の年収がある人も、課税の対象になるのは346万円ですむことになる。給与所得控除分154万円は課税の対象から除かれるわけだから、この金額が大きければそれだけ税金が少なくてすむ。

 ここまでは一律な控除だが、この先、課税対象者の条件の違いによって、基礎控除(38万円×扶養者数)、配偶者控除、特定扶養控除、生命保険料控除などと言ったさまざまな個別な所得控除がある。その合計が「所得控除の額の合計額」である。給与所得控除後の金額からこれを引いた「課税給与所得金額」が課税対象になるわけだ。たとえば、所得控除の額の合計額が73万円なら、つぎのようになる。

課税給与所得金額=給与所得控除後の金額
              −所得控除の額の合計額
             =346万円−73万円=273万円

 これに定額税率0.1を書けた額が基本的に税金だということになる。しかし、実際は、景気対策のために定率減税が実施されてきた。これを差し引いて、最終的な税金である「源泉徴収税額」が決まる。たとえば20パーセントの定率減税だと次のようになる。

 源泉徴収税額=課税給与所得金額×0,1−定率減税
          =273万円×0.1−5.46万円
          =21.84万円

 つまり、現行の税制だと500万円の収入人はおおよそ22万円ほど税金をとられるわけだ。もちろん年収が上がれば、税金の割合も高くなる。

 政府は税制をかえて来年から所得控除を大胆に縮小し、定率減税も廃止して、大幅な「増税」をしようとしている。これについての批判を、江草乗さんのコラムから引用させていただくことにしよう。

<サラリーマンには必要経費が認められない。オレは仕事の時にスーツを着ていることが多いが、それは自前で用意しないといけないのである。また、教材研究のために本代をかなり使ってるが、それもまた自前で払わないといけないのである。仕事用に使うノートパソコン二台とデスクトップ二台を買った費用はもちろん自前である。

 そうしたすべてのものに対して必要経費が認められない代わりに、一定の金額を所得から控除してくれるという仕組みが「給与所得控除」という制度だ。年間の給与所得控除の総額は給与所得総額(約213兆円)の約3割にあたる61兆円(2005年度予算ベース)である。この61兆円からさらなる税金をぼったくろうと政府は考えてるみたいなのである。この控除額を今の水準の3分の2に減らすと、年収500万円の世帯(夫婦と子1人)で約10万円、年収800万円の世帯で20万円の負担が年間に新たに生じることになる。高給取りのサラリーマンにとってはかなりのダメージである。配偶者控除や特定扶養控除も廃止される方向だという。

 こんな税制変更は断じて許してはならない。もしも今の財政悪化の責任がオレにあるのなら、どんな罰も甘んじて受けよう。どっこいそんなわけがないだろう。てめえら政府の馬鹿どものゼニの使い方が悪かったから財政状況が悪化したのであり、100%オレのせいなんかではないのである。オレ同様に馬鹿正直に源泉徴収で税金を支払ってきた日本中のサラリーマンには何の罪もないんだぜ。全くひどいことしやがって。

 この見直しに関して政府税制調査会の石弘光会長は「この国を支えるには、サラリーマンに頑張ってもらうしかないというメッセージを送りたい」と発言したという。それはただ「取りやすい所からもっと取る」だけのことであって、税負担の公平とはほど遠いどころか、ますます不公平は拡大するのだ。ガッポリ脱税しているパチンコ屋や不動産業者、風俗嬢やヤクザといった連中はそのままにして、これまでまっとうに税を払ってきたサラリーマンからさらに取ることのどこに正義があるのか。>

http://www.enpitu.ne.jp/usr4/41506/diary.html

 所得税は過去十数年、定率減税や課税最低限の引き上げなど、景気浮揚のために減税で、最盛期で約26兆円あった所得税収は約14兆円にまで落ち込んでいる。一方で、国債の発行は増大するばかり。財政再建が必要なことはわかるが、その方向性には大いに疑問がある。税制改革については私なりのビジョンをもっているが、長くなったので、今日はこのくらいにしよう。


2005年06月23日(木) GDP神話の虚妄

 GDP(国内総生産)というのは国内で生産される財やサービスの全体だ。つまり国民の所得の合計。経済成長の指標でもあり、これをいかに増大させるかに各国はしのぎを削っている。

 ここに手っ取り早くこれを実現する方法がある。隣の家とペアを組んで、隣の家の奥さんに家事をやってもらい給料を払うのだ。そのかわり自分の妻は隣の家に出稼ぎに行って、給料を貰ってくる。これを全国の家庭で実施する法律を作れば、GDPは一挙に増大するだろう。

 もっと効果的な方法もある。政府が成人男女に武器の所有を義務づける法律をつくればよい。これで武器会社はもうかるし、殺傷事件の発生率が高まるので、病院や葬儀会社ももうかる。僧侶の収入もふえるだろう。

 警察官や警備員も増員しなければならない。弁護士や裁判官や刑務官ももっと必要になる。医者も必要になる。こうした人たちに給料が支払われるので、国民総所得は確実に増大する。

 所得の増大は消費を促す。これによって製造業や各種のサービス業も活気づくだろう。殺人件数が増えれば、社会が殺伐としてきてストレスが高まるので、精神クリニックも繁盛する。弁護士や医者を養成する学校や刑務所も増築しなければならず、建築業界もうるおうだろう。こうして法律を一つ作るだけで、GDPはいくらでも増大する。

 これは冗談のようだが、じつはそれほど現実離れした話ではない。たとえば200万人の囚人がいる犯罪社会アメリカの巨大GDPは、こうした巨大な「犯罪の生産」の基礎の上に築かれている。

 アメリカに限らず、現代社会の繁栄は犯罪と戦争によって肥大した「GDP神話」の上に築かれている。こうした時代の本質を、マルクスはずいぶん前に見破っていた。

<哲学者は理念を生産し、詩人は詩を生産し、牧師は説教を生産し、教授は教科書を生産するのと同様に、犯罪者は犯罪を生産する。

 犯罪者は犯罪を生産するばかりではなく、刑法をも、したがってそれを講義する教授やその為の教科書も生産する。犯罪者はさらに、警察、裁判所、判事、獄史、締刑史などを生産し、拷問のためのきわめて巧妙な機械的発明を生みだし、その道具の生産のために数多くの尊敬すべき手工芸家に雇用をもたらした。

 したがって、犯罪が国民の富の増加を助け、生産力の発展のために貢献していることは、詳しく論証するまでもない。ひとりの泥棒もいなかったら、錠前が今日のように完成したであろうか。ひとりの貨幣偽造者もいなければ、銀行券の製作が今日のように発展したであろうか。

 犯罪はあらたな財産攻撃の手段を提供することによって、たえず新たな防衛手段を生みだし、つまりは生産力の向上を助けている>(剰余価値学説史)


2005年06月22日(水) 財政投融資改革の行方

 国会で議論されている郵政改革は、もともと財政投融資改革の一貫として発想されたものだ。そして財政投融資制度は、すでに2001年4月に廃止することが法律で決まっている。(ただし7年間の移行期間つき)

 つまり、これまで特殊法人は郵貯や年金から資金を「自動的」に調達していたが、これを廃止して、市場から調達するように法律が変えられた。このことによって、特殊法人はこれまでのような日の丸親方のような経営はできなくなる。

 日本の財政には�^貳眠餬廖↓�特別会計そして��財政投融資の3つのものがある。それぞれ財源は、一般会計は所得税、法人税、消費税などの一般税、特別会計の場合は、ガソリン税などの目的税だ。これは例えば道路特定財源として、道路整備に使われる。

 そして、問題の財政投融資の財源が、郵便貯金、厚生年金、簡易保険など。これまでは、郵貯などがすべて大蔵省資金運用部というところへ自動的に移動し、そこで財政投融資として、政策投資銀行や住宅金融公庫、国民生活金融公庫などの手を通り、特殊法人に融資をするというルートだった。

 財政投融資は第二の国家予算と呼ばれ、国会で承認が必要だが、その実質的な裁量権は財務省の官僚やその下請け機関が握っていた。しかもその規模は30兆円を上回り、一般会計の約半分もある。

 これだけのお金を、国会の承認は必要とはいえ、その枠の中で自由に動かせるのは問題だ。この巨大な闇に巣くう利権構造が族議員をがびこらせ、「政・財・官」の癒着をうむ温床になっていた。これを何とか改めようということで、改革が進められた。

 2001年4月の改革で、郵貯などの資金が資金運用部へ流れることがなくなり、郵貯や年金などは市場で自主運用をしなければならなくなった。法的には本来の財政投融資という制度は消滅したことになっている。

 特殊法人も財投債を発行して、「金融市場」から独自に資金を調達しなければならなくなった。現在はまだ移行の過渡期だが、これが本格化すれば、世論の支持を失った効率の悪い特殊法人は「市場原理」によって淘汰されるはずである。

 郵政民営化ももともとはこの「財政投融資改革」を実効あらしめるために、その一貫として考えられたものだ。しかし、最近の小泉首相はこのことに触れようとしない。私は「郵政改革」には慎重だが、本来の「財政投融資改革」については、日本の利権構造を大きくかえるものではないかと期待している。

 なお、��特別会計については、これは全く国会の承認さえ必要とはされていない。小泉首相は道路特定財源の一般会計化に積極的ではないようだ。これも問題だといえる。


2005年06月21日(火) 沖縄・読谷村の悲劇

 18日(土)、NHK総合テレビで「終戦60年企画 沖縄よみがえる戦場 〜読谷村民2500人が語る地上戦〜」を見た。

 昭和20年4月1日、米軍が上陸した読谷(よみたん)村では、犠牲者は、3000人を超えたという。生き残った人たちも、心の傷は深く、口が重い。

 村民を置き去りにして姿を消した友軍。
「天皇陛下のために」ということで始まった凄惨な集団自決の様子。
長男を亡くした知花さんが、孫娘に初めて語るその真実・・・

 一方では、やんばるの密林への逃避行でのおびただしい栄養失調死。そしてアメリカ軍に投降した人たちに夜襲をかける日本軍。スパイ容疑で虐殺される女や子供たち。

 そのとき日本兵の手で父親を殺され、自分も手榴弾で血塗れになった当時4歳だった女性が、現場で同じ恐怖の体験をした女性と再会して、60年振りに苦しい胸の内を語り泣き崩れる姿。

 彼女は忌まわしい記憶の残る沖縄を離れ、大阪で暮らしてきた。しかし、当時8歳で惨劇を体験し、精神を病んで40年も精神病院に入院している兄に会いに毎年沖縄に帰ってきた。だが、戦争のことは誰にも語らなかったという。惨劇のあとが今も顔に残り、少女時代はとくにつらかったという。

 その彼女が、60年振りに、惨劇のあった浜を訪れた。女子供を三列に並ばせ、日本兵たちが一斉に手榴弾を投げたところだ。肉片が飛びちり、片足や首のない遺体が散乱したという。いまその浜に静かに日が降り注ぎ、波が寄せている。

 女性がその浜に佇み、そして風に向かって、「おとうさん、おとうさん」と涙声で小さくつぶやく。その女性の後ろ姿が全てを語っていた。60年前の沖縄の悲劇が想像を絶するものだったことがよくわかった。

 読谷村では、戦争に巻き込まれた村民の運命を後世に伝えるために、沖縄戦の体験者からの聞き取り調査を行い、14年がかりで2500人に及ぶ証言を集め、去年2000ページの戦時記録にまとめたという。その貴重な記録が、インターネットで公開されている。

