無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年03月29日(火) 再び地が震える日/『BSアニメ夜話/クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』

 福岡県西方沖地震発生後そろそろ10日が経とうとしているが、九電記念体育館では今なお玄海島の人々が避難生活を送っている。一時的な避難にしてはこの10日ってのはちょっと長すぎるのではないか、疲労で病気になる人も増えるのではないか、と思っていたら、案の上、住民の間で風邪やインフルエンザが流行り始めたらしい。28日夕までに、風邪や体調不良を含めて12人が市内各地の病院に入院したとのこと。市や診療所が「見舞いに訪れた人が感染を広げる恐れもある」として、見舞いを控えるよう呼び掛けているということだが、みんなで集まっていても孤独だと言える島民の人たちに、見舞い客すらシャットアウトする事態を招いたというのは、これも行政の不手際ではないのか。
 だいたい地震に限らず、福岡の防災対策が不備だらけなのはもう何度も指摘されていたはずだ。それなのに、県も市も何の対策も取ってきてはいなかったのである。ここ5年の間に二度も市内が水害に見舞われ、死者も出したというのに、市の防災担当者は「今後の対策は?」の質問に対して堂々と「何もできません」と言ってのけた。この無能ぶりはいったいなんだ。何が百万都市だアジアの玄関口だ。ただの田舎者の集まりではないか。確かに、福岡がもう開発の限界に来ており、河川の整備や避難のための土地施設の確保もできない、という事情は分かる。しかし、そこを何とかしなければならないのが「行政」というものだろう。つか、それができないのなら公務員はただの給料泥棒の集団でしかないではないか。被災状況によっては救急病院や民間施設も利用できるようにしておくとか、「被災者を体育館に閉じ込め」なんて状況は、本来なら回避できたはずなのである。
 もうはっきり言っちゃうけど、人口に対する福岡の病院の数ってのがそもそも少なすぎるんである。総合病院の類は通常時でも待ち時間が二時間は当たり前なんだから。けが人が運ばれた病院は千鳥橋病院と原三信病院の二箇所に集中していたが、つまりはこの二つ以外にたいした病院がないということなのである。少子化だなんだといいながら、福岡への人口流入は未だに増え続けている。こないだの町内会でも「小学校を増設しないと子供を区域外にやらなければならない」なんて議案があったくらいだ。本来、博多・天神区域にあと二、三軒は総合病院があってしかるべきではないのか。でなきゃ人口の郊外への分散化を図るくらいの措置を取らないと、もう福岡・博多はパンク状態であろう。

 ここんとこ地震のことばかり日記に書いてきたけど、スマトラ沖でまた地震に津波。日本人の犠牲者もかなり出たらしい。危ないとわかっていて、また観光に出かけた人もいたということである。「まさかまた地震が来ることはないだろう」と誰もが思う。それが「油断」だ。しかしその油断を責めることなどできはしない。それがやりきれない。


 夕べカメの水槽を掃除するときに、玄武をつかまえたときに小指を噛まれてしまった。いつもは背後から捕まえるのでそんな目に遭うことはなかったのだが、目がかすんでいたのでつい持ち間違えたのである。そういうときでも竜宮はおとなしく首を引っ込めているのだが、玄武のほうを持ってしまったのも運が悪かった。あわてて引っ張れば肉を食いちぎられるのは分かっているので、水の中にしばらく漬けていたら、一分ほどで口を離した。それでも傷口はずきずき傷むので、絆創膏を貼っていたのだが、亀の毒でも回ったのだろうか、今朝になって、熱発して寝込んでしまった。
 いや、ホントはしげの風邪が移っただけだろうが、タイミングが合ってしまったので、亀にやられたような気分になったのである。でもまあ亀を飼ってるみなさんには充分注意していただきたいが、どんなに可愛くても、亀に人の心は通じないので、感情移入しすぎるのは禁物なのである。だいたい私としげの個体認識だってできちゃいないだろうからな。
 転勤のため仕事が全くなくなってるので、欠勤しても迷惑かけずにすむのが不幸中の幸いである。一日泥のように眠っていたので、あの眠り女のしげから「よく寝たね」と言われてしまった。ホントに昼間、10時間以上寝ていたのである。


 それでも夕方には目が覚めて、テレビを漫然と見る。CSで『ちびまる子ちゃん 私の好きな歌』など。
 なにかのバラエティ番組で、細木数子が和田アキ子や出川哲郎になんか説教してるのを見てたら、しげから「何で細木数子とか見てるん?」と驚かれた。別にテレビを点けたらかかってただけのことで、意味があるわけではない。なんか、私が世をはかなんで占いに走ったかのように思われたらしい。んなわけあるかい。

