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2000年12月04日(月) マスコミは本当の支配者を批判出来ない

日本の行政府の内閣改造のニュース。
例によってマスコミは現政権を批判する論調に終始する。
何がそんなに気にいらないのか知らないが、とにかく批判することが嬉しくて仕方ないらしい。
内閣支持率(これもマスコミの自作自演の可能性大)が下がると精薄の子供のごとくキャキャッとはしゃぐ様は尋常ではない。
一方で行政府を批判しても何ら御咎めなしということは、すでに今の行政府にはメディアを掌握する権力などないということだろう。
少なくともこの国の支配権が現行政府にはないということ。
では本当にこの国を牛耳っている存在に対し、マスコミは批判出来るか?
たとえば、日本の全資産を背後操縦出来る立場にある外国人投資家。
彼等を手厳しく批判する論陣がニュースや新聞で大きく展開されたことがあったか?

そんなものはみたことがない。
仮にそれを試みたとしても次の日には忽然と「なかったこと」にされるのがオチだ。
マスコミは本当の支配者を批判出来ない。
なぜならば、いつの世も真の支配者がメディアを操縦出来る立場にあるから。
それを知っていれば、マスコミが現日本政権を子供の戯れ言のごとく、悪く書き立てる茶番も理解出来よう。
こんなものはただの洒落。
まともに付き合う方が馬鹿なのである。
現政権もまた、真の支配者にとっては雇われ社長か植民地の総督府のようなもの。
既得権益に縋り付く狡猾な小心者を集めて搾取の道具として活用されているだけ。
それが今の日本行政府。
所詮、マスコミも行政府も同じ穴のムジナ。

歌舞伎町で17歳の青年が散弾銃と手製爆弾で武装して騒ぎを起こしたという。
かつて男達は武器を携帯することがその存在証明だった。
武器は力であり、それを己の英知と勇気でコントロール出来る者が男の条件だった。
人間のオスとして生まれた以上、その社会秩序を守るための道具として武器を手にすることは男の当然の権利だった。
むしろ、武装していない17歳青年のほうが不自然な存在じゃないか?
精神的に去勢され、このような事件が特異なものに感じられる事こそ異常ではないか。
彼は異常ではない。おかしいのはこの社会だ。
このような青年は、むしろ1960年代までの日本には腐る程いたはずだ。
ニュースにならないのは、そんな事件などいちいち相手にしていられないほど激しい時代だったからだ。
月に行こうと思い立ち、僅かその10年足らずで本当に月まで行ってしまった時代があった。
その一方で石とか火炎瓶投げて社会に反抗して憂さ晴らしも出来た。
すべてがポジティブで前のめりだったから、散弾銃を持った17歳が歌舞伎町に現れたところで別段驚きもしないだろう。
これもまた、まともな時代とはとても言えぬが、とりあえず、まだ男が男として生きて行けた時代だったかも知れぬ。

今や犬の散歩でふんの始末をしないと非難されるほどの潔癖性の時代。
セクハラやストーカーや児童ポルノや少年犯罪に過敏になってやたら法律つくる様は、まるで公衆トイレの便座に除菌しないと座れずにいる人の潔癖症対策のよう。
もはや人間が人間であることを否定するような情況だ。
人間を否定したいのならば、肉体に代わる魂の座がなければ成立しない。
だが、いまだそのようなものが見つからない以上、ヒトはほ乳類としての掟から逃れる事は出来ないのだ。
生きる闘争のために武器がある。
それを捨てた男はもはや人間ではない。


絶望皇太子