ケイケイの映画日記
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めっちゃ面白い!実を言うと、咀嚼できなかったり、疑問に感じたりが終盤続出するわけね。それでもこの作品、私は大好きです。今年の邦画のNO・1は、「国宝」だと思っていたけど、撤回します。この作品です。好きな映画は完成度とか格とかではなく、偏愛だなと、改めて思い知った作品。監督は永井聡。
酒に酔って、酒店の自動販売機を壊した事で、警察にしょっ引かれたスズキタゴサク(佐藤二朗)。刑事の等々力(染谷将太)の尋問中に、突然自分は霊感が働く、もうじき爆弾が爆発すると「予言」します。果たしてそれは、実現します。警視庁の捜査一課からは、清宮(渡部篤郎)と類家(山田裕貴)が派遣され、タゴサクの尋問が再開されますが、彼らはタゴサクに翻弄されていきます。
もうね、佐藤二朗の怪演がすごい!いつもの佐藤二朗なんだけど、でもスズキタゴサクなんだ。当初は小汚くて、頭も弱そうな中年男として登場したタゴサクですが、そのまんまのペースを崩さず、様々な顔を見せだします。無邪気で愛嬌があり、話好き。相手の心に入り込んで懐柔していく様子は、相当知能が高そう。多分メンサ級。だけど、サイコパスではない。無邪気の中に邪気を漂わせて、笑顔がとても怖い。私がとにかく秀逸だと思ったのは、他の登場人物を通して、メンサ級に生まれついた、タゴサクの哀しみが浮き上がってくることです。
類家も多分、メンサ級の頭脳の持ち主で、それを買われての捜査一課強行犯課に抜擢なのでしょう。清宮の手に負えくなり、タゴサクの尋問は類家が担当に。その事を清宮は嫌がっていました。何故なら清宮は、自分の部下も、タゴサク同様の、モンスターに変貌する素質を持っている事を見抜いているから。
私が思うに、等々力も多分メンサ級だな。何故彼ら二人は、自分の頭脳からしたら、退屈極まりない世の中なのに、モンスターにならないのか?類家は、世間を破壊するより、守る方が難しいから面白いからと言う。等々力は、今の自分が不幸ではないからと言う。二人とも自分を肯定している。という事は、タゴサクは不幸で自己肯定感が低いと言い換えられないか?全く描かれない、何が彼らが三者三様になったのか、ものすごく興味を掻き立てられました。
登場人物は、光と闇を抱えた人ばかり。自殺した長谷部(加藤雅也)しかり、矢吹(坂東龍汰)の手柄を出し抜いた伊勢(寛一郎)しかり。等々力は、「例え何か露見しても、それでその人の全てが否定されるわけじゃない」と言います。この慈悲と洞察力が、自分の頭脳に負けない人格を持つ、等々力の武器なんだなと思います。多分彼は、悪には転ばない。こちらも深いメッセージが込められていると思う。表裏一体のような類家とタゴサクですが、光が類家、闇がタゴサクというところでしょうか。しかしこの光と闇は、いつでも交換可能だと思います。
後半の重要な人物たちの絡ませ方が、稚拙です。ここはミステリーとしては致命的だけど、私は人間観察に視点を置いたので、雑なのは気になりませんでした。この辺は意見が分かれるでしょう。大切な人から貰った帽子を、タゴサクは何故捨てたのか?それは類家の言った、罪を負わされ、自暴自棄になったから、ではないと私は思います。自らタゴサクが背負ったんじゃないかしら?そして、その事で相手への慕情は捨て去り、関係性が新たなステージに入ったからかと思いました。
矢吹(坂東龍汰)や伊勢の暴走に、心当りのある人も多いはず。前者は若い功名心、後者は贖罪です。矢吹のバディ倖田(伊藤沙莉)の、バデイを想い、心ならずも規律を侵してしまう姿も理解出来ます。保身ばかりのパワハラ上司かと思っていた鶴久(正名僕蔵)の見せる温情もしかり。、スリリングな高頭脳の戦いの中、人間らしい暖かさを滲ませていて、ホッとします。
とにかく全部のプロットに置いて、熱量満タンで素晴らしい!文脈や行間は、過分に役者の力量に頼るところがありますが、それを差し引いても、私は大好きな作品です。引き出したのは、監督だしね。私の疑問が、続編で解明されますように、切に願っています。だから、続編が作られるように、お願い、ヒットして!エレカシ宮本の主題歌まで、気に入っている作品。
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