無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年09月26日(金) 真剣に死刑/『ワイド版 風雲児たち』16巻(みなもと太郎)/『サトラレ』5巻(佐藤マコト)

 全く、日記なんて短くチャッチャと書きあげちまおうと思ってるのになんで長くなるんだか。10行くらいで収めちまおうとしてるのに10行書いたら10行じゃ収まらねえなあと思うからダメなんである。指が痛み出して以来、休み休み書いてるから以前より2倍は時間がかかるようになってるのだ。そろそろ短く纏めるクセつけないとな。

 一週間の終わりの日だけど、いろいろあって、明日は休日出勤しなければならない。同僚が「明日があるなんて信じられない」と口走ってるが、「明日はあるよいつでも」、と心の中で突っ込む。でも「ピンとこない」じゃなくて「信じられない」というコトバが実感こもってるんである。
 その同僚は、私のようなぐーたら一代男ではなくて、至極マジメな方であるのだが、それでもなんでここまで働かされなきゃならんのやという感覚は持ってるのである。せめてもちっと給料が上がればなあ。……内実バラしちゃうとね、みんな実質的に5年も給料が上がってないのよ。つかまた減らされてる(T∇T)。
 冗談ではなくて、DVDのボックス、欲しいやつ全部諦めたからね。小津安二郎ボックスも座頭市ボックスも。もしも中古屋に流れてきて半額以下になってたら買いたいんだけど。


 テレビのニュースで、今朝方、北海道十勝沖で、マグニチュード8.0の地震が発生したことを知る。重軽傷者は450人以上に上ったという。
 地震の規模自体はでかいけれども、死者は今のところそんなに出てはいないようである。地震による死者って、殆どが二次災害によるものだから、避難態勢がしっかりしてれば、怪我人は出ても死者は出ずにすむ。北海道なら広いから逃げられるとこ一杯あったんじゃないかなあ(行ったことないからテキトーに言っとります)。
 九州にはもう何10年も目立った大地震の記録がないけれども、エネルギーがたまりにたまってるんでなければいいけどね。


 大阪児童殺傷事件の犯人で、既に大阪地裁に死刑判決を言い渡されていた宅間守被告が、弁護団が行った大阪高裁への控訴を取り下げた。弁護団は取り下げを無効とする異議申し立てはしない方針だそうで、これで宅間被告の死刑判決が確定した。一審判決での死刑確定は極めて異例という。
 弁護団が控訴していた理由が「責任能力について十分解明されたとは言えない」「責任能力があったとしても被告に贖罪の意識をもって刑に服してほしい」といこちだったってのは、充分納得できることではある。けれど一般的な感情として、「責任能力の解明なんてことが出来るのか?」「仮に責任能力がなかったということになったら、無罪になってしまうのか?」「いずれまた社会に舞い戻ってくる可能性もあるのか?」「あの被告に贖罪の可能性なんてあるのか?」などなどといった疑問符を抱く人が多いのも確かなことだろう。
 弁護団がこういった疑問に対する答えを明確に示さずに、ただ控訴のための控訴をしようとしてるって見えちゃうから、感情が更に煽られるのである。しかも、被告を説得しきれなかったから控訴取り下げ無効の異義申したてもしないって、そりゃ何なんだよ。法を遵守する立場の人間が、法による権利の保証を最後まで貫かないってんじゃ、やっぱりやる気なかったんじゃねえかって思われても仕方がないぞ。
 法の厳正な運用という点では、この判決は大いに疑問が残る。けれど、現実的な観点からは、被告の死刑が確定してよかったという結果オーライなところがあるのも否めない。実際、まかり間違って宅間被告が釈放されるような事態になれば、第2、第3の池田小事件が起きる危険はかなりの確率で高いと言っていいのだ。世間に「早く殺してしまえ」なドス黒い情念が渦巻いてるような雰囲気は何とも気色悪くて仕方がないんだけども、これはもうしょうがないことなんだろうねえ。


