ユキマークブック。...ゆき

 

 

Go!

ギフト。 - 2002年02月08日(金)

この間からね、悩んでいることがある。
ギフトという気持ちの伝え方。

好意で教えてあげたことを
あっさり別の人に教えられたら
裏切られた気持ちがしないかな。
好意で差し上げたものを
さくっとダビングして他の人にあげられたら
イヤな気持ちにならないかな。
私って、心が狭いのかな。

悩んでいるのは、かなしいかな、
大好きなあの3人組絡みなんだけど、
ギフトって難しいよね。と思うわけなのだ。

あの3人組、
なにしろ大好き具合が尋常じゃないので
あれこれと持っていたり残してあったりして
誰かが、
「見たいなあ」
「聴きたいなあ」
「欲しいなあ」
「知りたいなあ」って言ってたら
ダビングやコピーやメールやらで、
役に立ってあげたいな、という気持ちになる。
でも、それは、私の気持ち的にはギフトなのだ。

貴重な物の場合だってあるし
それを私が手に入れるまでの手間だとか
時間だとかいやらしく聞こえるかもだけどお金とか
加えてその人の手元に届けるための
手間だとか時間だとかお金だとか
そういったことが背後にたーくさんかかっているわけよ。
そんなに簡単に、当たり前のように
受け取って欲しくないわけさ。

英語の厳密な意味とは違うけれど、
私の中ではプレゼントとギフトはちょっと意味が違って
プレゼントはモノそのものを指してたり
なんらかのイベントや気持ちがメインにあって
それに付属するかのように存在してる気がする。
だから、イベントや気持ちが
プレゼントの形をとっているだけで
嬉しく、楽しいのはそのイベントであり、気持ちだ。

でもギフトは、
あるモノをその人にあげたいなあ、と思って
そのために必死で探し歩いたりだとか
すごく時間をかけて用意したりだとか
手間を惜しまず梱包したりだとか
モノがメインで
付属としていろんな苦労や気持ちがくっついてる。
で、受け取る人は
「あ〜、きっと楽しく選んでくれたんだろうな♪」とか
「このラッピング、凝ってくれてるなあ」とか
そういうところも分かった上で
「嬉しい」「ありがとう」って思う。

少なくとも、私はそう。

で、そんな気持ちでですね、
こういうのもきっとすごく知りたいだろうな、とか、
聞き逃したのかー、残念だろうな、とか、
そう思って、じゃあ、私で役に立てるなら、と思うのに、
送った相手がしばらくして
また何かを
「ダビングして下さい!」
「お礼に○○○を差し上げます!」って、
それこないだ私があげたやつじゃん!!
…こんなことで悲しくなるのは心が狭いのかしら。

私は、少なくとも、
人にお願いして、
そのかたが手間を尽くして譲って下さったものは
さらに別の人にあげたりしてない。
それが、ダビングやコピーなど
現物をそのまま渡す場合じゃなくても。

どうしてもお譲りしたい場合は
ご本人に了承をとる。
それが無理なら譲る相手に
どなたから頂いたものかお伝えするけどなあ。

ほんとうは
もっと気軽にギフトをやり取りしたい。
喜んでもらって
一緒に楽しみたい。
それなのに、ギフトがギフトとして
ちゃんと受け取ってもらえなかったり、
ギフトを贈ると「優しい人だね」などと
意味不明なコメントを隠れ蓑に
もっともっとと次をせがまれたり。
悲しくなってギフトを贈る気持ちがしぼんじゃう。

こういう日誌を書くと心を痛める方々がいて、
でもその方たちは
いつも私のギフトを喜んで下さって
そしてまた私が贈りたいなあと
思ってる方々なんですよねえ、きっと。

・・・ごめんね。あなたがたのことじゃないんですよ。




...

Back!



 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home