無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年08月02日(木) 『題未定』ってタイトルのエッセイ集があったな/『キノの旅�検戞併�雨沢恵一)ほか

 朝、起きるなり、しげが「3万円取ったなあ〜」とヘビのように目を赤くしてチロチロと舌を出して絡みついてきた。
 何のことだか全く身に覚えがないので(自分の妻に対してやましいことはしてないことには一応、自信がある)、なんじゃいそりゃあ、と問い詰める。
 「あんたがいきなり、3千円貸してくれって言ったんよ」
 「ふんふん」
 「でも、財布に3万円あるの見つけたら、『こんなに持ってるじゃないか』って言って、全部取り上げたんよ」
 「はあはあ」
 「ひどいやつやん、あんた」
 状況はだいたい解った。
 「で、それはつまり、おまえの見た『夢』なんだな?」
 「うん」
 「自分の夢に他人を巻き込むんじゃねえ!」(by『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』あたるのセリフ)

 例の靖国問題で、野中広務氏が中国の唐外相と会談。
 「『やめなさい』発言は、外圧であって、かえって日本国内のナショナリズムを台頭させる」と正式に抗議。
 それに対し、唐外相は「真意が伝わっていない」と弁明。
 ……「真意」は「日本は中国に従え」ってことだろうに。あくまで「訂正・謝罪」をしないのは日本も中国も変わりゃしないのだな。
 押しては引き、じゃないけど、「外圧は内政干渉である」、しかし「靖国問題は国内でも意見が分かれており検討する」とした野中さんの駆け引きは、政治家としてはマットウなものだ。結局、田中外相じゃ(なんでマスコミは真紀子外相って言い方をしてるんだ。変だぞ)埒があかないから野中さんが出なきゃならなかった、という形になってしまった。

 これは、今までの「小淵さんは犬死」発言や「候補者の名前も知らない」などの失言とは違って、田中外相の立場を圧倒的に悪くしたと言っていい(外務省人事でも大きなミソつけたけど)。
 いや、政府内の立場、ということでなく、世間の信頼や期待をなくした、という点で大失敗であったのだ。
 これまでの小泉人気も、田中人気も、野党が「具体性がない」と批判したにもかかわらずさほど影響がなかったのは、「ともかく今までのままじゃダメだ。『改革』してくれそうな人にともかく賭ける」という民衆の「背水の陣」的感覚があったからだ。
 だから、靖国に参拝するのがいいのか悪いのか、実は内容はどうでもよかったのだね。要は日本が「NO」と言えるかどうか。殆どヤクザの恫喝と変わらんような稚拙な「やめなさい」発言に対して、「日本のことは日本に任せなさい。あんたらの指図を受ける問題ではない。それでも日本は決して軍国主義には走らないのだ」と民衆はハッキリ明言してほしかったのだ。
 それを、田中外相は言えなかった。
 民衆の指示のみが田中外相の唯一の頼りどころだったのに、それを外相は失ってしまった。今回はなんとかしのいだものの(というより小泉首相に温情をかけてもらったようなものだ)、もはや田中外相に現内閣内では強い発言権は与えられまい。政治家としての求心力をほぼ失ったと言えるだろう。
 ……結局、「変節」しちゃったら政治家は終わりなのである。なんだか土井たか子か加藤紘一みたいになっちゃったなあ、田中さん。

 「熟慮する」と言いつつも8月15日の公式参拝を企図している小泉首相は、まだなんとか支持を保っている。首相になる以前からそのことを公言していたのだから、もし「やっぱり止めました」となれば、これも公約違反と受け取られ、人気は急落するだろう。
 周囲がどんなに「小泉首相のままでは日本は右傾化する」と警鐘を鳴らそうが、現実に徴兵制が引かれでもしない限り、それは野党の杞憂、というより被害妄想ということで決着するのだ。
 小泉首相の周囲にしたって、「熟慮してほしい」と持ちかけているのは、やはりただの「駆け引き」に過ぎない。民衆の支持が小泉首相から離れたと判断したら、そのときに「いくら意見を言っても聞き入れない人だから」と言って決別するための伏線に過ぎないのである。
 自分の決意を断行する、それが小泉首相に求められてるスタイルにほかならないし、そうするしかないのである。
 だから日本の場合、政治ってのは主義主張じゃなくて態度決定の問題なんだよね。


