Diary?
DiaryINDEX|past|will
2005年05月30日(月) |
それはいつも5月の終わりか、6月の最初の頃だ。 |
それはいつも5月の終わりか、6月の最初の頃だ。むっとする草の匂いと、明るいけれど鈍く重い太陽の光に体を締め付けられるような気がして、息苦しさの中で目覚める。大きく息を吸い込んでも、周りの空気の温度や湿度が自分の体の中と同じように思えて、溺れそうになる。
そんな日がキライなわけじゃない。頭がぼんやりして、高い熱を出した時みたいにふわふわして気持ちがいい。霞のかかった世界にぽつりと投げ込まれたような気分だ。何も考えなくても、何も決めなくても、何も判断しなくていいんだよと免罪符を与えられたようでひどく安心する。
安心してそのまま目を閉じると、赤黒く光り輝く球体が迫り来る、そして猛烈なスピードで遠ざかる。その繰り返しを追ううちに身体は平衡感覚を失い、指先をぴくりと動かしたのを合図にぐるぐると回転を始める。回転を続けながら果てしなく底へ底へと引き込まれてゆく。そのあまりの心地よさにいつしか微睡んで、また息苦しさの中で目覚める。
露西亜→台湾→日本の一日。贅沢きわまりない。
■一次会:露西亜 --食べたもの-- ピロシキ(肉または野菜) ビーツとポテトのサラダ にしんの酢漬け ペリメニー(シベリア風水ぎょうざ) ボルシチ ビーフストロガノフ つぼ焼き(きのこと鶏肉、漁師風、きのことジャガ芋) パンまたはライス
--飲んだもの-- ロシアビール「バルティカ」 ラガー、黒、小麦 ナリブカ(ざくろの果実酒) スピリタス ロシア紅茶
→昼間っからスピリタスを回し飲みする面子を横目に、久しぶりにバター分たっぷりの食事を堪能する。にしんの酢漬け、さすがにこの間の〆鯖風味とはひと味違う。ナリブカは、かき氷シロップもしくは子供用風邪シロップ。寒い国も暑い国も、甘いものが極端に甘いのは何故だろう。それにしても黒パンは旨い。
■二次会: 台湾+日本 --食べたもの-- ひまわりの種「洽洽香瓜子」 月瀬漬
--飲んだもの-- 杉林渓の春茶 静岡の新茶
→台湾に出張したひとのお土産。日本では考えられないような大きなパッケージだったので、急須で淹れてがぶ飲み。友達からもらった静岡の新茶も登場。渋いのが好きなので熱い湯で淹れて茶人に怒られる。どちらも春らしい、萌え立つ緑の味がする。
■三次会:日本 --食べたもの-- お通し(糸こんにゃくの炒り煮、おから、数の子、茶碗蒸し) 玉子焼き やりいかと若布の酢の物 せいろ
--飲んだもの-- スーパードライ
→2年くらい前から時々行っているお蕎麦屋さん。ほんと真っ当なお蕎麦屋さん。不便な場所であまり人をお連れしたことがなかったので、お酒をいただくのが初めてで、お通しを出されたのも初めてだった。素晴らしい。茶碗蒸し好きにはたまらない。出汁に自信があるからこその、具無しの茶碗蒸し。
ああシンプルなサンドイッチが食べたい。これは最近、何人かの人にきいてみたら100パーセントの確率で同意を得た事実である。
コンビニでもサンドイッチ専門店でも外食でも、最後の砦だった新幹線の車内販売でも、みな同じようなサンドイッチを売るようになった。原因はたぶん業務用食材の普及と画一化なのだろう。サンドイッチにしては厚めのパンに、いろいろなフライものやらコロッケやらツナやらゆで玉子やらがこれでもかとはさんであって、マヨネーズの味しかしないようなサンドイッチ。思うに、あれはアメリカンスタイルのサンドイッチの具を、イギリススタイルのパンにはさんでいるから妙なのではないか。トランプしながら食べるにはちと食べにくいと思う。ジョン・モンターギュ・サンドイッチ伯爵が泣いているぞ。
シンプルな、普通のサンドイッチが食べたいのだ。が、どこにも売っていないのだ。ちなみに私の「普通のサンドイッチ」の定義は
・マヨネーズではなく芥子バター ・パンは12枚切り ・具は キュウリ ハム チーズ ・あくまでも単品ではさむ ・レタスなどは入れない
