きっと どこかで
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2004年05月01日(土) 「光とともに」第3話

なんとか・・。「光とともに」ドラマ第3話見ることが出来た。この日の話にもやはり涙・・。でも、第1話のそれとは違っていた。今回のは、うれしい涙・・。

ヒカルくんのパパがヒカルくんを理解しようとしはじめる。仕事一途だったのが、積極的に育児にかかわるようになる。ヒカルくんも、いろんなことが、落ち着いて少しづつできるようになってきたり、まわりも、ヒカルくんの考えていることがわかるようになってくる。そして、ある日、学校で事故が起き、それをきっかけに、ヒカルくんのママは、「光通信」というリーフレットを作成し、交流学級の保護者に配ってまわったり、また子供達に、ヒカルくんとの接し方について、理解してもらおうと、話しをする。

どうも、第2話でのことがきっかけで、ヒカルくんのパパは、子供の障害と向き合う決心をしたようだ。実際は、そんなに簡単には進まないのだけど・・。(父親が子供の障害を受け入れるのはそう簡単なことではないし、協力をしてもらうのもなかなか・・)

ドラマの中に「自閉症ですみません」とあやまる場面があった。我が家では、実際には、そういうふうにあやまるってこと(診断名を言って謝る事)はないんだけど、小さい時から、何かまわりから子供のことを言われるたびに、「すみません」(大人には)「ごめんね」(子供には)とあやまることは多かった。

考えてみればそうだ。障害を持っているがゆえに、そういう行動をしてしまうのだ。あやまるのは、そういう障害が起こす行動を、あやまっているようなものだなあと思った。

ドラマの中の、ヒカルくんの担任の先生は、あやまることなんてないんですよ、と言っていたが、人に不快な思いをさせたことは事実。障害を知らないため、というのが大きいんだけど。障害をしっていれば、障害があるゆえの行動と思い、理解してもらえるのだろうか?

できれば、「すみません」よりは「ありがとう」と言えるようになりたい。こういう子供なんだなと理解してくれている人達や子供達は、我が子を助けてくれていることがよくあるようだ。気が付いたら「ありがとうございます」と言っている。最近はこう言う方が多いかなあ。

まあ、子供の事で相手が不快な思いをしたら、「すみません」と謝ることはやはり必要なのではないだろうか?でも、障害を持っている場合(目に見える形で現れていない場合)理解されにくいので、謝ることは普通の子供を持っている親より多いのではないかと思う。


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