無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年05月08日(日) 「ひっ(ざ)びきー、呼ーび♪」/映画『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』

 昨日が休日出勤だったので、今日からが連休。一応、ゴールデンウィーク最後の連休と言うことなのだろうが、こう飛び飛びに出勤してるんじゃ、あまり「大型」という感覚は生じない。三日休むと体がなまるが(今、寝床が狭いので、節々もやたら痛む)、一日出勤しただけでは元には戻らず、かえって調子を崩す気がする。連休はやはり二日程度で、出かけるのは一日、あとの一日は寝て暮らすくらいがちょうどいい。


 さて、今日の『仮面ライダー響鬼』は、十五之巻「鈍る雷」。
 コトバ的にはヘンなサブタイトルだが、これはストーリーをうまく象徴していてイイ。雷撃とともに変身する斬鬼。けれど彼の体はもう……
 今回は明日夢君(栩原楽人)もヒビキ師匠(細川茂樹)も出演シーンが少ない。冒頭で、明日夢君が盲腸手術の跡(毛はやっぱり剃ってるようである)を見ようとしたちょうどその瞬間に、ひとみ(森絵梨佳)から電話がかかってきて、びっくりしてパンツのゴムを傷口に思い切り当ててしまうというベタなギャグがあるくらい。いや、ベタでもかわいいからいいやな。お母さん(水木薫)がなんか勘違いしちゃう描写は、朝の番組なのにいいのかな(笑)。
 こっちが年取っちゃったせいもあるんだろうなあ、昔だったら明日夢みたいな優柔不断なキャラは見るだにハラ立ててたと思うんだが、どんなに情けなくても、「くじけるな! お前、ヒビキの跡を継ぐんだろ!」と応援したくなってしまう。まさしく「少年よ旅立つのなら 晴れた日に胸をはって Hit the beat! keep your beat! 心が震える場所 探して Hit the beat! keep your beat! 誰にも出来ないこと 見つけ出せ」ってな心境なのである(この「your」の部分は、「ユア」ではなく、思いっきり「ヨー」と発音するのがGood。「ひっ(ざ)びきー、呼ーび」と聞こえるように歌うのだね)。けど、この展開でもしも明日夢が跡を継がないようなことにでもなったら、詐欺みたいなもんだよな。
 今回のメインストーリーは、「斬鬼(松田賢二)→戸田山(川口真五)」の師弟相伝の話。ここで「鬼」がどのように次代に継承されていくのか、具体的に描写するエピソードを入れておくことで、「響鬼→明日夢」ラインの伏線としておく、という構成なのだろう。戸田山にはまだ音撃戦士としての名前が付いていないようだが、次回のサブタイトルを見ると、「轟鬼(トドロキ)」になるみたいだ。「頷鬼(ウナズキ)」じゃなくて良かった。
 引退を口にするザンキに対して、戸田山はいかにもイマドキの若者ふうに「ムリっスよお! ムリムリ!」と狼狽しているのが可笑しい。「いや、鬼になりたくないってわけじゃなくて……」と言い訳する様子が(弟子になってるんだから、当たり前である)、見ようによっては明日夢君より幼く見えるのである。日菜佳(神戸みゆき)はどうしてこんなのに惚れるかな(←嫉妬入り)。電話で戸田山相手に激ラブに猛アタックしてたのが、相手がザンキに変わった途端に「あ゛」と、一気にトーンダウンする小さなギャグがまたかわいい。……なんかオレ、『響鬼』の面白さを小出しのギャグで判定しているなあ(苦笑)。関係ないけど、「ヤマアラシ」って妖怪の名前じゃないだろう(しかし、ホントにあれだけデッカイ魔化魍が暴れてて、この世界の人間たちはその存在に気づいてないのだろうか?)。
 いや、ちゃんとアクションシーンとかも実によく「魅せ」てくれてると思いますよ。ラスト、童子と姫に包囲されつつも悠々と(ホントは余裕あるわけじゃないのに)変身する斬鬼と戸田山のカットなんか、その構図と言い、間と言い、シビれましたもの。響鬼がちょっとくらい情けなくても、ワキが固めてくれているぞ!
 斬鬼はギター振り回してまるでジミヘンみたいな戦いっぷりでしたが、戸田山はどんな戦い方を見せてくれるんでしょうか? そして、未だにバイクに乗れない(乗れるこた乗れるのだがヘタ)らしいヒビキの運命やいかに! ……このネタ、まさか最終回まで引っ張るつもりじゃないだろうな(笑)。


