オミズの花道
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『 文筆業とは供養に似たり 』
2003年09月07日(日)




ああああ締め切りがああああ。
(あで挟んでみました。)
毎回毎回まったくよぅ。何やってんだか。

締め切りが迫るとこうやって他の事に逃げたくなる。こりゃあ逃避行動だわな。大掃除をしなきゃいけないのについついアルバムに見入ってしまうとか、そういうのにちょっと似ている。

大体私は何でこんな事になっているんだ。何で物書きなんかしてるんだろう。こんなつもりじゃなかったのに、いつの間にかこんな事になって毎回毎回苦しんでいる。
きっかけはやっぱりお金だったように思う。物理的なコストがかからない割には返りがあったので、いいなと思って始めて・・・・もう早6年経ってしまった。


初期の頃に商業ベースで書いてたものは、自分が飼って来た動物達にまつわるエッセイだった。(はぢめて明かしますが、ぢつはそうなんです。はぢかし。でも今はもう違うよ〜ん。)
うちで飼ってた動物達は金魚から爬虫類から鳥類から犬猫、その他に至るまで個性派揃いでネタには事欠かなかったのだ。

あの頃は今のハードな分野(ナイショ)と比べると天国のようだなと思う。のほほんとしていて、後味も良い。何より読み手にシンクロしやすく、それゆえ読者様の反響も良かった。(もちろん身内にウケまくったのは言うまでもない。)

そんな風に世や自分の周りから祝福を受ける仕事は『書く』という分野でも、タペストリーを織るように柔らかな作業だ。
だがあの頃の私は意識こそしていなかったが、もうすでに書くという行為を死んだ彼等への供養の気持ちで書いていたように思う。

・・・・最近は痛切にこの『供養』という言葉を感じる。
書くという行為は供養に似ているのだ。
対象が故人であれ、亡くなった愛しい動物達であれ、己の恋の残骸であれ、通り過ぎた季節と時間であれ、失くした物であれ、時事に沿う出来事であれ、フィクションの読み物であえ、そんな風に相手が何者(物)であっても、それに対する供物のように思いを捧げる、墓標を築く。

その表現が時には思慕であったり郷愁であったり、怒りや涙だったり、愛おしさや優しさだったりするものの、昇華するという材料で出来た白紙の上に、思いと言う文字の供物を捧げ綴って行くのが書くという行為なのであろうと思う。


それがくっきりと解ったのはエッセイ物を書き出して一年くらい経った頃だった。
私と担当の編集者は、あるタブーを犯してしまったのである。
タブーと言うと大袈裟だが、のほほんとしたフィールドの中で目を覆いたくなるような物を怒りを込めて出してしまった。

それは憩いたい読者層の中で、現実から目を背けたいから『こそ』その本でなければならぬという読者層の中で、暴力に近いものさえあったと思う。
とにかく反響は凄かった。批判もあったし、皮肉を込めた評価もあった。賛も否もとにかくごちゃまぜ。それに自分自身打ちのめされたし、書くことが怖くなってしまった。

商業ベースの批判というものは、ウェブで食らう批判の比にならない。
自分がそれで金銭を受け取っている以上、また文責においても絶対的に逃げられないものが生じてしまって追い込みに拍車をかけていく。
(ひらたく言うと喰えなくなるかも知れないし、訴訟沙汰になりやすいってやつ。)
ウェブでは編集者などの第三者を挟む事も無いから、自分が何を書こうがその第三者が職を失う事も無い。

もっと突っ込んで例えるなら、某巨大掲示板で誰かが不適当な事を書き込んだとて、管理人が『不行き届き』を問われる事はあるが、訴訟において管理人が賠償まで支払わねばならなかった事は無かったように思うし、また世論の風潮として『そこまで問えないのではないか』という流れが大きいように思う。
これが著者で、出版社であるならそうは行かない。世に出してしまった責任は両者とも徹底的に追求される。
訴訟沙汰になって賠償せねばならぬ、などはそう頻繁にある訳ではないが、珍しくも無い話だ。
そういう社会的な制裁や捉え方の意味でも、私にとってウェブで書くという行為はぬるく、現実感が薄いように感じる。


