1日雑記

2001年04月21日(土) 久しぶりに

文章を書くことによって
アイデンティティを確立していくとかなんとか。
正直なところはよくわからない。
アイデンティティということ自体
日本語にはしづらいと考える人、多数。
アイデンティティをこういうものと分かる人、
少数―日本において。
感覚的なものとして考えれば
―これがあっているがどうかはともかく―
僕は確立していけていない。
…ちゃんとした文章を書いてるわけでもなけどね。
むしろこの日記(?)を書くようになって
少々分からなくなってきた。
うーん…イメージとしては
牛乳の入ったコップを海に入れたら
牛乳が拡散して見えなくなったというか…。
今までは考えたことを自分の頭の中に入れていただけなんだよね。
それはほとんどの場合自分の頭の中で完結していて
人が知ること、人に知られることは少なかったし。
同時にそれは自分の考えの「壁」みたいのを
形成していた感じがするんですよ。
自分だけの考え(無論同じ考えの人も多数いるだろうけど)を
頭の中”だけ”においておくことで自分で在れたような。
で、最近こういう場に自分の考えを書くことで
そういう「壁」がなくなっちゃった(薄れた)気がするんですよ。
結果、自分の思考が海の中の牛乳のごとく、
世界(物理的な意味だけでなく)という広い海の中に放り込まれて
自分の考えが薄れる、拡散してしまう、消えていく…
そんなイメージが少々。
自分の中で壁を作っていることで
井の中の蛙で”在れた”っていうんでしょうか…。
少なくともそれでいることで自信を持っていられたというか。
広い世界の中に入ってしまえば自分の身の程を知ってるが故に
つらくなるのを知っていて、自分の殻の中にいつづけようとした。
所詮自分も多数の中の一つでしかなかったことを
知るのが嫌だったというのか…。
この辺はよくわかりません。自分のことだけど。
少なくとも日記を書くようになってから
考え方が変わったような気がする。
…いや、変わったというか微妙な違和感というか…
何かこれを表すいい語彙が見つからない…
思考のしかた自体は何も変わってないと思うし。
とりあえず何かが前とちょっと変わった気がする。
今の僕にはとりあえずこの要素がマイナスに思えるんですが。
でもここに書くことは何か(ストレス?)の発散にはなるし
うじうじしなくてすむ。
少なくともこの考えを自分の中にだけ入れておく必要がなくなって
開放感のようなものも感じたり…。
拡散する恐怖と同時に開放感を得られたというのだろうか?
何がいいことなのだろうか…
けど…とりあえずのところ、今の自分に後悔はほとんどない。
ひとまずこれでいいかな、っと。ね?


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