無責任賛歌
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| 2005年05月07日(土) |
批判は言葉で言え/『WāqWāq(ワークワーク)』3巻(藤崎竜) |
俳優の小林勝彦氏が、6日、肝細胞がんで死去。享年68。 脇役一筋という方だったので、出演したドラマ、映画、アニメなどは無数にあるが、それ故にどれを代表作と呼んでいいかは分からないくらいである。名前を聞いて「誰だっけ?」と首をひねられる方も、顔写真を見れば、「ああ、この人」とすぐに思い出せるくらい、一般の人にも身近な役者さんで、時代劇、現代劇を問わず、善人から悪人まで、チンピラから殿様、軽い役から重厚な役まで、何でもこなされていた。 近年は声優としての活動の方が目立っていたように思う。『スター・ウォーズ』シリーズの銀河皇帝パルパティーンは故・千葉耕市氏がアテていたのを小林さんが引き継いでおられたが、これでまた新しい皇帝探しをしなければならなくなった。こういった声優交代が一番悲しい。 特撮ファンには『快傑ズバット』23話の「紅フォックス」役の人と言ったほうが顔が思い浮かぶだろうか? こういう方こそが映画、ドラマの根底を支えていらっしゃるわけで、68歳での死去というのはなんとしても若すぎる。 最近はマンガ家の雑賀陽平さんのケースと言い、沈鬱な気持ちになるような逝去のニュースが多くて、日記に書くのは避けてたんだけれども、地道に活動されていた方が亡くなっても、日記等で取り上げられるケースが少ないので、書かでものことを記した。やっぱり、若い人にはもっともっと本や映画を見てほしいのである。
これもまた、悲しいニュース。 『名探偵コナン』の作者、青山剛昌さんの出身地の鳥取県大栄町にある「コナン大橋」(知らない人もいるでしようが、そういうのがあるんですよ)に設置されている「江戸川コナン」のブロンズ像が、4月30日から5月1日にかけて破損されるという被害にあっていたとか。 「コナン大橋」には、西北に虫眼鏡を持った像が、東北にも立像が建てられていたのだが、前者は右腕が接合部分からもぎ取られて橋の欄干に捨てられており、後者の立像はトレードマークの眼鏡が切り取られていた。しかも被害は今回が初めてではなく、これまでに六回も壊されているとか。修理総額は約二百十万円。今回の被害は更に百万円を超える可能性もあるということである。このような悪質ないたずらが続けば、立像の設置自体を考え直さなければならなくなるのではないか。 モノはブロンズ像である。ちょっと叩いて壊れるとか、そういうものではないから、犯人は「コナン」に対してかなり悪意を抱いていると考えられる。私も日記等で「コナン批判」をやらかしているから、容疑者の一人になるかもしれないが(しまった! 身内としか会ってないからアリバイがない!)、もし犯人が本当に「コナン嫌い」だったとしても、こういう形での復讐には憤りを覚える。 確かに私は『コナン』というマンガを読むたびに腹を立てている。トリックがチャチだとか、そういうレベルではない。作者の青山剛昌はミステリーを愛しているフリをしていながら、その実、バカにしている。既成作品のトリックを、作品名を含めてバラして平然としているのが何よりの証拠だ。最低限のマナーすら心得ない人間を、どうして評価できるだろうか?(こないだ見たアニメの再放送では、コナン・ドイルのある有名な作品のトリックをバラした上、コナンに「こんなチャチな事件なんか、扱いたくない」とか言わせていた。アニメスタッフもどれだけ思い上がっているかがよく分かる) しかし、だからと言ってブロンズ像を破壊する正当な理由になどならないことは当然のことだ。そんなことをして何になる? 青山剛昌が改心してマトモなミステリーを書く気になるとでもいうのか? ならんぞ、絶対。何の効果もないのに、こんな阿呆な復讐を企てるのは、何か事件が起きたとき、犯人の親族の家にまでイタズラ電話をかけるような下劣なヤカラと同じ行為、いや、反日デモのついでに、鬱憤晴らしに破壊活動を行った中国人と同様の、知能レベルが著しく低い狂気の沙汰である。 「青山剛昌いけすかねえ」と思うのなら、作品批判を論文にして、どこぞのマンガ情報誌やアニメ・映画雑誌に投稿するとか、自分でホームページ立ち上げて好き勝手書きゃいいのである。こういう「暴力」に訴えるというのは、最低の手段だ。こういうことをされると、「コナン嫌い」がみんな犯人のような白痴じゃないかと疑う馬鹿だって出てきて、真面目に批判しようとする人間も一緒くたにされかねない。逆にマトモな「コナン批判」がしにくくなってしまうのだ。 「言論(小説やマンガ、映画などの作品も含む)でなされたことに対しては、言論で返せ」これが社会の、と言うよりは「人間のルール」というものである。警察、とっとと犯人捕まえて縛り首にしてしまえ(注・法的には器物破損で縛り首にはできません)。 ……何だか興奮した文章になってしまいましたが、これ、ホントに私が犯人で、そのことを迷彩しようとしてこんなこと書いてるように見えなくもないですね。でも、全然違いますから、警察の人、私んとこに調査に来たりしないようにお願いします。