 「母の日」ということで、CS放送は「母の日映画」を放映しているところが多い。
 「時代劇専門チャンネル」でも、山本周五郎の『かあちゃん』のテレビドラマ版を放送。映画版はついこの間、2001年に市川崑監督、岸恵子主演のものがあったが、これは1987年『傑作時代劇』シリーズ枠での放送で、主役の「お勝=母ちゃん」を市原悦子が演じている。実は、1973年『ぶらり信兵衛道場破り』の一エピソードでも市原悦子は同役を演じており、「“母ちゃん”女優」ということになる。
 何度となく映像化されている作品なので、ストーリーをご存知の方も多かろうが、五人の子供を育てているケチなお勝には実は秘密があって……、という軽い推理小説風味のある人情時代劇。推理作家としても『寝ぼけ署長』ほかの傑作の多い山本周五郎ならではの、小味の利いた短編小説。
 ドラマ自体は、あまり大きな起伏はなく、淡々とした描写が続くのだが、最後の最後で三郎(松田洋治)の語る「真相」が「なるほど」と膝を打つ感じで「粋」なのである。すべからく、ミステリーのラストは「粋」でなくてならない。O・ヘンリーか、スタンリィ・エリン、ヘンリィ・スレッサーあたりの味を日本人で体得していたのが山本周五郎であったと言える好短編である。
 このネタは山本周五郎もよっぽど気に入っていたと見えて、複数の小説でも「使い回し」している。影響を受けた小説や映画も数知れずであるので(その中には既に推理風味すらなくなってしまっているものも少なくない)、ご覧になった方の中には「なんだ、このネタか」と拍子抜けされる方もいらっしゃるかとは思うが、ありふれたネタだからこそ、役者の技量が試される部分もある。「母ちゃん」の市原悦子はまさに適役だが、「母ちゃん」の家に泥棒に入って改心させられる勇吉役の堤大二郎も根の実直さをよく表している。その勇吉に惚れるおさん役を、牧口昌代がこれまた元気に好演。どっかで見たことある人だなあと思ったら、元アイドル歌手でした。今はどうしているのやら。長屋の差配役で殿山泰司が出ているのがチェックポイントか。
 45分という短めの時間枠が、アイデア一本で成立するこういう作品にはちょうど合っていると思う。


 劇団のホームページの方に、グータロウ君、鴉丸嬢と、メンバーの日記が新たに参加。
 グータロウ君の日記はまあ何というか、親子の情愛が行間からにじみ出てくるようなほのぼの日記だし、鴉丸嬢はもう、日ごろの口の悪さはどこに行ってるんだってくらいのかわいらしい日記で(「大人画廊」のイラストはまあ、アレですが)、どちらも私には逆立ちしたって書けやしないものである。
 なんか活動休止してからがかえって日記コンテンツが充実して来た感じで、こうなるとラスト・サムライ其ノ他君にも登板していただきたいところであるが、本気で体力使い果たしてるからなあ。討ち死にしないで頂きたいと願うほうが先なのである。


 定期的に訪れるしげの情緒不安定。
 きっかけが特にあるわけでもなく、「いきなり寂しくなる」のだから、躁鬱病じゃないかという気もしてくる。何か具体的な治療法があるのなら何とかしたいところだが、それがないから困り果てているのである。もうね、この十年以上ね、ずっと言い続けてるんだけどね、私の心がしげから離れたことがあったかって言うんだ。私ゃ職場でも「どうしてそんなに奥さんの話ばかりするんですか」と言われるくらい女房の話をしているぞ。ヒューズ中佐もかくやってくらいだ。それが理屈では分かるけど感覚では分からないというから、しげの感覚の方が狂ってると断定できるのである。
 「じゃあ、どうすれば『心が離れてない』って納得できるんだよ」
 「あのね、あんたが寝ててもね、オレがじっと見つめたら、パチって目を開けて見つめ返してくれると」
 「オレはエスパーじゃねえええええ!」
 しげの要求度はこういうレベルである。人間の力でしげの心の隙間を埋めることは不可能であるということがご理解頂けようか。
 だから自分の心の病気は自分で治せ。
 