「読谷村史編集室HP」
http://www.yomitan.jp/sonsi/


2005年06月20日(月) 若鳥の旅立ち

 大学3年生の次女が今月から大学の寮に入った。看護婦の長女はすでにアパートを借りて一人暮らしをしているので、とうとう夫婦水入らずの暮らしになった。

 と言っても、長女も次女も車で40分とかからないところに住んでいるので、時々泊まりに帰ってくる。先日、長女がうれしそうに給与の明細書をもって帰ってきた。見ると手取りで二十数万円ほどもらっている。

 勤続30年近い私の手取りが四十数万円だ。
「お父さんも結構貰っているのね」
 と、私の給料明細書と比較しながら言うが、向こうは一人暮らしで、こちらは扶養家族が二人いる。さいわい長女の学費や生活費は必要でなくなったが、まだまだ家計は火の車だ。

 この数年間、給料は下がり続けている。その上、来年度から所得税の見直して、かなりの増税(数十万円)になるらしい。この春には思い切ってタイへ家族で行ったが、これも定期預金を崩してのことだ。もう崩すべき預金もない。あとは、ひたすら倹約あるのみだ。

 さいわい私は酒も煙草もたしなまない。趣味は読書と思索と散歩。本は図書館で借りるので、お金はかからない。散髪はもう二年前から、鏡とハサミを片手に自前でしている。髪が不揃いだと妻は笑うが、「人間は中身だ」と、まったく意に介しない。

 学校が転勤になって、車に乗ることもなくなった。健康のためにも外出は自転車と徒歩を心がけている。通勤途中に地下鉄からJRへ乗り換えるとき、途中名古屋駅で一気に66段も階段を上らなければならない。4月の頃はこれが苦役に感じられたが、今は苦もなく上っている。足腰が鍛えられたせいだろう。

 昨日の日曜日は、珍しく妻が朝の散歩についてきた。木曽川の堤を並んで歩き、イソシギの親子の姿をさがした。河原にはいなかったが、帰り道に田んぼの中に親鳥が二羽と若鳥が一羽いた。三羽が舞い上がると、隣の田んぼでもう一羽が鳴きだした。

 あわせて四羽のイソシギの親子を確認して、なんとなくほっとした。もうすぐ、イソシギの若鳥たちも親離れするのだろう。颯爽と空を舞う若鳥の姿に、いつか自分の二人の娘の姿が重なっていた。


2005年06月19日(日) 貯蓄の経済学

 郵政の民営化で賛否の議論が戦わされている。350兆円の資産は国民の貴重な財産である。その将来に係わることだけに、ここはじっくりと考えるべきだろう。問題をもう少し広い視野に立って見つめてみることも必要だ。

 そこで、今日は「貯蓄とな何か」ということについて、経済学のイロハをおさらいしておこう。なるべくやさしく、中学生にでもわかるように書いてみる。

 いま、国民が年間の総所得の1割を貯蓄にまわし、9割を消費にまわしたとしたらどうなるだろう。売り上げが1割落ち込むことで、企業は収入を1割減らす。当然、給料も1割減る。こうしたことを繰り返せば、国の生産規模は毎年縮小し、国民の所得も縮小する。つまり、単純な貯蓄は、経済活動を阻害する。

 これを避けるにはどうしたらよいか。国民が貯蓄した金を政府が拝借して、これを消費(公共投資)にまわせばよい。そうすれば企業は業績を悪化することなく、国民の所得も減らない。国民はふたたび1割を貯蓄にまわすことができる。

 この結果、どうなるか。国民は貯蓄をふやし、その分、国家は借金(国債)をふやす。つまり、簡単な数式で表せば、<国民の総貯蓄=国の借金>(貯蓄の方程式)である。実際にはもっと複雑な要因が幾重にも絡んでくるのだが、物事の本質を見るには、このくらい単純化したほうがよい。

 この方程式を見てわかることは何か。つまり、国の借金を減らすには、国民の貯蓄を減らさなければならないということだ。収入のすべてを支出にまわせばよい。経済学の立場から言えば、「倹約は美徳」ではない。「倹約は悪徳」である。

 それでなぜ、国は経済学のイロハを無視して、国民に倹約を勧めたのだろうか。江戸時代は支配階級が贅沢をするためである。百姓が倹約した分、誰かが代わって消費している分には問題はない。

 戦前の富国強兵の時代は、政府がこれによって軍費を調達した。年金制度ができたのも戦時中である。すべては戦争のためだった。それでは、戦後は何のためにに貯蓄が奨励されたのだろう。

 結論を言えば、戦後復興に資金が必要だったからだ。日本は外国からも金を借りて、国内に投資した。これによって、(国民+政府)の消費を維持し、さらには拡大させ、日本は経済成長を達成した。そして過程で、国民の貯蓄は伸び、同時に国の借金も天文学的な額に達した。

 ところで、アメリカの場合はどうだろうか。貯蓄をしない国民でも、政府が天文学的な赤字を抱えることがある。それはどういう場合かというと、その国が覇権国家のばあいだ。アメリカの場合は政府の赤字を、他国の資金によってまかなってきた。だから国民は借金して消費に没頭していてもかまわない。日本が気前よく米国債を買ってくれる。

 なお、ついでに投資が経済に与える影響についても触れておこう。年金や貯蓄にまわされた金が株式に投資されることがある。また、個人でも株を買う場合がある。これによって企業は生産を拡大することができる。しかし、これは「消費行動」とはいえない。

 企業にとって必要なのは、自社の商品を買ってくれる消費者である。商品が売れれば利益が上がり、資金の調達もむつかしいことではない。また従業員や株主へ利益を還元することもできる。これによって経済活動が維持・発展する。

  さて、そろそろ結論をかこう。国の財政を健全化する王道は、国民が安心してお金の使える社会を実現することである。収入を使い切ることは、実のところ、ほとんどの国民にとってむつかしいことではない。わが家では恒常的に赤字である。それだけではない。住宅ローンがまだかなり残っている。

 収入に見合う金を使い切らないのは、裕福な人々だろう。貧富の差が大きな社会ではこうした余剰な貯蓄が増大し、それが時には過度な投資を生みだし、マネーゲームによる生産と消費のミスマッチを生み出す。

 そしてこれを解消するために国の発動する財政政策や対外政策(戦争)によって、さらに国の借金が増大することになる。経済の健全化し、安定した社会を築くためには、貧富の差を是正する必要がある。

 なお、経済のイロハをもう少し極めたい人には、「橋本裕経済学入門」がお薦めである。これは経済の原理から実際までを、専門用語を用いないで、なるべくやさしく、中学生向きに書いたものだ。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/zin4.htm

 また「戦争経済学入門」も参考にして欲しい。今日ここに書いたことがことが、もう少し論理的に精緻に掘り下げられていて、経済面から見た戦争の作られ方がよくわかるはずである。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/sensokei.htm


2005年06月18日(土) イソシギの親子

 梅雨の季節に入り、数日間雨模様の日が続いたが、朝の散歩は毎日欠かしたことはない。途中の田んぼには早苗がすくすくと育っているし、民家の軒先では紫陽花が咲き始め、くちなしも香り始めた。雨の音をききながら、傘をさしての散歩もなかなか風情がある。

 木曽川が近いせいか、鴨や鴫の姿もみかける。この二ヶ月、途中の田んぼでイソシギの夫婦とまいにち顔を合わせた。散歩を始めた頃、三羽の雛鳥の姿があった。田んぼの傍らの畑の中に巣があり、そこで雛をかえしたのだろう。

 私が畑の横の道を歩いていくと、親鳥が「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ・・」とけたたましく鳴き始め、三羽の雛に警告する。そうすると、雛があわてて畑から田んぼの方に跳ねるようにして駈けていく。その様子が可愛らしい。

 なるべく彼らの生活に干渉したくはないと思いながら、つい足を止めたり、時には双眼鏡を携帯して、観察したりした。このようなことを二ヶ月あまり続けたせいか、ますますこのイソシギの親子に愛着がわいた。

 雛鳥も今では大きくなり、空も飛べるようになった。それでも、二羽の親鳥は雛鳥から目を離さず、人が近づくと「ケ、ケ、ケ」と独特の甲高い声をだす。しかし、以前のような神経質な感じではない。子育ても終わりに近づいて、ゆとりがでてきたようだ。

 一週間ほど前に、畑や田んぼからイソシギの親子の姿がなくなった。畑や田んぼの方を入念に眺めたが、どこにも姿が見当たらない。そのかわり、畑の草陰に黒猫がいた。私は胸騒ぎを感じた。というのも、近くにイソシギのものと思われる羽が落ちていたからだ。次の日もイソシギの姿はなかった。

 ところが、3日ほど前、木曽川の堤を歩いていると、河原にイソシギがいた。数えてみると4羽である。一匹が舞い上がると、残りの3羽も舞い上がり、まるで私に挨拶でもするように、「ケ、ケ、ケ、ケ、・・」と鳴きながら、頭上をかすめていく。見覚えのある親子のイソシギだった。

 一羽足りないのはやはり黒猫の犠牲になったのだろうか。それでも二羽育ったのだから、まずは成功した方かも知れない。以前は妻の畑でも毎年イソシギが巣を作っていたという。しかし、雛は滅多に育たなかった。そして去年からはとうとうイソシギはこなくなった。

 畑でイソシギが子育てをしていた頃は、妻もイソシギの「ケ、ケ、ケ、ケ、・・」というけたたましい声をよく聞いたという。あるとき、空を舞う二羽のイソシギの声があまりにせっぱ詰まっているので足許をみると、そこに雛鳥が3羽ほどじっと蹲っていた。

 雛は保護色をしているので、土の色と見分けがつかない。あやうくイソシギの巣を踏む潰すところだったという。こんなとき、イソシギの親は必死になる。人にも捨て身で襲いかかってくる。その母性本能のすさまじさに脱帽しながらも、やはり畑仕事にとっては面倒なことである。近くで農作業をしていた老人は鎌を振り上げて、イソシギを威嚇したりしたらしい。これもしかたがないことかもしれない。

 田んぼが埋められ、畑も姿を消す中で、イソシギや他の鳥たちも安心して子育てできる環境ではなくなりつつある。それでも、人家のすぐ近くの小さな畑で、めげずに子育てを成功させた彼らに、「よくがんばったね」とエールを送りたい。昨日はとうとう河原にもイソシギの親子はいなかった。今日は会えるだろうか。

 イソシギの親子をながめ青田行く
 朝の散歩のたのしみ多し    (裕)


2005年06月17日(金) 年金・郵貯は国民の財産

 一時、テレビや新聞で「年金制度があぶない」ということがしきりに報道された。週刊誌をまたこれを煽り立てた。保険の勧誘員からも「老後をお考えですか。もう、公的年金ではやっていけなくなりますよ」などと脅された。もう年金制度の崩壊は既定事実のような話し方である。しかもこの年金危機の出所はどうも政府らしい。

 政府はこうして国民の危機を煽り立て、年金財政を「5年おきの見直し」と称して、どんどん変更していく。これでは、私たちは老後の生活設計に不安を覚えるのもむりはない。いきおい、現在の生活を切りつめ、貯蓄をしようかというふうになる。郵便貯金と簡易保険の総資産が350兆円にもふくらんだ背景には、こうした老後の不安がある。

 年金制度が破綻するのは、経済の停滞で年金の資産運用益が少なくなったことと、高齢化社会で年金の給付額がかさばるうえに、少子化で収入が減ることが主な原因だという。しかし、こうしたことが天災であるかのように受け取られているのは納得できない。

