きっと どこかで
DiaryINDEX|past|will
2005年08月31日(水) |
実母の葬式当日(その1) |
なかなか、書く間が取れなかった、実母の葬式当日の事を書こうと思う。
葬儀の日取りが決まったのは、前日の夜。葬式というのは、亡くなってからすぐに行うんだなあと、実感した。遺体が傷んでしまうから、というのが主な理由のようだ。
亡くなったのが、夕方だったこともあり、通夜葬は翌日で、葬式はその翌日に行われた。時間は、お昼の12時から。一応、地元の新聞のお悔やみ欄に載せてもらうこととした。
職場へは、葬式の日の朝、通知することとなった。ちょうど、私も行くはずだった研修に副支部長が出席しており、また私も休みなので、職場は、支部長一人。なので、葬式には、出席できないと連絡あり。まあ、職場と葬儀場も車でも1時間くらいと遠いので、しかたないかなと思った。
支部長からは、職場の名前で、花輪を出しておくこと、また、支部長、副支部長の名前で香典を立て替えて出しておくようにとの連絡あり。
葬式当日の受付は、近所の方(自治会)と、叔父のご指名で、私の旦那がすることとなった。受付は、香典など現金も預かるので、葬式後も火葬場には行かず、葬式後の後片付けのような仕事もある。
旦那には、ちょっと気の毒な気もしたが、他に、そういうことを任せられる人がいない、ということで、納得せざるを得なかった。
さて、葬儀の前、パートで職場に来てくれている方と、前副支部長が葬祭場に来てくれていた。
父の元勤め先からも、花輪、香典などいただいていた。妹の職場からも、理事長さんの名前で香典、電報。旦那の職場の社長さんの名前で、香典、電報。
母は、詩吟を長くしていたので、その会の方が、大勢来て下さっていた。
もちろん、親戚の方々、近所の方々も大勢来てくださった。
焼香の順番は、父の次だった。実母で、私は長女になるので、(男兄弟はいない)そうなるんだなあと思った。
焼香は、家族単位で呼ばれる。受付をしていた私の旦那も、焼香の前には、葬儀場に入っていた。
そして、葬儀は2時間くらいで終わり、火葬場へ。私は、自分の子供も連れて行くこととした。人が死ぬこと、どういうことなのか、見ておくのは、子供のためになるのではないかと思って。
|