元妖怪人間より。〜妖怪時代〜 - 2002年09月12日(木) ええと・・・?2ヶ月ぶりくらいになるのかな? 仕事に行き詰まって この日記すら書けなくなったのは2度目だけれど。 一体何をしていたのか 人でなくなっていた時期に迷惑をかけた人のためにも 書き留めておくことは意味のあることかもしれない。 →その1 仕事が忙しくなりだしたのは 確か3月だったとそれだけ執拗に憶えてる。 なんであの時期から忙しくなったのだったか。 転勤してきて1年が過ぎて 少しは人に指示も出来るようになって バイトの子から質問攻めにあうようになったせいだったのか。 忙しいのはさほど苦にならない。 暇ですることがないよりマシ。 でも、それがずっと続くことによって 気付かないうちに段々追い詰められたのだと思う。 5月の勤務表を締めていて 23時前に退社した日が体調の悪かった1日しかなかったこと。 それが、ちょうど誕生日当日のことだったり。 そのあたりから少し疲れ始めていたのかもしれない。 やっている仕事はできないことのほうが多くて 資料を作っても作ってもFBの繰り返し。 多分本人にその意識はないけど 上司には上目遣いに見詰めながら報告を聞く癖があって、 打たれ弱い私はそれすらも苦痛になる。 試されているような気がして、 そして1度として合格することはないのだ。 私はここにいていいのか? お給料をもらうに値する仕事が出来てないんじゃないか? そう思うから残業の申請なんて言い出せない。 でもタクシー代はばかにならない。 シャワーを浴びれば3時になる。 どんなに急いだって、髪を乾かしてるだけで3時半。 翌朝は9時半の始業ギリギリにタイムカードを押せるよう 8時半にやっとのことで身体をベッドから剥がす。 最初は吐きそうなくらい食べた。 食事を作る時間はないし、 大体スーパーが開いてない。 知っている中で1番遅いスーパーでさえ 2時には閉まってしまうのだ。冷蔵庫は空っぽ。 毎日コンビニによって帰る。 出来合いの麺類やお弁当。 好き嫌いが多いので選択肢はとても少ないなか、 2つ3つとカゴに放り込む。 そして凄い早さで食べてしまう。 早く眠りたいから。おなかが空いた感覚はないまま。 そして7月に入り、大型の業務が追加になった。 8月の運用開始を目指して耐えてきたのに また振り出しに戻ったのだ。 しかも、8月中旬までは大型業務を2つ並行して進めることになる。 通常業務もこなして、バイトの子の面倒も随時見て・・・。 壊れ始めたのは7月中旬。 神経過敏になってしまって、 FBとさえ呼べないような指示ひとつに 涙がこぼれそうになってしまう。 個室に逃げ込んで、泣いて、顔を洗って、仕事して。 そんな中で目標設定の面談があった。 半期で自分が達成する目標を決める。 会社にとって利益となる、数値で結果が測れる目標。 100%達成できて普通のひと。 120%でちょっといいひと、150%だしてちゃんとできたひと。 80%でだめなひと、60%なんて転職考えたら?ってレベルだ。 今の時点で50%もできてません。 9月になにか成果を出せるなんてとても思えない。 明日やるべきことさえ、できるかどうかさえ分からない。 10%だって、1%だって、達成できる自信のある目標なんてない。 30分の予定だった面談は2時間を超え、 私はミーティングスペースでぼろぼろと泣いた。 1度崩れてしまうと、制御は利かなかった。 さらに過敏になり、本人の意識とは関係なく涙腺はすぐに緩む。 上司もさぞFBがしにくかったと思う。 先輩たちは仕事も頼みづらくなって、 その分先輩たちもぱんぱんになっていただろうと分かる。 分かるから自分がさらに嫌になる。 いなくなってしまいたかった。 鞄を持っているのに声をかけられる。 バイトならともかくその上に立つパートの人だ。 それでも私は鞄を置いて、丁寧に回答したつもりだったのに かちんと来るようなことを言われて思わず言い返した。 正社員のとるべき態度ではなかったと思う。 でもその日、7月に入って3枚目のライブチケットが ただの紙くずになったのだ。 休日だからととった2枚のチケットが 急な出張と、休日出勤でだめになった。 月に一度くらい、定時で帰っても許されると思ってとった、 3枚目のチケットだった。 彼女の言い分はこうだ。 「私ができてないのは分かってます。 でもこんなに頑張っているんだからしょうがないじゃないですか」 頑張ってるだけでミスが許されるなら、 頑張っても達成できない自分に腹を立てて なんとかしようと更に頑張ってる私はなんなのか。 私は同じ状況で自分を1番憎んでいるのに 彼女は同じ状況で周囲を憎んでいるように受け取れた。 正社員だから我慢して、理を説くだけの余裕はなかった。 でも、また、そんな自分が嫌になった。 自分で死ねると思っていないから、 その方法は思うだけで実行するつもりはなかったけど 生きて居たくなかった。 交通事故が起こるなら、私のところでと思ったし、 雷が落ちるのも、なぜ私でなくあの人なのかと思った。 人を殺してみたい少年が居るなら 生きていたいその辺の人ではなくて ぜひ私を狙えばいいと思っていた。 どうしたって悲しまれるなら比較論として 自殺以外の方法で死んだほうがいいだろうと。そればかり。 何をする気も起こらなくて 洗濯も必要最低限、ものすごく時間をかけてやる。 掃除なんてとても出来ない。 部屋の中はひどい状況だった。 休日の私はクーラーをかけた暗い部屋で カーテンも開けず、温かいベッドの中で殻に閉じこもるように ひたすら浅い眠りを断続的に繰り返していた。 そして、ものが食べられなくなった。 ...
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