無責任賛歌
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| 2003年07月28日(月) |
ついに出ますよ、アレが/『タク坊の毎日』(中川いさみ)/『最良の日、最悪の日 人生は五十一から�◆戞幣�林信彦) |
ようやくと言うか、なんでこんなに待たせたんだと言うか、『風の谷のナウシカ』がついにDVD化されることになったねえ。 しかし公開からもう20年かい。つーことは今の10代の若い子は、『ナウシカ』だけじゃなくて、『うる星やつら』も『超時空要塞マクロス』もリアルタイムでは知らないのか。CSをもっと家庭に普及させて、全国民がアニマックスやAT−Xを見てくれるようになってもらわないと、話がどんどん通じなくなっちゃうね。
『ナウシカ』公開当時、我々宮崎駿ファンがどれだけ「併映の『名探偵ホームズ』を楽しみにしていたか」、そういう空気も若い人には全然わかんないんだろうな。何だか昔から宮崎駿は神格化されてるように錯覚してる人もいるけれども、実のところ『ナウシカ』は当時のアニメマニアにはあまり誉められてはいないのだ。原作マンガを矮小化している、と言ったところがファンの主な感想だった。 けれども、「宮崎駿の才能を発揮したにしてはやや低調」という印象を持ちながらも、我々は「でもともかく見ろよ」と口コミの宣伝はしまくっていたのである。アニメーション映画がマトモな映画としては一般にも映画業界の人々にも認知されていなかったころ、「これなら充分実写映画に伍する」と主張できる出来だとは思っていたからだ。 実際、あの王蟲のジャバラが動いた瞬間(「王蟲マルチ」とか「ゴムマルチ」と称していた)、劇場の観客が一斉に「おおおおお!」と歓声を挙げた瞬間が忘れられない。CG全盛の現在からは考えられないかもしれないが、あれだけでも当時はすばらしく「リアルに動いている」ように感じられていたのである。発案者はスタッフの一人だった庵野秀明である。 そういう「流れ」を覚えている人間にとっては、その後の宮崎駿の「凋落ぶり」は見るに忍びない。『もののけ姫』と言い、『千と千尋』と言い、ここんとこの映画はアニメーションのダイナミズムを感じさせてくれそうになる直前で身をかわして「ちょっとアンタここに座って私の説教を聞きなさい」映画になってしまっているのが、無念でたまらないのである。 綿密に計算された伏線を散りばめながら、そのくせ自分でそれを破綻させ、暴走する。途中までは辻褄が合っているのに、あえてそれを破壊する。若いころの作品にはそれがかえって効果を挙げていたが(『未来少年コナン』のラストなど、レプカがギガントを飛ばす意味など本当はもうないのである。しかしアレのない「辻褄だけが合った」映画版がどれだけフヌケたものになっていたかは御覧になった方ならご理解頂けよう)、後年になるほどその「ほころび」は増大していった。 『ナウシカ』のほころびもギリギリの線で成り立っていて、ドラマはあっても実はストーリーは破綻しまくっている。 何と言っても物語が全く終わっていない。戦争はこれからも続くのだが、ナウシカは結局あの時点で何をしたというのか。王蟲の進行を止めただけではないか。クシャナが風の谷を引き上げて行くのだって、彼女の命を狙う兄弟たちが暗躍しているのに、なぜ自ら拠点を放棄するような行為に出るのかがわからない(ナウシカの言葉に簡単に左右されるようなヤワな人間ではなかったはずだ)。クロトワに至っては、出てきただけで物語にまだ全然関与していない。 それでも我々が『ナウシカ』に感動できたのは、あの物語がそのほころびゆえに「これから」を示唆していたからだ。原作マンガの連載はまだ続いていたし、あのころのファンの殆どが、『ナウシカ2』が作られるものと信じていた。宮崎駿自身が「作らない」と断言するまでは。あのころから我々は宮崎駿に「裏切られ」始めたのである。 宮崎駿はもう一度『ナウシカ2』を作らねばならないのではないか。かつては自らの作品の欠陥を「勢い」で誤魔化してはいたものの、その勢いが年齢とともに失速するにつれて、欠陥が誤魔化しきれずに浮き上がってきている。その「勢い」を取り戻すためにも「原点」に帰る必要があるのではないか。 そしてそれはまだ「オタク」と呼ばれる前の、「アニメファン」であった我々の原点に帰る行為でもあるだろう。今回のDVD化を機に、当時の我々がどれだけ『2』を期待していたか、我々が宮崎駿に、アニメに求めていたものがなんであったかを思いだしてみてもいいのではないかと思うのである。
