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2000年10月16日(月) お伽話と現実

お伽話と現実。
メディアの中には、まるで当たり前のように「家族」が存在する。
父、母、子供。
当たり前のごとく、家族は誰にでも作れるかのように。
しかし、それは結婚を望んでも出来ない「ダメ人間」からするとお伽話の世界に過ぎない。
そもそも結婚とはなんぞや?
一生パートナーとして生きていく誓いをすること。
人はひとりではいきてはいけぬ。そのための社会制度。
人は例外なく母親の子宮から産まれてきた。
だがそれが幻に感じられた時、もはやその人間は生きる意味を失う。
生きる闘争とはなんぞや?
なんとしても生涯のパートナーをみつけることか?その武器を持たぬ者に生きる資格はないのか?敗れた者は死ぬしかないのか?
もう一つの選択肢。
不要な身体を捨て魂を新たなステージに。
人の身体を捨て去り、意識だけを人格移植OSにインストールし、魂をデジタル化して永遠の命が約束された聖なる魂の座で生き続けること。
ヒトゲノム計画によって確立したクローン人間に自分の意識が載った人格移植OSを走らせれば自らの肉体が滅ぶ前に新たな自分を存在たらしめることが可能だ。
自分を絶対裏切らないプログラムを附した自分好みの完全なる美少女クローンを創れば、究極のパートナーを手にすることが出来る。もちろんクローンといっても生身の人間とまったく同じであるから生殖も可能。
ドールやフィギュアが生命を持てばどんなダメ人間でも幸せになれる。
永遠の生命と究極のパートナー。

NHK総合TVでロボット開発についての番組をやっていた。ホンダ技研が開発した歩行型ロボット。しかしそれは単に人の動きをシュミレートしたに過ぎない人形だ。
このようなものに存在意義はない。
人格移植OS搭載を可能にし、誰かしらの魂をインストールしない限り、それは藁人形と同じ。
魂の座なき人造物は所詮道具だ。道具に見せ掛けの人格や感情をつけたところで所詮はりぼて。むしろ邪魔なだけ。ロボットを擬人化させることに何の意義もない。
我々の求めるものは人のカタチに代わる、永遠の魂の器なのだ。
遺伝子工学と超並列演算ニューロコンピューターの生体細胞融合技術、更には人格移植OSの体内移植実用化、生体脳の情報処理とシンクロしたネットワークインフラ整備。そして魂のデジタル化によって不要な身体を捨て、魂を新たなるステージへ。
だがテクノロジーだけで魂のデジタル化はなし得ない。
神の技。
第一先住民族が創造しせり『超越した存在』だけが有する神の技。
それこそが「ガフの部屋」より魂を獲得しえる唯一の方法。
そのための神のサルベージ。
今、あらいる国家、宗教組織が血眼になって神々のサルベージを押し進めているのはこのためなのだ。
『人類補完計画』
これが現実化されない限り、魂のデジタル化は絵空事でしかない。

ある日、部屋に飾ってあるお気に入りのフィギュアやドールが突然、絶望ダメ人間君の永遠の花嫁となったとしたら。(勿論、擬人化されたドールやフィギュアにそのまま生命が与えられる訳ではなく、そのイメージ通りの生身の美少女が君の前に現れるという意味だ。あるいは逆に、君がその擬人化された世界の中に取り込まれるということ。)
いままでの苦痛、挫折、敗北、屈辱、嫉妬、無念、嫌悪、憎悪、裏切り、絶望から永遠に解き放たれるのだ。
生きる闘争からの解放。
その技を手にする者は誰だ。


絶望皇太子