無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年12月26日(木) 藤岡弘が洞窟に入る♪/『地球ナンバーV‐7』(横山光輝)/『キッチュワールド案内』(唐沢俊一)/DVD『プリンセスチュチュ』1巻

 昨日の日記に書き忘れてたけど、藤岡弘の、『スイスペ!今夜復活!! 伝説の探検隊が帰ってきた アマゾン奥地1500キロ! テラプレータの密林に謎の猿人ジュンマは実在した!』、見ましたよ。
 もちろん、アレについてその真偽がどうの、なんて野暮は言っちゃいけません。カメラは隊員たちより先に入らなければ撮影できませんやね。
 いやあ、藤岡隊長カッコイイ! ナレーションの声も本気だ! 川口隊長を凌駕していると言っても過言ではないね。まさしく熱い魂が燃え滾るようです。
 ぜひ、これからもシリーズ化してほしいものですね。


 さて、またかい、というご指摘もありましょうが、しげをまたまた閉め出しました(^_^;)。
 理由もまたいつもと同じで、しげがヒステリー起こしたからですけどね。けどこないだ閉め出したばかりだから、しげも今日はすぐに詫び入れてきたんで、すぐに家に入れてやりました。私だって冬の寒空の下、しげを外に放ったらかしになんかしたくはないのです。かと言って、押入れに閉じ込めるとかトイレに閉じこめるとかしたら、しげは暴れて押入れやトイレを破壊します。実は既にトイレのドアは一部しげに蹴破られています。しげに部屋の中を破壊させないために仕方なく外に追い出しているわけなのです。しげの体力は多分、猿人ジュンマ並にありますから、みなさまご心配なきよう。


 マンガ、横山光輝『横山光輝SF傑作選� |狼絅淵鵐弌治屐升掘戞聞崔娘厂_菠幻法�798円)。
 いやあ、マンガ文庫ブームがこんなのまで発掘してくれることになるとは本気で感謝、感謝だねえ。
 オビには「バビル2世の原典」とか書かれている。なるほど、単純にこのマンガを超能力対決ものとしてみるならそうだろう。けれど、テーマとしてはこの作品、A.E.ヴァン・ヴォクトの『スラン』に始まる、新人類・エスパーが旧人類から迫害され、それに打ち勝っていくっていう、正統派SFアクションの王道パターンの一つなのだ(と言いつつ、私は『スラン』の内容を殆ど忘れている(^_^;))。
 このパターンがいかに多くの模倣者を生んだかって例を一つ上げれば、本来そんなテーマとは関係なく終わるはずだった『機動戦士ガンダム』にまで「ニュータイプ」という概念が持ち込まれちゃったくらいなのだ(^o^)。いやね、虐げられしものの選民思想をうまくくすぐっちゃうところがあるのよ、このモチーフは。富野さんがこれに惹かれちゃったってことで、あのヒトの思想の基盤にあるものがどういうものであるかってことも、なんとなく見えてくるよね。
 元祖『スラン』が発表されたときもSFファンが「SFファンはスランだ!」と叫んだそうだし、岡田斗司夫さんの「オタクエリート論」もこの思潮の果てにあることは否めない。オウムだのラエリアンだの、新興宗教の連中も、自分たちの非社会性、非常識性を選民思想にすり変えて正当化していたが、こういう「新人類」って発想は実は何の取り柄もない自分を誤魔化すのにとっても便利なんだよね。
 けれど、そういう読み取り方ってのは、どうにもさもしいなあ、という気がしてしまうのである。確かにエスパーたちの活躍に手に汗を握り、感情移入するのはわかるが、それはあくまでエンタテインメントとしてであって、「自分にも隠された力があるかも」などと考えるのは発想の飛躍というものだ。かつての「ガンダム論争」のときに、「ニュータイプは単なるエスパーではなく、人と人とが争うことなく理解しあえる可能性なのだ」と大上段に唱えていた人がいたが、シリーズが打ち切りにあって、話をまとめるのに持ち出してきたその場凌ぎのリクツに、そんなたいそうな意味があるものか(^_^;)。

