想い出の樹

2002年10月26日(土) 出会えてよかった

『知的障害について前向きに何事かを考えた者は、「他者との競争や比較という呪縛」から解き放たれ、「より自由な思考」をすることができるパスポートを得たと言える。現代社会は「才能の市」であり、能力、学歴、資力、縁故その他を総動員した競争社会である。あらゆる意味で、他者に対して自分が優位に立つことばかり気にする。自分より下位の者を探して、その者より自分が上位であることを喜ぶ。しかし、どこまで行っても上には上があり、決して満たされることはない。
 しかし、知的障害児たちを見ていると、他者との比較の中にのみ生きていることが実に意味のないことであると感じてくる。「この子は、自分自身とだけ比較されるべきである」とイタールは言ったが、他者との比較ではなく、その個人の成長や前向きな姿勢にこそ注目するべきである。』

これは「あらいぶ」というHPで見つけた文章です。(こちら)
この文章を読んだとき、「あ、そうだったのか。」と私は大きな衝撃を受けました。私は、私の生徒といるとき、とても楽しくてたまりません。心の中がとってもとっても暖かくなります。何故なんだろう?何故彼らといると、こんなに心地がいいんだろう?

私がSくんの演奏会へ赴き「よかったね〜」と声をかけたとき、Sくんはそれはそれは嬉しそうに私の手をぎゅぅっと握ってくれました。その手の暖かかったこと!NちゃんとSちゃんは、さようならをするとき、とても優しそうな瞳で見つめ合い片手を合わせながら「バイバイ」をしていました。お互いをこんなに優しく見つめ合う友情ってあるかしら?私はそのとき、非常に感銘を受けました。羨ましいくらいに。

Gくんは、嬉しい、楽しい、嫌だ、といった思いをそのまま表現します。そして、大好きという表現も瞳いっぱいに表現してくれます。私の鼻に自分の鼻を近づけてきて、愛おしそうな瞳で私をのぞき込んでくれます。いたずら心いっぱいに私のことをつねるときの顔は、痛いながらに笑ってしまいます。本当にいたずらっ子の顔になるから。玄関で「バイバイ」するとき、彼は一生懸命手を振りながら、私の顔をつぶらな瞳で見つめてくれます。

Kくんは、いつもニコニコ優しくてかわいい声。Sくんの弟くんに「お名前は?」と人なつっこく聞いたとき、弟くんははずかしがって逃げ回っていました。そんな彼の後ろから「お名前ないの?」(笑)かわいくてたまらない。私の顔を見てにっこりほほえむ彼の笑顔は、私の癒しです。

彼らには彼らにしか通じないコミュニケートがあります。お互いに深く干渉しあうわけではないけれど、そこには優しさが満ちあふれています。それは、彼らの仕草や瞳の優しさからわかります。果たして私に彼らのようなコミュニケートができるだろうか・・・?これは彼らにだけ与えられた特権のような気すらしてきます。

もし、本当に神様という存在がいるのであれば、彼らはこの世で一番神に愛されている存在。一番大切なものを神から受け継いでいる存在だと思います。そして彼らと出会った私は、彼らからその大切なものを分けてもらっているのだ・・・冒頭の文章を読んで、やっとそのことに気づきました。

私が彼らといて、とても心地が良く暖かい気持ちになれたのは、彼らからその大切なものをわけてもらっていたからなのです。彼らをぎゅぅっと抱きしめたくなるのは、彼らが素直な暖かい心で私の心をぎゅぅっと抱きしめてくれていたからなのでしょう。そのことに気づいたとき、私は強く強く感動しました。

彼らと出会えてよかった。本当によかった。そして、ありがとう!


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中嶋 [HOMEPAGE]

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