昨日・今日・明日
壱カ月|昨日|明日
2004年12月17日(金) |
一つの時間の中にあって幾億も重なる昼と夜 |
ブルブル、寒い一日。風が頬にピリピリと痛くて冷たい。これが12月の本来の姿かも。 比較的平穏に過ぎる。少しだけ残業した後、髪を切りに行く。予約の時間まで間があったので、美容室近くのブックオフへ。富士正晴「どうなとなれ」を100円で購入。解説は山田稔。 「どうなとなれ」は標準語にすると「どうにでもなれ」ということだけど、それよりもう少し大らかなニュアンスがあるように思う。とにかくベストを尽くしてはみるけれど、結果何がどうなろうと、どのような結果に落ち着こうとも、それをしっかり受け入れてぼちぼちやっていこうじゃないか、というような感じ。この「どうなとなれ」という感情は、私が今までの人生で抱いた中で最も多いんじゃないだろうか。どうなとなれ、どうなとなれ、といつもどこかで思っているような気がする。
シャンプーしてくれたり、髪を乾かしてくれたり、マッサージしてくたりする、ソウルセットのファンで、大島弓子の漫画が好きだというので「つるばらつるばら」なんかを貸したりしたこともある、店に行くといつもいろいろと話をしていた美容室の女の子が、結婚して九州に引っ越すことになり来月で辞めることになった、と言ってきた。親元を離れて暮らすのは初めてなので、嬉しい反面なんか不安です、と言うので、そんなのなんとでもなるよー、と励ます。「どうなとなれ」、だ。元気でね、と挨拶して店を出た。 彼女とこんな風に話すのは今日で最後なんだな、と思う。鏡の中で会話するのは今日で最後だ、シャンプーしてもらうのも、会計してもらうのも今日で最後だ、会うことだってもうないかもしれない。時間の流れの中ですれ違って、いつか忘れていくものになるんだな。何でいちいちこんなことを考えてしまうのかわからないけど、誰かと別れる時私はとても感傷的になり戸惑う。 美容室でかかってたFMかなにかで、久々に、ホントに久々に小沢健二の曲を聴いて、CDを引っぱり出してきて家でもかけてみた。懐かしくて良かった。オザケンを聴くと、決まって思い出す気持ちがあるなあ。音楽はなにがしかの記憶と、いつも結びついているな。
・購入物:富士正晴「どうなとなれ」(中公文庫) ・朝食:カレーライス 昼食:お弁当(ちくわとネギの甘辛煮、エリンギとベーコンのバターソテー、卵焼き、ごはん) 夕食:カレースパゲティ、レタスサラダ、シシャモの唐揚げ、麦酒
カレーを作ると、カレーばっかり食べてしまう。カレーがあるしな、と思う。カレーがあるから他はなんでもいいか、みたいに。日夜カレーを食べてしまう。
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