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2006年12月30日(土)  今年最後の驚きはむしろこれかも。/映画批判批判。

PASMOのロボット。
こいつはすごい。
バスにも電車にも変身できることはわかったけど、
名前ないのか、名前。
なんか、いつまでも「ロボット」って呼ぶのは気が引ける。
スピーフィ君は「TX君」でも何の抵抗もないから、
せめてそれくらいの安易なネーミングでいいから名づけてあげてほしい。

よく考えたら、
バスにも電車にも自ら変身できるのに、
PASMOいらないよね。



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mixiにいると、つまらない映画とか今年のワースト作品とか、
自分が見た映画について言いたい放題言っている人たちがいて驚く。むしろ「ひく」。

その作品の、どういうところが面白くなくて、自分はどう感じて、
もう少しここがこうだったら良かったのにと意見しているようなきちんとした人は、ごくわずかだ。
その、ごくわずかの人たちに、何かを言うつもりはない。
たとえその意見に納得できなくても、理解できるかもしれないとは思うから。

だいたい、言いたい放題の域に達していない暴言がほとんど。
大半は、「あれとあれがつまらなかった。最悪。」みたいな人々。
批評家気取りでいるのかもしれないけれど、
作品名を間違えていたり、監督を勘違いしていたり、
「寝た」ばかりでなく「途中退場した」ことをさも当然であるかのように語ったりしている。
つまらないから途中退場したと平気で言い切っているけれど、
途中退場したからつまらなかったのかも、なんて思いもしないのだろうか。
あるいは、俳優が、脚本が、映画の背景が、自分にわからなかったからと言って、
それが誰にとっても面白くないものだというようなものの言い方が、なぜできるのだろうか。
ストーリーや演出の意図がわかりにくいと感じたとき、
なぜ自分にはわからなかったのか、本当はどういう意味があったのか、3分でも考えてみたのだろうか。
悪いところを取り上げて一言でつまらなかったと片付け、
気に入らなかった点だけを挙げて作品や監督をけなすのは、簡単かもしれない。
けれど、私は、そういう風に映画を観るくらいなら、観ないほうがましだと思う。

後から自分の書き込みを読み直して、恥ずかしいと思うような人は、いないのかな。
つまらないものはつまらないと決め付けて、面白さを見つけることを放棄している人は、
そして、もしかしたら面白さがあるんじゃないかということにすら気づいていない人は、
人生において相当な損をしているのではないかと、真剣に思う。
余計なお世話だけれども。

映画に対する姿勢は、人間に向き合う姿勢にも通じる気がする。
自戒の意味も含めて、こういうことはきちんと書いて残しておきたい。


真 |MAIL