 これまで団塊の世代は莫大な年金を払ったきた。実際、150兆円を超える年金積立金があるといわれている。厚生労働省の統計では191兆円、財務省の統計では155兆円と食い違っているが、ともかくこれを取り崩せば、年金問題は解決するのではないか。

 法律にも、政府が国民から預かっている年金積立金は、「被保険者から徴収された保険料の一部であり、かつ将来の保険給付の貴重な財源となる」(厚生年金保険法79条2)と銘記されている。ところが、政府はこの150兆円の資産を取り崩しに消極的である。

その理由ははっきりしている。この資産のほとんどが、郵貯・簡保と一緒にされて財政投融資や国債の購入にまわされているからだ。しかも、資金が投入された特殊法人の財務内容がかんばしくない。

 日医総研の調査によれば、27機関中24機関が元本返済はおろか利息も事業利益ではまかなえずに、国からの補助金等や財政投融資で生き延びる「追い貸し」状態にあるという。その他、地方公共団体と特別会計も不良債権が増殖していて、90兆円近くの年金積立金が不良債権化しているというのだ。

 つまり、私たちが積み立てたきた年金は、こうした形で政府によって国債や公社などに投資され、その半ば以上は不良債権化しているか国債、もしくは米国債に化けていて、取り崩しがむつかしいわけだ。こう考えてくると、年金は郵貯・簡保と同様な資金運営上のむつかしい問題をかかえていることがわかる。

 政府は銀行に何十兆円という巨額の公的資金を投入して、これを救済した。しかしこの過程で、政府は巨額の公債を発行しなければならなかった。また、景気を回復させるために、巨額の公共投資をした。

 さらにバブル期に歴史をさかのぼれば、アメリカとの貿易不均衡問題があった。黒字減らしのためアメリカから構造改革を突きつけられ、内需拡大のために巨額の公共事業を強要された。さらに、アメリカの財政赤字を補填し、ドル暴落を防ぐために多額の米国債を購入しなければならなかった。

 こうした国策のために、年金や郵貯が惜しげもなく使われたことが問題である。間違っていたのは国策のはずだが、それがいつのまにか年金制度や郵政民営化の問題にすりかわっている。

 繰り返しになるが、郵便貯金と簡易保険の総資産が350兆円にもふくらんだ背景には、老後の不安がある。政府がやるべきことは、年金制度をいじくりまわしたり、郵貯や簡保を廃止することではないはずである。

 国民は老後も安心して暮らせることがわかれば、貯蓄に走ることはない。そのかわり現在の生活の質をゆたかにするためにお金を使うだろう。そうすればいやでも需要がたかまり、経済はすこやかに動き始める。

 人々は株式や他の金融商品にも目を向けはじめ、郵貯や簡保の規模も縮小するだろう。政府がやるべきことは、国民に不安を掻き立てることではなく、こうした安心を与えることでなければならない。年金や郵貯は汗水流して貯えた貴重な国民の財産である。これをもっと大切に扱ってほしいものだ。


2005年06月16日(木) 官と民の共存が理想

 小泉首相の政治家としての本願は「郵政民営化」だという。それでは何故、「民営化」なのか。よく効率の問題がいわれるが、郵便事業が赤字でも郵便貯金と簡易保険を合わせた郵政公社の経営は黒字である。不良債権をかかえ、赤字体質の公社・法人が多い中で、郵政公社はよいほうの例外である。

 サービスの点でも、国民にそれほど不満があるわけではない。むしろ民営化によって、郵便事業そのものの黒字化が志向されれば、現在の全国一律の郵便料金が見直されるなど、サービスの低下が懸念されている。

 郵便貯金と簡易保険の総資産が350兆円もあり、これが増え続けているということは、国民がそれだけ郵政公社を頼りにしているということだろう。これをなくするということは、国民の要望からも離れている。

 それでは、郵便貯金と簡易保険が民業を圧迫しているという指摘はどうだろう。たしかに多くの不良債権を抱え、市場の信用が低下している銀行に比べ、国の後ろ盾をもつ郵政公社は恵まれているように思われる。これが市場原理を歪めているという指摘は、いちおうもっともなように思われる。

 しかしそもそもなぜ銀行が不良債権を抱えるようになったのか。それはバブル期にハイリスク・ハイリターンを狙って、無理な投資をしたからである。これが土地や株の高騰につながり、バブル経済を誘導した。民業圧迫だというが、そうした事態を招いた責任は銀行や保険会社にあることを忘れてはいけない。

 国民の中には、ローリターンでもローリスクを志向する人もいる。そうした保守的で堅実な人たちの受け皿として郵便貯金と簡易保険があった。結果的にバブルが崩壊して、ハイリターンを狙った民業が沈下する中で、ローリスク・ローリターンの郵政公社が生き残ったということである。

 郵便貯金と簡易保険の融資先は、6割が財政投融資、残りの4割が国債である。いずれもローリターン・ローリスクの代表だが、経済が落ち込み、株や土地の価格が下がり、金利が低下する中で、これがローリターンといえなくなった。今では銀行までが国債を買い、その利息をあてにする時代になっている。

 そこで民営化が必要だという人たちは、最後の切り札として、財政投融資と国債の問題を出してくる。財政投融資の融資残高は今や400兆円にもなり、これは国家の一般会計予算80兆円の5倍にもなる。

 政府はこれだけの金を道路関係4公団や住宅金融公庫 中小企業金融公庫などへ融資して、道路やダム、港湾、空港、住宅などの社会インフラ整備をしてきた。しかし、その運営はかなり非能率で、これらの公社はのきなみ赤字を抱え、不良債権化している。

 政府の財政投融資の内容は見直されるべきである。現にこれらの公社の民営化や、むだな公共事業そのものの自粛という形で、その見直しは進んでいる。しかし、これがまだ十分とはいえない。そこで、いっその郵政公社そにものを民営化し、資金源を絶つべきではないかという議論がはじまったわけだ。

 同様のことは国債にもあてはまる。わが国の国債発行残高700兆円にもなるが、そのうち郵貯・簡保から150兆円があてられている。国債をこれ以上増やさず、国の財政を健全化するためにも郵政の民営化が必要だというわけだ。

 たしかに国債の発行残高を減らし、国の財政を健全化することは必要だが、小泉首相も結局年間の国債の発行を30兆円に抑えるという公約をはたせなかったように、これを郵政公社のせいにするのは無理がある。なぜならこれは政治姿勢の問題であり、財政政策の問題だからだ。たとえ民営化されても、国債が発行されれば、官民を問わず、これに協力しないわけにはいかないだろう。

 こうして考えてくると、郵政の民営化論はどれも根拠があやしいことがわかるだろう。しかし、郵貯が約230兆円で民間の三大銀行グループの総資産の合計に匹敵し、簡保の総資産(総預かり資金)は125兆円で 生保大手5社の合計総資産よりも大きいというのは、やはりあまりにアンバランスである。

 たとえこのアンバランスが、銀行や生保、それから政府の財政政策の失敗によるところが大きいといっても、もはや何らかの方法で是正すべきであることはまちがいない。ただその方法が、「郵政民営化」ということでよいのかということである。

 民営化しても、すでにその資産は国債と財政投融資という形で各公団に貸し出されている。これを引き上げてしまうとどうなるのだろう。公団に貸し出されている資金は多くが不良債権化しているし、国債にしてもこれを売却することは現実問題として不可能なことである。民営化すればすべてが解決するというのは幻想に過ぎない。

 私は民営化はいちがいに悪いことだとは思っていない。しかし、医療・福祉・教育・電気・水道・交通・郵政といった公共性の高い分野は、官と民の共存が望ましい。それぞれに一長一短があり、それぞれの特性を生かして、サービスを多様化させることが大切だと思っている。

 官民格差があるとしたら是正すべきだが、これも感情論ではなく実態をふまえるべきだろう。「日本は、OECD諸国の中でも公務員をどのように定義しても、人口当たりの、あるいは雇用労働者に占める公務員の比率は最も低い」といわれている。たとえば、民営化の先進国アメリカに比べても、その数は半分以下だ。日本の公務員がとくに質が悪いということではない。むしろ国際比較すればトップクラスだろう。

 たとえば、教員を例に取ろう。いまや先進国で40人学級の国は日本くらいのものだ。教員の割合が少なく、GDPにしめる教育予算の割合もはるかに少ないなかで、日本の学生の学力は常にトップレベルである。つまり、日本の教員の質は(大学をのぞいて)世界のトップレベルだ。日本の教員くらい、教育に熱心な良質な集団はいないということではないか。(自画自賛)

 がんらい、公務員というのはローリスク・ローリターンの代表のようなものだった。収入の点からいっても、それほど恵まれていたわけではない。それがバブル崩壊後、経済全体の伸びが鈍り、民間のハイリスク・ハイリターンが抑制される中で、相対的に公務員の経済的地位が向上してきたわけだ。その意味で、郵政公社と民業との関係に似ている。

 民営化問題には、さらに、もう一つ克服されなければならない重要な点がある。ライブドアによる企業買収の動きがあったが、現在のような日本の脆弱な経済体制のもとでは、郵政が民営化されればいずれその資金や資産の多くは外資の手に落ちるかもしれないという資本防衛上のリスク問題だ。

 このリスクを無視できないことは、アメリカ資本が5割をこえるIMFや世界銀行が行ってきたことをみれば明らかだ。彼らがまず求めるのは「民営化」だ。これで国有財産のプロテクトを外す。次は、「資本の自由化」だ。これで外資が自由のその国の経済を支配できるようにする。そして「市場原理の貫徹」「貿易の規制緩和」と続き、グローバル化、すなわちアメリカ化が完了するわけだ。

 これによって豊かな生活が保障されるのは、国民の1割り程度である。つまり、1割の裕福層のために、9割の庶民が割を見る社会が生まれることになる。それは現在のアメリカをみればいい。

 日本は景気回復のために公共事業を使った。そして不要な施設をたくさん作った。しかし、アメリカの場合、日本の公共事業に相当するのが「戦争」である。アメリカは軍産複合体に支配されていて、戦争をしなければ経済が成り立たない。

 大量に武器を輸出し、世界中に戦争や紛争を持ちこんでいるアメリカと、武器禁輸三原則を守り、国の内外に橋やダムや道路ばかりつくってきた日本とどちらがよいかと訊かれたら、私は平和な日本を選びたい。

 とはいえ、私は現在の日本を支配する「政・官・業」の癒着を放置しておいてよいとは思わない。これを変えるための一つの手段として、税制もふくめた特殊法人の見直しは必要だろう。大切なことは、私たちがどのような社会を理想としているのかということだ。

 そうした原点を大切にして、私たちは政治や経済に今何が必要かということを、もっと広い視野に立って、根本的に問い直してみることだ。郵政民営化も手段あり、目的ではない。何のための民営化かということを、政府は国民にしっかり説明すべきである。


2005年06月15日(水) 石原都知事にもの申す

 6月6日、石原慎太郎都知事は2人の副知事と教育長、出納長を交代させる人事を都議会に提案した。6月7日の朝日新聞社説によると、石原知事は週に2.3日しか登庁せず、知事としての仕事を側近の浜渦武生副知事に任せていたという。

 そのために彼が知事の名代として、すべての政策や人事に口を出すようになり、権限が集中した。ほかの副知事が担当する分野でも、まず浜渦副知事に「お手紙」を出し、事前に了解を取らないと知事に説明もできない。ミスをすると「わび状」を求められる。そんな状態が続いてきたのだという。

 東京都議会は百条委員会を設けて浜渦副知事の責任を追及し、「知事にあげる情報と人事権を独占し、恐怖政治となっている」「都政は混乱し、著しい停滞を招いている。この混乱は都民にも影響を及ぼしている」などと、問責決議した。