 今日は一日仕事だけれど、時間に余裕があるので、何冊か本が読める。
 ナンシー関『耳部長』、週刊朝日連載『小耳にはさもう』の文庫化4冊目。
 ナンシー関のエッセイのどこが面白いかって、我々がウスウス感じている「こんな芸能人いらねえよなあ」という思いを的確に言葉にしてくれてる点にあるだろう。
 実際、日常生活の中じゃ言いにくいんだよね、「橋田壽賀子ドラマなんて要らない」なんてさ。『渡る世間は鬼ばかり』、楽しみにしてるトシヨリだって現実にいるから、下手なこと言ったりしたら「キサマに老人の楽しみを取り上げる権利があるのか」とか、サベツ問題にまで発展しかねない。
 でも、やっぱり心の奥で我々は思ってるわけよ。
 「泉ピン子、大根役者のただのブス」って。
 トシヨリっつったってさ、せいぜい50代、60代なんであってね、所詮はテレビ世代だから、役者の演技力見抜く「通」なんてのはそうそういないのよ。『渡る世間』見てるとさあ、一見、泉ピン子、間の取り方も絶妙で、演技うまそうに見えるんだよね。だけどあれはカット割りでそう見せてるだけなの。編集の妙ってやつね。赤木春恵やえなりかずきに突っ込まれて、フッと目を逸らす、そういう「やり取り」のところじゃ必ずカット割ってるから、今度見て、確かめてごらんなさい。見たくもないですか。すみません。
 実際、なんであんなに威張ってるのだ、橋田壽賀子と泉ピン子。

 この本に紹介された二人のセリフはこうである。
 泉ピン子「あたしがバラエティー出身だって知らないね」
 知ってどうする。『ウィークエンダー』あがりなんて威張れたこっちゃないぞ。あの当時からどつかれるだけの芸ナシだったくせに。まだ桂朝丸(現・ざこば)の喋りまくりの「〜なわけだ」のほうが面白かったわい。
 橋田壽賀子「ああいうのが受けるというのは国民がバカになったのでは」
 「ああいうの」ってのは「人の不幸をネタにする番組だと」……それ、モロ『渡る世間』じゃん。「一億総白痴化」なんてのは40年も前に言われてて、そのときドラマ書きはじめてるのが橋田さんなんで、これも「近頃の若いもんは」と同じ愚痴なのだね。ナンシーさん、ヒトコトで橋田壽賀子を切り捨てている。
 「お前が言うな」
 ……だよなあ。
 確かに24時間ずっと番組が流されている今は、下らん番組のてんこ盛りなんだろうけれども、角野卓三など一部の役者を除いたら、橋田ドラマって「他じゃ使えない」大根役者を囲ってるだけだってこと、みんな知ってるんじゃないか。そんなん見て喜んでる視聴者を温存させてること自体、国民をどんどん白痴化してることになるんである。

 でもそれ言いだしゃ、ナンシーさんについても「消しゴム版画なんて要るのか」と返されかねないけど、まあ、愛嬌があるだけ罪はないってことで。


 時雨沢恵一『キノの旅�検戞�
 ロードムービーのような現代の寓話、第4弾。
 社会の矛盾を描きながらも、答えをあえて出そうとしないバランス感覚は4作続いても変わっていない。というより、より透明感を増している。
 岡田斗司夫『フロン』との関わりもあってか、面白く読めたのは『二人の国』。
 妻を殴る蹴るのと虐待しまくっていた夫が、妻に虐待され返された途端に言うセリフがギャグである。
 「私は今まで、立派に家庭を支える、よき夫であろうと、精一杯努力してきました。つきあいを断ってまで、仕事から早く帰ってきて……。妻との会話の時間を出来るだけ作ったり、休日には家に一緒にいたり、同じ趣味を持ったり。だから、妻も絶対に喜んでいてくれると思ったのに、どうしてこんなことになって……。彼女は絶対におかしい。むりやりにでも、病院に連れていくべきなんでしょうか?」
 大なり小なり、男って女に対して、こういう言い訳を持ってるんだよなあ。
 家庭を顧みない夫は「家のことは妻に任せてる。なのにしっかり出来ないのは妻のせいだ」。じゃあマイホームパパは大丈夫かと言うと、「自分はちゃんと家庭に貢献してるのに、しっかり出来ないのは妻のせいだ」。……同じなんだよね。で、暴力を行使する正当性を主張するのだ。
 だから結婚制度自体、廃止したっていいんだよなあ。「制度」は必然的に差別を生むってこと、我々は歴史から学んでるはずなのに、これだけは温存させ続けてるんだよねえ。結局は男も女も「結婚」って制度に甘えて依存してるんだよ。
 そんな立場に身を置くくらいなら、ずっと独身でいたほうがいいんじゃないか? 男も女も。
 そんなこと言ってると、「じゃあなんでお前は結婚してるんだ?」と、言い返されそうだけれど、成り行きでそうなることもあるんである。
 でも、私だって、結婚した以上は、よき夫であろうと努めてきたのである。つきあいを断ってまで、仕事から早く帰ってきて、しげとの会話の時間を出来るだけ作ったり、休日には家に一緒にいたり、同じ趣味を持ったり。だから、しげも絶対に喜んでいてくれると思ったのに、しげは私が「優しくない」と文句ばかり言うのである。しげは絶対におかしい。むりやりにでも、病院に連れていくべきなのだろうか?

