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2001年06月17日(日) 父との思い出 (父の日にちなんで)
今日は父の日だった。結婚すると、当然ながら父と義父の二人になる。 今年は、Kin・chanと二人で、今日になってやっと、両方の父にポロシャツを 色違いで買った。でも、まだ我が家にある。(笑) 早く送らないと。(^_^; うちは、父も義父も健康で、そして二人ともまだまだ現役で働いている。 職にあぶれている人も多い中で、本当にありがたいことだ。 義父は、二人の息子が結婚して家を出ているので、義母と二人暮し。 義母は、地域ボランティアとかサークルとかで楽しく元気に活動している。 つい先日、義父は職場の慰安旅行か何かでグアムに行ったそうだ。一方、義母は サークル(フォークダンス)の全国大会か何かで長野に出かけていたらしい。 夫婦水入らずで好きなこともやりつつ、生活しているように見受けられる。 昨夏、義弟夫婦に初孫(女の子、もうすぐ一歳)が生まれ、お互い住んでいる 所も近いので、ちょくちょく孫に会えているようだ。長兄であるKin・chanも、 毎月の散髪を実家の近くの理髪店(中学の友達の店)でやっていて、月に一度は 実家に顔を見せている。私も、たまに一緒について行く。 程よい距離感というのかな。まぁ、同じ県内で車で1時間くらいだからね。 一方、私の父は栃木に住んでいる。母と、まだ独身の妹と一緒の3人暮らし。 長女の私が嫁いでしまったけど、嫁ぐ前から実家を出ていたし、今はまだ妹も 一緒に住んでいるので、それほど寂しさを感じないだろう。 それでも、嫁いだ娘が一緒に住んでいないと、どうしているのか時々気になる ようで、父はたまにメールを送ってくる。電話じゃなくてメールなんだよなぁ。 娘の私が、家に不在がちでなかなか捕まらないからだろうか。 いや、違うな。きっと父の性分的に文章で書く方が好きなんだと思う。 *--- ここで、私の父に対する回顧録でも。。。 父は、今の会社に移る前は、とあるメーカーに定年まで勤務していた。途中で 工場から本社に異動し、それに合わせて、家族も栃木から神奈川へと引越した。 中学2年の時だった。 以後、海外事業部という部署がら、父は仕事で海外に行くことが多くなった。 転勤こそ、定年前の最後の3年間(インドのデリー)だけだったが、半年とかの 長期出張は数知れず。特に、私が大学に入って、インドへの赴任が決まるまでの 数年間が、最も海外出張の多い時期だったように思う。 でも、端から見た父は、出張が多くてしんどそうというより楽しそうだった。 何処でも寝れる環境適応能力の高い父には、それほど苦痛ではなかったのだろう。 逆に、出不精の母が同じ環境に置かれたら、きっと疲れきってしまうと思う。 そんな父の影響を受けたのか、娘の私も海外への好奇心が強く育った。今までに 渡航した国は割と多い。幼少期のシンガポール・マレーシア・インドネシア(バリ、 ジャワ)をはじめとして、ロシア(旧ソ連時代、現ロシア・キルギスなど)、 ヨーロッパ(イギリス・ドイツ・イタリア・スイス・リヒテンシュタイン・フランス)、 オーストラリア、アメリカ、カナダ、インド、ネパール、などなど。 そんな父との思い出は、結婚前後のことを除けば、インドを一緒に旅行したこと が一番印象に残っているかもしれない。当時、父はインドの首都ニューデリーに 赴任していて、私は東京で働いていた。父が3年の予定の赴任を終えて夏には 帰国するだろうという年のGWに、私はインドに行くことにしたのだ。 父が居なかったら、多分一人では行かなかったであろう国、インド。 インドに住む父(単身赴任)と、メールを使って旅程の打ち合わせなどをした。 その頃から、父と娘のコミュニケーションツールに自然とメールが加わった。 時差もあったし、国際電話はお金がかかるし、父はインドで曜日によって2箇所に 住んでいた。どっちに電話すればいいのか難しかったのでメールが一番だった。 たまたまGW前の3月に、父が仕事の都合で日本に一時帰国をした際に、旅行の 話をしていたら、「どうせ、インドに行くんだったらネパールにも行きたい」 ということになった。父も、インドには2年半住んでいたのに、ネパールには まだ行ったことがなかったらしい。ネパールの話で父娘で盛り上がっていたら、 母が「私もヒマラヤを見に行ってみたい」と言い出した。 結果、GWの前半は、私がデリー入りして父と一緒にインド国内を回り、途中で 一度デリーに戻ってきて、一人で飛行機に乗ってきた母と合流し、3人でネパール 入りすることに。妹だけは、仕事の都合で日本でお留守番という形になった。 父とのインド旅行も、二人っきりで旅行したのは初めてだったので感慨深い。 普段、インド人との仕事を英語でやっているので、英語は娘よりも達者だ。(笑) 途中で、屋台で食べたカレーにあたって(たぶん、ゆで卵)お腹を壊したり、 なかなかの珍道中。でも、楽しかった。父と見たタージマハールもガンジーも 忘れないだろう。 その後、デリーで母と合流してネパールでは3人旅行。お腹を壊したのは、母が 日本を出る前だったので、実家に国際電話をしてレトルトのお粥などを持ってきて もらったのを覚えている。私は、相変わらず食あたりで不調だったけれど、3人で 丘を登って見た、朝日に輝くヒマラヤ山脈の美しさは忘れられない。 ---* あぁ、父のことを考えていたら、久々にインド旅行の写真が見たくなった。 いつか、その時の写真を、このつれづれ日記にupしたい。 | |
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