今度出る『ナウシカ』は全部で3バージョン。 (1)風の谷のナウシカ DVD コレクターズBOX(予約生産) ・DVDソフトケース(巨神兵バージョン)仕様 ・ナウシカ・フィギュア(陶器製) ・「トルメキア戦没」額装オリジナル・アート ・王蟲(オーム)リアル・モデル ・価格: 24,800 円 (2)風の谷のナウシカ DVD ナウシカ・フィギュアセット(50000セット限定生産) ・DVDソフトケース(青い天使バージョン)仕様 ・ナウシカ・フィギュア(陶器製) ・価格: 7,800 円 (3)風の谷のナウシカ <通常版> ・DVDソフトケース(青い天使バージョン)仕様 ・価格: 4,700 円 また「陶器製」だなんて扱いに困るものを(-_-;)。しかも陶器でどれだけディテールに拘れるか、ということを考えると、それはやっぱり違うんじゃないか。いったいファンの、誰がそういうものを求めていると言うのだろう。でも出たら出たで「そういうもの」もほしくなってしまうのがファンの悲しい性ではある。 でも私は(3)の通常版を買いますけどね。
も一つ、その『風の谷のナウシカ』のDVD化発表会見で、SMAPの香取慎吾が「日本一のジブリファン」に認定されたとか。 要するに宣伝のためのキャンペーンキャラクターに選ばれたということなのだけど、その選定基準が解らない。香取慎吾がアスベルに似ているとでも言うのだろうか? 本人がファンだと言うなら仕方がないが、この妙にモヤモヤッと感じる「違和感」は何なんだろう? もっとも今更、安田成美を引っ張り出されたりしたらもっと困るけれど。
朝方、少し暑くなりそうな気配だったのが、昼から大雨。 これで一気に涼しくなって過ごしやすくなった。それにしても今年の夏は全然暑くならない。いや、それなりに暑くはあるのだが、例年ならつい使いたくなる「茹だるような」という形容詞を使うほどではないなあ、という感じなのだ。 ただ、これも一種の「異常気象」であるのなら、あまり喜んでもいられない。
午後から仕事を引けて、内科と眼科の2軒通院。 バスが遅れたおかげで、午前中の診療時間に間に合わなかった。仕方なく、知り合いの本屋などを回って、時間をつぶし、いくつか本を物色。 検査があるかもしれないと思い、朝から食事抜きでいたのが響いて、歩き回っているうちにフラフラしてくる。こりゃマズいと早めに病院へ。午後の診療開始の30分くらい前に到着するが、もう患者さんが一人来ていた。街中にあるわけでもない個人経営の病院だが、結構繁盛しているのである。診療の時刻になったころには、狭いロビーに7、8人が集まっていた。 てっきり検査があると思っていたのに、前回の検査結果を見せられただけ。いつもは土曜日に通っていたのだが、曜日が違って主治医に会えなかったので、避けられたらしい。そうとわかっていれば先に食事しておくのだった。 血糖値も尿糖も少しだけ下がっているが、それでもやっぱり通常の値より高いことに違いはない。まだまだ自重が必要である。
その足で眼科に回る。今日は点眼はなく、光を当てて覗かれただけ。 裂孔はなんとか広がらずに止まっているようである。特に頭を振らないように気をつけていたわけではなかったのだが(そんなことできるはずもない)、初期治療が効を奏したというところか。 次は3週間後、盆明けに来るように言われる。