 マンガ、みなもと太郎『ワイド版 風雲児たち』16巻(リイド社・680円)。
 今度のオビの推薦文は松尾貴史。「日本史が苦手な私にとって居酒屋で使える歴史ネタを学ぶ手段はこの作品以外にない!!」だって。無精してないで図書館に行きなさいよ(^_^;)。
 物語は天保の改革にやっと辿りついた頃だけれど、つい最近の連載だったような気がしてたのに、『ウゴウゴルーガ』ネタが頻出してるところから考えると、もう10年も前のことなのだ。
 なんでつい最近って気がするかっていうと、物語内の時間もたいして経ってないからなんだね。当時の編集部から「進みが遅い、幕末に速く行け」とせっつかれながらも、今巻ではじっくりゆっくり、天保11(1840)年から13(1842)年までのたった2年しか時間を進めていない(^_^;)。今の『幕末編』が丁度黒船来航だから、嘉永6(1853)年のこと。連載中断がありはしたが、11年しか経ってない。ほぼ1年=1年のペースじゃん。
 もちろんそれだけの時間をかけてるだけ、教科書的な知識しかないこちらにしてみれば、無味乾燥にしか思えなかった天宝の改革が、まさしく人間と人間がぶつかり合い絡み合うドラマとなって目の前に現れて来る。
 政治欲に燃え、江戸を二百年前の始原に戻そうとする改革の遂行者・水野忠邦、政的を追い落とすことにのみ腐心する醜悪な妖怪・鳥居耀蔵、精錬の士なるがゆえに陰謀の被害者となり憤死を遂げる矢部定謙、矢部の跡を継ぎ庶民の味方となる遠山金四郎景元。
 前巻から引き継がれている彼らの戦いは、とてもこの一巻でも終わらなず、次巻まで持ち越されて行くのである。


 マンガ、『サトラレ』5巻(講談社/イブニングKC・540円)。
 折り返しの作者メッセージ、「おぼろげながらラストの形が見えてきました」にちょっとホッとする。最初に面白い設定を考えつくのも作家の才能だけれど、それを面白くしていく展開を考えるのにはまた別の才能が必要になる。
 「回りに自分の思念が悟られてしまう」という主人公たち「サトラレ」の設定は確かに抜群に面白い設定なのだが、それが現実の世界の中でどのように受け入れられていくかということについて、リアルな展開を創案していくのはかなり難しいことである。自分がサトラレだと自覚してしまえば、白木重文や木村浩のように「島」で暮らすしかなくなってしまう。「人間」として生きることを自ら拒絶せざるを得なくなるのだ。いかにサトラレが天才だとしても、そのような生き方しかできない人間を「なんとか」することはできないのか? という疑問に対する答えを、作者はその場その場でシミュレーションしながら模索していったフシがある。
 その答えの一つが、「サトラレ抹殺」を企む山田一郎教授であったわけだが、もう一つのキーワードになりそうなのが今巻初登場の「サトラレでなくなったサトラレ」星野勝美である。
 「今日、病院に来る前に妻とケンカしましてね、ささいな互いの勘違いが元でのくだらない、サトラレなら起こりえないケンカです。私にはそんなくだらないケンカがたまらなく楽しいんです」
 不必要なケンカをしたいなんて人間は早々いないだろうが、人と人とが関わればそこに諍いのタネが生まれないはずはない。星野夫妻はそのささいなケンカかがもとで、離婚、自殺未遂の危機まで起こす。それでもなお、お互いの心が掴めない、「サトラレでない」生活の方を望むのだ。星野の述懐が正しい答えだというわけではない。「サトラレを守ろう」としてきた委員会の人々は、彼が言うように「サトラレの才能」だけに注目して来たわけではないのである。物語は未だにアンビバレンツの中で、明確な答えを見出せているわけではない。それがライトでソフトな描線で描かれているにも関わらず、この物語に大きな「重さ」を与え続けている。
 それを、「サトラレのいない世界」にいる読者がどう受けとめるか。このシリーズの「物語」の持っている意味を考えるヒントがそこにあると思うのである。

2002年09月26日(木) 鮎川哲也、死去/『手塚治虫の奇妙な資料』(野口文雄)ほか
2001年09月26日(水) 彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャック�掘戞拭悒疋鵐�ホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか
2000年09月26日(火) 泊まりの仕事で本も読めねえ



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藤原敬之(ふじわら・けいし)