ネットなどを見ていると マスコミによる政治家の言葉狩り、なんて話を見かける。
なるほどなぁ、と共感できる部分もあったけれど。
改めて考えると、政治家というのは言葉を扱うプロである。 その言葉に対して、お金を払い、命運を預けている。 本質的に、自分の言葉に責任を持てない、 あるいは責任をとれない政治家は その職業において矛盾があるのではなかろうか。
こういう話が出てくる一因に マスコミに対する反抗心もあるのではないかと思うのだ。
私自身もマスコミが好きではないので、 また、無責任に煽り立てて――と、考えたりもする。 ということは、おそらく「言葉狩り」を支持する多くの人は マスコミが嫌いだ、と答えるに違いない。
そうしたとき、敵の敵は味方、ではないにせよ マスコミの標的になった人を擁護したくなる気持ちもあるのではないか。
しかし、それはそれとして 政治家と言葉の問題はもっと深刻に受け止めるべきではないのか。
国内での失言ならまだどうにかなるとして 対外的な言葉で失言しようものなら それこそデモから戦争まで、 文字通り人の命に関わることさえあるわけで。
謝って済む問題でもなければ 軽々しく謝れるものでもなかろう。
聖人君子が政治家やってるわけではないので 本音と建て前、ましてやお金を貰うための職業なのだから その他色々利権やらが絡むのはまぁ、分かる。
でもそれが職業であり、プロであるならば 許される事と許されない事があるのは当然でしょう。
……と、最近の動向を見ていると あまり投票したい政党も見つからないので いっそ棄権でもいいかなぁと考えつつ。
秋葉原には今日もメイドさんが立っておりました。
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