 夜11時から、、昨日に引き続き、NHKBS−2『BSアニメ夜話』。今夜は待ってましたの「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲」。ある意味、『クレヨンしんちゃん』、特に劇場版を好きか嫌いかで、アニメファン、オタクの「派閥分け」ができる指標でもある。嫌いな人、興味がない人は私の日記なんか見ないでよろしい。そういう人たちにとっては私の文章は不快なだけであろう。
 『クレヨンしんちゃん』に限らず、テレビアニメシリーズの劇場版が製作されたときに、元のシリーズと比べてまるで趣の違った作品に仕上がることはままあって、それがすごい傑作になってたときには、かなり物議を巻き起こすことになる。
例えば、本番中でも指摘されていた『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督)、あるいは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(押井守監督)、近作では『ONE PIECE THE MOVIE 〜オマツリ男爵と秘密の島〜』(細田守監督)などが挙げられるだろうが、おそらくそういった「テレビシリーズとの乖離」において最も激しいのがこの『オトナ帝国』だったのではないかと思う。
 もちろん私に限らず、『クレヨンしんちゃん』の劇場版シリーズに初めから注目していたアニメファンはたくさんいたわけで、「『クレヨンしんちゃん』はすごいよ!」とコトあるごとに力説していたのだが、まあまともに相手にされることはほとんどなかった。だから逆に、『オトナ帝国』で初めて『クレヨンしんちゃん』の魅力を知りました、なんて言ってる人間を、私はマトモなアニメファンとは認めないのである。
 しかし、長年の「クレしん」ファンであった身であっても、『オトナ帝国』の異端ぶりには度肝を抜かれた。そのへんの事情を語りだすときりがないので、私の昔の日記とか読み返してください。
 いったいこれが誉め言葉になるかどうかは分からないが、番組中でも国生さゆりが言っていたように、「『クレヨンしんちゃん』なのに泣ける」という異常事態が、映画を見たイイ年をした大人の間で蔓延していったのである。
 番組中で、岡田斗司夫、唐沢俊一両氏は、露骨に「この映画について一番深く分かっているのは自分だ。自分だけがしゃべりたい、他人にはしゃべらせたくない」ような態度でいたが、もはや「古狸」の域に達しつつある両氏にまでそういう大人気ない自我肥大の態度を取らせてしまうほどに、この映画には「オタク第一世代」の魂を直撃する要素がてんこ盛りであったのである。
 いやねえ、我ながら困ったもんだと思うのは、立川志らくさんの言に対して、岡田さんが「違うな、違うな」と突っ込んでるのに対しても、「それも違うな」と突っ込み入れたくなってしまうことである。岡田さん、唐沢さんが指摘する言葉を聞くたびに、「それは見方が甘い」とか「それだけじゃない」とか思ってしまうのだが、たかが一時間の番組で「オトナ帝国」の魅力を説明しきれるはずもなく、パネラーの皆さんもそれぞれに「語りつくせていない」感が当然あるはずなのに、そんなふうに思ってしまうのは、やはり自我肥大を起こしてしまっているのである。そういう文句のつけ方は自身の傲慢に無自覚なただの難癖でしかない。
 「自分が最良の理解者」(文学の分野では特に太宰治ファンの女性にこの傾向が強いので、「ダザイ現象」と呼んでいる。SF界では一時期そういうのは「ゲンマ」って言ってたな)という思い込みを持つことは、自分がただのファンではなくて客観的な批評者たろうとするのであれば最も避けなければならない基本事項なのだが、『オトナ帝国』にハマッた人々は、これが『エヴァンゲリオン』のような社会現象を生むにまでは“至らなかった”だけに、かえって思い入れの度を強くしているように思う。
 だもんで、「オトナ帝国」ファンは、志らく師匠が「この映画を本当に見てもらいたいと思ったら、国生さんのような普通の人が勧めるのが一番いい」と仰ってたのを肝に銘じていたほうがいいだろう。一人よがりなオタクの言なんて、世間一般にはなんの波及力もないのである。……でも言いたくなるのがビョーキなんだけどねえ。

2004年03月29日(月) また訃報。立て続けだとちょっとツライ。
2003年03月29日(土) メモ日記��
2001年03月29日(木) 血の収穫/ドラマ『六番目の小夜子』ほか



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