・切り方は三角ではなく
もしくは
が基本だが
これも好き
・付け合わせはクレソンとピクルス ・軽く塩を振って食べる
こんなところだ。自分で作ればいいのだが、12枚切りのパンを買うと当然ながら12枚もあるのだ。6組もできてしまうのだ。3つに切ったとしたら18切れだ。いくらなんでもサンドイッチ18切れはねえ。サンドイッチ茶会でも開催しようかしら。
「Variations on a Silence―リサイクル工場の現代芸術」に行ってきた。完成したばかりのリサイクル工場で、6人の作家の作品が展示されている。展示の点数は少ないけれど、普段行く機会のない東京湾の埋立地、普段入ることのできない工場、超低空飛行で頭上を行き交う飛行機など、その立地だけでわくわくするではないか。
入って最初のインスタレーションが、2年ほど前に世田谷文学館の「安部公房展」で見たことのある作品だったのでちょっとしょんぼりしたけれど、その後の鉄板の上に乗って工業用バイブレーターの強烈な振動を体感できる作品はすごく楽しかった。音がまた、スロッビング・グリッスルかノイバウテンかっていう、昇天系インダストリアルノイズミュージック。なんだそりゃ。今、適当に作った言葉ですが。音も振動も、きっと身体にはとっても悪いのだろうが、妙に気持ちいい。10秒くらいが限界だけど。
頭上には2、3分おきに飛行機が、落ちてくるのではないかと思うような高度で飛び交っている。その音もやはりインダストリアルノイズだけれど、これは全然気持ちよくない。物珍しくて面白いことは確かだが、耳をつんざく轟音が迫りくるのには何か根源的な恐怖を感じてしまう。何が違うのかな。展示作品のノイズは低音、飛行機はキーンという高音が混じっているからなのかな。
バスで大森まで戻って、滅多に来ないところなのでうろうろしてみた。とはいっても駅ビルを探検しただけだが。あの駅ビルのテナントは、どこもかしこも大変独特なテイストを醸し出していて頭がクラクラする。クラクラしながらも、長いこと探していたのに見つからなかった「芥子色のパンツ」を発見して購入したりする。そういえば大宮でミュール買ったりもしたし、何故か初めて訪れる街で、わけもわからず通りすがりに買い物をする癖があるみたいだ。
この間帰省した時にふと思った。 「そのへんに天然記念物がうじゃうじゃいるぞ。」 比喩ではなくて、ほんものの天然記念物が。
私は田舎育ちのくせにカエルが触れない。見るのは大丈夫で特に怖いということもないのだが、触るのだけはダメだ。両生類はどうも、皮膚が苦手。表面なのに内臓っぽい感じがして。
しかしまわりは田んぼだらけ、家の庭には池もある。カエルが増えないはずがない。かくして、春から夏にかけては、洗濯物を干そうと思ったら物干竿にアマガエル。夜中に板の間をぺたしぺたしとジャンプする音がする。道路には平面ガエル。などという状況が日常化する。その度に父を呼びつけては取ってもらうのであった。
ある日台所で洗い物をしようとしたら、シンクの隅にアマガエルのちょっと大きいヤツがいた。例によって父を呼ぶ。父はそのカエルを手のひらに載せて「これはモリアオやなあ。池に放してやろう」と言う。庭の池には水面すれすれに松の枝が伸びていて、毎年その枝にモリアオガエルが泡状の卵を産みつける。そのメレンゲのような卵は見たことがあったし、孵化したオタマジャクシが枝からボタボタと池に落ち、落ちた端から鯉に食われたりしていると聞いたこともある。しかし成長した姿を間近で見るのは初めてだった。絵に描いたような、デフォルメしたキャラクターみたいな、カエルらしいカエルだった。そしてお皿を洗いながら、「台所に天然記念物がいるのかぁ…なんだかなあ。」と呟いていると、父の口からはもっと「なんだかなあ」な話が語られる。
