No Problem

2002年09月05日(木) ウチの子はビリから2番目

 今日は体育のプール最後の日。
今日だけは会社に行かず学校に見に行く。
一応最後なので「記録会」と銘うってはいるが、
「25Mに挑戦したい人(プールの縦)」
「13Mに挑戦したい人(プールの横)」
の2つにわかれてただ泳ぐだけ。
3分の1くらいが25Mに挑戦。あとの3分の2の子供たちが13Mに挑戦するのだが、息子はスイミングに通っているので25Mに挑戦。
ビデオをかまえて待っていたけれど、もう次の番なのに姿が見えない。
おかしいなぁと周りを見渡すと、13Mの組の子の中に混じって声援を送っている。
 あわてて走っていって、「あんた、次に泳ぐんでしょ!!みんな並んで
るじゃない!早く行きなさい!!」と言う。まったく・・・。
 泳ぎは、スピードは遅いけれど一度だけ足をついただけで、なんとか25M
泳ぎきった。

 しかし、やっぱり順位をつけるほうがいいとあたしは思う。
あたしの子供のときは、小学校1年から「校内水泳大会」があった。
先生がガリ版で印刷したようなものだけど、ちゃんと賞状もあって。
どうも、この「競争させない」「順位をつけない」っていうの、よくな〜い。
「1位の子が偉いんじゃありません。頑張った人みんな偉いんです。」
確かに頑張った人はみんな偉い。でも、やっぱり1位の人が一番偉いのだ。
ビリの子は自分の水泳能力の低さを悔しがり、嘆けばよい。
そして、水泳で1位になりたかったら死に物狂いで練習する。
自分には向いてない、と思えば他の分野で頑張ればいい。
逆にいえば、別に水泳でビリになったから、とか泳げないからと人格を否定される事もない。
その子は単に水泳が苦手なだけ。

 人より劣っているとか(差別とは違う)、苦手意識を感じないまま思春期になって、初めて世の中には自分の思い通りにならない事があることに気づき、いきなり相手をナイフで・・・・・なんてふうになっちゃうんじゃないかなぁ。
自分が人よりダメな部分があるところを認めるのはつらい。
でも「これはダメだけど、でも、こういう良いところがある」と自分で自分を認めて、好きになっていくことで人は自立した大人になれるのだと思う。

 その後、夏休みの作品展を見に行くつもりがすっかり忘れて学級委員
3人でランチへ。
これからは学校で土曜日の夜やっているミニバレーに行って運動不足を解消しよう、ということに。
 
 夜は少林寺を待っている間ウォーキング。
蒸し暑く交通量の多い街路を歩いていると、アジアのどこかへ旅行に来た
気分が味わえる。


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