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2003年08月06日(水) 夏 長崎から

 昨日の続きみたいになりますが、ニッポンの話。

 今日は広島に原爆が落とされた日。
 長崎では、さだまさしが、「夏 長崎から」を今年もやりました。17回目です。
 この催し、批判もあるようです。
 「あれだけの人が集まるのに、音楽会だけで終わるのは勿体ない」
 「主張がハッキリしない」
 でも、違うんですよね。趣旨が。
 「夏 長崎から」は、「広島の日に長崎で」が主題。
 「夏 長崎から」は、平和を考えるための玄関。
 夕涼みがてらふらっと来てほしいコンサート。
 だから、玄関を入ったら、あとは自分で奥へ進む。いや、進んでほしいと願う。
 主催者は、この思い伝われと願う。
 原爆、平和、戦争、それらのキーワードを以ってアジテートするのではなく、平和を考える玄関を通ってもらい、それぞれが平和をみつめてほしい、その思いだけ。
 でも、それぞれが平和を見つめることがどれだけ大事か。平和をちょっと立ち止まって考えることがどれだけの意味を持つか。
 これがもの凄く大事なんですよ。

 反核運動のための集会。平和を考えるための集い。大事です。
 ただ、回を重ねると専門家の集まりになり、専門家の中で派閥が出来、その派閥間で意見の相違から小競り合いが起こる。
 このナンセンスさ。
 だから、「夏 長崎から」なんです。
 誰にも玄関を開放し、もちろんタダで、中は自由。
 ひとつの願いは、何かをここで感じてもらえたなら… 考えるきっかけになってくれたなら…

 会場での母子の会話。
 「どうしてこんなに人が一杯いるの?」と子供。
 「今日はね、平和を考える日だからよ」とお母さん。
 「平和って分かる?」とお母さんが子供に尋ねれば、
 「わからない」と子供。
 お母さんは言いました。
 「いい?こんなに沢山の人が集まって、良い音楽を聴くということが、平和、なのよ」

 この子に、本当の意味でお母さんの思いが伝わるのは先のことかもしれません。
 でも、誰でもない母に言われた、教えられたこの言葉が生きてくる日はきっと来ますよ。そう信じていいと思う。
 ひとり一人が、こんな形で、平和を考える時を持てることの平和を、大事にし守るのが私たちの役目だと思うのです。

 ニッポンに住む自分について、もっと考えてもいいよね。自然にさ。

 私、小学校5年生からさだまさしのファンなんです。
 考えればファン暦25年。4半世紀。おおぉ!
 ものの考え方では、かなり影響を受けてますね。
 どうしてもお会いしたい人のひとりです。
 願えば叶うよね。?






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