あのあたりにはオオサンショウウオもいるのである。いるのだけれど、モリアオガエルとは違ってさすがに人前に姿を現すわけではないので、私は見たことがない。家の裏を流れている川は鮎釣りのスポットなのだが、村のおっちゃん達は皆で船を出して網をかけ、文字通り一網打尽に穫ってきて焼き鮎で酒盛りを開くということをしているらしい。それは釣りじゃなくて漁だと思うよ。で、ある年、その網にオオサンショウウオがかかったのだそうだ。「吸い物にすると旨いと聞いたことがあるぞ」などと言い出す人がいて、食ってみるかという物騒な話にもなったらしい。しかし何せ特別天然記念物である。捕獲そのものが法律で禁じられている。しかたがないので未練たらたらで川に放したということだ。
天然記念物が台所にいるのもなんだが、食ってみようとするのもすげえなと思う。でもほんとにお吸い物にしたら美味しいのかな。ちょっと気になる。いやいや、やりませんけどね。
渋谷マークシティの「銀座ライオン」でビール。ここのライオンは、食べ物のメニューがなんだか独特だった。
まず目に留まったのが「豆腐ようのガーリックトースト添え」。添えてあるということは、もしかして塗って食べろということなのかなあ? どうなっているのか知りたいというだけの理由で注文する。うん、塗って食べろってことだった。だってバターナイフがついてきたもの。豆腐ようをバターナイフで掬うのは初めての経験だ。そのサイズや形態と用いる道具の関係からして、笑う牛のベルキューブチーズやKIRIのクリームチーズなんかを食べようとしているのかと錯覚する。が、食べてみると「豆腐ようとガーリックトーストの味」である。合わないことはない。ことはないのだが、ええと、これは別々に食べた方がいいような気が。
あとは鰊のマリネがどうも「しめ鯖」に見えてしまうとか、フィッシュ&チップスのフィッシュフライがいわゆる「白身魚のフライ」で白飯が欲しくなったりとか。あれはきっとメルルーサに違いない。フィレオフィッシュの味。もしくはほっかほか亭ののり弁に載ってるやつ。
こういう「老舗のセカンドブランド店」って面白いなあ。普通の居酒屋で出てきたら何とも思わないのだろうけれど、ライオンなのに豆腐よう、ライオンなのにしめ鯖と思うと楽しくてしょうがない。あ、そういえばそろそろ松坂屋の屋上にライオンのビヤガーデンがオープンする季節だ。今年はジンギスカンがっつり行きたいもんだ。
2005年05月16日(月) |
眠れない夜 風が窓を叩き 手招きして誘い水を撒く |
昨日は家にこもっていたのだけれど、夕食のあとふと「今日はコーヒーを一杯しか飲んでいない」と気づいた。普段は平均して五杯くらいは飲んでいるので、なんだかノルマを達成していないような気分になってしまった。それで夜おそくにコーヒーをいれて飲んだ。私はものごころついた頃から寝る前にコーヒー(とはいっても牛乳の方が多いカフェオレだったが)を飲んでいたので、カフェイン耐性はあるはずだ。
…あるはずだったのだが、眠れなくなってしまった。コーヒーで眠れなくなるなんて初めてだ。3時になっても4時になっても眠くならない。ベッドに入って本を読んだり、灯りを消して目をつぶってみたりするがどうにもこうにも。この私が眠れないなんて。
結局5時ごろから1時間程うとうとしたけれど、6時頃にはぱっちり目覚めてしまい、もう眠れないのであきらめた。そのまま今日一日過ごして、特に眠くなることもなく普通に仕事をした。夜になっても別にどうということもない。これくらいの睡眠時間でいいのなら一日が長く使えるんだけどなあ、などとも思うが、まあ多分今晩爆睡してもとどおりだろう。しか何だろう。年齢とともにカフェインに弱くなったのだろうか。不思議。
2005年05月15日(日) |
時速100kmの警官 |
Yahooニュースの見出しにこんなのがあった。
私の脳内では「夜の闇に沈む街、屋根から屋根へと時速100kmで跳躍を繰り返す影。サーチライトに一瞬だけ照らし出されたその姿は、なんと制服の警官ではないか!」って30年くらい前の少年雑誌の付録みたいなテイストでワクワクしてしまったのだが。