 ……あれ?


 夜、鈴邑くんから突然電話があり、脚本についての打ち合わせがしたいとのこと。
 と言っても時間はもう9時。さすがに明日もまだ仕事があるのに、下手すりゃ夜通し討論って状態には耐えられない。
 しげはちょうど今日仕事が休みなのでいそいそと出かけて行ったが、私は遠慮する。
 後で「どんな話したの?」と聞いたら、「気になるなら、一緒に来ればよかったのに」と文句を言われる。
 だからそんな体力はないってえのに。
 「……もしかしたら、もう何を話したか、内容忘れてるんじゃないか?」
 「……だからメモしたもん」
 いいよなあ、ニューロン切れっぱなしのやつは。いくら約束破っても「記憶力のない私と約束するのが悪い」と開き直れるもんな。

 それでも、今度の公演の総合タイトルを考慮する必要はないのか? という意見が鈴邑くんから出されたのは貴重であった。
 日曜日の日記にも書いていたが、インパクトだけで客が引きまくるタイトルだっただけに、さて、どうにもならないものかなあ、でもそれ以上のアイデア出さないことにはみんな納得しないよなあ、と悩んじゃいたのだ。
 でもね〜、言いたかないけどね〜、ウチのメンバーで一番センスあるの、なんだかんだ言ったって、私なんだよね〜。
 こう言うと、しげはすぐ「世界が自分を中心に回ってると思ってる」って文句言うけどさあ、コトバってのは基本的に既成のものでもともと新味はないものなのよ。そこでいかにお客さんに興味を持ってもらうかと考えた時に、その既成のものをどう組み合わせりゃいいかってことを真剣に考えなきゃなんない。
 それがセンスなんだよね。
 で、広くお客さんに来てもらうためにはあまり先鋭的なものにしちゃアカンというのがあるのよ。英語タイトルはその意味でご法度ね。自分は気持ちいいつもりでも他人から見たらマスターベーションとしか思われないのよ。
 ダサいけどハイセンス、これが求められるんだけど、その辺の感覚がウチのメンバーには欠けてるのだよなあ。じゃあ、例えばどんなタイトルがいいかっていうと、「ドラえもん」とか「めぞん一刻」とか「ショムニ」とか「モーニング娘。」(笑)なんてのが好例。
 実はよく聞く言葉なんだけれど、ただ聞いただけじゃ何のことか分らない、これが必要なのだね。……「もーむす」って、最初聞いた時、新しいオムスビか何かの名前かと思ったし。
 そういう「どこかちょっとだけへんてこ」ってのを思いつければいいんだけどなあ。
 『其は、樹の如きもの』ってのも考えたんだけど、またぞろ意味不明って言われちゃいそうで、自分で却下。聖書の一節で、神から見た「人」を暗示したものなんだけどね。
 で、みんなに提出したのは『気になる三人』ってやつ。二本とも変な三人が出るから。タイトル的に和田誠路線を狙ってみたんだけど、この感覚はよく解らなかったみたい。
 ……もう、いっそのこと、『北京の冬』にでもするかな。北京とも冬とも関係ないから。

 さあ、タイトルの明日はどっちだ!



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藤原敬之(ふじわら・けいし)