ひとりびっち・R...びーち

 

 

画の中の家庭 - 2001年07月22日(日)

 昨日(7月21日付)の朝刊、上野精養軒と東京工学院の広告に挟まれるように載っていた死亡欄に目が止まった。
 
 諸井薫さんが亡くなっていた。

 肩書きは「作家・出版プロデューサー」、享年70歳。

 記事にあった主な著書、『男の流儀』、『男の止まり木』 などは読んだことがなかった。
 どうも、タイトルに「男」とか「女」が使われている本は、無意識のうちに避ける傾向があるらしい。
 キューリのキューちゃんの“男の味”という漬物は好物なのだが・・・。

 諸井さんの著書では、 『侠気(おとこぎ)について』 という文庫本が、けっこう好きだったことを思い出す。
 すでに処分して手元にないので、出版社も覚えていないし、引用もできないが、毘沙門天や昇り龍など、艶やかな柄の半永久シャツをお召しになった方々の話かと思いきや、さにあらず、一見平凡に見える女性たちの生き方の中に、一瞬の「侠気」を垣間見る、といった趣の短編集だった。

 出版プロデューサーとしての業績は、今回の記事で初めて知った。
 いくつかの雑誌の名が連なり、その中に、世界文化社から「家庭画報」を創刊、とある。

 マンガ以外の雑誌をほとんど読まない私だが、美容院で手に取る雑誌が2つだけある。
 ひとつは「流行通信」、もうひとつが「家庭画報」だ。

 どちらも、てるてる坊主拘束状態を、しばし忘れさせてくれる雑誌だ。
 綺麗な写真や洒落たエッセイが載っていて、ちょっとうれしい。

 ちなみに、私は美容院が大嫌いである。
 拘束衣を着せられ、メガネまで取り上げられて、刃物を持った他人が背後に立ち、あげくのはてに金まで払わされるなんて、言語道断だ。

 「家庭画報」は大判で、しかも上等の紙とインクをふんだんに使っているから、頑丈で重い。
 万が一のときは盾に使えるかもしれないし、表紙は刃物に匹敵するほど硬く、しなやかだ。
 というのは冗談としても、あの本を、膝に乗せずに読むのは結構つらい。
 近眼なので、メガネをはずした状態で膝に乗せると字が読めないのだ。
 筋トレもできてラッキー♪ とでも思わないと、やってられないぐらい重いのである。

 学生の頃、とある編集プロダクションのアルバイトをしていた時、5年分の「家庭画報」を収納していた棚が、その重量を支えきれずに落ち、狭い事務所の3分の1が「家庭画報」の表層なだれに埋没するという事件があった。
 下っ端で体力のあった私が復旧作業にあたったが、度重なる2次災害に見舞われ、打撲傷と筋肉痛が1週間続いたほどである。

 まあ、その重量と武器としての有効性はともかく、下手な写真集より美しく、上品かつ重厚な雑誌であることに間違いはないだろう。
 文章の端々にダンディズムが漂う、あの諸井さんが創刊したというのも頷ける。

 しかし、美容院とか歯医者さんじゃなく、工芸やデザインなどの仕事に関係しているわけでもなく、一般の読者としてこの雑誌を定期購読している「家庭」って、いったいどんなところなんだろう、と、いつも考えてしまう。

 そうだ、磯野家はどうだろうか?
 何と言っても、都内の庭付き一戸建て、いまどき贅沢な平屋御殿にお住まいである。
 加えて、隣家の主は小説家という文化の香りが漂う環境だ。

 波平さんの夏の賞与が出たら、今年はあの蜻蛉柄の帯をサザエに譲って、芭蕉布の夏帯でも新調しようかしらねぇ・・・なんて、詰碁を並べている波平さんの横で、季節のキモノの装いや1点モノの器が載ったグラヴィアの頁を繰っている舟さん・・・。
 
 うーん、なんかピンとこないなぁ。

 「磯野家」 と 「家庭画報」 は、私にとって 「画の中の家庭」 の双璧なんだけど、合わせ技にはちと無理があるみたい。
 納豆とフォアグラを一緒に食べてみましょう、っていう感じなのかな?

 あれれ? でも、それって、どっちも私が苦手な食べ物じゃん。
 結局どっちにも縁がないってことなのかもね。

 まあいいや、とりあえず、朝の残りのコーヒーでアイス・オ・レを作って、ベビーチーズとリッツクラッカーで、おやつにしようっと。

 ・・・・・・・

 つつしんで、諸井薫さんのご冥福をお祈りしたいと思います。




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