 こうした混乱のなかで6人の特別職のうち4人が辞表をだした。浜渦副知事の首をとったことで都議会は矛を収めたが、都民は納得しているのだろうか。朝日の社説も、石原知事の責任が不問にされているのが不可解だと述べている。

 毎年A級戦犯の祀られている「靖国神社」には熱心に参拝している石原知事だが、東京大空襲60年目にあたる今年、墨田区にある東京都慰霊堂で、秋篠宮ご夫妻が出席のもとに行われた3月10日の「春季慰霊大法要」には、石原知事は体調不良のため欠席し、副知事がメッセージを代読したのだという。

 ところが当日の石原知事の記者会見で、慰霊祭のことを聞かれて、「私は今、行ってきました」と答えたあと、東京裁判のことから、東京を空襲したアメリカの批判を延々と展開した。

 これで本当に、都民のために働いている知事といえるのだろうか。派手なパフォーマンスや口ばかりでなく、もうすこし地道に都民のためになる仕事をされてはいかがだろう。


2005年06月14日(火) ソロンの改革

 ディオゲネス・ラエルティオスの「ギリシャ哲学列伝」は、タレスに続いてソロンを取り上げている。ソロン(BC640〜BC560)はアテネの民主政治の基礎を築いた政治家で、「ソロンの改革」は高校の教科書にも出てくる。哲学者というより政治家として有名な人だ。ギリシャ七賢人の一人でもある。

 BC594年にアルコンに就任したソロンは、「重荷おろし」といわれる政策を実行し、借金で苦しんでいた人々を、その負債から解放した。彼自身も彼の父親が貸し付けていた金があったが、その債権を放棄した。まず自らが放棄して、人々にも見習うように説得したのだという。こうして彼は貧しい人々の間に人望を築いていった。

 当時のアテネは貨幣経済が急速に進み、貧富の差が拡大していた。市民の大半を占める中産階級である農民が没落し、富の二極分化すすみ、社会が安定を欠いていた。これを是正するために、ソロンはさまざまな改革を行った。市民最下級者にも民会出席の権利を保証し、土地の私有化を制限する法律を作ったりした。

 こうした改革は当然裕福層の反発を買った。民衆は彼に僭主としての独裁権を与え、さらなる大胆な改革(たとえば農地解放のようなもの)を要求したが、彼はこれを拒んだ。彼の改革はなるべく民主的に社会を安定化させることで、貴族階級を一掃するような過激なものではなかった。その意味で良識的なものだったが、民衆からすればもの足らなくあった。

 こうした民衆の不満を背景に台頭してきたのが、彼の縁者で改革の協力者でもあったペイシストラトスだった。彼はより根本的な改革を目差し、貴族階級と対抗するために自分に独裁権を与えることを迫った。そのために、自分の身体を傷つけ、政敵に襲われたという狂言も演じてみせた。ペイシストラトスの手口にソロンは危機感を覚えた。

「アテネ人の諸君、わたしはあなた方のなかのある人よりは賢いし、ある人たちよりも勇気がある。つまり、ペイシストラトスの詭計を見破れないでいる人たちよりは賢いし、またそれを知りながら、恐怖心のために沈黙している人たちよりは勇気があるのだ。私が狂っているかどうか、少しの時がたてば、町の人たちには分かってもらえるだろう。真理がみんなの真ん中にあらわれてくるそのときは」

 彼の諫言は民会を動かさなかった。人々はソロンは狂っていると言った。失望したソロンはアテネをあとにして、エジプトへ逃れ、ついでキプロスへ渡った、そこからさらにリビアのクロソス王のもとに行った。ソロンのもとへターレスからミトレスに来るように誘いがあったが、やはり僭主が支配するミトレスには行きたくなかったようだ。彼はアテネの人にこんな手紙を書き送った。

「あなた方があなた方自身の卑怯のゆえにひどい目にあっているとしても、それらのことの責めを神々に帰してはならない。敵に保証をあたえて、彼らを増長させたのはあなた方自身なのだから。そしてそれゆえに、あなた方はいま不幸な隷属状態におちいっているのだ。

 あなた方の一人一人は狐のように用心深いが、全部が一緒になると、あなた方はまるで分別がないのだ。甘い言葉で誘う舌に心を奪われて、実際に行われていることには何一つ注意していないのだから」(あるアテネ人へ)

「すなわち彼は、民衆指導者として出発したのです。ついで彼は、自分で自分の身体に傷をつけておいて、民衆法廷に姿を現し、この傷は敵対者から負わされたものだと大声で叫んで、自分に四百人の若者を護衛兵としてつけてくれるように要求しました。そこで市民たちは、わたしの言葉には耳をかさずに、それらの若者を提供してやったのですが、この者どもは棍棒を携帯していました。そしてその後で、彼は民主制を破壊してしまったのです。かくて、わたしがアテネ市民のなかの貧しい者たちを農奴の状態から解放してやろうと努力したことも実際無駄になったわけです。いまや市民すべてが、ペイシストラトスという一人の主人に奴隷として仕えている始末ですから」(エピメニデスへ)

 一方、アテネに独裁制をしいたペイシストラトスは、ソロンに手紙を送って、帰国をうながしている。これに対する、ソロンの答えも、あわせて紹介しよう。いずれも、ディオゲネス・ラエルティオスの「ギリシャ哲学列伝」からの引用である。

「アテネ市民は、貴殿が彼らに定められた法規に従って生活することをわたしは認めておりますし、彼らは民主制下にあるときよりももっとよく治められているのです。というのは、わたしは何人にも分を超えた振る舞いを許さないからです・・・貴殿がわたしの友人の一人になることを望まれるなら、貴殿は最高の待遇を受けられることでしょう。どうか、われわれのことで、貴殿が祖国を失われることのないようにしていただきたいものです」(ペイシストラトスからソロンへ)

「アテネ人にとって、一人の人間に支配されたほうがよいのか、それとも民主制の下で暮らすほうがよいのか、われわれ二人のどちらも、自分の考えによって決めることにしましょう。わたしは、貴君がすべての僭主のなかですぐれた方であることは認めていますが、しかしアテネへ再び帰るのは、私にとって適当でないと見ております。わたしは、アテネ人に平等の市民権を与えましたし、また僭主となる機会があったときにも、自分でそれを断っておきながら、今になって帰国して、貴君がなさっていることを是認するとしたら、ひとはわたしを非難するでしょうから」(ソロンからペイシストラトスへ)

 ソロンは独裁者のもとに生きている人々は「そろばんの小石」のようなものだと語っている。たとえその生活が保障されていても、棒にしばられて独裁者に操られる小石の生活は、自由を重んじる彼には屈辱でしかなかったし、アテネの人々がそのように暮らすのを見ることも堪えられなかったのだろう。

 彼はどのようにしたら公正な社会が実現できるかという問に、「不正な目にあっていない人たちが、不正な目にあっている人たちとおなじような憤りを感じるならば」と答えている。2千5百年を経て、ソロンのこの言葉は私の胸に響いてくる。

 彼はあるべき社会を探求するにあたり、暴力ではなしに言論による自由や真理(ロゴス)を重視する立場に立っていた。この意味で、彼も又タレスと並ぶ哲学者だった。この哲学はやがて彼の祖国アテネに受け容れられる。そしてペリクレス(BC495〜BC429)がさらにこれを徹底させて、アテネ民主制の黄金期を実現することになる。


2005年06月13日(月) ロゴスの発見

 アインシュタインは13歳のときユークリッドの「幾何学原論」を手にして、その美しさに魅了された。彼の「自伝ノート」にはそのときの感動が印象的に綴られている。たとえば、三角形の三辺の垂直二等分線が一点で交わることを知り、真理(ロゴス)の神秘な力に打たれたという。

<人は普通、幼い頃から日常に眼にするものには慣れてしまって驚かないものです。例えば物体や雨が落ちること、あるいは月や太陽が落ちてこないことにについては驚きません>(自伝ノート)

 この何でもない日常の世界の背後に、もうひとつ驚くべき世界が隠されている。そこには美しい秩序が存在し、そしてこの仕組み(ロゴス)が、じつはこの日常的な世界そのものを背後で支え、支配している。

 こうした「ロゴス体験」を、数学者や科学者はどこかで経験している。世界を貫いている美しい秩序が存在すること、その神秘に魂の眼を見開かれたとき、人は森羅万象の中に「神」を見出す。そして世界がその瞬間から、真実、驚くべきものに変貌する。

 それでは、世界の歴史の中で、最初に「ロゴス体験」をしたのはだれだろうか。私たちはその歴史を、ニュートン、ガリレオから、アルキメデス、ピタゴラスへと、ギリシャの哲学者たちにまでさかのぼることができる。

 ディオゲネス・ラエルティオスの「ギリシャ哲学列伝」には81人のギリシャの哲学者の伝記が記されているが、第一巻第一章は「タレス」になっている。つまり、ギリシャ哲学の創始者はタレスだということだ。タレス(BC640〜BC546)はギリシャ7賢人の最初の一人でもある。

 タレスはフェニキア人だったが、ミトレスにやってきて市民権を得たという。貿易商人として財をなしたあと、商売から足を洗い、天体の研究に向かった。星星を観測し、BC585年5月28日の日食を予言したりした。

 四季の区別をし、1年を365日に分けたのもタレスらしい。ピラミッドの高さをその影の長さから計算してエジプト王を感嘆させたり、二等辺三角形の底角が等しいことを「証明」したりした。このためタレスは「数学はタレスから始まった」と言われている。

 タレスは自然を研究し、自然が整然とした秩序を持つ存在(コスモス)であることに気付いた。そしてこの自然の秩序を「ロゴス」と名付けた。やがてギリシャ人にとってロゴスは神の別名にもなるが、最初にこの世界をロゴス(秩序)として捉えたのは彼である。

 彼は「世界は何からできているか」「世界の根源(アルケー)は何か」という「問」を発明した最初の人でもあった。タレスはこの問に「水」と答えている。流転し、命を育てる水こそが世界の初源であり、水によって世界(コスモス)は生命を与えられ、神々の息吹に充ちたものになると考えた。「ロゴス」とはこうした世界創生と生命の原理でもあった。

 タレスが世界をどう見ていたか。彼が作ったといわれる詩を、ディオゲネス・ラエルティオスの「ギリシャ哲学列伝」から引用しよう。

 さも美しきものは宇宙なり、神の作りしものなるがゆえに。
 さも大なるものは空間なり、あらゆるものを包含するゆえに。
 さも速きものは知性(心)なり、あらゆるものを貫き走るゆえに。
 さも強きものは必然なり、あらゆるものを支配するがゆえに。
 さも賢きものは時なり、あらゆるものを明るみに出すがゆえに。

 プラトンはタレスを7賢人の筆頭としてあげているが、皮肉をこめて、「テアイテトス」のなかで次のようなエピソードを紹介している。吉永良正さんの「数学を愛した人たち」(東京出版)から孫引きさせてもらおう。

<タレスが天空について熱心に考え、上を見ていて、井戸に落ちた。それを見ていたトラキアの機知に富んだ美しい下女が、こう言ってタレスをひやかした。『あなたは天空のことを熱心に知ろうとしていますが、自分の目の前足許にあるものには気付かないものですね』と。同じひやかしは、およそ哲学的な生を営むすべての人々にあてはまる>

 しかしタレスは単なる自然を研究しただけではない。タレスは「何が一番困難なことか」と訊かれて、「自己自身を知ることだ」と答えている。また、「何が一番容易なことか」という問には「他人に忠告することだ」とも。