実際には警官を「車の」屋根に載せたまま時速100kmで逃げた馬鹿の話だった。あーあ。日本語って難しい。
デジタルってのは妙なもので、個人の属性をも検索条件にできてしまう。しかもand検索ができたりするものだから、現実世界ではなかなか見つけにくい共通点を持つ人が見つかったりする。そんなわけで、「職業が司書」で「趣味が二胡弾き」という二つの共通点を持つ珍しい人とネットを通して知り合ったのだった。その人の二胡の先生のコンサートがあったので聴きに行ってきた。
実は二胡の生演奏は殆ど聴いたことがない。私が習っている先生の師匠の演奏だって、この間の発表会の時に初めて聴いた。そもそも二胡を始めたきっかけが民族音楽や映画音楽を入口としていたので、演奏家というとらえ方が意識になかった。しかし当然のことながら演奏家によって音色も奏法も違うし、楽器も上海と北京で違ったりする。
今日聴いた先生の演奏は、やわらかくて深い感じの音色。この間聴いた師匠のは、硬くて繊細な感じ。たまたまかもしれないけれど、お二人の出身地が中国の南方と北方で、なんとなくそのイメージ通りの音色だったので興味深い。やっぱり実際いろいろ聴いてみないとわからないものだなあ。
私はまだ自分の音色とかいうレベルじゃないのだが、この間クラスの人と「内弦と外弦どちらが好きか」って話になって、クラスの中で私だけが外弦好きだった。高い、細い音が好きで、それにヴィブラートやポルタメントがかかったら自分で弾いててゾクゾクする。でも聴くのはやわらかい音色の方が好みのような気もする。
私の二胡の究極のイメージというのは、北京の胡同みたいな路地裏、路上に椅子を出してじっちゃんが日がな茶飲みながら弾いてるような。楽器なんてもう皮が破れちゃってたりして、弦もいいかげんな針金で、それで心にしみ入るような音を奏でて近所の人に拍手とかされたい。そういうのです。
2005年05月13日(金) |
李白の会 第五回定例会@渋谷 茶亭羽當 |
炭火煎羽當オリジナルブレンドをウェッジウッドのカップでいただく。少し酸味のある、香りの良いブレンド。テーブル席だったのでよくは見えなかったけれど、ネルドリップがものすごく丁寧で、ほとんど一滴ずつ落としているようなペースだった。
「ビーフサンド」が気になりつつも、とてつもなくお腹がいっぱいだったのでシナモンのシフォンケーキを半分ずつ食べる。コーヒーもケーキも真っ当に美味しかった。なんだか渋谷じゃないみたい。どこか地方の大きめの街の、昔からある美味しい喫茶店、て感じ。
ちなみに何故そんなにお腹がいっぱいだったかといえば、羽當に行く前に空腹のあまり亜寿加で排骨坦々麺を食べてしまい、しかも空腹のあまり餃子とビールまで頼んでしまったからだ。ああ美味しかった。
昨夜は友達とお土産交換会。早摘みの新茶と、上等の若布を頂く。嬉しい。晩ご飯は近所の台湾料理屋。昨日は壁に「台湾の野菜が入荷しました」と貼ってあったので「この野菜は何ですか」と尋ねてみた。マコモダケ、百合のつぼみ、黄ニラとのこと。百合のつぼみってのはもしかして金針菜のことではないか。何年か前に、高級中華レストランで食べたことがあるぞ。珍しい野菜だとのことで、上品にちょびっとだけ盛られていたので有り難く食した憶えがある。すごく美味しかった。なのでこれを頼むことにする。「料理法はどうするか」と聞かれる。「それだけで炒める、海老やイカと炒める、豚や鶏と炒める、どれにするか」と。ええと、じゃあ豚肉と炒めてちょうだい。この時点で何となく予想がついたが、やっぱり皿いっぱいにどーんと盛られて出てきたのでちょっと笑う。そしてやっぱりすごく美味しい。どう表現していいのか、何にたとえたらいいのかよくわからない美味しさ。ああ植物だーって思う、緑っぽい味。つぼみだからかな。他にも何品か食べて、ビールも飲んで一人2000円しなかった。この店よくわからない。庶民的な雰囲気かと思えば味付けはけっこう上品で、でも値段は大丈夫かと思う安さ。近くに台湾の公的機関があるから、こういう店が集まるのだろうか。とにかく近所にあって有り難い店。
