ケイケイの映画日記
目次|過去|未来

この映画に絡む「ラスト・タンゴ・イン・パリ」は、確かレンタルビデオで観ました。30代だったかなぁ。公開当時は確か小学生で、でもその時分から映画雑誌は愛読していて、この作品が一大センセーションを巻き起こした事は記憶にあります。名作と誉れ高い作品の暗黒を映画化出来るなんて、「me too」運動は、本当に意義のある活動なんだなと痛感します。監督はジェシカ・バレー。
19歳の新人女優マリア・シュナイダー(アナマリア・ヴァルトロメ)は、新進気鋭の映画監督として頭角を現しているベルナルド・ベルトルッチ(ジュゼッペ・マッチョ)から、新作の「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のオファーを受けます。マーロン・ブランド(マット・ディロン)の相手役と聞き、飛びつくマリア。しかし、この作品の出演が、後年彼女の人生を狂わせていきます。
「ラスト〜」は、大まかな筋だけは覚えていますが、細部は全く記憶にないです。この作品でも物議を醸すバターのシーンも、映画を観て思い出したくらい、正直内容は、私には退屈な作品でした。そんな私でも、マリアの顔と大きなバストは覚えています。正にマリアの苦しみは、そこから来ている。
マリアの母(マリー・ジラン)は愛人で、今はマリアの父親の俳優ダニエル・ジェラン(イヴァン・アタル)とは、別離。マリアは父との久々の再会で、映画の世界に興味を持ち始めます。興味本位と華やかな世界に憧れを持っていただけで、野心は多分持ち合わせていない。ブランドとの演技談義も、ほぼ心酔して聞いているだけ。そんな彼女は監督から、抜き打ちでまるで性加害そのもののようなシーンを強要されます。
スタッフは皆知っていて、彼女だけが知らされていない。衆人の前でレイプされているかのようです。その中に女性もいるのに、いたたまれない様子もなく、表情一つ変えません。それが本当に怖い。当時は映画の為なら、俳優は人権はなく、何をされても良いと、スタッフ皆が本気で思っていたんでしょう。
ショックで打ちひしがれるマリア。以降トラウマを抱えて生きる事に。この作品はセンセーションを呼び、上映禁止の国も出てきます。イタリアでは何とベルトルッチ、ブランド、マリアの三人が告発され、執行猶予付きの有罪判決が出ます。その事にも大変ショックを受けるマリア。「名前が売れて良いじゃないか」と言う父。悪名は無名に勝るという事か。まだ成人したばかりの娘には、何の慰めにもならない。
私が激怒したのは、この若い娘を一人フランスに置き去りに、著名で権力もあろう男二人が、それぞれ国に帰ってしまった事です。一人フランスで、マスコミや世間からバッシングを受け続けるマリア。心身が疲弊する彼女は、一気に心のバランスを失います。この辺は、今のSNSでの過剰なバッシングを想起させます。
徐々に人格崩壊していくマリアは、仕事にも支障をきたし、薬物にも手を染めます。この辺は、とても説得力がある演出で、誰もが彼女に同情すると思います。 マリアが薬物で逮捕された事を知っていましたが、こんな事情が隠されていたなんて。
シャロン・ストーンが「氷の微笑」での例のシーンは、ライトが当たるとハレーションを起こすから、下着は履かないで欲しいと撮影から言われた、と最近になって語っています。騙し討ちです。シャロンは「氷の微笑」以降、似たような悪女役をたくさんあてがわれ、盛大にヌードも見せています。彼女はIQ150代の高頭脳の持ち主です。大昔読んだインタビューで、IQの話を振られた時「でも世間では、歩き方も知らないと思われているわ」と、皮肉で返していました。自分の役柄を揶揄しているのです。シャロン程の美貌と頭脳を持ち合わせていても、映画業界に置ける権力の前では、歯が立たないのでしょう。抗う事をしなかったシャロンは、スターダムに乗ります。でもそれは、彼女の本意だったのかしら?
一方、シャロンより前の時代に、無駄なヌードシーンを拒否して抗ったマリアの仕事は、先細りでした。あの時代、大御所でもない、たかが一人の女優の言葉に、耳を傾けてくれる人は、少なかったはず。これ程勇気のある人だとも、全く知りませんでした。どの媒体も取り上げなかったのでしょう。
シャロンの他にも、亡くなったオリヴィア・ハッセーとレナード・ホワイティングは、「ロミオとジュリエット」では、ヌードシーンは使わないと言われていたのに、ゼフィレッリに騙されて使用されたと、訴え出ました。これもつい最近です。自分たちの尊厳を取り戻す決意をするのに、実に50年以上の年月を要したわけです。
精神病院に入院したマリアは、母を恋しがるのですが、母は面会にも来ない。父親の元に通う娘を許さない。娘を恫喝して抑え込むこむ様子が描かれます。シングルマザーで辛酸は舐めたでしょうが、これは無いよななぁ。原作はマリアの従兄妹であるヴァネッサ・シュナイダー。劇中でも、従兄妹を可愛がるマリアの様子が描かれます。マリアの人格の崩壊の一端は、伯母にもあると、ヴァネッサは言いたいのでしょう。
アナマリアはとても可憐で美しく、マリア以上の美人です。アナマリアは好演でしたが、ここは正直、もう少し似せた人でも良かったかとは思います。その方が、作品により感情移入出来た気がするなぁ。苛烈な役柄が多いアナマリアですが、ハリウッド進出の「ミッキー17」では、容姿と落差のない役柄でした。今後も活躍を期待したいです。マット・ディロンのブランドは、これは荷が重かった模様。終始ブランドには思えませんでした。マットより格上だけど(多分。私の想い込みか?)、エドワード・ノートンなら、全く自分とは違うブランドにも、寄せてきたのではと思います。でもブランド役は今の情勢なら、ベルトルッチ役以上に、やりたくない役だと思います。
劇中の後半、マリアに寄り添い、甲斐甲斐しく世話をする女子大生のヌール(セレスト・ブリュンケル)。劇中唯一、心からマリアを受け入れ愛した人でした。彼女とのその後がどうなったのか、気になりました。映画を観る限り、マリアが自殺でせず生涯を終えたのは、私はヌールの献身であったと思います。真摯に描かれた、力作です。
|