Daily Journel@M403 |
<< INDEX >> |
|
|
2001年08月13日(月) 一周忌
父と母は、祖母の一周忌のために、昨日から愛媛に戻っていった。 そう、一年前の今日、母方の祖母が明け方未明に亡くなったのだ。 ちょうど盆休みに入ったばかりで、その日には私とKin・chanも祖母を見舞いに 愛媛に行く予定になっていた。明け方、そろそろ起きて出発する準備をしようか という時、先に愛媛に行った母から電話があった。一日遅く間に合わなかった。 電話の後、祖母に会ったことのあるKin・chanが「おばあちゃんが夢に出てきた 気がする」とポツリと言い、「天国から祖父が迎えにきたのかもしれないねぇ」 と話しながら愛媛に向かった。 前にも書いたかもしれないが、私の父と母は、2人揃って愛媛県内の同じ市の、 しかも同じ高校の出身だ。どちらかというと、田舎に行く時は母方の祖母の家に ばかり行っていたので、祖父母との思い出というと、どうしても母方の祖母との 思い出が一番多い。母は、小さい頃に父(私の祖父)を亡くして母子家庭に育った ので、母方の祖父には仏壇の写真でしか会ったことがない。 小さい頃は、毎年夏休みに入ると祖母の家に泊まりに行くのが楽しみだった。 栃木の自宅から愛媛までの道程では、ブルトレ(寝台車)に乗ったり瀬戸内連絡船 に乗るのも大好きで、駅に泊まる度に地名を書きとめて、一生懸命に暗記していた のを覚えている。今でも大半の駅名を覚えているから、小さい頃の記憶は凄い。 祖母の部屋の窓際の側には紫陽花の木があって、夏には蝉の抜け殻を見つけた。 部屋に大きな蚊帳を張ってもらうのも好きだったし、自分の家にはない仏壇に 毎朝お水とお花と御飯を供えるのも、何だか神聖な行事のようで大好きだった。 その祖母も、今となっては、あの仏壇で祖父や先祖様と一緒だ。 近年の祖母との思い出は、会社を辞めてすぐの頃に、母と一緒に会いに行ったこと だろうか。その頃の祖母は、まだ一人で歩くこともできたし、季節は春で松山城の 桜もさぞかし綺麗だろうということで、レンタカーを借り、片道1時間程かけて 松山まで出かけた。 松山の師範学校を出て、定年まで小学校の先生を勤めた祖母は、最初は「松山の 桜なんて、若い時によ〜け見たきん、(私はいいから)2人で見てきんしゃい」と 出かけることに乗り気ではなかった。でも、「行き帰りは、後ろで横になって寝て ればいいから」と説得して出かけたのだった。 折りしも、その日の松山城の桜は満開で、本当に美しかった。 中腹まではロープウェーがあるのだけど、乗り場まではエレベーターがなくて、 祖母は母に支えられながら一生懸命に階段を登った。市内随一の観光名所なのに、 身障者用のエレベーターもないのかと、その時ばかりは恨めしく思った。 ロープウェーを降りると土産売り場と併設して休憩所がある。そこで少し休み、 もう少し先にまで進もうかと思ったが、祖母の足はかなり疲労していた。 城内に咲く満開の桜は美しいけれど、さすがにそこまで祖母を連れていくのは 無理と判断し、せめて城内手前の展望台の辺りの桜を見せたいと思った。 城内へと続くなだらかな歩道は、ゆるい階段を登っていかなければならない。 どうして、傾斜が緩いのにスロープが無いんだろうと、本当に残念だった。 仕方が無いので、恥ずかしがる祖母を説得し、私がおぶって歩いた。生まれて 初めて自分の背に載せた祖母は、想像以上に小さくて軽かった。切なかった。 何とか展望台に着き、満開の桜の木の下で一緒に撮った写真に写る祖母の顔は、 久しぶりの外出で嬉しかったのか、珍しく満面に笑みをたたえていた。 折角なので、帰る前に3人で道後温泉に入って帰った。母娘3代での、おそらく 最初にして最後の温泉だったと思う。 今にして思えば、もっと愛媛に会いに行ってあげればよかったと思うし、もっと 色々な所に連れて行ってあげればよかったとも思う。でも、最後に一緒に松山へ 出かけたことが出来、本当に良かったと思った。自分で車を運転できるような 年齢になっていて良かったと思ったし、祖母を背負う体力もあってよかった。 桜の木の下で撮った写真は、母にとって心に残る一枚だったようで、額に入れて 自分の部屋に飾っているそうだ。かくいう私は、手帳に入れて持ち歩いている。 | |
<<
INDEX
>>
|
|
M403.net |
MAIL![]() Design : maybe |