 タレスは人間や社会についても深く洞察していた。彼はアテネの民主政治家だったソロンとも親交を結び、ソロンが僭主ペイシストラトスに敗れたとき、ミトレスの自分のところに来るように手紙を出している。

 タレスが発見したロゴスは、自然界だけではなく、社会や人間を見つめるときにも役に立つ。事実、ギリシャ哲学はそのような方向に発展し、ソクラテスやプラトン、アリストテレス、そしてゼノンをはじめとするヘレニズムの個性豊かな思想家たちを輩出し、やがてヨーロッパの近代へと受け継がれていった。

(参考サイト)
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card11663.html


2005年06月12日(日) スタンド・バイ・ユー

 先日、私の勤務する定時制夜間高校でPTA総会があった。総会の後、教員と保護者が本音で自由に話し合う会が2会場に別れて持たれた。これを「フリートーキング」というが、これは十数年前にこの学校に勤務していたころはなかった。PTAの要望で、最近始まったのだという。

 2会場うちの一つを、P会長のTさんと私が共同で司会をすることになった。フリートーキングだが、話がしやすいようにいちおう「子育てについて」ということで、子育ての苦労や、その知恵をみんなで出し合おうということではじまった。

 共同で司会したP会長のTさんは小柄な女性だったが、8人の子供を自分で産んだのだという。現在も一番下は1歳半の幼児がいるという。少子化が進んでいる日本で、こんなにたくましい女性もいるのかと、先ずは驚き、脱帽した。

 トーキングは盛り上がった。そして、出席した多くの母親が、子供が中学時代にいじめにあい、不登校になったと話していた。自閉症気味だった子が、定時制に通うようになって、人が変わったように明るくなった。「今日はこのことのお礼をいうために来ました」という3年生の母親もいた。

 しかし、一年生の3,4人の母親からは、高校生になってもクラスに馴染めず、今もつらい思い出で学校に来ているという声も聞かれた。誰にも相談できずに悩んでいたが、フリートーキングの場でその悩みを打ち明け、すこし気持が軽くなったようだった。

 その場には担任の先生や、クラスでその子たちを教えている教科担当の先生もいたので、クラスの状況や子供たちの様子も報告できた。こうして親と教師が情報を共有しあい、気持を通い合わせることはとてもよいことだ。

 それにしても、悩みを抱えながら、深刻なことも笑顔で話し合う母親たちの何とたくましいことだろう。司会をしながらまず思ったのはその明るさとパワーだった。とくに隣りのP会長のTさんの人柄は抜群で、場の雰囲気を温かく和らげてくれた。

 最後に、私も自分の育ての体験を話した。次女が中学生の頃、やはりいじめにあったことがあった。髪の毛がちりじりになり、朝食を食べながら涙を流していたときもあった。しかし、そうした試練を乗り越えて、次女は今元気に大学生をしている。馬術部の部長をつとめ、毎朝5時に「いってきます」と明るく声を出して家を出る姿に、もはや昔の暗い影はない。

 娘のいじめにたいして、とくに私たち親がなにかをした訳ではない。しかし、いつも身近にいて、その痛みを共有し、たとえ口にださなくても、「大丈夫、お父さんやお母さんがついているからね」と温かく見守り続けることはできる。

 子供たちに一番必要なものは、家族や教師の、身近で温かいサポートである。そうしたなかで、傷ついた子供たちも本来もっている「生きる力」を復活させることができる。子供たちはみんなそうしたたくましい生命力を持っている。私たちに必要なのは、「スタンド・バイ・ユー」の心だろう。2時間あまり続いたフリートーキングの最後を、このように締めくくってみた。


2005年06月11日(土) 将校と兵卒

 少し前まで、朝の散歩で近所のS老人と一緒になった。S老人は将校として中国大陸で戦ったという。南京にもたびたびいったそうだ。彼によると、南京虐殺は中国のでっちあげだという。

 80歳を超えているはずだが、軍隊で鍛えたと言うだけあって、足腰がしっかりしている。それに「文芸春秋」の論文も読んでいて、なかなかのインテリで、論も立つ。あの戦争は「正しかった」「首相の靖国参拝は当然」という立場である。

 私はこのご老人に反駁はしない。ただ、適当に質問して、あとは聞き役に回る。そうすると、歩きながら30分でも40分でも戦争の体験談を話してくれる。

私「軍隊でいじめはなかったのですか?」
老人「わしの部隊でもいじめられて自殺したやつはいたよ。鉄砲で頭をぶち抜いたんだ。情けないね」

私「中国の女性はどうでしたか?」
老人「中国の女性は○○○でね、なかなかよかったよ」

 部隊には性病が蔓延していたという。それでもやりたくてしようがないのが兵隊だ。老人もそれがたのしみで通ったそうだが、コンドームをしっかりしたので大丈夫だった。おかげで性病にもならず、お国のためにしっかり働けたという。 

 一口に戦争体験と言っても、いろいろある。私の父は一兵卒として中国大陸で戦い、敗戦で命がけで逃げ帰ってきた。戦地から帰って警察官になり、大の共産党嫌いだったが、「戦争はばかばかしい」というのが口癖で、「国に騙された。もう騙されたくない」とも言っていた。

 ロマン・ロランの「魅せられたる魂」という小説に、「人生は上から眺めるのと下から眺めるのとでは、まったく違っている」という主人公の言葉があった。馬上からサーベルをつけて意気揚々と命令していた人と、虫けらのように泥の中を這い回ってあがいていた兵隊では、戦争の見方が違っていて当然だろう。

 最近、散歩の時間を大幅にずらした。この老人とも顔を会わさなくなったが、おかげで、朝の散歩がとてもすがすがしい。田んぼにはイソシギの親子がいて、私を迎えてくれる。この平和をたいせつにしたいものだ。


2005年06月10日(金) お葬式の値段

 6月8日(水)のNHK「クローズアップ現代」は「高すぎる?お葬式の値段」というテーマだった。一年間に亡くなる人の数は100万人を超え、葬儀市場がますます拡大するなかで、葬儀価格が高すぎる、サービスの中身が不透明だといった消費者の不満が高まっているらしい。

 公正取引委員会の調査によると、葬儀費用の全国平均は240万円にのぼり、葬儀業者が火葬場の担当者に勝手にチップを渡していたり、わずか数十メートルの距離なのに霊柩車を使っていたり、業者の言うがままに消費者が料金を支払わされているケースもあり、不透明な葬儀価格とサービスの実態が明らかになってきた。

 葬儀は急を要する。そうしたなかで、遺族はあわただしく葬儀屋と交渉しなければならない。しかも相手は葬式のプロである。死んだ肉親への愛情や世間体、見得も手伝って、葬儀屋の言われるままになり、あとでとんでもない額の請求書に驚くこともある。

 折しも、tenseiさんが「雑記帳」に「お葬式」と題してコラムを書いている。一部を引用させていただこう。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=18221&pg=20050606

<死別の悲しみとは別の、金銭、義理、しきたり、序列、、、そんなことに縛られ、振り回されして葬式を迎えるわけだ。生きる気力も失うほどのショックの中にいるかもしれないし、混乱してただでさえ何も手につかない状態に陥っている配偶者に、そんな精神状態とは無縁の細々とした雑事を課して振り回すわけだ。誰がそんな試練を課しているのか?

 ・・・世間である。なぜ、人間というのは、余計なものを生み出して互いに苦しめあるようなことをするのだろうか?戦争や自然破壊と同じく、愚かとしか言いようがないではないか。

 私は風葬志願者で、お経もあげてほしくないし、キリスト教式に葬ってもらうにしても洗礼も受けていないから、何もしなくていい、骨の処理に困ったら、長良川か海に流してもらえばいい、と思っていて、その手続きを遺言として残しておこうと思っている>

 私も家族に、「延命治療も、葬式も必要ない」と言ってある。火葬場で焼いた後、骨は細かく砕いて木曽川にでも流してくれればよい。読経や墓もいらない。もっとも、私の希望はモンゴルの草原で野垂れ死にすることなので、そのようになれば、骨を焼いたり砕いたりする面倒もなくなるだろう。

 さて、それでも大方の人は葬儀を行いたいと思っているだろうから、NHKの番組でコメンテーターが解説していた「葬儀のトラブルを避けるための3ケ条」を紹介しておこう。

�〜魑群阿�らしっかりした見積もりをとること。
�∪諺阿�ら家族で自分はどんな葬儀を望んでいるのか話をしておくこと。
��かたちに拘らないこと。

 葬式は「かくあらねばならない」ということはない。お金を掛けなくても愛情の感じられる葬儀は可能なはずだ。葬儀屋のいう「世間並み」という言葉にだまされないためにも、前もって家族で話し合いをしておくべきだ。結婚式もそうだが、とくにお葬式は、質素で心のこもったものがよいと思う。

 なお、自然葬について詳しく知りたい人には、次のHPがおすすめである。自然葬にするための法的な手続きから、お骨の砕きかたまでわかる。

「自然葬マニュアル(お墓がなくても大丈夫)自分の骨を自然の中に返す方法」
http://www.mumyouan.com/f/fn-8.html


2005年06月09日(木) 靖国のうれひはふかし

 1978年にA級戦犯が靖国神社に合祀された。この経緯について、当時神社宮司だった松平永芳氏が文藝春秋社発行「諸君」(1992年12月号)に『「靖國」奉仕十四年の無念』と題して書いている。

<いわゆるA級戦犯合祀のことですが、私は就任前から、「すべて日本が悪い」という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました。それで、就任早々書類や総代会議事録を調べますと、合祀は既定のこと、ただその時期が宮司預りとなっていたんですね。

 私の就任したのは五十三年七月で、十月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく。そういう書類をつくる関係があるので、九月の少し前でしたが、「まだ間にあうか」と係に間いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって、十四柱をお入れしたわけです。

 巣鴨で絞首刑になられた東条英機(元首相・陸軍大将)、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎(以上、陸軍大将)、武藤章(陸軍中将)、広田広穀(元首相)の七柱。それに囚われの身や、未決のままで亡くなられた梅津美治郎(陸軍大将)、小磯国昭(元首相・陸軍大将)、永野修身(元帥海軍大将)、平沼騏一郎(元首相)、松岡洋右(元外相)、東郷茂徳(元外相)、白鳥敏夫(元駐イタリア大使)とあわせて十四柱。・・・
    
『昨晩、新しい御霊を千七百六十六柱、御本殿に合祀申し上げました。この中に』−−ここを、前の晩、ずいぶん考えたんです。「東条英機命以下...」というと刺激が強すぎる。戦犯遺族で結成している「白菊会」という集りがありますので−−『祀るべくして今日まで合祀申し上げなかった、白菊会に関係おありになる十四柱の御霊もその中に含まれております』

 そういうご挨拶をしたんです。すると、白菊会の会長である木村兵太郎夫人が、外に出てくる私を待っていらして、「今日は寝耳に水で、私が生きているうちに合祀されるとは思わなかった」と非常に喜ばれた。

 それから半月後に、十四柱のご遺族すべてに、昇殿・参拝いただきたいという通知を出し、お揃いでご参拝いただいたと、こういう経過でございます。そのころは、新間は知らなかったのか、一切騒ぎませんでした。半年後の春季例大祭の直前に、大平クリスチャン首相の参拝と抱き合わせで、いわゆるA級合祀をマスコミが大々的に取り上げ、大騒ぎいたしました>

 戦前の合祀手続きは陸海軍大臣から天皇に上奏され、「裁可」を経ていた。しかし、この松平永芳元宮司の文章によると、戦後についても、天皇に上奏簿が提出されてたことがわかる。

