Diary




2001年07月30日(月)
抽象 / ***

 もう一度書いておこう。
 身近な人々にとって一番リアルなのは実際会って喋る私の姿なのだから。
 そこに信を置けばそれでよいでしょう、私に関してはそう思ってくださいね。
 そう思ってくれるだろうと半ば勝手に周囲の皆さんを信用しているので、色々書いているわけなのですよ。

 人間は投機的存在だ。
 最近はひとつ、そつなく生きることを放棄していこうかと思っている。
 いっそ開き直って周囲の皆さんに迷惑もかけながら生きていこうかと、そう思っている。

 少なくとも10代の間は、日々自己を革新してぶっ飛ばして生きてくから。そうやって生きてくから。

 わたしは、いま、しあわせ。


 しかしそうか、考えてみれば10年前は私は小学校3年生か。
 10年で、そこまで戻るのか。
 苦笑せざるをえない。いっそ泣いても良いくらいだ。
 時間の不可逆性を、呪う位に愛するとしよう。





 アルコール入れたら思考が垂れ流し状態になってきた。

 さて。私は一体何を最も大切にしたいのであろうか。
 夏めいてる自分はなんだかただの自制の足りないバカ女に成り下がっていて。
 日記。個人的な手記であることは確かだが、こうネットに載せて公開しているからには、またそれなりにこの日記の在り方というものは必要になってくるのであろう。
 人に読まれることを意識することで、書ける事柄もあるし書けなくなる事柄もある。
 パソに向かってキーボードに指を乗せた、そのときの私の言葉でしかないわけだ。それにしか過ぎないわけだ。……いや、そんなこというのは完璧に逃げか。(苦笑)
 言うのなら、言う言葉には責任を持て。……そう、自分に言い聞かす。
 あんまり言い聞かすと強迫観念的にがんじがらめになってもしまうので、まぁ其処は臨機応変に。
 でも、一応私はここで書く言葉には責任を持とうと思う。具体的に何というわけではないけれど。
 poetの意地として。(笑)
 言葉一つ一つは意志を込めて選び取るものだ。
 それにしても私は一体何を最も大切にしたいのかなぁ。


 独りで生きていく覚悟。でも、独りで生きていかない覚悟というのも同じくらい重いはずだ。
 他人の中で生きていく覚悟。
 それを「覚悟」として意識しなくても、十分生きていけるのかもしれないのかな。
 でもなぁ。私はどちらかといえば、いちいちきちんと見て定義して考えて選び取って自覚して、生きていきたい性質なのだ。
 それを強迫観念的と呼ぶなら呼ぶがいい。(笑)
 何気ないことが、あぁ、如何に大事か。如何に大事か。本当に、切に切に。


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