さて、勿論私は事実の元に書いた物であったから、訴訟だの何だのそこまでの心配は無かったのだが、『賛と否の中にも存在する文責』という物にはこの時期に深く考えさせられた。
事実であろうが無かろうが、金銭を使わせて読ませてしまう以上、背負わなければならぬものはあるのだ、と。

だが、そのうち面白い現象が起こった。
私の書いたものが読者のページで3〜4号に渡る討論になり、それがある団体の目に留まって、最終的には小さな運動になって行ったのだ。

その時、奇妙なもので『ああ、もうこの問題は私の手を離れて行ったんだな・・・・。』と安心したものの、・・・・それを吹き消すくらいの淋しさが私を襲って来たのだった。

『あれほど私を悩ませて苦しめたものが、
 願い叶ってやっと去って行くと言うのに、私は淋しさを感じる。
 これは一体どういう事なのか?』

・・・・ああ、私は媒体者に過ぎないのだ。
その時、自分の中の何かが呟き、媒体という言葉が浮かんだ。
意識レベルでは、その言葉は強制的でさえあったように思う。


何かを書くという事は、伝えるという事は、それを自分の物にするという事ではない。
私というフィルターを通して濾されて通り過ぎたに過ぎず、最終的には私が書こうがまた他の者が書こうが、書かれた存在がある限り、それは常に書かれた彼等自身の物なのだ、と。

勿論これはフィクション、ノンフィクションに限らず同じ。
いや、事実であろうが空想であろうが、この作業が同じにならなければ、書いた物の手を離して一人歩きさせる事など出来ない。

・・・・そう思った。

私が昇華という材料で出来た白紙の用紙を手に入れたのは、きっとこの時だったのだろう。
それからは相変わらず責任や柵に縛られてはいるものの、織り上げていく過程や組んでいく方程式、捧げていく供物に対しては少しだけ楽になった。
神様が降りて来る(という言い方をするんです)まで自分を追い込む事も、苦しいし身を削られるようだけれども、その都度耐えられるようになった。


物書きになりたい人は自分の言いたい事を書くためになると言う人が多い。それが何よりも大事だと思っている人も多いだろう。

だけどその実、それは全体において断片にしか過ぎないのだ。
降りて来る神様は自分の為にではなく、書かれている対象に対して降りて来るのだし、読み手がまず読みたくて知りたいのは、書かれている対象なのであって、伝道者本人ではない。

だが、反面羨ましくも思う。書く=主張の世界は楽しく、伝道者でなくて良いのは、背負うものも少ない。文筆業でなくとも何でも同じなのだが、物を創造するのを純粋に楽しみたいのなら、生業にするべきでは無い様に思う。
と言っても、この言葉が目指す者にとっては、如何に無駄な事か良く解ってはいるのだが(笑)。

その『楽しい世界』は、私にとっては此処なのかなぁと、こういう締め切り時には思ったりする。
反面、人のチェックを通らないで他人様の目に留まる物を、いいのかないいのかな、と思いながらドキドキと書いているし、私のウェブでの文章を私の担当が見たら、怒り狂うかも知れないなと苦笑いしながら書いていたりする。

生業にしてしまったら、何処で何を書こうとこういう呪縛からはもう一生解かれる事は無いのだろう。ほんのちょっとだけ解放されて、ちょっとだけ楽しむとか、私のように一瞬だけ逃げるとかになるしかない。
そんなものを読ませちゃったりして申し訳ないです、とは思うのだけれど、勘弁してやって下さいませ。
何の供養にもなりはしませんが。


*******
写真日記を始めてみました。
何故か携帯から送れなくて、画面上で編集。
ちっちゃいけど、割と綺麗に画像が出ます。嬉。




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何なんだろ・・・・良く解らん。
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