昨日・今日・明日
壱カ月昨日明日


2005年01月08日(土) 眠いような気持ちだ。

 朝10時30分から図書館で打ち合わせ。少し揉めたものの、何とか12時過ぎには終了。下の喫茶室でごはんでも、と言うIさんを振り切って日本橋へ向かう。一刻も早く文楽劇場に行きたいしそれに、図書館の喫茶室で出てくる食べ物は、端から端までびっくりするほど不味いのだ。とは言ってもカレーしか食べたことないけどさ、そりゃあまあひどいもんだった、だから他のもどうしようもないに決まっているのだ、決めつけるのはよくないけど、世の中は一事が万事そういうもんなのだ。

 急いだけれど、やはり「伊賀越道中双六」に間に合わなんだ。昨日、住太夫さんの本を読んで、私にしては珍しくばっちり予習しておいたというのに残念だ。また幕見席で観るとしよう。
 結局本日鑑賞したものは、「恋娘昔八丈」城木屋の段、鈴ガ森の段、「苅萱桑門筑紫いえづと」守宮酒の段、「天網島時雨炬燵」紙屋内の段、「戻駕色相肩」郭噺の段。「恋娘〜」は不覚にもほとんど寝てしまった。「苅萱〜」と「〜時雨炬燵」は、女をバカにすんのもいい加減にしろ、と言いたい話だが、文雀さんが素晴らしかったのでまあ許す。
 本公演より床本が小さい版型に戻っていて、字幕表示がついていた。浄瑠璃に字幕をつけることについての是非は、うーん、よくわからない。私はそのまま耳と体で聴いて、理解出来なかった部分は帰りの電車で床本をひもといて確認する、という作業が好きなので、字幕はなくてもいい。出てるとつい目がいっちゃって気が散るのだ。でもまあ、これもひとつの流れ、かな。

 一部と二部の空き時間に、日本橋のブックセンターに行って、古本を一冊買った。また、帰りに地元の本屋で「文学界」の最新号を。映画特集。金井美恵子が書いてたように「文学界」は、くだらん小説を載せるくらいなら定期的に映画特集をすればいいのに、と思う。
 それに、忘れず電球も買う。

 夜、「葛西善蔵随想集」を読む。私が葛西善蔵を好きだなあ、と思うのは、以下のような文章を読んだ時。
 『さっぱり元気がない。動くものがない。方向がない。漫然として日を送っている。今に元気が出そうな気がするが、いつまでもまたこうした状態が続きそうでもある。
 この苦しい現実から一歩出たい、でも出られない、どちらを向いてもやはりどうしようもない現実だー、せめてこうした心持ちででもあってくれると頼もしいのだが、そんなでもない、ただ眠いような気持ちだ。』
 
 『君には現在と永遠がある、しかし未来という観念のない人間だとある友人が言うが、ほんとうにそうであってくれて、現在即ち永遠、永遠即ち現在というような気持ちでいつも居られるようだと、この上ないことだと思う。未来とか将来とかいうようなことを打算的に考え出したら、ほんとうに際限がないという気がする。』

 『どうかして実際的に世の中のためになるようなことをしたいと思い立ったこともあるが、結局、空想だったに過ぎない。田舎へ帰っても相手にはされないし、都会へ来ると塵埃も同様だ。傍観者というのも恥ずかしいような憫れな傍観者であるに過ぎない。』

 日々感じ、しかし言葉に出来ずにいることを、ここまできっちり書かれると、もうすっかり感心してしまい、気持ちがいい。

・購入物:葛西善蔵(阿部昭・編)「葛西善蔵随想集」(福武文庫)古書
     文学界2月号(文藝春秋)
     文楽プログラム

・朝食:ごはん、鮭、ゆで卵、梅干し
 昼食:コペンハーベストで買ったポテトサラダのパン、リンゴ一個。文楽劇場のロビーで食べる
 夕食:鶏雑炊、めざし、麦酒


フクダ |MAIL

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