1日雑記

2001年03月19日(月) 公人と私人

最近さ、新聞とかを結構読むようになったんですよ。
特に政治欄。いわゆる総理関係の話に少し興味があって。
それでってわけでもないんだけど、ちょっとね。
今の総理の批判は、主に神の国発言から始まってるかと。
その後、失言の連発一気に信用を失い
その上、えひめ丸などの問題もあり
朝日新聞の調査では支持率が一桁に落ち込んだ。
その一方で不支持率が70%ほどに上がっており
何でこれで総理が続けられるのかはっきり言って不思議です。
まぁ、支持率の話はおいといて…
例えば神の国発言。
イロイロ釈明してたけど重要なのはそんなことじゃなくて
もっと直感的に、それを聞いた人間がどう感じるか。
おとなとかだとなんかイロイロ小難しい理論を持ち出したり
よくわからない理論展開をして話をそらせたりと。
そんなんじゃなくて、例えばもし子供とかが聞いて
それをどう理解するかっていうことが大事なんじゃないだろうか?
わけのわからん理論を展開して無理にごまかすなら
最初から非を認めるか、そのことを自分は信念を持っていえる、
位のことをいって欲しいもんだ。
そもそも、ハイ、イイエでこたえられることを
長ったらしく説明する必要がどこにあるのか…。
うん、もしも自分で天皇中心の神の国だって考えるなら
それもいいとは思う。
でもそれは「私人」としての考えとするべきだよ。
「公人」と「私人」。この区別を今の総理は
できてないんじゃないかと思う。
えひめ丸の際、ゴルフ場に居続けたのも
私人として賭けゴルフをしていたからなんではないかと。
断言なんてできないけど。
一説によるとチョコなんて賭けながらゴルフはしない。
賭けないゴルフの試合もない。
それはそれとして「私人」なら問題ないかと。
タテマエはともかくとして、本音の部分がね。
賭けはよくないだろうけど、そこはみんながやってる
暗黙の了解として。
が、事故があったなら公人として対処するべきではなかったのか?
総理という職業、私人を捨てろとは言わないけど
公人としての自分を優先することが必要ではないかなぁ…。
総理という職についてるならばね。
私人から公人に切り替えるタイミングを間違えるべきではないと。
それができないなら(嫌なら)さっさとやめればいい。


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