 そうすると、戦犯の合祀もまた昭和天皇の「裁可」を得ていたのだろうか。これについて、国際ジャーナリストの浅井久仁臣が、「私の視点」に「靖国問題−昭和天皇と東条の確執」と題して次のように書いている。

<私は文献や資料を読み漁る内、「靖国神社正式参拝関係年表」を見ていて重大な発見をした。敗戦直後から毎年ではないものの数年置きに靖国神社を参拝(正式には「御親拝」というそうな)していた昭和天皇が、A級戦犯合祀が行なわれる1978年の3年前に参拝して以来、靖国に踏み入れていないのだ。

 そこから色々調べてみると、靖国への合祀には天皇への「上奏(天皇への事情説明)」が必要なのに、靖国側はその手順を取っておらず、合祀を巡って天皇と靖国の間に確執があった事が浮かび上がってきた。

 まず、靖国神社の合祀の手続きについてだが、
1.厚生省(現厚生労働省)引揚援護局が回付した戦没者カードによって合祀者と合祀基準(靖国神社作成)とを照合、「祭神名票」を靖国に送る。
2.靖国神社は「霊璽簿」に氏名を記入、遺族にその旨を通知する。
3.例大祭(年2回)の前夜に合祀の儀式を行なう。
 という順序で行なわれる。

 ところが、A級戦犯に関しては、2番の途中で行なうはずの天皇への上奏が行なわれなかったのだ。そして、14人のA級戦犯が秘密裡に合祀された。

 つまり、「天皇の神社」として明治時代に作られ、敗戦によってその形態は変わったにせよ今もなお「天皇制」を精神的支柱としている靖国神社が、天皇を裏切ってA級戦犯を合祀したのだ。

 恐らく靖国側とすれば、昭和天皇の「東条嫌い」を知っていただけに、上奏すれば反対されると踏んだのだろう。だが、これは右翼や民族主義者にとっては聞き捨てならない話のはずだ。別にけしかけるわけではないが、右翼がなぜこのことを荒立てなかったか未だもって不思議だ>

「昭和天皇独白録」を読むと、昭和天皇は東条はじめ戦争指導者たちに対して、「ヒトラーに買収されたのではないか」とまで、ずいぶん厳しい批判をしている。A級戦犯に関して天皇への上奏が行われたにしても、これを許すとはとうてい考えられない。A級戦犯の合祀は松平永芳の独断専行であった可能性が大きい。しかし、靖国神社にとって、その代償も大きかった。

 このとしのこの日にもまた靖国の
 みやしろのことうれひはふかし

 これは1986年8月15日に昭和天皇が詠まれた歌である。昭和天皇はついにA級戦犯の合祀された靖国神社を訪れることなく生涯を終えられた。A級戦犯が合祀されている限り、現在の天皇が靖国神社を参拝することもないだろう。

(参考サイト)
http://homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/tono.html

http://www.nozomu.net/journal/000150.php


2005年06月08日(水) 「靖国神社」の文化論

「靖国問題」を考えるとき、人によって色々な観点が考えられる。ある人は、これは日本の問題ではなく、中国の問題だという。中国の反日運動がなければ、たしかに首相の靖国参拝はこれほど問題にならなかっただろう。

 しかし、私はこれは一面的な考えだと思う。靖国神社が行っていることは、戦争中も戦後も、たんに戦没者の供養とか追悼ではなく、国の犠牲となって死んだ兵士達の英霊化と「顕彰」である。それは結局、先の大戦を美化することにつながり、戦犯達の「戦争責任」を空洞化させることにもなる。

 この点で、靖国神社は日本を再び軍国化しようという保守勢力にとって、精神的なベース基地になっている。「君が代・国旗」の強制、「教科書問題」など、最近こうした勢力の攻勢が目立っている。こうした文脈の中で、「靖国問題」を捉える必要がある。

 そもそも「靖国問題」は他国からとやかく言われる前に、日本人自らで解決しなければならない問題である。戦後60年間、この解決を私たちは先送りしてきた。そのつけが、日本の安保理常任理事国入りを目差す中で、顕在化してきている。

 こうした認識を踏まえた上で、「靖国問題」をもう一度整理してみよう。そうすると、この問題を考える上で、「経済」「政治」「文化」という大きな三つの観点があることがわかる。

�〃从冖簑蠅箸靴討隆囘�

 日本は中国と緊密な経済関係を築いている。中国は日本にとってアメリカを凌駕する最大の貿易相手国で、日本の貿易黒字の大半は中国によるものだ。今や、中国が風邪をひいたら日本は肺炎になるといわれている。こうした経済的「国益」重視の立場から、「首相の靖国参拝は日本経済に打撃をあたえるのでやめてほしい」という「経済的国益優先」の発言が出てくる。これが日本の経済界の本音だろう。

�∪�治問題としての観点

 首相の靖国参拝は国連安保常任理事国入りの障害になる。それに韓国や中国のみならず、他のアジアの国々もこれに同調した場合、日本は国際的に孤立する。外交上、大変不利になり、ODAなどを通じてこれまで築いてきた日本の国際的地位を一気に低下させかねない。これは日本の国際的地位を危うくするものであり、日本がこのような形で国際的地位を失うことは、国益を大きく損なうものと言わねばならないだろう。

<戦後60年の総決算として、わが国が優先すべき「国益」の一つに国連安保理常任理事国入りがある。敗戦後、平和国家の道を歩んできた日本が常任理事国に入ることは、戦勝国による国際秩序から新しい国連へと移り変わるギアチェンジになるからだ。そのカギを握る周辺諸国との関係がギクシャクするのは、国益に何のプラスにもならない>(6/5毎日新聞社説)。

 たしかにこうした外向きの外向的問題も重要だが、首相の靖国参拝には「宗教と政治の分離」という原則からいっても問題がある。2004年4月7日に、福岡地裁は「小泉首相の靖国参拝は違憲である」との判断をしめした。

<本件参拝は、憲法上の問題があり得ることを承知しつつされたものであって、憲法20条三項によって禁止されている宗教的活動に当たると認めるのが相当である>(判決文)

 しかし、小泉首相はこれらの経済的、政治的問題について、ほとんど発言しようとしない。たとえば去年の福岡地裁の判決については、その当日、「理解できません」「わかりません」を16回も繰り返したという。

 じつは小泉首相の眼中には�〃从冖簑蠅皚∪�治問題もほとんどない。彼はこの問題を�J顕縮簑蠅箸靴討發辰僂藜�け止めようとしている。

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 小泉首相が「靖国問題」を日本固有の文化だとして、自らの靖国参拝を正当化しようとしていることは、彼の発言からあきらかだ。彼は2004年元旦に靖国神社に参拝したが、そのとき記者団の質問に答えて、次のように述べている。

「初詣という言葉があるように、日本の伝統ではないですかね」

「どこの国でも、その国の歴史や伝統を尊重することに関し、とやかくは言わないと思います」

「靖国神社参拝」を日本の伝統であり、文化だと言って正当化するのは、小泉首相の得意技だが、これは多くの参拝賛成派の立場でもある。� ↓△糧紳个砲泙箸發鉾刃世擦此◆崙�本古来の文化・伝統である」として逃げるわけだ。

 問題はそのような「俗論」を日本人の多くが信じているとだ。そして「外国の経済的、政治的圧力に屈するのはけしからん」という勇ましい主張がでてくる。だから、そうした「靖国神社は日本古来の文化である」という俗論をうち破る必要がある。

 靖国神社で行われていることを、日本古来の文化だと考えるのは無理がある。このことは昨日の日記に書いたとおりである。靖国神社を「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設だと位置づけた高橋哲哉さんの著書は、「靖国問題」を国益重視の立場ではなく、こうした文化論の立場からとらえているので、小泉参拝に対する本質的な批判になっている。


2005年06月07日(火) 死者を利用する人たち

 靖国神社の目的は、たんに戦没者の供養とか追悼ではなく、国の犠牲となって死んだ兵士達の英霊化と「顕彰」である。それではなぜ、国は死んだ兵士を「顕彰」するのか。それは彼らに続いて「国家」のために果敢に死地に赴く兵士をつくりだすためである。

 つまり、靖国神社の本質は、こうした戦争遂行機関であり、まさしくそのような機関として日露戦争以来機能し、大量の兵士達を大陸へと送り出してきた実績がある。そしてこの危険な本質は、戦後も変わっていない。

 ところで、これは日本独自のものだろうか。小泉首相は「死者を追悼するのは日本の文化です」というが、そんなことはない。戦死者を英霊として祀り、「顕彰」することは、軍隊を持つ近代国家であればどこの国でも行っていた。

 こうしたことは、古代ギリシャの都市国家でも行われていた。有名なペリクレスのペロポネソス戦争戦没者追悼演説の一節を、高橋哲哉さんの「靖国問題」から孫引しよう。

<かってこの壇に絶った弔辞者者の多くは、この賛辞を霊前のしきたりとして定めた古人をたたえている。戦いの強者らには、賛辞こそふさわしい。・・・

 我らは遠き先祖に与うべき賛辞を惜しまない。だがそれにもまさる高い賛辞をわれらの父にささげねばならぬ。われらの父は古き領土に加えて、営々辛苦して今日の支配圏を獲得し、これを今日のわれらに遺していった>

 このように、戦死者を英霊として讃えるのは、日本の独自の文化でも何でもなく、それは世界のどこの国でも広く行われていたことだ。現在でもアメリカには「アーリントン」があり、フランスには「無名戦士の墓」、イギリスにも「セノタフ」がある。そこでは「祖国のために死んだ戦士」をいずれも英雄として顕彰していた。ただし、こうしたヨーロッパの国々は、第一次大戦後は、戦争を冷静に反省して、この野蛮な習慣を控える方向にいった。

 ただ、ナチスドイツと日本は例外だった。ドイツのベルリンには「ノイエ・ヴァッヘ」という国立の戦争犠牲者追悼施設がある。これがナチス時代は「戦争のための戦没兵士顕彰施設」として大いに威力を発揮した。

 第一次大戦後、靖国神社もまたドイツのノイエ・ヴァッヘとならんで、戦没者の英霊化を最大限押し進め、あらたな戦争へと国民を動員して行くことに成功した。他の西洋諸国が英霊の賛美が平和の障害になると考えだしたとき、日本とドイツはこれをむしろ大々的に推進し加速させたわけだ。

 第二次大戦後、敗戦国となったドイツはこの時代錯誤に気付いた。ノイエ・ヴァッヘは現在、ドイツ人・非ドイツ人、軍人と民間人を問わず、ナチスの支配下で死んだすべての人々を「戦争と暴力支配の犠牲者」として追悼している。

 靖国神社がいまだに日本軍人・軍属のみを祀り、A級戦犯まで英霊として祀っているのに対して、ノイエ・ヴァッヘは、「自らの国が行った戦争を誤った戦争として否定し、その死者を英雄としてではなく犠牲者として哀悼する施設」として明確に位置づけられている。

 そして、ドイツの歴代大統領や首相は、「戦争責任は全ドイツ人が負うべきもので、ナチスだけの問題ではない」とはっきり発言している。この発言が、フランスやポーランドの人々の心を打った。ナチスに蹂躙された近隣諸国が、いまやドイツの最大の友好国として常任理事国入りを支持しているするまでになっているのは、こうしたドイツの誠実な姿勢のたまものである。

 日本はどうだろうか。そもそも日本には、戦死者を顕彰するような西洋流の伝統はなかった。日本にこの「伝統」が出来たのは、明治時代に入り、西洋諸国に対抗して近代国家を形成しようとしたときだった。

