オミズの花道
old day
days list
new day
『男の可愛さ・3』(完結編&ちと休む報告)
2003年07月27日(日)
さて、散々酔っ払いの習性や、飲み屋に来る・・・・もしくは勤める人間の不真面目さの確率を、世間一般の感で述べさせて戴いた所で、今日は私自身の事を少し書きたいと思う。
ご理解戴けるように順序立てて書いてきたつもりだが、2日分を乱暴に要約すると、実の所は2行で終わってしまう。
『飲み屋に頻繁に出入りして酒を飲む客は、精神が何処か荒廃して歪んでいるのが多い。』のだし、『オミズのオネエチャンはいい加減で都合の良い考え方の女が多い。』という2行だ。
これは良く世間で上滑りな言葉として使われ、飲み屋で飲んだ事も無い、また働いた事も無い人の心の底までも、言葉は変わったとしても似たようなイメージで刷り込まれているものであろう。
実の所は私も、この仕事を始めたばかりの頃などは、何かしらこういう考えにひと含み持っていた。
どんな世界に居ても自分さえしっかりしていれば清く在れる、という反発もあった。
さりとて仕事に意義を見出せず、いやさ意義を持つことが恥じられるような職種、そんなこの仕事への羞恥心も捨てきれず、お客様を疎ましく思い毎日を過ごす中で、自分がどこかしら少しずつ汚れていくような感覚を持っていた。
だが、何時ごろからか良く思い出せないのだが、私にはあるラインが見えて来た。
人は仕事に意義を見出すのではなく、仕事を通して自分が自分である事の意義を見出すのであるし、仕事というのは社会の一部で役割に過ぎないこと、そして、しなければならないのは自分に与えられた(選択した)その中でいかに己を伸ばし、懸命に真摯に事に当たるかである、というラインだ。
これは清い汚いの次元でモノを見てしまう自分の終結の時でもあった。
それが見えた時、自分の枠がぐんと広がったように思う。
相変わらず私生活に於いては恋愛ベタだったが(む、虚しいし関係ないぞ)、社会生活においては自分が望むように自分を築き、楽しく充実あるものに出来るようになった。
今も文筆業で苦しんではいるが、産みの苦しみを味わえる(味わいたくはねえんだけど)、誰かの目に産んだものを見てもらえる、何かの形で商業として世に出る、それなりの反響もある、・・・・それは苦しんだ甲斐のある『自分』そのもので、言葉には出来ない極上の喜びがある。
水商売の方もこれと似たような事が言えるのだ。
文筆業と違ってサイクルは凄く短いが、自分が接客においてどんな持て成しをするか考え、それを構築して行き、実践し、数字として叩き出し(お陰様で今月も1番みたい(自慢))、結果を帰り際に見る事が出来るのは、全然違う業種であっても『流れ』としては実は一緒だったりする。
つまり仕事が何であろうが、流れを作っていくのは自分だし、その中に『何か』を見出すのも自分自身でしか無いという事を、頭ではなく身体で学んだ時、私は自分へのひと含みを失くし、またお客様へのひと含みもいつの間にか失くして行った。
それからはどんなにみっともない酔っ払いでも、偏屈な人でも横柄な人でも、余裕を持って見れるようになったし、時には難儀なお客様であればあるほどそれを楽しんだ。そんな日々を重ねる事によって、今まであったひと含みの空白のその分、その場所にほこっと、今度は人としての包容力が入り込んで、心の肉として身に付いて行った様に思う。
そうなると不思議なことに、お客様に対して今まで見えなかったものが見えて来た。
いや、むしろお客様の方が変わって行ったのだと思う。私に対して心を晒してくれるようになったのだろう、他の店やホステスには言わないような大事な話をしてくれたり、しないような扱いをする様になってくれた。
考えてみるとごく当然の事なのかも知れない。人は誰しも自分を理解してくれる、いや、理解しようとしてくれているだけでもいい、そういう人間が好きだ。
解りたいと努力するその行為には、性別も年齢も関係なく、また社会的立場も必要ない。
それは私自身もそうで、自分を受け止めてくれる相手は好きになってしまうし、長く付き合いたい相手であればあるほど、こちらも礼儀を尽くし慎重に言葉を発し事に当たるようにする。
ひらたく言うと、自分が相手への対応を変えてみたら相手も変わったという、只それだけの事なのだが、若い間に身体で実感し実践して体得したのは、私にとってやはり大きな出来事だった。
そして、気が付いた。私達水商売の女性は、酒という誘導物質を介在して、人の心に触れやすい立場であるから、きっとどの職種よりもこの作業が容易であるのだ、と。
そして先日の記述に書いた『飲み屋に頻繁に出入りして酒を飲む客は、精神が何処か荒廃して歪んでいる。』、その簡素な言葉の裏に本当は何があるか?、が見えて来たのだ。
飲み屋に来る男は何かしら内に抱えた物を持っている。歪んでいるのは、人は皆等しく悲しいからなのだし、もっと掘り下げていくと、自分に足りない何かを埋めたいから、もしくはそれから眼を背けたいから、男は女を前にして飲むのだ。
だが何を以っても自分の憂さを晴らすすべを知らない人よりも、酒というものを使って歪みを現わせる分、ひょっとしたら酔っ払いの彼等の方がずっとずっと素直な人種なのかも知れないとも。