旧聞に属するニュースらしいが、角川書店から、今年末、「石ノ森章太郎萬画大全集」全500巻が刊行されるとのニュース。えーっと、『藤子不二雄ランド』が全301巻で、『手塚治虫漫画全集』が全400巻。これを軽く陵駕しちゃうわけで、当然、個人のマンガ全集としては世界最大級であるということである。 石ノ森章太郎の「選集」は、詳細な資料を兵録した石ノ森章太郎自選集『Shotaro World』全90巻が、メディアファクトリーから刊行されているが、これはあまり売れ行きがよくなかったらしい。角川書店、またでかい風呂敷広げやがったものだが、勝算はあるんだろうか? 手塚治虫も藤子不二雄も、初期作品は後期の作品と絵柄も違うし構成も稚拙と判断して、未収録のままにした作品が多かったのだが、いかに多作の石ノ森作品とは言え、500巻となれば、そういった初期作品まで博捜しなければ揃うものではないだろう。デビュー作の『二級天使』とか、正直、現代人の目で見て面白いとはとても言えないと思うのだが、そんなのを今の若い子に、どうやって買わせるつもりなのだろうか?(こないだ出た完全版、私は買っちゃったが)。 更に気になるのは、このラインナップに他作家との合作や、「石ノ森章太郎名義だが石ノ森章太郎が描いていない」作品も含まれてしまうのか、ということである。前者は赤塚不二夫との共同ペンネーム「いずみあすか」名義で描かれた作品や、鈴木伸一のペンネーム、風田朗名義で描かれたスタジオ・ゼロの合作マンガ『レインボー戦隊』、あるいはメインキャラ以外の殆どの作画を石ノ森氏が担当した『オバケのQ太郎』などがある。合作だけに、このあたりは権利的に収録がかなり難しいんじゃないだろうか。 そして、収録されても困るのが、「名義貸し」作品である。「監修」と銘打ってる『シャーロック・ホームズ』シリーズとかはさすがに含まれないだろうが、厄介なのは『マンガ日本の歴史』とかだ。初期は確かにご本人が描かれていたが、体調を崩した途中からはシュガー佐藤に全面委任してしまっている。『家畜人ヤプー』と言い、『北斎』と言い、『ホテル』と言い、石ノ森御大の跡をシュガー氏ほかが継いだ作品は多い。これらを「石ノ森作品」として認めてしまってよいものかどうか? いや、それを言い出せば、代表作と言っていい『人造人間キカイダー』だって、レイアウトは確かに石ノ森氏だが、作画は山田ゴロ氏ほかに描かせたもので、自筆で描いたのは最後の2ページだけなのである。一応、これはメディアファクトリー版でも「石ノ森作品」と認知されて収録されているから今回もそうなるとは思う(つか、これはカットしたらファンが激怒するだろう)が、手塚作品以上に石ノ森作品には「あいまい」なものが多い。しかも、御大の作品と比べると、そういった「名義貸し」作品は、一部を除いて駄作があまりに多すぎるのである。ラインナップによってはまるで売れないものも出てくるのではなかろうか。 角川は、大映を吸収合併して以降、映画『男たちの大和』製作やら、やたら花火をぶち上げてるが、全部本当に成功の見込みがあるんだろうか。「SNOOPY BOOKS 55周年記念復刻全86巻」とかもあったなあ。いや、大半を友人から貰った鶴書房版で持ってるんで、いらないんだけど。
今日も腹の具合は最悪だったのだが、何とか便所に入ったり出たりしながら、一日勤務。便所で腹を撫でながら、しげにメールを送る。以下はそのやり取り。
私「着いた途端に下痢ビチ〜。朝礼にも出られない〜」 私「トイレットペーパーがねええええええ!」(ホントになかったのである。掃除のおばさん、継ぎ足しとけよな。幸いティッシュペーパーを持っていたから助かったが) しげ「知らんっ。頑張れえええええ」(どう頑張ればいいのだ) 私「ベルトが切れたああああああ!」(締めようとした途端に、ホントに根元から切れたのである。もう一度はめ直して何とかしたが) しげ「ふぁいとおおお」(もう投げやりである) 私「弁当、量多すぎ。食ったけど。ゲップ。」(ホントに丼飯二杯分はあった) 私「また下痢りん。ぷう。」(食えば出るのは当然である。でもせっかく作ってもらった弁当、残せないんだよう) 私「し、尻の穴がイタヒ……」(下痢便が乾くと痛いのだ) 私「きついよう。あへあへ言ってるよう。でも仕事してるよう。ふにいいいいい」
