9/27からの連載になっています。まずは27日の「いってきます。」からご覧ください。
旅に出て1ヶ月と12日目。 わたしはペッパー博士に出会った。 本名かあだ名か偽名か知らないが、ペッパー博士は初めて会ったとき 「わたしがペッパー博士である。」 と言い放った。(聞いてもいないのに。) なのでわたしも街のみんなが呼ぶように、彼を「ペッパー博士」と呼んでいる。
ペッパー博士は、いつもくるぶしまでの長さの白衣を身にまとい 昔のホウキのような寝癖がついた髪型をしていて 六角形の形をしためがねをつけていた。
ペッパー博士が暮らす家は、街外れの丘の上。 ペッパー博士が自力で建てた3階建てのその家は すべてが丸みを帯びていて、なんとなく斜めになっていた。 つぎはぎだらけで、窓はざっと数えて16個。 煙突はトイレットペーパーの芯ほどの大きさのものも入れて7個あった。 ドアは1階2階3階全てについていたが、玄関以外何に使うのか見当もつかない。
煙突からは四六時中、緑色や紫色の煙がもくもくと湧き出ていた。
「見るからに体に悪そうな煙ですね。」 わたしがそう言うと、ペッパー博士はめがねのずれを直しつつ 「そんなことはない!この煙はオゾンを直すのだ。科学よ天晴れじゃ!」 と咳払いを混ぜながら言ってのけた。 わたしは失礼だがその時(うわぁ、なんて胡散臭いおっさんだ。)と思った。
だがペッパー博士の発明するものはすぐに好きになった。 空を飛ぶブーツに、美味しくクッキーを焼けるオーブン。 美味しいお茶をいれることが出来るティーセット。 どれもこれも、あんまり役に立ちそうもないところがいい。わくわくする。 わたしがそう言うと、ペッパー博士はそれは浪漫だと教えてくれた。 いまいち分からなかったが、わたしは頷いて微笑んだ。 ペッパー博士は照れくさそうに咳払いをした。
「独創性、オリジナリティー、探究心、ユニーク、答えを追い求める精神力、 操作性、発想、スパイスにほんの少しの遊び心。それすなわち科学!」
ペッパー博士は、発明品を紹介するとき、かならずこの言葉を口にする。 とても力強く、自信たっぷりに、けっして傲慢そうにではなく。 わたしは呪文のようなその言葉が好きだった。 わたしは一週間とちょっとその街で過ごした。 毎日博士の不思議な研究所に足を運んで、博士の呪文を聞きながら たいして役に立ちそうもない浪漫溢れる発明物を眺めた。
柔らかな日差しが零れてくる、穏やかな午後。 わたしはこの街を旅立つことを決めた。
「おお、行くのか。」 「うん。お元気で、ペッパー博士。」 「それがいい。あらゆるところに埋まっているものを自分の目で見る。すばらしいことだ。」
ペッパー博士はそういうと、思い出したように「おぉ」と言い 机の引き出しの中をがさがさと漁り始めた。
「もしかしてお土産ですか。」 「そうだ、科学をプレゼントしよう。」 「うれしい。わたし、あのティーセットが欲しいです。」 「それはいかん、あれはすばらしい出来だからもったいない。きみにはこれをやろう。」
と、博士がわたしに手渡したのは、小さなビンに入った藍色のインクだった。 振ってみると、ビンの底に沈殿していた銀色の粉がきらきらと舞う。 まるで、夜空に浮かぶ星空のようだった。
「きれいなインク。」 「そうだろう。」 「もしかして、水にぬれても滲まないとかいうすばらしいインクですか。」 「惜しいがその逆だ。何を書いても滲む。」 「失敗作じゃないですか。」 「そうだ、失敗作だ。」
わたしは思わず眉間にしわをよせてしまった。 だが博士は自信たっぷりに、人差し指を立てにやりと笑う。
「きみならこの失敗作をいつか幸せへと変えることができるだろう。」 「はぁ。」 「それを見つけるための旅だ。科学が幸せへと導く。すばらしい!土産話を楽しみにしているよ。」
なんとなく上手く言いくるめられたような気がしたが わたしはなんとなく納得して、インクを受け取った。
こうしてわたしはまた次の土地へと旅立った。 ペッパー博士の呪文のような口癖と、失敗作のインクと 浪漫とかいうものを、胸に抱いて。
「それすなわち幸福!」
ペッパー博士の口癖がうつってしまったのは、言うまでもなく。
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誄さんからのお題「インク」より。
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