 それが証拠に、昔の日本では戦争で勝利した武将は、敵味方をとわず戦死者のための供養会をもよおし、碑を建てている。北条時宗が建立した円覚寺は文永・弘安の役の敵国の戦死者もまた同様に慰霊しているし、朝鮮半島に出兵した島津義弘は高野山に敵味方供養塔をたてた。

 小泉首相のように、あえて日本の伝統をもちだすなら、靖国神社もかくあるべきだろう。ところがそうはなっていない。いまは先進国の間ではすっかり時代錯誤になった近代軍事国家の野蛮な標準を、あたかも日本古来の文化だと偽って強行している。

 日本が守ろうとしているのは、日本の伝統ではなく、西洋流の時代遅れの国家主義の亡霊である。これでは日本はまだまだ狂気じみた「神の国」だと警戒されてもしかたがない。日本には日本古来のすばらしい「和」の伝統があるのに残念である。

それでは、なぜ、こうした時代遅れの亡霊がいまだに日本に棲みついているのだろう。それはこれを利用して自らの地位を築こうとするエゴイスト集団が存在するからだ。その頭領が、小泉首相を代表とする、日本の保守的な政治家たちである。彼らは死者の「追悼」に名前をかりて、実のところ、死者を「冒涜」している。


2005年06月06日(月) 「追悼」から「顕彰」へ

 河野洋平衆議院議長が、「日中、日韓関係の急速な悪化は看過できない。大きな原因のひとつに首相の靖国参拝がある」として、海部、村山、宮沢、橋本、森の5人の元首相に呼びかけた。そして、「首相の靖国参拝は慎重な上にも慎重を重ねるべきだ」という意見で一致を見たという。

 中曽根元首相は「三権分立」の立場を考えて、河野さんの呼びかけには応じなかったものの、小泉首相の靖国参拝には反対で、次のように述べている。

「個人的信条よりも国家利益を考えてやめるべきだ。小泉君がもっと早い段階で国益を考えて自分はやめるといえば、やめぎわがよかった。やめる方が勇気を要するが、勇気あることをするのが政治家だ」

 首相の靖国神社参拝については、6/2の衆議院予算委員会でも質疑や答弁がおこなわれた。「朝日新聞」から発言を拾ってみよう。

 岡田民主党代表 「A級戦犯を昭和の受難者して合祀している靖国神社に首相は参拝すべきではない」

 志位共産党委員長 「侵略戦争を正当化する靖国神社の戦争観に日本政府の公認というお墨付きを与える」

 小泉首相 「首相の職務ではなく、私の信条から発する参拝に、他の国が干渉すべきではない。自分自身の判断で考える問題だ。A級戦犯のために参拝しているのではない。多くの戦没者に敬意を表している。いつ行くかは適切に判断する」

 小泉首相は靖国神社は戦争でなくなった人々に敬意を表し、追悼するためのものだと主張している。小泉首相の靖国参拝を支持する人たちの靖国観も同じだろう。

 しかし、靖国神社はたんに「戦死者を追悼する」だけの施設ではない。むしろその本質は、戦死者を英霊として「顕彰」し、「賛美」するための機関だというところにある。高橋哲哉も「靖国問題」(ちくま新書)のなかで、この点を靖国問題の焦点だと考えて、次のように書いている。

<それは本質的に悲しみや痛みの共有ではなく、すなわち「追悼」や「哀悼」ではなく、戦死を賞賛し、美化し、功績とし、後につづくべき模範とすること、すなわち「顕彰」である。靖国神社はこの意味で、決して戦没者の「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設であるといわねばならない>

 靖国神社は「追悼」施設として出発した。それが日清戦争直後あたりから、「顕彰」施設に変身した。高橋哲哉さんはその証拠として、1895年11月14日の「時事新報」に掲載された「戦死者の大祭典を挙行す可し」という論説を揚げている。孫引きしてみよう。

<不幸にして再び干戈の動くを見るに至らば、何者に以来して国を衛る可か。やはり夫の勇往無前、死を視る帰るが如き精神に依らざる可らざることなれば、益々此の精神を養ふこそ護国の要務にして、之を養ふには及ぶ限りの光栄を戦死者並びに遺族に与へて、以て戦場に斃るるの幸福なるを感ぜしめ可らず。・・・

 先般来、各地方に於いて戦死者の招魂祭を営みたれども、以て足れりとす可らず。更に一歩を進めて地を帝国の中心なる東京に卜して此に祭壇を築き、全国戦死者の遺族を招待して臨場の栄を得せしめ、恐れ多きことながら大元帥陛下自ら祭主と為らせ給ひ、文武百官を率いて場に臨ませられ、死者の勲功を賞し其英魂を慰するの勅語を下し賜はんこと、我が輩の大に願う所なり。・・・

 いま若し大元帥陛下自ら祭主と為せ給ひて非常の祭典を挙げ賜はんか、死者は地下に天恩の有難を謝し奉り、遺族は感泣して父兄の戦死を喜び、一般国民は万一事あらば君国の為に死せんことを冀ふ可し。多少の費用は惜しむに足らず。くれぐれも此盛典あらんことを希望するなり>

 この論説には「靖国神社」の文字が見当たらない。当時はまだこのような施設として「靖国」がとくに認識されていなかったせいだろう。ところが、政府の反応は早かった。この論説が出た1ヶ月後の12月16日から3日間にわたって、靖国神社で日清戦争の臨時大祭が行われ、二日目には明治天皇自らが靖国神社に参拝した。高橋哲哉さんは次のように書いている。

<こうして靖国神社は、次第にその権威を高め、日露戦争後には日本の戦没者祭祀の中心施設として決定的地位を確立していく。河上肇が日本の「国家教」の施設として靖国神社を挙げたのは、まさにこの時期のことだった>

 このことから、「時事新報」を主催していた福沢諭吉の変節をいう人がいる。しかし、この論説には署名がなく、諭吉の文章ではないという論もある。いずれにせよ、在野にあって政府を批判していた「時事新報」にして国民を扇動し、ファシズムに道を開くような論説を載せるところに、世論を先導するジャーナリズムのあやうさを感ぜざるを得ない。

 それでは、河上肇がいうところの「日本教」とは何だろうか。1911年、河上肇が「中央公論」に寄せた「日本独特の国家主義」という論文を、これもまた高橋哲哉さんの本から孫引きさせていただこう。

<日本は神国なり。国は即ち神なりということ。これ日本人一般の信仰なり。・・・人生の目的は即ち国家にあり。彼らは国家のために生き、国家のために死するを以て理想と為す。・・・

 既に国家主義は日本人の宗教たり。故に看よ、この国家主義に殉じたるものは神として祀らるるを。靖国神社はその一なり>

 戦争は「人殺し」である。これを聖戦といいくるめ、人々に塗炭の苦しみをもたらしたものの正体がこの国家主義信仰だった。靖国神社はその「国家神道」の中心的な実践施設だった。現代の国家主義者たちのあやしげな言動にまどわされないで、私たちはこの歴史の真実を見つめなければならない。

 高橋哲哉さんの「靖国問題」は論点が明確に整理されていて、これを読めば、靖国神社の本質が戦死者を「顕彰」し、国民を戦争へと動員する機関であることがわかる。日本の首相が靖国神社に参拝すべきでない理由もよくわかる。

(高橋哲哉さんの経歴)
 1956年に福島県生まれ。現在は東京大学大学院総合文化研究所教授。二十世紀西洋哲学が専門で、哲学者としての視点から、政治・社会、歴史の諸問題に鋭く迫り、その論理的で実証的な文章には定評がある。主な著作はつぎの通り。

「デリダ」(講談社)
「戦後責任論」(講談社学術文庫)
「教育と国家」(講談社現代新書)
「記憶のエチカ」(岩波書店)
「歴史/修正主義」(岩波書店)
「逆光のロゴス」(未来社)
「証言のポリティックス」(未来社)
「心と戦争」(晶文社)
「反・哲学入門」(白澤社)
「<物語>の廃墟から」(影書房)


2005年06月05日(日) 薩摩義士の植えた松

 6月1日(水)に放送されたNHK「その時、歴史は動いた」は、「民を救った義士たちの物語〜宝暦の治水・薩摩藩士の苦闘〜」という題で、江戸時代に薩摩藩の武士たちによって成し遂げられた濃尾平野の大治水工事を描いていた。

 薩摩藩に幕府からこの「お助け普請」の命令が下ったのは宝暦4年(1754)の正月のことだという。藩士たちが憤り、「幕府と一戦すべし」という強硬論が出る中で、家老の平田靱負(ひらた・ゆきえ)は「武士は民をたすけるもの。他国の民であっても、難儀している者たち助けるのが武士の本分ではないか」と諭し、自ら総奉行となって尾張・美濃へ下る決心をする。

 こうして1000人近い薩摩武士が遠く離れた異国へと旅だった。ところが彼らを待ちかまえていたのは横暴な幕府の監督官たちと、過酷な労働環境だった。疫病が流行し、事故が続発し、一年半にわたる苦闘のすえ工事は完成するが、80名以上の薩摩藩士たちが犠牲になった。

 この中には、幕府に対する抗議の切腹で死んだ28名もふくまれている。平田靱負もまた工事が終わり、武士達を薩摩に帰した後、すべての責任をとって切腹した。それは宝暦5年の5月25日のことだという。

 地元の人々は、彼らのことを「薩摩義士」として讃えた。そして特に難工事だった木曽川と長良川の合流地点の川を埋めて作った堰のたもとに「治水神社」を建てた。今は油島と呼ばれているその地点に、平田靱負をはじめ、犠牲になった80数名が祀られている。

 昨日の土曜日、私は妻を誘って、その神社に参拝した。神社は木曽三川公園のすぐ隣である。木曽三川公園へは家族で何度か遊びに来ていたが、その隣の神社まで足を伸ばしたことはなかった。

 神社の境内から鳥居を出て、堤防の方に松並木の参道が続いていたので二人で歩いた。薩摩武士がこの堤防(切り堰)を作ったのは冬の最中だったという。木曽川の上流で切り出した巨岩を船に乗せてここまで運び、船ごと川底に沈め、自らは冷たい川を岸まで泳いだが、濁流に呑まれ、体力尽きて死ぬものもいたということだ。何ともすさまじい工事だった。

 堤防が完成したあと、平田靱負は薩摩から取り寄せた千本の日向松を堤防に植えた。自分たちがいなくなっても、松が堤防を守ってくれると言い残したそうだ。彼らが植えた樹齢250年の松が見事に繁っていた。

 いまその松は地元の人たちに「偲ぶ松」「愛し松」「望み松」などという名前がつけられて大切に守られている。そしてその堤全体が「千本松原県立自然公園」になっている。治水神社では毎年薩摩義士の偉業を讃えてお祭りも催されているらしい。

 参道の松並木の緑は鬱蒼としていて、大木の上に、五位鷺が巣を作っていた。長良川がゆったりと流れ、海鳥たちがその上をかすめていく。私たちの他、人気のないその清浄な空間で、私も又薩摩義士たちの偉業を偲んだ。

 薩摩藩が江戸幕府打倒へ動くのは、この宝暦の治水から百年後のことである。幕府の思惑はこれによって薩摩藩を弱体化させることだった。たしかにこの事業は薩摩藩に莫大な借金と犠牲者を生みだした。

 しかし、これによってかえって薩摩藩は結束した。「幕府憎し」の声とともに、「民の為に」という平田靱負の遺訓が、ついに日本の国に革命をもたらすことになった。その事に思いを致しながら、私たちは緑の千本松原に別れを告げた。

