無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年05月06日(木) アメリカの真っ直ぐくん。

 『ボウリング・フォー・コロンバイン』のマイケル・ムーア監督の新作ドキュメンタリー映画『華氏911』が、ブッシュ政権を厳しく批判する内容のために、配給元のミラマックスの親会社であるウォルト・ディズニー社から全米配給を拒否されたとか。
 ディズニー社は「今回の新作は政治、宗教的に中立なディズニー社にそぐわないし、配給しない旨は1年前から伝えてあった」と主張している。どうもこの答弁で腑に落ちないのは2点あって、そもそもこの監督に映画撮らせりゃ、「政治的なもの」になると分かりきっているだろうに、なぜ製作自体を許したのか、ということだ。「まさかウチの下でまで政治映画は撮るまい」という甘い判断だったのか。お家騒動の喧しいディズニーのことだから、ゴタゴタの間になぜか企画が通ってしまった、というアホな事態も考えられなくもないが。
 もう一つはもちろん、「1年前に配給拒否の通達はしていた」というディズニー社の主張と、「こないだ通達されたばかり」というムーア監督の主張が食い違っている点である。よくわからないが、この映画の製作費はミラマックスから出ているのではないのか。ディズニーは「配給しない」と一年も前に決めていた映画の製作費をミラマックスが出し続けていることをずっと看過していたというのか。なんだかディズニー社の主張の方が私にはウソっぽく聞こえるのだが、向こうの映画製作のシステムがどうなっているかはよく知らないので、断定はしにくい。もっとも、この問題は今になって表面化したことではあっても、製作当初から波瀾を呼ぶことが予想された作品になることだけは間違いなかったようである。
 ムーア監督は「ディズニーは多数のテーマパークを有するフロリダ州の知事をブッシュ大統領の弟が務めているため、この映画を配給することにより減税措置が取り消されることを恐れたのではないか」と分析しているとのことだが、そこまで「政治的」に判断するのはいささか自己宣伝が過ぎているようであまり好ましく感じられない。概してこの監督のパフォーマンスは一人悦に入っている感が強くて、マジメに見ていくとどうも居心地の悪さというか、苦虫を噛み潰したような気分にさせられることも多いのである。
 『ボウリング・フォー・コロンバイン』でもムーア監督はKマートに銃弾を売らないように車椅子の被害者を連れて行ったり、チャールトン・ヘストンの自宅に銃で死んだ少女の写真をワザと置いていったりしている。映画造りのための演出として、これを一概に間違いだとは言えないだろう。銃に対するムーア監督の怒りは確かにこちらに伝わってはくるからだ。しかし同時に伝わってくるのは、監督の、例のイラクの人質にも通じるような純粋さと正義感の押し付け、反論を一切許さないように見える意固地さ、そしてそれらを全て含んだ「自己宣伝臭さ」である。そんなヨコシマな気持ちは自分にはない、とムーア監督は主張するかもしれないし、実際その通りなのかもしれないが、問題はそれが正しいか正しくないかではなく、「そう見える」ということなのである。たとえムーア監督ならずとも、こういう反銃社会や反戦といったテーマの映画は、殆どが「演出過剰」に陥り、ある作品は鬱陶しく、ある作品は滑稽にしか見えなくなることが多い。最近の例では『CASSHERN』がそうだったね。「何かを伝えよう」というメッセージ性そのものが、どうしても説教臭くなり、映像表現においては「何も伝えられない」どころか「反発」さえ生む「枷」となってしまうのだ。
 恐らく「間違っている」ものがいるとすれば、観客である我々のほうなのだろう。洋の東西を問わず、我々のメンタリティ、我々の他人を受け入れるキャパシティは、快楽至上主義的な風潮の中で、恐ろしく狭くなってしまっている。ムーア監督のパフォーマンスを笑って看過できないほどにである。しかし現実はそうなのだ。そのキャパの狭い、卑小な人間たちに対して、それでも「通じる」言葉を、表現を模索しなければ、たとえそれが映画という娯楽を媒体としたものであっても「政治」は語れないのである。ムーア監督が完全に失念しているのは、「話せばわかる」人間などこの世にはほんのわずかもいないという事実、監督が思っているほど大衆はリコウではないし、リコウになろうとも思っちゃいないという事実を認識しなければ、「政治はやれない」ということなのである。
 ……まあ、私がこの日記で政治についてあまり触れたがらないのも、私ゃリコウじゃないんで、自分の意見を「伝える」言葉も受け取るキャパも持ち合わせていないからってことなんですが(^_^;)。
 でもねー、もう一つ囁かれている「ムーア監督がこの騒ぎを起こしたのは、カンヌ国際映画祭のコンペ部門にも出品されているこの『華氏911』に注目を集めさせる意図があった」というウワサなんだけど、さすがにこれはウソであってほしいよなあ。「純粋真っ直ぐくん」は鬱陶しいけど憎めまではしないが、そこまで行けばこりゃオウム真理教と同じく、ただの詐欺師だからだ。


 休みがあまり続くと仕事がいつまで経っても始まらないんじゃないかと錯覚するのだが(そんなのお前だけだ)、うっかり休むことなくちゃんと出勤。
 車で職場までしげに送ってもらったのだが、入口の付近でちょうど例のトンガリさんと行き逢う。車の中からさりげなく指を差して、「あれが例のトンガリさんだよ」としげに示すと、しげ、大声で「ああ、あれが!」と叫ぶ。……ちょっと声が大きすぎて、いくら車の中だとは言え、本人に聞こえやしないかとビクッとしたが、本人は気付いたようすはない。しげが「会ったら挨拶して仲良くすると?」と聞くので、「挨拶くらいするよ」と答える。頼むからトンガリさんにまで嫉妬するのはやめてくれ。Y(>_<、)Y
 車から降りて、トンガリさんに「おはようございます」と挨拶する。会釈はするが、言葉は返してこない。でも私に対しては会釈をするだけマシなのだ。なんたって、ほかの同僚に対しては一切無視なんだから。あああ、またまぶたのあたりにケイレンが(+_;)。


 休みボケで仕事がうまく行かないのじゃないかと危惧していたのだが、そんな心配をしてられるヒマがないほど忙しいのであった。なんたって、連休のせいで実質的に一週間分の仕事が滞っているのである。……いやさ、国民の休日だから仕方ないんだけど、こんなに長いこと連休にしなくてもいいんじゃないか。せいぜい三連休で充分だって。
 ひと休みするヒマもなく、残業して、帰りはもうバスを乗り継ぐ元気もないくらいぶっくたびれていたので、タクシーを拾って帰る。風呂に入りながら大塚英志の著書などを読む。夭折したマンガ家かがみ♪あきらについての記述は、私もファンだっだけに涙無しには読めない。そのあとDVD『悪魔のような女』を見始めたが、15分もしないうちに疲れて眠ってしまった。

2003年05月06日(火) ある終焉��
2002年05月06日(月) やっぱり類友(^_^;)/DVD『シティボーイズライブ』/DVD『ブギーポップは笑わない』ほか
2001年05月06日(日) 襟足に寒気/『仮面ライダーSPIRITS』1巻(村枝賢一)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)