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今日は、支援費制度の中で行われている「移動介護サービス」についての講義を受けてきました。これから毎週土曜日、あと3回この講習を受けます。 ホントは、別に受けるまでもなく分かっていることだったりするのですが、公的な講習を受けないと制度の中で動く人間になれないので、この機会に受けておくかぁとの軽い思いです。
でも、行って良かったです。 俺が「障害」とか「障碍」とか「障がい」とかという言葉と出会って20年くらいになりますが、当時はこれらの言葉に対する世間のイメージはもっともっと閉鎖的で、お涙頂戴的で、無理解で、インチキでしたが、本当にこの20年で変わったんだなぁと実感できましたから。 このね、ショウガイって言葉。上で書いたように、現在は3つの表記で表されることが多くなりました。 「障害」厚労省が使う言葉。 「障碍」ハンデを持つ方々が使うことが多い言葉。 「障がい」同じく、ハンデを持つ方々が使うことが多い言葉ですが、俺の住む市では通達文などでも最近はこの表記が使われ出しました。 何が違うのか? 「障害」は、自分の内部に差し障りがあること。 「障碍」は、自分の外部に差し障りがあること。 例をとれば、三島由紀夫は自著で「障碍物競走」(競馬)と使っています。 ビルの階段を登れないのは、あなたの足に問題があるから。これ、障害。 ビルの階段を登れないのは、階段にスロープが設置されていないから。これ、障碍。 俺はね、正直そんなのどうでもいいんじゃないの、と思っています。これは単なる便宜上の言葉だから。 でも、言葉は生き物だから、ここから変わっていくことも当然あるから、こだわる人がいて当然とも思っています。 で、そんな話を、雑談レベルでできる社会になりつつある現状に喜んでいます。 問題はそんなところに留まっていないのだから。 言葉で差別するな!じゃないの。障害を持っていようがいまいが、どう自分を社会の中で生かしているかの問題だから。何をやっているか、やろうとしているかが大事で、やる前に「言葉が!」といきり立っているのでは何も始まらない。 これは20年前から全く変わっていない俺の自論。 そしていまは、支援費という名称でも分かるように、自分ひとりではこの部分はどうしてもやり切れないから、公的な助成として面倒見てくれと申告する時代が始まったのです。 いままでは、お上から知らされて受けていたサービスを、これからは自分で申請をして受ける。しかも支援する人間の育成も運用も民間主導へとどんどん変化している。いい事じゃないですか。 もちろん、だからそこには悪徳な新規参入業者もいます。出てきます。でもそれは資本主義社会である以上避けては通れないこと。選択する目もまた受益者がしっかり持てばいいだけ。 自分達で何が出来て、何がやりたくて、その末に何があるのかを身をもって確認できる社会。 おもしろくなってきましたね。笑
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