(参考サイト)
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html

http://www.city.kaizu.lg.jp/syakaikyouikubunkaka/
tisuiashiato.jsp


2005年06月04日(土) 生きがいの哲学

 前にも書いたように、人が何に「生きがい」を持つかは、他人の迷惑にならない限り自由である。しかし、この「自由」がくせ者で、かえって生きがいが見つけにくいということも起こってくる。

 ライ病患者や死刑囚の場合は、「自由」が極度に制限されている。そしてそうした中で、自分の人格を根底から変え、人生観をも変えるような「生きがい」に巡り合う。そして、その「生きがい」に出合って、自分がほんとうに「自由」を得たと思い、感激するわけだ。

 健康は病院にある、と誰かが書いていた。遊園地や体育館ではなく、なぜ、健康が病院にあるのか。それは、健康とは単に「病気でないこと」ではないからだという。たとえ病気になっても、それを克服できる力、病に対する「抵抗力」こそ「健康」というものである。そう考えれば、病気に対して果敢に抵抗している病院にこそ、ほんとうの「健康」が存在するという逆説もわからぬではない。

 同様のことは「自由」についても言えるだろう。「自由とは、不自由に対する抵抗のなかにある」という。たとえば戦前のファシズム体制の中で、軍部の横暴に果敢に抵抗した人たちがいた。自由はそうした圧政のただ中に生まれる。

 それでは「平和」とは何か。それは単に「戦争がないこと」ではない。戦争へと傾きつつある時流に対して、それを阻止しようとする意志や行動の中にある。そして、そのような実践のなかに「生きがい」というものが生まれてくる。ホワイトヘッドの言葉を、神谷さんの「生きがいについて」から孫引きしよう。

<ここで平和と言っているのは単なる無感覚の消極的な概念ではなく、魂の「生命と動き」の積極的な感情である。それはある深い形而上的な洞察によって感情がひろくされることを意味する。・・・

 人類は高度に発達した精神を持っているため、ただ生存を享受してたのしんでいることはできなくなり、そのたのしみには必ず苦痛や悲劇がからみあっている。平和(の体験)はこの悲劇に対してつねにいきいきとした感受性を保ちつづけさせ、現実のレベルを超えた理想を志向せしめる>(思想の冒険)

 こう考えてくると、「生きがい」というものが、たんに享楽的なものではなく、むしろ人生や世界に対するアンチテーゼを含むものだということがわかる。それは何者かへの関わりの中で生まれる手応えであり、戦いであり、はりあいである。

 だから、「生きがいの発見」とは、そのように、自分が全身全霊でもってぶつかって行くことができる対象を見つけることである。そうした前向きで、ひたむきな精神のありかたが可能なとき、、その人の内部で「生きる意味」が納得され、「生きがい感」が生まれる。そのような「生きがい」を求め続けて、私たちは人生を旅するわけだ。


2005年06月03日(金) 死刑囚のいきがい

 神谷美恵子さんの「生きがいについて」には、死刑囚の手記も引用されている。刑務所ではじめて「俳句」にめぐり会い、俳句の楽しさに心を開いた死刑囚の手記をいくつか孫引きしよう。出典は死刑囚に俳句を教えた北山河さんの『処刑前夜』らしい。

<私わことばや字をならいながら俳句お自分の友だちとおもいべんきょしています。俳句はさびしい私のきもちを一ばんよくしってくれる友だちです。俳句をならったおかげで蠅ともたのしくあそぶことができます。火取虫がぶんぶんと電とうのまわりをとんでいるのも私をなぐさめてくれるとおもうとうれしいです。運動じょの青葉にとまってちゅうちゅうないている雀もやねでくうくうないている鳩もみんな私の友だちです。つばくろよ鳩よ雀よさようなら>

<俳句に興味を持ってから、その日その日がみじかすぎて仕方がない。心もいきいきとしてきた。この身も心もぞくぞくうれしくはればれしい心境をば十分味わわせていただきつつ、ひとしお修養させていただいている>

<自由な世界での正月は、ともすれば享楽的な交際や遊びになりがちで、静かにものをみつめたり、自然を味わうというような気分には、なかなかなれないものです。私たちには信仰が、芸術が、俳句が、自然が与えられているのです。空の青さ、日の暖かさ、空気のすばらしさ、そして信仰や俳句を通して人の真実の情を静かに深く見つめ味わい、感謝のうちにしみとおらせることができます。・・・どのような境遇にある身分をも、他と少しの差別もなく、照らし、励まし、慰めてくれるもの、否、苦境にあればあるほど、いっそう生きがいを与えてくれるもの、これを私は最も愛し、感謝いたします>

 彼らは俳句を書くことで、現実の苦悩から少し離れることができた。そうすると、身近な鳥や蠅にさえ、なにやら生きている不思議さを覚え、おなじくこの地上に生きるもの同志としての連帯を覚えた。彼らは死に臨んで「生きがい」をようやく手に入れて、ささやかだが、満ち足りた思いで、最後の日々を生きることを得た。神谷さんは、こう書いている。

<ここにあらわれている心は、もはや自己の苦悩の泥沼のなかであえいでいる姿ではない。そこからぬけ出て、一歩も二歩もはなれたところから自己の悲しみも周囲の風物も眺め、そこにみられる風趣を味わい、たのしんでいる。花や虫と心をかよわせ、そこになつかしさとなぐさめを感じている。独房のこの囚人はもはや孤独ではない。もはや疎外されていないといえる>

 人はさまざまな理由で罪をおかす。場合によっては、人を殺すこともある。そうした人の多くは、社会から疎外されているという意識をもち、孤独である。しかし、そういう人も、「生きがい」を持てば人生が変わる。問題は刑務所にはいる前に、あるいは、自らの命を自らの手で絶つ前に、人はいかにして自らの生きがいに出合うかである。


2005年06月02日(木) 死に向かい合う

 死を前にして、人は何を考えるのだろうか。神谷美恵子さんの「生きがいについて」には、「きけわだつみのこえ」(光文社)から、手記がいくつか引用されている。いずれも学徒として戦争に動員され、シンガポールの刑務所で戦犯刑死した青年のものだ。その中から二つを孫引きしよう。

<死の数日前偶然にこの書(田辺元著『哲学通論』(岩波全書))を手に入れた。死ぬまでにもう一度これを読んで死にたいと考えた。コンクリートの寝台の上ではるかな故郷、わが来し方を思いながら、死の影を浴びながら、数日後には断頭台の露と消える身ではあるが、私の情熱はやはり学の道にあったことを、最後にもう一度思い出すのである。この書に向かっていると、どこからともなく湧き出づる楽しさがある。・・・

 真の名著は何時どこにおいても、いかなる状態の人間にも、燃ゆるがごとき情熱と憩いとを与えてくれるものである。私はすべての目的欲求からはなれて、一息のもとにこの書を一読した。そしてさらにもう一読した。

 私にとっては死の前の読経にも比すべき感をあたえてくれた。かってのごとき野心的な学究への情熱に燃えた快味ではなくて、あらゆる形容詞を超越した、言葉ではとうていいい現わしえないすがすがしい感を与えてくれたのである。私はこの本を私の書かれざる遺言書として、何となく私というものを象徴してくれる最適の記念物として、後に遺す>

<私は死刑を宣告された。誰がこれを予測したであろう。年齢三十にならず、かつ、学半ばにしてこの世を去る運命。しかし、これも運命の命じるところであると知ったとき、最後の諦念が湧いてきた。大きな歴史の転換のもとには、私のような陰の犠牲がいかに多くあったかを、過去の歴史に照らして知るとき、まったく無意味のように見える私の死も、大きな世界史の命じるところと感知するのである。

 日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてしてきた数かぎりない無理非道を考えるとき、彼らの怒るのは全く当然なのである。今、私は世界人類の気晴らしの一つとして死んでいくのである。これで世界人類の気持が少しでも静まればよい。それは将来の日本の幸福の種を遺すことなのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死にきれないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば、腹も立たない。笑って死んでいける>

 エピクテトスに、「哲学者はたとえ断頭台のうえでも幸福である」という言葉があったように記憶している。哲学とは「死ぬことの準備」といわれるが、いかなる死をも従容と受け容れる覚悟ができれば、たしかに人生に怖いものはなくなる。

 しかし、「死を受け容れる」ということは、じつは「死ぬこと」よりも「生きること」に深く結びついている。つまり私たちは死という暗黒の宇宙から自分を俯瞰することによって、かけがえのない「生」の美しさに眼を見開かれる。

 そして、生をそのように美しいものとして捉え直すことで、死そのものの受け取り方も変容するわけだ。強制された死を前にして、こうした人生における価値転換がしばしば起こる。犯罪を犯して死刑を宣告された人の手記を、明日の日記で紹介しよう。


2005年06月01日(水) 燃え上がる朝

 人にはさまざまな「生きがい」がある。仕事が生きがいだというサラリーマンもいるだろう。お金儲けが生きがいだという人もいる。それが悪いわけではない。他人に迷惑さえかけなければ、その人の自由である。

 私の場合、「文章を書くこと」が昔から好きで、生きがいになっているが、他にもいろいろと楽しいことがある。朝の散歩もそのうちの一つだ。最近はこの日記を書き終えた後、6時ごろに家を出る。そして朝の木曽川を1時間ほど歩く。

 小鳥の囀りを聴き、朝日を浴びながら、すがすがしい緑の風のなかを歩いていると、「ああ、生きていてよかった」と心の底から喜びが湧いてくる。これは理屈ではない。何かもっと根源的な喜びである。一日の最初をこうした爽快な気分で始められるのはありがたい。

 神谷美恵子さんの「生きがいについて」のなかに、ベルギーの象徴詩人、ヴェルアーランの「よろこび」という詩が引用されていた。神谷さんが訳したというその詩を、ここに一部孫引きしておこう。

  よろこび

 おお、燃え上がる朝にはじまる美しき日よ
 烈々として壮麗なる大地のほこらかに
 めざめたるいのちの香り強くはげしく
 存在はすべて酔いしれ、よろこびにおどる。

 ありがとう、わたしの眼よ、
 すでに老い足る額の下でなおも澄んだまま
 はるかにきらめく光りを眺めうるを。

 ありがとう、わたしのからだよ、
 疾風やそよかぜにふれて、
 なおきりきりとしまり、おののきうるを。

 すべてのもののなかにわたしは在る、
 わたしをとりまき、
 わたしにしみわたるすべてになかに。

 厚き芝生よ、かそけき小径よ、
 樫の木々の茂みよ、
 かげりなき透明な水よ・・・・

 神谷さんは、自然のやさしさにふれるとき、人はだれでもいやされるという。ライに体を蝕まれ、生き甲斐を喪失していた人でも、野の中に自分をおいたとき、よろこびにあふれて、こんな歌をつくったという。

 草原に伏して仰げばわれもまた小さき花なり大地に咲くなり

<足場をうしない、ひとり宙にもがいているつもりでも、その自分を大地はしっかりと下からうけとめて支えてくれたのだ。そして自然は、他人のようにいろいろいわないで、黙ってうけ入れ、手をさしのべ、包んでくれる。みじめなまま、支離滅裂なまま、ありのままでそこに身を投げ出していることができる。・・・自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本当の姿について深い啓示を与えうる>

 神谷さんは「人間から生きがいを奪い取るほど残酷なことはなく、人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない」と書く。そういう意味で、万人に生きるよろこびをもたらしてくれる自然の愛の力は測りしれない。


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