金針菜↓
この時期に帰省するといつも植物は凶暴だと思う。いや別に、引き抜かれる時に叫び声を上げそれを聞いた者は死ぬとか、ましてやそれがきんどーちゃんで「キャーッ!」って叫んでるとか、そういう話ではなくて。
この季節の田舎では、土さえあればそこにはびっしりと草が生い茂り、丈を伸ばしてあっというまにジャングルのような状態になる。それが家の敷地内であろうと、畑であろうと、道路であろうとも。そこが土でなくても、コンクリートの割れ目から、石垣の隙間から、太陽に向かって貪欲に茎を伸ばして花を咲かせたりする。大葉もパセリも、勝手に2メートル以上に茂っていて上の方は手が届かなくて収穫できない。
満開の藤の花は、はるか上方、杉や檜の樹の天辺にべろーんと覆い被さって咲き誇っている。私は大人になってから美しく整備された藤棚を見るまで、和歌などで藤の花が「美しい風流なもの」として扱われているのがどうにも理解できなかった。野生の藤は、山の樹という樹にべろーんと被さっている、このうえなく厚かましい植物なのだ。
そんなことを草に埋もれかけた実家で思う。父は「都会の人は自然がいっぱいでいいですねえなどと言うけれど、一回草刈りしてみろってんだまったく」と嘆く。今回、草刈りして帰ろうかなと一瞬考えたけれど、今刈っても来月の法事までにはまた元通りだろうと思うとやる気が出ない。来月ちょっと早めに帰って植物の凶暴な勢力と闘わなければ。
B寝台のあの細長ーいシーツが好き。申し訳程度の安全柵が好き。いろんなものが折り畳んで収納してあるのが好き。マジックテープをどんどん留めて巣をつくる気分が好き。男の人はいいなあカプセルホテルに泊まれて。
出雲-東京間をぶっちぎるこの寝台特急は、うちの田舎の最寄り駅を23:10に発車して東京には朝7時頃に到着する。時間的にみてノンストップだと思っていたら、なんと4時半頃にどこかに停車して、しかも乗ってくる人がいた。すごいスケジュールだな。あとで調べたらあれはたぶん静岡。おかげでこちらも眠ったような眠らないような、中途半端なことに。
寝台車の中で「アフターダーク」を読んでいたら無性にデニーズに行きたくなったので、帰宅してから朝デニに出かける。最近のデニーズの朝ご飯はなかなか良いので時々行っている。そのままコーヒー飲みながら本の続きを読み、昼前に本格的に帰宅。荷物の整理などして、でも洗濯日和でもないのでビールを飲みながら本を読んでいたら、14時頃には爆睡に陥る。どのくらい爆睡だったかといえば、目覚めたら22時だったくらいだ。ああよく寝た。実家での睡眠不足と肉体疲労を一気に挽回したみたい。でも昼夜逆転するとまずいので今日はこのまままたビールでも飲んで朝まで寝ようっと。
携帯旅日記は後日こちらに転載の予定。
2005年05月05日(木) |
帰省日記05/05 ゴロンゴロン/それでは |
■ゴロンゴロン 門口でゴロンゴロンとのた打った後、中途半端な姿勢のまま寝てしまうのはやめて欲しい。生きてるかどうか不安になるから。
■それでは 現在、B寝台の読書灯の下、アフターダークを読んでいる。デニーズに行きたくなった。東京に着いたら朝デニしよう。 それではおやすみなさい。そして今回の携帯旅日記はこれにておしまい。いつかまた旅に出る日まで、ごきげんよう。
2005年05月04日(水) |
帰省日記05/04 キヨト/ショーハク |
