この世界が誰かの箱庭だったとして その箱庭は草木のミニチュアを並べたモノではなく むしろ文章のようなモノなのではないかと考える。
箱庭とするには世界は複雑過ぎる。
文章を読む観測者によって世界が始まり 中で生きる人は認識した部分の実態を作りながら生活する。
この世界を「架空」として 箱庭という決まった容量の中で観測するならば そうする方が「現実」的でしょう?
……と、言葉遊びはともかく 最近自転車のって右左。 休みの間だけで 江ノ島あたりまで往復60km(日帰り) 実家あたりまで往復80km(実家一泊) 箱根あたりまで往復80km(日帰り)
我ながら、よく走ってます。 慣れてくると一日100kmいけるそうなので いつかはそうなってみたいものですが……。
ただねぇ、走るのが目的になっているのがちょっと切ない。
自転車は好きだけど、 車では気付かないけど自転車だから気付くものがあるから楽しいのです。 勿論自転車では気付かないで 徒歩なら気付くものもあるけれど 行動範囲が狭くなっちゃうからねぇ。 その点、自転車は行動範囲も広いから良いのだけれど 今回の移動は車道の路肩を走る事が多いので……。
しかし、日焼けで水ぶくれとかはじめてじゃないだろうか。
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