1日雑記

2001年04月20日(金) …かなり長いきがする

僕は大学で教職(教員になるためのもの)とってるんですが
そうすると普通の人より講義がその分増えるんです。
今日はその関係の講義を受けたんですが…
まぁ先生自体は嫌いじゃないです。
講義内容も結構面白いかな?
…講義によっては頭を回転させることになるんですな。
それは嫌いなことじゃない。楽しんでるし。
そういう面でなかなか好きかな?
今日も考えたんですよ。
最初の出だしが「学級崩壊」にかんする話題(?)だったんで
僕の頭もそういうことについて考えてたんです。
―ふと
実のところぼくは教師になりたいって訳でもない。
なりたくてもなれないような状況だし。
大体の先生たちはなる気が無いならとらないほうがいいし
とって欲しくないとおもってるようだ。
どうも僕はひねくれたところがあるようで
なる気も無いのにとってます。
こういう人間がいてもいいんではないかと。
結局のところ講義の数か増えたので
自分が大変になるだけだし、いいことは一つも無いんですが。
…でも、真剣になりたい人はいるでしょう。
そのとき今日の講義はちょっとだけ納得がいかなかったんですね。
その先生はなるべく分かるように、生徒が興味を示すように、
あきないように、と講義をしていました。
その思想自体は嫌いではないです。
退屈な講義は聞く気が起きないし
何も身につかない。
分かってる、分かっているんですけど…
学級崩壊の話をするときに(今の?うちの学校の?)大学生には
難しいところがあるからなるべく簡単に説明をしていたんです。
…で。
例えば学級崩壊を防いだりするのは当然のこととして
先生が行わなければならないでしょ?
そういうことをする人間に
難しいからといって説明が十分にならなかったら
先生としてやっていく意味が無いでしょ?
…誰に限らずの話として
教員になるための講義というものがある。
その講義を単位が取れた取れないで考える。
取れたらうれしいと。
…たしかにそれはとうぜんの感情でしょう。
でも違うでしょ?
単位が問題なんじゃなくて学んだことが問題なんだよね。
たしかに単位というのは成績だから
それだけの知識(学んだ知識)が不足していれば
単位はもらえない―建前になっている。
現実は出席して試験を受ければ受かるものがほとんどだ。
学級崩壊を語るとき少なからず問題となる教師の知識が
不足したまま社会に送り出す…それは学校にも問題がある気がする。
なぜ起きるのか?などといったことを真剣に説くことはあれど
身についた人間は少なく、それを理解したかを知るのに
試験やレポート…というより
年、二、三十回の講義では少なすぎる。
むろん教員になるには公務員試験などがあるし
未熟なままでは先生になれないようにはなっている。
けどそれだって十分なものではない。
テスト1回何時間かでしょう。
それで教師としての資格があるか無いかの
すべてを判断はできない。
その手の知識の無いまま教師として社会に出たり。
結果は火を見るより明らか。
でもそれがまかり通っているし
社会(世論?)は教師を非難することはあれど、
問題の学校の方針を批判することはあれど、
…肝心の大学を問題視することは少ないように思う。
崩壊の原因が何であれ、それに向かっていく人材は
これから育つはずなのに。
少なくとも大学生という時間の中では
それを学ぶだけの時間があるはずなのに。
それは既存の教員のもつ時間よりも遥かに大きな時間。


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