 前置きがまた長くなっちまったが、横山光輝は徹底したエンタテナーである。モチーフに旧来のSF作品をもってきてはいても、実はそこに内包されているテーマには意外と無頓着、ということが多い。鉄人28号のモチーフは『フランケンシュタイン』だと作者自身が発言しているのだが、読んでるほうは「被創造物たる怪物の悲しみなんてどこにもないじゃん」と、ついツッコミを入れたくなってしまうのである。
 もちろんこれは横山作品に対する悪口ではない。思想と無縁だからこそ横山作品は長く読者の心を捉えてきたのだ。誤解を招くことを承知の上で横山作品の魅力を解説するなら、「どんな思想も作劇上のハッタリ」となるその「無節操さ」にあると言えよう。
 『V―7』の冒頭は、意外にも『機動戦士ガンダム』によく似ている。
 人類が、その増えすぎた人口の解消に、火星に移民しはじめて既に長い時が経ったころ。降り注ぐ宇宙線の影響か、人間自体が進化しはじめたのか、火星では超能力を持った人々が多数生まれ始めていた。火星政府は自らの優越性を根拠に、火星の資源を搾取し続ける地球政府に対し、「超能力者によるテロ」という形で脅迫を行い始めた。
 地球政府は、火星政府の野望を打ち砕くために、地球人類の中から超能力者を捜索し、殲滅に当たらせる。そこで選ばれたのが、V−7ことディック・牧。ところが、火星の秘密工作員を次々に倒していくディックに、地球政府はかえって恐怖を覚え始める……。
 後半になるに従って、当初の設定が微妙に変わってきて、最後は火星政府の存在自体が全く忘れ去られるなど、多少のいい加減さはあるものの、『伊賀の影丸』や『仮面の忍者赤影』などの忍法もので培ってきた、特殊能力を駆使しての対決シーンはやはり迫力があり、全体的なまとまりもいい。
 ディックの僚友・ブレランドのひょうきんな味わいや、秘密警察長官があの村雨健次だったり、横山ファンならニヤリとする趣向も盛り沢山だ。
 第2弾、第3弾も出版予定らしいが、このシリーズで『ジャイアント・ロボ』の完全版も出してくれないかなあ。
 
 
 唐沢俊一『キッチュワールド案内(ガイド)』(早川書房・1365円)。
 表紙絵のD[di:]さん描く唐沢さん、まるでぽっぺん先生みたいだ。童話と勘違いして買ってく人とかいないだろうか。いないな。
 早川書房の本だから、いずれ文庫にはなるのだろうが、唐沢さんの著書はやはり単行本で買う癖がついてしまっている。でも文庫になったら多分それも買ってしまうのだ。どうもご本人を存じ上げるようになって、WEB日記で本の売れ行きを気にされている様子まで知ってしまうと、こりゃ少しでも売り上げに協力をしないと、という気になってしまうものである。
 さてしかし、『キッチュワールド』というタイトル、売れ筋をねらうにはいささか弱くはないか。「キッチュ」という言葉自体、一時期ほどには世間に浸透しなくなっている。かと言って、「トンデモ物件」と言っちゃうと中身とズレが生じる。連載中の『妄想通』ではマズい理由でもあったのだろうか。私はレイアウト次第ではこのタイトルの方がよっぽどキャッチーだと思うのだが、客層が狭くなっちゃうのかなあ。
 けだし、本のタイトル付けは難しい。

