9/27からの連載になっています。まずは27日の「いってきます。」からご覧ください。
旅に出て6ヶ月と2日目。 わたしは、その土地に着いて早々、みずたまりに落ちた。 はまったのではなく落ちたのである。 時間はさかのぼって、20分前。
前日の雨はすごいものだった。 地面にはいたるところにみずまたり。
「ねー、出発明日にしない?やーよ、泥だらけになるなんて。」 「だめよ。ただでさえ、雨で丸一日宿で過ごしたんだから。」 「あーあ、わたしこの道通り過ぎたころには茶猫になってるわ。」
ぶつくさ言う猫を放っておいて、わたしは道を歩き始める。 と、一泊した宿の、ちょっとふとっちょの女主人が大声で
「みずたまりには気をつけるんだよー!」
と叫んだ。 わたしは大げさだなぁと思いながら
「ありがとうございますー!」
と叫び返した。 その20分後、わたしは大きな大きなみずたまりに 興味本位で足を突っ込み、叫ぶまもなく、おっこってしまった。 みずたまりの底には、大きな大きな穴が開いていたのだ。
「なにやってんのよ。」
上のほうから猫の声がぐわんぐわんと、壁に反射されながらわたしに届く。 みずたまりから落ちたその穴は、とても広くそして、結構明るかった。
「結構広いよー。落ちておいで。」 「あほか。そこで暮らしとけ。」 「えー。」 「わたしはちょっとその辺で昼寝でもするわ。」 「おーい。」
その言葉と、あくびを最後に猫の声は聞こえなくなってしまった。 わたしは仕方なしに、上に戻る方法を探してみる。 すると目の前に看板があった。 『みずたまり喫茶 コッチ→』 わたしは迷わず右に進んだ。
「いらっしゃい。おや、上の人かい。」
みずたまり喫茶の店主は、カエルのような顔をしていた。 わたしはおずおずと近づいて、カウンターのほうに腰掛ける。
「みずたまりから落ちたの。」 「雨の次の日はここと上がつながる扉が開くんだ。それをみずたまりで隠してるのさ。」 「へー。」 「たまにあんたみたいな間抜けがやってくるけどね。」
そう言って、カエル顔の店主は布巾でコップをきゅきゅっと拭いた。
「なにか食べるかい?たぶん口に合うものはないけど。」 「どんなものがあるの?」 「ミミズのスープに、芋虫のソテー、トカゲの尻尾のオーブン焼き…」 「ストップ、分かったわ。」 「おや、そうかい。」
店主はにやりと笑った。 どうやらあんまり歓迎されてないらしい。
「上へ戻るにはどうしたらいいのかしら?」 「あそこにはしごがある、あそこから戻るといい。」 「どうもありがとう。」 「いいや、もう落ちてこないように気をつけな。ここはあんたらから隠れるために作られた国。」 「そう。」 「あぁ、上手く共存しようぜ。」 「そうね。」
そう言って、わたしは店主に背を向けた。 よいしょとはしごを上りきると、おてんとさまの光が目に染みた。 まわりを見渡すと、木陰で猫が寝ていた。 近づくと、気配に気づいたのか薄く目を開ける。 そして気持ちよさそうに伸びをした。
「おかえり。」 「ただいま。」 「どうだった?」 「とても熱烈な歓迎を受けたわ。」 「ふうん。」 「世界について考えさせられる有意義な5分間でもあったわよ。」 「あ、そ。」
興味なさそうに、猫は立ち上がって歩き始めた。 わたしもその後をついていく。 この地面の下にだって、わたしの知らない生き方がある。 そしてきっと知らない形の幸せがある。
今度は手土産のひとつでも持って、みずたまりにとびこもう。 きっとカエル顔の店主は嫌な顔をして、わたしに泥水でも勧めるだろう。
---- 響さんからのお題「みずたまり」より。
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