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終戦の日。 - 2001年08月15日(水) ひととひととが殺し合いをすることが 国の方針として認められていた時代がありました。 普通のひとが無抵抗のひとを ひどくむごい方法で殺してしまったことがありました。 それは、ひとりひとりを責めるには あまりにも大きな罪でした。 殺されたひとを知るひとは 今も殺したひとを憎んでいて、 それは殺したひと個人への憎しみではなく そのひとの国を、 そのひとの国のひとを、 みんな憎んでしまうほどの大きな罪でした。 でもあのころ 殺したひとには殺された家族がありました。 死にたくはなかったのに 死なせたくはなかったのに 死への道行きを選んだひとがいて 死への道行きを見送らざるを得なかったひとがいました。 殺されたひとを知るひとが 殺したひとと同じ国のひとを 私刑に処したことだってありました。 あの時代、 辛い思いを全くしなかったひと 戦うことを心からよろこんでいたひと 哀しまなかったひと 泣かなかったひと 傷付けられなかったひと 裏切られなかったひと 裏切らなかったひと ・・・は、いなかったのではないのでしょうか。 いまさらどうして どちらかが正しく どちらかが悪だったと言えるでしょう。 あの時代に 何も誰も傷付けなかったひとなど いなかったのだと思うのです。 でもそれは、 ひとりひとりの力では 止めることの出来ない大きななにかが ひとびとを取り巻いていたせいだと思うのです。 わたしは どんなことがあったにせよ あのとき 命を落としたひとを悼む、 そのことをとやかくいうこと自体 非常にナンセンスなことだと思う。 亡くなったひとを悼むことと 過去の罪を悔い改めていないことは まったくべつのこと。 そして 過去の罪を悔い改めることとは お金を払うことでもなく 謝罪の言葉を述べることでもなく 2度と、同じ過ちを繰り返さないことなのではないの? 争わない 武器を持たない 力を持って圧することをしない こういうことを求めずして 謝罪の言葉だけを求める国も 頑として罪を教育しない国も どちらもほんとうは 大義名分があれば ひとはひとを殺していいと 言ってしまえる国なんだろう。 結核を患い 徴集を免れたわたしの祖父は 反戦を思い 書物を読んで戦時下を過ごし、 空襲で家財も蓄えも尽きた中で 本と勉強に関しては 子供たちに不自由をさせないように苦心した。 祖父の口から直接に 戦争の話も戦後の苦労も 1度も聴いたことがないのは、 反戦の気持ちを持ちながらも 行動には出せなかったことや 周囲が死地へ赴く中で ひとり残って生きたことが 持たなくてもいい負い目となって 祖父の心を重くしたせいだったのだと思う。 そんなひとを、もう、うみだしちゃだめなんだ。 ...
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