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2001年07月05日(木) 祠の中の絶望

今から12年前の7月。
1989年7月25日、北海道大雪山系旭岳で遭難者救出に向かった北海道警察ヘリが山中に奇妙なものを発見した。

木を組み合わせて造られた「SOS」の字・・。

程なくその近くを捜索した警察官が人骨と共に幾つかの遺留品を回収。
その中にあった一本のカセットテープを再生すると以下のような収録音が残されていた。
1983年に発売された『超時空要塞マクロス』のサウンドトラック。
おそらくラジオのエアチェックであろう「リンミンメイ星の囁き」等のアニメ番組録音。
そしてテープの最後には助けを求める当人であろう男性の声が2分17秒録音されていた。

『SOS、助けてくれ。
崖の上で身動きとれず。(繰り返し)

笹深く上へは行けない。
ここから釣り上げてくれ。
場所は最初にヘリにあったところ』

警察で調査したところ1984年7月10日に大雪山系に入山したまま行方不明になった愛知県内の当時25歳の男性捜索の為にヘリを出動させた記録があった。5年も前の事。
またこの男性の家族や同僚からの事情聴取で彼がアニメ好きで身の回りの品にアニメのシールとかを貼り付けていた事が解った。
更に林野庁の植林調査用航空写真には1982年撮影のものには何も写っていないが1987年の写真にははっきりと「SOS」の木文字が写っていた。
ここから推測するにこの「SOS」の木文字を造った人物は1984年に遭難行方不明になったこのアニメ好きの男性であることが濃厚になる。
7月29日、地元のTV局クルーが現地に侵入し、現場近くの祠(ほこら)から彼の免許証と彼が描いたと思われるアニメの絵(ミンキーモモ等)が記されたノートが発見され、遭難者がこの人物であることが断定されたのである。
遭難から5年、偶然が重なってやっと発見された彼の骨と遺留品。
結局、木で組んだSOSやテープに吹込まれた救援を求める声は何の役にも立たなかったのである。
捜索に当った者達はSOSを木で組むより狼煙を上げた方がよほど発見される確率が高かったのにと彼の行動に疑念を投じた。
当時、まだ『ヲタク』なんて言葉はなかったが25歳のアニメ好き男性など世間から見れば無気味な存在としか映らず、メディアは『ネクラ男の哀れな最期』などと差別的に報じ、彼の死を散々嘲笑していた。

彼の名はK.I
1959年1月15日生まれ。
皇太子と同じ絶望世代の生まれだ。

彼は大雪山系の祠(ほこら)の中で何を思っていたのであろうか?
自分で描いたミンキーモモやリンミンメイやラムちゃんのイラストを眺めながら救出の時を待っていたのであろうか?
ヒグマが出没する危険な山中。マクロスのサウンドトラックがはいったテープを大音量で流していたのか?
「SOS」の木組みは手塚治虫の漫画からヒントを得たともいわれるが、彼にとってはそれが最も有効な連絡手段だったと信じたのだろうか?
だが凡ての試みは無駄に終わった。
おそらくうとうとしている所をヒグマに襲われ食い千切られてしまったのだろう。
発見された人骨は周辺に散らばっていたという。
25年間の彼の人生はマクロスをBGMにヒグマの餌と消えたのである。
そしてその死も単なる嘲笑の的として扱われ、散々弄ばれた挙げ句、あっという間に人々の記憶から忘れ去られてしまった。
何一つ報われなかった彼の絶望人生。
やがてこの大雪山SOS事件発生からさほど間を置かずして、宮崎勤事件が捏造され、皇太子世代のすべてに犯罪者の烙印が押されるのである。

彼の死から17年目の夏が来た。
彼の絶望は今や皇太子世代全てに共通する。
この事件はそれを予言した出来事として記憶に留める必要があろう。
皇太子世代の絶望は彼の生きた報われぬ人生と同じだ。

彷徨の末、祠の中でじっと死を待つ事。
死刑執行人たるヒグマがやってくるのを待つしかないのだ。
いくらSOSを発しようとも誰も助ける者はいない。
生きて嘲笑を受け、死しても嘲笑を受け絶望の中、死に往くしかない絶望皇太子世代。

『SOS、助けてくれ。
崖の上で身動きとれず。(繰り返し)

笹深く上へは行けない。
ここから釣り上げてくれ。
場所は最初にヘリにあったところ』

彼の悲痛な叫びは我らの心の叫び。

報われぬ夏がまた巡ってきた。
希望は何処にもない。


絶望皇太子