 唐沢さんの数々の著書の中でも、この種の「ヘンなもの」解説本はまさしく本領発揮と言えよう。唐沢さんが60歳くらいになられたら、本気で南方熊楠の『十二支考』並の著書が書けるのではないか、と思っている。一つのテーマに関わる題材を収集していくと、全く無関係に見えたあるモノとあるモノとの意外なつながりが見えてくることがある。それはまさしく「世界の再構築」であり、それまでは何の変化もなく、退屈な日常が繰り返されるだけのように見えていたこの世の中が、実は一変しておかしくてデタラメでトンデモナイ姿を見せ始めるのだ。
 例えば「臭覚論」で、ある香りを心地よいと感じるのは全て「文化的刷り込みによる」と指摘するところまでは誰しもできることだろう。ところがそこで唐沢さんが例としてあげるモノが、『枕草子』で清少納言が牛糞の匂いから思い人を連想するエピソードや、司馬遼太郎『義経』における男色のために香料をケツにまで塗られる話、H.G.ウェルズが蜂蜜の体臭の持ち主だった話、世界各国の「臭い」食い物の話などなど、これでもかこれでもか、というほどに羅列される。傑作なのはスウェーデンのシュールストレミングというニシンの缶詰の話。「大根の糠づけとくさやと鮒ずしとチーズと道端に落下している生銀杏があいまったような強烈なものに、さらに腐りかけたニンニクのような臭気をかぶせた感じ」だそうだが、スウェーデン人でも女性は嫌がって食べたがらないらしい。自分たちも嫌いな匂いのモノをどうして作るかな(^_^;)。と言いながら私も日本人でありながら、クサヤだけは生まれてこの方、一度も食ったことがない。美味いんだろうか。
 それらの記事を読んでるうちに、段々と、「なるほど、『臭い』なんて感覚は所詮は思いこみなんだな」と実感するようになる。恋人同士なら、お互いの体臭を「キミの○○○は薔薇の香りがするよ」「アナタの○○○を嗅いでるとまるで水蓮に包まれてるようだわ」くらいの会話をしなければなるまい。幼い娘から「お父さんのオナラ、クチャ〜い」とか言われたら、お父さんは「しっかり嗅げ!」と言い返そう。それが愛だ。
 私ら夫婦はお互いの体臭、結構嗅ぎあっているのだが、しげは私のオナラだけはどうしてもダメだと言うし、私もしげのワキを嗅ぐことだけはダメである。まだまだ夫婦としては修業が足りぬということか。

 ただまあ、こういう「知識もの」になると、唐沢さんの博覧強記を尊敬する一方、私もどうしても「これはまだちょっと見方が甘いぞ」とツッコミを入れたくなる悪い癖がムクムクと頭を持ち上げてくる(^_^;)。
 例えば「江戸と大坂論」で、花登筐作によるテレビドラマ『細うで繁盛記』や『どてらい奴』が「大阪=しつこくがめつい」というイメージを作った、というのは我々の世代にとってはそうであっても正確とは言えないだろう。
 というのが、井原西鶴の『日本永代蔵』に既に「がめつい大坂商人」は登場しているからである。原本が本の山に埋もれていて取り出せないが、金持ちだがケチな商人が、正月の客にも料理を出さない、台所で音がしているのは「ありゃ大福帳の糊を摺ってるんです」と客をケムにまく落語そのまんまな話もあった。実際、落語の「しわいや」で取り上げられてるネタの発祥は、殆ど関西落語である。唐沢さんが西鶴を読んだことがないとは考えられない。これなどは余りにも有名過ぎて、唐沢さんはかえってウッカリと失念されていたのではないか。
 しかし、関東以北の人々が関西以南の文化について無知とまでは言わないまでも、視野に入れ損なうことが多いのは、やはり自分たちの文化が中心にあるという奢りによるものであると思う。実際の歴史上、関東が文化の発進地であったことなど殆どないのだが。

 ほかにツッコミを入れたいところがないわけではないが、全ての項目について感想を述べていく余裕はないので、あとは目次をちょっと紹介しておくだけにしとこう。読んだ人、誰か掲示板ででも「ここはちょっと掘り下げが甘いよなあ」とか話しませんか(^o^)。
 「美少女論」「記録論」「道教論」「新渡戸稲造論」「ゲテもの論」「排泄論」「都市伝説論」「カニバリズム論」「異名論」「水銀論」「ヒロポン論」「フリークス論」「辛味論」「歌舞伎論」「堕胎論」「裁判論」「同性愛論」「幽霊論」「服装倒錯論」「悪趣味論」「ハゲ論」。
 論、論、論と続いているとお堅い本のように錯覚するかもしれないが、実はこれ全て副題で、各論のメインタイトルは、、例えば「ヒロポン論」には「日本ヤク中時代」などというアブナいタイトルが付いている。書き写すのがめんどくさいから省略しただけだ(^_^;)。エンタテインメントとしてのコラムにはしっかりなっていて、読んでて退屈するということはないのでご安心を。