 夜、「AMCキャナルシティ13」で映画『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』。
 いやね、オープニングには思い切り期待させられましたよ。いきなり始まったかわいらしく昔懐かしい『小さな妖精』の人形アニメーション。あれ? アタマに別の短編がくっついてるのかな? と思わせといて、突然、画面がびりびりと裂けて、「これは、こんな楽しいお話ではありません」と来る。どんなに「不幸せ」な物語が展開されるのだろう、とワクワクしたのだが、続くナレーションのジュード・ロウ、これが語りにまるで軽快なところ、ブラックな味わいがなくって、一気にトーンダウンしてしまう。こういう詐欺師的な語り手を演じるのなら、それらしい雰囲気を出してもらいたいものだ。吹替版の松本保典はどんな調子だったのかな?
 本編の物語がまた、面白くなりそうでそうならない不完全燃焼。ヴァイオレット(エミリー・ブラウニング)、クラウス(リアム・エイケン。『ロード・トゥ・パーディション』の“あの子”だ!)、サニー(カラ&シェルビー・ホフマン)のボードレール家の三人姉弟を襲う不幸の数々が、どうにも観客の身に迫ってこないのだ。
 三姉弟の両親は家屋敷ともども焼け死に、引き取られた先のオラフ伯爵(ジム・キャリー)はボードレール家の財産を狙って、あの手この手で師弟たちを抹殺しようとする。慌てた弁護士ポー(ティモシー・スポール)に他家に預けられるけれども、彼らもまた次々に謎の死を遂げて……っても犯人はオラフ伯爵だってバレバレなのだが、そこはもうこういうナンセンス・ブラック・ユーモア・ミステリーの定番なので、それをどううまく見せるかが脚本家と演出家と役者の腕の見せどころだろう。ところがこれが、残念なことに今ひとつ、いや、今三つくらいにへにょへにょと冴えないのである。
 まあそれはもともとの原作が基本アイデアはいいものの、今一歩のところで「詰めが甘い」点にも原因はあるのだが、次々と子供たちを危険な目に合わせるのはいいのだが、それを切り抜けるアイデアがあるときは荒唐無稽、あるときは無理がある、あるときは偶然に頼りすぎると欠点が目に付き、なかなかカタルシスを得られないのである。かてて加えて、ジム・キャリーの過剰な演技が、面白さよりも一人よがりを感じさせてうまくない。
 『キネ旬』で立川志らく師匠が「不幸な映画なら木下恵介の『日本の悲劇』の方がよっぽど不幸だぞ」と書いていたが、もちろんこの『不幸せな物語』は本気で不幸を描こうとしたわけではない。不幸を様々なアイデアで乗り越える子供たちの機知の面白さをこそ楽しみたい映画である。しかしそのためは子供たちに降りかかる不幸は本気で恐ろしいほどの不幸でなければならないのに、そこからして「甘い」ことに対して志らく師匠は皮肉を投げかけているのである。
 それにしても、こないだの『ステップフォード・ワイフ』のグレン・クローズもそうだったけれど、メリル・ストリープやキャスリン・オハラといった名女優たち、コメディとなるとどうして押さえが利かなくなって臭くなるのかなあ。コメディアンにシリアス演技は出来るけれども、その逆はムリって風評、ホントだってことになっちゃうよ?(もっともキャスリン・オハラはコメディアン出身だから、コツを忘れたものか)
 演技者で一番よかったのが、“殆ど何もしていない”カメオ出演(しかもノン・クレジット!)のダスティン・ホフマンってのはどういうわけかね(ジム・キャリーの演技を見ながら、一言「最悪」と言うだけ。まことにその通り!)。
 まあ、主人公の三人師弟がかわいかったのと(『ハリー・ポッター』三人組ほどの魅力には欠けるのが痛いが)、オープニングの人形アニメーションとエンディングの切り絵アニメーション(影絵って書いてる批評がネットにあったけど、影絵と切り絵は違うよ)が素晴らしかったので、一応は及第点の出来とは言えようか。全編をラストの切り絵アニメーションで作っていたら、こりゃもう、とんでもない大傑作になっていたことは確実である。まあ、アニメだけならもう100点満点で、これだけのためにDVDを買ってもいいくらいである。アニメファンなら必見。

2004年05月08日(土) またまたクレーマーの話。
2003年05月08日(木) ある終焉��
2002年05月08日(水) ピンクの象は出て来ません/『ホーリーブラウニー』1巻(六道神士)ほか
2001年05月08日(火) 38℃線突破/『なみだ研究所へようこそ!』(鯨統一郎)



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