2004年02月10日(火)
どうしても、書くよ。書く。コメ・ニコラ。
パンナコッタちゃん以外の人には、 誰にも言わずに出かけた講演会。 わざわざ、九段下まで。5,000円で。
それは、奥山貴宏さんの、講演会。 奥山さんは、「31歳 ガン漂流」の著者です。
コメ・ニコラが奥山さんのことを知ったのは、 朝日新聞で。 「31歳 ガン漂流」というのは、 フリーライターの奥山さんがWEB上に書いた ダイアリーをまとめたもの。 奥山さんのサイトteknix
ご本人曰く、営業用に書いていたのだが、 病気のこともカミングアウトした、そうです。 先輩に、自分の病気をネタにして、書くぐらいで なくてどうする、と、叱咤されて。
でも、内容は…というと。 普通の闘病記、いわゆるお涙ちょうだい系とは 全然違うもの。普通にお下品だったり、 するわけです。さすが、若さ…か!?
1週間ぐらい前のダイアリーに講演会のことが 紹介されていたので、つい申し込んでしまった コメ・ニコラなのです。 奥山さんの書く文章は、強い。固い。ごつごつした 手触りがある。 本人に会ってみたい!という素朴な気持ちから 申し込みました。
講演のタイトルは 「余命2年を宣告された僕は、はたして不幸なのか?」
「(余命2年て言われた後に)ジーンズを買いに 言ったら、店員さんに『2年ぐらいで馴染みます よぉ』と言われて、まっさお」 とか、奥山さんの言葉は魂をわしづかみに しつつ、笑わせること、笑わせること。
ご本人曰く 「自分が自分であることを、病気になったぐらいで 明け渡せない。それに対しては、命をかける」 とか、 中学生に、『この本で社会に何を訴えかけたいですか?』 と、きかれて、考えたのは 「かっこつけたい。俺は平気だぜというのを訴えたい。 常に自分自身であり続けたい。自分が自分であることを 守るためには、犠牲も必要」ということ、とか。
いや、真面目な話をしているんだけれど、 そのはしばしに、ユーモアが混ざるんですね。 書く時よりも「ごつさ」が薄れて、楽しくて でも、ぐっと心をつかむ人、という印象です。
そう、「かっこつけてる」のが、 かっこいい人、なんです。 「かっこつけてる」のが見えれば見えるほど、 ほんとにかっこいい、と、思わせる人。
「『時間がない』『お金がない』は、これさえ 言ってれば何もしないことが正当化される魔法の フレーズ。」 「『只今が其時。其時が只今也』という気持ちで いるから、今死んでもいいと思えている」 などなど、 心臓にそのまま突き刺さる、言葉の数々。
普通の生活に幸せを感じて、生きている、 という奥山さんの言葉に 切なさをものすごく感じるコメ・ニコラ、 なのですが。
でも、それは、健康な人には わからない、こと。 想像でしかない。わかんなくていいと思う、と。
会場は、本当に狭くて たった50人ぐらいしか入れない場所で、 2時間以上、立ったまま 講演をしていた奥山さん。 やせてるし、時々咳き込んでるし、 すごく疲れた様子で、大丈夫だろうかと 心配になりました。
コメ・ニコラは、色々な人たちを誘わないで 一人で来てしまったことを後悔しました。 すごく、すごく、すごく 感じるところのある話だった。 もっともっと、たくさんの人に聞かせたい 話だった。
会場には、奥山さんと同じ病気なんです という方も何人もいらっしゃってました。 帰りに話をした方も、ご本人もお嬢さんも 病気を患ったとおっしゃっていました。
でもね、今、例え健康だったとしても、 人生には限りがあるんです。 一度、お医者さんから『今晩が山場です』 宣言をされたことのあるコメ・ニコラには やっぱりいつかは死ぬんだ、という考えが どっかにある。
そのことを、意識して生きているのか、どうか。
それを目の前につきつけられてしまった ことの痛みを、 きっとわかることなんて、できない。 今の、コメ・ニコラ。
でも。やっぱり。 奥山さんの言葉には、魂に手を突っ込んで 魂の奥歯をがたがた言わせるような 荒削りな力があって。
おまえ、ほんとに、ちゃんと 自分のやりたいことやってんのかよ。 自分じゃないとできないこと、 ちゃんと、やってんのかよ。 生きてるってことを、隅々まで味わってるかよ。 毎日ご飯食べられるのが どんなに幸せか、わかってんのかよ、と。
笑いながら、でも、真剣に 問いかけながら。
俺はこれだけかっこつけてるけど、 君はどうなのよ?と、たたみこまれながら。
君のピンチなんて、ピンチじゃねぇ、と 罵倒されながら。
あぁ、でも神様。 奥山さんには 1日でも長く生きてほしいです。
小説を完成させて、 ベストセラーにしてほしいです。
一人でも多くの人に 奥山さんの話を聞いてほしいです。
奥山さんの講演を主催した「私には夢がある」のサイトです。
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