 DVD『プリンセスチュチュ』1巻。
 第1話から第5話まで、1.AKT「あひると王子さま」/2.AKT「心のかけら」/3.AKT「プリンセスの誓い」/4.AKT「ジゼル」/5.AKT「火祭りの夜に」を収録。
 昨今、2話収録したたげで七千円とか九千円とかボってくれる某アニメに比べたら、6800円でしかもサントラCD付きと言うのはムチャクチャおトクである。これでようやくテーマソングの歌詞がわかった。

 Morning Grace

  呼んでいる声 さあ目をさまして
  泣き顔ぬぐって
  まぶしい光 木々の露
  生まれる
  だれも知らない秘密の水辺で
  踊れ いのちのパ・ド・ドゥ
  今日も夢見てる
  それは やさしく激しい潮流(ながれ)ね
  どこまでつづくラビリンス
  私は行こう
  にぎりしめる 夢

 作詞・作曲・歌は岡崎律子さん。こういう透明感のある歌には無条件で惹かれてしまうなあ。カラオケに入ったらしげに歌わせよう(^o^)。
 全体の作曲は『ロードス島戦記』の和田薫さん。クラシック曲の指揮もご自分で振っておられるくらいだから、相当リキ入ってる感じだ。特に猫先生のBGM、メンデルスゾーンの『結婚行進曲』が失速するアレンジは最高である。
 でもこれ、初回限定版のみのサービスなので、ご購入の際はお気をつけて。
 しげはこのCDがいたく気に入ったようで、「ジゼル」が好きだと言う。それは初耳。今度CD全曲入ってるやつを買ってやろうかな。

 表紙はもちろんチュチュなんだけれど、ワキにしっかりアリクイ美ちゃんが(^o^)。このあたりもちゃんとファンサービスだよね。
 全話しっかり本放送時に見ているつもりだったが、第5話の「火祭りの夜に」はなぜか見損ねていた。
 金冠町の伝統である、火祭りの夜。一番素晴らしく踊ったカップルは、金色のリンゴを贈られて永遠に結ばれるというしきたりを、あひるは知らなかった。「この街に住んでて火祭りを知らないなんて常識知らずにもほどがあるわぁぁぁ♪」とりりえにくちゃくちゃにされるあひるはかわいいけれど、それが元あひるのあひるにはただ切ないだけ。永遠に愛する王子とは結ばれない、と運命付けられてるあひるには、火祭りのしきたりも何の意味もないのである。
 トンデモ描写で余り重くならないように演出しているけれど、テーマ的には殆ど救いってものがないのだよな。逆に言えば、「救いのない者に救いはありえるのか」、あひるの子が白鳥になれたのはもともと白鳥の子だったからで、本当に「みにくいあひるの子」だったら救いはないんじゃないか、それでもあひるに救いがあるとすれば、それは何かってことが本作のテーマになっているのである。
 いや、男性はこういうDVDを買うのは躊躇するかもしれないけれど、これだけハードでありながらちゃんとエンタテインメントしてて作画も一流なんてアニメはそうそうありませんぞ。恥ずかしがらずにレジにGOだ。



<追記>
> かつての「ガンダム論争」のときに、「ニュータイプは単なるエスパーではなく、人と人とが争うことなく理解しあえる可能性なのだ」と大上段に唱えていた人がいたが、シリーズが打ち切りにあって、話をまとめるのに持ち出してきたその場凌ぎのリクツに、そんなたいそうな意味があるものか(^_^;)。

 上記の記述について、宇津見さんより、打ち切り決定以前にニュータイプの構想はあったとの指摘がありました。放送開始以前にニュータイプ構想がなかった、ということと混同していたようです。謹んでここに訂正させていただきます。宇津見さん、ありがとうございました。

2001年12月26日(水) イベント近し、ネタは無し/『これで古典がよくわかる』(橋本治)/『だめんず・うぉ〜か〜』2巻(倉田真由美)ほか
2000年12月26日(火) 明日こそは眠るぞ/『ひっち&GO!!』1巻(永野のりこ)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)