世の中に男性相手の仕事が多く、またそれが彼等の心や体の空白を埋めるものである時、私はこの世の半分、自分と違う性を持つ彼等を、何とも儚げで脆く危うい生き物なのか、と実感せずにはいられない。
欲望、という言葉で片付けるには余りにも悲しく、また女に於いての欲望という名のものを掘り下げた時に、男のそれを欲望と呼び並べるには、浅すぎるのではないかとも感じる。
皇帝ネロは残虐非道であったが、則天武后のそれにはやはり及ばない、の如くに。
男という生き物の悲哀が少し解りかけた時、またその人それぞれの『欲望の裏の渇き』を読み取って、至らないながらも対処出来た時、私は心の底から彼等男性という存在を、可愛いと思った。
そこには年齢も無く、立場も無く、地位も無く、目の前にはただただ、疲れた姿の子供が居るのだ。
誰しも。
さて、これから先の水上はと言えば、本業の方はお盆進行が入り、また店のほうでもイベントが入る。日記も当分書けそうに無く、書けたとしても生存報告の様なショボイ形になりそうだ。
いや、ライコスもインフォシークと統合とかで変わるとか何とか言ってるし、別に日記というものが生活において定義付けされていないイイ加減な私は、ひょっとしたらこのままバックレて日記を書かないかも知れない。書きたければ書くだろうが今は良く解らないなあ。逃避はしちゃうかもな。原稿あると雑文に走りたくなるしなあ・・・・。
ともあれそんな中で、まだまだ修行中の私が、水商売において少しだけ解った事を、今日は最後の方で述べさせて戴きたいと思う。バックレるかも・・・・の割にはショボイ置き土産だけれども、悲しいかな今の段階の私はこれが精一杯です。
お客様が最終的に私達ホステスに求めるのは、女ではなく『母親』なのです。
それはその人の実際の母親像とかではなく、母という言葉に象徴される全てのものです。
無条件に自分の心を受け止め、抱き締め、温めてくれる存在をお客様は欲しているのです。
彼等もそれに付随して、色が絡んだり、甘えが出たり、利害を計算したり、・・・・はするでしょう。ですが、それはうわっぺりに過ぎません。・・・・と言うより始末の悪い事に、遊んでいる彼等『こそ』が、この渇きに気が付いていなかったりします。この文面を読んでおられる男性諸氏も『俺はそんなマザコンじゃねえよ』と憤慨されておられるやも知れません。ですが、私が3日間を使って述べた中に、その解答に沿うものがある筈です。
普段の接客において、この『色』や『利害』で私達ホステスは、ひどく彼等に振り回されます。
だけど面白いもので、その付随を取り除きたいなら取り除きたいほど、私達は尚更母親にならねばならないのです。
勿論この道のりは厳しく棘も多いです。実際に子供の居る母ホステスならまだ母たるべきものが解る分、若干有利やも知れないでしょうが、若いお嬢さんには相手の自分の年齢に対する見方もありましょうし、父親よりも年上でありましょうし、それこそ苦難の道であるでしょうね。
私が良く『色や美なら簡単』と述べさせて戴く真意は、実は此処にあるのです。
母のように、よりは色や美で自分を磨く方が、自分的に楽で答えが出やすいですしね。
だけど、前述で述べたようにこれを体得するのは年齢など関係ありません。年端の行かない小娘でも、ひとたび男性の可愛さを引き出すすべを学べば、目の前に居る男性が70歳であろうがマスターヨーダであろうが、疲れた子供になるのです。
私生活ならこんな面倒くさい奴はお断りだし、とんでもないなと思うし、疲れますよね。
だけど、これをこなすのが実は『この仕事の理(ことわり)』であると私は思うのです。
お客様は私達の『この部分』を買いにいらしておられるのだと。
何度も言うようにただ飲みたいならば居酒屋でも良いのだし、傍に女が居ないと味気ないと言う理由だけなら、女房相手に家で飲めばいいのだし、異性の友人と飲めばいいのです。
だけど、ホステス相手に高いお金を捨てに来る。それはやはり、前述のようなものを彼等が(無意識であれ)求めている証拠なのではないでしょうか。
理としてそれを疎ましく思うなら、商売として金銭を貰う資格は無い・・・・までは言いませんが、私は良いお客様に恵まれない、愛情なんて持てない、と嘆く資格はホステス側にも無いと思うのです。
勿論、感情を出すなとは言いません。感情が無ければ手に持ったハンカチでお客様のグラスを拭くことも出来ません。
怒ってもいい、泣いてもいい、悲しんでもいい、羽目を外しても、甘えても、時には殴ってもいいんです。(こらこら)
だけど、母のような愛情が土台にある感情を、決して捨ててはならないように思うのです。
所詮は『オミズのオネエチャンはいい加減で都合の良い考え方の女が多い。』と言われる仕事です。
何を見出し、築くも自由。反して嫌気が差し、去るも自由。
1番してはならないことは、何も拾わないこと、残さないこと。
それが私には人としての理のように思えるのです。
全てのホステスさんが、どうか健やかな笑顔でいられますように願って、ひとまず筆を置きたく思います。
長いのに読んでくれてありがとう。
水上拝
人気サイトランキング
old day
days list
new day
mail
home
photodiary
Design by shie*DeliEro
Photo by*
Cinnamon
88652+