日々日記
いちらんふるいあたらしい


2008年08月16日(土) どんだけ…

歳をとると、どんだけいろんなことがどーでもよくなるか。
わたしの場合は、いい意味でね。


昔だったら、昔だったら、些細なことでも

「タマとったるでぇー!!!!!!」ぐらいのイキオイだったよな…。


ええ、物心ついた頃から20代なかば過ぎまで、狂犬だったものですから。



とはいえ、
どーでもよくなった、といっても、本当にどうでもいいのとはまたちょと違う。

そか、あなたはそうするんだね。そこはわたしにとってどーにも譲れない部分じゃないので、
とくにこだわりませんから、お好きなようにどうぞ。合わせますよ。ってな感じ。

ちゃんと考えた結果なんざますのよ。


待ち合わせに、友達が遅れてきたって別にいい。
そういうこともありうると想定して向かう。

なんでそう思うようになったのか。
あるとき、3人で待ち合わせしたとき、私ともう一人が一緒に待ち合わせに遅れたんだな。

そしたら先に来て待ってた人が「わたしそういう人絶対許せない!!」
といってプンスカ怒り始めた。


そんで、そのあと機嫌が直らないの治らないのなおらないの。
なんだおめー、って逆に怒りたくなるくらいなおらない。
あもちろん我々は怒んなかったけどー。
(お互いちゃんと怒るほどの人間関係が構築されてなかったんじゃないかと今は思います。)


もし逆に怒ったら、彼女帰っちゃうだろうし。
みんなで楽しみにしてた食事会だったし。

まぁとにかく、それを見てわたしはいろんなものが萎えました。

この一件以前、inu-chanは「絶対許せないほうの人」だったけど、
それってどーなんだろうって思ったのだ。


その一件のすぐあとに大失恋を経験して、最大に悲しいお別れをして、
お互い大好きでも「絶対大丈夫」なことも、「絶対ずっと一緒」ってことはありえないって
わかったことも影響しているかも。


絶対、って言葉はさぁ、待ち合わせに遅れたぐらいで使う言葉じゃない。

そう思ったら、自分の中の「絶対事項」に優先順位ができていた。


で、わたしの中の絶対譲れないものって実はそんなに多くはなくて
今じゃいらんことに怒る必要がなくなっちゃった。

狂犬も、子犬か老犬かってなもんで、かわいいもんですのよ。
ちなみに、動物占いは「オオカミ」。

しかし、わかってますよ。ちゃんと。
そもそも待ち合わせに遅れるのはマナー違反だということ。
遅れた我々が悪いのだ。ちゃんと来て待ってた彼女は悪くない。

悪くないけど、あれはよそう。と思った。




ちょっと話はかわるけど、生き方について最近また考える。


個人主義だ、自分の価値観を持とう、とかいうわりに、見えないバイアスは強くなる一方。
自分らしく生きる、って思っても、その自分でさえもはやオリジナルかどうかもわかんない。

だから自分で考えて善悪を判断する。

あとはその判断のままに発言し、行動する。
他人と違ってたら、違ってることを楽しめばいい。同じだったら、同じだねって思えばいい。

このとき、考えと行動の一貫性がすごく大事。
一貫性がないときの違和感は、自分やまわりの人を知らないうちに蝕む。
ちゃんと考えることって、けっこう重要だと思う。


一貫性のない人と付き合うとすっごく疲れるから、わかる。


自由に生きることが甚だ難しいとはいうけれど、
難しくしているのは社会の構造のせいばかりじゃなくて、
我々ひとりひとりの心の中にも原因があるんじゃないかなと思う。


構造ありきで、心があるのか、心が構造を作ってんのかしらんけど、
そういう意味で「ほぼ日」というカイシャのやってる働きかたやその考え方に、
inu-chanはすごく惹かれる。


さぁ、あと3日バイトしたら、久々長期で実家に帰る。
帰れる日がこんなに待ち遠しいなんて!ちょと驚いたわ。

「ここにはわたしの知的好奇心を満足させるものは、ひとつもない」と確かに言ったが、
わたしの身も心も、故郷を離れてから作ったどのねぐらに帰っても、
きっとそれは帰ったことにはなんなくて、
結局最後の最後に帰って行くのは、あの場所なんだと思い知らされました。

これがまた、家族を持つと変わるのかなぁ。とも思ったり。


inu-chan