マンガ、中川いさみ(撮影・加藤潔)『タク坊の毎日』(小学館/ビッグスピリッツコミックススペシャル・1680円)。 マンガ、とうっかり書いちゃったけど、実は絵はない。連載されてたの知ってる人は知ってると思うけど、これ、マネキン人形にストーリーに合わせたポーズを取らせたのを写真に撮ってフキダシを付けた、「マネキン写真ギャグ漫画」なんである。 ストーリーそのものも面白いんだが、これをマネキンに「演じさせる」だけでこんなに笑えるものになるとはなあ。顔が動かないのに表情があるようにさっかくしちゃうのは、能面と同じ効果かな(^o^)。 これまでにも単発的にこういうことやった人はいたと思うが(写真マンガ自体は結構ある)、単行本一冊まるまるやっちゃったというのは珍しい。思い付いてもセンスがないと面白いものにはならないからねえ。時々人形が変わるのはご愛嬌か。 ドラマで『オー!マイキー』ってやつがマネキン使ってまんま中川さんのマネしてるけど、これ、マンガの方が絶対効果があるのだ(中川さんはマネされたこと怒ってるらしい)。撮影は大変だったらしいけど、できれば2巻、3巻と作ってくれたら嬉しいんだけどなあ。 けど、このマンガ読んで一番悔しがってるの、唐沢なをきさんじゃないかな。こういう実験マンガ、どうして思いつかなかったのかって。
小林信彦『最良の日、最悪の日 人生は五十一から�◆戞癖現嬖幻法�500円)。 『週刊文春』連載エッセイ、1999年分の文庫化。4年前の文章なのに読ませる筆力はさすがだ。この点、ナンシー関さんの文章は数年経つと、当時の雰囲気が分らなくなって読みにくくなる。同じ「時代観察者」でも、小林さんはその時代を切り取りつつも、5年先、10年先も読めることを想定して「必要最小限の」情報を組み入れつつ書いているのだ。ナンシーさんも生きていればきっとこの域に達したはずで、返す返すもその死が残念でならない。 ちょうどこの年は小林さんが『ケイゾク』にハマッていたころである。私は当時、「小林さんが誉めていたので」『ケイゾク』を見るようになった(本放送の1話から見てたので、正確には小林さんの文章を読んだあとではないのだが、見続ける「後押し」になったのは事実である)。 誰かが誉めているから本を読むとか映画を見るということを私はあまりしないのだが(逆はやたらある。「コイツが誉めてるならきっとつまんないだろうな」&「コイツが貶してるならきっと面白いだろう」である)、小林さんは私が信頼する数少ない批評者の一人である。もっともそれは「ミステリ」と「コメディ」の一部に限定されるのだが。 ただ、これには弊害もあって、小林さんが貶してたおかげで、私は未だにトマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』を読んでいないのである(『羊』は原書で読みました)。 『ケイゾク』は回を重ねるたびにつまらなくなっていったけれど、「中谷美紀を『汚した』やり方はうまい」という小林さんの批評は正鵠を射ていたと思う。 前にも書いたことがあると思うが、私が小林さんを「信用」するのは、亡き母と小林さんが同い年だということが大きい。母が語っていた「あのころ」の空気と、小林さんの文章で語られている時代の感覚が、見事に一致するのだ。 小林さんが、山中恒の『間違いだらけの「少年H」』中にある「平日に国民学校児童だけで映画館に入場できるわけがない」という記述に対して、「戦争の後半に、多くの映画をぼくは一人で観ている」と反論している。私の母も、戦時中もずっと映画を見ていた。山中さんも同世代だが、時代の感覚は小林さんや母とは微妙にズレがある。山中さんの場合は戦後、共産主義に一時ではあるが染まったことによって(当時の児童文学者は、ほぼ全員、共産党員か共産主義者だった)、時代の捉え方に少し「歪み」が生じていたのではないかと推測する。 エッセイの内容全てに言及はできないが、『東京行進曲』を歌った佐藤千夜子が、小林さんの祖父に同郷のよしみで(山形県天童)借金に来たことがある、というエピソードが面白かった。ただそれだけのことだが、意外な人が意外なところですれ違ったことがある、というのは私のような運命論者には頗る興味深いのである。
2002年07月28日(日) 台本書いてると仕事してる気になるなあ/『アベノ橋魔法☆商店街』2巻(完結/出口竜正)ほか 2001年07月28日(土) アイ・ラブ・アッシー。……違うって(-_-;)/『スーパーロボットマガジン』第一号ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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