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7月7日は父の命日です。 私は父の死を新聞で知りました。 その日私はボランティアで東京に行かなければならず、出掛けにざっと目を通した新聞のお悔やみ欄に父の死は載っていました。 急死だったようです。
ほんと、東京に行く新幹線の中では、まぁ、あー、んーそうなんだぁ、という気分もありました。 でもやはり最期の顔は見ておかなきゃだよなぁと思いだして、東京の会議を途中で退席して帰りの新幹線に乗りました。 この辺のことは以前にこの日記に書いたことなので(今は残ってませんが)割愛するとして、結局私は父の最期の顔を見ることが出来ませんでした。 向こうの奥さんの猛反対絶拒絶に遭って。
未だにどこのお墓に眠っているのかも分からないので、線香すら上げていません。 どこのお寺さんなのかは分かっていたので、そこの住職に聞いたりもしたのですが、分からずじまいでした。
ただ。 この七夕の時に亡くなったのは、おりひめとひこぼしよろしく、先に黄泉の世界に行った母とずっと一緒にいたくなったんだろうなぁ、だから生き急いで昇天したんだろうなぁと思っています。
たまたま母と父は、タイミングがずれて出会った。 そして、私が生まれた。 不倫とか、私生児とか、なんか低俗な表現をされるけど、愛する気持ちが純であればその結果もまた純でしょう。 そうでも思わなきゃ私は自分の存在を肯定できなかった面も過去にはありましたが、今はふたりの永久の愛を喜んでいます。 そんな七夕です。
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