途中からしげは返事しなくなった。愛想がないと言うか馬鹿なメールばかり送るんで呆れたのだろうが、こんなアホなことでも書いてなければ、ハラの苦しみをごまかせなかったのである。しげから貰った正露丸、なかなか利かなかったし。 とりあえず、帰宅するまで、しかぶらずにすみました。ホッ。
夜、『欽ちゃんの仮装大賞』を見ながら就寝。腹の具合、少しは収まってきた模様。
マンガ、藤崎竜『WāqWāq(ワークワーク)』3巻(集英社)。 雑誌連載のほうはどうやら無事完結したようで、まずはめでたい。ファンの間では「打ち切りだあ!」と嘆く声もあるようたが、それはどうだろうか? この3巻で「ワークワーク」世界の殆ど全ての謎が解明されているし、護神像を奪い合う戦いも一区切りしている。もちろん人気があればもっと「引き伸ばし」をさせられたかもしれないが、脇道に入りこんで、何やってんだか分からなくなるのは長期連載作品を見ていれば分かることである。10週打ちきりとはわけが違うし、まあまとまりのある終わり方をしてくれたんじゃないかなあ。 いやね、「人間によって作り出された機械の反乱」って、またぞろ『青騎士』かよ(いやもう、『R.U.R』や『メトロポリス』以来って言ってもいいんだけどね)と、ちょっと引きはするのだけれど、もうこれはロボットものの基本パターンだから、文句言っても仕方がない。それよりも、もはやどう転んでも陳腐な結末しかもたらさないその戦いそのものを描くのではなく、「人間(赤き血の神)」が滅亡した後の世界、残された「人形(黒い血の人間)」と「機械(人間が人形を殲滅するために作った機械生命体)」の新たな争いを描くことをベースにして、そこに更にカタルシスとなる「防人と護神像どうしの争い」という別の要素を導入したところに工夫はあったと思う。まあ、“もっと面白くできる”要素は充分にありはしたのだ。 キャラクターの描写不足、強引なストーリー展開は『封神演義』の時以来の藤崎竜の欠点で、それが世界観の広がりや作品の勢いに繋がらなかった分、ちょっと小ぢんまりとしちゃったな、という印象は確かにある。けれどそれは単に技術的な問題に過ぎないし、デザイン力、構成力ともにこれから伸びておかしくない人だとは思うので(デビューして何年だお前、って問題はあるのだが)、ファンがあまり打ち切りだ打ちきりだと騒ぐと、かえって作品の評価自体、下落させることにもなりかねない。ここはファンの方々もオトナになられて、「想定の範囲内」と理解した方が、次回作に期待もできるというものではないだろうか。
マンガ、岡野剛『未確認少年ゲドー』5巻(完結/集英社)。 岡野剛作品は『ぬ〜ベ〜』のころから、絵柄に対する興味だけでしか買ってないのだが、おかげでしげからも「何でこんなの買うん」と言われてしまう始末。確かに小学生向けだと言うことを割り引いて考えても、この話で10週打ちきりにもならず、5巻まで続いたってのは、それこそ立派なんじゃないか。いや、これは皮肉。なんで「未確認生物を救う」話が最後はやっぱりバトルで終わるかね。 「未確認生物」ってアイデアは悪かないんだが、ちょっとおふざけに過ぎたのが、テコ入れしなきゃならなくなった原因じゃないかって気がしてならない。そりゃ、『ぬ〜ベ〜』のときも出てくる妖怪、全部おふざけで見てて痛くてかなわなかったが、それ何の間違いやら、受けてしまった。それがそもそもの不幸で、まぐれで一回成功したからって、自作の焼き直しをここまで堂々と臆面もなくやらかしちゃ、「ほかに描けるものないのか」という批判を受けたって仕方がないと思う。 岡野さんがジャンプでお呼びがかかる可能性はかなり低くなったと思うけれども、 この人の場合、原作を付けてあげたほうがよかないか。どうも描きたいものがハッキリしてないように思えて仕方がないのである。
2004年05月07日(金) このへんで三馬鹿事件もおしまい。 2003年05月07日(水) ある終焉�� 2002年05月07日(火) この文も詭弁かもしれない(^o^)/アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」 2001年05月07日(月) フライド・エッグ・ムーン/『三毛猫ホームズの恐怖館』(赤川次郎・竹内未来)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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