■キヨト パパンとキヨトでデエト。 白川沿いの料亭でお昼。部屋からは鴨川の川っぺりが見えるのだが、最近は季節に関係なく床を出すようになったのだろうか。あと、すごくいい天気で日差しが強烈なのにやっぱりカップルが座っている。日焼けするぞ。 白川のほとりに吉井勇という人の歌碑があって「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕の下に水のながるる」とある。吉井勇って誰だろう。 父が若い頃から通っている喫茶店「築地」でウインナコーヒー。父曰く「昔は二階は蔵のままで、席は無かった」 昔っていつのことよと聞くと昭和25年くらいかななどと言う。 その後、博物館方面へ移動。
■ショーハク さて博物館ではショーハク展を観た。携帯では「しょう」の字が出ないのでショーハク呼ばわりなわけだが、まあこの人は一言で説明できるような気がする。酔っぱらい。初期のサインなど明らかに手が震えてるし。面白かったけれど、展示点数が多すぎてぐったりした。 ぐったりしつつも、せっかくだからと向かいの三十三間堂へ。やっぱりあの見渡す限り千手観音という光景はすさまじい。今日は天気がよくてすごく明るかった。もう少し薄暗い方がいいんだけどなあ。
そんな感じで今回の帰省は終了。5日の夜の寝台特急に乗って6日の早朝には東京。
2005年05月03日(火) |
帰省日記05/03 やっぱり箱が好きな猫が好き/サライな蕎麦 |
■やっぱり箱が好きな猫が好き 最近はワンカップの箱。
■サライな蕎麦 父の知り合いで、趣味が高じて蕎麦屋になってしまった人がいる。やまあいの古い農家を改造して、北欧の薪ストーブを入れて、作務衣を着て、それはもうとてつもなくサライな世界である。 看板も出さず宣伝もせずひっそりと始めた店だが、その蕎麦は絶品で、どこから聞きつけてくるのかなかなかの賑わいを見せている。 唯一の難点は、モータリゼーションに頼らざるを得ない立地なのでお酒が飲めないこと。 挽きぐるみの蕎麦、だし巻き、黒豆ソフト。
2005年05月02日(月) |
帰省日記05/02 障子貼り替え/アメリカ |
■障子貼り替え 貼りたては美しいねえ。わびさびだねえ。究極の余白の美だねえ。猫の出入口も美しいねえ。
■アメリカ 父の昔の教え子が訪ねてきてくれた。今は仕事でアメリカはシカゴ在住。アメリカのナマの姿を聞かせてくれて興味深い。 アメリカでは「善意の無知な人」がすごく多くて、それがいちばん恐ろしいのだと彼は言っていた。私は華氏911を観たばかりだったので、やっぱりかー、って暗湛ある気分。 あと、食べ物が本当に不味いと力説していた。外食がジャンクフードしかない場所も多くて困ってるらしい。彼曰く「イギリスの方がまだマシです、郷土料理なんかもあるし」だそうな。
2005年05月01日(日) |
帰省日記05/01 うつ伏せ/春の始めの/うぅ |
■うつ伏せ 写真では何がなんだかよくわからないけれど、実際見てもよくわからない。猫って、こんなにうつ伏せで眠るもんだったか? 息できてるのか? 一瞬、「首がないっ!」って焦った。
■春の始めの お正月頃にどこかから頂いた清酒のパッケージ。一升瓶がぴったり一本入るスチロールの箱。蓋の裏にはメロディを奏でるICが埋め込まれている。バースデイカードなんかによくあるアレ。 お酒はとっくに飲んでしまっているのだが、その箱が上がりかまちに置きっぱなしになっていて、ふとした拍子にメロディを奏でまくるので心臓に悪い。さわってもいないのに勝手に鳴り響く。しかもメロディは「はーるのはーじめーのたーめーしーとーてー」だ。解体して電池を取り出そうとしてみたが、どうにも歯が立たない。安っぽい部品のくせに、一回きりの使用しか想定していないから分解できない。そのくせすごく丈夫。ガンガン叩いても壊れない。 そういうわけで、今日もうちには春の始めの歌が鳴り響いている。そんな中で果てしなくビールを飲みながらアップルシードを見ていると頭がおかしくなりそうだ。
映画 サルサ! アップルシード
BSフジの「無意味良品」が相変わらずバカで爆笑。
■うぅ 昆布なのに甘いんです。でも昆布なの。おえー。飲んだ後の口直しには適さない。きつー。 もう一本ビール飲むぞ。
garden_of_time
|MAIL
|