Diary




2001年10月05日(金)
さちこ。

 あーーーー。


 泣くことは、怒りの発散手段としてはやはり最適な物なのではない。
 自己の中に沈殿されていく。熱いどろどろとした固まりのまま、むりやりこぼしてとかして沈めて。
 負荷が大きい。より処理しにくい物に変化する。
 それではつらい。現在もつらいし後もつらい。
 でも、どう処理するのが適切なのだろう。
 適切な方法が、一番きれいに吹っ飛ばしてしまえる発散手段が、私わからないよ。


 誰も私から何も奪うな。
 私から時間を奪うな。私の時間を奪うな。
──そう、思うこともある。


 うん、私はどちらかといえば、物事は微分化して考える方だな。
 微分化というか、物理学的な思考とも言えるかしら……。空気抵抗やなんか、様々な力の働いた結果としての現実の運動の中から、おのおのの力を抽出して考えることが出来るとか、そういう感じで。
 でもそれだけじゃやはり弱くて、だからそれにそれにプラスして、個々の基本的な現象を重ね合わせた後の全体の振る舞いのダイナミクスというかそういうのをまた捉えて考察することもできるようにありたいなぁ。


 科学は、科学それ自体を内省することは少ない。
 だから私は哲学もおおいに知りたいと思うわ。
 だってまず「考えること」について考えずにして、「考えること」を行うのは、片手落ちである、でしょう?


 そういえば、私が初めて哲学に興味を持ったのは、うーん。小学校三年の時かなぁ。
 理由は大笑いだよ。 当時すきだった初恋の人の名前に、哲学の哲の文字が含まれていた、から。
 それに依っては哲学がどういう学問なのかもほぼ全く知らなかった。ふふ、うん。大笑いだな。(笑)

 でもよくよく思えば、それとは知らずに、実質的に哲学と言えるような物をリアライズし出したのもその小学三年の頃であったろうな。
 小学三年のクリスマス頃に、ミヒャエルエンデのモモを読んだ。それによってだろう、私は「考える」と言うことをそこはかとなくリアライズした。
 それって今思えば、とてもtinyだけど、哲学かなぁ、と思う。
 はてしない物語も、ジムボタンも読んだけれど、モモが一番すきかなぁ。一番、何か。何か私を染め上げるものがあった。
 今再読したら、私の内部にどんな化学反応が起こるのだろうかしら。すごく興味深いのだけれど、再読する時間がなかなかない。




 しかし、本当に、何となくだけれど、私が今の私であるということは、細い細い糸を手繰って──本当に簡単に途切れてしまい得た細い細い糸を、手繰って、そしてここにこう在るのだなぁ、と、しみじみしてしまう。
 気の遠くなるほどの運命によって、反応のエネルギールートを転がってきた。そしてここにこう在るのだ。何が一つかけても成り立たない。今の私は成り立たない。もう一度同じように生まれたとしても、無理だろう。無理だろう。間違いなく。
 私が私としてここにこう在るというのは、うん。何ともすごいことであるよ。




 とったものの中で興味深い科目。実験の類。有機II。情報系のやつ。化学。論理学。プラトン。
 頑張ってきたいです。本当に。頑張って、いきたいです。


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